「ナポレオン」(2023米英)
ジャンル人間ドラマ・ジャンル戦争
(あらすじ) 18世紀末、革命に揺れるフランスで、若きナポレオンは目覚ましい活躍を見せ軍の総司令官に任命される。その後、夫を亡くした女性ジョゼフィーヌと恋に落ち結婚する。しかし、奔放な彼女の振る舞いにナポレオンは嫉妬を募らせ、夫婦関係は次第にギクシャクしたものとなっていく。
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(レビュー) 19世紀初頭、ヨーロッパ全土を支配下に収める勢いを見せたフランスの英雄ナポレオン・ボナパルトの波乱に満ちた半生を圧倒的なスケールで描いた歴史大作。
ある程度ナポレオンの経歴を知った上で鑑賞したこともあり、約2時間40分という長丁場も、知識の再確認といった感じで意外に短く感じられた。ただ、波乱万丈の人生を圧縮して見せたことでダイジェスト風な作りになってしまった感は否めない。戦いに明け暮れたナポレオンの足跡を辿る構成は戦史劇として上手くまとまっているが、若干駆け足気味という印象も持った。
サイレント時代に作られたアベル・ガンス監督の「ナポレオン」(1927仏)という作品がある。こちらは全12時間に及ぶ超大作だが、現在ソフト等で観られるのはそのうちの1/3、約4時間のみで自分はそちらを鑑賞したことがある。その中ではナポレオンの人生の半分も語られておらず、おそらく彼の人生をじっくりと描くのであれば、この尺でも全然足りないのだろう。
そんな本作であるが、ドラマ的な面白さを支えているのはジョゼフィーヌとの愛憎劇である。二人の出会いから別れ、その後の複雑な関係が丁寧に描かれていて面白く観れた。ナポレオンは戦地に赴くことが多く、その間は手紙でのやり取りになるのだが、これが二人の胸中を上手く表現していた。
そして、ナポレオンというと泰然自若なイメージがあるのだが、本作ではそのイメージとかけ離れた表情をジョゼフィーヌに対して見せる。ある時は我儘な子供のように、ある時は怯えた子羊のように。自分の中でのナポレオン像が見事に刷新された。
ホアキン・フェニックスの演技も味わい深い。やはりジョゼフィーヌとの絡みが一番面白く観れるのだが、良くも悪くも人間味溢れるナポレオン像が確立されていて良かったと思う。
監督は齢80を超えてなお精力的に活動し続ける巨匠リドリー・スコット。安定した演出は流石で、一つ一つの画が美麗、風格に溢れていて文句のつけようがない。また、ヴェルサイユ宮殿などのロケーションも世界観に厚みをもたらしていた。
迫力ある戦場シーンも見応えがあった。特に、アウステルリッツの戦い、ワーテルローの戦いは、そのスケール感に圧倒される。VFXの効果的な使い方に一日の長があるスコット監督だけに、このあたりも抜かりはない。
「正欲」(2023日)
ジャンル人間ドラマ・ジャンル社会派
(あらすじ) 周囲の環境に馴染めない会社員の佐々木は、父親の訃報をきっかけに故郷に戻る決心をする。正義感の強い検事の寺井は、不登校の息子のことが理解できず妻と度々衝突していた。ショッピングモールで働く独身女性の夏月は、結婚が重荷になり鬱屈した感情を抱えている。大学生の八重子は過去のトラウマから男性恐怖症になっていたが、準ミスターに選ばれたダンス部の諸橋のことがなぜか気になっていた。夫々の人生が数奇な運命で交錯していく。
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いわゆるフェティシズムをテーマにした物語と捉えたが、拡大解釈すれば多様性についての物語、マイノリティの苦しみ、孤独を描いた物語という風に捉えることも可能だと思う。あるいはサブキャラに着目すればまた違ったテーマも見えてきそうである。本作は色々な切り口で語ることができる作品のように思う。
原作は
「桐島、部活やめるってよ」(2012日)の朝井リョウが書いた同名ベストセラー小説(未読)である。それを
「あゝ、荒野 前編」(2017日)、
「同 後編」(2017日)の岸善幸監督が映画化した作品である。
「桐島~」もそうだったが、物語は複数の視点で描かれる群像劇スタイルで展開される。
登場するエピソードは全部で3つあり、一つ目は特異なフェチを自認する男女、佐々木と夏月が運命的な再会を果たすドラマである。二人には過去の思い出がありそれが時を経て蘇るという、ややメロドラマめいたストーリーであるが、実際にはそう楽観的に見れる内容ではない。周囲からの疎外感、孤立感に苦しむ両者に焦点を当てながらシリアスに展開されていく。
二つ目は正義感の強い検事寺井のエピソードである。不登校の小学生の息子、妻との冷え切った関係を描くホームドラマを、インターネットの弊害やそれに伴う犯罪を絡めながらシビアに描かれている。
三つ目は、過去のトラウマから男性恐怖症になった女子大生がイケメンのダンサーに惹かれる恋愛談である。
夫々のエピソードは終盤で数奇な結びつきを見せるが、ここで最も重要となるのはやはり一つ目のエピソードであろう。ここを土台にして他の二つのエピソードが展開されており、終盤で夫々が相関することで社会の価値観、既成概念に対する疑念の目が観客に問題提起という形で示される。
それはつまり、世間一般の物差しでいう所の”普通”とは何なのか?”普通”と”普通でない”ことの差にどれほどの意味があるのか?といった問題提起である。
また、本作を観て橋口亮輔監督が撮ったオムニバスコメディ「ゼンタイ」(2013日)という作品を連想した。そこには全身タイツフェチの同好会が登場してくるのだが、周囲の奇異の目をよそに彼らは仲間同士で案外楽しくやっていた。
本作の佐々木と夏月も同行の士として関係を深めていく。他人に理解を求めるでもなくひっそりと寄り添って生きていくその姿は実に健気で切なく観れた。
そして、ここが興味深い所なのだが、フェチというとどうしても”性欲”と混同してしまいがちだが、本作の佐々木たちも「ゼンタイ」の人達も性的な欲望を持っているわけではない。彼らは他人とは違う自分の存在意義、アイデンティティを保つために、同じ”癖”を持つ者同士で繋がっているだけなのである。人が生きたいと願う欲望。つまりこれがタイトルにある「正欲」と繋がるのだが、自分はこういう形で嗜好を持つ者もいるのか…と認識を改めさせられた。
岸監督の演出は抑制を利かせたタッチで上手くまとめられていると思った。特に、佐々木、夏月を演じた磯村勇斗と新垣結衣の繊細な演技が素晴らしく、おそらくこのあたりには監督の演出意図も大いに寄与していたのではないかと推察する。
その一方で、ベッドの上の夏希が水に侵食されるシーンなど、陶酔的な映像演出も時折見られ、これも中々面白いと思った。
そして、最も印象に残ったのはラストカットの切れ味の良さである。この突き放すような終わり方は実に潔い。
佐々木と夏月が直に面と向かって再会するドラマチックなシークエンスにも上手さを感じた。その後二人はホテルに入るのだが、この大胆な省略の仕方には唸らされる。
一方、残念だったのは三つ目のエピソードである。他の二つのエピソードに比べると描き方が浅薄という感じがしてしまった。ヒロインがダンサーに惹かれる理由が分からず、その顛末についても今一つスッキリとしなかった。他のエピソードに比べると中途半端な扱いだったのが惜しまれる。
「翔んで埼玉~琵琶湖より愛をこめて~」(2023日)
ジャンルコメディ・ジャンルファンタジー
(あらすじ) 埼玉県民は麻実麗率いる埼玉解放戦線の活躍によって自由と平和を手に入れた。しかし、地域間の対立は未だ冷めやらず、麗は県民の心を一つにするべく越谷に海を作ることを宣言。早速、美しい白砂を求めて和歌山へと旅立った。ところが、途中で船は難破してしまい、九死に一生を得た麗はそこで滋賀解放戦線のリーダー桔梗と出会う。
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(レビュー) 埼玉県を愛ある(?)ディスりでネタにした伝説のギャグ漫画「翔んで埼玉」の実写映画化第2弾。
今回は関東地方から飛び出して関西を舞台に捧腹絶倒な笑いの世界が繰り広げられている。バカバカしくも下らないギャグの中に、関西人に対するディスりネタが豊富に仕込まれていて中々楽しめた。
メインとなるスタッフ、キャストは前作と同じなのでテイストはしっかりと引き継がれている。前作が楽しめた人なら今作も十分に楽しめるのではないだろうか。むしろスケールという意味では前作以上にパワーアップしており、このままシリーズ化を狙っているかのような勢いが感じられた。
物語は、例によって埼玉在住の一組の家族のドラマを起点としながら、ラジオから流れてくるカオスな世界が軽快なテンポで語られていく。ネタの伏線と回収も見え見えながら無理なく張られているし、終盤の盛り上がりもよく考えられていると思った。
個人的には、滋賀発祥の”ある看板”の意外な(?)活躍と、前作でも盛り上がった有名人対戦に笑ってしまった。また、埼玉県ネタは今回は舞台が関西ということで少ないのだが、それでもクライマックスにかけて大いに盛り上げてくれる。ここも楽しく観ることができた。
一方、ここはもう少し毒があった方が良かったのに…と思う個所も幾つかあった。
例えば、白い粉の扱いなどは明らかに麻薬的な何かのように描かれているが、コンプライアンス的な問題でこの辺りが表現の限界なのだろう。甲子園のネタにしてもそうなのだが、各方面に遠慮しているような向きが感じられた。
大規模公開のエンタメ作品ということを考えれば、余り過激な表現が出来ないというのも分かるが、どうせ続編を作るのならもっと攻めた姿勢も見せて欲しかった。
尚、劇中には様々な映画のパロディも登場してくる。中には劇場公開に合わせたかのようなタイムリーなネタも出てきて、このあたりは実に商売上手である。
キャスト陣は前作同様、夫々に奮闘している。中でも今回のヴィラン役片岡愛之助の嬉々とした怪演が印象の残る。
逆に、麗役のGACKTと共に前作を大いに盛り上げていた桃美役二階堂ふみは出番が少なくて少し残念である。
「フィアレス」(1993米)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 建築者のマックスは、多くの犠牲者を出した飛行機事故から奇跡的に生還した。しかし、事故のショックから立ち直れず、生きた実感を持てない日々を送っていた。その頃、同じ飛行機に同乗していた女性カーラも、我が子を失い生きる希望を失くしていた。そんな二人が引き合うように出会い交流を育んでいく。
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(レビュー) 映画は飛行機事故の墜落現場から始まる。幼い赤ん坊と小さな少年を連れたマックスがトウモロコシ畑から現れるという、どこか勇壮感を漂わせた光景が印象に残る。非常に幻想的でドラマチックである。
個人的には
「ジャンボ・墜落/ザ・サバイバー」(1981米)も連想させられた。ただ、あの作品とは全く異なる展開で物語は進行する。
マックスは事故で助かったものの、そのトラウマから普通の生活を送れないようになってしまう。常に生きている実感を持てず、虚ろな目で宙を見つめながら無気力感に見舞われている。一方のカーラも、事故で幼い我が子を失い生きる意欲をなくし、半分死んだような日々を送っている。
そんな二人が惹かれあいながら夫々に生きる希望を取り戻していく…というのが、このドラマのテーマである。
監督はピーター・ウィアー。幻想的なタッチを挟みながら、地にしっかりと足を付けた演出が貫かれており、ベテランらしい安定感が感じられた。
凄惨な事故を題材にしているので前半はやや重苦しい展開が続きしんどいが、マイケルが塞ぎ込んだカーラの心を徐々に介抱していく後半はペーソスを交えながら感動的に盛り上げらていている。
特に、デパートのシーンは味わい深い。ピアノの伴奏がまた粋な演出で、マックスとカーラの魂の触れ合いに安らぎを覚えた。
そして、その後に続く展開も印象深い。それまでの落ち着いたトーンを一気に壊すような情熱的な演出に心奪われた。U2の名盤「The Joshua Tree」のオープニング「Where The Streets Have No Name」の効果的な使用も奏功している。
終盤のサスペンスフルな演出も、序盤の伏線が効いていて一気にエンディングまで気持ちよく乗って行けた。鑑賞の余韻を途切れさせない幕引きも上手い。
それにしても、本作のマイケルはどこかこの世の者とは思えぬ超然とした佇まいをしている。彼のおかげで救われた乗客もたくさんいて、その奇跡はさじずめ現代に蘇ったキリストの偉業のようでもある。実際に彼は世間の注目を浴び、聖人のように祭り上げられていく。しかし、これがかえって彼の中で生きてる実感の妨げとなってしまう。何とも皮肉的な話である。
マックスに信仰のシンボルが投影されていると考えると、本作は単なる魂の救済ドラマでは片付けられない深みも感じられる。奇跡を求めたがる大衆と、現実とのギャップに戸惑うマイケルの苦悩。それを、ある種皮肉的に描いて見せた現代の寓話という見方もでき、この辺りにはクリント・イーストウッド監督の
「ハドソン川の奇跡」(2016米)やデンゼル・ワシントンが主演した
「フライト」(2012米)との共通性も感じられた。
キャストでは、マイケルを演じたジェフ・ブリッジスの抑制された演技が素晴らしかった。
また、カーラを演じたロージー・ペレスは車中の慟哭の熱演に見応えを感じた。自分だけが助かってしまったことに対する悲しみがひしひしと伝わってくる名シーンである。
「妖精たちの森」(1971英)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) 事故で両親を亡くした幼い姉弟フローラとマイルズは、田舎の大きな屋敷で家政婦と家庭教師ジェスル、下男のクイントと暮らしていた。二人は無学で野卑なクイントを慕っていた。そんなある日、マイルズはクイントとジェスルの愛し合う姿を覗き見してしまう。
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(レビュー) 幼い姉弟が禁忌な思考に取りつかれていく様を美しい田園風景の中に描いた作品。
製作された時代を考えればかなりショッキングな内容であることは間違いない。ただし、脚本自体はヴァイブレーションに乏しくもう少し捻りが欲しいと思った。
とはいえ、全体を貫く怪しい雰囲気は悪くはない。また、クイントを演じたマーロン・ブランドの一癖ある演技も絶品で、全体的には面白く観ることができた。
尚、本作はホラー映画の古典「回転」(1961英)の前日弾ということである。「回転」には原作小説があり、今回はそれをベースに敷いた物語となっている。自分は「回転」を観たことがないが、予備知識が無くても十分に楽しめた。
最も印象に残ったのは、クイントとジェスルが縄を使ったSMプレイに興じるシーンである。マイルズはそれを覗き見してフローラと真似をするのだが、性の知識が何もない姉弟が興じるという所に何とも言えない”危うさ”を覚えた。彼らはクイントの影響を受けながら徐々に残酷性、加虐性を芽生えさせていくようになる。ラストはかなり衝撃的な終わり方になっていて、中々ヘビーな鑑賞感を残す結末である。
また、姉弟が「死んだら愛し合えるの?」という問いに対して、クイントが「愛すれば殺したくなる」と答えるシーンも印象に残った。ポルノとバイオレンスを見世物にしているように見せかけて、こうした深い言葉をさりげなく挟み込むあたりは中々侮れない。
監督はマイケル・ウィナー。少し安穏としたところはあるが、職人監督らしく安定した演出を見せている。特に、覗き見のシーンにおける緊張感と淫靡さはただ事ではなく、今作で最も力を入れて演出しているように見えた。
また、美しい湖畔や田園風景、林が立ち並ぶ森の景観等、映像も非常に美しい。逆に、それとの対比で姉弟の残酷さもよりグロテスクなものとして際立つに至っていると感じた。
キャストでは、先述したようにマーロン・ブランドの粗野な造形が魅力的である。SMプレイのシーンは少し笑ってしまいたくなる個所もあるのだが、持ち前のマチズモを前面に出し”らしさ”を見せつけている。