セリフを排した異色の家族ドラマ。
「裸の島」(1960日)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 小島で畑を耕しながら暮らす一家がいた。夫婦は小さな畑に水をやりながら、幼い二人の子供達を育てている。長男は毎日本島の学校に通っている。次男は海に潜って魚を獲ったりしていた。そんな一家をある不幸が襲う。
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(レビュー) 新藤兼人が製作・監督・脚本を兼務して臨んだ人間ドラマ。セリフを一切排して、ひたすら映像だけで見せきった演出が斬新である。彼の実験精神が何故これほどまでにプリミティブな映画に向かわせたのか?それを探りながら最後まで面白く見ることができた。
そもそも映画は最初からセリフがあったわけではなく無声映画から始まった。最初に映像があり、その後にトーキーが生まれたことを考えると、映画とは映像先行の芸術・文化と言うことができるだろう。言葉というものは時代の流れ、国の違いと共に変化するが、映像はいつの世にも通じる普遍的なものとして永久に残るものである。その証拠にチャップリンのサイレント映画は世界中に理解され受け入れられている。新藤監督は映画のこの本質を見抜きながら、本作で敢えてセリフに頼らず映像のみでドラマを紡ぐことで作品に普遍性をもたらそうとしたのではないだろうか。
製作スタイル同様、ドラマもかなりシンプルなものとなっている。水源が枯渇した無人島で暮らす家族の働く姿が淡々と綴られていくだけで、一見すると退屈、平板と見られがちだが、終盤でドラマチックな展開が待ち受けている。ドラマの芯がしっかりしており、尚且つ起承転結も律儀に構成されている。
尚、自分はこの映画を見て、以前紹介した山本薩夫監督の
「荷車の歌」(1959日)が思い出された。本作はあれに通じるような労働映画的なテイストを持っている。
この夫婦は暑い日も、寒い日も、雨や風が吹きすさぶ日も、歯を食いしばりながら、一日に何度も本島と離島を重たい水桶を背負って往復する。文明から敢えて遠ざかった所でこれほどまでに過酷な労働に掻き立てるものは一体何なのか?セリフによる説明が一切ないため、見ている最中ずっと考えていた。
そして、その答えは中盤の鯛のエピソードで少しだけ分かった気がする。一家は子供達が釣った鯛を売って本島で買い物と食事をする。一家揃っての微笑ましい団欒はどこにでもある普通の幸せのように映るが、この家族にとってはかけがえのない大きな幸せのように感じられた。このシーンの尊さは、まるでこれまでの過酷な労働に対する一家に与えられた〝ご褒美”のように見えた。幸せのレベルとは貧富の差に関係ないということ、むしろ貧しいからこそ、他人にとっては小さな幸せも当人にとっては大きな幸せになるということを思い知らされる。彼らの日々の厳しい労働はこの一時の幸福のためにあるのだ‥という事が分かり、何とも心が温まった。
飽食の現代ではこうした考え方はちょっと理解できないだろう。しかし、人間の生きる意味を考えてみると、結局はこの家族のような温もりに満ちた暮らしを得たいという所に落ちつくのではないだろうか。労働の美徳と言うと少し言いすぎかもしれないが、労せずして本当の幸せを掴む事は難しいことだと思う。この映画は人間の生きる意味というものを、ややプリミティブな形ではあるが真摯に説いていると思った。
今作に懸ける新藤監督の意気込みは、各所の演出からも感じられた。
たとえば、冒頭の水桶運びのシークエンスは単に同じシーンの繰り返しに見えるが、カメラアングルを自在に変えながら一つとして同じショットは見つからない。加えて、妻を演じる乙羽信子の危なっかしい足取りが、いつ転ぶか分からないというサスペンスを生み、見ているこちらはハラハラさせられてしまう。
また、後半の花火の演出には不意を突かれた。夜空に華々しく打ち上げられた花火は、その輝きとは裏腹に妻の心情を考えるとどこか残酷なものに見えてくる。この表裏の妙が悲劇性を盛り立てている。
実験的作品という側面があるにせよ、こうした丁寧な演出が1本の作品としてのクオリティを高みに押し上げていることは間違いない。まさに新藤監督の手練が味わえる1本である。
妻が水桶を担いで転ぶシーンがありました。それでもひとつの桶にしがみつき、それだけはこぼれずに済みます。夫は妻を張り倒します。然し、それだけで、夫と妻とは何事も無かったように二人でひとつの桶を運びます。軍隊でもあったこのピンタ。これは、罰を与えるのであって、それ以上咎を問い詰めることはしないことが背景にあります。打つ方も痛みを分かち合うのです。
コメントありがとうございます。
この一連の所作から夫婦が今までどのように生きてきたかが伺えますね。セリフがないことで、一つ一つの行動が〝意味ある物”に見えてくるところに、この映画の素晴らさがあると思います。
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