淡々と紡がれるロングテイクに心酔。静かな終末観に心奪われる。
「ニーチェの馬」(2011ハンガリー仏スイス独)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 19世紀末、暴風が吹きすさぶ荒野に、父娘が住む1軒の小屋があった。仕事から戻ってきた父は馬を納屋に入れて食事をとって眠りについた。翌朝、まだ暴風は収まらなかった。父は仕事に出かけようとするが、馬が動かず足止めを食らってしまう。仕方なくその日は家で内職の仕事をした。翌日、やはり風は吹き荒れ馬は動こうとしなかった。そこに1人の村人が酒を分けてくれとやって来る。彼から驚くべき話を聞かされる。
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(レビュー) ハンガリーの鬼才タル・ベーラ監督が描いた寓話。
荒涼とした大地に暮らす父と娘の日常を淡々と切り取りながら、世界の終末を静かに謳った傑作である。2時間34分をたった30カットで紡いだ映像叙事詩は実に見応えがあった。大胆な濃淡のモノクロ・タッチの映像に、父娘の労働、食事、睡眠のルーティンワークが異様な緊張感で筆致されている。まるで新藤兼人監督の
「裸の島」(1960日)の水桶運びを彷彿とさせるルーティンワークだが、「裸の島」と決定的に違うのはこの父娘が向かっているのが「生」ではなく「死」という点だ。人間の力強い生命力を謳った「裸の島」とは対極のメッセージが浮かび上がってくる。
監督の話によれば、この「ニーチェの馬」はドイツの哲学者ニーチェの逸話にインスパイアされて作ったということである。映画の冒頭でその逸話がナレーションで紹介されているが、ニーチェの思想を鑑みれば本作の伝えようとしていることも自ずと読み解けよう。
ニーチェは反キリスト教者で「神は死んだ」という有名な言葉を残している。また、「ツァラトゥストラ」では永劫回帰の思想を披露し宇宙の円環運動、虚無性を示した。ここに登場してくる父娘の暮らしぶりは、正にニーチェのこの思想を体現していると言える。
例えば、彼らは食事をする時に祈りを捧げない。部屋に十字架らしきものも見当たらない。おそらく二人は無神論者なのであろう。精神の支柱を他者、つまり神ではなく自己の中に求めている。
一方で、途中で登場する村人やアメリカへ渡ろうとするならず者たちが残していった逸話、書物。これらには神への信仰、神の絶対性がはっきりと読み取れる。彼らは父娘に信仰を教えようとしてやって来た伝道者‥という風にも捉えられる。
しかし、父娘は彼らを拒み外の世界、つまり神の世界に救いを求めようとしなかった。同じ時間に同じ行動を繰り返し、神に捕われない自己の存在を証明していったのである。
父は毎朝、酒を2杯煽って仕事に出かける。娘は毎朝、井戸からバケツ2杯の水を汲んで囲炉裏に火をつける。二人の食事は3食ともジャガイモだけ。それ以外のものは口にしない。そして食事がすんだら窓から漫然と外を見つめ日が暮れるのを待つ。この虚無的とも言える繰り返しの日常は、神に捕われない、あるいは運命というものに頼らない彼らの自己主張なのだろう。無神論者であると同時に想像を絶するニヒリストでもある。
そしてもう一つ、この映画で重要なキャラが登場する。それが父が仕事で使う馬である。映画の幕開けは、暴風の中を疲弊しきった表情で荷馬車を引く馬の姿から始まる。これが見ていて実に痛々しい。この過酷な労働を嫌ってか、馬は翌日から餌も水も受け付けず馬車を引くのを拒むようになる。
この馬は何を意味しているのだろうか?父の強権の犠牲、あるいは映画では描かれていない父娘のかつての幸せの象徴とも取れる。また、先述のニーチェの逸話に照らしわせて考えれば、世界の破滅の狂気に蝕まれた悲しき存在とも取れる、いずれにせよ、父娘に引きずられる形でこうして衰弱していく馬の姿を見ると、実に不憫に思えてしょうがなかった。
映画は死の世界と言わんばかりの荒涼とした大地を舞台に、父娘の空虚な暮らしが延々と繰り返されるだけである。全編に渡って同じシチュエーションの反復が続くため、ドラマ的な動きに乏しいことは確かである。前作
「倫敦(ロンドン)から来た男」(2007ハンガリー独仏)でもそうだったが、良くも悪くもこの冗漫さはタル・ベーラ作品の特徴であり、現代のような速い展開で見せる映画と比べると退屈に感じる観客がいるかもしれない。しかし、一つ一つのロングテイクは大変見応えがあり、ズシリと重く、尾を引くインパクトがある。こうした鑑賞感は他では中々味わえないと思う。そういう意味では唯一無二の作品と言っても良いかもしれない。
ところで、ロングテイクで思い出されるのはテオ・アンゲロプロス監督である。どちらかというと彼はカメラをよく動かす技巧派タイプと言えるが、タル・ベーラはそれとは少し違う。余りカメラを移動させず端正な映像に独自の美学を追及する作家のように思う。同じロングテイクを信条とする作家でもタッチが異なる所が面白い。
尚、先日知ったのだがアンゲロプロスはくしくも今年1月に事故で他界したそうである。ちょうど20世紀三部作の最後の作品の撮影中だったらしい‥。改めて残念に思う。
そして、タル・ベーラも今作を最後の作品と公言している。まだ引退するほどの年齢ではないはずだと思う。今作で全てをやり切ったということなのだろうか。個人的にはもっと氏の作品を見てみたいのだが‥。
キネマ旬報の作品賞を取っていたので、DVDを借りました。
ネットでレビューを読んでいたのですが、この解説には、納得させられました。
なかなか分かりやすい解説ですね。
ニーチェの本は読んだことはないのですが。
言われてみると、様々な暗示には納得させられました。
とても良いレビューだったので、思わず感謝のコメントを書いちゃいました。
ありがとうございます。少しでもお役に立てれば幸いです。
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