「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME3」(2023米)
ジャンルSF・ジャンルアクション・ジャンルコメディ
(あらすじ) ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーは、現在はノーウェアで平穏な日々を送っていた。そこに完璧な生命体を生み出すマッドサイエンティスト、ハイ・エヴォリューショナリーが差し向けたアダム・ウォーロックの攻撃が始まる。彼はガーディアンズのメンバー、ロケットの命を狙っていた。
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(レビュー) マーベルヒーローの愚連隊ことガーディアンズ・オブ・ギャラクシーの活躍を描いたSF大作第3弾にして最終章。
今回はガーディアンズのメンバー、ロケットを中心としたストーリーになっている。彼の出自を巡る戦いが、お馴染みの面々の活躍を交えながら軽妙に描かれている。
ロケットは第1作から強烈な個性を発揮したキャラでファンの間でも人気が高く、それが今回フィーチャーされたというので注目度も高い。可愛らしい見た目とは裏腹に元賞金稼ぎの傭兵という顔を持ち、その過去は大変ミステリアスなものである。今回はそれを紐解くドラマになっている。
もちろんそのほかのガーディアンズのメンバーもそれぞれに見せ場が用意されている。
主人公ピーターとガモーラのその後を描くドラマ。ドラックスとマンティスの関係、ガモーラの義妹ネビュラ、ヨンドゥの矢を受け継いだクラグリンといったキャラたちのドラマが賑々しく展開されている。夫々に一応の決着がつけられているので、消化不良感もなくスッキリとした気持ちで観終えることが出来た。
ただ、流石に全てを網羅するとなると時間的に難しかったか、ややあっさりとした印象である。基本的には本作はロケットを主人公としたドラマであり、それ以外はサブ的な扱いになっている。
監督、脚本は本シリーズをここまで牽引してきたジェームズ・ガンが引き継いでいる。一時はSNS上での過去の発言が原因でプロジェクトから外されてしまったが、その後無事に現場に復帰し今回も陣頭指揮を執っている。持ち前のユーモアを発揮しながら、ある種浪花節的なアツいドラマを軽妙に展開させ、これまで通り期待を裏切らない出来になっている。
彼本来の作家性を考えると、前作の
「ザ・スーサイド・スクワッド ”極”悪党、集結」(2021米)の方が”らしい”という感じもするが、そこはそれ。今回は家族でも楽しめるディズニー作品ということなので、その辺は意識的に封印しているのだろう。このあたりのバランス感覚の上手さは見事である。どうしても第1作と比べると新鮮さという点では見劣りしてしまうが、今回も無難に仕上げていると思った。
尚、個人的に最も気に入ったのは、中盤のレトロフューチャーな造形を舞台にした戦闘シーンだった。実際にはかなりお金がかかっていると思うのだが、それを敢えてチープに仕立てた所が面白い。
「「僕の戦争」を探して」(2013スペイン)
ジャンル人間ドラマ・ジャンルコメディ
(あらすじ) 1966年、スペイン。ビートルズの歌詞を使って子供達に英語を教えるビートルズファンの英語教師アントニオは、憧れのジョン・レノンが映画の撮影に来ているということを知り、単身アルメリアを訪れる旅に出る。その道中、ある問題を抱えた若い女性ベレンと、家出をした少年ファンホをヒッチハイクで拾う。3人は一緒に旅をすることになるのだが…。
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(レビュー) ジョン・レノンに憧れる英語教師と訳ありな若者たちの交流を心温まるエピソードを交えて描いたヒューマンドラマ。
後で知ったのだが、本作は実在の教師をモデルにして作られた作品ということである。どこまで事実が入っているのか分からないが、最後のオチなどはよく出来ていると思った。
ちなみに、ジョン・レノンが撮影しに来ていたという話であるが、これは「ジョン・レノンの僕の戦争」(1967英)のことだそうである。
物語は型破りな教師アントニオとヘレンとファンホという問題児のロード・ムービーになっている。このアントニオがかなり妄信的なビートルズファンで、そこに観る側がどれだけフィットできるかが作品に対する入り込み方に大きく関わってくるような気がする。確かにビートルズは全世界に大旋風を巻き起こしたことは事実であるし、当時は彼のような熱狂的なファンがいても当然なのだが、教師としては少しキャラクターが子供じみているような気がしてしまった。
例えば、旅の途中で家出少年ファンホを拾うわけだが、曲がりなりにも教師である以上、少なくとも家族の連絡先くらい尋ねないとダメだろう。教師としてのキャラクターのリアリティに乏しく、最初は余り入り込めなかった。
ただ、そんな不信感も楽しい旅が続いていくと段々と消えていくようになる。ヘレンとファンホの道標を与える頼もしさを徐々に出してきて、最終的には面白く観ることが出来た。
また、ヘレンが抱える秘密、ファンホの孤独をユーモアと愛情を交えて描いている所に、人生賛歌的な趣も感じられ、最後はホロリとさせられてしまった。
中でも、ヘレンとファンホのラブシーンは印象的である。旅を終えた彼らが将来的に結ばれるかどうかは分からないが、少なくとも二人の明るい未来を暗示するかのような締めくくり方には、ある種の青春映画らしい”ひと夏の思い出”のようなノスタルジックな感動を覚えた。
本作はビートルズをモティーフとしていながら、彼らの曲が中々劇中にはかからないというのも面白い。終盤になって初めて「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」がかかるのみである。しかし、この溜めに溜めた演出も作品を上質なものとしている。
アントニオを演じるのはハビエル・カマラ。アルモドヴァルが監督した「トーク・トゥ・ハー」(2002スペイン)で気の弱い看護士役を演じていた頃とは、随分見た目が変わっていて驚いてしまった。観ている最中ずっと顔が少しジョン・レノンに似ているな、と思っていたのだが、ラストの”アレ”でクスリとしてしまった。
尚、映画の最後に、ジョン・レノンが来日してからビートルズのLPに歌詞がつくようになったというテロップが表示される。フランコ政権下だったスペインでは、ビートルズに限らずポップカルチャーは厳しく規制されていたという歴史があるので、さもありなん。
「逆転のトライアングル」(2022スウェーデン独仏英)
ジャンルコメディ・ジャンル社会派
(あらすじ) 人気モデルのヤヤは同じくモデルをしてる恋人カールと最近上手くいってなかった。ある日、彼らは豪華クルーズ船の旅に招待される。そこにはロシアの新興財閥や武器商人といった一癖も二癖もある大富豪が乗り合わせていて…。
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(レビュー) 曲者揃いのセレブが乗り合わせた豪華客船を舞台にしたブラック・コメディ。富める者と貧しき者の悲喜こもごも、人間の浅ましさ、エゴのぶつかり合いが、時に過激に、時にシニカルに表現された風刺性の高い作品である。
監督、脚本は
「フレンチアルプスで起きたこと」(2014スウェーデンデンマーク仏ノルウェー)、
「ザ・スクエア 思いやりの聖域」(2017スウェーデン独仏デンマーク)のリューベン・オストルンド。前2作同様、今回も毒を利かせた笑いを全編に散りばめながら2時間半という長尺を飽きなく見せた手腕は見事である。
最も強烈だったのは中盤の嵐に見舞われたキャプテンズ・ディナーのシーンだった。ここまでやるか!という感じでもはや呆気にとられるしかない。例えるなら「モンティ・パイソン人生狂騒曲」(1983英)のインテリジェンスとトロマ製作
「チキン・オブ・ザ・デッド/悪魔の毒々バリューセット」(2008米)の下品さを足して2で割ったような阿鼻叫喚の地獄絵図と言ったところか。オストルンド監督は必ず劇中にこうした強烈なシーンを1か所は入れるのだが、これまで以上に過激で露悪的で下品で凄まじかった。
但し、個人的にはここをピークに映画は盛り下がってしまったように思う。
映画は3部構成になっていて、第1部はヤヤとカールの痴話喧嘩を描くパート。第2部はクルーズ船内の悲喜こもごもを描いた群像劇。第3部はクルーズ船を脱出したヤヤ達が無人島を舞台にサバイブする話になっている。地位も名誉も無に帰した中で、それまでの優劣関係が文字通り”逆転”していく様を赤裸々に描いているが、前段のキャプテンズ・ディナーのシーンのインパクトの後ではどうしても弱く映ってしまう。
同様のシチュエーションで言えば
「マタンゴ」(1963日)や
「吸血鬼ゴケミドロ」(1968日)といった作品も連想される。多種多様な人物が極限状態で本性を曝け出すというのは、この手のサバイバル物の一つの醍醐味であるが、そこを超えるものがなかったというのが正直なところである。
ラストは観客の想像に委ねるような終わり方になっている。賛否あるかもしれないが、余韻を引くという意味では見事な締めくくり方だと思った。明確な答えを容易に出せない所に今作のメッセージの重みも実感される。
尚、ヤヤを演じたチャールビ・ディーンは腹部に事故による手術の痕が残っている。本作の水着姿でそれを確認することができるが、術後に細菌性敗血症にかかって昨年の8月に他界したということである。今後の活躍が期待される中での突然の訃報ということで誠に残念である。
「ファミリー☆ウォーズ」(2018日)
ジャンルコメディ・ジャンルアクション
(あらすじ) 福島家は亭主関白な父を中心に、祖父、母と4人の子供たちが仲睦まじく暮らしていた。ところが、祖父が認知症を発症したことから平和だった家庭は崩壊する。祖父がドライブ中に子供をひき殺して、一家はその死体を巡って奔走することになる。
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(レビュー) 平和な一家が崩壊していく様をオフビートな笑いとシュールで過激なバイオレンス描写で綴ったブラック・コメディ。
作為性丸出しな朝の食卓風景から、見事なまでのうさん臭さだが、本作は全編このテイストが貫かれた怪作である。
物語は福島家の祖父の認知症をきっかけに殺伐とした雰囲気に切り替わるが、どこかコメディ寄りに味付けされているのが特徴的だ。
個々のキャラクターの濃さも特筆すべきで、福島家の長男は無職のギャンブル狂、次男はオナニー狂、長女は売れないアイドルをやっていて、次女は引きこもりのメンヘラ女子といった具合で、一見すると仲睦まじく見える家族も実はそれぞれに問題を抱えたバラバラな家族だったということが分かってくる。
また、猟銃を持って突然挨拶に訪れる隣人や、祖父に引き殺された子供の親と思しきヤンキー夫婦、祖父の認知症を直すために母親が連れてきた霊媒師サークル等、一癖も二癖もある連中が、この物語をより一層カオスにしている。
監督、脚本、撮影、編集は
「スロータージャップ」(2017日)、
「ハングマンズ・ノット」(2017日)を自主制作で取り上げた新鋭・阪元裕吾。本作は彼にとっての初の商業映画である。
これまでの作品同様、非常にエネルギッシュでぶっ飛んだ作品である。商業路線になっても、過激で露悪的な倫理観無視の描写に陰りはない。
ただ、結論から言うと、個人的には前2作に比べると今一つ乗れなかった。
確かに面白い設定で、石井聰亙監督の
「逆噴射家族」(1984日)のような社会批判性も感じられる所に作家としての新たな試みを感じるのだが、いかんせん肝心のギャグが今一つツボに入りきらず全てが空回りしてしいるという感じがした。
また、阪元作品の見所の一つであるバイオレンス描写も、今回はクライマックスに集中した作りになっており、そこに至るまでが少し退屈してしまう。
ラストのどんでん返しは良いと思うし、オチも人を食っていて面白いと思うのだが、今回は見せ場が少ないような気がした。
あくまで個人的な感想だが、阪元監督はこうしたコテコテなコメディよりも、切れ切れでぶっ飛んだバイオレンスを前面に出して作った方が似合っているような気がする。
「ハングマンズ・ノット」(2017日)
ジャンルサスペンス・ジャンルコメディ・ジャンルアクション
(あらすじ) 暴虐の限りを尽くすヤンキー兄弟シノブとアキラは、傷害事件を起こして逮捕される。一方その頃、コミュ障の大学生柴田は、電車で見かけた女性に一目惚れをする。彼女の気持ちなどお構いなしにストーカー行為を増長させていく柴田だったが…。
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(レビュー) 暴力に取りつかれた若者たちの暴走をエネルギッシュな映像と独特のユーモアで活写したバイオレンス映画。
映画のオープニングシーンから驚かされるが、ここからも分かる通り本作は暴力=見世物という思想に徹した作品になっている。画面上で繰り広げられる凄惨な光景の数々は観客の感情を逆なですること必至だが、どこかで”怖いもの見たさ”のような関心が掻き立てられてしまうのも事実である。正にエクスプロイテーション・ムービーを地で行くような作品と言えよう。
監督、脚本は
「スロータージャップ」(2017日)の阪元裕吾。
前作同様、今回も過激な描写とブラックな笑いが横溢する怪作となっている。公開された時期はほとんど同じであるが、演出は暴走一辺倒だった「スロータージャップ」に比べて幾分工夫の跡が見られる。
例えば、日常の中に不意に訪れる暴力の衝撃性はこの監督の一つの持ち味だと思うが、本作では柴田が警察官の拳銃を奪って撃ち殺すシーンにそれが見て取れる。敢えて淡々と、ある意味では軽薄ささえ感じられるこのシーンには奇妙なリアリズムを覚えた。
あるいは、シノブとアキラ達、ヤンキー集団が道端で拉致した少女を監禁レイプするシーンは1シーン1カットで生々しく切り取られており、やはり日常に隣接する暴力の怖さをドライに切り取っている。
逆に、暴力を敢えて見せない省略演出も中々スマートで、例えば柴田にストーキングされる女性の殺害シーンは見事にカットされている。柴田のサイコパス感をより強調するのであればここをダイレクトに見せるという方法もあったと思うが、敢えてそれを見せずに物語を流麗に進めた演出は技アリと言いたくなる。
物語は非常にシンプルである。シノブとアキラの極悪コンビとサイコパス柴田の狂気の日常を交互に見せつつ、クライマックスで彼らの数奇な邂逅を描く…というものだ。物語が意外な方向にスケールアップされていき、ややリアリティを失ってしまうのは残念であるが、そこはそれ。きっと阪元監督の中でも、全て承知の上なのだろう。ゲーム感覚でカジュアルに犯罪を繰り返していく彼らの暴走には、見世物に徹した阪元監督の有り余る熱量みたいなものが感じられた。
また、今作には東日本大震災のボランティアや選挙活動を茶化すようなシーンが出てくる。この辺りには社会の偽善に対する監督なりの痛烈な批評が伺え、中々骨太な一面も見せている。