「リコリス・ピザ」(2021米)
ジャンルロマンス・ジャンルコメディ
(あらすじ) 1973年、子役として活躍していた高校生のゲイリーは、ある日カメラアシスタントをしている年上の女性アラナと出会い一目惚れする。ゲイリーの強引さに閉口しながらも、次第に距離を縮めていくアラナ。そんな中、彼女はゲイリーの共演者の方に心が傾ていくようになる。
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(レビュー) 何とも微笑ましい青春ロマンス作品である。いわゆるボーイ・ミーツ・ガール物だが、それを1970年代の音楽とサブカルを織り交ぜながら描いたところに本作の妙味を感じる。ノスタルジックな風情を噛み締めながら、思春期だった頃の自分を重ねながら楽しく観ることが出来た。
1970年代のアメリカといえば、ベトナム戦争やニクソン・ショックで政治的には混迷の時代を迎えていた頃である。しかし、市井の人々の暮らしに目を向ければ現代に通じるポップカルチャーの基礎が創り上げられていった時代で、本作に登場するウォーターベッドやピンボールマシンなどは正にその象徴だろう。そんなポップでライトなテイストが本作全体のトーンにも通底されている。
監督、脚本、共同撮影を務めたポール・トーマス・アンダーソンも、ここ最近続いていたヘビーな作風を封印し、今回は初期時代を彷彿とさせるようなポップ志向に回帰している。昨今の円熟味を考えると、少し拍子抜けな感じもするが、ただデビュー時から天才と評されてきた彼の演出力はやはり堅牢で一つ一つのシーンに見応えを感じた。
例えば、長い会話劇を1カットの移動カメラで紡いだ冒頭のシーンからして唸らされる。あるいは、ガス欠になった大型トラックをバックで運転するシーンのスリリングさも臨場感が感じられ手に汗握った。その直後、まるでガキのように振る舞うゲイリーと、それを遠目に見るアラナの徒労と虚無の表情のギャップも忘れがたい。二人の決別を劇的に表していると思った。
物語もゲイリーとアラナのつかず離れずの微妙な距離感を、周囲の人間との関係を織り交ぜながら手堅く描いていると思った。
ただ、ウィリアム・ホールデンと思しきショーン・ペン演じるハリウッド俳優や、ブラッドリー・クーパー演じるバーブラ・ストライサンドの恋人など、イケイケで強烈な個性を放つサブキャラが少々クド過ぎて、正直自分はそこに余り乗れなかった。もう少し薄味で描いてくれたら、面白く受け入れられたかもしれない。
ラストの締めくくり方は◎。予定調和な感じもしたが、青春ロマンスの王道を行くような結末で個人的には大変気持ちよく映画を観終わることが出来た。
主演二人の演技も良かったと思う。ゲイリーを演じたクーパー・ホフマンはアンダーソン作品の常連だった故フィリップ・シーモア・ホフマンの息子ということである。父親譲りの冴えないキャラを上手く演じていたように思う。ジャック・ブラックから少しアクを抜いた好青年といった印象である。
アラナを演じたのは3人姉妹のバンドHAIMのアラナ・ハイム。絶世の美女というわけではないが、大変個性的な顔立ちをしており、画面上での存在感は抜群である。アンダーソン監督はHAIMのミュージックビデオを数本撮っているので、その流れから今回の抜擢となったのだろう。
二人とも映画初出演ということだが、演技云々以前にビジュアルがユニークなので個性派俳優として素養は十分に持っていると思った。
「ストックホルム・ケース」(2018カナダスウェーデン)
ジャンルサスペンス・ジャンルコメディ
(あらすじ) 1973年、スウェーデンの首都ストックホルム。何をやっても上手くいかないラースは銀行強盗を決行する。幼い娘を持つ行員のビアンカら3人を人質に取って立てこもり、警察との交渉で旧知の仲間であるグンナーを刑務所から釈放させることに成功するが…。
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(レビュー) 実際に起こった銀行襲撃事件をユーモアを交えて描いた実録クライムサスペンス。
人質がいつしか犯罪者にシンパシーを覚えていくようになる”ストックホルム症候群”は、今回の事件から来ているということである。
実際はどうだったのか分からないが、かなりユーモア色が強い作品である。この手の作品と言えば真っ先にシドニー・ルメット監督、アル・パチーノ主演の「狼たちの午後」(1975米)が思い出されるが、それと比べてみると随分と安穏とした雰囲気で、銀行強盗の緊迫感は薄みである。それはひとえに主人公ラースのキャラクターからくる”緩さ”であろう。事実はどうだったのか?そこが少し気になってしまった。
もっともエンタテインメントとして割り切って観れば中々楽しめる作品である。ワンシチュエーションで展開されるドラマ、上映時間約90分というコンパクトさは大変観やすい。この手の事件に付き物の警察権力やマスコミに対する皮肉も適度に盛り込まれていて風刺性も感じられた。
そして、本作最大の見所となるのが強盗犯のラースと銀行員ビアンカの交流である。粋がって銀行に押し入ったものの、相棒のグンナーがいなければ何もできない半人前なラース。平凡で退屈な夫にどこか満たされないでいるビアンカ。二人は今回の立てこもり事件をきっかけに次第に惹かれあっていく。その過程が殺伐としたシチュエーションにほのぼのとした味わいをもたらしている。
ただ、ラースの少しドジで情けないキャラにビアンカが自然と心を許してしまうのは分かるのだが、果たしてそれが恋愛感情までに発展するのは流石にどうだろうか?映画を観る限り、説得力という点で今一つ弱い気がする。夫々のバックストーリーに深く踏み込めていないせいで安易に思えてしまった。
キャストでは、ビアンカを演じたノオミ・ラパスの地味な出で立ちが新鮮だった。漫画みたいな大きな丸メガネは時代性を考えるとアリだろう。役柄という点でも、この造形は説得力を与えていると思った。
また、グンナー役を演じたマーク・ストロングは珍しく長髪姿を披露している。
「キングスマン」(2014米)等のイメージが強すぎてどうしてもスキンヘッドのイメージが強いのだが、今回の意外な風貌は新鮮であった。
「ザ・スイッチ」(2020米)
ジャンルホラー・ジャンルコメディ
(あらすじ) 地味で冴えない女子高生ミリーは、凶悪な殺人鬼“ブッチャー”に襲われる。一命をとりとめるも、翌朝目が覚めると心が入れ替わっていた。ブッチャーの体になった自分を見て驚くミリー。一方でミリーの体に入ったブッチャーは、学園に侵入して次なる獲物を狙う。
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(レビュー) 殺人鬼と心が入れ替わってしまった女子高生の奔走をスピーディーな展開で描いたコメディ・ホラー。
「君の名は。」(2016日)や「転校生」(1982日)等、これまでも心と肉体が入れ替わる男女逆転の映画は色々とあったが、本作もそれらと同じ系譜に入る作品である。
そもそもこの手の入れ替わりコメディは古くからあるプロットで、それこそシェイクスピアの時代から存在する。SFやファンタジーの要素を用いることで、昨今このひな形は更に華やかさを増してきているが、基本的にこの手のプロットは今でも全然通用する魅力的なものである。
本作では、曰く付きの呪われし短剣によってミリーとブッチャーの心が入れ替わってしまう。入れ替わる当事者のギャップが大きければ大きいほどこの手のストーリーは面白くなるのだが、そこを今回は地味で平凡な女子高生と凶悪な連続殺人鬼にすることで面白く見せている。
監督、脚本を務めたクリストファー・ランドンの演出も冴えわたっている。一部ゴア表現もあるので観る人を選ぶが、基本的には軽妙な作りに徹しており終始楽しく観ることができた。やっていることは
「ハッピー・デス・デイ」(2017米)と
「ハッピー・デス・デイ2U」(2019米)と同じ殺人鬼との鬼ごっこで余り変わり映えはしないのだが、安定した面白さを堪能できる。
そんな中、ミリーの心を持ったブッチャーと彼女の母親が試着室で語らうシーンは印象に残った。試着室なので当然お互いの姿は見えない。声だけで会話をするのだが、母親は相手がミリーとは知らず、一方のミリーは相手が母親だと知っている。ここでミリーふんするブッチャーとミリーの母親がイイ感じになって笑ってしまうのだが、一方で亡き夫との思い出、ミリーに対する愛などが語られ幾ばくかセンチメンタルに演出されている。シチュエーションの巧みさも相まって中々の名シーンになっているのではないだろうか。
また、昨今何かと話題のジェンダー問題をさりげない形で忍ばせているのも中々周到である。男女の性差、体力差という如何ともしがたい現実がミリーとブッチャーの戦いの中で表現されている。
もう一つ、本作の貢献者として挙げたいのが、ブッチャーを演じたヴィンス・ヴォーンである。彼の好演なくして本作は成り立たなかっただろう。見た目は凶悪な殺人鬼の大男、中身は女子高生。この複雑なキャラクターを実に楽しそうに演じている。乙女走りがツボにはまって何度も笑ってしまった。
本作で惜しいと思ったのは二点ある。
一点目はミリーの姉の扱いである。内気で落ちこぼれなミリーと違って彼女は優秀でクールな警官である。その対比自体は良いのだが、これが物語の中で上手く活かされておらず勿体なく感じた。警官という設定も今一つ機能していない。
もう一つは、そもそも事の発端となった”曰く付きの短剣”の扱いである。劇中ではそれらしく説明されていたが、なんだかアッサリと片付けられてしまった印象である。この辺りをサスペンスフルに物語に絡められたら、本作は更に面白くなったように思う。
「ゴーストバスターズ/アフターライフ」(2020米)
ジャンルホラー・ジャンルコメディ・ジャンルアクション
(あらすじ) 亡き祖父が遺した古びた屋敷に引っ越してきた少女フィービー。地下室に謎の研究室を発見した彼女はそこで祖父の知られざる過去に触れる。実は祖父は今から40年前に活躍した”ゴーストバスターズ”の一員だった。フィービーは祖父の死と町で頻発する地震の原因に関係があることを知り、人類存亡の危機に立ち向かっていく。
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(レビュー) 1980年代に大旋風を巻き起こしたホラーコメディ「ゴーストバスターズ」(1984米)の続編。シリーズ通算では第4作目となる。
第1作から実に約40年ぶりとなる本作は、オリジナル版にオマージュを捧げつつ、かつてのメンバーの孫を中心とした”新生ゴーストバスターズ”の活躍を描いている。
本作単体でも楽しめるが、あらかじめ第1作を観てから鑑賞すると色々な発見があってより楽しめると思う。往年のファンには感涙必至な場面も用意されている。
尚、2016年にシリーズのリブート化を目して製作された第3作(未見)はメインキャストを全て女性に一新した意欲作だったが、公開されるや賛否両論を巻き起こし、その1作だけで終了してしまった。本作は第3作とはまったく無関係の話となっている。
監督、脚本は
「JUNO/ジュノ」(2007米)、
「マイレージ、マイライフ」(2009米)、
「ヤング≒アダルト」(2011米)のジェイソン・ライトマン。第1作を監督したのは父親であるアイヴァン・ライトマンということで、奇しくもシリーズのバトンを父から渡された格好となった。
これまではヒューマン系の作品を多く撮ってきたジェイソンなので、こうしたエンタテインメントに振りきった企画はどうだろう?と心配したのだが、そんな心配は無用だった。かなり奮闘している。
家族ドラマ風な前半はやや退屈するものの、ゴースト退治に奔走する後半から画面は一気に派手になり面白さも加速していく。各所に忍ばされた第1作に対するオマージュも絶妙な塩梅で配されており、新しくシリーズに入ったファンにも、かつてのファンにも楽しく観れる娯楽作品に仕上がっている。
例えば、「ゴーストバスターズ」と言えば巨大なマシュマロのお化け”マシュマロマン”が有名である。その愛らしいルックスからシリーズのアイコンと化していったが、そのマシュマロマンが本作にも登場してくる。しかも、今度はミニサイズになって大暴れする。
もちろん、あの有名なテーマソングや、あの秘密兵器も当然登場してくる。
こう書くとまるで本作はオリジナル版におんぶに抱っこの作品のように聞こえるかもしれないが、少年少女たちで編成された新生ゴーストバスターズのメンバーも中々に魅力的だった。
フィービーは祖父の血を受け継ぐ物理学オタクな少女。彼女のクラスメイトのポッドキャストはオカルトマニアのお調子者。兄のトレヴァーは背伸びしたい年頃の純情少年。そのガールフレンド、ラッキーはサバサバした性格な今時の少女。明確に個性化された若者たちが集う。
脚本に関しては所々の粗さが惜しまれた。例えば、あるドラマが起きている時に別の場所で起こっているはずのドラマが放置されがちである。これは編集の問題でもあるのだが、こうなってしまうと映画は散漫な印象になってしまう。
面白そうな設定が用意されている割に上手く活かされていない個所もあった。例えば、ラッキーの父親が警官という設定は、後に何かの伏線になっているのかと思いきや、そういうわけでもない。オスカー俳優J・K・シモンズも一体何のために出てきたのかよく分からず困惑してしまった。
活気にあふれた後半の映像やオリジナル版に対するオマージュ等、見所の尽きない作品であることは間違いないが、脚本の練り込みを含め、もう少し良くなる余地があったのではないかと思う。
とはいえ、かつての作品を観てきた者からすると、クライマックスの展開には自然と涙腺が緩んでしまうし、何より40年という時を経てこうして新作が作られたことは率直に喜びたい。
ホラー映画のマスターピース「ハロウィン」(1978米)も約40年ぶりに続編が製作されたばかりである。しかもオリジナルキャストを擁しての続編ということで、昨今こうした原点回帰の波がハリウッドに来ているのかもしれない。
「フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊」(2021米)
ジャンルコメディ・ジャンルサスペンス・ジャンルロマンス
(あらすじ) アメリカの新聞社のフランス支社が発行する雑誌「フレンチ・ディスパッチ」は、名物編集長アーサーが率いる一癖も二癖もある記者たちが書くバラエティに富んだ記事で世界中に愛されていた。ところが、アーサーが急死してしまう。彼の遺言によって雑誌は廃刊となり、アーサーの追悼号にして最終号が発行されることになる。
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(レビュー) 人気雑誌の編集者たちの日常と、彼らが執筆した原稿を劇中劇という形で再現したオムニバス形式のコメディムービー。
監督、脚本は独特の映像世界でファンを魅了するW・アンダーソン。
整然と構成された構図と幾何学的なカメラワーク、ポップでパステル調な色彩設計、飄々とした表情の人物たち、シュールでシニカルな事象。正にW・アンダーソンにしか作りだせない世界観が構築されている。
物語は「フレンチ・ディスパッチ」の編集部に集う人々の日常を起点に、彼らが書く原稿を再現した劇中劇で構成されている。編集部のシーンは軽めの描写に終始し、本作のメインとなるのは再現ドラマの方である。
序盤に紹介される自転車のレポートをプロローグとして、全部で3つのエピソードが登場してくる。
1話目は、殺人罪で収監された画家と美術商、絵のモデルとなった女性看守の物語である。いわゆる現代アートとは何ぞや?という皮肉が込められているような物語で、そこをW・アンダーソンが持ち前のアーティスティックな感性で描いている所が面白い。モノクロとカラーを使い分けた映像も刺激的である。
2話目は、学生運動のリーダーと彼に恋する女性活動家、それを取材する記者の愛憎渦巻く関係を描いたロマンス劇である。記者の実体験という形で書かれる逸話だが、明らかに”五月革命”を想起させるあたりが興味深い。W・アンダーソンは当時の闘争を茶化すかのように軽妙に描きながら、革命は所詮「夢」に過ぎなかったということをメルヘンチックに描いている。
また、当時のフランス映画界と言えばヌーベルヴァーグである。これまでW・アンダーソン作品でそれを意識したことはなかったが、今回のこのエピソードにはそれが強く感じられた。例えば、バスタブに入って煙草を咥えながらメモを書く活動家リーダーは、ジャン=リュック・ゴダールの「気狂いピエロ」(1965仏)のジャン=ポール・ベルモンドを連想させた。あるいは、彼に恋する女性活動家のコケティッシュな造形などはゴダールのミューズ、アンナ・カリーナにどことなく雰囲気が似ている。
3話目は、美食家の警察署長とお抱えシェフが誘拐騒動に巻き込まれるアクション・コメディとなっている。本来であれば凄惨になってもおかしくない話だが、ユーモラスなアニメーションを交えながら屈託なく描いており、これまた唯一無二な快作となっている。
特に、クライマックスとなるカーチェイス・シーンは、過去にも
「グランド・ブタペスト・ホテル」(2013英独)で似たようなことをやっており、氏のサイレント映画に対する敬愛が感じられた。
それぞれの話には関連性がなく完全に独立しているため、映画全体を通してのテーマやメッセージと言ったものは感じられない。そのため確かに物足りなさも残るが、軽い気持ちで観る分には十分に楽しめるエンタテインメントに仕上がっている。ヒューマン、ロマンス、コメディ、サスペンス、アクション。様々な要素をまんべんなく盛り込んでいるので、上映時間約100分という短さながら意外に濃密な映画体験をすることが出来た。画面の情報量の多さも特筆すべきで、2度、3度観て楽しめる映画ではないだろうか。
キャスト陣も豪華で見応えがあった。ベニチオ・デル・トロ、レア・セデゥ、F・マクドーマンド、T・スウィントン、エイドリアン・ブロディ、T・シャラメ、ジェフリー・ライト、B・マーレイ、O・ウィルソン、クリストフ・ヴァルツ、M・アマルリック、W・デフォー、シアーシャ・ローナン、E・ノートン等々。主演級の俳優がこぞって参加している。中にはほとんど端役という扱いで実に勿体ない人もいるが、意外な所で登場してくるのでそれを見つけるのも楽しかろう。