「ラビッド・ドッグズ」(1974伊)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) ”博士”をリーダーとした強盗一味は現金輸送車を襲撃するが、警察に追われ逃走する羽目になってしまう。道すがら女性を人質に取り、病気の子供を抱えた父親が運転する車に乗り込んで、どうにか警察の追撃をかわすのだが…。
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(レビュー) 強盗一味の逃走劇を息詰まるタッチで描いたクライム・サスペンス作品。
ほとんど車内だけで展開されるミニマルな作品でありながら、限定されたシチュエーションを巧みに利用したスリリングな作品になっている。次第に内部対立を起こし始める強盗一味。人質の女性。運転手の中年男。病気の子供。警察に追われながら、彼らの逃避行は続く。緊張感みなぎる演出で最後まで飽きなく観れた。
監督、撮影はイタリアン・ホラーの父マリオ・パーヴァ。ホラー作家というイメージだが、こうしたサスペンスも撮っていたとは知らなかった。
車中という設定上、顔のクローズアップが多いため、画面から伝わってくる息苦しさ、追い詰められる切迫感は中々のもので、この辺りの演出力はさすがはマリオ・パーヴァと唸らされる。
また、逃走中に起こるアクシデントも物語をスリリングに見せていて、最後まで目が離せなかった。
病気の少年はかなりの重病らしく危険な状態である。早く病院へ連れて行きたい父親は強盗犯に抵抗するが、その駆け引き、心理戦に見応えを感じた。
また、バーヴァと言えば露悪的な見世物演出が一つの特徴であるが、本作にもそうした作家性はよく表れている。例えば、逃走を試みた女性に対する強盗犯たちのセクハラは大変えげつなく、その陰険なやり方も含め、実に生々しい描写が徹底されている。
ユーモアを凝らした演出も見られる。自家用車が故障したと言って乗り込んでくるおしゃべりな女性が後半から登場してくるのだが、車中の微妙な空気にブラックな笑いが感じられた。
一方、”博士”をはじめとした強盗一味は一癖も二癖もある連中が揃っていて、特に”32”と呼ばれる男は、女を見ると我を忘れてしまうトラブルメーカーで存在感が抜群だった。
ラストも意外なオチで面白かった。そうくるかと1本とられた次第である。
本作で1点だけに気になったのは、多くの一般人に目撃されているにも関わらず、誰からも通報されなかったことである。プロット的には当然あって然るべき展開だと思うが、そこが完全にスルーされてしまったのが残念である。
「血みどろの入江」(1971伊)
ジャンルホラー・ジャンルサスペンス
(あらすじ) 海辺の屋敷に住む老婦人が何者かに殺される。その直後、彼も何者かに殺された。近くには昆虫研究家と女占い師の夫婦、タコ釣りの男が住んでいた。そして、そんな彼らを監視する男女がいた。数日後、殺害現場の屋敷を空き家だと思って若者たちがやって来る。バカンスを楽しむ彼らだったが、次々と何者かによって惨殺され…。
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(レビュー) 海辺の屋敷を舞台にしたスラッシャー映画。
登場人物が次々と殺されていく後半の展開は中々魅せるが、いかんせん物語は散漫である。屋敷に入り込む若者たちや怪しい昆虫研究家と女占い師といったキャラを物語の中で有効的に使い切れておらず、シナリオは残念ながら上手く出来ているとは言い難い。
また、犯人探しのミステリとして見た場合も、肝心の謎解きの過程が安易に処理されてしまっており余り面白みが感じられなかった。
ただ、映画の結末は意外なもので、これには度肝を抜かされた。果たしてどこまで計算したことなのか。余りにも能天気な終わり方に良くも悪くも苦笑してしまうしかなかった。
しかも本作は劇伴の使い方が非常に面白く、このラストにかかる陽気な曲調や、殺害シーンにかかるメロウな旋律などがシーンをより印象深いものとしている。音楽は甘美なメロディを得意とするステルヴィオ・チプリアーニが務めている。
また、この手の作品の見所である殺害シーンもかなり奮闘していて、質量ともに十分に満腹感が味わえた。
若者たちがベッドでいちゃついている所を串刺しにするシーンは、後の「13日の金曜日」(1980米)のケヴィン・ベーコン演じる青年の殺害シーンに影響を与えているのではないだろうか。他にも、斧で顔を割られたり、死体の顔にタコが張り付いたり等、ビジュアル的なショック度、気色悪さはかなりのものである。
監督、共同脚本、撮影はマリオ・パーヴァ。この辺りの露悪的な残酷描写は流石としか言いようがない。
ただ、今回は自ら撮影監督を務めているものの、独特な映像美は控えめである。他の作品に比べると映像演出は今一つ精彩に欠く内容である。
「ブラックサバス /恐怖!3つの顔」(1963伊)
ジャンルホラー・ジャンルサスペンス
(あらすじ) 3本のオムニバス・ホラー作品。
脅迫電話に悩まされる女性を描いた第1話「電話」。吸血鬼の恐怖を描いた第2話「ウルダラク」。悪霊が宿った指輪の恐怖を描いた第3話「一滴の水」。
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(レビュー) イタリアン・ホラーの父マリオ・パーヴァ監督によるオムニバス作品。
第1話はジャッロ風、第2話はゴシック・ホラー、第3話はオカルト物といった具合に、夫々に違った楽しみ方ができるバラエティに富んだ内容である。
オムニバスなので、全体的にはあっさりとした味付けになっているが、要所にパーヴァらしい作家性が散見でき、彼のファンであれば十分に楽しめる作品ではないかと思う。それにしても、これだけ多彩なテイストを一本の作品にまとめ上げてしまうパーヴァの器用さには恐れ入る。
夫々に好みはあろうが、個人的には第3話に最も見応えを感じた。緑色の照明を大胆に使用した映像に超然とした不気味さが感じられる。パーヴァらしい独特のセンスが炸裂した好編と言って良いだろう。
また、悪霊に取りつかれた老婆の造形の不気味さもインパクト大で、一度観たら悪夢に出てきそうなほどの怖さであった。
第1話は1シチュエーションで展開される短編的な作品で、ラストにアッと驚く展開が用意されている。軽いジャブから入ったという感じで、映画の導入としてはまずまずの出来栄えである。
第2話は、今作でもっと長い作品で、恐ろしいだけではなく、吸血鬼を巡る一家の悲哀に焦点を当てた結末に味わいが感じられた。
キャストでは、映画の冒頭とエンディングで、フランケンシュタインの怪物役などで有名な名優ボリス・カーロフがホスト役として登場してくる。彼は第2話にも主演している。
尚、ロックバンドの”ブラックサバス”は本作から名前を取ったということである。
「知りすぎた少女」(1963伊)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) ノーラは病床に伏す叔母に会うためローマにやって来た。ところが、叔母はその晩、急死してしまう。その後、彼女は街中で女性が刺殺されるのを目撃した。しかし、彼女以外に目撃者がおらず、証拠も残っていないため、警察からは幻覚として真面目に受けとってもらえず…。
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(レビュー) 連続殺人事件を目撃してしまった少女の恐怖を幻惑的なシーンを交えながら描いたサスペンス作品。
冒頭、ノーラが飛行機で相席になった男から煙草を貰うのだが、ここが本作の一つのポイントだろう。その煙草はマリファナ入りで、彼女は劇中で頻繁にタバコを吸う。ということは、彼女が連続殺人事件に巻き込まれたというのも、実は彼女の幻覚なのではないか?という疑惑が当然起こってくるのだ。
実際、後半の浜辺のラブシーンなどは明らかに不条理的で、ここは彼女の妄想で間違いないと思うが、もしかしたらそこ以外にも彼女の幻覚シーンはあったのかもしれない。
監督、脚本、撮影は
「血塗られた墓標」(1960)のマリオ・パーヴァ。
いわゆるジャッロ映画の始まりは本作と言われている。後にダリオ・アルジェントやルシオ・フルチなどイタリアの映画作家が、この系譜を進化させていくのだが、その原点がここにある。
プロット自体はジャッロのお手本のようなところがあり、今観てしまうとそれほど新鮮という感じはしない。ただ、虚実を混濁させるような幻惑トーンによって、最後まで面白く観れる作品になっている辺りは、他の追随を許さない特性が感じられる。
そして、マリオ・パーヴァと言えば、映像に対するこだわりである。現実とも妄想ともつかない独特の緊張感を漂わせた作りに氏のセンスが感じられる。
強烈な照明効果でシャープな陰影を創り出し、奥行きを意識した大胆な構図を取り入れ、回想シーンでは不穏な画面処理を施し、ノーラにとっての悪夢を再現して見せている。
また、風の音や録音機から出る音など、音響面の演出も今作は非常に際立っていた。
尚、ラストは少しユーモラスな終わり方になっていて、作品の印象を程よくマイルドな味わいにしている。
キャストでは、ノーラを助ける医師役でジョン・サクソンが登場してくる。善人から悪人まで多彩にこなす器用な二枚目俳優であるが、ここでは完全に前者の役柄で中々ハマっていた。
「トリとロキタ」(2022ベルギー仏)
ジャンルサスペンス・ジャンル社会派
(あらすじ) アフリカ系移民の少女ロキタは、ビザを貰うために審査を繰り返いしていた。その間に故郷に仕送りをしなければならず、彼女は仕方なく危険なドラッグの運び屋をしていた。そんな彼女を手助けしてくれるのが同じ養護施設で暮らす黒人少年トリである。二人は本当の姉弟のように仲が良かったが、あることをきっかけにその関係は引き裂かれてしまう。
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(レビュー) 共にアフリカから移民してきたトリとロキタは同じ養護施設で暮らしながら本当の姉弟のような深い絆で繋がっている。そんな彼女らの”子供らしい”やり取りを見ていると自然と心和むのだが、同時に裏ではドラッグの運び屋をやっており、その事実を知ると何ともやりきれない思いにさせられる。
彼らは親元から離れて、あるいは引き離されて異国の地へ渡ってきたいわゆる社会的孤児である。移民が抱える問題はどこの国でも見られるものだが、様々な制約の中で彼らは理不尽な暮らしを強いられている。いくら真面目に働こうとしてもそれを許さない社会的事情。そのあたりのことが本作のロキタの置かれている状況から伺える。
トリはロキタとはまた違った出自を持っているため、ロキタほどの悲惨さはないものの、今のような暮らしをしていればいずれは裏社会にその身を落としてしまうことになるだろう。
映画を観ながら、彼女たちに誰か救いの手を伸ばせないものか…と思ってしまった。
監督、脚本はベルギーの巨匠ダルデンヌ兄弟。
彼らはよく子供を主人公にした作品を作っている。例えば、「ロゼッタ」(1999ベルギー仏)や
「少年と自転車」(2011ベルギー仏伊)は、いずれも主人公の少年少女が人生の泥沼に陥っていくドラマだった。本作のロキタとトリも然り。周囲の大人たちに、ある種食い物にされながら絶望的な末路を辿っていく。
また、移民問題もダルデンヌ兄弟の過去作には多く登場するテーマである。「イゴールの約束」(1996ベルギー仏ルクセンブルグ)、
「ロルナの祈り」(2008ベルギー仏伊)、
「午後8時の訪問者」(2016ベルギー仏)は、いずれもそのあたりに焦点を当てた作品である。
今回はこうした彼らの作家性がよく表れており、ある意味で集大成的な作品になっているような気がする。
演出は手持ちカメラ主体のドキュメンタリータッチが徹底されており、BGMも一切なし。極限まで削ぎ落された簡潔な語り口が緊張感を上手く醸造している。相変わらず見事な手腕で、デビュー時から一貫したジャーナリスティックな視点も健在で揺らぎがない。
ただ、今回は存外ストレートな作劇になっており、やや物足りないという感想も持った。養護施設を含めた周囲の大人たちとの関わり合いをもっと見てみたかったし、ロキタはともかくトリのバックボーンが薄みでキャラクターとしての魅力が今一つ伝わってこなかったのも残念である。今回はどちらかと言うと犯罪絡みに主点を置いた作りになっており、サスペンスとして観れば確かに面白く観れるのだが、従来のダルデンヌ作品のような深みは余り感じられなかった。
尚、ラストのオチに関しては賛否あるかもしれない。確かにダルデンヌ作品は容易にハッピーエンドを迎えない傾向にあるが、今回はこれまで以上にシビアな結末となっている。それだけダルデンヌ兄弟の社会に対する憤りが強かったということなのかもしれない。