「ケイコ 目を澄ませて」(2022日)
ジャンル人間ドラマ・ジャンルスポーツ
(あらすじ) 下町の小さなボクシングジムで黙々とトレーニングに打ち込むケイコは生まれつき両耳が聞こえないというハンデを持ちながら、地道な努力の末にプロボクサーになった。初戦に勝利しプロとしての第一歩を踏み出すケイコだったが…。
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(レビュー) 実在の聴覚障害の女子プロボクサー小笠原恵子の自伝を元にしているということだが、エンドクレジットで本作はフィクションである旨が記される。原作は未読なので分からないが、調べてみると時代背景を含め色々と脚色されているそうである。ただ、そうした映画独自の改変はあれど、ケイコ自身の生き様や彼女が置かれている状況には色々と考えさせられるものがあるし、何よりハンデを負ったままリングに立つ彼女のひたむきな姿には素直に感動を覚えた。
本作は二つの観点から感想を述べてみたい。一つ目はボクシング映画としての観点、二つ目は聴覚障害者を描いた映画としての観点である。
まず、ボクシング映画として見た場合、「ロッキー」シリーズのようなファイトシーンは余りなく、どちらかと言うとケイコの内面に重きを置いたヒューマンドラマ的な作りになっている。ケイコはデビュー戦で初勝利をあげるが、自信を得るどころか逆に不安を感じてしまう。このまま本当にプロとしてやっていけるだろうか?経営が厳しいジムの重荷になっていないか?家族に心配をかけてないか?そうした葛藤がじっくりと描かれている。
考えてみれば、耳が聞こえないということはセコンドのアドバイスやレフェリーの言葉、ゴングの音すら認識でないわけで、そんな状況の中で戦うということは想像を絶するほどの孤独であろう。その苦悩は観ているこちらにも十分に伝わってきた。
また、ケイコの面倒を親身になって見る会長の存在も良かった。言葉を喋らず黙々と練習に励むケイコとは、あまりコミュニケーションを取らないが、一緒にトレーニングをする姿からは確かな絆が感じられた。まるで娘を見守る父親のような優しい眼差しが、会長の人となりをよく表している。個人的には「ミリオンダラー・ベイビー」(2004米)におけるクリント・イーストウッドとヒラリー・スワンクの関係を連想した。
第二の観点は、ケイコの聴覚障害という設定から見る本作の社会派的な意義である。
ケイコの戦いはリング上だけではない。日常の至る場面で彼女は自身のハンデを思い知らされる。例えば、アルバイト先の同僚や同居している弟の恋人は手話ができない。そのため彼等とはほとんどコミュニケーションを取らない。コンビニのレジの店員の言葉も聞こえないので、会計の時には気まずい空気になってしまう。すぐ近くにいるのに意思疎通が取れないということは、普通に考えてかなりのストレスだろう。この映画はそんな聴覚障害者の苦労を、日常の一コマの中に上手く落とし込んでいると思った。
偶然かもしれないが、最近は手話をフォーチャーした映画が多くなってきたような気がする。昨年観た
「ドライブ・マイ・カー」(2021日)、今年のアカデミー賞で作品賞を受賞した
「コーダ あいのうた」(2021米カナダ仏)、先頃観た
「LOVE LIFE」(2022日)等。立て続けに手話が出てくる映画を観たので、余計にそう思うのかもしれない。最近のLGBTQや多様性にも言えることだが、こうした流れは昨今の潮流なのかもしれない。
監督、脚本は三宅唱。自分は初期作「PlayBack」(2012日)しか観たことがないのだが、その時には少しシュールで独特な演出をする監督だなという印象だった。しかし、今作では現実感を重視した演出が貫かれており、その時の印象とは全く異なり驚かされた。映像もザラついた16ミリ特有の質感で、シーンに生々しい臨場感を生んでいる。デジタルビデオ全盛の現在では余り味わえない映画体験が逆に新鮮だった。
また、縄跳びの音やサンドバッグを叩く音、電車や工事の音といったサウンド面の演出にも監督のこだわりが感じられた。
キャストでは、何と言ってもケイコを演じた岸井ゆきのに尽きると思う。セリフがない難役を眼差しのみで表現しきった所が見事だった。また、冒頭のロッカールームのシーンを見れば分かるが、肉体改造も抜かりはなく、役所としての説得力も十分である。
特に印象深かったのは、試合中に発する彼女の叫び声だった。もちろんこれは対戦相手のダーティーな戦いぶりに対する怒りであることは明白なのだが、自分はそれだけではないように思う。何をやっても思うようにいかない厳しい現実に対する憤り。あるいは、ふがいない自分自身に対する怒りにも聞こえた。正に魂を揺さぶる叫びである。
「THE FIRST SLAM DUNK」(2022日)
ジャンルアニメ・ジャンルスポーツ・ジャンル青春ドラマ
(あらすじ) 湘北高校バスケ部はインターハイで強豪・山王工業とぶつかる。湘北のポイントガード宮城リョータにとって、この試合は幼い頃から思い描いていた因縁の対戦であった。試合は白熱した展開を見せながら進んでいくのだが…。
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(レビュー) 1990年代に少年ジャンプで連載されたバスケマンガ「SLAM DUNK」の劇場用アニメ。連載当時はテレビアニメ化もされ一世を風靡した人気作である。今回は原作者である井上雄彦氏が自ら監督、脚本を務めて製作した作品である。
自分は原作とテレビアニメを見ていたこともあり、作品に対する思い入れはそれなりに強い。だからこそ、なぜ今になって劇場用アニメ化?畑違いの井上雄彦にアニメ映画の監督が務まるのか?そうした心配があった。
しかし、結論から言うと、原作でもテレビアニメでもない、新しい「SLAM DUNK」を見せてくれたという意味で大変満足することが出来た。もちろん原作もテレビアニメ版も好きなのであるが、それとは違う新鮮な面白さが感じられた。リメイクとは懐古主義に堕してしまってはダメだと思う。今の観客に向けて作るという所に大きな意義があり、おそらく井上雄彦自身もそういう意図で本作の製作に臨んだのではないだろうか。
物語は、原作でも大きな見せ場となった山王戦をメインに展開される。その中で湘北のメンバーそれぞれに焦点を当てたドラマが語られていく。この構成は試合の緊張感やスピード感が度々寸断されるというデメリットはあるが、個々のキャラを紹介する前段のドラマを手際よく処理できるというメリットもある。功罪あると思うが、この構成自体は上手いやり方だと思った。原作を知っている人にとっては様々な思い出が蘇るし、そうでない「SLAM DUNK」初見の人でも退屈することなくダイレクトに作品に入り込めると思う。
その中でメインとなるのが宮城リョータのドラマである。原作では桜木花道が主役なので、リョータをメインに据えたことに正直なところ驚きがあった。しかし、また違った角度からこの世界観を楽しむことが出来たことは新鮮であったし、何よりリョータが辿ってきた過去が大変ドラマチックなもので、メインのドラマたるに十分の魅力が詰まっている。後で知ったが、彼に関する読み切りマンガがあったらしく、それをベースに敷いているということだ。
さて、公開前に短い予告スポットを小出しにしていた本作であるが、それを見た時点で映像が明らかに3Dアニメと丸分かりで、テレビアニメ版に慣れ親しんだ自分にとっては正直かなりの不安を感じていた。最も違和感を覚えたのは背景のモブなのだが、しかし大画面で見るとそこまでの不自然さは感じなかった。
また、原作マンガを再現したかのような2D的な肌触りは、3D特有の無機質さを打ち消し、なんならマンガの絵に近い感じすらして感動を覚えた。声や音楽、演出の功績も大きい。これらが井上雄彦の”絵”に加わることで、見事にアニメーションならではの躍動感が生まれている。
キャスト陣は、テレビアニメ版から一新されているが、同じ世界観でも別角度から捉えた本作にあっては、それもまた良し。むしろ同じではテレビアニメ版から離れられなくなってしまうので、これで正解だったように思う。
少し気になったのはエピローグだろうか。おそらくここに持って行くために途中で山王のエピソードを入れたのだろう。ファンサービスとしてはいいかもしれないが、個人的には少し戸惑いを覚えた。もっとすっきりとした構成、終わり方でも良かったような気がする。
「アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル」(2017米)
ジャンル人間ドラマ・ジャンルスポーツ
(あらすじ) トーニャ・ハーディングは幼い頃から、母ラヴォナの元でスケート選手になるべく毎日厳しい練習をさせられていた。やがてその才能が開花すると、瞬く間に世間の注目の的となっていく。そしてジェフという青年に出会い恋に落ちるのだが…。
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(レビュー) オリンピックにも出場したことがあるフィギュアスケーター、トーニャ・ハーディングの半生を綴った伝記映画。
彼女は1994年のリレハンメル・オリンピックに出場する際、当時ライバルだったナンシー・ケリガンに対して妨害工作をしたという事で起訴され、世界的に大きなニュースになった。その真相に迫る内容は興味深く観れた。
また、それ以外に母親との確執、夫ジェフからのDV行為といったプライベートな問題も赤裸々に描かれている。誤解を恐れずに言うなら、ある種ゴシップネタ的な楽しみ方ができる作品だと思う。
ただ、一つ気になったのは、果たしてこの映画で描かれていることはどこまで真実なのだろうか?という点である。普通この手の伝記映画の場合、たいてい関係者の手記や原作小説が存在するものだが、本作にはそうした元となる素材がクレジットされていない。おそらくだが、関係者の証言などを元にストーリーを作っていったのだろうが、その検証はどこまで徹底されているのだろうか。ある程度娯楽としての面白さが上積みされているような気もしたが…。
実際、映画を観てみると予想以上にユーモラスな味付けが施されている。トーニャのバックストーリーは悲惨極まりなく、件の妨害工作も大変陰惨な事件だが、そうしたシリアスさを感じさせないくらいに周囲の関係者は能天気だ。
監督は
「ラースと、その彼女」(2007米)のクレイグ・ギルスピー。「ラースと~」はリアルドールを恋人だと思い込んだ青年をユーモラスに描いた作品だったが、本作でもそのタッチは継承されている。毒のあるドラマをコミカルに仕上げることで大変取っつきやすい作品に仕上げている。軽快な演出とポップな映像センスは「ラースと~」の頃に比べると随分と垢抜けた印象を持った。
また、モキュメンタリー風に登場キャラのインタビューシーンを挿入するのも中々凝った構成で面白かった。ただ、これも本人でない以上、どこまで信用して観ていいのかは判断しかねる所である。
キャストでは、トーニャを演じたマーゴット・ロビーの熱演が素晴らしかった。後から知ったが、彼女は元々アイスホッケーの経験があるらしく、本作でもその経験を活かして華麗なスケーティングを披露している。もちろんCGや吹替えでカバーしている部分もあろうが、それを差し引いても見事な身体能力の高さを発揮していて感心させられた。
中でも、オリンピックの大舞台に立つ直前、鏡の前で泣きながら無理やり笑顔を作るシーンは印象に残った。これまでの道のりを思い出して感極まったのか、それとも夢にまで見た舞台を前にして感情が高ぶったのか。その真意は色々と想像できるが、自分は何だかその笑顔を見てとても憐れに感じた。
「ファイティング・ファミリー」(2019米)
ジャンルスポーツ・ジャンル青春ドラマ
(あらすじ) イギリス北部の小さな町で暮らすナイト家は筋金入りのプロレス一家。18歳のサラヤもプロレスを心から愛し、いつかは世界で活躍する選手になりたいと夢みていた。そんなある日、彼女は兄のザックとともに憧れの世界的プロレス団体WWEのトライアウトに参加するチャンスを得る。
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(レビュー) WWEで活躍した実在の女子プロレスラー、ペイジの半生を描いた青春スポ根ドラマ。
自分は少し前にWWEを見ていた時期があったのだが、その時にはペイジは華々しい活躍を見せていた”ディーバ(女子レスラーのこと)”だった。いわゆるヒール(悪役)としての立ち位置を確立し、男性ばかりが目立つWWEにおいて女子部門の復権に一役買った選手だったように思う。
そのペイジの半生を描いたドキュメンタリー映画が2012年に「The Wrestlers: Fighting with My Family」というタイトルで製作された(未見)。本作はそれを元に作られたフィクション作品である。
”フィクション”ということからも分かる通り、本作には色々と事実と異なる点がある。例えばロック様とペイジの初対面はここで描かれている時期よりもずっと後であるし、そもそも彼女はWWEのトライアウトを一度落ちている。
このように事実の改ざんは確かにある。ただ、基本的には彼女の辿ってきた半生は概ね忠実に再現されており、個々の改ざんはドラマを面白くしようとするための工夫、演出という認識で、自分は特に気にならなかった。
物語はテンポよく展開されている。サラヤの葛藤もきちんとツボを押さえられており、全体的にはそつなく仕上げられていると思った。非常にオーソドックスなサクセスストーリーと言えよう。
個人的には、サラヤと一緒にプロレスをしてきた兄ザックの姿にしみじみとさせられた。彼はサラヤと一緒にWWEのトライアウトを受けるのだが、自分だけ落ちてしまう。WWEは選手にスター性やカリスマ性を求める団体であり、それがないとバッサリと切り捨てられてしまう。残念ながらザックにはその素養がないと判断されたのだろう。結局、彼は田舎に戻ってインディー団体で細々と活躍し続けることになる。サラヤに差を付けられたという悔しい思いは痛いほどよく分かる。そして、そんな彼が落ち込んで帰ってきたサラヤを勇気づける姿にはジーンと来てしまった。
このように本質的にはプロレス映画という体を取っているが、その中身は兄妹の愛憎を描いた良質なドラマになっている。只のスポ根映画とは違い、一定の味わいを持った好編で中々の見応えを感じた。
サラヤを演じるのはフローレンス・ビュー。
「ミッドサマー」(2019米)や「ストーリ・オブ・マイ・ライフ/わたしの若草物語」(2019米)、「ブラック・ウィドウ」(2020米)等、今や話題作に引っ張りだこの若手女優である。そんな彼女が、ここでは体を張って慣れないプロレスに挑戦しており、そこも大きな見どころである。
「フォックスキャッチャー」(2014米)
ジャンルスポーツ・ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 1984年のロサンゼルスオリンピックで金メダルを獲得したレスリング選手、マーク・シュルの元に大財閥デュポン家の御曹司ジョン・デュポンの連絡が入る。彼が結成したレスリング・チーム“フォックスキャッチャー”への参加をオファーされた。メダリストとは言っても苦しい生活を強いられるマークにとってそれは願ってもないチャンスだった。マークはこの申し出を受け、早速、最先端トレーニング施設を有するデュポンの大邸宅を訪れるのだが…。
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(レビュー) レスリングのオリンピック金メダリストと彼を支えた大富豪の愛憎をシリアスに綴った人間ドラマ。実話の映画化である。
但し、実話とは言っても、この映画の中で描かれていることは必ずしも全てが真実とは言えない。そのあたりはこの記事に詳しく描かれているので参照されたし
(映画『フォックスキャッチャー』では描かれなかった17の真実!)。
監督は「カポーティ」(2005米)、
「マネーボール」(2011米)のベネット・ミラー。これまで撮ってきた映画はいずれも実話物であり、ジャーナリスティックな視線が感じられる問題作ばかりである。その彼が今回取り組んだのがスポーツ界の”闇”というのは当然と言えば当然かもしれない。この監督は徹底してドキュメンタル志向なのだろう。
とはいえ、先述したように実際の事件背景とはかなり違っている点もあり、このあたりは映画を観て戸惑いをおぼえる所である。しかも徹底したリアリズムで演出するから余計にたちが悪い。本作を観て全てを真実と受け取る人もいることを考えると、今回の創作姿勢は余り感心しない。
ただし、映画自体は困ったことに実に面白い。人間の欲望、嫉妬、虚栄、様々なエゴがドラマチックに描かれており、たとえ脚色されているとはいえ一時も目が離せないスリリングな作品になっている。
物語は、孤独な金メダリスト、マーク、彼をサポートするデュポン、更にはマークの兄で同じレスラーであるデイヴ。この三人の愛憎劇となっている。マークはデイヴに対するコンプレックスを抱いており、いつか兄を超えたいと思っている。そこにデュポンが現れて、お前をもっと強くしてやると指南していく。
普通のスポーツ映画であればここから一気に上昇志向のドラマに転換していくのだろうが、本作は違う。確かにマークは一時は栄光を掴みとるが、その座に満足し徐々に堕落していくようになっていく。デュポンはそんな彼を奮起させる理由から、ジムに新たにデイヴを招き入れて二人を切磋琢磨させようと画策する。ところが、これがかえってマークの心を傷つけることになってしまう。
三者三様、それぞれの思惑が濃密に描かれていて面白い。特にデュポンのキャラクターは秀逸である。
やはり彼もマーク同様コンプレックスの塊のような男で、そのコンプレックスの対象が母親にあるという点が出色だ。幼い頃から何不自由なく暮らしてきた御曹司だが、厳格な母との間には長年に渡って確執があり、その反発が今の彼を形成している。母に認められたいという自己顕示欲とも言える。例えば、トレーニング場に母親が見学しにやって来るシーンがあるが、ここで彼は得意気に彼女に自慢する。このように本作はデュポンの目線に立って観てみても面白い物語になっている。
一方でマークとデイヴの軋轢も濃密に描かれていて見応えがあった。こちらは主にマークに感情移入しながら観れるように構成されており、個人的にはモーツァルトとサリエリの愛憎を描いた傑作「アマデウス」(1984米)を連想した。
キャスト陣の好演も見逃せない。
デュポンを演じるのはスティーヴ・カレル。
「40歳の童貞男」(2005米)等、主にコメディ映画で活躍していたが、今回は徹頭徹尾シリアスな演技を貫いている。特殊メイクも奏功しているとはいえ、何を考えているのか分からない不気味さが加わり、ある種得体のしれないモンスター感を醸しキャリア最高の演技を披露していると言って良いだろう。
マークを演じるのはC・テイタム。
「マジック・マイク」(2012米)、
「21ジャンプストリート」(2012米)等、彼もどちらかと言うとコメディ作品を得意とする俳優だが、ここでは終始シリアスな演技に徹している。
そして、デイヴを演じるのはマーク・ラファロ。すでに数々の作品で芸達者ぶりを見せいている彼だが、本作は一見して彼と分からぬような禿げあがり方をしていて、これも特殊メイクの妙だろう。安定した功演を披露している。