(レビュー) 水俣病にまつわる歴史、人々、裁判を全3部構成、約6時間という長丁場で描いたドキュメンタリー。
「ゆきゆきて、神軍」(1987日)の原一男が長年温め続けてきた念願の企画であり、撮影期間15年、編集に5年を費やして完成させた渾身の力作である。
冒頭、いきなり小池東京都知事(当時は環境大臣)の会見から始まるが、そこで繰り広げられる原告団とのやり取りを見ると、同監督作の
「ニッポン国VS泉南石綿村」(2017日)が連想される。あそこでもアスベスト被害の原告団が役人に激しく詰め寄るシーンがあったが、それとまったく同じである。被害にあった人々の悔しさ、悲しみ、怒りが噴出する一方、口では謝罪の意を述べながら表情は飄々とした役人たちの姿が印象的である。どこか他人事のように見えてしまい、これでは謝罪の意志も中々伝わらないだろう。
映画は3部構成で、第1部「病像論を糾す」、第二部「時の堆積」、第三部「悶え神」というチャプターが付けられている。
第1部は、研究者による水俣病の症状や原因の説明、視力が失われ手が震え、痛覚も失われてしまった被害者たちの実態が描かれる。
1977年に通知した「五二年判断条件」というものがある。感覚障害、運動障害、平衡機能障害、視野狭窄などのうち複数の症状が出た者が水俣病に認定されるが、実は被害者の病状はこうした末梢神経障害ばかりではない。認定基準に満たない者もいて、彼らの中には保証されないまま死んでいった者たちも多いという。残念ながらこれではすべての被害者をカバーすることはできないというのが実情で、それが夫々の法廷闘争に繋がっているわけである。
このパートで印象に残ったのは、解剖学の浴野教授という学者である。脳科学の方面から水俣病の症例を研究している人なのだが、亡くなった患者の脳を解剖することに”心ときめく”とコメントするあたり、不謹慎ながら少し笑ってしまった。
尚、劇中には少しグロテスクな映像も出てくるので、そういうのが苦手な人は要注意である。
第2部は、過去の歴史を振り返るパートで、”カニを食った少年”として報道された被害者・生駒さんのインタビューから始まる。
根っから明るい性格なのだろう。彼はマイクを向けられると、常に朗らかな表情で話をする。しかし、話の内容は悲惨極まりなく、そのギャップに切なくさせられた。
原一男監督の作品では、こうした人間的魅力に溢れたキャラクターが度々登場してくる。これは原作品の一つの特徴のように思う。撮る側と撮られる側。ドキュメンタリーは両者の間に信頼関係が結ばれ初めて成り立つジャンルだと思うが、原監督はそれを構築するのが大変上手なのだろう。互いを尊敬しているからこそ、あそこまで全てを曝け出して話してくれるのだと思う。劇中で生駒さんは新婚初夜の話まで包み隠さず語ってくれるが、それは原監督に信頼を置いているからに他ならない。原一男が稀代のドキュメンタリー作家だと思う理由はこういう所である。
また、このパートでは原監督自身が水中カメラを持って水俣湾に潜る様子も撮られている。埋め立てられた地中深くには処理済の汚染水が今でも埋まっており、その影響を調べようと監督自身がスキューバダイビングで潜るのだ。今年77歳。年齢を感じさせないバイタリティ溢れる姿に感服してしまう。
第3部は、原告の一人、溝口さんの裁判に関するエピソードが第2部から引き続いて描かれる。
ただ、このパートでは坂本さんという胎児性水俣病患者を描くエピソードが印象に残った。坂本さんは意外にも恋多き女性であり、これまで交際してきた男性と並んで一緒にインタビューを受ける。その表情を見ていると実に微笑ましく感じられた。正に人間を描くことに長けた”原一男節”と言っていいだろう。ヒューマン・ドキュメンタリー的な味わいが感じられた。
一方、溝口裁判は最高裁までもつれてようやく結審する。その判決を受けて環境省の会見が開かれるが、これも「ニッポン国VS泉南石綿村」と全く同じ。粛々と事務的な文言を述べる役人と、それにヒートアップする原告サイドが描かれる。
しかし、ここで自分はふと疑問を抱いた。被害者サイドの怒りや悲しみは十分に伝わってくるが、一方で国や県の言い分はどうなのだろうかと。認定基準を改定したくないという理由はよく分かる。基準を変えてしまえば、今より多くの患者を保証しなければならなくなるからだ。ただ、本作はそのあたりの政府サイドの”本音”には余り迫れてないように思う。欲を言えばその”本音”もぜひ引き出して欲しかった。
これは「ニッポン国~」にも言えることなのだが、どうしても被害者側に偏った取材になってしまい、政府サイドの声が聞こえてこない。きっと原監督のことであるから、取材できなかったのではなく、しなかったのだと思う。
例えば、鎌谷ひとみ監督の
「六ケ所村ラプソディー」(2006日)では、原子力安全委員会の委員の言葉が赤裸々に語られていた。あのような体制側の意見、本音を本作でも引き出して欲しかったような気がする。
いずれにせよ、すでに患者たちは高齢になっており、この問題自体、風化の一途を辿っている。だからこそ、こうしたドキュメンタリーが製作された意義はあるわけで、ぜひ多くの人に見てもらいた作品である。
水俣病は世界的にはまだ余り知られていない公害である。それが奇しくも同年にジョニー・デップ主演で「MINAMATA-ミナマタ-」(2020米)という劇映画が製作され、少しずつだが国際的に知れ渡るようになってきた。いずれそちらも観てみたいと思う。