「KUSO」(2017米)
ジャンルコメディ・ジャンルファンタジー
(あらすじ) ロサンゼルスで大地震が発生し、人々は謎の奇病におかされながら生活を送っていた。首に喋る“こぶ”ができた女性、奇妙な生物と同居する顔中痣だらけの女、木の中に生えた人間の首に翻弄される少年、巨大な生物に飲み込まれてしまった日本人女性、おっぱい恐怖症にかかった黒人男等々。彼らの奇妙な日常が繰り広げられていく。
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(レビュー) 下ネタとグロテスクな描写が横溢する不快指数MAXな怪作。はっきり言って好き嫌いが別れる作品だと思う。
監督、脚本はアメリカの音楽シーンで活躍するDJでラッパーで音楽プロデューサのフライング・ロータス。本作は彼にとっての初の長編映画作品である。
自分はそれほど彼の音楽に通じているわけではないが、過去に何本かMVを見たことがあり、かなり独特の世界観を持った人だなという印象を持っている。その世界観が本作にも垣間見れる。ただ、想像以上に過激な下ネタが多かった。
物語は、終末観に包まれたロサンゼルスを舞台に、幾つかエピソードが同時並行で進行する。夫々に繋がりはなくコラージュ作品のような作りで、合間にアニメーションが時々挿入される。その構成から「モンティ・パイソン」を連想させたりもする。ただ、本作には風刺性は皆無なため「モンティ・パイソン」ほどの知的なセンスは感じなかった。もはや解読不能なエログロナンセンスの見本市といった感じで、完全に”見世物”に振り切った作品になっている。
最も印象に残ったのは、奇妙な生物と同居する妊婦の女性が超能力で胎児を取り出されて、それをハッパにして吸ってしまうシーンだった。生命に対する尊厳が微塵も感じられない所業に唖然とさせられた。この発想は中々常人では思いつかないだろう。
本作全体に言えることなのだが、割とライトに酷いことを描いているので、笑って良いのかどうかリアクションに困ってしまう場面が多い。したがって、いちいち意味を考えず、流れる映像を脳みそを空っぽにして観るのが正しい見方かもしれない。ある種ドラッグ・ムービーとしての効果はてき面である。
かつて1970年代のニューヨークでは、深夜にかかるミッドナイトムービーが若者たちの間でカルト的な人気を誇った。「エル・トポ」(1970メキシコ)、「ロッキー・ホラー・ショー」(1975米)、「ピンク・フラミンゴ」(1972米)等は映画マニアの間では有名な作品である。しかし、歴史から消えてしまった無名な短編映画や実験映画もたくさん上映されており、そうしたアングラ感が本作には漂っているような気がした。
「マッドゴッド」(2021米)
ジャンルアニメ・ジャンルファンタジー
(あらすじ) 孤高の戦士アサシンはある目的を持って荒廃した地下世界に潜りこんだ。そこは不気味なクリーチャーたちが蠢く地獄のような世界だった。アサシンは様々な光景を目撃しながら地底奥深くへと進んでいくのだが…。
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(レビュー) 「スター・ウォーズ」シリーズや「ロボコップ」シリーズ、「スターシップ・トゥルーパーズ」シリーズのストップモーションアニメを手掛けたフィル・ティペットによるダーク・ファンタジー。
めくるめく悪夢的世界に圧倒されてしまった。
物語はあってないようなもので、ある目的を持った一人のアサシンが地下世界に潜り込んでグロテスクな光景を目撃していく…という体で進行する。何の脈絡もなくシュールで意味不明な光景が次々と出てくるので、苦手に思う人は多いだろう。
また、セリフが全くないため、この世界観を把握できないまま観ていくことになり、途中で「ワケ分からん」と放り出してしまう人がいても不思議ではない。自分も早々にストーリーを追いかけることを諦め、この独特な世界観に身を委ねながら、邪悪な映像の数々を「体感する」ことにした。
実際、ここまでぶっ飛んだ世界観というのも中々見たことがない。テイストは全く異なるが「ファンタスティック・プラネット」(1973チェコ仏)以来の衝撃的体験である。
地下に生息するグロテスクな生き物たちの醜悪さや、至る所に死臭と汚物感が漂う光景は、正直見ててキツいものがある。ただ、これがフィル・ティペットの脳内で生成された世界だと言われれば、その圧倒的物量と情報量には素直に首を垂れるしかない。ここまで画面に浩々と己の世界観を再現したこと自体、他の誰にも真似できないのではないだろうか。
本作の製作は元々は30年前に始まったそうである。ところがCG全盛の時代になり、ティペットの創作意欲も意気消沈。それから20年後に、彼のスタジオのクリエイターたちを中心に再び製作が再開されたということだ。実に苦節30年。正に執念の作品と言うことが出来よう。
アニメーションとしてのクオリティも申し分ない。一部でCGや実写映像を使っている個所もあるが、約90分間。ストップモーションアニメらしい面白さが詰まっている。
最も印象に残ったのは、アサシンの解剖シーンだった。腹の中から取り出されたあのクリーチャーは一体何だったのか?デヴィッド・リンチの「イレイザーヘッド」(1993米)を思い出してしまった。しかも、あのような顛末が待ちうけていようとは…。時計の針が再び動き出すという展開に「2001年宇宙の旅」(1968米英)のオマージュも感じられた。
尚、アサシンを地下世界に送り出したマッドサイエンティスト役を映画監督のアレックス・コックスが演じている。これまでフィル・ティペットとの繋がりは、少なくとも作品上では無かったので、意外であった。
「かがみの孤城」(2022日)
ジャンル青春ドラマ・ジャンルファンタジー
(あらすじ) 学校でイジメにあい不登校になった中学1年生のこころは、ある日、部屋にあった鏡が突然光り、その中に吸い込まれてしまう。鏡の中は御伽話に出てくるようなお城で、そこには狼の仮面をかぶった正体不明の少女オオカミさまと6人の同じ年頃の子供たちがいた。オオカミさまは城に隠された鍵を見つければどんな願いでも1つ叶えてやると告げるのだが…。
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(レビュー) いじめ問題を題材に、少年少女の葛藤と成長をファンタジックに描いた良作である。
学校に限らず、どこにでもいじめは存在するものだが、問題はそうなった場合、どうやって周囲の人間が救いの手を差し伸べてやることができるか…というのが一番重要ではないかと思う。いじめられた本人の気持ちに寄り添いながら、君は一人じゃない、自分は味方だよと伝えることが如何に大切なことか。それを本作は説いているような気がした。
この手の作品は、得てしていじめていた方の改心を描いて、いじめの不毛さを説くような傾向にあるが、本作はそうした安易な解決も描いていない。こころをいじめていた生徒や、いじめを放任していた担任教師が反省するシーンは出てこない。確かに彼らは一時は反省するかもしれないが、また他の誰かをいじめるだろうし、いじめを見て見ぬふりをするだろう。つまり、この世からいじめは決して無くならないというシビアな現実を真摯に提示しているのだ。厳しいかもしれないが、それをきちんと正直に描いている所に自分は好感を持った。
監督は原恵一。くしくも氏が監督した
「カラフル」(2010日)と同じく、中学生のいじめがテーマになっている。
ただ、物語は多様な問題が含まれていた「カラフル」よりもストレートでよくまとまっている。また、「カラフル」にも天使のキャラクターや輪廻転生といったファンタジックな要素はあったが、ビジュアルを含めた造形面のシリアスさが作品の敷居を少し高く見せていたのに対し、今回は幾分ライトに設定されており広く受け入れやすくなっているような気がする。
また、本作はミステリーとしても中々上手く作られていると思った。
鏡の中のお城の設定、オオカミさまの正体、こころ以外の6人の少年少女たちの秘密。それらが、さりげないミスリードと、したたかな伏線と回収によって見事に解き明かされていく。そこに胸がすくようなカタルシスを覚えた。
欲を言えば、作画がもう少しクオリティが高ければ…と思わなくもない。アニメーションを制作したA-1 Picturesは
「あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない。」(2013日)や
「心が叫びたがってるんだ。」(2015日)、「ソードアート・オンライン」シリーズなどを手掛けているスタジオである。昨今のアニメ界ではトップクラスのクオリティを誇る会社であるが、今回は今一つ淡泊で低カロリーな作りに見えてしまった。特に、見せ場となるクライマックスのアクションシーンや鏡の中に入るシーンはもう少し力を入れて表現して欲しかったような気がする。
また、観終わっても腑に落ちなかった点がある。オオカミさまは、何のためにこころたちを鏡の世界に引き入れたのだろうか?本作には原作(未読)があるが、そちらを読めば分かるのだろうか。
「すずめの戸締まり」(2022日)
ジャンルアニメ・ジャンルアクション・ジャンルファンタジー
(あらすじ) 震災の被害で母を失った17歳の女子高校生すずめは、今は叔母と平穏な暮らしを送っている。ある日、すずめは扉を探しているという青年・草太と出会う。彼は廃墟の中にある災いの扉を閉めて鍵をかける“閉じ師”だった。すずめはそうとは知らず、災いの扉で取り返しのつかない事態を引き起こしてしまう。
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(レビュー) 震災で母を失った少女と、災いを封じ込める”閉じ師”の青年の旅を、美麗な映像で綴ったファンタジーアニメ。
大ヒットし社会現象まで巻き起こしたアニメ
「君の名は。」(2016日)、
「天気の子」(2109日)の新海誠の新作ということで誰もが注目するところであるが、今回も安定のキャッチ―さ、ポップさでエンタテインメントとしてそつなく作られており、改めてその手腕に唸らされた。
ただ、今回は3.11というデリケートな問題を取り上げており、そこはこれまでにない挑戦に思えた。
結論から言うと、すずめのトラウマ克服というテーマは、かなりしっかりと語られていたように思う。災いをもたらす扉がいかにして廃墟に現れるのか?そのあたりの説明がなおざりだったので腑に落ちなかったが、扉の向こう側に見る過去の震災の記憶に正面から向き合うことで未来へ歩み出す、すずめの姿に素直に感動することが出来た。
ちなみに、同じテーマを描いた作品で、諏訪敦彦監督の
「風の電話」(2020日)という映画を思い出した。あれも震災で家族を失ったヒロインが叔母の元で暮らしているという設定で、本作のすずめとよく似ている。故郷を目指す旅の中で震災のトラウマを払拭していくというドラマも一緒である。
さて、本作にはもう一つ見所がある。それは、すずめが草太に淡い恋心を抱くというロマンスだ。草太は途中からある事情ですずめの思い出の品、椅子の姿に変えられてしまうため、過去の新海作品と比べるとコメディ・ライクな仕上がりになっている。ただ、すずめのトラウマ克服というドラマと併走させてしまった結果、こちらは今一つ弱く映ってしまった感が否めない。
また、物語は災いの扉を守ってきた”要石”を追いかけるロードムービーになっていくが、その道中ですずめたちは様々な人たちの優しさに触れていく。これらのエピソードも楽しく観ることができたが、惜しいかな。ドラマ上、余り有意義なものとなっていないのは残念であった。
例えば、母親代わりになって育ててくれた叔母の苦労を知るとか、草太への思いを改めて強くするなど、すずめの成長を促し前に進む”きっかけ”になってくれていれば更に良かっただろうと思う。
そして、終盤に行くにつれて、こちらの理解が追い付かない状況が次々と起こり、個人的には今一つノリきれなかった。
例えば、もう一つの”要石”が如何にして出てきたのか?そして、叔母になぜ憑依したのか?そのあたりのことがよく分からない。考察する材料があればまだいいのだが、そうしものが劇中では余り見つからなかった。結局、作り手側だけで自己完結してしまっているのような気がしてならない。
映像はスケール感のあるアクションシーンを含め、十分に楽しむことが出来た。今回は前作までのビスタサイズから横長のシネスコに変わっている。そのためより一層の迫力が感じられた。序盤の廃墟の中に佇む扉の映像も大変神秘的で印象に残る。
キャスト陣は、皆それぞれ好演していたように思う。旅の途中で出会う個性的なサブキャラも活き活きと表現されていて良かった。
尚、本作には魅力的な女性キャラが多く登城するが、逆に男性キャラは少ない。すずめが旅の途中で出会うのは、旅館を切り盛りする女将とその娘、神戸ではスナックを営むシングルマザー。そして、すずめの父親についての言及はほとんどなされていない。もちろん草太や彼の友人・稔など、男性キャラがいないわけではない。しかし、圧倒的に父性不在のドラマになっており、そこは何か意図してのことなのかどうか?観終わった後に少し気になった。
「秘密の森の、その向こう」(2021仏)
ジャンルファンタジー・ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 大好きだった祖母を亡くした8歳の少女ネリーは、両親と一緒に祖母が住んでいた森の中の一軒家を訪ねる。母はやがてネリーと父を残したままどこかへ去って行ってしまった。そんな中、ネリーはかつて母が遊んだ森を散策し、そこで自分によく似た8歳の少女マリオンと出会う。
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(レビュー) 孤独な少女が森の中で不思議な体験をしながら失踪した母との絆を取り戻していくファンタジードラマ。
物語の視座がネリーに固定されており、スタイル自体は児童映画のように捉えられる。しかし、実際にはそう簡単に割り切れない不思議な作品である。祖母の喪失、母の不在によるネリーの不安や戸惑い、孤独がリアルに表現されており、大人が見ても十分に堪能できる作品となっている。
森の中で育まれるネリーとマリオンの交流もどことなくシュールである。そう思わせる最たる要因は、ネリーとマリオンを双子の少女に演じさせた点にあろう。一応着ている物や髪型などで差別化はされているが、同じ容姿の少女が並んで遊んでいるのを見るとなんだか不思議な気持ちになる。
そして、映画を観ていれば容易に想像がつくが、マリオンはネリーの母親の幼き頃の姿なのである。ネリー自身もそれは知っていて、それでも尚、自然とマリオンを求めてしまう。それは母の不在からくる寂しさなのであろう。
自分は最初、これは孤独に病んだネリーが創り出した妄想の世界なのではないか…と思った。しかし、どうやらそうではないということが中盤の父親との会話から分かってくる。父親にもマリオンの姿が見え、実在する者としてそこに存在しているのだ。こうなってくると益々このシュールな世界観に惹きつけらてしまう。
こんな感じでネリーとマリオン、同じ容姿をした少女の交遊が続いていくのだが、やがてそこから一つの真相が明らかにされていく。この計算されつくされた構成にも唸らされてしまうばかりだ。最終的に母娘の絆という所に帰結させた脚本も見事である。
監督、脚本は前作「燃ゆる女の肖像」(2019仏)が評判を呼んだセリーヌ・シアマ。残念ながら前作は未見なのだが、本作を観る限り演出は淡々としていながらも、ヒリつくような緊張感漂う映像にグイグイと惹きつけられた。また、終盤におけるBGMの使用もドラマチックな効果を生んでおり、中々の手練れという感じがした。
ただ、個人的には1点だけ気になったことがある。それは、あれだけ祖母のことが大好きだったネリーが、生前の祖母にそれほど執着していなかったことである。マリオンとの交遊に焦点を当てた描かれ方をしているので、祖母の存在が希薄に映ってしまった。これについてはどう捉えたらいいのだろう。少しだけ不自然に感じてしまった。