「オオカミの家」(2018チリ)
ジャンルアニメ・ジャンルファンタジー・ジャンルホラー
(あらすじ) チリ南部にあるドイツ人集落から脱走した少女マリアは、2匹の子豚が住む森の一軒屋に辿り着く。彼女は子豚にアナとペドロと名付けて一緒に暮らし始めるのだが…。
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(レビュー) 家の壁にドローイングされた絵と、紙や粘土で造られた人形などを組み合わせながら、悪夢のような映像世界を追求したストップモーションアニメ。
二次元の絵と三次元の人形をシームレスにつないで見せたテクニカルな表現が白眉の出来栄えで、これまでに見たことがない斬新さに圧倒されてしまった。
こうした映像体験はストップモーションアニメの大家フィル・ティペット作の
「マッドゴッド」(2021米)以来である。両作品のテイストは全く異なるが、刺激度というレベルでは甲乙つけがたい毒とアクの強さで、まったくもって前代未聞の”映像作品”である。
ただし、純粋にアニメーションの動き自体のクオリティは決して繊細とは言い難い。絵や造形物も雑然としていて、何となく前衛っぽさが漂う作りだと思った。
逆に言うと、この洗練さに欠ける作りが、全体の異様な作風に繋がっているとも言え、結果的に他では見たことがないような唯一無二な怪作になっている。
物語自体はシンプルながら、様々なメタファーが込められているため観る人によって如何様にも解釈できそうである。
鑑賞後に調べて分かったが、マリアが脱走した集落はピノチェト軍事独裁政権下に実在した”コロニア・ディグニダ”を元にしているということである。これはある種のカルト集団だったようであるが、当時の政権とも裏では繋がっていたと言われている。
本作は物語の構成も少し変わっていて、その”コロニア”が対外的な宣伝を目的に作った映像作品…という体になっている。ただのダークな御伽噺というより、政治的なプロパガンダになっているあたりが面白い。もちろんそこには皮肉も込めているのだろう。
製作、監督、脚本はチリのアート作家クリスタバル・レオンとホアキン・コシーニャというコンビである。本作が初の長編作品と言うことだが、こんな”ぶっ飛んだ”作品を作ってしまうとは、一体どういう思考をしているのだろうか?常人には全く想像もつかない。
尚、本作は元々は、各地の美術館やギャラリーでインスタレーションとして製作された作品ということである。企画から完成まで5年の歳月を費やしたということであるが、それも納得の力作である。
また、映画上映の際には同監督作の「骨」(2021チリ)という短編が同時上映されるが、こちらも中々の怪作である。
「ヘル・レイザー」(1987米)
ジャンルホラー・ジャンルサスペンス
(あらすじ) フランクは究極の性的官能を体験できるという謎のパズルボックスを手に入れる。早速、彼はそのパズルを解くことに成功するが、その瞬間、彼の肉体は消失してしまった。数年後、フランクの弟ラリーが妻子を連れてフランクの家に越して来た。ある日、ラリーの妻ジュリアは屋根裏に不可解な物体を目撃する。それは死んだはずのフランクの変わり果てた姿だった。
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(レビュー) ホラー作家クライヴ・バーカーが自らの原作を映像化した作品。
物語はパズルボックスを手にしたフランクの体がバラバラになるというショッキングなシーンから始まる。その後、フランクの弟夫婦がやって来て、パズルボックスの謎を巡るサスペンスへと移行する。ジュリアとフランクがかつて愛し合う仲だったという過去が、この物語を面白く見せている。
後半に入ってくると、ラリーの娘カースティーがパズルボックスを手にしてしまい、魔界の魔導士たちに狙われるという展開になっていく。但し、前半と後半で若干物語の繋がりが悪い感じがしてしまった。もう少し前半でカースティーの存在をフィーチャーすることで自然に移行できたのではないかと思う。
クライヴ・バーカーの演出は、見世物映画としてのツボをしっかりと抑えており、特殊効果もかなり健闘している。とりわけ冒頭のフランク粉砕シーンと、彼の肉体が徐々に再生されていくシーンは見応えがあった。また、クライマックスシーンも夢に出てきそうな強烈さで、今見ても全く古さを感じさせない。CGでは味わえないアナログ時代の特殊メイクは、今となっては新鮮に観れるのではないだろうか。
また、魔導士たちのおぞましい姿も強烈で、一度観たら忘れられないインパクトである。顔中にピンが刺さったスキンヘッドの魔導士は、今や作品を飛び出して様々な場面で引用され、もはやホラー映画における一つのアイコンとなった感じがする。
本作は全米でヒットを飛ばしてシリーズ化されたが、このキャラクターは以後も作品の顔となっていく。他にも様々なユニークな造形をした魔導士が登場してくる。ビジュアルだけでも一見の価値がある作品であることは間違いない。
「CURED キュアード」(2017アイルランド仏)
ジャンルSF・ジャンルホラー
(あらすじ) 人を凶暴化させるウイルスが蔓延した近未来。治療法がようやく見つかり、感染者は“回復者”と認定されて少しずつ社会復帰を果たしていた。セナンもその一人である。彼は亡き兄の妻アビーのもとに身を寄せていた。アビーは幼い息子キリアンを抱えながら、セナンとの交流に癒しを覚えていった。そんなある日、回復者に対する差別が市民の中で激化し始める。
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(レビュー) ゾンビ映画の一種であるが、感染者と回復者、感染しなかった人間という三つ巴の対立が、偏見と差別に満ちた現代社会の痛烈な風刺となっている所が面白い。
そもそもゾンビ映画にはどこか風刺性が入っているものだが、描き方次第ではこうした硬派な社会派作品のような映画にもできる…という所に新味を覚えた。エンタメとして見てしまうと、やや物足りなさを感じてしまうが、作り手側の狙いが明確に伝わってくる分、下手なゾンビ物よりも真摯に観れる。この手のジャンルもやりようによってはまだまだ新機軸を打ち出せるという好例である。
演出は非常に淡々としていて、観る人によっては退屈に感じるかもしれない。特に、前半は状況説明が続くため、観る方としても根気が試される。
中盤以降は、差別を受ける回復者たちが結成した”回復者同盟”なる組織が登場して、一般市民との対立が激化していく。組織の中には穏健派と過激派がいて、その中で主人公セナンの葛藤がクローズアップされていく。彼自身、差別を受けながら、社会復帰の道を模索していくのだが、組織に都合よく利用されまいか…と心配になってしまった。それくらいセナンは純粋な青年である。
本作のもう一つの見所は、セナンと義姉アビーの関係である。セナンには”ある秘密”があり、それが明かされることで、この関係には大きな溝が生まれてしまう。ゾンビ映画ではよくある展開と言えばそれまでだが、やはりこういう話には何とも言えない悲しみが沸き起こる。
悲しいと言えば、感染者の治療法を確立しようとする女性医師のエピソードも印象に残った。実は感染者の中には治療が成功して回復する者とそうでない者がいる。セナンのように運よく回復した者は社会復帰を果たせるが、回復できなかった者は拘束され監禁されてしまう。やがて政府は感染者の安楽死を決定するのだが、そんな中で彼女は未だ回復していない感染者の命を救うために研究に勤しんでいる。そこには彼女の人には言えぬプライベートな”ある思い”が隠されているのだが、それがクライマックスで明かされて実に切なくさせれた。
監督、脚本は本作が長編初作品の新鋭ということだ。ジャンル映画というスタイルを借りながら、実社会を鋭く投影した所に新人らしからぬ大胆さを覚える。
キャストではアビーを演じたエレン・ペイジの熱演が素晴らしかった。童顔の彼女も母親役をやるようになったのかと思うと、時の流れを感じてしまう。
「JUNO/ジュノ」(2007米)で10代の母親を演じた頃がついこの間のようである。
「ディストピア パンドラの少女」(2016米英)
ジャンルSF・ジャンルサスペンス・ジャンルホラー
(あらすじ) ロンドン郊外にある軍事基地で秘密裏に人体実験が行われてた。厳重な監視の元、科学者たちが拘束された子供たちに教育を施していたのだ。高いIQを持った少女メラニーは教師のヘレンから目をかけられていた。そんなある日、突然、異常事態を知らせる警告が鳴り響き、施設は大パニックに陥ってしまう。命からがら逃げ延びるメラニーだったが…。
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(レビュー) なるべく前情報なしに観た方が楽しめる作品だと思うので、極力ネタバレを避けたいと思う。
まず、何と言っても不穏でシュールな雰囲気に包まれた序盤に惹きつけられた。何の説明もないまま話が進んでいくので、一体これは何についての映画なのか分からず観ていくと、突然基地内がパニックが起こる。ここから映画はある種のジャンル映画へと転換していくのだが、この大胆な語り口が秀逸だと思った。
以降はよくあるサバイバル・ロード・ムービーになっていく。旅をするのは5人のキャラクターで、物語のカギを握る少女メラニー、彼女の教育係ヘレン、事態の全容を知っている科学者コールドウェル博士、そして特殊任務を課せられた2名の軍人である。夫々の造形がしっかりと確立されていることもあり、行き当たりばったりな展開が少なく、最後まで面白く観ることが出来た。また、メラニーを巡る周囲の対立と葛藤に個々の心理が透けて見えくる所もシナリオは巧みに掬い上げており、中々の完成度である。
ただ、確かにこじんまりとした内容で、規模が大きい話のわりに世界観が狭い感じがした。予算の問題もあろうが、この辺りは仕方なしである。しかし、必要最低限の情報量だけで物語を構成したことで、かえって緊張感が生まれドラマも引き締まったように思う。
ラストのオチには、なるほどと溜飲が下がった。ディストピア物としては正攻法な結末と言える。閉塞的だったドラマが、ラストで一気に大きな広がりを見せる。決して救いがあるとは言えないが、不思議と感動を覚えた。
尚、本作には原作がある(未読)。後から知ったが、映画製作とほぼ同じ時期に刊行された小説らしく、原作者自身が映画の脚色も担当しているということだ。ドラマに一貫性があるのは、原作者がしっかりと作品をコントロールできていたからなのかもしれない。
昨今、この手のジャンル映画も大量に作られており、どれを観ても既視感を覚えてしまうが、本作にはそこにちょっとしたアイディアを盛り込んだことによって上手く新味を出すことに成功している。まだまだこの手のジャンルもやり方次第では面白いものが作れるということを証明している。
監督は長年TVドラマを手掛けてきたベテランらしく、劇場用作品は今回が2作目ということである。
演出で特に印象に残ったのは、中盤の脱出劇だった。物音ひとつ出せない状況で、必死の逃走をはかるシチュエーションにハラハラさせられた。
キャストでは、コールドウェル博士役のグレン・クローズが中々に良かった。こうした厳格な役柄をやらせるとさすがに上手い。
「リサと悪魔」(1973伊)
ジャンルホラー
(あらすじ) 観光に来ていたリサは、古い建物に描かれた死体を担ぐ悪魔の壁画を見た後、その絵にそっくりの男と遭遇する。路地に迷い込んでしまった彼女は、偶然通りかかった旅行者夫婦に助けられ、宿を求めて古い屋敷に泊まる。そこにはどこか怪しい母子と、街で見かけたあの男が召使として住んでいた。
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(レビュー) 悪魔の絵にそっくりな男に出会ったことで、複雑怪奇な事件に巻き込まれていく女性の恐怖を、ゴシック・ムード満点に描いたホラー作品。
目くるめく迷宮世界に主人公リサ同様、観る者も誘われてしまう幻想奇談である。
リサが辿り着いた古い屋敷には”ある秘密”があり、そのカギを握るのが屋敷の子息マックスである。実は、彼は過去に愛した女性がいたのだが、ある理由でその愛は終わりを告げてしまう。それでも彼女に対する愛は未だ冷めやらず、病的なほどの未練に戦慄すると同時に、彼の境遇を考えるとどこか哀愁も覚えた。人間の悲しき情愛が透けて見えくる所に、単なるホラー映画とは一線を画した味わいが感じられる。
監督、共同脚本はマリオ・パーヴァ。独特の様式美を今回も如何なく発揮しているが、今回は割と物語を追いかけることに専念しており、見せ場となる恐怖シーンは終盤に集中している。そのせいか他の作品と比べると地味な印象は拭えないが、終盤の盛り上がりは中々のものである。
例えば、死んだはずの登場人物たちがテーブルに勢ぞろいする光景は何とも言えないシュールさがあるし、彼らにそっくりなマネキン人形が無造作に転がる絵面も不気味で印象に残る。極めつけは、ラストのどんでん返しである。このインパクトは衝撃的で忘れがたい。
また、今回は珍しくソフト・フォーカスな映像が要所でロマンチックな雰囲気を醸しており、いつものパーヴァ作品にはないテイストが伺える。少し面食らってしまったが、このチャレンジングな表現は面白い試み思えた。
キャストでは、リサを演じたエルケ・ソマーの熱演が印象に残る。彼女は本作で一人二役を演じており、そこがこの物語の幻想性に一役買っている。
悪魔役のテリー・サバラスは、持ち前の造形で嬉々とした怪演を披露。飴をなめるという愛嬌のある役作りが、キャラクターにユーモアを与えていて面白かった。