「あの日の声を探して」(2014仏グルジア)
ジャンル人間ドラマ・ジャンル戦争
(あらすじ) 1999年、ロシア軍に侵攻されたチェチェン。9歳のハジは、両親が銃殺されるのを目撃したことからショックで声が出せなくなってしまう。幼い弟を抱きかかえながら命からがら逃げ延びた彼は放浪の旅に出る。一方、ロシア軍に強制徴兵された少年兵コーリャは、過酷な訓練の日々に疲れ果て、徐々に精神が壊れ始めていく。
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(レビュー) 映画はチェチェンの民間人がロシア兵によって無残に殺されるという光景から始まる。昨今のウクライナ情勢を考えるとやるせない気持ちにさせられるが、実際にこういうことがありそうなのが恐ろしい。
映画は、両親を殺されたチェチェンの子供ハジと、強制徴兵でロシア軍に入隊したコーリャ。この二つのエピソードで構成されている。
まず、ハジの方のドラマは、いわゆる戦災孤児が辿る悲劇の物語で、反戦メッセージが強く押し出された作りになっている。彼はまだ幼い弟を抱えて遠くの町に逃げ延び、そこでEUの人権委員会の女性職員キャロルに保護される。最初は心を閉ざすハジだったが、優しいキャロルとの交流に少しずつ心の傷を癒していく。ずっと口を閉ざしていた彼がようやく言葉を発するシーンは実に感動的だった。
一方、コーリャのドラマは、スタンリー・キューブリック監督の「フルメタル・ジャケット」(1987英)よろしく戦争の狂気を描いたドラマとなっている。臆病で心の優しいコーリャが、過酷な環境に置かれることで徐々に性格が好戦的になっていくあたりが恐ろしい。
チェチェンの子供とロシアの少年。立場が全く異なる二人の視点を交互に描きながら、この二つのドラマはラストで劇的に結びつく。そこから分かってくるのは、戦争に加害者も被害者もないということである。どちらも戦争で運命を狂わされてしまった犠牲者なのである。
監督、脚本は
「アーティスト」(2011仏)のミシェル・アザナヴィシウス。基本的にはエンタテインメントを得意とする監督に思えたが、今回は極めてメッセージ性の強い反戦映画になっている。このような骨太な作品を撮る監督だと思っていなかったので、いい意味で期待を裏切られた。
最も印象に残ったのは先述した冒頭のシーンだが、それ以外にもう一つ、コーリャと一緒に入隊した若い兵士が自殺してしまうシーンも強烈に印象に残った。上官はそれを戦死扱いにしてしまうのだが、コーリャはそれに異議を申し立てる。すると彼はすぐさま激しい暴行で制裁されてしまうのだ。「フルメタル・ジャケット」の中でも通称”微笑みデブ”が自殺してしまうが、それを思い出すようなエピソードである。
キャストでは、ハジ役の少年の造形が印象に残った。悲しそうな瞳が戦争の残酷さを憂いているようであった。
「658Km、陽子の旅」(2022日)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) リモートワークでカスタマーサービスの仕事をしている陽子は、ほとんど自宅から出ない引きこもりの暮らしを送っていた。ある日、従兄がやって来て青森の父親の訃報を知らされる。陽子は葬儀に出るため彼の車に乗って青森を目指すことになるのだが…。
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(レビュー) 引きこもりのコミュ障の女性が、父の葬式に出るために故郷を目指して旅をするロードムービー。
陽子が外の世界に出ていくことで少しずつ社会との健全な繋がりを取り戻していくというドラマは、人間関係が希薄になりつつある現代社会において、とても大切なメッセージを放っているように思う。奇しくもコロナ禍に見舞われたこともあり、そのメッセージは更に大きな意味を持って訴えかけてくる。やはり直接顔を合わせて話すことは大切であると痛感させられた。
ただ、そのメッセージは十分理解できるのだが、陽子が様々な人と出会うことで成長していくドラマは今一つ説得力が弱いという印象を持った。そもそもたった一夜でそこまで人は変われるものだろうか?という思いが先立ってしまい、観終わっても今一つ釈然としない思いが残ってしまった。陽子の本当の旅はこれから始まるのかもしれない。
一方、陽子の旅のきっかけとなるのが長年険悪だった父の死である。両者は20年間疎遠で、父娘の縁は完全に途切れていた。本作のもう一つのテーマは、彼女がその父の死をどう受け止めていくかという”喪の仕事”と解釈できる。
こちらについては見事な着地点を迎えたと思う。陽子の葛藤に上滑りするような所もなく、亡き父に対する後悔の念をしみじみと受け止めることができた。
また、本作が上手いと思う所は、陽子と父の関係や彼女のバックストーリーをほとんどボカした点である。そこが乗り切れないという感想に繋がるのも分かるが、逆に観客夫々が自分に当てはめながら観ることができるように敢えてボカしているように見れた。陽子のように夢に打ち破れた者、人間関係に後悔を残す者なら、自然と感情移入できるのではないだろうか。そういう意味では、懐の深い作品とも言える。
監督は
「私の男」(2013日)、
「海炭市叙景」(2010日)、
「鬼畜大宴会」(1997日)の熊切和嘉。本作はTSUTAYA CREATORS' PROGRAMというツタヤが主催するコンペティションで選出された脚本を元に製作された作品だそうである。
時折ファンタジックな演出が出てきて戸惑いを覚える個所もあったが、基本的にはじっくりと腰を据えた演出が貫かれ見応えを感じた。
特に、後半の海のシーンを筆頭に、サービスエリアで出会うヒッチハイク少女とのやり取り、野菜を売る老夫婦との交流が印象に残った。旅の途中で出会う他の人々も夫々に何らかのドラマを抱えており、最後まで飽きなく観れるロードムービーに仕上がっている。
ただ、冷静に考えると少し無理に思えるような箇所もあり、そのあたりには詰めの甘さも感じてしまう。
例えば、陽子が従兄の車とはぐれてしまうシーンは、陽子が実家に電話をすれば済むだけの話ではないかという気がした。最初は電話番号を知らないのかと思ったのだが、後半で公衆電話から実家に電話をしていたので知らなかったというわけではない。ではどうして最初に電話しなかったのか?と不自然さを覚えた。
また、劇中には東日本大震災の傷痕を描くエピソードも登場してくる。東北を目指すロードムービーなので触れずにいられなかったのであろう。しかし、実際に青森を目指すのにわざわざ常磐道を選択するだろうか?普通であれば東北道を利用した方が便利という気がする。
キャストは何と言っても菊地凛子の好演。これに尽きると思う。終盤の独白は見事であるし、それ以外にも彼女の繊細な演技は見応えタップリである。
熊切監督とは「空の穴」(2001日)以来のタッグと言うことだが、申し訳ないがその時には主演の寺島進の方ばかりに目が行って彼女のことは全く印象に残っていなかった。クレジット表記も今の菊地凛子ではなく”菊池百合子”だったというのもあるが、まさかその時の彼女がこうして日本映画界を代表する女優になるとは全く想像もしていなかった。そう考えるとこの協演には感慨深いものがある。
「スピリッツ・オブ・ジ・エア」(1988豪)
ジャンルSF・ジャンルコメディ・ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 果てしなく広がる荒野に佇む1軒の小屋。そこにフェリックスとベティの兄妹は暮らしていた。足の不自由なフェリックスは空を飛ぶ夢に取り憑かれていた。妹のベティは偏執的な気質で、父の遺言を守りながら頑なにこの土地から離れようとしなかった。そこにスミスという放浪者が流れ着く。
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(レビュー) オープニングの広大な荒野、どこまでも続く青い空、点々と立ち並ぶシュールなオブジェと巨大な十字架、ベティが奏でる哀しい旋律の音楽。もうこの時点で本作の世界観に一気に引き込まれた。同じオーストラリア産の近未来SF映画ということで言えば、「マッドマックス」シリーズに似た世界観も連想してしまうが、こちらは随分と朴訥としたテイストが横溢する。砂埃にまみれた西部劇のようなノスタルジックな風情も感じられた。
物語はシンプルで、フェリックスとベティの兄妹の元に謎めいた青年スミスが転がり込んでくることで展開される。彼が来たことで、それまで平穏だった兄妹の日常が徐々に変化していく…という所がミソで、登場人物がほぼ3人というミニマルな設定も奏功し、彼らのパワーバランスがスリリングに見れて面白かった。
例えば、スミスは空を飛びたいというフェリックスのために人力飛行機を一緒に作ることにする。ところが、ベティは父の教えを守り、この土地に居座ることを頑なに守っていることから、それに猛烈に反対する。
放浪する男、この土地から出たい足の不自由な兄、この土地に引きこもる偏執狂な妹。その対立と融和には、夫々の切なる想いが想像され哀しみを覚えてしまった。
時代設定や夫々のバックボーンについては余り説明されておらず、観ている方が色々と想像しなければならない。そういう意味では、観客に不親切な作品なのかもしれない。しかし、その余白を読むのも映画の一つの楽しみ方だ。一から十まで全て説明されたら、それはそれで味気なくなるわけで、本作はそのあたりの情報の提示の仕方が非常に絶妙である。すべてを差し出さないことによって解釈の幅は広くなり、どこか寓話的なテイストも漂う。
製作、監督、脚本はこれが長編デビュー作となるアレックス・プロヤス。後に「ダークシティ」(1998米)や「クロウ/飛翔伝説」(1994米)等でスタイリッシュな世界観を見せつける鬼才であるが、その才覚はすでに今作からも伺える。カラーリングは全く異なるかもしれないが、唯一無二の超然とした世界観は他にはない魅力だろう。
また、インディペンデント作品だけあって演出もかなり攻めたものが多く見られる。特に、陶酔的で哀愁漂う映像と音楽の掛け合わせは抜群で、この独特な世界観にドップリと浸ることが出来た。
音響効果にもこだわりを感じる。車椅子の車輪の音、風車が回る音、金属がきしむ音がどこからともなく聞こえてきて、劇中では無音になるシーンが全くない。このノイジーな感覚は、兄妹の精神の不安定さを表しているのだろう。
スタッフやキャストは新人が多く、以後のフィルモグラフィーでもそれほどキャリアを積み重ねている人はいない。
ただ、ベティを演じた女優さんはかなりインパクトのある演技を披露しており、本作で最も印象に残った。シーンごとにメイクや衣装を変え、一つとして同じ表情を見せない役作りは見事と言うほかない。
「ひとよ」(2019日)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) タクシー会社を営む稲村家の母・こはるは、3人の子どもたちの幸せのために、家庭内で激しい暴力を繰り返す夫を殺害する。15年後、長男の大樹は地元の電気店の婿養子になり、次男・雄二は東京でうだつの上がらないフリーライターとして働き、長女・園子は美容師の夢を諦め地元の寂れたスナックで働いていた。そんな3人の前に、出所したこはるが突然姿を現わす。
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(レビュー) 凄惨な過去を引きずる一家の悲喜こもごもを描いた、同名の戯曲(未見)の映画化。監督は
「ロストパラダイス・イン・トーキョー」(2010日)、
「凶悪」(2013日)、
「孤狼の血」(2018日)、
「止められるか、俺たちを」(2018日)の白石和彌監督。
大変シビアな物語だが、3人の子供達が置かれている状況や、彼らのために夫を殺害した母の複雑な心情を考えると、切っても切れない血縁の呪縛、同じ家族の元に生まれた運命の皮肉というものを痛感させられる。
大樹と園子は、自分たちのために罪を背負った母・こはるに引け目を感じている。しかし、上京した雄二は、自分の人生を狂わせたという思いから母に煮え切らぬ感情を抱いている。そんな彼が”ある目的”を持って帰郷してくることから物語は動き出すのだが、その”目的”というのが本ドラマのミソである。3人の兄弟の対立、愛憎がスリリングに描かれていて面白く観ることが出来た。
ドラマ自体は大変ヘビーな内容であるが、時折ユーモアを入れてくるあたりが硬軟自在な白石演出という感じがした。
エロ本の万引きのクダリは本作で最も微笑ましく観れるエピソードで印象に残る。罪は繰り返されるというシニカルなユーモアだが、同時にそこには母子の愛がしみじみと語られ一定の情緒も感じられた。
タクシー会社社長のキャラクターもユーモラスに造形されており、周囲の神妙な面持ちの中にあって、唯一の明朗さを放っている。
そして、稲村家が経営するタクシー会社。この舞台設定が絶妙で、要所にエモーショナルな演出を発揮している。
例えば、大樹と妻が無線を通して口論する場面などは大変ユニークで、今までこういうやり方でタクシー無線を使った演出を自分は見たことがなかった。そういう意味で、新鮮に観れた。
また、クライマックスにはカーアクションも用意されていて、ドラマを上手く盛り上げていたように思う。
尚、本作には稲村家以外に、二つの家族のドラマがサブエピソードとして登場してくる。これもメインのドラマに巧みに相関されていたように思う。
一つは、タクシー会社に勤務する筒井真理子演じる女子事務員のエピソードである。認知症の母を抱えて働く中年女性というキャラクターである。これは、暴力夫に耐えながら子供たちの面倒を見ていた過去のこはるとよく似た境遇にある。二人を並べてみると、色々と興味深く考察できるかもしれない。
もう一つは、後半から大きくクローズアップされる佐々木蔵之介演じるタクシー運転手のエピソードである。離れて暮らす息子を心配する親心は、これまた、こはるとシンクロする役柄と言えよう。
こうした多層的な捉え方ができるのが本作の面白い所で、物語の構成自体はよく練られていると思った。
キャストでは、鈴木亮平が真面目で少し頼りのない長兄・大樹を演じている。これまではどちらかと言うと強直なイメージだったが、今回はそれとかけ離れた役所に挑戦しており新鮮に観れた。また、こはる演じた田中裕子は、もはや貫禄の演技と言って良いだろう。今回も見事な巧演を披露している。
一方、多少大仰な演技も目に付き、このあたりは邦画の悪い所が出てしまったかな…という印象を持った。特に、全員でハイテンションで喚き散らすクライマックスは、観てて引いてしまった。酒のボトルをガブ飲みして酔っぱらった佐々木蔵之介が、急にシラフに戻ってしまったのにも苦笑するしかなかった。このギャップをどう捉えたらいいのか…。シリアスな場面なので笑うわけにもいかず大変困ってしまった。
おそらくこうした違和感はちょっとした演出の抑制でかなり解消されるように思うのだが、どうもそのあたりのさじ加減が本作では余り上手くいってないように思った。
「あのこは貴族」(2020日)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 榛原華子は東京生まれの箱入り娘。20代後半になり恋人に振られたことで焦り始め、婚活に奔走する。そして、ついに良家の生まれである弁護士の青木幸一郎と出会い婚約する。一方、地方から名門大学に進学した時岡美紀は、学費が続かず中退しOLとして働きながら今も東京でがんばっていた。そんな二人がひょんなことから知り合い…。
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(レビュー) 東京と地方出身の同世代の女性の生き方を繊細なタッチで描いた作品。
華子と美紀の関係を時世を交錯させながら紐解いていく構成が中々良く出来ている。彼女たちが仕事や恋、女性としての幸せを追い求めながら葛藤する姿を丁寧に描いており、最後まで面白く観ることが出来た。
但し、都会と地方の格差描写が紋切的過ぎるきらいがあり、若干リアリティに欠くドラマだと思った。
例えば、冒頭の会食のシーンからして会話が漫画的で違和感を覚えた。
華子が婚活で出会う男たちも、絵に描いたようなオタクだったり、ダメ男だったり、現実にこんなに分かりやすいキャラクターはそうそういないだろう…と苦笑せずにいられなかった。
本作には原作がある(未読)。小説すばるで連載されていた小説ということだが、果たして対象年齢はどのあたりを設定しているのだろうか?アダルト層というよりも、本作の華子たちと同じ20代を想定しているのだとしたら、それも止む無し。
もっとも、全編通して、こうした”軽さ”が作品の観やすさに繋がっていることは確かだと思う。結婚できない、仕事が上手くいかないといった悩みをストレスフルに見せることで、作品に対する敷居は随分と低く設定されている。そういう意味では、多くの観客に受け入れやすい作品なのではないだろうか。
また、所々にハッとさせるようなセリフが出てきて、そこは素直に魅力を覚えた。
「女は場を和ませるサーキュレーターじゃない」
「私たちって東京の養分だね」
誰もが心の底に思っていることを、アイロニカルなセンテンスで包み込んで表したあたりが秀逸である。
また、美紀と里英は地方から出てきた者同士、固い友情で結ばれているのだが、彼女たちの会話もユーモアに溢れていて面白かった。例えば、喫茶店で脱毛をネタに談笑するシーンは実に新鮮だ。男子高校生であれば当たり前すぎて面白くないが、それを30代の女性二人が話すというのが良い。
物語は後半から徐々にシリアスモードに入っていく。ただ、最終的には前向きなメッセージが投げかけられており鑑賞感は清々しい。結婚や仕事ばかりが人生ではない。30代になった彼女たちが今後どんな未来を切り開いていくのか?その可能性を示した終わり方は優しさに満ちている。