「音楽」(2019日)
ジャンルアニメ・ジャンル音楽・ジャンル青春ドラマ
(あらすじ) 悪名高い不良高校生研二は、不良仲間である太田・朝倉と共に目的もない日々を送っていた。ある日、ひったくり犯を追いかけるバンドマンから預かったベースを勝手に持ち帰った事がきっかけで、太田と朝倉とバンドを始めることにするのだが…。
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(レビュー) 不良高校生のバンド活動をユーモラスに描いた音楽青春映画。伝説的なカルトマンガ「音楽と漫画」(未読)のアニメ化である。
原作は未読だが、昨今の描き込まれた美麗なマンガと比べると驚くほど淡泊な絵柄でクセも強い。今回のアニメもそのあたりを踏襲している。
ただ、クライマックスのライブシーンになると、それまでの淡泊さが一変し徐々に熱気を帯び始め、実に興奮させられた。このライブシーンは実際に映画のために撮影が敢行され、それをロトスコープで再現したということである。その甲斐あって臨場感溢れるシーンとなっている。アニメで音楽の演奏シーンを再現するのは、音と動きをシンクロさせる難しさもあり、かなりハードルが高い。しかし、それが見事に再現出来ていて感心させられた。おそらくこのライブシーンだけで相当の時間と労力がかかったと思われる。
監督、脚本、作画、美術、編集を務めたのはアニメーション作家、岩井澤健治。本作を観るまで彼のことをまったく知らなかったが、元々は石井輝男監督の下で録音技師等の仕事をしていたそうである。石井監督が急逝した後は本格的にアニメーションの世界に入り、これまでに短編アニメを数本製作している。それらはyoutubeでも観れるので、興味のある方は観てみるといいだろう。独特の世界観が構築されていて、その素養は今作にも受け継がれているように思った。
そして、特筆すべきは、本作も含めすべての作品が自主制作という点である。今回は約4万枚という膨大な作画枚数を少人数のスタッフで約7年もの歳月をかけて描き上げたということである。正にこれは一個人から始まった壮大なプロジェクトと言える。これほどの熱意をもって作品を創り上げる作家が、この日本にどれほどいるだろうか?世界を見渡してもそういない。
「君の名は。」(2016日)や
「天気の子」(2019日)の新海誠監督もかつて「ほしのこえ」(2002日)をほぼ一人で作り上げ、それをきっかけに本格的に世に知れ渡ることになった。世の中には、そうした情熱を持った人がいるのである。インディペンデントから現れる新たな才能。それをこの「音楽」からも感じられた。
物語は予定調和な感じも受けたが、シンプルにまとめられている。クライマックスへの一点集中な作りが潔い。約70分の中編ということを考えれば、欲張ってあれこれ詰め込むより、このくらいに収めるのが丁度いいだろう。研二たちの音楽にかける情熱にスポットを当てたことでテーマはより際立つことになった。
そんな中、研二たちのバンド”古武術”の盟友となるバンド”古美術”のリーダー森田の活躍は目覚ましいものがあった。サブキャラでありながらその存在感は圧倒的で、彼の意外な活躍なくしてこのクライマックスの盛り上がりはなかっただろう。自分は完全に裏をかかれてしまった。
オフビートな演出も作品に独特の空気感を与えていて面白かった。基本的に研二はほとんど表情を変えない仏頂面キャラクターである。しかも劇中で太田が語っているように、かなりの気分屋で、バンド活動も特に理由があって始めたわけではない。要するに行動が読めないキャラなのである。それがこのキャラクターの魅力の一つとなっているのだが、そんな彼と周囲のギクシャクしたやり取りが一々クスリとさせて可笑しかった。特に、研二のクラスメイトであるヒロイン亜矢との交流は微笑ましく観れた。
キャストはメイン所を含め、いわゆるプロの声優を起用していない。研二役はロックバンド、ゆらゆら帝国の元ボーカルということである。他のキャストも俳優で固められている。元々セリフが少ないうえにオフビートな作風なせいもあり、それほど違和感なく聴けた。
「犬王」(2021日)
ジャンルアニメ・ジャンル音楽・ジャンル青春ドラマ
(あらすじ) 室町時代、壇ノ浦の漁村に生まれた友魚は、謎の男たちの依頼で海に沈んだ神器を見つけ出す。ところが、その際に父を失い自らも失明してしまった。謎の男たちを探し出す旅に出た友魚は、その先で琵琶法師になる。そして、猿楽の一座である比叡座に生まれた犬王という謎の少年に出会う。
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(レビュー) 室町時代に実在した謎多き能楽師“犬王”と盲目の琵琶法師・友魚がコンビを組んで音楽と舞で人々を熱狂させていくアニメーション作品。
この頃の能楽師と言うと観阿弥、世阿弥が有名だが、この犬王に関しては資料がほとんど残っていないらしい。そこは想像を交えながら創り上げていったということだ。
原作は「平家物語」の現代語全訳を手がけた古川日出男による小説「平家物語 犬王の巻」(未読)。それを
「夜は短し歩けよ乙女」(2017日)、
「夜明け告げるルーのうた」(2017日)、
「きみと、波にのれたら」(2019日)の湯浅政明が監督した作品である。
湯浅監督と言えば、独特の世界観を持った鬼才で、今回もその資質は画面全体から感じられた。デフォルメされた表現、ダイナミックな演出、ヴィヴィッドな色彩感覚。物語自体のテイストは夫々違うが、どの作品を観ても湯浅作品だと一目で分かる。
尚、本作を製作したスタジオ、サイエンスSARUは湯浅監督が創業した会社である。同社は同じ古川原作の「平家物語」のテレビアニメ版も製作しており、昨年FODで先行配信され、今年の初頭からテレビ放映された。自分はそちらのテレビシリーズも観ていた。物語の時代設定は異なるものの、両作品が同一の世界観にあることが良く分かる。本作単体でも十分に楽しめるが、観ておくとより深くこの世界観を楽しむことが出来るのではないだろうか。
見所は何と言っても、犬王と友魚が奏でる歌とダンスのシーンである。もはやロックコンサートと言わんばかりの盛り上がり方で、その熱気は時代劇であることを忘れさせるほどだ。アニメーションでしか表現しえない斬新なステージパフォーマンスは、単純に観ていて気持ちがいい。エレキギターの音がするのはおかしい、他の楽器メンバーはどこから集まったのか、大掛かりなステージ照明はどうやって調達しているのか。そうした突っ込みは、ここまで振り切った演出を見せつけられると、もはや野暮に思えてしまう。それくらいこのライブシーンは面白く観れた。
ただし、演奏される音楽のバリエーションについてはもう少し増やして欲しいと思った。最初の数分は確かに圧倒されるのだが、延々と同じリズムと音階で歌われてしまうと途中で飽きてしまう。
湯浅監督は過去にもミュージカル的な演出を自作の中で度々取り入れてきた。おそらく、こういうのが相当好きなのだろう。しかし、今回は1シーンだけ実験的にやるわけではない。尺から言えば全体のおよそ1/4ほどが歌とダンスのシーンだ。それだけ長時間の”間”を持たせるためには、やはり音楽自体にもう少し変化が欲しい。
物語は中々面白く追いかけていくことが出来た。異形の犬王にかけられた呪い、友魚の運命を紐解いていくシンプルな構成は大変観やすい。彼らの音楽が朝廷の怒りを買うというのも、ある種本作をロック映画と捉えれば実に分かりやすい構図である。
アメリカン・ニュー・シネマよろしく凄惨な結末が待ち受けているが、ラストでその悲劇を少しだけ和らげてくれるのもロマンチズムの境地という感じがしてよかった。犬王と友魚の友情を永遠のものとすることで、まるでお伽噺のような不滅性が感じられた。
作画は所々に実験的な手法を取り入れながら、湯浅監督らしいデフォルメされた世界観を魅力的に構築している。特に、中盤のくじらの歌のシーンは圧巻の作画である。
惜しむらくは、クライマックスのライブシーンはもう少し爆発力が欲しかったか…。湯浅作品のクライマックスはダイナミックな祝祭感で盛り上げるられることが多いが、今回は過去作と比べると幾分大人しく感じられてしまった。むしろ中盤のクジラの歌のシーンの方が熱度が高いくらいで、ここから更に吹っ切れた音と映像のコンビネーションを見せて欲しかった。
キャストに関しては素晴らしいと思った。犬王を演じたのはロックバンド女王蜂のヴォーカル、アヴちゃん。本業が歌手なのでその実力は存分に発揮されていたと思う。友魚を演じた森山未來の表現力豊かな歌唱も良かった。
「アネット」(2021仏独ベルギー)
ジャンル音楽・ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 挑発的なスタイルのスタンダップ・コメディアン、ヘンリーは、国際的な人気オペラ歌手アンと情熱的な恋に落ち結婚した。しかし、2人の間に娘アネットが誕生すると結婚生活は徐々に狂い始めていく。
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(レビュー) フランスの鬼才レオス・カラックスの
「ホーリー・モータズ」(2012仏)以来、約9年ぶりとなる新作。アメリカの兄弟バンド、スパークスの原案を華麗な映像と寓話的なタッチで描いたロックオペラ・ミュージカルである。
カラックスがミュージカルを撮るというと少し意外な感じがするが、「ホーリー・モーターズ」ではカイリー・ミノーグを迎えて短いミュージカル・シーンを撮っていたし、「汚れた血」(1986仏)ではデヴィッド・ボウイの「モダン・ラヴ」をバックに多分にミュージカル映画的な疾走シーンを描出していた。そこから考えると、今回のミュージカル映画は決して意外ではない気がする。
ただ、期待が大きかったのだろう。結論から言うと、今回の映画は余り満足のいくものではなかった。ミュージカルならではのカタルシスがあまりなく、これならば普通にドラマとして撮った方が見応えのあるものになったのではないか…という気がしてしまった。
現実から虚構への鮮やかな導入部は確かに素晴らしいものがあった。アンの公演からバイクのタンデムに繋がるシークエンスにも興奮させられた。しかし、以降はこれらを超えるミュージカルならではのカタルシスが感じられなかった。映画のポスターにもなっている嵐のヨットのシーンも、寓話性を強調した実験志向の強い演出で面白かったが、どうせやるのであれば更なるダイナミズムを追求してほしかった。
カラックスの作家的資質を考えれば、ミュージカル映画は合っているような気がするのだが、現実にはそうとも言えないようだ。確かに他とは一味違った独特の作品になっているが、過去の傑作と呼ばれるミュージカル映画を観ている自分からすると、どうにも中途半端に感じられてしまう。
音楽を担当したスパークスの楽曲が余り耳に入ってこないというのも残念である。長い間カルト的な支持を得ているバンドであることは承知している。近年の彼らのサウンドはポップスの中にバロック風味が加味されることで一種独特な世界観が構築されている。その独特のサウンドが映像に合わさることで相乗効果的に盛り上がればいいのだが、残念ながらそこまでの高揚感は得られなかった。
このようにミュージカル映画として見た場合、色々と物足りなさを感じてしまう作品だった。
ただ、随所に毒気とユーモア、皮肉が込められており、カラックスにしか撮れない作品になっていることは確かである。その意味ではまずまず楽しめた。
例えば、アネットを人形にしたギミックは面白い。彼女の存在はビジュアル的にもドラマ的にも大変ミステリアスで、そこに込められた意味については深く考察できる。自分が想像するに、それはアネットの神童性、更に言えばヘンリーとアンにとっての実在感の薄さ、不完全な親愛を表現しているのだと思う。ラストの人形の変容に鳥肌が立ってしまった。
また、凋落していくヘンリーと成功を収めていくアンの対比にはショウビズ界の残酷性が感じられた。この図式自体、決して目新しいものではないが手堅く描かれている。
アンの辿る顛末にもドラマチックさが感じられた。すでに舞台上でそのことが示唆されていたことに気付かされ運命の皮肉を感じずにいられない。
キャスト陣では、ヘンリーを演じたアダム・ドライヴァーの力演が印象に残った。挑発的なスタイルのスタンダップ・コメディアンということで、何かと聴衆の攻撃に晒されやすいのだが、表舞台での笑いと裏での苦悩。その狭間で疲弊していく姿に引き込まれた。
とりわけその巧演振りが光っていたのは中盤。ステージ上でアンをくすぐり殺したと息巻いて観客から非難の嵐を受けるシーンである。ここで彼は独壇場の一人芝居を見せており、改めてその芸達者ぶりに感服してしまった。
「ボーイフレンド」(1971英)
ジャンル音楽・ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 1920年代のイギリスの場末の劇場。雑用ばかりさせられている引っ込み思案なポリーは、主演女優が怪我をして公演に出られないため代役で出演することになる。戸惑いながらもステージに立つポリーだったが、そこにはハリウッドの一流監督が見学に来ていて…。
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(レビュー) バックステージの雑用係の女性が夢と希望を求めて奮闘する姿を軽快な音楽とダンスで綴ったミュージカル映画。
監督、脚本は鬼才ケン・ラッセル。キッチュなアールデコ調のメイクと衣装、絢爛豪華な舞台美術等。独特な見世物小屋観が浩々と画面に展開されており、まさしくケン・ラッセルにしか作りだせないミュージカル劇になっている。
ただ、巨大なレコード盤のセット上の群舞など、華やかりしMGM的ミュージカルを意識したような演出も散見される。本来のケン・ラッセルらしい毒々しさはかなり薄みで、そういう意味では他の作品に比べると随分と取っつきやすくなっている。
一方、物語自体はステージ上の演目と舞台裏を交互に描くリアルタイムドラマで、存外シンプルである。女優志望のポリーの奮闘を、周囲の人間模様を絡めながら描くというバックステージの物語は適度にユーモアを交えながら肩の力を抜いて観ることができた。
しかし、見所はやはりステージ上でのパフォーマンスとなろう。
メイン所のキャストはイギリスの舞台で活躍している俳優も含まれているそうなので、歌もダンスも見応えとしては十分である。特に、背の高いタップダンサーのパフォーマンスが印象に残った。
ポリー役はモデル出身のツィッギー。本作が映画初主演ということで、どうなるかと思ったが中々どうして、健闘している。さすがに周囲の舞台俳優陣と比較してしまうと厳しいものがあるが、逆に新人女優らしい初々しさがあって良かったと思う。
ただ、60年代後半の彼女のスチールなどを見ると、本作よりもずっと若々しく魅力的に撮られている。時代の流れもあるので仕方ないかもしれないが、それらと比べると本作の彼女は少し老けてるように見えた。本来の魅力を引き出せなかったことは少し悔やまれる。
尚、本作は劇場公開時は110分だったが、その後135分の完全版がリリースされた。今回は完全版での鑑賞である。
「アメリカン・ユートピア」(2020米)
ジャンル音楽・ジャンルドキュメンタリー
(あらすじ) デヴィッド・バーンのブロードウェイのショー『アメリカン・ユートピア』を収めたライブ映画。
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(レビュー) デヴィッド・バーンについてそれほど詳しく知っているわけではないが、彼が在籍していたバンド、トーキング・ヘッズのライブ映画「ストップ・メイキング・センス」(1984米)は観たことがある。その時の彼はまだ30代前半で、独特のダンスを踊りながら軽快な歌声を披露していた。それから40年近く経ち、60代になった彼は今でも精力的にソロ活動を行っている。そんな彼が2018年に発表したアルバムが「アメリカン・ユートピア」である。本作は、それを元にしたブロードウェイのショーである。
純粋にライブ・パフォーマンスのみに迫った構成で、小細工を一切排したことでパフォーマンスの熱量がダイレクトに伝わってきた。正統派なライブ映画という感じである。
監督は
「ブラック・クランズマン」(2018米)、
「ジャングル・フィーバー」(1991米)等のスパイク・リー。主に社会派的な作品を撮る黒人監督だが、そんな彼が白人であるデヴィッド・バーンと組んで本作を製作したことは意外である。
ただ、実際に映画を観てみると、なるほどと思えるところはある。実はスパイク・リーが好みそうなメッセージがあちこちから見て取れるのだ。
例えば、ステージ終盤でジャネール・モネイの「Hell You Talmbout」が歌われるが、この曲ではこれまで警官に殺害された黒人たちの名前が連呼される。スパイク・リーはこれをプロテストソングと言っており、おそらくこの辺りに強く惹かれるものがあったのかもしれない。
圧倒的なパフォーマンス、それ自体は実に楽しく観れるのだが、終盤に行くにつれてこうしたメッセージ性が浮かび上がってくるあたりは実にしたたかである。デヴィッド・バーン自身も本作をただのエンタメとして上演しているわけではないとハッキリと証言している。
もちろんエンタメとしても十分に完成された作品になっているので、デヴィッド・バーンのファンならずとも楽しめるだろう。生のブロードウェイの迫力には及ばないかもしれないが、それに近い体験はできるのではないかと思う。
本作は新型コロナが猛威を振る以前に撮影された作品である。したがって、マスクをしていない観客が楽しそうに歌って踊る様子が映し出されている。本来のライブとはこうあるべきなのだが、残念ながら今もってコロナは収束する気配はない。こうした日常が早く戻ってきて欲しいものである。