「カンニバル!THE MUSICAL」(1993米)
ジャンルコメディ・ジャンル音楽
(あらすじ) 19世紀後半のアメリカ西部。ゴールドラッシュに沸くコロラドを目指して旅をするパッカーとその一行は、無謀にも真冬のロッキー越えを計画する。ところが、その道中でパッカーが盗賊一味に愛馬を盗まれてしまう。それを取り戻そうと追跡を開始するが、冬山の厳しさは想像を絶するもので…。
ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 「サウスパーク」で有名なトレイ・パーカーが学生時代に撮った実写ミュージカル映画。オープニングにB級ゲテモノ映画専門のトロマ社の名前がクレジットされており、いわゆるその筋の人に受けそうな内容である。
尚、今作は実話を元にしているということである。wikiを読む限り、カニバル(人食)というセンセーショナルさもあり凄惨な事件として知られているようだ。しかし、そうは言っても本作はミュージカルな上にブラック・ジョークがふんだんに飛び出てくるので、実際の事件とはかけ離れた内容となっている。
物語は殺人罪で逮捕されたパッカーの回想で展開されていく。実話が元になっているという前振りはあるが、一体どこまで信用していいのか分からないホラ話のようなテイストが面白い。
まず、冒頭で「残酷な描写をカットしてます」というテロップが出てくるが、その直後にいきなりゴアシーンが炸裂するという不意打ちである。
しかも、パッカーの愛馬に対する執着心がほとんど異常で、まるで恋人の尻を追いかける未練タラタラ男のようで笑える。
更に、旅の途中で出会うインディアンは日本語を喋る東洋人で、空手の修業をしたり日本刀を振り回すという考証無視のデタラメさ。
揚げ句に、死刑執行当日を描くクライマックスの投げ槍とも思える”いい加減”な収集の仕方など、どこからどう見ても実際の凄惨な事件の再現性など鼻からする気など無い徹底したエンタメ趣向な作りになっている。
肝心のミュージカルシーンもチープではあるが、音楽が中々に良く耳に心地よく入って来た。雪だるまの歌とパッカーの愛馬に捧ぐ歌がバカバカしく笑えた。
また、個人的に最も傑作だったのは、パッカーが歌おうとすると死んだと思っていた仲間が何度も蘇ってそれを邪魔をするシーンである。ほとんどドリフのようなノリだが爆笑してしまった。
このようにカニバルという際どいネタを、あっけらかんとした笑いと音楽、下ネタやブラックジョークで包み込んでおり、改めてトレイ・パーカーが只者ではないということが良く分かる作品である。
「デビルズ・メタル」(2015ニュージーランド)
ジャンルホラー・ジャンルコメディ・ジャンル音楽
(あらすじ) 実家を離れて叔父の家に引っ越したブロディは陰キャでメタル好きなせいで、学校ではいじめられ、目当ての女子生徒にも見向きもされなかった。ある日、レコード店でメタル好きのザックと出会い、虐められっ子たちとバンドを結成する。そして、ザックの提案でメタルの大御所リッキーが住む家に忍び込むのだが、そこには悪魔の楽譜があった。
ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) メタルサウンドに乗って悪魔に取りつかれた人間をバッタバッタと倒していくコメディ・ホラー。
監督、脚本が「ガンズ・アキンポ」(2019英独ニュージーランド)のジェイソン・レイ・ハウデンということで鑑賞した。
低予算のインディペンデント映画の割には、勢いのあるゴアシーンや、下ネタ満載なブラック・ジョークなど上々の出来栄えで結構楽しめる。特に、大人の玩具を武器にして戦うアイディアは秀逸で、こういうきわどいネタはインディペンデントならではだろう。
ただ、シナリオはかなり日和見で決して出来が良いとは言えない。
まず、個性的なバンドメンバーのキャラを今一つ活かしきれておらず、実に勿体ない扱われ方をしている。そもそもキーマンであるザックの立ち回りがドラマを掻き回しているようで、実は大して面白みが感じられないというのが致命的である。本来であれば、ブロディとの間に育まれる友情をもっとフィーチャーすべきであろう。そうすればもっとドラマは盛り上がっただろうが、そこを曖昧にしたまま進行してしまったのが惜しまれる。
悪魔が宿った楽譜というアイディア自体も決して悪くはないのだが、それを巡って繰り広げられるサスペンスが中途半端で盛り上がらないのも残念だ。楽譜を狙う適役が登場するのだが、結局これが後半のパニックシーンで埋もれてしまうという勿体なさ。
ヒロインがブロディに惹かれる理由も説得力に欠けるし、エンドロール後のオマケも理解不能。
正直、話はどうでもよく、ゴア描写と下ネタと勢いだけで突っ走っていったという感じの作品である。
個人的には、ブロディがヒロインとベンチに座って一緒にアイスを食べるシーンが今作一番の笑いのポイントだった。何とも言えないとぼけた笑いを誘う。
尚、先頃続編の製作が決定したということである。スタッフ、キャストは同じということなのでテイストは一緒になると思うが、勢いや表現がマイルドにならなければいいのだが。
「音楽」(2019日)
ジャンルアニメ・ジャンル音楽・ジャンル青春ドラマ
(あらすじ) 悪名高い不良高校生研二は、不良仲間である太田・朝倉と共に目的もない日々を送っていた。ある日、ひったくり犯を追いかけるバンドマンから預かったベースを勝手に持ち帰った事がきっかけで、太田と朝倉とバンドを始めることにするのだが…。
ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 不良高校生のバンド活動をユーモラスに描いた音楽青春映画。伝説的なカルトマンガ「音楽と漫画」(未読)のアニメ化である。
原作は未読だが、昨今の描き込まれた美麗なマンガと比べると驚くほど淡泊な絵柄でクセも強い。今回のアニメもそのあたりを踏襲している。
ただ、クライマックスのライブシーンになると、それまでの淡泊さが一変し徐々に熱気を帯び始め、実に興奮させられた。このライブシーンは実際に映画のために撮影が敢行され、それをロトスコープで再現したということである。その甲斐あって臨場感溢れるシーンとなっている。アニメで音楽の演奏シーンを再現するのは、音と動きをシンクロさせる難しさもあり、かなりハードルが高い。しかし、それが見事に再現出来ていて感心させられた。おそらくこのライブシーンだけで相当の時間と労力がかかったと思われる。
監督、脚本、作画、美術、編集を務めたのはアニメーション作家、岩井澤健治。本作を観るまで彼のことをまったく知らなかったが、元々は石井輝男監督の下で録音技師等の仕事をしていたそうである。石井監督が急逝した後は本格的にアニメーションの世界に入り、これまでに短編アニメを数本製作している。それらはyoutubeでも観れるので、興味のある方は観てみるといいだろう。独特の世界観が構築されていて、その素養は今作にも受け継がれているように思った。
そして、特筆すべきは、本作も含めすべての作品が自主制作という点である。今回は約4万枚という膨大な作画枚数を少人数のスタッフで約7年もの歳月をかけて描き上げたということである。正にこれは一個人から始まった壮大なプロジェクトと言える。これほどの熱意をもって作品を創り上げる作家が、この日本にどれほどいるだろうか?世界を見渡してもそういない。
「君の名は。」(2016日)や
「天気の子」(2019日)の新海誠監督もかつて「ほしのこえ」(2002日)をほぼ一人で作り上げ、それをきっかけに本格的に世に知れ渡ることになった。世の中には、そうした情熱を持った人がいるのである。インディペンデントから現れる新たな才能。それをこの「音楽」からも感じられた。
物語は予定調和な感じも受けたが、シンプルにまとめられている。クライマックスへの一点集中な作りが潔い。約70分の中編ということを考えれば、欲張ってあれこれ詰め込むより、このくらいに収めるのが丁度いいだろう。研二たちの音楽にかける情熱にスポットを当てたことでテーマはより際立つことになった。
そんな中、研二たちのバンド”古武術”の盟友となるバンド”古美術”のリーダー森田の活躍は目覚ましいものがあった。サブキャラでありながらその存在感は圧倒的で、彼の意外な活躍なくしてこのクライマックスの盛り上がりはなかっただろう。自分は完全に裏をかかれてしまった。
オフビートな演出も作品に独特の空気感を与えていて面白かった。基本的に研二はほとんど表情を変えない仏頂面キャラクターである。しかも劇中で太田が語っているように、かなりの気分屋で、バンド活動も特に理由があって始めたわけではない。要するに行動が読めないキャラなのである。それがこのキャラクターの魅力の一つとなっているのだが、そんな彼と周囲のギクシャクしたやり取りが一々クスリとさせて可笑しかった。特に、研二のクラスメイトであるヒロイン亜矢との交流は微笑ましく観れた。
キャストはメイン所を含め、いわゆるプロの声優を起用していない。研二役はロックバンド、ゆらゆら帝国の元ボーカルということである。他のキャストも俳優で固められている。元々セリフが少ないうえにオフビートな作風なせいもあり、それほど違和感なく聴けた。
「犬王」(2021日)
ジャンルアニメ・ジャンル音楽・ジャンル青春ドラマ
(あらすじ) 室町時代、壇ノ浦の漁村に生まれた友魚は、謎の男たちの依頼で海に沈んだ神器を見つけ出す。ところが、その際に父を失い自らも失明してしまった。謎の男たちを探し出す旅に出た友魚は、その先で琵琶法師になる。そして、猿楽の一座である比叡座に生まれた犬王という謎の少年に出会う。
ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 室町時代に実在した謎多き能楽師“犬王”と盲目の琵琶法師・友魚がコンビを組んで音楽と舞で人々を熱狂させていくアニメーション作品。
この頃の能楽師と言うと観阿弥、世阿弥が有名だが、この犬王に関しては資料がほとんど残っていないらしい。そこは想像を交えながら創り上げていったということだ。
原作は「平家物語」の現代語全訳を手がけた古川日出男による小説「平家物語 犬王の巻」(未読)。それを
「夜は短し歩けよ乙女」(2017日)、
「夜明け告げるルーのうた」(2017日)、
「きみと、波にのれたら」(2019日)の湯浅政明が監督した作品である。
湯浅監督と言えば、独特の世界観を持った鬼才で、今回もその資質は画面全体から感じられた。デフォルメされた表現、ダイナミックな演出、ヴィヴィッドな色彩感覚。物語自体のテイストは夫々違うが、どの作品を観ても湯浅作品だと一目で分かる。
尚、本作を製作したスタジオ、サイエンスSARUは湯浅監督が創業した会社である。同社は同じ古川原作の「平家物語」のテレビアニメ版も製作しており、昨年FODで先行配信され、今年の初頭からテレビ放映された。自分はそちらのテレビシリーズも観ていた。物語の時代設定は異なるものの、両作品が同一の世界観にあることが良く分かる。本作単体でも十分に楽しめるが、観ておくとより深くこの世界観を楽しむことが出来るのではないだろうか。
見所は何と言っても、犬王と友魚が奏でる歌とダンスのシーンである。もはやロックコンサートと言わんばかりの盛り上がり方で、その熱気は時代劇であることを忘れさせるほどだ。アニメーションでしか表現しえない斬新なステージパフォーマンスは、単純に観ていて気持ちがいい。エレキギターの音がするのはおかしい、他の楽器メンバーはどこから集まったのか、大掛かりなステージ照明はどうやって調達しているのか。そうした突っ込みは、ここまで振り切った演出を見せつけられると、もはや野暮に思えてしまう。それくらいこのライブシーンは面白く観れた。
ただし、演奏される音楽のバリエーションについてはもう少し増やして欲しいと思った。最初の数分は確かに圧倒されるのだが、延々と同じリズムと音階で歌われてしまうと途中で飽きてしまう。
湯浅監督は過去にもミュージカル的な演出を自作の中で度々取り入れてきた。おそらく、こういうのが相当好きなのだろう。しかし、今回は1シーンだけ実験的にやるわけではない。尺から言えば全体のおよそ1/4ほどが歌とダンスのシーンだ。それだけ長時間の”間”を持たせるためには、やはり音楽自体にもう少し変化が欲しい。
物語は中々面白く追いかけていくことが出来た。異形の犬王にかけられた呪い、友魚の運命を紐解いていくシンプルな構成は大変観やすい。彼らの音楽が朝廷の怒りを買うというのも、ある種本作をロック映画と捉えれば実に分かりやすい構図である。
アメリカン・ニュー・シネマよろしく凄惨な結末が待ち受けているが、ラストでその悲劇を少しだけ和らげてくれるのもロマンチズムの境地という感じがしてよかった。犬王と友魚の友情を永遠のものとすることで、まるでお伽噺のような不滅性が感じられた。
作画は所々に実験的な手法を取り入れながら、湯浅監督らしいデフォルメされた世界観を魅力的に構築している。特に、中盤のくじらの歌のシーンは圧巻の作画である。
惜しむらくは、クライマックスのライブシーンはもう少し爆発力が欲しかったか…。湯浅作品のクライマックスはダイナミックな祝祭感で盛り上げるられることが多いが、今回は過去作と比べると幾分大人しく感じられてしまった。むしろ中盤のクジラの歌のシーンの方が熱度が高いくらいで、ここから更に吹っ切れた音と映像のコンビネーションを見せて欲しかった。
キャストに関しては素晴らしいと思った。犬王を演じたのはロックバンド女王蜂のヴォーカル、アヴちゃん。本業が歌手なのでその実力は存分に発揮されていたと思う。友魚を演じた森山未來の表現力豊かな歌唱も良かった。
「アネット」(2021仏独ベルギー)
ジャンル音楽・ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 挑発的なスタイルのスタンダップ・コメディアン、ヘンリーは、国際的な人気オペラ歌手アンと情熱的な恋に落ち結婚した。しかし、2人の間に娘アネットが誕生すると結婚生活は徐々に狂い始めていく。
ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) フランスの鬼才レオス・カラックスの
「ホーリー・モータズ」(2012仏)以来、約9年ぶりとなる新作。アメリカの兄弟バンド、スパークスの原案を華麗な映像と寓話的なタッチで描いたロックオペラ・ミュージカルである。
カラックスがミュージカルを撮るというと少し意外な感じがするが、「ホーリー・モーターズ」ではカイリー・ミノーグを迎えて短いミュージカル・シーンを撮っていたし、「汚れた血」(1986仏)ではデヴィッド・ボウイの「モダン・ラヴ」をバックに多分にミュージカル映画的な疾走シーンを描出していた。そこから考えると、今回のミュージカル映画は決して意外ではない気がする。
ただ、期待が大きかったのだろう。結論から言うと、今回の映画は余り満足のいくものではなかった。ミュージカルならではのカタルシスがあまりなく、これならば普通にドラマとして撮った方が見応えのあるものになったのではないか…という気がしてしまった。
現実から虚構への鮮やかな導入部は確かに素晴らしいものがあった。アンの公演からバイクのタンデムに繋がるシークエンスにも興奮させられた。しかし、以降はこれらを超えるミュージカルならではのカタルシスが感じられなかった。映画のポスターにもなっている嵐のヨットのシーンも、寓話性を強調した実験志向の強い演出で面白かったが、どうせやるのであれば更なるダイナミズムを追求してほしかった。
カラックスの作家的資質を考えれば、ミュージカル映画は合っているような気がするのだが、現実にはそうとも言えないようだ。確かに他とは一味違った独特の作品になっているが、過去の傑作と呼ばれるミュージカル映画を観ている自分からすると、どうにも中途半端に感じられてしまう。
音楽を担当したスパークスの楽曲が余り耳に入ってこないというのも残念である。長い間カルト的な支持を得ているバンドであることは承知している。近年の彼らのサウンドはポップスの中にバロック風味が加味されることで一種独特な世界観が構築されている。その独特のサウンドが映像に合わさることで相乗効果的に盛り上がればいいのだが、残念ながらそこまでの高揚感は得られなかった。
このようにミュージカル映画として見た場合、色々と物足りなさを感じてしまう作品だった。
ただ、随所に毒気とユーモア、皮肉が込められており、カラックスにしか撮れない作品になっていることは確かである。その意味ではまずまず楽しめた。
例えば、アネットを人形にしたギミックは面白い。彼女の存在はビジュアル的にもドラマ的にも大変ミステリアスで、そこに込められた意味については深く考察できる。自分が想像するに、それはアネットの神童性、更に言えばヘンリーとアンにとっての実在感の薄さ、不完全な親愛を表現しているのだと思う。ラストの人形の変容に鳥肌が立ってしまった。
また、凋落していくヘンリーと成功を収めていくアンの対比にはショウビズ界の残酷性が感じられた。この図式自体、決して目新しいものではないが手堅く描かれている。
アンの辿る顛末にもドラマチックさが感じられた。すでに舞台上でそのことが示唆されていたことに気付かされ運命の皮肉を感じずにいられない。
キャスト陣では、ヘンリーを演じたアダム・ドライヴァーの力演が印象に残った。挑発的なスタイルのスタンダップ・コメディアンということで、何かと聴衆の攻撃に晒されやすいのだが、表舞台での笑いと裏での苦悩。その狭間で疲弊していく姿に引き込まれた。
とりわけその巧演振りが光っていたのは中盤。ステージ上でアンをくすぐり殺したと息巻いて観客から非難の嵐を受けるシーンである。ここで彼は独壇場の一人芝居を見せており、改めてその芸達者ぶりに感服してしまった。