「フェイブルマンズ」(2022米)
ジャンル青春ドラマ
(あらすじ) 1952年、サミー・フェイブルマン少年は、優しい両親と二人の妹たちと幸せな暮らしを送っていた。ある日、両親に連れられて観に行った「地上最大のショウ」の列車脱線シーンに衝撃を受ける。興奮冷めやらぬまま彼は列車の模型を使ってそのシーンを再現するのだった。そんなサミーに母親は8mmカメラを買い与える。彼はそれを使って映画の撮影にのめり込んでいくようになる。
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(レビュー) スティーブン・スピルバーグ監督が自らの少年時代を反映して撮り上げた青春映画。
幼い頃の映画との出会い、夢中で撮った8ミリ映画、両親との関係、学園生活や初恋、映画人との出会いなどが、150分という時間の中にみっちりと詰め込まれており大変見応えのある作品になっている。一人の少年の夢への希望、葛藤と成長を過不足なく描き切った手腕は見事で、改めてスピルバーグの無駄のない語り口には脱帽してしまう。唯一、母親が別居を切り出すシーンに編集の唐突さを覚えたが、そこ以外は自然に観ることが出来た。
また、あれだけの巨匠であるのだから、やろうと思えばいくらでもマニアックに自分語りができるはずであるが、そうしなかった所にスピルバーグの冷静さを感じる。確かに彼の”私的ドラマ”であることは間違いないのだが、同時に夢を追い求める若者についてのドラマとして誰が観ても楽しめる普遍的な作品になっている。
ファンの中にはハリウッドで成功を収めていく過程をもっと見てみたかったという人がいるかもしれない。そのあたりは資料を探ればいくらでも見つかるので別書を参照ということになろう。とりあえず本作ではスピルバーグの人格形成や家庭環境、映画界に入るきっかけといった草創期に焦点を置いた作りになっている。
とはいうものの、自分もスピルバーグの映画をリアルタイムで追ってきたファンの一人である。やはり幼少時代の映画との出会いや、仲間と一緒に8ミリカメラを回して自主製作映画に没頭するクダリなどは、特に興味深く観れた。後の「激突!」(1971米)や「未知との遭遇」(1977米)、「プライベート・ライアン」(1998米)等の原点を見れたのが興味深い。
また、両親の不仲や暗い学園生活、ユダヤ人であることのコンプレックス等、プライベートな内容にかなり深く突っ込んで描いており、スピルバーグの人となりが良く理解できるという意味でもかなり楽しめた。
そしてもう一つ、ただの映画賛歌だけで終わっていない所にも好感を持った。
映画は人々に夢と希望を与える娯楽であるが、時として大衆を先導するプロパガンダにもなるし、心に深い傷を植え付けるトラウマにもなるということをスピルバーグは正直に語っている。
例えば、サミーは8ミリカメラで家族のプライベートフィルムを撮影するのだが、そこには映ってはいけないものまで映ってしまい、結果的にこれが平和な家庭生活に亀裂を入れてしまう。映画に限らず映像メディアが如何に罪作りな側面を持っているか、ということを如実に表したエピソードのように思う。
あるいは、彼は高校時代の思い出にクラスメイトが集うイベントを撮影して、それを卒業のプロム会場で上映する。ところが、これが周囲に思わぬ物議を呼んでしまう。これも映画は編集次第で誰かを傷つける”凶器”になり得る…ということをよく表していると思った。
デビュー時こそエンタメ路線で次々とヒット作を飛ばしたスピルバーグであるが、ある頃から彼は社会派的なテーマを扱うようになった。世間ではオスカー狙いだのなんだのと言われていたが、決してそれだけではなかったように思う。彼は映画が人々に与える影響力の大きさということを信じて疑わなかったのだろう。
観終わってすぐに内容を忘れてしまう映画もあるが、良くも悪くもいつまでも心に残っている映画もある。そんな映画が持つ功罪を、スピルバーグはこの青春時代に身をもって知ったのではないだろうか。彼の作家性の基盤はすでにこの頃から培われていたのだと思うと、本作は更に興味深く観れる作品である。
「かがみの孤城」(2022日)
ジャンル青春ドラマ・ジャンルファンタジー
(あらすじ) 学校でイジメにあい不登校になった中学1年生のこころは、ある日、部屋にあった鏡が突然光り、その中に吸い込まれてしまう。鏡の中は御伽話に出てくるようなお城で、そこには狼の仮面をかぶった正体不明の少女オオカミさまと6人の同じ年頃の子供たちがいた。オオカミさまは城に隠された鍵を見つければどんな願いでも1つ叶えてやると告げるのだが…。
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(レビュー) いじめ問題を題材に、少年少女の葛藤と成長をファンタジックに描いた良作である。
学校に限らず、どこにでもいじめは存在するものだが、問題はそうなった場合、どうやって周囲の人間が救いの手を差し伸べてやることができるか…というのが一番重要ではないかと思う。いじめられた本人の気持ちに寄り添いながら、君は一人じゃない、自分は味方だよと伝えることが如何に大切なことか。それを本作は説いているような気がした。
この手の作品は、得てしていじめていた方の改心を描いて、いじめの不毛さを説くような傾向にあるが、本作はそうした安易な解決も描いていない。こころをいじめていた生徒や、いじめを放任していた担任教師が反省するシーンは出てこない。確かに彼らは一時は反省するかもしれないが、また他の誰かをいじめるだろうし、いじめを見て見ぬふりをするだろう。つまり、この世からいじめは決して無くならないというシビアな現実を真摯に提示しているのだ。厳しいかもしれないが、それをきちんと正直に描いている所に自分は好感を持った。
監督は原恵一。くしくも氏が監督した
「カラフル」(2010日)と同じく、中学生のいじめがテーマになっている。
ただ、物語は多様な問題が含まれていた「カラフル」よりもストレートでよくまとまっている。また、「カラフル」にも天使のキャラクターや輪廻転生といったファンタジックな要素はあったが、ビジュアルを含めた造形面のシリアスさが作品の敷居を少し高く見せていたのに対し、今回は幾分ライトに設定されており広く受け入れやすくなっているような気がする。
また、本作はミステリーとしても中々上手く作られていると思った。
鏡の中のお城の設定、オオカミさまの正体、こころ以外の6人の少年少女たちの秘密。それらが、さりげないミスリードと、したたかな伏線と回収によって見事に解き明かされていく。そこに胸がすくようなカタルシスを覚えた。
欲を言えば、作画がもう少しクオリティが高ければ…と思わなくもない。アニメーションを制作したA-1 Picturesは
「あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない。」(2013日)や
「心が叫びたがってるんだ。」(2015日)、「ソードアート・オンライン」シリーズなどを手掛けているスタジオである。昨今のアニメ界ではトップクラスのクオリティを誇る会社であるが、今回は今一つ淡泊で低カロリーな作りに見えてしまった。特に、見せ場となるクライマックスのアクションシーンや鏡の中に入るシーンはもう少し力を入れて表現して欲しかったような気がする。
また、観終わっても腑に落ちなかった点がある。オオカミさまは、何のためにこころたちを鏡の世界に引き入れたのだろうか?本作には原作(未読)があるが、そちらを読めば分かるのだろうか。
「ヒメアノ~ル」(2015日)
ジャンル青春ドラマ・ジャンルサスペンス
(あらすじ) 清掃会社で働くお人好しの青年・岡田は、退屈で孤独な日々を送っていた。ある日、職場の先輩・安藤と行きつけのカフェを訪れる。すると、そこで高校時代の同級生・森田と再会する。かつて酷いイジメに遭っていた彼はすっかり別人のようになっていた。
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(レビュー) かつての同級生と再会したことで思わぬトラブルに巻き込まれていく様を独特のユーモアと過激なバイオレンス描写で描いた犯罪青春映画。
「ヒミズ」(2011日)の古谷実の同名コミック(未読)を実写映像化した作品である。
映画は前半と後半でかなりテイストが異なる。前半は割とコメディタッチが横溢し楽しく見れるのだが、後半から凄惨なシーンが出てくるようになりほとんどサイコサスペンスのような作りになっていく。
また、ストーリーも2本のドラマが存在し、それが中盤で邂逅することでテイストもコメディからシリアスへと一変する。そのタイミングでタイトルも表示され、中々凝った構成で面白いと思った。
原作は未読なので分からないが、こうした特異な構成は映画独自のものなのではないだろうか。人によって賛否あるかもしれないが、個人的には一粒で二度美味しいという感じで楽しめた。
ただ、原作準拠なのか前半のリアリティのなさは、後半のシリアスさと比較するとやや陳腐に映ってしまう。安藤の造形、カフェの店員ユカを巡る色恋沙汰はほとんど高校生レベルのお遊戯のようで観ててなんだか苦笑せずにいられなかった。
思うに、安藤を演じたムロツヨシのクセの強さが大いに関係しているような気がする。無論それが彼のキャラであることは分かるのだが…。
逆に、森田を演じた森田剛がシリアス演技を貫き、ただ一人浮いているという状況にもなっている。本作における彼の存在感は圧倒的で、彼なくして作品の強度は保てなかっただろう。だからこそ余計に前半のリアリティのなさが惜しまれた。
ともかく、良し悪しはあるにせよ、これほどまでにバラバラな演技陣を1本の作品としてまとめ上げたのは奇跡的とすら思う。
ラストは良かった。かなり残酷な結末と言えるが、同時にかすかな安堵も感じられる不思議なテイストとなっている。岡田と森田の過去がフラッシュバックされることで、時間が巻き戻るというドラマチックな演出に鳥肌が立った。見事な締めくくり方である。
監督、脚本は昨今メキメキと頭角を現している注目の俊英・吉田恵輔。元々は塚本晋也監督の下で経験を積んできた作家である。師匠譲りのコミックタッチな演出が特徴的で、ラディカルさの中に毒々しい笑いが入り混じる独特のテイストを持っている。今回が初見だが今後も気にしてチェックしていきたい。
「止められるか、俺たちを」(2018日)
ジャンル青春ドラマ
(あらすじ) 1969年、21歳の吉積めぐみは、ピンク映画の旗手・若松孝二率いる若松プロダクションの門をたたき映画の世界に入った。周囲の若い才能に囲まれながら助監督としての日々をこなすうちに、自分も映画を撮りたいという衝動に駆られていく。
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(レビュー) 映画の世界に飛び込んだ一人の女性の生き様を、周囲の人間模様を交えて描いた青春群像劇。
若松孝二は様々な問題作を撮り上げたことで知られる日本のインディペンデント映画界の雄である。彼の元には本作で監督を務めた白石和彌や脚本を手掛けた井上淳一もいた。その他にも様々な映画人を輩出しており、氏の日本映画界における貢献度は相当に大きいように思う。
そんな若松監督は2012年に不慮の事故で亡くなってしまった。享年76歳。本人の中ではまだやり残したことはたくさんあっただろう。その無念の思いを考えると実に残念である。
ただ、こうして彼の死を偲んで集まったかつての弟子たち、スタッフによって作られた本作を観ると、彼のDNAは確実に受け継がれているような気がする。ある意味で、本作は若松孝二追悼の意味合いも込められた作品のように思う。
その証拠に、劇中には若松作品のオマージュがふんだんに登場してくる。自分は彼の作品をすべて観ているわけではないので、分からないものもあったが、
「ゆけゆけ二度目の処女」(1969日)が出てきて嬉しくなった。
物語は、めぐみの目線を通して描かれる群像劇となっている。先述したように、監督の白石和彌も脚本の井上淳一も若松監督に師事していたので、今回の物語には多分にリアルな事情が織り込まれていることは想像に難くない。ただ、まさかめぐみ自身にもモデルがいたということを後で知って驚いた。てっきり白石監督が自己投影した想像上のキャラクターだと思っていたので、これは意外だった。それくらい、めぐみの半生はドラマチックなものである。
他にも本作には実在の人物がたくさん出てくる。赤塚不二夫、大島渚、足立正生、大和屋竺、沖島勲、荒井晴彦等々。夫々に個性的で、いわゆるバックステージ物として見ても大変面白い映画になっている。
例えば、若松孝二が大島渚に政治映画製作の相談を持ち掛けるシーンや、ATGのプロデューサーから勧誘されるシーン。足立正生が連合赤軍に合流していった過程、大和屋竺が「ルパン三世」の脚本を書いて若松プロと距離を置いた経緯等、どれも興味深く観れた。若かりし荒井晴彦が若松孝二と行動を共にしていたというのも意外であった。
周囲の人間模様ばかりに目が行きがちだが、主人公めぐみのドラマも後半から熱を帯びてくる。
映画を撮る情熱は誰にも負けない彼女は、若松にチャンスを貰いピンク映画を撮らせてもらうことになる。しかし、残念ながら作品の出来栄えは、師匠の期待を大きく裏切るものだった。次第に自信を無くしていくめぐみ。やがて”ある事情”によって、その苦悩は更に深まっていく。しかして、その顛末には実にやるせない思いにさせられた。
めぐみを演じた門脇麦の好演も素晴らしかった。彼女を初めて見たのは
「愛の渦」(2014日)だが、その時の体当たりの熱演は実に見事なものだった。今回のバイタリティ溢れる役柄もそれに近いものが感じられ、改めて彼女の力量に唸らされた。
一方で、若松孝二役を務めた井浦新の造形はかなりカリカチュアされてしまった印象を受ける。敢えてユーモラスに造形している節も見受けられ、それが作品全体にフィクショナルなトーンを持ち込んでいるような気がした。
ATGの映画などを観ると分かるが、60年代末から70年代初頭という時代は、ある種若者たちにとっては暗く鬱屈した時代だった。今回の井浦新による造形が、この物語をどこか屈託なく観れる爽やかな青春映画にしている面があり、それはそれで大変観やすくて良いのだが、時代を描くという意味においては、これは功罪あるように思った。
「クエシパン~私たちの時代」(2019カナダ)
ジャンル青春ドラマ
(あらすじ) カナダのケベック州、先住民インヌ族の少女ミクアンとシャニスは幼い頃から一緒に育った親友同士。ミクアンはクラブで出会った白人男性フランシスと付き合い幸福な日々を送る。その一方で、シャニスは粗暴な夫グレッグと幼な子を抱えて辛い日々を送っていた。そんなある日、グレッグが暴力事件を起こして逮捕されてしまう。
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(レビュー) ケベックの先住民保留地で暮らす二人の少女の友情と成長を描いた青春映画。
カナダの先住民居留地を舞台にした映画というと、二人のシングルマザーが違法密入国に手を染める
「フローズン・リバー」(2008米)という作品が思い出される。白人から搾取されてきた先住民の歴史が垣間見れる骨太な社会派サスペンス映画だった。
本作にはそこまでの強い人種偏見は見られない。ミクアンたちは学校でも町のコミュニティでもあからさまな差別を受けていないし、何となく上手くやっている。とはいえ、この手の差別は中々消えることはないというのが実情だろう。表向きは白人との共同生活を円満に送っているように見えて、実は彼らの中には明らかに白人に対するコンプレックスが存在している。本作はそれを物語の端々で観る側に突きつけている。
ミクアンは大好きなフランシスと一緒にケベックの大学に進学することを約束する。しかし、彼女の両親はそれに反対する。インヌ族の娘が白人ばかりの都会で上手くやっていけるはずがない…と勝手に決めつけて娘の独立を認めないのだ。この年頃の子によくある都会への憧れ、それを阻害する親との対立というドラマ自体はありふれたものであるが、そこに人種問題を絡めたところが本作の妙味となっている。
ミクアンが高台に上って自分が住む保留地を眺めるシーンが印象に残った。「昔より小さくなった気がする」と吐露する彼女に成長の一途が感じられ感慨深く観れた。
もう一つ本作の見所と言えば、ミクアンとシャニスの友情である。映画は彼女たちの幼少時代から始まる十数年に渡る半生のドラマとなっている。その友情はクライマックスで大きな転換を迎えるのだが、これまでの二人の友情が反芻され切なく観れた。
本作で残念だったのはラストの締めくくり方である。ハッピーエンドにしようというのは決して悪いことではないが、余りにも唐突、且つメロウすぎて白けてしまった。そこに至る過程が説得力を持って描かれていれば納得できるのだが、そこを完全にすっ飛ばしてしまっているため素直に受け入れがたいものがある。
キャスト陣は実際にインヌ族の居留地に住んでいる人々でキャスティングされているということである。馴染みの俳優は一人も登場して来ないが、リアリティという点で言えばこのキャスティングは奏功している。
ミクアン役の女性も決して美人とは言えないが、そこがかえってこの物語に説得力をもたらしている。シャニス役の女性のパンキッシュな造形もキャラクターの生き様が反映されていて良かったと思う。
リアリティということで言えば、本作にはインヌ族の日常も生々しく再現されている。調べてみて分かったのだが、彼らはトナカイを狩猟して暮らしているということだ。台所でトナカイを当然のように解体するので驚いてしまったが、実際にこうしたことがあるのかもしれない。