「ボーンズ アンド オール」(2022伊米)
ジャンルロマンス・ジャンルホラー
(あらすじ) 生まれながらに人を喰べる衝動を抑えられない18歳の少女マレンは、新しい学校に転入して早々、友達の指を食いちぎり父親に見捨てられてしまう。たった一人になってしまったマレンは出生証明書を手掛かりに行方知れずになった母を探す旅に出る。その先で彼女は自分と同じ衝動を抱えた若者リーと出会うのだが…。
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(レビュー) 人喰い族というホラー映画然とした要素が売りの作品であるが、本作はただそれだけの作品ではないように思う。そこにはマイノリティの苦悩が隠されているような気がした。
マレンやリーのカニバリズムの衝動がどこから来るものなのか。それは映画を観終わっても良く分からなかった。ただ、遺伝が関係していることは明確に示唆されており、そこには抑圧されながら生きる被差別民の姿が投影されているような気がする。
また、食人の衝動はここでは恋愛の衝動に似た意味で語られているような気がした。
例えば、それは同族を匂いで感知するという彼らに特有の本能からもよく分かる。これはオスとメスが放つ”フェロモン”に近い生理的現象なのかもしれない。
また、彼らは生きていくために我々と同じように普通に食事をするが、人肉を喰うと特別な興奮と快感が得られるということだ。これはセックスの快感に割と近いものなのかもしれない。
こうしたことを併せ考えると、マレンとリーが惹かれあっていく今回の物語には”性的少数者”の苦悩が何となく透けて見えてくる。
人種差別やLGBTQ等、本作は深読みしようとすればいくらでもできる作品であり、単にホラー映画という外見だけで捉えてしまうには惜しい作品のように思う。物語の根底に忍ばされたメッセージを汲み取りながら観ていくと大変歯ごたえが感じられる作品である。
ただ、寓話としては面白く読み解ける作品なのだが、このカニバリズムという設定はやはり余りにもインパクトが大きい。それゆえ、どうしてもその意味については解明を試みたくなる。
しかして、本作はその本質に迫れているか?と言えば、自分はそこまでの深淵さが感じられなかった。どうしてカニバリズムなのか?その真意が読み解けなかった。
本作にはヤングアダルト小説の原作があるようだが(未読)、そちらにはマレンたちが食人になった経緯などは書かれているのだろうか?
監督はルカ・グァダニーノ。展開で首を傾げたくなる個所が幾つかあったのと、マレンの父親が残したカセットテープが余り上手く活用されていないことに不満を持ったが、演出は概ね安定しているように思った。リメイク版
「サスペリア」(2018伊米)に続き奇しくもホラー付いているが、見せ場となるようなビジュアル・シーンは前作ほどの刺激性はないものの、作品のテーマとしては十分に野心的で先鋭的で、改めてこの監督の独特な作家性には魅力されてしまう。
キャスト陣では、どうしてもリーを演じたティモシー・シャラメに目が行ってしまうが、サブキャラにも魅力的な俳優が揃っている。
特に、マレンが最初に遭遇する同族のサリーを演じたマーク・ライランスは印象に残った。自己の中に人喰いの自分とそうでない自分を抱えた精神分裂症気味な怪演がインパクト大である。
また、マレンたちに骨まで喰う恍惚感を嬉々として語るマイケル・スタールバーグ、マレンの母親を演じたクロエ・セヴィニーも少ない登場ながら印象に残る演技を見せている。
「静かな雨」(2019日)
ジャンルロマンス
(あらすじ) 大学の研究室で働く行助は、片足に障害があり足を引き摺って歩いている。ある日、彼はたいやき屋を営む女性こよみと出会い、少しずつ距離を縮めていく。ところが、幸せも束の間、こよみが事故に遭ってしまう。
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(レビュー) 事故の後遺症で記憶が一日しか持たなくなってしまったヒロインと、彼女を支える青年の愛を静謐なタッチで描いたロマンス作品。同名小説(未読)の映画化である。
監督、共同脚本は
「愛の小さな歴史」(2014日)、
「走れ、絶望に追いつかれない速さで」(2015日)、
「四月の永い夢」(2018日)の中川龍太郎。
短期記憶喪失障害に陥ったヒロインを主人公が献身的に支えるというプロットは、
「50回目のファースト・キス」(2004米)を連想させる。あちらは完全にウェルメイドな作りのラブコメなので、本作とはテイストは全く異なるが、基本的なプロットはほぼ一緒と言って良いだろう。
今時珍しいくらいの純愛で観ててこそばゆくなってしまった。このあたりは原作に準拠した作りなのかもしれないが、「四月の永い夢」を観ていると中川龍太郎の作家性も多分に入っているような気がする。感情を決して前面に出すわけではないが、登場人物の感傷に引きづられた行動に、正直余りリアリティは感じられない。
ただ、「四月の永い夢」ほどヘビーなテーマではない分、ドラマと演出トーンの乖離はさほど気にはならなかった。
最も印象的だったのはブロッコリーのクダリである。行助はブロッコリーが苦手で、記憶を保てないこよみはブロッコリーを使った料理を毎晩のように出してしまう。しかし、それはこよみなりの別の意図があって…という所が中々泣かせる。
本作はこうした”小技”がとてもうまく行っていて、他にも行助とこよみが同じ挨拶を毎朝反復するシークエンスも巧妙な演出だと思った。ある時から二人の挨拶に少しずつ変化が訪れる。その変化に二人の距離が透けて見えて興味深い。
町の人々に愛されるたいやき屋という設定も、物語に牧歌的な親しみを与えていて◎。河瀨直美監督がチョイ役で出てくるので、その関係からどうしても彼女の
「あん」(2015日仏独)を連想してしまうが、常連客とこよみの関係を通して上手く彼女のキャラクターが醸造できていると思った。
物語の終盤に入ってくると、こよみの過去に焦点を当てた展開に入っていく。実は、彼女には他人には打ち明けられない過去があり、そのあたりの謎解きと、それを知った行助の葛藤が一つの見所となっている。
古い過去は覚えていても昨日のことは忘れてしまうこよみに対する行助の胸中は如何ばかりか。それを察すると終盤の展開は切なくさせる。
愛があればどんな障害も乗り越えられる…と言うと少しカッコつけた言い方になってしまうが、要するにそういうことでしか、こういう問題は解決できないだろう。映画はそのあたりのことを敢えてぼかした表現にとどめているが、この殊勝さは本作の美点かと思う。
観てて一点だけ気になったのは、行助の片足が不自由というハンデである。その設定が、この物語にどれほど必要だったか疑問に残った。そもそも彼自身の口からそこについての言及は成されておらず、この辺りは観終わって悶々とさせられた。
「四月の永い夢」(2018日)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) そば屋でバイトしている元音楽教師の初海は、ある日、亡き恋人の母親から一通の手紙を受け取る。それは彼が初海に宛てた最後の手紙だった。やがて、そば屋の常連で染物工場で働く青年から初美は思いがけない告白をされ…。
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(レビュー) 元恋人の死を引きずる女性の再生を、繊細な演出と、多彩な周縁人物を交えて描いた作品。
初海と死んだ恋人がどういった関係を辿り、どういう経緯で亡くなったのか?そのあたりは一切描かれていない。ただ、映画終盤で明かされる恋人の最後の手紙から、二人の破局の背景には、それなりの深刻な問題があったことは想像できる。初海は愛嬌の良いそば屋の看板娘として常に明るく振る舞っている。しかし、その裏側では他人に言えぬ、こうした悔恨の念をいつも抱えていたのか…と思うと切なくさせる。
監督、脚本は
「愛の小さな歴史」(2014日)、
「走れ、、絶望に追いつかれない速さで」(2015日)の中川龍太郎。「愛の小さな~」は大変ハードコアな作品だったが、それと比べると本作はまるで別人が撮ったような安らぎを覚える作風である。
但し、そのテイストが物語のヘビーさを相殺してしまい、全体的にチグハグな印象を受けた。
美しい映像と、静かでキャッチ―なメロディーの劇伴、そして初海を演じた朝倉あきの可憐さを追求した役作りは、本来ヘビーであって然るべき喪の仕事というテーマを全て打ち消してしまっている。
唯一、終盤の手紙のインサートは素晴らしいと思ったが、全体的には余り乗れない作品だった。
尚、セリフの中にはいくつか良いものも見つかる。亡き恋人の母親が言う「人生とは失うことの方が多い」という言葉は、ラストの初海の表情の”問いかけ”になっていたことが映画を観終わって反芻される。ラストの初海の表情は正にこの言葉の”答え”に思えた。
「しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス」(2016カナダアイルランド)
ジャンルロマンス・ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 小さな田舎町で叔母と暮らしていたモードは、幼い頃からリウマチを患い手足が不自由なため、一族から厄介者扱いされていた。ある日、彼女は家政婦募集のビラを目にする。早速、募集先の家を訪ねると、理不尽で暴力的な男エベレットが現れ…。
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(レビュー) カナダに住む女性画家モード・ルイスの伝記映画。
自分は彼女のことを全く知らなかったが、カナダでは知らない人がいないほどの人気画家ということである。なんでも、かのリチャード・ニクソン大統領も彼女の絵を注文したということらしい。
彼女は貧しいながらも自分の好きな絵を描きながら、武骨で気難しい夫エベレットと幸福な人生を歩んだそうである。本作はその絆をしっとりとした味わいで描いている。優しさに溢れた作風は、誰が観ても楽しめる作品ではないだろうか。
キャスト陣の好演も素晴らしい。
モードを演じたサリー・ホーキンスは
「シェイプ・オブ・ウォーター」(2017米)のイメージが強いが、その時の演技との共通性も垣間見れた。今回のような少し伏目がちで内向的な役をやらせると本当に上手くハマる女優だ。
一方で、エベレットを演じたイーサン・ホークも、口数が少ない粗野で昔気質な男という新境地を開き、演技の幅の広さを見せている。
物語は、序盤こそモードの不幸な境遇を紹介する展開が続くため観てて辛いものがあるが、エベレットとの共同生活が徐々にこなれてくるあたりからはユーモアも出てきて面白く観ることが出来た。
モードの絵が人気になって次々と注文が殺到してくると、エベレットの魚売りよりも儲かるようになり、それまでの家政婦と雇い主という主従関係が完全に逆転してしまうところが可笑しい。
例えば、モードが絵を描くのに夢中になると、エベレットは気を利かせて部屋の掃除を始める。ところが、絵の具が乾かないうちから埃を立てるなと締め出しを食らってしまうのだ。今までの傲慢さはどこへ行ったのか、まるで借りてきた猫のようにすごすごと追い出されてしまう姿にクスリとさせられた。
物語が後半に入ってくると、モードも驚く衝撃の事実が判明し、これもドラマを感動的に盛り上げていた。
本作で欲を言えば、肝心のモードの絵をもっと見せて欲しかったか…。彼女が絵を描く姿は頻繁に出てくるが、それがどんな絵だったのかは余り出てこない。
モードはキャンバスだけでなく、板切れや、家の壁、小物など、描けるものなら何にでも描いていた人で、作品数は相当数に上る。それらを映画の中でもっと見てみたかった気がする。
「軍中楽園」(2014台湾)
ジャンルロマンス・ジャンル戦争
(あらすじ) 台湾と中国が激しい緊張状態にあった1969年。台湾の青年兵士バオタイは、最前線の島“金門島”に配属される。しかしカナヅチであることが判明し、“軍中楽園”と呼ばれる娼館を管理する部隊に左遷されてしまう。彼はそこで、どこか影のある娼婦ニーニーと出会い惹かれていくのだが…。
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(レビュー) 戦時下の娼館を舞台にした作品というと栗原小巻主演の
「サンダカン八番娼館 望郷」(1974日)を思い出してしまうが、こちらは娼館で働く青年兵士を主人公にしたメロドラマ風な作りになっている。「サンダカン~」のような娼婦の生態や悲劇的運命といったものも、本作では描かれてはいるが、あそこまでの重苦しさはないので割と取っつきやすい印象を持った。演出や脚本が全体的にライト志向なので観やすい。
主人公パオタイとニーニーの関係を巡る純愛もさることながら、本作で一際印象に残ったのはパオタイの士官長ラオジャンと人気娼婦アジャオの関係に迫った愛憎劇だった。アジャオの小悪魔的な魅力の虜になっていくパオタイの破滅は中々見応えがあった。
また、パオタイの同僚ホワシンと若い娼婦の刹那的な生き様も中々に良い。ホワシンは裕福な家庭の子息で、そのせいで軍隊では先輩たちから理不尽な虐めを受けるようになる。その現実を忘れるようにしてやって来た軍中楽園で、彼は自分と同じように悪辣な客たちから乱暴を受ける若い娼婦と出会い惹かれていく。その顛末は、ある程度予想はできたものの、実に痛ましくやるせない思いにさせられた。
ただ、このホワシンと若い娼婦の顛末にしてもそうだが、先述したように作りが全体的にライト志向なので、変にロマンチズムに傾倒しすぎてしまった感がする。
映像的にも、娼館の景観が色彩トーン含め美麗すぎるし、ホタルや砲火等のCGもどこか無理に美しくロマンチックなものとして作りすぎている感じがした。娼婦たちの悲しい運命を考えれば、本来ロマンティックであってはならないはずであり、そこはリアリティを重視すべきではないだろうか。
また、パオタイ、ラオジャンやホワシンといった主に男性キャラの造形が全体的に紋切的で、物語を浅いものにしてしまった感がある。
一方のニーニーやアジャオたち、女性陣は魅力的に造形されていて良かったと思う。ニーニーの秘密の過去もミステリアスで惹きつけられたし、アジャオの本音が曝け出る後半の”見顕し”シーンも見応えがあった。
また、ニーニーがパオタイの誕生日にプレゼントした男物の腕時計には色々な想像が掻き立てられる。客から貰ったものなのか?前夫の持ち物だったのか?そして、それを一度は受け取ったものの、娼館を去るニーニーに返すパオタイの心境は如何なるものだったのか?エンディングを見ながら、この腕時計の意味について色々と想像してしまった。