「アステロイド・シティ」(2023米)
ジャンルコメディ・ジャンルSF
(あらすじ) 1955年、アメリカ南西部の砂漠の町アステロイド・シティ。隕石でできた巨大クレーターが観光名所になっているこの町で、ジュニア宇宙科学賞の祭典が開かれる。その表彰式に元戦場カメラマン、オーギーが、表彰される長男と3人の幼い娘たちを連れてやって来た。彼は、同じく受賞者である娘と来ていた映画スター、ミッジと出会うのだが…。
ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 砂漠の町を舞台に繰り広げられる騒動をオフビートなタッチで描いたナンセンス・コメディ。
ウェス・アンダーソン監督らしい遊び心に満ち溢れた作品である。
まず、映画の構造が少し変わっていて驚かされた。アステロイド・シティで起こる悲喜こもごもは劇作家が描く劇中劇という形になっている。映画はそこを中心に展開されていくのだが、その合間に劇作家自身のドラマが挿入され、更にそれをテレビキャスターが紹介するという、言わば三重の入れ子構造になっているのだ。
映像はモノクロとカラーにきっちり描き分けられており、アステロイド・シティを舞台にした劇中劇はポップで鮮やかな色彩で表現され、それ以外はモノクロとなっている。
ただ、物語に関しては、これまでの作品に比べるとかなり薄みに感じられた。オムニバス形式だった前作
「フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イブニング・サン別冊」(2021米)以上にドラマは空疎で、たくさんのキャラが登場する割に余り盛り上がらない。
一応、主人公オーギーとヒロイン、ミッジのロマンスや、オーギーの子供たちの成長といったエピソードが語られるが、いずれも表層的で物足りなく感じられた。
一方、映像に関しては、これまで通りカラーパートはパステルカラーを前面に出したトーンが徹底され魅了された。完璧にコントロールされたカメラワーク。シンメトリックな構図。アートギャラリーのように配された小物。どのカットを見てもスキのない画面設計に唸らされる。
この独特な映像は
「グランド・ブタペスト・ホテル」(2013英独)、「フレンチ・ディスパッチ~」を経て完成の域に達したと思ったのだが、まだ進化の余地があったということに驚かされる。特に配色に対するこだわりは、これまでの作品の中ではピカ一ではないだろうか。
尚、個人的に最も面白かったのは、ジュニア宇宙科学賞の表彰式のシーンだった。ネタバレを避けるために伏せるが、ここでオーギーは”ある写真”を撮るのだが、これが正に衝撃的な一枚で笑ってしまった。そして、この写真は後に構図が丸被りなミッジの写真と並ぶ。そこでまた笑ってしまった。
キャスト陣は今回も豪華である。
ウェス映画の常連であるジェイソン・シュワルツマン、ティルダ・スウィントン、エイドリアン・ブロディ、エドワート・ノートン、更に今回はスカーレット・ヨハンソンやトム・ハンクスといった大物も登場してくる。
もっとも、ジェイソン・シュワルツマンとスカーレット・ヨハンソンは目立っていたが、それ以外のキャストは今一つ…。夫々の個性を活かしきれていないのが勿体なく感じられた。
「血は渇いてる」(1960日)
ジャンルコメディ・ジャンル社会派
(あらすじ) 中小企業勤務の平凡な会社員木口は、会社側の大量解雇決定に異議を申し立てるべく拳銃自殺を図った。一命をとりとめた彼は、マスコミから注目を浴び一躍時の人となる。生命保険会社の広報課で働く野中ユキは、そんな彼を宣伝に利用しようとコンタクトを図るのだが…。
ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) マスコミに祭り上げられていく平凡な男の数奇な運命を風刺を交えて描いた社会派ドラマ。
労働争議が盛んにおこなわれていた当時の時代を見事に浮き彫りにした作品なので、今観ると古臭く感じられるかもしれない。しかし、一方でマスコミによって人生を狂わされていく悲劇の男・木口の運命には、現代の”魔女狩り”に似たアイロニーが感じられ、ほろ苦い鑑賞感を含め強い普遍性を持った作品になっている。
監督、脚本は松竹ヌーヴェルバーグの旗手・吉田喜重。本作は
「ろくでなし」(1060日)に続く長編2作目である。後のアーティスティックな感性はまだ開眼しておらず、ストーリーも明快で取っ付きやすいので誰が観ても楽しめる作品のように思う。
ただ、冒頭の自殺未遂にいたる木口の葛藤を描写したトイレのシーンにおける水滴の演出。クラブ歌手が”血を吐け、唾を吐け~”と歌う切れ味鋭いカッティング演出、こめかみに銃を突きつけた木口の巨大なポスターが生命保険会社のビルに掲示されるというシュールな絵面等、喜重らしいアートな感性はそこかしこに垣間見れる。
尚、撮影は前作に続き成島東一郎が担当している。数々の傑作でその手腕を発揮するが、その萌芽が本作中にすでに見て取れる。
ラストのオチは痛烈で、喜重の表現者としての”意地”が感じられた。妥協しないその姿勢は、新人監督らしからぬ不敵さで、氏の持ち前のプライドの表れでもあろう。初期時代からそれが確立されていたことに驚かされる。
「リバー、流れないでよ」(2023日)
ジャンルコメディ・ジャンルSF
(あらすじ) 京都の貴船にある老舗旅館ふじや。午前中の仕事を終え昼休みに入ろうとした時、仲居のミコトは”ある異変”に気付く。なぜか自分が2分前と同じ場所にいるのだった。他の従業員や宿泊客も同じ状況になり、旅館はたちまちパニックに陥る。
ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 冬の京都の老舗旅館を舞台にしたSFコメディ。
昨今はこうしたタイムループ物の作品も色々とあって、どうしても既視感が拭えなくなってきたが、本作はたった2分という限定された時間に目を付けた所が新鮮だ。
延々と繰り返される2分間という時間に閉じ込められた登場人物たちの右往左往が軽快に描かれていて飽きさせない。
原案、脚本を務めたのは劇団ヨーロッパ企画の上田誠。彼は
「四畳半タイムマシンブルース」(2022日)や
「サマータイムマシン・ブルース」(2005日)といったタイムループをネタにした作品で原案、脚本を務めており、この手のジャンルを得意としているのだろう。今回もツボを心得た笑いと軽妙な展開が冴えわたり、十分に楽しめる娯楽作に仕上がっている。
しかも、このタイムループはシチュエーションはリセットされても夫々の意識がリセットされないというのがミソで、それによって妬みや遺恨を募らせたりするから質が悪い。単に同じ時間を繰り返しているわけではなく、ちゃんとその中でドラマが進んでいるあたりが実に上手いのである。
たとえ時間は戻せても人間の感情の移ろいは修復できないという、何だか哲学めいたメッセージも感じられた。
そんな中、本作のメインとなるのは仲居のミコトと料理人見習いのタクのロマンスである。永遠に終わらない2分の中で、二人は普段は口に出来ない思いを言葉にして伝えあう。これが非常にチャーミングな恋愛談になっている。
そして、ラストのミコトの表情が非常に印象的だった。彼女の複雑な胸中を察すると何だか切なくなってしまう。
その一方で、このタイムループでは恐ろしいことも起こる。締め切りに追われる小説家の苦悩や、山から出られなくなってしまった猟師の絶望、厨房の惨事等。全体的にライトに描かれているが、もし現実にこんなことがあったら、やはり人は狂ってしまうのだろうなぁと思ってしまう。
全編90分弱というコンパクトな作品なので、事件のオチや、要所の問題解決で物足りなさを覚える部分もあるが、サクッと観れてスキっとできる快作である。
尚、個人的に最もツボだったのは風呂場の編集者だった。ずっと髪の毛にシャンプーの泡がついたまま奔走する姿にジワジワと笑いがこみ上げてきてしまった。
「林檎とポラロイド」(2020ギリシャポーランドスロベニア)
ジャンルSF・ジャンルコメディ
(あらすじ) 突然記憶喪失になる謎の伝染病が流行した世界。男は治療のための回復プログラムの下で新たな生活を始める。医師から届く試験を次々とこなしていきながら、彼はある女性と出会うのだが…。
ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) ある日突然記憶を喪失するという奇病が蔓延した世界を舞台に、孤独な中年男の再生をシュールに綴った作品。
世界観や時代背景、回復プログラムの目的についての説明が一切ないため、少々取っつきにくい作品である。しかし、逆に作品に忍ばされた行間を色々と想像しながら観ていくと大変面白く観れると思う。
記憶を失った主人公の男は、治療のために回復プログラムを受けることになる。それは、アパートの1室と生活費を与えられ、カセットテープで送られてくる医師からの指令を実行していくというものである。指令の内容がとにかく意味不明なものが多く、例えば自転車に乗らせたり、プールに飛び込ませたり、自動車で追突事故を起こさせたり、仮装パーティーに参加させられたり等々。何の意味があるのかサッパリ分からないが、その意味不明な所も含めて、一連のシーンにはシュールさが漂う。
そんなある日、男は同じプログラムを受けている一人の女性と出会う。もしかしたらこれも仕組まれたものなのではないか…と穿ってしまうのだが、そのあたりは映画を観終わっても不明だ。
いずれにせよ、以降は主人公の男とこの女性の関係を描くドラマになっていく。
結局、このプログラムは何のために行われていたのか。それは最後まで謎のままである。しかし、主人公と女性の間に徐々にロマンスめいた感情が芽生えていくのを見ると、これは記憶を回復するためにやっているというより、人間性を回復するためのプログラムだったのではないか…と想像できた。人間の本質的な喜怒哀楽の感情、愛や性といった欲望を取り戻していきながら、徐々に社会復帰していくための訓練だったのではないだろうか。
しかしてオチはと言うと、これが実に興味深く読み解ける。詳細は伏せるが、ここで男が記憶喪失に陥った原因が判明する。それを知ると、むしろ男は記憶を失って幸運だったのではないか…と思った。
タイトルの「林檎とポラロイド」も色々な暗示が隠されているように思った。主人公の男は林檎が好きだったという記憶だけは本能的に残っており、いつも林檎を食べている。林檎は旧約聖書ではアダムとイブが食す”知恵の実”であった。そう考えると、ここでの林檎には記憶の回復が暗喩されているのかもしれない。
一方で、ポラロイドはポラロイド写真のことである。主人公はプログラムを実行した証拠に毎日ポラロイド写真を撮影する。写真も記録するという意味では”知恵の実”である林檎と似たメタファーと読み取れる。しかし、写真の場合は第三者にも知れ渡るという点で個人的な記憶にとどめておく”知恵の実”林檎とは決定的に意味合いが異なる。医師たちはプログラムがきちんと実行されているかどうか、主人公が撮った写真を時々チェックしに来るが、何となくすべてを管理されているような気がして少し恐ろしくなった。ポラロイドは人間の行動を監視する記憶のツールであって、林檎とは意味合いが少し異なるように思った。
監督、脚本は本作が長編初作品の新鋭らしい。特異な世界観とテーマの目の付け所が中々ユニークで、今後も期待したい作家である。かのケイト・ブランシェットが本作に惚れこみ製作総指揮に名乗り出たというから、幸運なデビューと言えよう。
尚、次回作は現在ポスプロ中で、アレックス・ガーランド監督の「MEN 同じ顔の男たち」(2022英)のジェシー・バックリーや
「サウンド・オブ・メタル~聞こえるということ~」(2019米)のリズ・アーメッドが出演するということである。キャストのネームバリューからして、かなり規模の大きい作品になりそうだ。
「スピリッツ・オブ・ジ・エア」(1988豪)
ジャンルSF・ジャンルコメディ・ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 果てしなく広がる荒野に佇む1軒の小屋。そこにフェリックスとベティの兄妹は暮らしていた。足の不自由なフェリックスは空を飛ぶ夢に取り憑かれていた。妹のベティは偏執的な気質で、父の遺言を守りながら頑なにこの土地から離れようとしなかった。そこにスミスという放浪者が流れ着く。
ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) オープニングの広大な荒野、どこまでも続く青い空、点々と立ち並ぶシュールなオブジェと巨大な十字架、ベティが奏でる哀しい旋律の音楽。もうこの時点で本作の世界観に一気に引き込まれた。同じオーストラリア産の近未来SF映画ということで言えば、「マッドマックス」シリーズに似た世界観も連想してしまうが、こちらは随分と朴訥としたテイストが横溢する。砂埃にまみれた西部劇のようなノスタルジックな風情も感じられた。
物語はシンプルで、フェリックスとベティの兄妹の元に謎めいた青年スミスが転がり込んでくることで展開される。彼が来たことで、それまで平穏だった兄妹の日常が徐々に変化していく…という所がミソで、登場人物がほぼ3人というミニマルな設定も奏功し、彼らのパワーバランスがスリリングに見れて面白かった。
例えば、スミスは空を飛びたいというフェリックスのために人力飛行機を一緒に作ることにする。ところが、ベティは父の教えを守り、この土地に居座ることを頑なに守っていることから、それに猛烈に反対する。
放浪する男、この土地から出たい足の不自由な兄、この土地に引きこもる偏執狂な妹。その対立と融和には、夫々の切なる想いが想像され哀しみを覚えてしまった。
時代設定や夫々のバックボーンについては余り説明されておらず、観ている方が色々と想像しなければならない。そういう意味では、観客に不親切な作品なのかもしれない。しかし、その余白を読むのも映画の一つの楽しみ方だ。一から十まで全て説明されたら、それはそれで味気なくなるわけで、本作はそのあたりの情報の提示の仕方が非常に絶妙である。すべてを差し出さないことによって解釈の幅は広くなり、どこか寓話的なテイストも漂う。
製作、監督、脚本はこれが長編デビュー作となるアレックス・プロヤス。後に「ダークシティ」(1998米)や「クロウ/飛翔伝説」(1994米)等でスタイリッシュな世界観を見せつける鬼才であるが、その才覚はすでに今作からも伺える。カラーリングは全く異なるかもしれないが、唯一無二の超然とした世界観は他にはない魅力だろう。
また、インディペンデント作品だけあって演出もかなり攻めたものが多く見られる。特に、陶酔的で哀愁漂う映像と音楽の掛け合わせは抜群で、この独特な世界観にドップリと浸ることが出来た。
音響効果にもこだわりを感じる。車椅子の車輪の音、風車が回る音、金属がきしむ音がどこからともなく聞こえてきて、劇中では無音になるシーンが全くない。このノイジーな感覚は、兄妹の精神の不安定さを表しているのだろう。
スタッフやキャストは新人が多く、以後のフィルモグラフィーでもそれほどキャリアを積み重ねている人はいない。
ただ、ベティを演じた女優さんはかなりインパクトのある演技を披露しており、本作で最も印象に残った。シーンごとにメイクや衣装を変え、一つとして同じ表情を見せない役作りは見事と言うほかない。