「TAR/ター」(2022米)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 女性として初めてベルリンフィルの首席指揮者に就任したリディア・ターは、同性のパートナーで楽団のリーダー、シャロンと幼い養女と充実した日々を送っていた。ところが、順風満帆に見えた彼女のキャリアに次第に”影”がちらつくようになる。楽団のオーディションに、かつてリディアと関係のあった女性がエントリーしてくる。
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(レビュー) 自分はクラシック音楽に明るくないというのもあるが、指揮者というともっぱら男性というイメージを持っていた。しかし、本作で描かれているように、数は少ないながら女性の指揮者もいるということである。古い伝統と格式が重んじられる世界なので指揮者=男性というイメージを抱きがちだが、確かに今の時代であれば、彼女のような天才的な女性の指揮者が登場しても不思議ではない。
リディア・ターは女性で初めてベルリンフィルの首席指揮者になった才女である。このキャラクターには、男尊女卑的な組織に対するアンチテーゼが込められているように思った。
序盤の公開対談や音大における講義のシーンからも、そのことは伺える。彼女はレズビアンのリベラリストである。そんな彼女がクラシック音楽の世界でトップの座に就いたというのは、強い女性像を象徴しているとも言える。
ただ、こうしたジェンダー論は、物語が進行するにつれて、それほど重要な要素ではなかったということが分かってくる。
結局、この映画は栄光からの転落を描く、よくあるドラマだったのである。
トップに輝いた者が背負う宿命と言えばいいだろうか。嫉妬や恨み、陰謀によって徐々に精神的に追い詰められ惨めに落ちぶれていくという破滅のドラマで、映画の冒頭で期待していたものとは異なる方向へドラマが展開されていったことにやや肩透かしを食らってしまった。主人公を女性にするのであれば、もう少し違ったアプローチの仕方があったのではないだろうか。
もちろん、女性にしたことによって、本作は一つの特色を出すことには成功していると思う。これが男性だったら、更に俗っぽいドラマになっていただろう。そういう意味ではケイト・ブランシェットをキャスティングした意義は大いにあるように思う。しかし、ジェンダー論はこの場合はノイズになるだけで、かえってドラマの芯をぼかしてしまっているような気がした。
そのケイト・ブランシェットの熱演は見事である。彼女を含めた周囲のキャストも全て魅力的で、とりわけ後半から登場するチェロ奏者オルガは一際印象に残った。演じたソフィー・カウアーは本職がチェリストで今回が映画初出演というのを後で知って驚いた。若さと才能に溢れた奔放なキャラクターは短い出番ながら強烈なインパクトを残す。
製作、監督、脚本を務めたトッド・フィールドも円熟味を帯びた演出を披露している。すべてを容易に”ひけらかさない”語り口が緊迫感を上手く醸造し、上映時間2時間半強を間延びすることなく見せ切ったあたりは見事である。寡作ながら改めて氏の演出力の高さが再確認できた。
音の演出も色々と工夫が凝らされていて面白かった。チャイムが鳴る音やメトロノーム、冷蔵庫のコンプレッサー、ドアをノックする音がリディアの不安定な精神状態を上手く表現していた。実際に鳴っているのか?それとも幻聴なのか?彼女の中で判然としないあたりがサイコスリラーのように楽しめた。
怖いと言えば、リディアの強迫観念が生み出した悪夢シーンも不条理ホラーさながらの怖さで、画面に異様な雰囲気を創り出していた。
尚、音の演出で重要だと思ったのはチャイムの音である。リディアは部屋の中でその音を度々耳にするが、どこから鳴っているのか分からずそのままにしてしまう。実はその音はチャイムの音ではなく、隣人が発する救命コールだった。映画を観た人なら分かると思うが、彼女がその音を気にかけていたなら、隣人は”ああいう事態”にはならなかったかもしれない。
このエピソードから分かる通り、彼女は基本的に他者の意見、声には耳を貸さないタイプの人間なのである。この情にほだされない非情さゆえに、彼女は現在の栄光を手に出来たのかもしれない。しかし、同時にそのせいで彼女は恨みや嫉妬を買い自身の立場を危うくしてしまった。このチャイムの音のエピソードは、そんなリディアの人間性を見事に表しているように思う。
「ザ・ホエール」(2022米)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 恋人を亡くした悲しみから過食症に陥った同性愛者のチャーリーは、今や歩行器なしでは移動できないほどの肥満体になっていた。看護師のリズが身の回りの世話をしていたが、その甲斐なく死期が近づいている。ある日、離婚して疎遠となっていた17歳の娘エリーとの関係を修復したいと願うのだが…。
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(レビュー) 死期を悟った孤独な中年男が疎遠だった娘との関係を修復していく感動ドラマ。
巨漢のチャーリーは自力で動けないほど太っているため、必然的に室内だけで物語は展開されることになるのだが、元々の原作が舞台劇だと知って納得。物語は彼と彼の周辺人物の会話だけで構成されており、一見すると退屈しそうな感じなのだが、示唆に富むセリフや、個性的なキャラクターのおかげで最後まで飽きなく観ることが出来た。
チャーリーと看護師リズの関係、チャーリーと娘エリーの関係、更には映画冒頭で突然宗教の勧誘にやって来た青年トーマスの素性などが、物語の進行とともに徐々に判明していく。
監督は鬼才ダーレン・アロノフスキー。氏の作品は毎回凝りに凝った神経症的な映像演出に度肝を抜かされるのだが、今回はほとんどそういったテイストは見られない。盟友マシュー・リバティークのカメラワークも”お行儀”がよく今一つ覇気が感じられない。原作者が自ら脚本を書いていることもあり、おそらく敢えて映画的ではない作りにしたのかもしれない。
ただ、映像はともかく、死期が迫った男の心の闇に照射したドラマはこれまで一貫してアロノフスキーが描いてきた”孤独”というテーマに相関するもので、そこにはやはり見応えを感じた。
個人的には、チャーリーの過去の悔恨、娘との絆の再生、そしてラストの幕引きの仕方に過去作
「レスラー」(2008米)がダブって見えた。嘘ばかりをついてきた主人公が全てを失い初めて知った大切なもの。それを取り戻すための葛藤は正に「レスラー」のそれと一緒である。エモーショナルさという点では大分趣が異なるが、本作もある種の魂の救済ドラマという気がした。
本作のモチーフになっているメルヴィルの「白鯨」の使い方も、ドラマを深淵にするという意味では実に興味深く考察できた。
”クジラ”のような巨漢のチャーリーと彼を憎むエリーの関係は、「白鯨」におけるモビィ・ディックとエイハブ船長に照らし合わせて考えることが出来る。エリーは当然チャーリーに復讐しようとやって来たのだが、果たしてそれが出来るのどうか?本作は基本的にチャーリーの視点で紡がれる魂の救済ドラマであるが、一方でエリーの視点に立てばこれは「白鯨」になぞらえて観ることも可能である。
あるいは、宣教師トーマスの存在も「白鯨」との関わり合いで言えば興味深く読み解ける。「白鯨」の中には旧約聖書からの引用と思われる固有名詞が複数登場してくる。そういう意味で、この小説には宗教的なメッセージが込められていることは間違いない。それとの絡みで考えれば本作におけるトーマスの存在もかなり大きな意味を持つように思う。宗教によって救われる者、救われずに破滅する者。人間にとっての宗教とは何なのか?改めてそれについて考えさせられる。
キャストでは、何と言ってもチャーリー役を演じたブレンダン・フレイザーのインパクトが強烈である。特殊メイクを施して体重272キロの巨漢に文字通り”変身”し、醜く太った体型を余すところなく披露している。若い頃はアクション大作で主演を張った人気スターも、今ではすっかり影が薄くなってしまったが、本作で見事に第一線にカムバックしオスカーを受賞した。これもまた先述の「レスラー」で華麗な復活を遂げたミッキー・ロークとダブって見える。
尚、フレイザーと言えば、彼が主演した「ゴッド・アンド・モンスター」(1998米)という作品も思い出された。面白いことに彼の役所はその時とは真逆のポジションになっており、時の流れを感じてしまう。まるで狙ったかのようなキャスティングだが、両作品を見比べてみると本作は更に味わい深く鑑賞できるかもしれない。
「グレース・オブ・ゴッド 告発の時」(2019仏)
ジャンル人間ドラマ・ジャンル社会派
(あらすじ) 妻子に囲まれ幸せな日々を送るアレクサンドルは、幼少時にプレナ神父から受けた性的虐待の記憶を今でも拭いきれずにいた。プレナ神父が今でも平然と子供たちに聖書を教えていることを知った彼は、過去の被害を告発する決意をするのだが…。
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(レビュー) フランス中を震撼させた“プレナ神父事件”を描いた実話の映画化。
こういう問題は非常に難しい。断罪すれば済むというものでもなく、被害にあった当事者は一生そのトラウマを抱えながら生きていけねばならないからだ。主人公アレクサンドルは、多くの被害者が口をつぐみ過去の記憶から逃れようとする中、ただ一人プレナ神父を訴える。世間体や名声、家族のことを考えれば、中々できることではない。実に勇敢な男だと思った。
ところが、プレナ神父当人は罪を認め謝罪するも、教会側は彼を辞職させないどころか匿い続けるのである。組織的な隠ぺいである。これに腹を立てたアレクサンドルは、世間に事件の全容を知らしめるべく告発を決意する。つまりこれは個人的な戦いではなく、腐敗した教会組織を相手取った改革のための戦いなのである。
彼と同じような目にあった被害者は数多くいて、もはや常習的に性的虐待が行われていたことが分かってくる。本作はアレクサンドル以外に複数の被害者が登場して、彼らの戦う姿勢、夫々に抱える事情なども描いている。
例えば、被害者の一人フランソワはマスコミを通じて事件を公表しようとする。そして、ネットを通じて被害者の会を結成する。
報道でそれを知った、やはり被害者であるエマニュエルは、重たい口を開きフランソワたちの行動に参加する。弁護士を交えてプレナ神父と対面することになるが、このシーンは本作で最も印象に残るシーンだった。アレクサンドル同様、神父の口から謝罪の言葉が出るが、エマニュエルは決して赦さないと吐露する。この事件の重さが改めて実感される。
監督、脚本はフランソワ・オゾン。氏にしては珍しい社会派的な作品であるが、おそらく彼自身、この事件に相当の関心を持ったのだろう。作家としての使命感が、本作を撮らせたのかもしれない。
事件そのものをジャーナリスティックに捉えた一方、告発者が抱えるプライベートな問題に照射したあたりは流石にオゾンらしいと感じた。キャラクター造形や交友関係等、一体どこまで真実に沿って描かれているのか分からないが、単調になりがちなこの手の告発ドラマに上手く緩急が付けられている。
プライベートを犠牲にして訴訟の準備に勤しむアレクサンドルたちは、妻や親、家族から理解を得られず、時に家庭の中で孤立してしまう。その葛藤をつぶさに捉えたあたりに人間ドラマとしての見応えを感じた。
それにしても、ラストで裁判の結果が提示されるが、これをどう捉えるべきか。映画を観終えて自分は少し戸惑いを覚えた。詳細は伏せるが、果たしてこれは事件の解決と言えるのかどうか。今回の事件が明るみにされたことは大いに意義のあることだと思うが、教会という巨大組織の改革はまだまだこれからなのかもしれない。
「ある人質 生還までの398日」(2019デンマークスウェーデンノルウェー)
ジャンル人間ドラマ・ジャンルサスペンス・ジャンル社会派
(あらすじ) 怪我で体操選手の道を諦めたダニエルは、ずっと夢だった写真家になることを決意し、やがて戦時下の日常を世界に伝えたいと内戦中のシリアへと渡る。ところが、非戦闘地域にも関わらず、突然現れた男たちに拘束された彼は監禁されてしまう。家族は人質救出の専門家アートゥアを通じてダニエルの解放を求めるのだが…。
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(レビュー) 実際にシリアで拘束されたカメラマン、ダニエル・リューの実体験を元にした実録サスペンス作品。
過去に日本人ジャーナリストも同じように拉致監禁されたことがあるので、決して異国の地で起きたドラマというふうには観れない。
ダニエルは家族の必死の金策によってどうにか解放されたが、これは運が良かった方だろう。イスラム国の人質になったジャーナリストはそのまま殺害されてしまったか行方不明になった人が大多数であり、それは本作のエンドクレジットで示唆されている。その数字を知ると愕然としてしまう。
ダニエルの祖国デンマークは、国としてテロリストに屈しない姿勢を貫き、政府が身代金を用意することはしなかった。これはアメリカや日本を含め、多くの国が採っている共通姿勢である。かつて「自己責任」という言葉をよく耳にしたが、結局捕まった人を助けるのは、人質の家族しかないのである。それが現実なのである。
ダニエルの家族は、ネットを使って募金活動を開始するが、それだけでは到底要求額を賄えず、企業や銀行などの融資を頼ることになる。しかし、ある程度裕福な家庭なら融資も受けられるだろうが、普通の一般家庭ではそれすらも断られてしまう。ダニエルの家庭も決して裕福と言うわけではなく、資金繰りに難儀する。
本作の見所は、何と言っても人質として捕らわれたダニエルが体験する凄惨な監禁、拷問シーンの迫力と生々しさであるが、もう一つ。身代金をかき集める家族の懸命の努力も見所である。
監督は
「ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女」(2009スウェーデンデンマーク独)のニールス・アルデン・オプレヴ。スピーディーでリアルな演出は本作でも健在で、特にダニエルが人質になって以降の緊迫したトーンの持続には目を見張るものがあった。
また、IS側と交渉するエージェントの活躍や、ダニエルと一緒に人質になったアメリカ人ジャーナリスト、ジェームズのユーモラスな造形など、サブキャラの魅力も印象に残る。
尚、このジェームズも実在の人物をモデルにしているということだ。時に仲間を励まし、鼓舞し、苦しい監禁生活のリーダー的存在になっていく。ダニエルも彼の存在にはかなり救われている様子だった。
脚本はアナス・トマス・イェセン。彼はスザンネ・ビア監督とよくコンビを組んでおり、これまで「ある愛の風景」(2004デンマーク)、
「未来を生きる君たちへ」(2010デンマークスウェーデン)、
「真夜中のゆりかご」(2014デンマーク)といった作品で仕事をしている。シリアスな問題作をスリリングに筆致する手腕は、毎回見事で、本作でもそのあたりの持ち味が十分に発揮されているように思った。
キャストでは、何と言ってもダニエルを演じたエスベン・スメドの熱演に尽きると思う。今回初見の俳優だったが、体重を増減させながら今回の難役に体当たりで挑んでいる。中々の本格派である。
「「僕の戦争」を探して」(2013スペイン)
ジャンル人間ドラマ・ジャンルコメディ
(あらすじ) 1966年、スペイン。ビートルズの歌詞を使って子供達に英語を教えるビートルズファンの英語教師アントニオは、憧れのジョン・レノンが映画の撮影に来ているということを知り、単身アルメリアを訪れる旅に出る。その道中、ある問題を抱えた若い女性ベレンと、家出をした少年ファンホをヒッチハイクで拾う。3人は一緒に旅をすることになるのだが…。
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(レビュー) ジョン・レノンに憧れる英語教師と訳ありな若者たちの交流を心温まるエピソードを交えて描いたヒューマンドラマ。
後で知ったのだが、本作は実在の教師をモデルにして作られた作品ということである。どこまで事実が入っているのか分からないが、最後のオチなどはよく出来ていると思った。
ちなみに、ジョン・レノンが撮影しに来ていたという話であるが、これは「ジョン・レノンの僕の戦争」(1967英)のことだそうである。
物語は型破りな教師アントニオとヘレンとファンホという問題児のロード・ムービーになっている。このアントニオがかなり妄信的なビートルズファンで、そこに観る側がどれだけフィットできるかが作品に対する入り込み方に大きく関わってくるような気がする。確かにビートルズは全世界に大旋風を巻き起こしたことは事実であるし、当時は彼のような熱狂的なファンがいても当然なのだが、教師としては少しキャラクターが子供じみているような気がしてしまった。
例えば、旅の途中で家出少年ファンホを拾うわけだが、曲がりなりにも教師である以上、少なくとも家族の連絡先くらい尋ねないとダメだろう。教師としてのキャラクターのリアリティに乏しく、最初は余り入り込めなかった。
ただ、そんな不信感も楽しい旅が続いていくと段々と消えていくようになる。ヘレンとファンホの道標を与える頼もしさを徐々に出してきて、最終的には面白く観ることが出来た。
また、ヘレンが抱える秘密、ファンホの孤独をユーモアと愛情を交えて描いている所に、人生賛歌的な趣も感じられ、最後はホロリとさせられてしまった。
中でも、ヘレンとファンホのラブシーンは印象的である。旅を終えた彼らが将来的に結ばれるかどうかは分からないが、少なくとも二人の明るい未来を暗示するかのような締めくくり方には、ある種の青春映画らしい”ひと夏の思い出”のようなノスタルジックな感動を覚えた。
本作はビートルズをモティーフとしていながら、彼らの曲が中々劇中にはかからないというのも面白い。終盤になって初めて「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」がかかるのみである。しかし、この溜めに溜めた演出も作品を上質なものとしている。
アントニオを演じるのはハビエル・カマラ。アルモドヴァルが監督した「トーク・トゥ・ハー」(2002スペイン)で気の弱い看護士役を演じていた頃とは、随分見た目が変わっていて驚いてしまった。観ている最中ずっと顔が少しジョン・レノンに似ているな、と思っていたのだが、ラストの”アレ”でクスリとしてしまった。
尚、映画の最後に、ジョン・レノンが来日してからビートルズのLPに歌詞がつくようになったというテロップが表示される。フランコ政権下だったスペインでは、ビートルズに限らずポップカルチャーは厳しく規制されていたという歴史があるので、さもありなん。