スペインの巨匠P・アルモドヴァル監督が世界中にその名を知られるきっかけとなった作品。
曰くつきの作品でこれは衝撃的だ。
「バチ当たり修道院の最期」(1983スペイン)
ジャンルコメディ・
ジャンルロマンス(あらすじ) ナイトクラブの歌手ヨランダは、恋人をヘロインで死なせて警察に追われる身となる。以前ファンだと言って楽屋を訪て来た尼長のことを思い出す。なりふりかまわず修道院の門を叩くヨランダ。尼長は彼女を歓迎した。ところが、彼女がそこで目撃したのは信じられない光景だった。ヘロイン漬けの尼長、LSDのやり過ぎで片時も目の焦点が定まらない肥溜尼、官能小説マニアのどぶ鼠尼、虎を飼っている堕落尼、神父に発情する毒蛇尼。尼長はレズでヨランダに迫ってくる。堪らなくなり出て行くヨランダだったが、逃げ場所がなくて結局戻ってくることになり‥。
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(レビュー) スペインの巨匠P・アルモドヴァルが世界的に知られるきっかけとなった作品。
アルモドヴァルは今でこそ崇高なテーマを描き世界中に多くのファンを持つようになったが、本作のような初期時代には禁忌に挑むような下世話な問題作を多く撮っていた。今回の題材は聖職。あろうことか信教国スペインにおいてである。これほど危険なネタもない。
ヨランダの目の前でおもむろに注射針を打つ尼長の姿に衝撃が走る。他にも、スキャンダラスなシーンは色々と登場してくるが、やはりこのシーンが最もインパクトがあった。何の悪気もなく平然とやってのける所が凄い。
ただ、今作を単なるスノッブ映画として片付けることはできないと思う。
尼長の同性愛的欲望は客観的に見て実に痛ましい限りだが、それは愛することの非情さ、残酷さというものを切ないまでに表現している。つまり、何だかんだと言って真面目に愛について語っているのだ。
若さと美、肉体的精神的解放をヨランダに求める尼長。これに対して、今までの人生を後悔し尼長に赦しを求める罪人ヨランダ。性や立場という枠組を越えた所で、この同性愛は罪と罰の問題、神と悪魔の戦いにまで発展していく。決して実ることのないこの愛は、最後に何ともいえぬ叙情を伴いながら終幕を迎える。
エンドクレジットを観ながら尼長の次のセリフが思い出された。
「私は罪人に感謝する。なぜなら、罪人によって神は死に、蘇るから」
「罪人に感謝する」というこの言葉はヨランダに対する尼長なりのプロポーズだったのかもしれない。彼女は聖職の身ながら、神に対する愛よりも、罪人ヨランダに対する愛を選択した‥ということが、このセリフから分かる。聖職者としてよりも一個人として、彼女は愛を貫いたのだろう。しかし、それは当然許されるものではなかった。彼女の愛は麻薬を打つことよりもっと重い罪だった‥という所に悲しみが湧いてくる。極めてメロドラマ的な要素を持った映画である。
真面目に言うと余り面白く無い。でも、いわゆるキワモノ映画的な面白さがあるんで、見ておいてもいいかも。リメイクされるみたいだし‥。
「デスレース2000」(1976米)
ジャンルSF・ジャンルアクション
(あらすじ) 西暦2000年。大統領が主催する大陸横断のカーレース”デスレース”に全米中が熱狂していた。これはただのレースではない。走行中に人間をひき殺すことによってポイントが加算されていく殺人レースなのだ。不死身の体を持つ仮面の男フランケンシュタインを筆頭に、シカゴの暴れん坊ことマシンガン・ジョー、西部の荒女カラミティー・ジェーン、ナチスの末裔マチルダ、暴君ネロ。時速300キロで疾走する狂気のレース。彼等の前に反政府組織の妨害工作が立ちはだかる。
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(レビュー) マンガちっくなデザインに怪奇趣味なキャラクター、行き当たりばったりなストーリー展開にブラック描写。強引としか思えぬポルノシーンの挿入。これは紛れもないバカ映画である。さすがは製作R・コーマン!
フランケンシュタイン役をD・キャラダインがニヒルに演じている。また、マシンガン・ジョー役を当時無名だったS・スタローンが演じている。ちょっとしたお得感が味わえるかも?
正直、アクション映画としての迫力は皆無だが、地面を這うようなローアングルでスピード感を出した演出はお見事。撮影のタク・フジモトは後にハリウッドで見事に花開くことになるが、そんな彼にもこのような時代があったのか‥。そう思うとなんだか感慨深い。
ところで、この前年に「ローラー・ボール」(1975米)という、やはり殺人スポーツを題材にしたSF作品があった。暴力とマスメディア、管理社会といったガジェットは両作品に共通するものである。どうも単なる偶然には思えない。当時のSF映画の流れだったのだろうか?
尚、本作はリメイクされる方向で企画が進んでいる。きしくも「ローラー・ボール」も先ごろリメイクされたばかりである。リメイク版「ローラー・ボール」は興行的に完全に失敗に終わってしまったが、こちらは監督にあのP・W・S・アンダーソンが乗り出すというのだら注目せずにいられない。
今回はとにかく”勢い”のある日本映画だ。
石井聰亙監督は未だに現役バリバリで尖った作品を撮り続けている。
でも、これは勢いのレベルが違う。あっけに取られること間違いなし。
そして、笑いのあとにチクリと刺さってくる。
「逆噴射家族」(1984日)
ジャンルコメディ(あらすじ) 実直なサラリーマン小林勝国は、明るい妻と浪人生の息子、高校生の娘と郊外の一戸建てに引っ越してきた。憧れだったマイホームを手に入れ幸せを噛み締める勝国。そこに父寿国がやって来た。初めは皆も歓迎するが、一緒に住むとなると一同に迷惑がるようになる。父と家族の板ばさみにあう勝国はストレスが溜まりついに逆噴射!スコップで居間を掘り始める。「地下に部屋を作ってそこに父と住むしかない!」家族の制止もきかずもくもくと掘り続ける勝国と寿国。シロアリを発見して大騒動に‥。
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(レビュー) 文字通り”家”が崩壊していく様をアッパーに綴ったディストラクション・コメディ。監督脚本は石井聰亙。原案脚本は小林よりのり。ギャグマンガ「東大一直線」のネタが実写で再現されていて思わずクスリとしてしまった。
よく人が精神的に病んだ状態を”ビョーキ”と言うが、ここに登場する家族達は正にその”ビョーキ”になっていく。その過程は、父権社会の、言い換えれば父親の権力の指標とも言える”マイホーム絶対主義”を痛烈に皮肉ったものである。今でこそ、その考え方は人生におけるプライオリティが落ちてきた感もするが、”温かな家庭”を築くことはいつの世にも共通する命題だ。そういう意味で、この大狂騒は興味深く見ることが出来た。
映画が始まって30分ほど経って、勝国は突然暴走し始める。それまでは何とも気の抜けた展開なのだが、そこは石井聰亙監督。彼のパンクスピリットが蓋を開けると、あとはせきを切ったように怒涛の展開が始まる。突然登場する砕岩機。”男の強さ=ドリル”と言わんばかりに勝国は掘りまくる!そして、彼の”ビョーキ”に当てられたかのように家族全員が奇行に走り始める。妻は包丁を研ぎ始め、息子は部屋に引きこもり、まるでお経のように暗記文を部屋中に書きなぐる。アイドルデビューを目指していた娘は突然プロレスラーに転進。そして、寿国は軍服を身にまとい、戦中よろしく軍刀を振りかざす。走り、叫び、燃え、流血する。邸宅を戦場とみなした骨肉の争いは、凄まじいという形容を通り越してもはや笑いしか出てこない。しかし、これほどまでの破天荒な展開でも、ふと世間を見渡せば遠からず似たような光景はあるのではないかと思えてしまう。おそらくちょっとしたボタンの掛け違いなのだろう。
本作で難を言えば、クライマックスが少々陳腐で学芸会っぽさが匂う所だ。演出やギャグの過剰が仇となってしまったような気がする。もっとも、この陳腐さを取り払ってしまうと全然笑えない代物になってしまうのだが‥。このさじ加減は実に難しい。
ただ、その後に続く哀愁漂うオチは秀逸だった。中々心憎い結末である。
寒ッ‥!雪が積もってるよ!
そんな日は家でおとなしく映画鑑賞。
今回はショーン・ペンの演技に尽きる作品。
「リチャード・ニクソン暗殺を企てた男」(2004米)
ジャンル社会派・ジャンルサスペンス
(あらすじ) サムはごく平凡なセールスマン。妻子と別れ地道にやり直しを図るが、不器用で営業成績はままならずいつも上司に馬鹿にされていた。唯一の親友と事業を開業しようと融資を申請するが、これも上手くことが運ばない。そうこうするうち裁判所から婚姻解消の書類が届く。自暴自棄になった彼は、テレビに映るニクソンを見て暗殺計画を思い立つ。
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(レビュー) 「負け組」「勝ち組」という言葉がある。余り好きではない言葉だが、そこで言うとサムは完全に「負け組」側の人間である。世渡り下手な人間は何をやっても上手くいかずドツボにはまってしまう。”世の中そんなもん”と言ってしまえば、確かにそのとおりである。この映画は、その”世の中そんなもん”をシリアスに綴った社会派サスペンス作品だ。実話を元にしている。
サム役は演技派俳優S・ペン。全編彼の独壇場と言った感じで、初めこそ”やりすぎな感”が鼻につくが、人生の光明を失い焦心しきっていく様には説得力が感じられた。見事な演技である。
ところで、このサムというキャラクターだが、ストーリーから言ってどうしても「タクシードライバー」(1976米)の主人公トラヴィスを髣髴とさせる。最終的に過激なアナーキストに変貌するあたり、どこか似ている。ただ、反体制的な行動に出たことでは共通しているが、そこに至る過程については決定的な違いがあると思う。
まず、トラヴィスはベトナム帰還兵というバックストーリーを背負うことで一匹狼的な側面、少なくとも売春少女にとっては強靭なヒーロー性を持った男だった。
これに対してサムには一切ヒーロー性が無い。上司からパワハラを受け、妻や兄から三行半を下され、挙句の果てにブラックパンサーにまで袖にされる始末。容赦なく社会から虐げられていくのだ。
しかも、二人の違いが最も顕著に出ているのが、暗殺に向かう際の犯行声明、あるいはモノローグ(心の声)である。トラヴィスは”俺”が社会浄化の主役であるのに対して、サムは”俺”ではなく”僕ら”と言っている。これは、サムが何かしらの後ろ盾を必要とした証拠であり、テロを実行しようとする人間であるにも拘らず確固たる信念を持てない”弱さ”の表れであろう。つまり、ヒーロー性を持つトラヴィスにはかろうじて共感をおぼえられたが、サムは単に愚鈍なヤツとしか見れないのだ。一見似た者同士だが、実は両者にはこんなにも違いがある。
さて、今のアメリカは格差社会が進みサムのような憤りは当時よりも増えているような気がしてならない。そして、ここ日本でも同じことが言えるのではないだろうか。そう考えると怖い気もする。過去の事件を描きながら、その中にきちんと現代世相を投影している所は中々鋭いと思った。
製作は「ハリポタ」の監督も務めたA・キュアロン。このようなインディペンデント系の作品を企画したのだからプロデューサーとしての手腕は中々のものだと思う。メイン・ストリートとインディペンデントの両方を歩める人はそうそういないものである。ある意味で、キュアロンは器用な作家と言うことができるのかもしれない。
今回はマニアックなチョイスですよ。
チェコの人形作家シュヴァンクマイエルの作品。
これが長編デビュー作となるのですが、いやはや正に鬼才という感じ。
「アリス」(1988スイス)
ジャンルファンタジー・ジャンルアニメ
(あらすじ)
アリスが部屋で人形遊びをしていると、突然傍にあったガラスケースから白ウサギが懐中時計を持って飛び出してきた。白ウサギは机の引出しに入っていってしまった。アリスもそれに続いて入っていく。黒インキを飲むと背が縮み、タルトを食べると大きくなり、涙が海になり、不思議の世界へ流されていくアリス。白ウサギにメリー・アンと勘違いされた彼女は奇妙な動物達に襲われることになる。
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(レビュー) チェコの人形アニメーション作家J・シュヴァンクマイエル監督の長編デビュー作。「不思議の国のアリス」をベースにしたちょっと不気味な世界が繰り広げられる。
アリス以外の登場キャラはすべて人形。どこか愛嬌も感じられるが、基本はメルヘン世界とかけ離れたダークファンタジーの住人といった風貌である。ミニチュアサイズの部屋や小道具、書き割りで描かれたトランプの国等、背景にシュールさも漂う。少女が見る悪夢とはこういったものなのかもしれないが、だからと言って決して本作は子供向けとして作られているわけではない。見たらトラウマになりかねないような代物だ。それくらいアクの強い作品である。近いものとしては「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」(1993米)が思い出されるが、本作はより生理的嫌悪感をもよおすようなガジェットが多分に含まれている。特に、パンから釘が飛び出したり、生肉が這いずり回るシーンは気色が悪かった。いかにもシュヴァンクマイエルらしい唯一無二の感性である。
尚、机の引出しの取っ手、はさみ、針、靴下等、印象的に撮られている。これらは何かのメタファーなのだろうか?何か意味を持たせているような気がするのだが、よく分からなかった。
しかし、この映画はあれこれ思考するよりも、独特の世界観に触れて楽しむのが一番正しいのかもしれない。頭をハイにして見るべき映画である。
「南京の基督」(1995香港日)
ジャンルロマンス(あらすじ) 1920年代。日本人作家岡川は仕事で南京へやって来た。遊郭で女中として働く金花を見た彼は一目惚れする。すぐに2人は結ばれ所帯を持ったが、実は岡川は日本に妻子がいる身だった。第二子誕生の報に彼は帰国してしまう。残された金花は実家の借金返済のために身体を売り、客から病気をうつされてしまう。病の苦しみで次第に精神を崩壊させていく金花。それを知った岡川は南京へ戻るのだが‥。
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(レビュー) 原作は芥川龍之介。岡川に芥川のイメージがかぶさる。この作品を見て悩める作家の心中を少しばかり察することができた。
2人の愛は初めこそ明るく希望に満ちたものだったが、岡川の帰国でそれは一変する。性病にかかった金花は信仰心を強め、岡川に対する愛との狭間で次第に精神を崩壊させていく。岡川はそれを支えることが出来るかどうか?というのが本作のクライマックスであるが、考えてみれば彼ほどエゴイスティックな男はいない。不倫の挙句、愛人を死に追いやろうとしているわけだから‥。今さらどの面下げて許しを請おうというのだろうか?おそらく女性の立場から見れば腹が立つに違いないだろう。
ところで、二人の関係に日本と中国における負の遺産をどうしても推察してしまう人もいるだろうが、原作者の芥川のことを考えると、それは飛躍しすぎな気がする。これはあくまで個人的なドラマとして捉えた方が妥当だろう。彼自身キリシタンだったという過去も含め、この物語には自己投影的な部分が多く認められる。晩年、自殺にいたる経緯に迫るかのようなラストにも強い自己投影が感じられた。
この作品は日本と香港の初の本格的合作ということで、金花役を日本人である富田靖子が、岡川役を中国人であるレオン・カーフェイが演じている。興味深いキャスティングだが、成功しているかと問われれば微妙なところだ。富田靖子はフルヌードで濡れ場を大胆に演じ女優魂を見せているのに対し、カーフェイは日本語がほとんど話せず演技に今ひとつ覇気が感じられない。カーフェイは芸達者な俳優であることは認めるが、今回の役柄には若干無理があるように感じた。
映画も劇中歌もヒットした作品だけに、これは見ておかねば‥という感覚で見てみた。
中島美嘉はバラードの方が断然良い!というのが個人的結論だが、映画全体としての感想やいかに?
「NANA-ナナ-」(2005日)
ジャンル青春ドラマ・ジャンル音楽
(あらすじ)
ロックバンド、ブラストのヴォーカリスト大崎ナナと恋人を追って上京した小松奈々。年も名前も同じ二人は、雪で立ち往生する新幹線の中で出会った。その後、二人はアパートを探している時に偶然再会。そのまま同居することになる。ある日、ブラストの元メンバーが新曲を携えてナナのところへやってきた。ナナの心中は複雑である。恋人でギタリストだったレンとの別れが彼女を音楽の世界から遠ざけていたからだ。現在、レンは人気絶頂のバンドTRAPNESTのギタリストとして活躍している。しかし、失意の彼女をそのデモテープは奮い立たせてくれた。一方、奈々は恋人の傍にいられることに日々幸せを感じていた。しかし、彼の浮気を知ったことでその幸せは一気に崩れ去ってしまう。
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(レビュー) 若い女性を中心に熱狂的な支持を集める同名コミックの映画化。能天気で平凡なOL奈々と繊細なアウトロー、ナナ。二人の恋と友情をテンポよく綴った青春ストーリーだ。
このドラマは奈々の視点で構成が組み立てられている所にポイントがあると思う。ナナの生き様は、奈々(つまり平凡な我々観客の視点)から見た場合、新鮮さと驚きをもって受け止められる。同性から見た”格好良さ”というものがナナのキャラクター・チャームであり、奈々視点の構成でよりそれは際立つものとなっている。女性の人気を集めるのも頷ける。
しかし、この作品単体として見た場合、映画としての力強さはあるだろうか?
後半に差し掛かってくると、ナナには無いものを奈々が持っているという、言わば恋愛に対する二人の立場的な優劣が逆転するようになる。この映画はそこに深く言及しきれていないように思った。結局、女同士の友情というテーマを昇華しきれないまま、前面に魅力を放つナナのみをフィーチャーする格好となってしまい奈々の葛藤が消化不良に終わってしまっている。
また、演出上所々に「あれ?」と感じてしまう部分があり、そこも勿体無く感じた。
例えば、幸子が章司達の話を偶然耳にするシーン。奈々が失恋するファミレスのシーン。いずれも言葉と演技の噛み合わせが悪く、状況設定的にも違和感を覚えてしまう。また、演技にナルシス要素を入れるのも余りいただけない。
これは原作がコミックということで仕方が無いことかもしれないが、漫画における演出をそのまま実写映画の中に取り入れてしまうと得てしてコメディチックに見えてしまう場合がある。原作は未見なので詳細は知らないが、どうもその辺りの演出上の取捨選択を誤っているように思える。少なくともシリアスな場面では避けた方が懸命ではなかったか‥と思った。
ここ最近忙しくて全然映画館に行けてなかったんだけど、久しぶりに映画館に行った。
すでに去年から公開されていて話題になっている作品「パンズ・ラビリンス」。
まだ都内でもやっていたということなので見に行ってきました。
「パンズ・ラビリンス」(2006メキシコスペイン米)
ジャンルファンタジー(あらすじ) 1944年、内戦で揺れるスペイン。12歳の少女オフィリアは身重の母に連れられて、山奥の屋敷へとやって来た。そこはフランコ軍を指揮するビダル大尉の屋敷だった。母が彼と再婚することになったのだ。山に潜伏するレジスタンスとの戦いが激化する中、オフィリアは心細さと不安で押し潰されそうになった。そんな時、屋敷の傍に大きな森を見つける。昆虫の姿をした妖精に案内されて行った先は地下深くにある洞窟。そこには牧神パンがいた。パンはオフィリアを魔法の国のプリセンスの生まれ変わりだと言う。冷酷な義父ビダル、日に日に体が弱っていく母、無情な戦争。現実から逃避するようにオフィリアは魔法の世界へとのめり込んでいく。
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(レビュー) 少女の空想世界を描いたダーク・ファンタジー。
監督脚本はギレルモ・デル・トロ。この監督の作品は「ブレイド2」(2002米)しか見てないが、その時はさほど印象には残らなかった。しかし、今回は作家としてのユニークさを前面に出しながら、独特の世界観が堅持された快作となっている。
オフィリアの不思議な体験は、実はそれほど奇をてらっているわけではない。数多あるファンタジー作品を見ている人ならば、紋切り的なアドベンチャーの世界と捉えるだろう。この映画が一線を画すのは、そこに戦争の現実という”影”を合わせ鏡のように組み込んでいる点である。オフィリアの空想世界、すなわち”光”と内戦に明け暮れる現実世界、すなわち”影”。この二つが見事なバランスで共存しこのドラマを成立させている。
幼い少女にとってこの現実は陰惨で孤独で余りにも過酷だ。空想世界に思いをはせるのも無理もない話である。その過程が実に丁寧に描かれている。娯楽性を好む客層には受け入れがたい語り口だろうが、この丁寧さは良心だ。そして、安易に空想世界に遊ぶことを良しとしないところも、製作サイドから発せられた良心としてのメッセージである。現実は厳然とした形で存在する。そのことをこの映画は教えてくれる。ほろ苦い鑑賞感は決して子供向けのファンタジー映画ではない。むしろ大人の鑑賞に堪えうるファンタジー映画だと思う。
とはいえ、やや現実の話を持ち込みすぎたかな?‥という印象は持ってしまう。確かに作品はリアリティを持つに至っているのだが、ファンタジー映画というジャンルにカテゴライズされる以上、もう少しドラマを空想世界に振り分けて欲しかった気もする。このあたりのさじ加減は好みの問題もあるので中々難しい。
「冬冬(トントン)の夏休み」(1984台湾)
ジャンル青春ドラマ(あらすじ) 小学校を卒業したばかりトントンは妹のティンティンと夏休みを祖父の家で過ごすことになる。病気で入院中の母を見舞いに行った後、叔父に連れられて田舎へ向かった。途中で些細なアクシデントに見舞われるが、そのおかげでトントンは地元の子供達と仲良くなれた。川遊びや虫取りをしながら毎日楽しく過ごすトントン。一方、ティンティンは男の子達の輪の中に入れてもらえずへそを曲げて悪戯などをした。やがてそんな彼女にも親友が出来る。いつも傘を持ち歩いてるハンズという聾唖の女である。村の皆は気味悪がって馬鹿にしていたが、ティンティンはある事をきっかけに彼女に親しみを持つようになった。そんなある日、叔父の周囲でやっかいな事件が起きる。
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(レビュー) 小学生の一夏の出来事を牧歌的なタッチで綴った作品。
監督はホウ・シャオシェン。ロングテイクや抑揚的な作風、氏の独特のスタイルがまだ確立される以前の作品で、やや難解とされる一連の作品と比べると比較的とっつき易い作品になっている。また、殺伐さがない所も親しみやすい。
風にそよぐ森林や煩いくらいの蝉の鳴き声、どれもこれも懐かしい気分に浸らせてくれる。田舎といっても夫々に思いは異なるが、個人的には田んぼのあぜ道を歩くシーンや、ハンズのような存在にどこか懐かしさを覚えた。
物語は非常に淡々と進む。最近観た映画で「天然コケッコー」(2007日)という日本映画があるが、あれに近い印象だ。特に大きな事件(クライマックス)が用意されているわけではない。しかし、トントンの視座がしっかりと固定されているので決して散漫な印象はない。作りがとても丁寧だ。
後半、母親絡みでトントンの成長が描かれる。ここも決して押し付けがまくなく、ごく自然なものとして受け止めることが出来た。おそらく全体を貫くこの”緩~い雰囲気”との親和性がそうさせるのだろう。
尚、このエピソードにはハンズの”あるアクシデント”が微妙に絡んでくる。このハンズという聾唖の女性キャラは出色だと思う。彼女とティンティンの交流は実に面白く観れた。
奇異なる存在として世間からドロップアウトしたハンズ。田舎に来て孤独を感じるティンティン。二人にシンパシーが芽生えるのはある種当然のように思え、この絆は”あるアクシデント”によって更に強固なものとなる。ハンズはティンティンに我が子を、ティンティンは入院中の母を彼女にダブらせ、この友情を擬似母娘のように見せていくのだ。これにはホロリとさせられた。
前回のシリアスモードから一転して、今回はとんでもバカ映画の紹介です。
振り幅大きすぎるって‥?
ごもっとも。節操ありませんから~(^_^;
「フレッシュ・ゴードン(ヘア解禁ノーカット完全版)」(1974米)
ジャンルSF・ ジャンルコメディ・ジャンルエロティック(あらすじ) 宇宙からの怪光線により人々が欲情するという事件が多発する。ゴードン博士はこの危機を救うべく、海外でプロスポーツプレイヤーとして活躍する息子フレッシュを呼び寄せる。ところが、フレッシュの乗った飛行機も怪光線を浴びて墜落。同乗していた美女デールと何とかその危機を脱したフレッシュは、マスカキ博士と偶然遭遇し、博士の作ったポコチンロケットに乗って光線の発信元であるポルノ惑星へと飛び立った!
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(レビュー) SF作品「フラッシュ・ゴードン」を下ネタ満載で映像化したパロディ映画。
誉め言葉で言うが、下らなさ過ぎる。ストーリーは行き当たりばったり。高揚感皆無。脱力必至。頭の悪さ加減で言えば、M・マイヤーズ主演の「オースティン・パワーズ」シリーズと大して変わらないレベル。しかし、エロな小ネタをふんだんに盛り込んでいる点はカルト視されて当然という気がする。ここが他のバカ映画と一線を画す所だ。
例えば、前半、ややしばらく全裸状態でいるデールに誰も突っ込みを入れないのはどういうことか?目ざとくヘアピンに目が行くフレッシュってどうなのよ?‥とか。とにかく、不要なくらいエロが垂れ流される。本作はヘア解禁版ということだが、なんかチン○にボカシをかけ忘れている部分があるんだけど‥(^_^;
ネタとしては、宇宙空間に漂うLUCKY STRIKEとパイオツ光線に爆笑した。
特撮も中々頑張っている。レズの洞窟で登場するカマキリ・ロボットのダイナメーションは、本家ハリーハウゼンに負けず劣らずの動きを見せる。スタッフロールを見たら、これまた特撮界にこの人ありのデイブ・アレンだった(後にデヴィッド・アレンと改名)。この人は「恐竜時代」(1969米)や「ロボ・ジョックス」(1990米)の特撮監督でマニアのファンが多い。
また、メイクアップ・アーティストには大家R・ベイカーが参加している。これもマニアとしては嬉しい限りである。