人間は孤独である。それをビジュアル上に焼き付けたラストショットが印象深い。
この作品もそうだが、ポランスキー初期時代の映画はいずれも苦々しい鑑賞感を残す。
「袋小路」(1965英)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) 強盗犯のディッキーは瀕死の相棒を乗せて車を走らせていた。辿り付いたのは海辺の古城。そこには年の離れた夫婦が住んでいた。若妻テレサは中年夫ジョージの目を盗んで、城を訪れる青年と情事を重ねていた。彼女はディッキーの出現に戸惑うが、なぜか彼のペースに乗せられてしまう。それを見たジョージは嫉妬心を募らせていく。その後、朝を待つことなく相棒は息を引き取ってしまった。仕方なくディッキーはボスに連絡して迎えに来てもらおうとするが‥。
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(レビュー) 倦怠期の夫婦とそこに潜り込んだ犯罪者の一夜をサスペンスフルに綴った作品。
監督は鬼才R・ポランスキー。テーマは不毛の愛といったところか。
ドラマは至極単純。ややご都合主義な面もあるが、この映画の面白さはそれのみで語られるべきではない。基本的にはシリアスなドラマだが、独特のブラック・ユーモアが随所にちりばめられていて楽しめる。
まず、各々のキャラクターが出色だ。テレサに女装させられて悦ぶ夫ジョージや、犯罪者でありながらどこか人の良さを垣間見せるディッキー。一筋縄ではいかない人物達が面白い。中盤で登場するセレブなカップルも中々面白い関係性を見せている。そして、映画は彼らの間に流れる不穏な空気を巧みなダイアローグとカメラワークで表現している。
彼等は対立を繰り返しながら虚栄、羞恥、孤独、残酷な自分を曝け出していく。人間の建前を剥き出しにするこの作劇は見ていて決して気持ちの良いものではないが、そこにはポランスキーなりのペシミスティックな人生観がはっきりと出ている。夢を語る映画がある一方で、こうした”現実”を提示して見せてくれる映画は希少だと思う。
ただ、同じポランスキー作品で言えば「反撥」(1964英)や「水の中のナイフ」(1962ポーランド)といった過去作の方が、神経症的な演出では切れがあるように思った。先に見たインパクトということもあるかもしれないが、極限状態における人物の心理、切羽詰った状況における人間の狂った言動は、本作の場合、幾分弛緩する。特に、中盤の”ごっこ遊び”がいただけなかった。
この映画のもう一つの魅力は舞台となる古城のロケーションにあろう。夜になると潮が満ち文字通り”陸の孤島”と化すこのファンタジックな状況設定。ラスト・ショットの意味と共に、このドラマを見事に印象付ける舞台である。
コミックを意識した作りが功を奏している。中々面白かった。
「逆境ナイン」(2005日)
ジャンルコメディ・ジャンルスポーツ
(あらすじ) 全力学園野球部は今や廃部寸前にあった。校長からの廃部勧告を受けて主将の不屈闘志は去年の優勝高日の出商に勝つことを宣言する。早速猛練習が始まるが部員は次々と脱落していった。ところがこの逆境に際して天が味方をし、思わぬ形で不戦勝を手にする。しかし、校長はこの勝利を認めなかった。今度は甲子園出場を目指すことになるナイン。そこに現れたのが野球ド素人の監督榊原剛だった。
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(レビュー) 目の前に立ちはだかる逆境を乗り越えながら全力でプレイする男達を描いた青春野球映画。同名コミックの映画化。
原作は未見だが、原作者である島本和彦の漫画はどれもこれもやたらバカ熱い。そのテイストは上手く表現されていると思った。CGを駆使した演出も効果的。中には寒いギャグもあるのだが、概ね笑わせてもらった。
勢いだけで突っ走る作品なので、ストーリーにそれほど期待はしてなかった。
ただ、クライマックスの演出が息切れしてしまったのは残念である。野球と恋の選択に悩む不屈の葛藤は、盛り上げ方として今ひとつ。クライマックスらしい切迫感というか、いわゆる島本テイストの熱度にはほど遠いものである。滝のような涙を溢れさせるような演出があっても良かったような気がする。そういう意味では、松尾スズキ監督作「恋の門」(2004日)の方がよっぽどバカっぽい。
また、前半の展開が水っぽいのも難だ。実際に試合が始まるまでかなりじらされる。一つか二つ野球部らしいシーンが欲しかったところ。
不屈役の玉山鉄二、マネージャー役の掘北真希、両者ともに好演。特に、堀北のマネージャーが可愛い。これまで彼女にそれほど魅力は感じなかったが、この映画でその見方を改めさせられた。
Z」(1970仏アルジェリア)
ジャンルサスペンス・ジャンル社会派
(あらすじ) 地中海に面した軍事政権下の国。その日、反政府組織は指導者であるZ議員の演説を準備していたが、政府の圧力により尽く妨害される。仕方なく今にも暴動が起こりそうな中、Z氏の演説が強行された。これが悲劇を引き起こす。暴漢に襲われたZ氏は重症を負い、死者まで出てしまったのだ。2人組みの犯人は警備中の憲兵隊に拘束される。しかし、軍はこれを事故に見せかけて隠蔽しようとした。ただ一人、予審判事だけが事件の真相究明に乗り出す。
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(レビュー) 軍事政府の恐怖を描いたポリティカル・サスペンス。
名称を具体化してないが、この映画で描かれていることは1963年にギリシャで実際に起こった事件をモチーフにしているということだ。当然ギリシャでは物議を醸し上映が中止されたらしい。
全ての具体的なキーワードをぼかしたのは、そうせざるを得なかったという事情からだろう。製作の障害となればこれも止むなしである。ただ、少なくともこの映画を作った「勇気」というのは賞賛されるべきだと思う。
タイトルを「Z」としたことにも、名称を出せないという事情が絡んでいる。実は、この題名には重要な意味が隠されていることが、映画のラストで分かるのだが、イニシャル一文字でテーマを語ってしまうあたりは正に逆転の発想である。たった1文字、されど1文字。「Z」の意味を知った時の衝撃たるや、脳天をこん棒で殴られたような感覚だった。この映画はこのラストに全てが集約されていると言っても過言ではない。
監督は硬派な社会派的作品で知られるコスタ・ガヴラス。政治的な問題が絡んでくるので小難しく思えるかもしれないが、意外にも娯楽色が豊かである。ただ、前半は設定の説明に割かれるため、どうしても難解な政治背景が全面に出てこざるを得ない。ドラマが動き出す暴動シーンまでが少し退屈してしまった。
予審判事の捜査が描かれる後半は、一転してサスペンス調な作りが加速されていく。黒幕や事件のからくりは初めから種明かしされているのでミステリとして楽しむことは出来ないが、予審判事とその協力者達が身の危険を感じながら真実を追究していく姿はスリリングに活写され目が離せない。軍はあからさまな手口を使って捜査を妨害するわけではなく、嫌らしい手口で潰しにかかってくる。これがリアルな怖さを生んでいてサスペンス的な面白さは十分である。
三木聡監督によるコメディ作品。
一般的には「時効警察」で知られる氏だが、TVでは出来ないような冒険が見られて楽しい。
「ダメジン」(2006日)
ジャンルコメディ
(あらすじ) 定職も持たず廃工場のバラック小屋でその日暮らしを送る3人の”ダメジン(人)”がいた。リョウスケ、ヒラジ、カホル。ある日、彼らの前に刑務所から出所してきたばかりのヤクザ、ササキが現れる。ササキはリョウスケ達を気に入り、トルエン中毒の愛人チエミと零細工場勤務の中年女カズエを連れてドライブに出かける。ところが、途中でササキとチエミが喧嘩しリョウスケ達は置き去りにされてしまった。仕方なく歩いて帰るリョウスケ達。その道中、彼らは宇宙人と遭遇し、インドへ行って世界を救えという使命を受ける。
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(レビュー) 「亀は意外と早く泳ぐ」(2005日)の三木聡監督によるシュールなコメディ作品。
公開は前後したが実質的には本作が三木監督のデビュー作となる。エキセントリックな笑いの連発はいかにも三木テイスト。癖があるため万人に受け入れられることはないだろうが、個人的にはツボに入りまくりである。
まず、三木作品には御馴染みの一癖も二癖もあるキャラ達が笑わせてくれる。相変わらずのマンガチックな変態キャラクターのオンパレードだが、特に今回は女子高生天使(?)や宇宙人、川に住む男といった、ほとんどUMAとしか思えないような連中が際立っていた。
また、キャスティングのお遊びも楽しい。あの麿赤兒に小人を演じさせたり、菅原洋一なんて意外な人も特別出演している(一体どこから引っ張ってきたのやら)。
シュールな設定も三木テイスト。
廃工場にそびえるロケット、川べりに立つ派出所、防波堤に忽然と存在する床屋、同じ張り紙が壁にずらりと貼られた道端など、変な光景のオンパレードである。連想されるのが鈴木清順作品における木村威夫の美術だろうか。しかも全体的に昭和のテイストを感じさせ、そこがまた時代錯誤的で異空間のごとき錯覚を引き起こす。こういった数々のシチューエーションの”お遊び”もまた本作の魅力だろう。
難はクライマックスである。このドタバタ劇は余り肌に合わなかった。それまでのオフビートな作りから少しかけ離れているような気がする。なんかこう‥台無しにされてしまったような、そんな気がしてならない。
ちなみに一番笑ったのは、カマイタチによるスプラッタ描写と岩松了演じる社長の失禁シーンであった。
キャストには金をかけているようだが、作り的にはB級である。
しかし、プロット自体はよく出来ていて楽しめた。
「追いつめられて」(1987米)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) 米海軍将校ファレルは、新任の国防長官ブライスの就任式に出席する。彼はそこでスーザンという女性と出会い熱い夜を過ごす。実は、彼女はブライスの愛人だった。その後、ファレルは作戦行動中に同胞の命を救ったことで一躍英雄となる。新型潜水艦の開発計画を推進するブライスはこの名声に目をつけた。同じ女を愛する者同士、2人はやがて恐るべき陰謀の中で対峙していくようになる。
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(レビュー) 組織に取り込まれた人間が、やがてその組織に命を狙われていくようになるクライムサスペンス劇。
こうしたプロットはスパイ映画などではお馴染みだが、後半の展開が中々魅せる。ペンタゴンを舞台にした追跡劇は、四面楚歌状態にある主人公の心理にスリリングに迫り、正にタイトルが示すとおり”追いつめられていく”過程にハラハラドキドキさせられた。
このサスペンスを生む”からくり”にはちょっとした工夫が凝らされていて、未見の方はその辺りの面白さをぜひその目で確認していただきたい。幾つか突込みどころもあるのだが、基本的なプロットはよく出来ていると思う。また、ラストのどんでん返しも意外性があって楽しめた。
ただ、この映画は前半がひどく退屈なのが残念だ。伏線や人物紹介といった事件発生に至るプレマイズがひたすら冗漫に描かれている。
序盤からカーセックスを延々と写すのに何の意味があろうか?そもそも、スーザン役のS・ヤングに余り魅力を感じない俺にとって、このシーンはひたすら苦痛でしかなかった。もう少し悪女的な魅力を持った女優ならこの役を上手く演じられたのではないかと残念に思う。
S・リー監督による社会派群像劇。傑作「ドゥ・ザ・ライト・シング」の姉妹版のような作品である。
「ジャングル・フィーバー」(1991米)
ジャンル人間ドラマ・ジャンル社会派
(あらすじ) 建築会社に勤めるフリップは妻子と幸せな家庭を築いていた。そんな彼にも悩みはある。黒人であることから上司に差別を受け、日ごろから不満を抱いていたのだ。そんなある日、アシスタントとして派遣社員のアンジェラがやって来る。彼女はイタリア系移民一家の末娘で、父と出来の悪い2人の兄に縛られて生きていた。雑貨屋を営むイタリア人青年ポーリーと付き合っているが、奥手な彼に最近物足り無さを感じていた。ある晩、残業で遅くなった二人はつい出来心で不倫をはたらいてしまう。これをきっかけに2人の私生活は崩壊していく。
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(レビュー) 富裕層の黒人男性と貧しいイタリア人女性の不倫劇を周辺人物との絡み合いで描いたビターな人間ドラマ。
製作、監督、脚本はS・リー。いかにもS・リーらしい社会派的な一面を忍ばせた作りになっている。フリップが直面する人種差別の問題を筆頭に、麻薬の問題、少女売春問題。更には、フリップ、アンジェラ夫々の両親との軋轢に見られる宗教問題。
前々作「ドゥ・ザ・ライト・シング」(1989米)で人種問題を強く押し出したS・リー監督だが、ここでは同じハーレムを舞台に多種多様な問題を取り上げている。彼の意欲が伝わってくるような一本だ。
また、映画に登場する黒人というと、それまではどちらかというと経済的に貧しいイメージが持たれがちだったが、ここでの主人公フリップは富裕層である。これも今までに見られないリーなりの挑戦だろう。
ただ、その意欲は買うのだが、これだけ多くの問題を詰め込んでしまうと作品のパワーはどうしても拡散してしまう。
フリップとアンジェラの不倫のドラマ自体も安直で少し退屈感を覚えた。彼らの周囲の人間を引き合いに出して様々な問題を語らせるという手法を取っている以上、どうしてもドラマの芯たる不倫劇が希薄になってしまうのも無理もない話だが、だとすれば問題をどこかに集中すべきだったのではないだろうか?
例えば、ポーリーに関するエピソード一つ取ってみても、このドラマにどこまで必要だったのか疑問に残る。フリップの兄ゲイターのエピソードにしてもそうだ。群像劇の作り方として、これは少々欲張りすぎたような気がした。
とはいえ、この映画で一番強く印象に残ったのはゲイターのエピソードだったのだが‥。
これはS・L・ジャクソンの怪演による所が大きい。彼が母親にヤクの金を無心に来るシーンのインパクトといったら凄まじい。ここで描かれる顛末はジャンキー=社会的落伍者の悲劇を衝撃的に語っている。
そもそも彼がヤク中になってしまった原因はどこにあるのだろうか?彼自身か?両親か?フリップか?それとも政治に原因があるのか?
答えが見つからない。しかし、見つからなくて当然という気がする。なぜなら、もしその答えが見つかっていれば、ハーレムの現実はここで描かれているような荒んだ状況にはなっていないはずだからだ。
なんともやり切れない思いが残るが、過酷な現実を直視させるエピソードだった。
純粋にアクションのみ楽しめた。
お話の方は大味なんで、、、(^_^;
「アイランド」(2005米)
ジャンルSF・ジャンルアクション
(あらすじ) 大気が汚染された近未来の地球。人類は地下の管理施設で暮らしていた。彼らに残された希望は地上で唯一の楽園”アイランド”だけである。但し、アイランドへ行けるのは運良く抽選に当たった者だけだった。リンカーンは最近奇妙な悪夢に悩まされていた。それが何を意味するのか分からなかったが、施設を統治する博士はその兆候を危険視した。一方、親友のジョーダンがアイランド行きの切符を手に入れる。喜びも束の間、リンカーンはこのシステムに恐るべき陰謀が隠されていることを知るのだった。
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(レビュー) クローン社会の恐怖を描いたSFアクション作品。
展開が進むにつれてストーリーは破綻しまくり、突込み所が目立つ。製作、監督がM・ベイということなので予想はしていたが‥やはりそのとおりとなってしまった。
ただ、目の付け所は中々鋭いと思った。SF映画ではすでに語り尽くされているテーマであるが、昔と違いこの種のクローン問題は最近富に現実味を帯びてきている。受け取る方としても色々と考えさせられるのではないだろうか。
もっとも、単純明快、勧善懲悪なハリウッド・ライクな作りになっているので、そのテーマを深く消化する所までいっていないが‥。
一方、アクションシーンについては上手く作られている。中盤のカーチェイスシーンが一番興奮した。何となく「マトリックス リローデッド」(2003米)ぽい感じもするが、超能力を出すような荒唐無稽さも無く、主人公の不死身度合いもこの程度なら許せる範囲である。
久しぶりに硬派な時代劇を見たという感じ。
終盤が今一だったが、それ以外は見事な作り。
「上意討ち 拝領妻始末」(1967日)
ジャンルアクション・ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 会津藩士笹原伊三郎の元に、松平正容の側室お市を長男与五郎の妻に拝領せよという命が下される。お市が出されるのは正容に無礼をはたらいたからだと言う。お家のために伊三郎はこれを受けた。ところが、噂とは裏腹にお市は気立ての良い娘だった。よくよく聞けば、大奥での一件は実に気の毒な理由から起こったものであることが分かる。やがて与五郎との間に女児をもうけ、一家は幸せな暮らしを送る。そんなある日、またしても正容より藩命が下される。それは余りにも理不尽極まるものだった。
映画生活goo映画

(レビュー) 理不尽な封建制秩序と戦う武士のドラマ。
いかにも時代劇らしい凛とした風格を持った作品である。伊三郎、与五郎夫々に己の誇りのためにお上に抗う様は、天晴れとしか言いようがない。何があってもこれだけは曲げられないという強い信念、男の生き様が感じられた。
ただ、終盤の展開は少し冗長という気がした。伊三郎と帯刀の決闘シーンは大いに盛り上がりクライマックスとしては申し分ない。しかし、その後に続く展開は少々くどいという印象を持ってしまった。全編が緊迫感溢れるリアルな戦いなのに、ここだけは余りにも荒唐無稽に演出されている。せっかくの緊張感漂う作風がここで一気にぶち壊されてしまった気分にさせられる。
伊三郎を演じるのは三船敏郎。本作は三船プロダクションの製作である。終盤の戦いにおける過剰なヒロイックさに、何となく俳優としての欲心を穿って見てしまうのだが‥。
ところで、今作で少し変わっていて面白いと思ったのは、伊三郎が妻に頭が上がらないという設定である。彼は婿養子という立場で家の中では肩身の狭い思いをしている。当時の男権主義社会というイメージを逆手にとったユーモラスな設定で「必殺仕事人」の中村主水を連想した。
そもそも旧来の封建制度に反目する伊三郎であるから、当然男尊女卑という古い考え方も彼の中には存在しない。力の弱い女、子供には優しくする‥という頼もしきヒーロー性がそこに表れているような気がした。
監督は小林正樹。静と動のギャップを巧みに利用した演出は息詰まるような緊迫感を作り、整然とした映像構図にはある種の視的快感も覚える。これらによって今作には時代劇らしい凛とした風格が生まれている。
また、武光徹の音楽はひたすら暗いのだが、小林演出のトーンとの相性で言えば程よくマッチしていると思った。
難は、時々メイクと照明が過剰になる点か‥。これはいただけなかった。
キャストでは帯刀を演じる仲代達也の演技が印象に残った。瞬きをしないロボットのような風貌を貫き、情に惑わされない冷徹な人間である事がその表情からはっきりと分かる。
この映画を見ている最中に、友人から”水野晴郎氏死去”のメールが入った。
「シベ超」完結することなく‥さぞかし無念であったでしょう。
ご冥福をお祈りします。
「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」(2007米)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 20世紀初頭。掘り当てた金を元手にダニエルは石油採掘に成功する。事故で孤児となったH.W.を養子にし、方々を渡り歩き”石油屋”としての名を轟かせていった。ある日、ふらりと訪ねてきた青年からリトル・ボストンの下に石油が眠っているという情報を仕入れる。彼の言うとおり広大な土地から次々と石油が出てきた。こうしてダニエルは巨万の富を得、町の権力者に上り詰めていく。しかし、そんな彼に反抗する人物がただ一人いた。それは町民達から厚い信頼を受ける青年牧師イーライである。対立を深めていく2人。神の怒りに触れたのであろうか。採掘現場で取り返しのつかない事故が起こってしまう‥。
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(レビュー) 石油王の悲劇を壮大なスケールで綴った大作。
監督はP・T・アンダーソーン。「ブギーナイツ」(1997米)「マグノリア」(1999米)で絢爛たる群像劇を描き、天才監督の名を欲しいままにしてきた俊英である。その監督が一転して、それまでのテクニカルな演出を封印し、骨太な演出を用いて一人の男の波乱に満ちた人生を撮り上げた。S・キューブリックを想起させるような映像面での完成度、何とも言えぬ不気味な音楽に、見応え聞き応えのある一本だ。
物語の基本構造を成しているのは、ダニエルとイーライの対立のドラマである。
ダニエルは傲慢で卑小な男だ。H.Wと弟との関係性からそれがよく分かる。彼は最後まで家族を持てなかった‥というよりも、愛に対する不信がそうさせなかった男なのだと思う。彼の人生における唯一の拠り所は仕事、名誉、富を生み出す石油だけである。実に冷めた思考だが、その反面彼の孤独感も見えてくる。
一方のイーライは愛を唱える伝道者である。
この二人は悪人と聖人という風に一見すると対照的に見える。しかし、映画を見ていくと、どうもそう簡単に割り切れない‥ということが分かってくる。そこが面白い。
ダニエルは経済価値を優先させ、実際に町の人々に一定の潤いを与えた。しかし、その為に彼は情を捨て悪魔に心を売ってしまう。ある意味で、ダニエルは神に戦いを挑んだ悪魔と言える。
これに対して、イーライは人間の内面的価値を優先させ、町の人々に自己実現の場を与えた。しかし、彼が開く集会はどこか胡散臭く、果たしてこれはマインドコントロールか?と言わんばかりの怪しさが漂っている。彼は神に仕える聖人を偽装しただけであって、その行動は神の意志を代弁するものではなかった。
結局、2人の違いは”何を後ろ盾にしているのか”ということだけであって、どちらも傲慢で狡猾なモンスターであることに違いはないのである。そして、そんな似た者同士の彼等が互いに毛嫌いし終始対立しっぱなし‥というところは実に興味深く見れる。
二人の争いの背景には宗教という絶対的な存在があるように思う。
キリスト教的観点からすれば、人間は生まれつきの罪人である。己が欲望を捨てきれず他者を蔑ろにしながら生きる存在で、だからこそ、そこに神の救いが必要になってくる。これがキリストの教えだ。この観点からすれば、人間であるダニエルとイーライは共に人間=罪人ということになる。そんな彼等が神と同等の、あるいは神を超えようとして対立を深めていくのはナンセンスであるし実にシニカルと言うほかない。
彼等の争いをどこまでも冷徹に描いた所は、いかにもP・T・アンダーソンらしい<ユーモア>に思えた。これまでの作品を見る限り、この監督はどこか達観したような俯瞰視点で物語を綴るようなところがある。今回はその視点が更に壮大で高度な所に達していることに驚かされた。人間の存在意義、宗教の価値といったものをここまで悠然と捉えた所に、俊英から巨匠への成長が感じ取れる。
ただ、難を言わせて貰うと、イーライが余りにも過剰に甲高い声を出すので時々ギャグに写ってしまう。それに引っ張られるかのように、ラストのダニエル・デイ=ルイスも少しギャグっぽく見えてしまったのが少し残念だった。これは演出ミスという感じがしてしまう。
ゼア・ウィル・ビー・ブラッド@映画生活
ヒッチコック好きなら色々と楽しめる。
‥が、それを抜きにしたら凡庸。
「ホワット・ライズ・ビニース」(2000米)
ジャンルサスペンス・ジャンルホラー
(あらすじ) クレアは著名な大学教授ノーマンと幸せな結婚生活を送っていた。隣に引っ越してきた夫婦にクレアは異常を感じる。暫くして妻の姿を見なくなった。以来、クレアの周りに次々と不可解な事が起こる。ドアが勝手に開いたり、パソコンがひとりでに起動したり、バスタブの湯に女の顔が写ったり‥。クレアは隣家の妻が夫に殺害されたのではないかと疑いはじめる。
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(レビュー) クレアの幻覚か?幽霊のしわざか?平凡な主婦が体験する恐怖を描いたサスペンススリラー作品。
隣家の夫に妻殺害の容疑がかかる前半はミステリアスで良かったのだが、中盤で思わぬ肩透かしを食らい以降は退屈してしまった。そもそもこの物語のメインとなるのは、中盤に発覚するクレアの過去にまつわるミステリーの方である。前半の隣家のエピソードはいわゆる”スカシ”の意味合しか持っておらず、それをダラダラと引っ張られてしまっては、見る方としても興味を削がれてしまう。
監督はR・ゼメキス。自身が語っているように、この作品にはヒッチコック映画のオマージュが至る所で散見できる。「レベッカ」(1940米)「裏窓」(1954米)「サイコ」(1960米)。各作品のパロディと思しきシーンが幾つか見つかった。しかし、ただのパクリではなく、テクノロジーを駆使しながら仕上げているところがいかにも”時代”に敏感なゼメキスらしい。
特に、バスルームから始まるクライマックスシーンは白眉モノ。色々と突っ込みを入れたくなる所だが、「ヒッチコックならこう撮るだろう」というようなゼメキスの遊び心が感じられる。
ガラスの破片やボートの帆といった小道具の使い方も、予想を外したもので中々面白かった。
キャストではクレア役のM・ファイファーの好演が光る。対するノーマン役のH・フォードは、いつもと変わらぬ演技で演技域の狭さをここでも露呈してしまっている。