痛快青春群像劇。時代劇というよりも現代劇に近い感覚で見れるのが面白い。
「竜馬暗殺」(1974日)
ジャンル青春ドラマ
(あらすじ) 慶応三年。幕府から追われる身となった坂本竜馬は、一時身を隠すことになる。更に、薩長左幕派と距離を置いたことで、彼は身内からも命を狙われるようになっていた。竜馬の盟友中岡慎太郎が暗殺の使命を自ら買って出る。ところが竜馬が近くの女郎幡の部屋に潜り込んでいたためにその機会を逃してしまった。慎太郎は彼を殺さずに済んで内心ほっとした。その後、幡の元に弟右太が数年ぶりに帰って来る。実は彼は薩摩藩が仕向けた暗殺者だった。きな臭い匂いを嗅ぎ取った竜馬だったが、右太の前では敢えて隙を作って見せる。それがかえって右太の心に迷いを生じさせた。町では”ええじゃないか”の騒動が湧き起こっていた。竜馬はその群れ紛れて慎太郎に会いに行く。そこで彼は、暗殺を失敗し窮地に立たされる慎太郎の姿を見る。
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(レビュー) 坂本竜馬が暗殺される直前の二日間を描いたドラマ。
粒子の粗いモノクロ映像が作品に荒々しさを生んでおり、そこが暗殺劇というサスペンス調のドラマに異様な迫力をもたらしている。竜馬と慎太郎の友情と憎しみの葛藤も泥臭く写り中々良い。
竜馬を演じるのは原田芳雄。慎太郎を演じるのは石橋蓮司。共に存在感を見せ付け印象的だ。右太役の松田優作も無口で閉鎖的な青年を強烈な個性で演じている。
物語はこの3人の青春群像劇という作りになっている。
史実に基づいた時代劇のスタイルを取りながら、中心となるのは、倒幕を掲げた彼ら若者達の混乱していく姿になる。志を失い時代に翻弄されていく姿に、歴史の教科書に載っているイメージは脆くも崩れさっていく。丁度それは、変化を求めて蜂起した60年代の若者達の姿にダブって見えてくるから不思議だ。彼らの運動は急速に萎縮していったが、製作当時の世相にリンクさせた着眼点は実に面白い。
ひたすら破滅の道を辿るドラマになっているが、時折ユーモラスな描写があるので決して鬱になる作品ではない。むしろ喜劇的な場面が幾つもあって笑いながら見れた。
例えば、ええじゃないかの白塗りをした3人が川辺で過ごすシーンなどは中々秀逸である。組織から落伍しもはや英雄でも何でもなくなった彼等は、平民の証したるメイクで意気消沈する。その姿になんとも言えないユーモアとペーソスを感じる。
また、ラストも実に人を食ったオチで痛快である。何を隠そう、このドラマで一番”したたか”だったのは女を武器に男達を手玉に取った幡なのかもしれない。時代を変えようと戦った男達がいる一方で、処世に長けたこういう女が全てをかっさらっていくというのは実に皮肉めいていて面白い。
岩井ワールドが凝縮された小品。
「打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?」(1993日)
ジャンル青春ドラマ・ジャンルロマンス
(あらすじ) 小学6年生のノリミチと親友のユウスケは、クラスメイトのナズナに告白することを賭けて水泳の競争をした。勝負に勝ったのはユウスケだった。そこにナズナがやって来る。彼女は花火大会にユウスケを誘った。ところが、彼はその誘いをすっぽかしてクラスの男子達と出かけた。一方、勝負に負けて落ち込むノリミチはプールで怪我した足を治しに、開業医をしているユウスケの家に向かった。そこで待ちぼうけを食らったナズナとばったり会い‥。
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(レビュー) 小学生の淡い恋心を瑞々しいタッチで描いた中編作品。
監督の岩井俊二は本作がきっかけで世に注目されることになった。そういう意味では、彼のカラーが凝縮された1本といって良いだろう。
氏独特の淡く透明感のある映像が魅力的である。特にナズナを捉えた映像が素晴らしい。まるで演じる奥菜恵のPVと言ってもいいような作りである。男の子目線の妄想炸裂といった所だが、それこそが岩井ワールドの真骨頂だと思う。大林宣彦や市川準に通じるようなアイドル映画的な感性が感じられる。
また、物語の主観は子供だが、作品の間口は広く作られていて、そこもセールスポイントとしてはかなり高い。大人が観れば一夏の経験‥という郷愁で見れるのではないだろうか。
構成で面白いと思ったのは、ノリミチ視点の夢想が一種のパラレルワールドになっている点だ。中盤でオッ?と思わせるような展開が出てくる。どこまでが現実でどこからが夢想なのか敢えてぼかした所にファンタジックな味わいが出て面白い。あるいは、全てがノリミチの夢想なのかもしれないが、そう仮定すると今度は叙情性が際立って尚良し。解釈次第で色々と楽しめる。
それにしても、何と淡い初恋だろう。美少女、夏休み、花火‥これ以上ないくらいベタな要素が揃っているが、その全てが透明感溢れる岩井ワールドの中に織り込まれると不思議と愛しく見えてしまう。見る人によっては、こういう純粋さに溢れた作品は生涯愛すべき作品になるだろう。
ホラーだが笑えてスカッとする痛快作。
「ドッグ・ソルジャー」(2002英)
ジャンルホラー・ジャンルアクション
(あらすじ) スコットランドの山奥で陸軍小隊の演習が行われる。実は、4ヶ月前にそこでは謎の殺人事件が起きていた。ある日、部隊を仕切るウェルズ軍曹は救助信号をキャッチする。現場に駆けつけると重傷を負った特殊部隊所属のライアン大尉がいた。彼を残して部隊は全滅していた。そこに鋭い牙を持った正体不明の怪物達が襲い掛かる。一行は偶然通りかかった女性自然学者に助けられ無人の農家に逃げ込むのだが‥。
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(レビュー) 兵士達が遭遇する恐怖の一夜を、キレのある演出と適度なユーモアで描いたアクションホラー作品。
現地に伝わる人狼伝説をモチーフにしたホラー作品だが、現代ならではの解釈を与え「ドッグ・ソルジャー」という皮肉の効いたタイトルを付けている。「戦争の犬たち」(1980米)、「レザボア・ドッグス」(1991米)等、一口に”犬”といっても映画の中では様々な意味が込められている。本作もその辺りの意味を探りながら観ると一層楽しめる。
物語はいたってシンプルで、アクションを中心とした作りになってる。ただ、そこに登場人物の葛藤や謎解きといったサスペンスがふんだんに盛り込まれており、全体としての出来は上々である。
難は、前半の展開が駆け足気で部隊の人物造形が分かりづらかったことである。スピーディーな展開を気にかける余り、雑な作りになってしまっている。怪物の正体が明らかになってくると、シナリオに多少の余裕が出てきて夫々の個性がはっきりと現れるようになる。それまでは観ていて多少混乱してしまった。
それにしても、監督のN・マーシャルはこれが劇場映画デビュー作ということだが、過去のサスペンスやホラー作品をかなりよく観ているのではないだろうか。シチュエーションやアクションに遊び心が見られる。
例えば、篭城モノということで言えば「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド」(1968米)や「要塞警察」(1976米)。熱湯を使って撃退するというアイディアは「わらの犬」(1971米)。カメラのフラッシュを使って敵を惑わすといったアイディアは「裏窓」(1954米)。他に「エイリアン2」(1986米)のようなビジュアルも観られた。おそらくN・マーシャルはいわゆる映画ヲタク系な監督なのではないかと思う。ヲタク監督にこの手のセンスは大切である。個人的にこの監督のセンスにはフィットする部分が多かった。
鑑賞時期が前後したが、先に見た次作「ディセント」(2005英)も中々楽しめた。これもモンスター物だったが、洞窟というシチュエーションが主人公の内面のメタファーになっており一筋縄ではいかない作品で面白かった。
本作は映像の素晴らしさに尽きる。
「パッション(無修正版)」(1982スイス仏)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ)
ポーランド人映画監督ジェルジーは、絵画作品を実写で再現する映画を撮っていた。ところが、撮影は思い通りに進まず女優が降板。代役探しに奔走していたところ、工場勤務のイザベルという女性が現れる。経営赤字でリストラされかかっていた彼女は組合活動に熱を入れていた。ジェルジーは彼女を代役に抜擢しようと考える。やがて予算が底を尽き、ついに出資者はさじを投げてしまう。果たして映画は無事に完成するのだろうか?
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(レビュー) 映画撮影隊に起こる悲喜こもごもをドキュメンタルに綴った作品。リバイバルされたヘア解禁の無修正版の方を鑑賞した。
監督脚本はJ・L・ゴダール。70年代に政治的闘争を掲げ匿名的映画活動を行っていた彼が、久々に商業映画に戻ってきたのは前作「勝手に逃げろ/人生」(1979仏スイス)から。本作はその後に発表された復帰後第2作目である。
とは言っても、まだ彼の中で政治を語りたいというエネルギーがくすぶっていることは明らかで、それは劇中会話におけるプロレタリアート的発言、労働者の抵抗を描く工場の描写、はたまた搾取側の象徴たるハリウッドの名門映画配給会社を痛快にも蹴り飛ばしてしまう結末等に見られる。
また、ラストでジェルジー達をポーランドへ向かわせたのは、劇中でワンフレーズだけ登場する「連帯」と深い関係があるのではないかと想像できる。1980年、当時社会主義国だったポーランドで初となる労働組合「連帯」が結成された。ジェルジー達が向かった先には、自由と開放の為に蜂起する運動が待ち受けている‥そんな暗示が込められているのだろう。
物語は、撮影隊の閉塞感に満ちた状況をドキュメンタリータッチで綴ったもので、さしてドラマチックというわけでもなく、筋だけ追いかけてしまうと非常に退屈してしまう。
一方、目を見張るのは名手L・クタールによる映像で、数々の絵画が美しく再現されていて素晴らしかった。レンブラントの「夜警」の深みのある闇など、見所がつきない。芸術は感性、その醍醐味をゴダールはこの映画で訴えたかったのではないか。そんな気がする。
また、ゴダールの造語”ソニマージュ”が大胆に発揮されるのも本作の大きな特徴だ。音と映像を対等視する彼の模索が随所に見て取れる。映画という媒体において映像よりも音をクローズアップする彼の思考は、実験的な試みとして興味深く捉えられる。これに関しては今だに時代はゴダールに追いついていないような気がする。
正直よく分からんかったが、こういうブラックで不条理な作品は結構好きだ。
「海賊版=BOOTLEG FILM」(1999日)
ジャンルサスペンス
(あらすじ)
ヤクザと警察官は親友である。共に愛した一人の女の葬儀に出席するために、北へ向かって車を走らせていた。しかし、因縁めいた関係は一触即発の事態に発展する。ついには銃を構えて向き合うまでに至った。それを通りすがりの若いカップルに見られる。警察官は男の方を拉致し、ヤクザは女の方を拉致し、夫々に車を走らせた。その先で二人は思わぬ悲劇に見舞われる。
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(レビュー) ヤクザと警察官の友情と憎しみをブラックに綴ったロードムービー。
物語は二日間の旅の出来事である。親友であり恋敵でもある2人が辿る運命をオフビートな笑いとブラックなギャグで描いている。
始まってからやや暫く2人の車中のやり取りが続くのだが、ここは非常に退屈した。夫々に「俺の女だ」と言い張り、まるでガキの喧嘩のようで見てられない。セリフチョイスのセンスも悪く、あるいはこの辺りは即興なのかもしれない。その上アフレコも口と合っておらず、ほとんど素人レベルの映画作りである。ギャグも一々タランティーノ作品のパロディを匂わせるようなところがあって気持ちが悪い。
ところが不思議なことに、この映画は後半にいくに連れて、まるで別人が撮ったかのように出来が良くなっていく。前半のグダグダなお喋りから一転、二人の愛憎が適度な緊張感と鋭い笑いで綴られていく。コミカルなものからシリアスなものまで演出は変幻自在でグイグイと画面に引き込まれた。
特に、死体を巡ってギャグが転々と連鎖していく展開は面白かった。
車のトランクに詰め込まれる死体、銭湯につかる死体、通夜の真っ只中に盗み出される死体等。よくもまぁ死体をネタにここまで罰当たりなギャグを連発させるものだ‥と不謹慎ながら感心してしまった。
考えてみれば、この映画のタイトルだって実に人を食っている。「海賊版」というと違法コピーというイメージくらしか思い浮かばないが、何故こんなタイトルをつけたのだろう?
オープニングを思い出してみると、なるほど、こういうことなのではないか‥と想像できる。
冒頭のシーンでいきなりヤクザが撃ち殺される。推測するに、以降のドラマは全て彼が死ぬ直前に見た夢なのではないだろうか?このドラマは彼の脳裏に焼き付いたフィルム。門外不出の極めて私的なフィルム。つまり、「BOOTLEG FILM=海賊版」ということだ。
そして、この物語で最も罪深いのはヤクザである。ラストで若いカップルが手を綱いて天国(?)へ歩んでいくが、それとは反対にヤクザは間違いなく地獄行きだろう。そこで彼は己の罪を写した「BOOTLEG FILM=海賊版」を絶え間なく見続けることになる‥。これは正に地獄のような苦行であろう。実に皮肉的である。
この結末は、喜劇のようでもあり悲劇のようでもあり、何とも奇妙な味わいで面白かった。正直、完璧に理解したわけではないが、悶々としたものを残してくれる‥という意味で変に心に残った作品である。
寺山修司の奔放な演出が痛快!
「書を捨てよ町へ出よう」(1971日)
ジャンル青春ドラマ
(あらすじ) 高校生北村は、戦争犯罪者の父と万引き癖のある祖母、人間嫌いの妹と新宿のボロアパートに住んでいる。彼は所属するサッカー部のコーチ近江のことを慕っていた。ある日、近江は北村を男にしてやろうと売春宿に連れて行く。ところが、北村は途中で怖気づいて逃げてしまう。一方、妹はペットのウサギを偏愛する余り一歩も外に出なくなってしまった。祖母は近所のヤクザに頼んでそのウサギを殺してもらう。ショックを受けた妹は取り返しのつかない事件に巻き込まれる。父は祖母を養老院に預けようとし、祖母はそのまま行方をくらましてしまった。バラバラになっていく家族。少年北村は孤独を募らせていく。
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(レビュー) 演劇からエッセイまで幅広く活動した才人寺山修司の劇場映画監督デビュー作。
アバンギャルドな始まり方をするオープニングシーンに見られるように、この作品には通俗的な”映画”に対する挑戦的なメッセージが込められている。ラストで北村は物語の外に出てきて観客に語る。映画は虚構に過ぎないことを、現実と映画の区別がつかないことを。この締めくくり方は冒頭のシーンに対する回答になっていて、実に大胆で刺激的なものとして受け止められた。
物語世界の解体は、他にF・フェリーニや今村昌平、北野武といった監督達が試みている。映画を作る人間にとって、物語世界の解体という行為自体、監督=作品の創造主という自己認識から来る陶酔的な行為なのかもしれない。ドラマの合間に時折理不尽なドキュメンタリーを挿入するのも、映画の世界を破壊する行為で、映画=虚構のデコレーションを示唆するものだろう。
おそらく大抵の人は混乱すると思う。我々が普段映画というものを捉える時、”映画=物語の疑似体験”という観点から出発するからだ。しかし、寺山は物語世界を解体することで、この絶対性に不信感を植付けようと誘導する。しかも確信犯的にそれを狙っているから、なんとも不敵な作家なのだ。
物語は青年の絶望的な青春を描いたもので、性に対する嫌悪や大人に対する反骨精神といったものが主観的に綴られている。共感はできなかったが、この年頃の青年だったらおそらくはこういったモノの見方をするだろう‥ということくらいは理解できた。やや押し付けがましく写る部分もあるが、それこそ青臭い青春談として微笑ましく見れた。
演出はいかにも寺山修司らしいシュルレアリスム的な部分が多く目に付く。北村が夢想する人力飛行機のシーンの美しさ、美輪明宏が娼婦を怪演する地獄の娼館のキッチュさ。この二つが印象に残った。
また、脈絡の無い空間演出にも氏独特の美意識が見られて面白い。例えば、畑と室内をカーテンで仕切り異空間のごとき歪んだ空間演出には、ある種見世物小屋的な面白さが感じられる。「田園に死す」(1974日)ほどの過度の美意識は感じられないが、そのエッセンスは十分に見られた。
中には意味不明な演出もあるのだが(例えばタコを上げる外国人女性は何を意味しているのか?)何を感じ取るかは見た人それぞれに託されるだろう。
ギドク・スタイル極まる!
だが、余りにも高みにイキすぎて、今回は見上げるだけになってしまった‥。
「弓」(2005韓国)
ジャンルロマンス
(あらすじ) 大海に浮かぶ船上で老人と少女は暮らしていた。少女は10年間、船から下りたことが無い。老人は釣り舟漁船と弓占いをして少女を養っていた。ある日、少女は客の青年に恋してしまう。老人は2人の仲を引き裂こうとするのだが‥。
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(レビュー) 老人と少女の歪んだ愛憎を船上という限られた空間で描いた寓話。
監督・脚本は鬼才K・ギドク。かなりクセのある作風を持った監督だが、世界中に多くのファンを持っている。実は、俺もその一人なのだが、本作に限って言えば期待を裏切られた‥と言わざるを得ない。
確かにギドクらしいという意味では”らしい”のだが、演出にしろストーリーにしろ余りにもこちらの斜め上を行き過ぎていて理解しがたいところがある。それと、確信犯的に造形された美意識が少々鼻につき、ドラマの邪魔になってしょうがなかった。
老人と少女は一切会話をしない。会話の代わりに行動が2人の関係を説明していく。この試みは面白いと思った。ギドクは「うつせみ」(2004韓国日)でも、同じように男女の言葉無き恋愛を描いたが、本作は更にそれを推し進めた形で本当にセリフがない。独特の緊張感があってかなり寓話性も強調されている。
そして、老人と少女に男女関係を落とし込む恋愛構造も、いかにもギドク的な”アブなさ”に満ちていて興味深く見れた。キッチュなセクシャル描写も登場し、それが一層この”アブなさ”に拍車をかけている。
このようにギドク”らしさ”は健在で唸らされるばかりなのだが、しかし本作にはのめり込むほどの魅力は感じられなかった。
なぜかというと、一つは音楽という重要なモチーフの表現の仕方に不満を感じたからだ。老人と少女をつなぐ弓の演奏シーン。ここに男女の甘美な交流をもっと投影して欲しかった。
弓は音楽の道具だが、占いの道具にもなる。弓占いをあれほど印象的に撮っているのに対して、演奏シーンは余りにも淡白にしか撮っていない。弓が表現する2人の関係は演奏の甘美と占いの残酷である。これが均等に対にならないと二人の愛憎も中々真に迫るものまでにならない。
のめり込むまでに至らないもう一つの理由は、 クライマックスの描き方にある。いかにもギドクらしい表現主義なのだろうが余りにもぶっ飛びすぎている。ここまで表現主義に逃げられてしまっては呆気にとられるばかりだ。むしろ、二人の結末を正面から描いていない‥という気にさえなってしまう。
映像派作家であるギドクの表現主義は諸刃の刃である。ピタリとハマると感動に繋がるが、その感性に追いついて行けないとワケが分からない‥ということになりかねない。今回は後者の意見だ。理解の範疇を大きく超えるもので残念だった。
オスカー女優K・ブランシェットが、その存在感を十分に見せつけている。
「ヴェロニカ・ゲリン」(2003米)
ジャンルサスペンス・ジャンル社会派
(あらすじ) 1994年、アイルランド。女性記者ヴェロニカは、麻薬漬けになっているスラム街の子供達の惨状を見て、麻薬シンジケートの根絶に立ち上がった。取材を始めて早々、麻薬密売の元締カーヒルが何者かによって暗殺された。売人をしている通称”コーチ”にコンタクトを取ったヴェロニカは、カーヒルの手下による裏切りだという情報を得る。しかし、それは彼女を陥れる罠だった。バックにはもっと巨大な黒幕が存在していたのだ。次第に彼女はその影に追いつめられていくようになる。
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(レビュー) 実在した女性記者ヴェロニカ・ゲリンと麻薬密売組織の戦いを描いた社会派サスペンス作品。
ヴェロニカを演じるのはK・ブランシェット。主婦としての顔と記者としての顔。その両面を巧みに演じ分けるところは、流石はオスカー女優といったところだ。ただ、内的葛藤の掘り下げは不足気味である。これは決して彼女の演技云々と言う問題ではなく演出上の問題のように思う。
監督はJ・シューマカー。他の作品を見ても分かるが、彼はアッサリとした演出をする監督である。今作も例に漏れず演出は軽い。そのせいでヴェロニカの苦悩も今一つこちらまで迫ってこなかった。戦う記者としての顔は前面に出ていたが、母として、女としての苦悩が余り表現されていない。おそらく現実には、家庭を犠牲にしてまで仕事を優先させた彼女の苦しみは想像以上に厳しいものだったろう。そこをもっと深く追及して欲しかった。
物語は彼女の最期を予感させる2年後からスタートしている。この構成はドラマの求心力を高める上では中々絶妙だと思った。冒頭の彼女の姿には殉教者のような崇高さがあり、そのイメージがそのままラストに直結することで彼女の偉業を尊いものとして伝えている。
尚、シューマカー監督の盟友コリン・ファレルが街路のチンピラ役でカメオ出演している。シューマカーとのコンビでは「フォーン・ブース」(2002米)という快作があったが、そこでも”ろくでなし”を演じていた。彼はこんな役ばかりが多いので、登場しただけでクスリとさせられてしまう。
ガァッパァ~♪
「大巨獣ガッパ」(1967日)
ジャンル特撮・ジャンルSF
(あらすじ) 太平洋の小島にレジャー施設を建てる計画があった。その視察にやって来た調査団は、島民が崇める巨獣ガッパの存在を知る。一行はガッパが眠るという洞窟へ向かいそこで巨大な卵を発見した。卵からふ化した子ガッパを連れて一行は東京へと戻る。それを追って親ガッパが日本に上陸する。
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(レビュー) 怪獣映画ブームの流れに乗って作られた一品で、日活では唯一の怪獣映画。
ストーリーが単刀直入で分かりやすいのが良い。怪獣映画らしいアクションの醍醐味も画面からストレートに伝わってくるし、何より親子の情愛というテーマが嫌味なく描かれている所に好感が持てた。子ガッパを利用しようとする悪辣な社長と幼い娘の関係が、ガッパ親子の反射鏡となっている所がミソである。中々良く出来たお話である。
調査団内部における恋愛の彩も描かれているが、こちらはそれほど出しゃばらず丁度いい按配といった感じである。おそらくこの辺りが日活製作としての意地なのだろうが、純粋に怪獣だけを見たいという人には中途半端に写ってしまうかも。
それにしても、主題歌の「ガァ~ッパァ~♪」は、暫く耳にこびりついて離れそうにない‥。
「ギララ」が今年復活する。どうして?という疑問もあるが、監督があの河崎実というから、おそらくはバカ映画になるのではないだろうか?
「宇宙大怪獣ギララ」(1967日)
ジャンルSF・ジャンル特撮
(あらすじ) 日本宇宙開発局(FCFA)は、火星付近で多発する宇宙船消失事件を調査するために佐野率いる調査団を派遣した。途中で謎のUFOに遭遇するが無事に月の中継基地に到着する。彼らを出迎えたのは佐野に密かな思いを寄せる道子だった。暫しの休息の後、彼等は火星に向けて出発した。すると、先程のUFOが再び現れて強力な磁場を発した。その時、宇宙船の原子炉に謎の発光体が付着する。
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(レビュー) 松竹初の怪獣映画。当時は怪獣ブームということもあり、本作はその流れに乗って作られた作品である。以後、松竹では怪獣映画は作られていないので、この作品が松竹唯一の怪獣映画という事になっている。
さて、松竹らしいといえば、佐野と道子、そしてもう一人のヒロイン、リーザの恋愛劇が怪獣退治のドラマの傍らで描かれていることだ。子供向けの怪獣映画とはいえ、複雑な恋愛模様を描くことでアダルト層にもアピールした作りになっている。しかし、これがストーリー展開の邪魔になっている。余り感心できない構成に思えた。
また、メリハリの無いBGMのせいか、地上と宇宙のカットバックもどこかのんびりとしたものに見えてしまった。第一ギララの造形が余りにもアレなので、怖いというよりも笑えてしまう。チャームポイントは無表情な目か?
特撮の手抜き感が目立つのがいただけない。例えば、基地と宇宙船でやり取りされる通信モニターの下には、いかにも手書きで書いたと思われる「宇宙船」という文字が貼ってあったり、肝心のアクションシーンも合成がチープ過ぎる。
まぁ、そういったところも含めて愛すべき作品という言い方も出来るのかもしれないが、俺にはかなりキツい作品だった。