痛快無比なスクリューボールコメディ。風刺が効いているところが良い。
「ワン、ツー、スリー/ラブハント作戦」(1961米)
ジャンルコメディ
(あらすじ) コカコーラ社のベルリン支店長マクナマラは出世至上主義の男。社長の娘スカーレットがベルリンに来るというのでその御守を任された。ところがこの令嬢がとんでもないじゃじゃ馬で、あろうことか東ドイツの共産青年オットーと駆け落ちしてしまった。そこに社長夫妻からこれからスカーレットを迎えに行くという連絡が入る。焦るマクナマラの前にスカーレットがオットーを連れて戻ってきた。二人はすでに結婚したという。社長にばれたら首だけでは済まされない。一計を案じるマクナマラだったが‥。
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(レビュー) 冷戦時代の国際情勢を痛烈に皮肉ったスラップスティック・コメディ。東西に分断されたドイツを舞台に、保身のために奔走するマクナマラの悪戦苦闘が笑いを誘う。
監督はB・ワイルダー。共同脚本にI・A・L・ダイアモンドというお馴染みのコンビ。軽妙洒脱に溢れた会話劇が楽しめる。随所にチクリと刺さるセリフが散りばめられているのも妙味だ。
キャラクターも個性的で面白い。
ソ連の通産大臣は密談とブロンド好きな田舎者。ドイツ人のマクナマラの部下は几帳面な元ナチ隊員。共産青年オットーはブルジョアや資本社会へ反発する熱血漢。それぞれに風刺を効かせたキャラとなっている。
また、B・ワイルダー作品と言えば、小道具の使い方の上手さも一つの特徴である。中でも「ヤンキー・ゴー・ホーム」の風船は秀逸だった。これを評してスカーレットが「南米人もヤンキーは嫌いよ」というセリフが絶妙のタイミングで被さる。心憎い。
キャストではマクナマラ役のJ・ギャグニーの演技が光る。後半の彼は怒涛のマシンガントークを炸裂させる。ほとんど彼の独壇場と言ってもいい。それに合わせてこのドタバタ劇もフル回転でヒートアップしていく。人物の出し入れが激しくなり、オフィスの社員達は立ったり座ったりを繰り返し実にせわしない。更に、マクナマラの家族にまで問題が発生し、彼のアドレナリンは益々出っぱなし。このままラストのオチまで一気に突っ走っていく。
確かにややご都合主義な面もあるが、喜劇でそれを言うのは野暮というものである。B・ワイルダー&I・A・L・ダイアモンドが生み出す卓越したダイアローグ、そこにJ・ギャグニーのマシンガントークがピタリとハマッた”快作”と言える。
映像の格好良さに酔いしれてしまう作品。この頃のコッポラはまだ良かった。
「ランブルフィッシュ」(1984米)
ジャンル青春ドラマ
(あらすじ) 不良グループのリーダー、ラスティ・ジェイムズは、宿敵ビフの挑戦を受ける。ガールフレンド、パティと愛し合った後、決闘の場所へ向かった。すると、そこに行方不明になっていた兄バイクボーイが現れる。負傷したラスティ・ジェムズに代わり、バイクボーイがビフを血祭りに上げた。久しぶりの再会を喜ぶ兄弟。しかし、カリフォルニアにいる母親へ会いに行ったと言う兄は、どこか昔の兄とは様子が違っていた。
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(レビュー) 孤独感を抱えた兄弟の刹那的な生き様をスタイリッシュに描いた青春映画。
監督はフランシス・F・コッポラ。どうしても同年に製作された同監督作「アウトサイダー」(1984米)と比較しまいたくなる。両方とも不良少年達を描いた青春映画だが、「アウトサイダー」と比べると本作は随分と毛色の違う作りになっている。
「アウトサイダー」は少年達に寄ったスタンスで、ある種浪花節的な描かれ方をしていたが、本作はまったくの逆で、むしろ主人公達を突き放し客観視するようなスタンスに立って作られている。この2作品をほぼ同時に製作したことは、コッポラにとって野心的な試みだったのではないだろうか。
映像に対するこだわりもコッポラの狙いだったと思う。
本作は全編モノクロ映像が貫かれている。これは色が見えないバイクボーイが見る世界であり、同時にラスティ・ジェイムズの心象を映し出したものであろう。彼らにとってこの世の全てが味気ないモノクロに見える‥それを表現したものと思われる。ポイント的にカラーが使用されており、そこが演出の妙となっている。カラーになるのはランブルフィッシュ(闘漁)とガラスに映った自分の姿だけである。鮮烈な印象を残すが、彼らにとって色付いて見えるのが”それだけ”という所が実に物悲しい。
ちなみに、本作を見て青山真治監督の「EUREKA」(2000日)を連想した。
「EUREIKA」も全編モノクロで綴られる作品だったが、最後に鮮やかに色づく風景で締めくくられている。孤独に苛まれる主人公達に光明の兆しを与えるような終わり方だった。
しかし、コッポラはそこまでのロマンチストではない。モノクロの世界を最後まで貫き通し今作のテーマを決定付けている。過酷な現実を最後まで提示し続けたのである。この後味の悪さは好みの分かれる所かもしれないが、「アウトサイダー」と違った方向性を打ち出したという意味においては成功していると思う。
モノクロにこだわった映像以外にも、本作には実験的な映像演出が多い。まるでMTV的な若々しい感性は、これまた「アウトサイダー」との差別化を狙ってのことだろう。「アウトサイダー」が懐古的で「ゴッドファーザー」(1972米)的な作品とすれば、本作は先鋭的で「地獄の黙示録」(1979米)的な作品と言うことができるかもしれない。現に昼日中に住宅街がスモークで覆われるシーンは、まるでベトナムの戦場のようにも見える。
ラスティ・ジェイムズ役のM・ディロンは相変わらずこういう役は上手い。しかし、それ以上にバイクボーイ役のM・ロークの存在感ある演技が中々良かった。
再び成瀬巳喜男監督の作品。前回の「あにいもうと」とは違ったテイスト。
しかし、ラストはやっぱりしみじみとさせる。
「稲妻」(1952日)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 清子には父親の違う姉兄達がいた。年頃だというのに結婚願望のない彼女に、長女縫子が見合いの話を持ってくる。相手はパン屋の綱吉という男だ。そこには縫子夫婦の魂胆が見え見えだったので、清子は余り乗り気ではなかった。そんなある日、次女光子の夫が急死する。縫子夫婦と綱吉は、光子を気遣いもせず保険金を宛てにし始める。一方、長男嘉助は戦争後遺症を嘯いて仕事もせずパチンコ通い。こんな姉兄達が嫌になった清子は、母を残して家を出て行ってしまう。
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(レビュー) 下町に生きる家族の悲喜こもごもを成瀬巳喜男が冷徹な眼差しで描いた作品。
原作は林芙美子。成瀬とのコンビは「めし」(1951日)に続いて二本目となる。以後、成瀬作品に林芙美子の原作は欠かせぬものとなっていく。人間の醜悪な本質を冷徹に捉えたものが多く、それが成瀬&林作品の大きな特徴と言える。
前回紹介した「あにいもうと」(1953日)同様、これも典型的なホームドラマだが、全体から受ける印象はかなり苦々しい。物語は、不倫、離婚、死別といったネガティブな事件に家族達が振り回されるといった内容だ。元々父親が違うということもあり、兄姉達の間に血縁としての繋がりは薄い。名ばかりの家族にあって、末っ子清子の気苦労を考えると実に不憫に思えてくる。
しかし、そんな陰隠滅滅としたドラマであっても、ラストをしみじみと見せるあたりが成瀬監督らしい。音楽の力も効果絶大といったところだが情感極まる締めくくりになっている。
キャラも明快に描き分けられていて見やすい。
狡猾な縫子、慎ましやかな光子、頑固な清子。三姉妹のコントラストは絶妙だ。
特に、結婚に対する猜疑心から独自の生き方を発見していく清子からは、自立心の強い女性像、言わば現代的な女性像というものが強烈に感じられる。
演じるのは高峰秀子。元々こうした芯の強い女性を演じることが多い女優だが、ここでもキャラクターとしての説得力を十分見せ付けている。
一方、男優陣もそれぞれに好演を見せている。綱吉役の小沢栄太郎は含みを持った嫌らしい表情が実に上手い。まさに適役である。
こうした適材適所の配役によって本作は見事に支えられている。
ラストの京マチ子のセリフが全てを物語っている。しみじみとくる。
「あにいもうと」(1953日)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 東京の学校に通う次女の”さん”が久しぶりに実家に帰ってきた。両親は小さな商店を営んでいるが、父は飲んだ暮れてばかりで、実際には母が一人で切り盛りしていた。家にはそのほかに仕事もせず女を渡り歩いている長男と、身重の出戻りである長女の”もん”がいた。ある日、兄はもんをふしだらな女と罵って家から追い出してしまう。数ヵ月後、真面目そうな学生がもんのお腹の父親だと名乗り出た。一方、さんには結婚を決めていた幼馴染太一がいたが、もんの醜聞が原因でそれも叶わずにいた。そうこうしているうちに、太一が見合いすることになり‥。
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(レビュー) ワケあり一家の悲喜こもごもをシリアスとペーソスで綴った成瀬己喜男監督の作品。
家族の悩みの種は、妊娠した未婚の姉とニートの兄の確執である。まったくもってどうしようもない兄妹だが、テンポの良い展開と歯切れの良い会話で不思議と嫌味なく見れてしまった。成瀬己喜男の演出、俳優陣の卓越した演技の賜物だろう。
この映画は最初から最後までキャラクターの魅力で引っ張っているようなところがある。まず、帰省したさんの視座で家族が直面する問題を紹介していくのだが、その導入をきっかけにしてそれぞれのエピソードが枝葉のようになって綴られていく。展開が進むにつれて、一見嫌に思えるキャラも少しずつだが愛嬌を見せていくのが特徴的だ。
例えば、厳格な父が飲み屋で見せる顔はどこか寂しげで哀愁を漂わせる。ボンクラな兄の不器用な優しさは何だか愛しく見えてくる。また、前半で涙ながらに傷心したもんは後半で思わぬ豹変を見せ、これが意外なギャップを生み魅力的に思えた。一方、母はひたすら大きな母性で彼らを包み込む。これまた中々味があって良い。このように良い所も悪い所も含め、それぞれに人間味溢れるキャラクターになっているところが、この映画の大きな魅力である。
ただし、肝心のさんだが、こちらは周囲に比べると地味でやや面白みに欠けるキャラだった。もんとの対比、観客の目線として存在することを考えた場合仕方がないかもしれないが、幼馴染太一との関係においても今ひとつ主張に欠ける。どうにも主役としての存在感が薄い。
尚、ラストのもんのセリフにはしみじみとさせられた。ここに映画のテーマが集約されていると思った。
こういうセリフは何度も聞いているのでもう聞き飽きた‥と言われるかもしれないが、そもそも本作はいたって通俗的なホームドラマである。敢えてベタに締めくくったのは、成瀬が本作の普遍性を信じて疑わなかった証拠であろう。その自信がこのラストから感じ取れる。安心して見ることができる佳作である。
サディスティックな浅丘ルリ子の演技が見所。
「愛の渇き」(1967日)
ジャンルロマンス
(あらすじ) 名家松本家に嫁いだ悦子は夫を亡くし、今は義父弥吉と肉体関係を持つようになっていた。愛のない関係に疲れきった彼女は、下人三郎の若い肉体を捉える。三郎に靴下をプレゼントして気を引こうとしたが、彼には結婚を約束した恋人がいた。悦子の誘惑を断ち切るべく靴下を焼き捨てた三郎に、悦子は辛く当たるようになる。
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(レビュー) 愛に縛られ愛に滅ぼされていく女を冷徹なタッチで描いたシリアスな愛憎劇。原作は三島由紀夫の小説。
悦子役を演じた浅丘ルリ子が印象的である。
三郎をサディスティックに追い詰める形相のなんと艶やかなことか。一方で、義父に肉体を提供する姿はまるで魂の抜け殻のように空虚である。悦子を悪女と称するのは簡単だが、彼女のバックストーリーを考えた時に、一方で悲劇のヒロインのように見えてくるから不思議だ。単純に憎むことの出来ない魅力がある。
演出は所々に実験的で面白い趣向が見られる。
例えば、食卓における長回しの俯瞰ショットは異様な緊張感を見る側に植え付けるし、スローモーション演出もドラマチックで効果的である。どことなくアングラ傾向が見られる。
一方、セリフをテロップで表現したり、心境をナレーションで語らせるのはいただけなかった。小説の表現なら”あり”だろうが、映画でこの技法は余り感心しない。
「トンマッコルへようこそ」(2005韓国)
ジャンル戦争・ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 朝鮮戦争の最中、山奥で自給自足の暮らしを送る村トンマッコルがあった。ある日、近くに米軍機が墜落する。村人達にとって戦争は別世界のことである。負傷したパイロットを助けて手厚く看護した。そこに今度は韓国軍の兵士2名と朝鮮人民軍の兵士3名が迷い込む。両軍は一触即発の状態に陥るが、村人達の温もりに触れることで次第にわだかまりを解いていく。
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(レビュー) 国や民族の違いを超えて固い友情で結ばれていく兵士達の姿を、牧歌的な村トンマッコルを舞台に描いたファンタジックな作品。
舞台が余りにも現実離れしているため、最初から割り切って見なければ感情移入は難しかろう。悲劇的な歴史に「トンマッコル」というファンタジーをポンと入れてみた‥という作りになっており、あらかじめファンタジーとして見るしかない。
いわゆる太陽政策的なメッセージを織り込んだ作品は、韓国映画に珍しくない。たびたび目にするが、今作が他の作品と違うのは正にファンタジーとして切り取った所にある。そういう意味では興味深く見れた。
ただし、このトーンが終始一貫されていたのなら良かったのだが、終盤にかけてこの映画は必要以上に戦争の”現実”を過度に突きつけてくる。せっかく作り上げたファンタジーがぶち壊されてしまい、これには見ている方も違和感を覚えた。
終盤直前のトンマッコル襲撃シーンだけでも、この映画のメッセージは十分に伝わってくると思う。平和の象徴として存在する知的障害の少女は本作のキーマンとして大変魅力的であり、彼女の顛末を描くこのシーンはクライマックスとして申し分ない。しかし、その後の兵士達の末路は必要だろうか。どうにも蛇足に感じてしまう。しかも、やたらと熱く描かれているので、プロパガンダ的な臭いさえ嗅ぎ取ってしまうのだ。
一方で、随所に登場するユーモアは魅力的だと思う。
例えば韓国軍と朝鮮人民軍が初めて対峙するシーン。間に挟まった村人達のリアクションがオフビートな笑いを誘う。彼等は戦争を知らないため武器についての知識もない。だから、目の前で銃を構える兵士達が睨み合っていても飄々とした顔で世間話をする。それを見て兵士達は呆気に取られてしまう所が実に可笑しい。その後の、”ポップコーンの舞い”にも笑った。
ただ、中には狙い過ぎて失敗してるギャグもあり、それがイノシシ捕獲の場面である。スローモーション演出は”おふざけ”が過ぎる。韓国映画特有のクドさ。それを感じてしまう。
圧倒的迫力で描かれる戦場シーンは見ごたえタップリ。ただ、ドラマが余りにも大味‥。
「バルジ大作戦」(1965米)
ジャンル戦争・ジャンルアクション
(あらすじ) 1945年、敗色濃厚のドイツ軍は、へスラー大佐率いる大戦車部隊で起死回生の猛反撃に出る。勝利ムードに浮かれる連合軍を撃破し、大戦車部隊は尚も進撃を続ける。更に、MPに成りすました空挺部隊による急襲で、連合軍は退路すら絶たれてしまった。辛くも逃げ延びた陸軍中佐カイリーは本部へ戻ると敵戦車部隊の弱点を突いた作戦を進言する。
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(レビュー) 第二次世界大戦末期のドイツ軍と連合軍の戦いをスペクタクルたっぷりに描いた戦争巨編。
戦場こそ生きる場所と生涯軍人を貫き通すヘスラー。対するカイリーは、軍人らしからぬと上官にたしなめられるほどの温厚さで、対照的なこの2人の戦いがストーリーを牽引する。ただ、全体を通してみると実に大味なドラマだ。サブキャラのエピソードが幾つか登場するが全てが物足りない。例えば、C・ブロンソンはその後どうなってしまったのだろうか?
見所はタイガー戦車隊が大暴れするシーン。巨額の製作費を投じただけあって実に迫力がある。ミニチュアで代用するシーンもあるにはあるが、ほとんどが実物大のスケールで描かれている。
ただ、最後が尻つぼみなってしまったのは残念だった。もう少しやりようがあったような気がする。
そもそも実写映像化するにはハードルが高すぎるような気がした。
野村萬斎の安倍清明は中々良いのだが‥。
「陰陽師」(2001日)
ジャンルアクション・ジャンルファンタジー
(あらすじ) 平安時代、人間世界に魔物が存在していた頃。生まれたばかりの帝の子、敦平親王が謎の奇病にかかる。近衛府中将源博雅は陰陽師安倍清明の助けを借りてこの窮地を救った。実は、この事件にはもう一人の陰陽師尊徳が暗躍していた。尊徳は、愛娘を蔑ろにした帝に恨みを持つ右大臣藤原元方を取り込んで、都を転覆せんと次なる計画に出る。
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(レビュー) 陰陽師安倍清明の活躍を描いた夢枕獏の同名小説を実写映画化。
原作は人気シリーズということで、それをどう映像化するか?というところが注目されるが、いかんせん肝心のVFXが陳腐でがっかりさせられた。当時の技術ってまだこんなものだっけ‥?邦画においてこの手のファンタジーの実写化がいかに難しいいか、改めて痛感させられた。
この作品の魅力は何より安倍清明のキャラクターに尽きるのだと思う。唯我独尊を貫く癖のあるアウトローながら、相棒となる源博雅とかすかに友情らしきものを芽生えさせていく。そこにキャラクターアークとして面白みが感じられる。また、演じる野村萬斎が時にふてぶてしく時に優雅さを醸しながら、独特の魅力を吹き込んだ所も◎
残念ながら、物語は芯がぶれる感じがして退屈してしまった。
キーマンとして登場する青音にまつわる描写が不足気味なため、彼女の恋情を利用した尊徳の作戦がどこか気の抜けたものに感じてしまう。結果的に清明と対決するクライマックスにも突き抜けるような痛快さが感じられなかった。これでは尊徳役真田広之の熱演も空回りしているように見えてしまう。
意志を貫くことの難しさをパワフルに描いた傑作。
サブキャラ峰岸の存在が光る。
「静かなる決闘」(1949日)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 戦時中、軍医の藤崎は野戦病院で手術中に指を切りそこから梅毒に感染してしまう。戦後、そのことを誰にも打ち明けず父が営む病院で働き始めた。彼には6年も付き合っている婚約者美佐緒がいた。結婚を拒み続ける藤崎に美佐緒は不審を募らせる。ある日、藤崎は治療用の注射を打っている所を看護士見習いの峯岸に見られてしまう。これをきっかけ彼は父に病気のことを打ち明けた。そこに病気をうつした張本人中田が現れて‥。
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(レビュー) 自らも病にかかった医師の苦悩を描いたヒューマンドラマ。
監督は黒澤明。藤崎役は三船敏郎。黒澤の前作「酔いどれ天使」(1948日)のヤクザ役で強烈な印象を残した三船が、本作では医師として登場する。しかも、前作で医師役だった志村喬と親子の設定というところが心憎いキャスティングである。
本作の三船は前作とは打って変わって、実に静かで生真面目な青年を演じている。このギャップが面白く観れるが、正直なところ「らしくない‥」と感じてしまう部分が多々あった。ただ、それまで押さえつけていた感情を一気に吐露するクライマックスシーンは多いに見応えがあった。最初はセリフばかりが先行して陳腐に感じたが、1カット1シーンの迫力とその熱演にグイグイと引き込まれた。
物語は非常にストレートで力強いものとなっている。婚約者美佐緒との結婚問題、病の元凶である中田に対する医師としてのスタンス、この2つをどう処理していくか?藤崎の葛藤が切実に語られている。その答えを導き出すラストは感動的であった。
また、重要なサブキャラとして看護士見習峯岸の存在も忘れがたい。
この物語は藤崎の葛藤を描くものであるが、もう一つは彼にいつも寄り添う峯岸の成長ドラマにもなっている。ダンサー崩れで肉欲の犠牲となった彼女は、全てのものに対して憎しみを募らせている。それが、正義の人藤崎と出会うことで心を入れ替えていくようになる。やがて、シングルマザーとなることで、彼女は人間として大きく成長していく。物語の進行とともに彼女の表情が輝いていくのが魅力的だ。特に、中田に対する彼女の怒りには共感を覚えた。もう一人の主役といっていいと思う。
NHKBSで黒澤明特集をやっている。
全作品を放映しているのだが、この際だから見てない作品を見ておくことにした。
これはかなり初期時代の作品でまだ見たことが無い。
「素晴らしき日曜日」(1947日)
ジャンル人間ドラマ・ジャンルロマンス
(あらすじ) ある日曜日、雄造と昌子は35円を持ってデートに出かける。安アパートの物件を見て回った後、雄造は戦友が経営するキャバレーを訪ねる。しかし、立派な店で惨めな思いをするだけだった。一方、昌子は道すがら出会った浮浪児を見て心を痛めた。昌子を慰めようと雄造は動物園へ連れて行く。暫くすると雨が降ってきた。所持金がたった20円しかない。そこで、2人はその金でクラシックコンサートに出かけることにするのだが‥。
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(レビュー) 戦後間もない時代、貧しくとも希望を追い求めるカップルを、ユーモアとペーソスで綴った黒澤明初期時代の作品。たった一日のドラマだが、挫折と苦闘、希望に奮い立つ姿が凝縮された形で作り込まれていて、小品ながら中々濃密な鑑賞観を残す。
当時の風俗と人間を様々な角度から切り取ったところが面白く見れる。
道端で草野球をする子供達、アパートの雇われ受付人、キャバレーの厨房で残飯をあさるタカリ、道端で握り飯を食う浮浪児、コンサートのチケットを買い占めるヤクザ等々。時代を映すのが映画だとすれば、本作はまさにその形容が当てはまるような作品だ。後の傑作「酔いどれ天使」(1948日)や「どん底」(1957日)等にも通じる、黒澤明ならでは市井に根ざした鋭い視点を確認できる。
ただ、所々の大仰なセリフは余りにも芝居がかっていてリアルさに欠ける。例えば、雄造のアパートで愛を確かめ合うシーン、誰もいない音楽堂でコンサートを再現するシーン等は個人的には受け付けなかった。ドラマチックにするべく過剰な感情の噴出という気がしてシラけてしまう。
また、女優に今ひとつ魅力を感じなかったのも難。ダメ男を支える良妻賢母のキャラは都合が良すぎて、かえって作品への感情移入を拒んでしまうところがある。雄造と同じ貧しい出自であるがゆえ、何かしらのコンプレックスを彼女にも持たせて欲しかったと思う。