この上なく贅沢なバカ映画だ。
「トロピック・サンダー 史上最低の作戦」(2008米)
ジャンルコメディ・ジャンル戦争
(あらすじ) 落ち目のアクション俳優タグ、お下劣コメディ俳優ポートノイ、オスカー常連の性格俳優ラザラスはベトナム戦争の映画を撮っていた。しかし、撮影は思うようにいかず予算はオーバー。プロデューサーはかんしゃくを起こし、困り果てた監督は原作者の口車に乗せられて、彼らをジャングルの奥地に野放しにして臨場感ある戦闘シーンを撮ることにする。ところが、そこは麻薬密売組織の領地だったことから、彼等は本物の危機に陥っていく。
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(レビュー) 戦争映画の撮影隊が思わぬことで麻薬密売組織と戦う羽目になってしまう痛快コメディ。下ネタ、グロネタ満載のバカ映画と割り切った上で楽しめる。
度肝を抜くオープニングからして、この映画はアンチ・ハリウッドのスタンスに立っていることが分かる。キャラクターの造形にもそれは感じる。傲慢なプロデューサーやペテン師のような原作者、求心力のない雇われ外国人監督。そして、ラストのオチにいたるまで全てがアンチ・ハリウッド的。言ってしまえば、自虐ネタをエンタテインメントにしてしまうのだから、アメリカ映画の懐の深さは尋常ではない。
そして、この自虐ネタは過去の名作、傑作を茶化すことでも成り立っている。「プラトーン」や「地獄の黙示録」、「ランボー」シリーズといった戦争映画に始まり、「レイダース」や「ナッティ・プロフェッサー」等のパロディも登場する。また、「レインマン」や「アイ・アム・サム」等、知的障害者を描いた映画について語るシーンも出てくる。これが中々侮れない。妙に的を得ていて説得力があった。確かに”やり過ぎ”はよくないと俺も思う。
とか言いつつ、この映画ではやり過ぎるくらいヤッているのだが‥(^_^;
主役3人は無駄にテンションが高い。ほとんど勢いで笑わせてしまっているような所もある。B・スティラーとJ・ブラックは得意の妙演である。しかし、俺がこの映画で一番推したいのはラザラス役のR・ダウニーJr.だ。何と黒人兵士になりきるために皮膚の色まで変えてしまうという役者バカで、ダウニーJr.がこれまたバカがつくほど熱演しているのだ。クライマックスにおけるB・スティラーとのメソッド演技合戦(?)には笑わされた。というか、役柄に没頭しすぎて周りが見えない状況をかくも可笑しく描いて見せること自体、俳優業の何たるかを痛烈に皮肉っているとしか言いようがない。
豪華なゲスト俳優が多数出演しているのも見逃せない。特に、下品で傲慢なプロデューサーには驚かされた。メイクのせいで途中まで、“アノ人”だったことに全然気付かなかった。
一方、ストーリー自体は残念ながら今ひとつの出来だった。中だるみはするが、どうにかクライマックスで盛り返したという感じである。一応伏線をきちんと回収しているし、それなりの量の花火も打ち上げられているのだが、人物関係の掘り下げが甘いという気がする。同じく落ち目の俳優達の奮起を描いた「ギャラクシー・クエスト」(1999米)との比較で見れば一目瞭然である。もっとも、変にウェット感を出すよりもバカに徹したということでは”潔い”と言ってもいいかもしれないが‥。
リアルと寓話の中間という感じがして中々楽しめた。ただ、後半の展開が‥。
「トウキョウソナタ」(2008日オランダ香港)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 東京の小さな一戸建てに住む佐々木家。一見するとごく平凡な家族だが、実は様々な問題を抱えている。ある日父が突然リストラされる。会社に行く振りをしながらハローワークに通うが、中々思うような仕事に就けなかった。母は良妻賢母に徹しているが、ある時ふと自分の人生がこのままでいいのかという疑問に駆られる。大学生の長男は朝帰りの自堕落な日々を送っている。小学生の次男は教師に対する不信感から、ピアノ教室の先生に憧れを抱くようになる。彼等は同じ屋根の下に住みながら心はバラバラだった。
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(レビュー) 不景気によるリストラ、夫婦の危機、断絶した親子関係等、社会風刺がこの映画には盛り込まれている。見かけはオーソドックスなホームドラマだが、蓋を開けて覗いてみると案外ブラックで歯ごたえがある。
監督脚本は黒沢清。この監督の作品は必ずと言っていいほど、人間の奥底に潜む悪心がテーマに関わってくる。多くは心霊現象のような形で顕現することでホラージャンルに偏るのだが、本作は珍しく家族をテーマにしている。しかし、ホームドラマの体裁を取りながら、やはり要所要所にホラーテイストが入っているところがいかにも黒沢清らしい。一番怖いと思ったのは、家族全員が夫々に”嘘の自分”を演じている所だ。己の肥大したエゴ、欲心を隠し持ちつつ無関心を装い続ける。
失業した父は家庭の中で威厳を保とうとする。しかし、リストラされたことを家族に隠しているわけだから、それはただの虚勢に過ぎない。もはや、社会的には完全な落伍者となった彼は、最後の砦。つまり家庭の中にしか自分の存在意義を求められなくなっていく。家族はバラバラではいけない。皆が互いを思いやって一つにまとまることこそが理想だ、と嘯く。しかし、そんな彼の思いをよそに、他の者は皆、家庭の外に自分の存在意義を求めていく。
母は主婦業をしながら外に連れ出してくれる誰かを待っている。長男は閉塞した今の日本から抜け出そうと海外へ目を向ける。次男は傲慢な大人達に嫌気がさしてピアノ教室に癒しを求める。
父が守ってきたと自負する家族の姿はそこにはない。すでに家族の繋がりなどとっくの昔に無くなっていた‥ということに父親は気付いていない。そこが実に恐ろしい。
少々カリカチュアが過ぎるという気はするが、現代日本において、多かれ少なかれ彼等のように秘密と嘘を上塗りしながら「家族」を演じている‥という事例はあるのではないだろうか?佐々木家の崩壊は怖くもあるが、どこかリアルにも見えてくるから面白い。
実は、この虚構と現実の乖離は黒沢作品における一つのメインテーマであるように思う。過去の作品で言えば、この世ならざる存在、例えば幽霊であるとか、ドッペルゲンガーであるとかいった類の物を信じるか信じないか。その二律背反で、いわゆるホラージャンルが語られてきた。今回は、この世ならざる存在が”家族”というわけである。したがって、今回も黒沢清がテーマにしていることは一貫していると思う。虚構と現実の果てに見る人間のあやふやさ、滑稽さといった姿にピンポイントで焦点が当てられている。
ただ、興を削がれる事が2点あって、それに関しては残念だった。
一つは長男に関する後半のエピソード。もう一つは母に起こる事件である。
ギリギリのラインでリアルさを保っていたこの映画が、この二つで一気に虚構の出来事になってしまったような気がする。すでに現実的な問題から乖離してしまった後では、このラストにどうも作りもの的な安易さを覚えてしまった。
そもそもこの佐々木家という家族は”ありそう”で”ない”家族なのだから、それを”なさそう”で”ない”ものにしてしまったことは非常に勿体無いと感じた。
劇画チックで面白い。阪本順治は戦う男の姿を描くのが上手い。
「王手」(1991日)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 大阪新世界に賭け将棋で飯を食っている真剣師飛田がいた。プロアマ勝ち抜き選手権で快進撃を続ける彼は、知る人ぞ知る存在になっていた。しかし、性格はいたって奔放。借金取りに追われ、気がつけば遠く離れた日本海の温泉街にやってきた。そこでストリッパーの照美と行きずりの一夜を過ごす。一方、彼の相棒で奨励会の若手のホープ香山は、いつかプロになって幼馴染加奈子と結婚することを夢見ていた。ところが加奈子に中々告白できず、飛田に振り回された挙句奨励会を破門になってしまう。そんな二人の前に伝説の真剣師三田村が現れる。
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(レビュー) 真剣師達の熱い戦いを描いた作品。
本作は何から何まで劇画的に作られている。一番それを強く感じるのはキャラクターの造形である。
破天荒な性格の主人公・飛田はもちろんのこと、彼とは対照的なナイーブな香山も実にコミック的である。他にも濃いキャラはたくさん登場してくる。生意気な小学生、どこか憎めない借金取り。更には、飛田と対局する敵キャラも皆、際立っている。盲目の真剣師や伝説の老真剣師等、実にユニークだ。
しかし、一方で女性キャラは男性勢に押され気味でやや影が薄い。母性で包み込む照美やいかにも現代っ子な加奈子等、明確には造形されているが、いずれも紋切り的で面白みに欠ける。男の戦いを描く物語なので、その辺の造形の甘さはそれほど気にならないが、やはりどうしても物足りなく感じた。
物語は勝負事を描くドラマとしては、かなりオーソドックスに展開されている。将棋の世界というと特殊な感じを受ける人もいるかもしれないが、誰もが入り込みやすいドラマで、飛田の勝負にかける強い思いもストレートに伝わってきて見ていて気持ちが良い。
ただ、余りにもシンプルに展開されるので少し食い足りない感じもした。本作ではサブキャラである香山や照美のドラマを最終的に放りっぱなしにしている。彼等のその後を想像させるような”何か”が劇中に散りばめられていれば、このドラマにはもっと奥行きが出てきただろう。余韻や深みを出す粋な配慮、更には繊細さに若干欠けるような気がした。
監督は阪本順治。硬派な演出を信条とする一方で、コメディタッチも得意とする作家である。その手腕は本作でも存分に感じられた。特に、クライマックスとなる通天閣を舞台にした戦いのシーンに彼の真骨頂が感じられる。劇画調な戦いに傾倒しすぎな感がしなくもないが、新鮮に楽しめた。
また、大阪が舞台ということもありギャグはコテコテ系が多い。そこは明らかに監督の狙いなのだろう。個人的には扇子のネタが最も笑えた。
原作と脚本は本作がデビューとなる豊田利晃。後に監督として一本立ちしていくが、彼の監督デビュー作「PORNOSTAR ポルノスター」(1998日)を見る限り、泥臭い青春劇が彼の持ち味のように思う。その片鱗が本作の飛田のキャラクターに見れて興味深かった。
キャストでは、飛田役の赤井秀和の演技が全体的に固すぎるのが残念だった。デビュー作である「どついたるねん」(1989日)から2年。ほとんど変わっておらずこれは全体の雰囲気を壊すほどに致命的である。将棋をさす”動”のシーンはまだ見られるのだが、日常会話等の”静”のシーンになると演技がカチコチに固くなってしまい見てられない。飛田の一本気なキャラクターにハマっていただけに、もう少し演技が上手ければ‥と残念に思った。
1話5分だとさくさくと見れる。色々なテイストが楽しめるお得な1本。
「パリ、ジュテーム」(2006仏)
ジャンル人間ドラマ・ジャンルロマンス・ジャンルファンタジー・ジャンルコメディ
(あらすじ) パリを舞台にした全18話のオムニバス作品。人種が異なる若者達の淡い恋物語、ベビーシッターをするシングルマザーの日常、アメリカ人観光客が遭遇する災難、子供を亡くした母親が見る幻想、妻に別れを切り出す中年男の迷い、盲目の青年と女優志願の娘の恋等が綴られる。
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(レビュー) パリを舞台にした1話約5分の短編集。個性派の監督が夫々に力量を発揮している。中には今ひとつの作品もあるが、オムニバス作品は様々なモノが見れるという点で何となくお得感がある。
最も印象に残ったのはパントマイムのエピソードを描いた「エッフェル塔」だった。キッチュな色彩や特撮を駆使し、まるでマンガのような世界が作られている。後で、監督が「ベルヴィル・ランデブー」(2002仏)の人だったということを知り納得した。独特の作風は好みが分かれる所かもしれないが個人的には楽しく見れた。
「お祭り広場」も印象に残る作品だった。わずか5分ながら男女の数奇な運命がドラマチック且つ無理なく語られている。作劇の勝利という気がした。
他には、W・サレス監督の作品。「そして、ひと粒のひかり」(2004米コロンビア)のC・モレノを久しぶりに見れて嬉しくなった。C・ドイル監督の作品はラジカルな異色作。T・ティクバ監督の作品もユニークな作風で楽しい。A・キュアロン、コーエン兄弟の作品も中々良かった。
逆に今ひとつと感じたのは、諏訪敦彦の作品だった。J・ピノシュという国際派女優を起用しながらその魅力を活かしきれていない。また、W・クレイヴン監督の作品も今ひとつだった。この企画に参加するのはどう考えてもおかしい監督だと思うが、案の定ロマンスを手がけるのが不得手であることを露呈してしまった。V・ナタリ監督も本来のシュールさが見られず凡庸だった。
緊密に作られた物語は面白く見れる。ラストにはゾッとさせられた。
「美しき運命の傷痕」(2005仏伊ベルギー日)
ジャンルロマンス
(あらすじ) 主婦ソフィは夫の浮気を疑い、不倫現場を押さえようと尾行をはじめた。年老いた母の面倒を見る独身女性セリーヌは、カフェで見知らぬ男性から声をかけられ惹かれていく。女子大生アンヌは大学教授と不倫を重ねていた。最近彼の態度が冷たいので自宅へ乗り込んでいく。彼女がそこで見たものは‥。ソフィ、セリーヌ、アンヌ、3人の女性には共通する過去があった。彼女等は夫々にその過去と向き合うようになっていく。
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(レビュー) 忍耐の女ソフィ、繊細な女セリーヌ、情熱的な女アンヌ。個性的な3人の女性の数奇な運命を独特の映像で綴った作品。
不倫を題材にしたほとんど昼メロのようなドラマで、筋書きだけ追いかけるとどうしても陳腐に思えてしまう。ただ、ラストで明かされる真実にはある種のカタルシスがあり、それまでの昼メロのようなヌメリ感は一掃される。3人のドラマが見事に融和し収束することによって生まれるカタルシス、あるいは女の飽くなき情念が男を串刺しにしてしまう恐怖のカタルシスと言っても良い。とにかく、このラストには驚かされた。
物語は3つのエピソードをバラバラに描いてく。一見何の繋がりも無いように見えるエピソードだが、実は3人には共通点があった。それが幼少時代に体験した”ある事件”である。3人の関係とそれぞれのパートナーの正体をミステリー仕立てに語る構成が、上手く緊張感を生み出し最後まで面白く見れた。
また、映像の美しさも特筆すべきものがある。ゴシック調の重厚な映像がある一方で、ポップアートのような軽妙な映像もあり、面白い画作りになっている。特に、赤の色彩を大胆に使用することで蒸せかえるような官能を演出したソフィのパートが印象に残った。
監督は「ノーマンズ・ランド」(2001仏伊ベルギー英スロヴェニア)のD・タノヴィッチ。「ノーマンズ・ランド」を見た時には映像にこだわる監督とは思えなかったので意外である。
尚、本作はポーランドの巨匠K・キエシロフスキーの遺稿が原案になっている。キエシロフスキーは「天国」「地獄」「煉獄」という三部作を残して他界した。本作はそのうちの「地獄」の映像化だ。ちなみに「天国」はT・ティクバ監督が「ヘヴン」(2002仏)として映画化している。「煉獄」はまだ映画化されていないが、されるとしたら一体誰がどんな形で映像化するのだろう?興味があるので作品になったあかつきにはぜひ見てみたい。
剥き出しの感情による衝突。それは意外な化学反応を起こす。実にスリリングで面白い。
「ベストフレンズ」(1981米)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) リズとメリーは大学時代からの親友。卒業後リズは女流作家に転進、メリーは大学時代に付き合っていたダグと結婚し一児をもうけた。二人は久しぶりに再会するが些細なことで喧嘩してしまう。リズはスランプによる八つ当たり。メリーはリズとダグの関係を疑ったためである。それから数年後、メリーはリズの売り込みで作家としてデビューし成功を果たす。その影でダグは離婚を言い出す。リズはその相談を受けるうちに彼と親密になっていく。
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(レビュー) 約20年に渡る女同士の友情を綴った作品。タイトルからハートウォーミングなものを想像していたが、蓋を開けてみると意外にシリアスな内容だった。
リズとメリーは事あるごとに衝突を繰り返すが、そのたびに関係は修復されていく。女の友情は脆いとよく言われるが、この映画を見るとそんなふうには思えない。そもそも本音で喧嘩できるというのは、それだけ固い絆で結ばれているという証である。
そして、女同士の友情の前では、男など卑小な存在でしかないということもこの映画を見るとよく分かる。実に精錬された女性映画だ。
監督はG・キューカー。俳優のポテンシャルを最大限に引き出すのが彼の持ち味で、以前ここでも紹介した同監督作
「ガス燈」(1944米)におけるI・バーグマンの演技は実に見ごたえがあった。本作ではJ・ビセットの演技が素晴らしい。
尚、本作は彼の遺作である。製作当時彼は80歳だった。そのエネルギッシュな演出は老いて益々健在で、リズとメリーが本音を晒して激しくぶつかり合うシーンの迫力といったら、とても老人が演出したとは思えない。これぞキューカーの面目躍如といった感じがした。
シリアスな演出の一方で、キューカーは実に多彩な演出も披露している。意外にもコメディチックな演出も所々に盛り込まれている。例えば、飛行機内のセックスシーンはちょっと下世話なユーモアを感じさせる。
そうかと思うと、リズとナンパ少年のラブシーンには文芸ロマンのような端正さと淫靡さが漂い、彼の演出は実に変幻自在だ。ベテランにしてこの柔軟さは驚きである。作家として一つの特徴に縛られないバイタリティ溢れる精神は素晴らしい。
ラストは叙情的に締めくくられている。
ハッピーエンドのようにも取れるしアンハッピーエンドのようにも取れる。見た人の感性に左右されそうな終わり方である。いずれにせよ、その後の彼女等を色々と想像させるような終わり方になっていて、そういう意味では噛みしめたくなるような味わいがある。
尚、まだあどけなさが残るM・ライアンが今作で映画初出演を果たしている。さすがに若い。
反核メッセージが強烈に出た黒澤作品。
「生きものの記録」(1955日)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 戦後10年。東京で町工場を経営する中島喜一は、核に対する強迫観念から放射能汚染が届かない地球の裏側ブラジルに家族全員で移住すると言い出した。息子達から準禁治産者として家庭裁判所に訴えられる。彼は以前にも全財産をはたいて地下シェルターを作ったことがあり、判事は息子達の主張を認めようとする。しかし、歯科医で家裁参与員の原田にはそう簡単に割り切れなかった。喜一の主張が狂ったものに思えなかったのだ。こうして彼は喜一の擁護に回るのだが‥。
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(レビュー) 1952年、太平洋ビキニ環礁で行われた米軍の水爆実験により、日本の漁船第五福竜丸が放射能汚染に晒された。原爆が投下されてから10年。当時はこういった事件もあって、戦争の傷はまだ癒えてなかったわけである。この映画を見るとそのことが良く分かる。核兵器に対する警鐘というメッセージが作品からダイレクトに伝わってきた。
監督は黒澤明。後に「八月の狂詩曲」(1991日)で長崎の原爆を取り上げている。彼は終始一貫して反戦を訴えたわけだが、この「生きものの記録」は正にその主張が表れた先駆的な作品だと思う。
物語は、核の恐ろしさを訴える喜一を狂人扱いする所から始まる。家裁参与員の原田は、彼の言っている事は過剰であるけれども実は正論なのではないか?と考えるようになる。さしずめ現代なら核の恐怖はテロの恐怖に置き換えられるかもしれない。そう考えると平和ボケな現代においても、喜一の主張に一定のシンパシーを覚えることが出来る。
ただ、どうしても本作は作劇の面で弱さが目立つ。周囲の家族からしてみれば、喜一の独善的な態度、物言いは目に余るものがある。ドラマを語る上で喜一の論に説得性を与えんとするなら、中立的な立場にある原田から見た喜一像を深く掘り下げる必要があったのではないだろうか。そうでないと、本当にただの頭の固い頑固爺にしか見えない。ドラマの視点、作劇に甘さを感じてしまう。
それよりも、この映画で面白いと思ったのは、中島家の人間関係である。喜一には二人の息子と一人の娘、それとは別に3人の妾とその子供達がいる。窮地に追い込まれていく喜一を案ずるのは、実の息子達ではなく
妾の娘の方だったという所が皮肉的だ。形ばかりの家族よりも大事なのは血の繋がりなのではないか?そんなことを考えさせられてしまう。 血縁の崩壊は「生きる」(1952日)や「乱」(1985日仏)の中にも見い出せるが、これは黒澤明が生涯追い求めたもう一つのテーマと言っていいだろう。クライマックス、焼け落ちた工場を前にして狼狽する喜一の姿は、燃える三の城の前で狂う「乱」の秀虎とダブって見えた。共に血縁の崩壊、家長の失墜を絶望的に見せいている。
(追記)
下記のコメントに指摘されていたように妾の娘ではなくて妾であったことを訂正させていただきます。
そこで改めて考えてみると、妾という他人が喜一を案ずる所に改めて血縁の崩壊という悲しさが見えてくるような気がした。
第3話の豪勢な作りに圧倒される。
「怪談」(1965日)
ジャンルホラー
(あらすじ) 第1話「黒髪」は、妻を捨て名家の婿に入った男が体験する恐怖の物語。
第2話「雪女」は、木こりの青年が雪女と数奇な再会を果たす物語。
第3話「耳無芳一の話」は、盲目の琵琶の名人が平家の怨霊に取り付かれる話。
第4話「茶碗の中」は、茶碗の中に写る幽霊の話。
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(レビュー) 小泉八雲原作の怪談シリーズをオムニバス形式で綴った作品。
「雪女」と「耳無芳一の話」は知っていたが、他の2編は知らない話だった。3時間の長さは多少疲れるが、各話に豪華俳優陣が出演しており中々見応えがあった。
第1話は、妻を裏切った男の破滅を緊迫感ある演出で描いた快作である。効果音を廃し、武満徹の不気味な音楽で押し通したクライマックスは見応えがあった。人間の欲心を痛烈に皮肉ったところが面白い。
第2話は、シュルレアリスムな映像が冴え渡る少しロマンチックな作品。オールセットで撮影された一編で、凝り性な美術背景は一見の価値あり。また、木こりと雪女の悲恋は怖いというよりもどこか哀愁をもたらし、最も叙情性のある作品だった。
今作の白眉はなんと言っても第3話である。様式美を追求した演出が素晴らしい。とりわけ平家一門の怨霊が立ち並ぶシンメトリックな舞台装置は、琵琶の伴奏で歌われる壇ノ浦の戦いの歌と共に、ある種伝統芸能のような格調高さを感じる。4作品中最も時間をかけて描かれる逸話だ。序盤の絵巻物は冗漫という感じがしたが、それ以外は圧倒されっぱなしだった。
第4話は、言わばエピローグのような話で、映画全体を締めくくるという意味では洒脱が効いていて丁度良い。
当時のロスのスラム街は恐ろしかった。人種の違いを越えて育まれる友情はしみじみとさせられる。
「わが街」(1991米)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) ロスの弁護士マックは帰宅途中、黒人地区に迷い込んだ所を少年ギャングに襲われる。そこをレッカー車の黒人運転手サイモンに助けられた。その後、二人の身辺に大きな事件が起きる。マックの親友で映画プロデューサーのデイビスが強盗に襲われ入院した。また、マックの妻はジョギング中に捨て子を拾った。一方、サイモンはギャングの抗争に明け暮れる甥のせいで妹の家が銃撃されてしまう。荒廃したロスの街を憂う二人は、次第に交友を深めていくようになる。
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(レビュー) 白人弁護士と黒人運転手の交流を描いた群像ドラマ。夫婦愛、友情、親子愛等がしみじみとした味わいで描かれている。
「ボーイズ・ン・ザ・フッド」(1991米)、「ニュー・ジャック・シティ」(1991米)等、90年代に復興したブラックムービーを見ると分かるが、当時のロスのスラム街は手がつけられないほど荒廃していた。この映画でもマック、デイビス、サイモンとその家族がギャングに襲われている。警察さえどうすることもできない悲惨な状況だった。
荒廃の原因は幾つかあると思う。とりあえず本作では移民の問題と貧富の問題が取り上げられている。個人的には少し食い足りない気がしたが、娯楽性を持たせるためにこれらの問題についての言及は浅薄に留めているのだろう。問題認識を持つという意味からすれば十分だと思う。
物語はマックとサイモンが人種の違いを超えて熱い友情で結ばれていく友情ドラマとなっている。ラストの持って行き方が少し強引な感じがしたが、途中までは丁寧に描かれていて良かった。
尚、クレジットにW・ヒル監督の名前を見つけた。今回彼は劇中のバイオレンス映画の演出をしている。彼の傑作「48時間」(1982米)のバスジャックのシーンとまったく同じシチュエーションが繰り広げられていて笑ってしまった。
ちなみに、「48時間」のプロデューサーはバイオレンス映画専門のJ・シルヴァーである。「リーサル・ウェポン」や「ダイ・ハード」といったヒットシリーズを手がける敏腕プロデューサーだが、そうだとすると本作に登場する映画プロデューサー、デイビスのモデルは彼ということになるのだろうか?だとすれば、彼が往年の名画「サリヴァンの旅」(1941米)を引き合いに出すシーンは皮肉が利いている。
「サリヴァンの旅」は、ハリウッドの名プロデューサーが陰気な映画を作るのを止めて夢を与えるような映画を作る改心を描いた作品である。しかし、J・シルヴァーは未だに改心するどころか、バリバリのバイオレンス映画専門のプロデューサーとして活躍中である。あてつけではないだろうが、デイビスのキャラにはJ・シルバーに対する意地悪な含みも感じられた。
これだけメチャクチャやればさぞ楽しかろう。細かなことを考えずに見るにはうってつけ。
「いつかギラギラする日」(1992日)
ジャンルアクション
(あらすじ) 神崎、柴、井村はプロの強盗チーム。クラブを経営している青年角町から、現金輸送車襲撃の話を持ちかけられる。襲撃は成功するが、いざ分け前の段階になって予想していた金額より少なかったことが分かる。金が惜しくなった角町は独り占めして逃走した。その時の争いで井村は死に柴は重症を負った。神崎は一人で角町を追いかけた。一方、角町は柴の愛人麻衣と合流していた。実は二人は裏で結託していたのだ。借金を背負っていた角町はその金で清算しようとするが、そこに謎の殺し屋が現れて‥。
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(レビュー) 一癖も二癖もある連中が金を巡って右往左往する破天荒なバイオレンス映画。
終始テンションが落ちることなく、クライマックスまで一気に突っ走ってしまった所が凄い。監督深作欣司の年を感じさせないパンキッシュな演出には頭が下がる思いだ。ひたすら火薬に頼る力技の演出とはいえ、男だったらこのケレンミに痺れるしかないだろう。
キャラクターも皆個性的で面白い。血の気の多い人間とラリった人間しか登場してこない。個人的には多岐川裕美演じるクールな美女が良い味を出していると思った。ナンパ男の頬をカッターの刃で撫でるとは‥。これはこれで、直接的な暴力とはまた違った意味のアブなさがありゾクリとさせられた。
随所に見られるユーモアも楽しい。強盗一味がハウスキーパーという表の顔を持っていたり、殺し屋がただの”こけおどし”という所は意外性があって良かった。
キャストでは何と言っても神崎役の萩原健一が格好良かった。鼻に絆創膏して様になるのは「チャイナタウン」(1974米)のJ・ニコルソンか今作の萩原健一くらいだろう。
角町役の木村一八は刹那的な生き様を見せつけ、これまた強烈な印象を残す。決して芸達者というわけではないが役柄に上手くマッチしていた。特にラストのセリフにしびれてしまった。「そんなのロックじゃねぇ」って‥余りにもアホな‥っ!しかし、こんな臭いセリフでも全編ロックな本作ではシックリきてしまうから不思議である。