凝った構成にニヤリとさせられる。
「11:14」(2003米)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) 深夜11時14分、男は酒を飲みながら無免許で車を運転していた。突然空から死体が降ってきて驚く。彼は警察に追われることになり‥。その5分前、別の場所で不良少年達が酒酔い運転で少女を引き殺してしまった。更にその5分前、犬の散歩中の警察署長が墓場で顔の潰れた死体を発見する。その頃、スーパーでは強盗が発生。それをある少女が目撃していて‥。
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(レビュー) 11:14分に起きた死体ダイブを起点に5分おきに時間がさかのぼっていくサスペンス作品。
5つの視点で別々の事件が綴られていく。最後に1本のストーリーが出来上がるという構成が中々面白い。G・リッチーやタランティーノがやる手法を丸々映画1本分やってしまったという感じだ。テンポが良くて中盤まではぐいぐいと引き付けられた。ただ、さすがに5つ目のエピソードになってくると全貌が予想できることもあり少しだれてしまうが‥。
それにしても、ブラックなテイストがかなりキツいのには驚かされた。死体が降ってくる冒頭のシーンを筆頭に、ふざけて車窓から出したペ○スがチョン切れたり、墓場でセックスしようとしたらグロい顛末が待ち受けていたりetc.怖いとか情けないというより、余りにも登場人物の行動が抜けすぎて笑ってしまいたくなる。
尚、オスカー女優H・スワンクが脇役で出演している。更には何と製作総指揮も兼ねるという力の入れようだ。「ボーイズ・ドント・クライ」(1999米)で出世した後も、彼女はこうしてたびたびB級映画に出演している。オスカーを受賞したことで変にプライドを持ってしまう女優達もいるが、彼女にはそうしたところが一切無いところに好感を持てる。
どんなにひどくても何故かそこに惹かれる。ふしぎな監督、シャマラン。
「ヴィレッジ」(2004米)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) 19世紀末、ペンシルヴェニア州に深い森に囲まれた小さな村があった。村人達は森に潜む伝説の怪物を恐れ一歩も村から出たことがない。最近になって怪物からの警告と思われる動物の死骸が至る所で発見された。そんな中、盲目の少女アイヴィーは勇敢な青年ルシアスと恋に落ちる。これが思わぬ悲劇を呼び‥。
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(レビュー) 閉ざされた小村で起こる怪現象をミステリアスに綴った作品。
監督脚本は「シックス・センス」(1999米)のM・ナイト・シャマラン。
今回はどんな仕掛けがあるのか?と期待していたが、想像していたものとは大分違っていた。さすがにこれまでのように”一発オチ”ではまずいと思ったのだろう。現に前作
「サイン」(2002米)はそこから脱却出来ず、あまつさえ肩透かしを食らわすという散々たる内容だった。今回はラブロマンスを軸にしたところが見所で、サスペンスよりドラマを重視にしたシナリオになっている。
ただ、このシナリオが相変わらず突っ込みどころ満載で、決して褒められた出来とは言えない。演出も古臭く感じてしまう部分が散見できる。「サイン」といい本作といい、これはもうシャマランのセンスとしか言いようが無い。ここまで緩慢で凡庸な演出をするとなると、今時のジャンル映画では到底通用しない。
テーマは意外にも社会が孕む「偽装」の問題に深く言及している。個人と社会のあり方という観点から語りつくされているテーマであるが、それをSFではなく童話のような語り口で見せた所は一つの妙味という気がした。
俳優陣ではノアを演じたA・ブロディが目立っていた。この人は確かに演技は達者なのだが、全てが同じようなカラーになってしまうのが勿体ない。尚、アイヴィー役の女優はR・ハワード監督の実娘だそうである。本作が映画初主演デビューということで、古風な顔立ちに幼さを足した感じが中々に良かった。
「ロード・オブ・ドッグタウン」(2005米)
ジャンル青春ドラマ・ジャンルスポーツ
(あらすじ) 1975年、カリフォルニアのベニスビーチ。ジェイ、トニー、ステイシーはサーフィンとスケボー好きの不良少年達。サーファーショップを経営するスキップは、彼等を集って”Z-BOYS”というスケボー・チームを結成する。早速、大会に出場するが審判相手に暴力をはたらき失格してしまう。それにもめげずに3人はスケボーの魅力に取り付かれていった。彼等が住むスラム街の近隣にはプールつきの高級住宅がたくさんあった。彼等は毎日方々の家に忍び込んでは、水の入っていない空のプールでアクロバティックな滑りを楽しむ。その姿がマスコミ取り上げられてZ-BOYSは有名になっていく。
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(レビュー) スケボーに青春をかけた若者達の姿をスタイリッシュな映像で綴った作品。実話の映画化。
栄光を手にしたZ-BOYSだが、ジェイ、トニー、ステイシーは人生を隔てていくようになる。中でも、ジェイの葛藤はドラマチックで印象に残った。
プロとして時代の寵児に祭り上げられていくトニーとステイシー。それを脇目にジェイは地元に残って自分の好きな滑りを続ける。プロとアマに隔てられたことによる彼の葛藤は、他の二人には無いドラマチックさがある。
元々、彼にはヤク中の義父とその暴力に耐えながら工場で働く母がいる。プロになって母に楽な暮らしをさせたいという思いはあるが、彼はプロにならなかった。このスラム街、ドッグタウンで生まれ育った者としての意地である。今まで自分達を散々蔑んできた者達、つまりスポンサーとなる大企業の重役やマスコミ、金儲けしか頭に無い資本家達に媚びへつらきたくないという気持ちが、彼をドッグタウンに留まらせたのだ。
若さとは時に無謀であり、時に素晴らしいものである。ジェイの選択には、将来の安定志向という打算もなければ、周囲を気にして自分の信念を押し殺すという妥協もない。青臭いけれど、正にこれこそ「青春」だろう。
ジェイに比べると、トニーとステイシーはバックストーリーを含めキャラクターの魅力に乏しいのが残念だった。この映画は友情がテーマになっている。そういう意味からしても、彼等にもジェイと同様の迷いや苦悩を持たせて欲しかった気がする。そうすれば、友情の破綻と修復というドラマは、より強く響いてくるものになっていたかもしれない。
主役の3人以外では、兄貴分スキップの存在感が光っていた。いわゆる永遠の不良中年なのだが、故ヒース・レジャーがいかにもルーザー風な出で立ちで好演している。特に、ガレージで嘆く姿は良かった。見るからに情けないのだが、そこに哀愁が沸き立つ。
ラス・メイヤー映画初体験なのだが‥なるほど、頭悪すぎ。
しかし、何なんだ?この超展開のクライマックスは!
「ワイルド・パーティー」(1970米)
ジャンルコメディ・ジャンル音楽・ジャンルエロティック
(あらすじ) ケリーは売れない女性バンドのヴォーカリストをしている。事業を営む叔母のコネで彼女は名プロモーター、Zマンのパーティーに招待された。そこでバンドメンバーは様々な業界人と関係しメジャー・シーンでのし上がっていく。しかし、私生活ではドラッグとセックスに溺れていくようになり、ケリーはマネージャーで恋人のハリスと破局を迎えてしまう。
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(レビュー) ショウビズ界の光と影をグラマスに綴った音楽青春映画。
監督はピンク映画界の巨匠ラス・メイヤー。本作は彼にとっての初のハリウッド作品である。一応メジャー映画であるが、前半は10分に一度はセックスシーンが登場してくる。現在なら確実にR指定間違いなしだ(当時はXレイトとして規制された)。ただ、ハリウッドに気を使ったどうか分からないが、後半は前半に比べるとポルノ描写は幾分大人しめになる。死ぬまで巨乳を愛し続けたオッサンも、一般映画ではさすがにあからさまに趣味丸出しとはいかなかったか‥?
この映画には面妖なキャラが多数登場してきて面白い。
胡散臭い風貌のZマンに始まり、バイセクな彼の恋人ランス、元ナチの召使、キッチュな仮装女等、見るからにキワモノばかりだ。さながらショウビズ界は変態の巣窟と言った感じであるが、むろんこれらは毒を含んだ風刺に他ならない。アンダーグランウンドを歩んできたラス・メイヤーのこと。彼なりの”やんちゃ”なカウンター・スピリットが見えてくる。
ドラマ自体はありきたりという感じがした。
ドサ回りをしていたケリー達はZマン達パトロンに取り込まれながら青春をズタボロにしていく‥というストーリーで、正直余りパッとしない。加えて余りにも安易な展開に唖然とさせられた。
但し、グルーヴ感溢れるクライマックスのパーティー(?)シーンはかなりの超展開で、何だか大変なモノを見てしまった‥という妙な満足感が得られた。
尚、タランティーノが「キル・ビル」で本作にオマージュを捧げている事は一部でよく知られている。冒頭のシーンとクライマックスシーンにそれらしきものが見られてニヤリとさせられた。
クリスマスシーズンにぴったりのホラー。
「-less[レス]」(2003仏米)
ジャンルホラー・ジャンルサスペンス
(あらすじ) クリスマスイブの夜、ハリントン一家は祖母の家で開かれるパーティーに出席するため車を走らせていた。ところが、この日に限って運転手の父は普段は通らない裏道を通り迷ってしまう。すると、突然赤ん坊を抱いた白いドレスの女性に遭遇する。彼女を拾い一路祖母の家を目指すが、長女マリオンのボーイフレンドが謎の失踪を遂げる。乗っていたはずの白いドレスの女も忽然と姿を消していた。一家を得体の知れない恐怖が襲う‥。
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(レビュー) 楽しいはずのクリスマスパーティーが見るも無残な恐怖のパーティーになってしまうホラー作品。
白いドレスの女と遭遇したことで一家は恐怖のどん底に落される。車はどこまで走っても祖母の家にたどり着かず、一人また一人と家族は姿を消していく。一体誰が?何のために?という得体の知れない怖さが一家を襲う。中々緊張感のある作品だ。
ただ、オチはいただけない。始まってすぐに読めてしまった。
中盤以降の畳み掛けるような展開は中々見応えがあった。
ホラーといっても直接的な残酷描写は少なく、極限状態に追い詰められる心理描写を基調とした作りが面白い。そこには家族崩壊のドラマも語られている。
マリオンの衝撃の告白に始まり、両親の険悪な関係、長男の秘密といった諸々の事情が、じわりじわりと忍び寄る恐怖と共に明らかにされていく。人は余りの恐怖に出くわすとパニック状態に陥り、考えられないような行動に出るものだが、彼等もまた深層心理に潜在する本音をこの状況下で口に出してしまう。本来ならこの窮地から脱出すべく協力し合うのが家族のあるべき姿だ。それなのに、彼らは互いに罵詈雑言を浴びせながら傷つけあうのだ。とりわけ、しっかり者のように見えた母親のキレっぷりは凄まじく、もはや笑ってしまうしかないのだが‥。
人間の嫌な本質を捉えたこの阿鼻叫喚の図は別の意味でホラー映画的だった。
クリスマスシーズンにぴったりの映画。
「ポーラー・エクスプレス」(2004米)
ジャンルアニメ・ジャンルファンタジー
(あらすじ) ある所にサンタを信じない少年がいた。クリスマスイブの夜、少年が眠りに付こうとした時、外から物凄い轟音が聞こえてきた。窓を開けてみるとそこには北極点行きの列車、ポーラー・エクスプレスが停車していた。少年はそれに乗って冒険の旅に出発する。厳格な車掌、心の優しい少女、知ったかぶりの少年、孤独な少年らと共に、様々なアクシデントを乗り越えて目的地を目指していく。
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(レビュー) 現実主義の少年がクリスマスの奇跡を体験する、ハートウォームなCGアニメ。
パフォーマンス・キャプチャーという技術で実際の俳優の演技を生々しく再現したところが斬新だ。「ロード・オブ・ザ・リング」のゴラムも同様に俳優の演技をキャプチャーしていたが(モーション・キャプチャー)、このパフォーマンス・キャプチャーはその進化系と言える。専門的なところまではよく知らないが、顔の表情をキャプチャーするフェイシャル・キャプチャーも併用されているということだ。だから、この映画のT・ハンクスはあれほどリアルな表情をしている。
確かに技術の進歩は素晴らしい。ただ、どうだろう‥。CG特有の質感の無さは相変わらずで、かえって中途半端にリアルに見えて気色が悪かった。この方面の技術はどんどん”リアル”方向に進んでいるが、いささか無粋という気がしなくもない。キャラクター物をCGアニメにするならまだしも人間をCGで描く場合、どうしても抵抗感がある。
見所はスピード感溢れるアクションシーンとなろう。カメラワークは自在で実写じゃ到底不可能なアングルもCGなら可能となる。アトラクション映画として十分楽しめる出来栄えである。
物語は実に良心的なもので、家族揃って見るにはぴったりの内容である。信じることの大切さを謳っている。
ただ、一つ疑問に残るのは列車に住み着く男の存在である。あれは一体何だったのだろうか?意味深に登場しながら結局何の説明もなかったのだが、ああして毎年子供達の相手をしているとなると、どこか悲しい存在のように思えてしまった。
取り扱い注意的なところがかえって魅力。アングラ的な臭いがプンプンする作品である。
「ニュー・ジャック・アンド・ヴェティ」(1969日)
ジャンルコメディ
(あらすじ) 真面目なサラリーマン、ケンイチが社長令嬢と婚約することになり、彼女の家で両家を交えた食事会が開かれた。そこにはケンイチの叔父夫婦も出席した。ところが、こともあろうに酔った叔父が社長に暴言を吐き、すぐ隣で夫婦でセックスを始めてしまった。実は、叔父の妻は社長の秘書をしていて社長と不倫関係にあったのだ。社長は嫉妬に駆られ若い肉体に対する妄言を吐露する。それを聞いた社長夫人は怒り心頭になる。呆気に取られるケンイチをよそに、婚約者であるショウコは突然狂ったように笑い出した。
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(レビュー) ブルジョワ一家の崩壊をナンセンスな笑いと狂気で描いたコメディ。
理想を絵に描いたような家族が後半、突如として酒池肉林の世界に埋没していく。酒に酔った叔父が意味不明な言葉をわめきだし、嫉妬に狂った社長は妄想を暴走させ、ショウコは突然高笑いを始める。更に、唯一まともだと思っていたケンイチの母親までもが、意味不明に「象さんの歌」を歌いだす。一体この家族は何なのか?常軌を逸した行動をとる彼等をケンイチは傍観するしかない。というか、リアクションのしようがない。まともな神経を持っている者ならば、この異様なテンションについていくのは無理な話だ。したがって、見る方としてはほとんどケンイチの気分である。余りの不条理の連続に呆気にとられるしかない。
ただ、確かに訳の分からない映画なのだが、その意味不明な所に奇妙な面白さも感じてしまう。少なくとも、通り一辺倒に家族の崩壊を描いたドラマに比べたら何倍もの面白さを感じる。
大体によって、人前で平気でセックスを始める叔父夫婦に羞恥心というものは無いのか?
妄想、強迫観念を肥大させる社長、お前は中学生か?
何故「象さんの歌」をみんな知らないのか?
天から聞こえてくる声は一体誰のものなのか?
そもそもジャックもベティも出てこないじゃないか?
画面上で繰り広げられるアングラ小劇団のような描景に圧倒されながら、くだらない突込みを入れていくうちに、不思議と魅了されてしまう自分がいた‥。
考えてみれば、人間がいかに社会の規範に則って生きる存在だとしても、化けの皮を一枚剥がせば所詮”動物”に過ぎないわけである。他の野生動物と同じように欲望のままにセックスをするし、エゴイスティックな捕食者ともなる。この家族のように表面上は澄ました顔をしていても、一度肉欲に溺れ禁忌の虜になれば、常識などという”建前”は一気に崩れてしまうのだ。それが人間の本質なのである。
この映画はそれを描きたかったのだと思う。人間のプライドをとことん貶めて文字通り〝アニマル”に仕立てながら、このブルジョワ一家に痛烈なアイロニーを発したかったのだと思う。
ここまでハチャメチャな作品を撮ったのは日本映画界の異端児、沖島勲監督。彼はこの後、テレビアニメ「まんが日本昔ばなし」のメインライターを務めたというから驚きだ。この二つがまったく結びつかない。一体どういう感性をしてるのだろうか?
大島渚監督初期時代の才気溢れる作品。物語は通俗的だが若々しいタッチが魅力的。
「青春残酷物語」(1960日)
ジャンル青春ドラマ
(あらすじ) 女子学生の真琴は夜遊びが過ぎて酔った中年男に絡まれる。そこを清という学生に助けられた。粗野で一匹狼な清に真琴は瞬時に惹かれ、二人は情熱的に愛し合った。それから1週間。清から一向に連絡がこなかったので、真琴はたまらず彼のアパートを訪ねた。そこにいた彼の親友から、金持ちマダムの愛人がいることを聞かされる。やけになった真琴は夜の街で酒を飲み、たちの悪いヤクザに絡まれる。そこに再び清が現れて助けてくれた。しかし、その代償は高くついた。金を稼ぐために二人は美人局を始めることになり‥。
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(レビュー) 無軌道に生きる若者達の姿をシャープなタッチで描いた青春映画。
劇中に渋谷の学生デモ隊の様子が登場してくる。当時は既存の価値観への反動が学生運動という形で噴出し、何を信じればいいのか?幸せとは何なのか?確たる指標を失い不安に覆われていた時代だった。清と真琴はそんな風潮をよそに暴力の世界に溺れ、即物的な快楽を貪欲に求めていく。その果てに訪れるのは衝撃的な末路だった。これは時代に抗った男と女のアナーキズムを描いた作品だ。
真琴役の桑野みゆきが良い。殴られても川に落とされても愛した男から離れられないM気質な少女を肉体を張って演じている。また、タバコと酒をくゆらす時の”けだるさ”も幸薄そうで中々に良い。現代ではこういう女性像は流行らないだろうが、当時の日本ではリアルなものとして捉えられたのではないだろうか。時代を反映させた女性像だろう。
真琴の姉由紀のエピソードも興味深かった。
彼女は学生運動にのめり込んでいたせいで婚期を逸し、今は母に先立たれた父と質素な暮らしを送っている。生き方、恋愛観において真琴とは決定的に対立する女性である。
彼女は日頃から真琴の奔放な生き方を否定しているが、しかし裏を返せばそれは彼女の嫉妬の表れとも言える。真琴の人生を否定する一方で、羨ましく思う自分もいる。このジレンマは、かつての恋人と再会するシーンで明確に吐露されているが、彼女は「真琴」にはなれない。目の前の恋人と寄りを戻す‥なんて勇気はないのである。実に不幸な女性だと思った。
監督脚本は大島渚。スタイリッシュな演出は、日本のヌーヴェル・ヴァーグと称されるだけのことはある。前半の木場のラブシーンの美しさが強烈な印象を残す。亜流と言われればそれまでだが、それを実践したのは大島渚と同時代に活躍した吉田喜重くらいである。彼等の若々しいエネルギーが日本映画界を震撼させたことは、この映画から十分伺えた。
痛快無比なところが潔し。映像の世界観もクオリティが高い。
「ヘルボーイ」(2004米)
ジャンルアクション・ジャンルSF
(あらすじ) 1944年、スコットランドの雪山でナチスは怪僧ラスプーチンと手を組み異形の怪物を地獄から呼び出そうとしていた。アメリカ軍はその計画を阻止したが、結果として赤い怪物ヘルボーイが誕生する。数年後、超常現象学者ブルーム教授に育てられたヘルボーイは、FBIの特殊機関で日夜悪と戦うヒーローに成長していた。新任捜査官マイヤースがヘルボーイの相棒になる。二人で異界の魔物と戦うことになるのだが‥。
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(レビュー) 地獄の世界から誕生したヘルボーイの活躍を描いたアクション作品。
アメコミヒーローの実写映画の最近の傾向として、苦悩するヒーローというのがある。しかし、本作にそんな小難しい葛藤など出てこない。実に単純明快。純然たる痛快アクション作品として頭を空っぽにして楽しめる。
それにしても、ヘルボーイのビジュアルが何だか和風で親しみやすい。侍のようなちょんまげと赤鬼のような2本の角がユーモラスだ。ジョークのセンスが少し大人っぽいところも面白い。
彼には一緒に戦う仲間達がいる。透視能力を持つ水中怪人エイブと発火能力を持つ女戦士リズだ。それぞれに個性的なキャラクターである。特に、ヘルボーイとリズのロマンスはアクション主体のドラマにちょっとしたスパイスとして仕込まれていて中々絶妙だ。
映像はヴィヴィッドさとシックさが融合した独特の感性を見せる。一見するといかにもアメコミ風の世界観だが、先述のようにヘルボーイが少し大人びたヒーローということもありフィルムノワールなタッチも微妙に混入されている。
監督はギレルモ・デル・トロ。近年の
「パンズ・ラビリンス」(2006メキシコスペイン米)もそうだったが、ファンタジーの世界を作るセンスに独自のユニークさを発揮している。
惜しむらくはクライマックスの展開が野暮ったくなってしまった所だ。突っ込みを入れたくなるシーンが何箇所かあり急にテンションが冷めてしまった。
何となく藤子不二雄Ⓐのようなブラックなテイストがある。
「殺人カメラ」(1952伊)
ジャンルコメディ・ジャンルファンタジー
(あらすじ) イタリア南部の小さな漁村。大聖堂の祝祭日に、人の良い写真家チェレスチーノは、多くの人でにぎわう祭りの様子を写真に撮ろうとした。ところが、そこを暴君の警察署長に邪魔されてしまう。その夜、彼の店に聖アンドレアを名乗る老人がやってきた。チェレスチーノは彼から不思議な力を貰う。写真の被写体をカメラで撮ると本人を殺せるというのだ。試しに警察署長の写真を撮ってみた。その直後、本当に彼は突然死した。こうしてチェレスチーノは町中の悪人を次々とカメラで殺していくようになる。
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(レビュー) 殺人カメラというアイテムが斬新なブラックコメディ。
神の手が誘うようにして始まる訓話だが、社会を風刺したところが中々鋭い。傲慢な警察署長、私利私欲に走る村の要人達、悪徳高利貸し等がこの村を牛耳っている。その影では貧困に喘ぐ村民達がいる。富める権力者と貧しい一般市民。社会の縮図がこの物語にはっきりと描きこまれている。コメディでありながら一定のリアリズムを持った作品だ。
いかにも小市民なチェレスチーノだが、彼の行動を追いかけてみると色々と興味が尽きない。
彼は聖人アンドレアから貰ったこの力を使って、腐敗した社会を救おうと悪人達を片っ端に処刑していくのだが、次から次へと悪の芽が出てキリが無い。初めこそこの力を使うことに恐怖するが、中盤辺りからは涌いて出る悪人等を何のためらいも無く写真に撮っていく。この奔走劇がドタバタ調に描かれていて可笑しい。
しかし、彼の行動を考えてみると何となく気の毒な一面も見えてくる。いくら悪人と言ってもその命を奪う権利は誰にも無いはずである。彼は妄信的に正義を振りかざしていくが、果たしてそれは彼自身が望んだことだろうか?客観的に観ればただの連続殺人鬼に過ぎないわけで、平凡で人の良さそうな彼をこんな風に変えてしまったのは、何を隠そう悪が絶えないこの社会なのではないかという気がする。彼に何故か同情してしまうのだが、それはこうしたバックストーリーがあるからであろう。彼を単なる処刑人ではなく、ちゃんと感情移入できるキャラクターに仕立てている。この作り方は非常に上手い。
本作は基本的にコメディであるので、クスクスと笑えるシーンもたくさんある。
例えば、ホテル建設のためにやってきたアメリカ人の富豪と地元人の対比はユーモラスである。また、死体を渡り歩く神父と医者のコンビのやり取りにもブラックなユーモアが感じられた。
笑えて、少し怖くなって、最後に色々と考えさせられる‥中々奥の深い作品であった。