痛快無比なアクションが楽しめる。娯楽作品としては文句なし。
それにしても、公開から大分経っていることもあり、200席の劇場には俺を含めてたったの5人しかいなかった‥(^_^;)
「レッドクリフ PartⅠ」(2008米中国日台湾韓国)
ジャンルアクション
(あらすじ) 西暦208年。天下支配を目論む曹操率いる80万の軍勢が劉備軍討伐に出撃する。圧倒的戦力の差で敗走を余儀なくされる劉備軍だったが、関羽や張飛、趙雲の活躍のおかげで民の命は救われた。劉備軍の軍師孔明は、起死回生の策として孫権軍との同盟を進言する。早速、孫権に謁見し説得を試みるのだが‥。
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(レビュー) 「三国志」の赤壁の戦いを全2部作で描いたアクション大作。
「三国志」というと登場人物が多くて難しいと思われがちだが、個々のキャラが立っている上に一々名前がテロップ表示されるので、「三国志」に馴染みのない人にも親切に作られている。頭を空っぽにしても十分付いていける。景気のいい”お祭り騒ぎ”に参加する‥そんなスタンスで楽しむべきジャンクフード映画だ。
J・ウー監督が作り出すスタイリッシュなアクションも存分に炸裂している。そもそも主たる設定をナレーションで簡単に済ましてしまい、いきなり戦いのシーンから始まるのだから、今作におけるアクション主導ぶりは徹底している。その後の同盟奔走に少し中だるみを起こすが、クライマックスにこれまたド派手な戦闘シーンが登場する。
また、J・ウー映画に欠かせないと言えば白い鳩である。本作でもきちんと登場してくる。ファンとしては「待ってました!」という所だろう。
孔明と周瑜の琴の演奏合戦も、いかにもJ・ウーらしいハッタリの精神が効いていてクスリとさせる。かつて「M:I-2」(2000米)で大胆にもカーチェイスでラブシーンをやってのけた監督である。琴の音色で互いの心中を探りあうなんて、普通に考えたらありえない話だが、J・ウーの映画だと「ある、ある」となってしまう。
メインディッシュはPartⅡに持ち越されている。それなりに伏線も張られてあるのでその収集と共に更なる”祭り”がぶち上げられることだろう。とりあえず期待してみたい。
J・トーはここの所ユニークな作風を定着させつつあるが、これも所々に面白い演出が見られる。
「エレクション」(2005香港)
ジャンルアクション・ジャンルサスペンス
(あらすじ) 香港最大のマフィア和連勝会で新会長が選ばれようとしていた。事業家肌のロクと武闘派のディー。この二人が競り合っていたが、結局ロクが新会長に決定する。これに対してディーは謀反を起こした。すかさず香港警察は全幹部を拘束。獄中に入れられたディーは会長の証である”竜頭棍”を奪取するよう部下達に命じる。
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(レビュー) 香港マフィアの抗争を描いたハードアクション作品。
監督はJ・トー。スタイリッシュな演出でファンを魅了する彼が、今一度原点に戻って撮った任侠映画だ。同監督作の「ザ・ミッション 非常の掟」(1999香港)に痺れた身としては大いに期待したのだが、そもそも権力をめぐる内部抗争劇自体に新鮮味が無く、今更という感じがしてしまった。中盤の敵味方の立場がひっくり返る所以外は割と平坦な展開に終始してしまったという感じ。
また、銃を必要以上に出さなかったことも(計算の上だろうが)カタルシスに欠ける。派手なドンパチを期待したのだが、今回は静かに男達の戦いを描いている。それはそれで新しい方向性として買うが、やはりどうしても物足りない。
スタイリッシュな演出は相変わらずで画面には痺れさせられた。幻想的に冷気を漂わせた夜景は闇社会のシンボリズムを感じさせ、そこで繰り広げられる仁義無き殺し合いは男達の生き様を強烈に印象付けている。特に、俯瞰とローアングルを変幻自在に操るカメラアングルは今回の大きな特徴だと思った。巧みな編集もあいまって張り詰めた緊張感が感じられる。
過酷を強いたであろう撮影の苦労がしのばれる。大自然の前に人間の争いがちっぽけなものに見えてくる。
「ココシリ」(2005中国)
ジャンルアクション
(あらすじ) カモシカの密猟が横行するチベットの高山地帯ココシリ。地元住民は私設パトロール団を結成し密猟者達と熾烈な戦いを繰り広げていた。そんな中、パトロール団の青年が殺される。北京の記者ガイはパトロール団に密着取材を敢行する。それは想像を絶する過酷な取材になっていく。
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(レビュー) パトロール団とカモシカの密猟団の戦いを雄大な自然の中に活写した実話の映画化。小気味よく進むドキュメンタリータッチで飽きさせない。
そして、何と言っても今作はロケーションが素晴らしい。多少CGで手を加えている部分も見られるが、この迫力は生でしか出せない。ココシリの気候は昼は焼けるような灼熱地獄、夜は肌を突き刺すようなブリザードが吹き荒れる。
ガイを含めたパトロール団は密猟団の追跡に出発するのだが、自然の猛威が容赦なく彼等に襲い掛かってくる。しかし、リーダーのリータイは追跡の手を一向に緩めようとしない。余りの独裁ぶりにガイは段々理解しがたい思いと、このまま死ぬかもしれないという不安に駆られていく。合理的利便性を当たり前とする我々文明人には、リータイの追跡は理解不能の境地である。ただ、彼のこの執念は、もしかしたら大自然に生きる人間の”強さ”なのかもしれない。
と同時に、過酷な自然の中で描かれるこの追跡劇は、ストーリーが進むにつれて段々とちっぽけなものに見えてくるようになる。彼らの背景に雄大にそびえる大自然が嘲笑っているかのようにさえ見え、人間の争いがいかに愚かしく卑小なものであるかが実感させられる。
本作はチベットカモシカを救った人々の真実を描いたドラマであるが、根底には”自然対人間”という壮大なテーマが込められているような気がした。中々の力作である。
豪華な作りの文芸ロマン‥というと少し敷居が高そうだが、演出は軽妙で大変見やすい。
「プライドと偏見」(2005英)
ジャンルロマンス
(あらすじ) 18世紀末のイギリス。没落貴族ベネット家には5人の娘がいた。大富豪ビングリーが舞踏会にやって来るというので姉妹は期待に胸膨らませて出席した。長女ジェーンがまんまとビングリーのハートを射止めた。一方、次女のエリザベスは彼の親友ダーシーの無礼な言動に腹を立てた。その後、エリザベスの前に魅力的な軍人ウィッカムが現れる。二人は惹かれあっていくが、従兄で牧師をしているコリンズに求婚されエリザベスは困惑する。彼と結婚すれば教会のパトロンで大地主キャサリン夫人の援助が貰える。しかし、エリザベスはそのプロポーズを断りウィッカムを選んだ。その結果、三女シャーロットがコリンズと結婚することになり、エリザベスは複雑な気持ちになる。一方、交際が順調だと思っていたジェーンとビングリーが突然の破局を迎える。その影にダーシーの助言があることを知ったエリザベスは‥。
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(レビュー) 様々な障害を乗り越えながら惹かれあっていく男女の恋模様を美しい田園風景の中に綴った文芸ロマン作品。
ベネット家の5人姉妹の群像劇だが、メインとなるのは次女エリザベスのロマンスである。
エリザベスは皮肉屋で高慢なダーシーを初めは毛嫌いするが、彼の本当の姿を知ることで次第に惹かれていくようになる。そこに至るまでには様々な障害が立ちはだかるのだが、中でも社交界には付き物の罪作りな噂話は最大の障害となる。これによって彼女は苦しめられる。
そのほかの4人の姉妹のロマンスも夫々に個性的で魅力的だった。長女ジェーンは昔ながらの古風な女性である。大富豪ビングリーとのロマンスは、落ち着いた大人の雰囲気で描かれている。他に、三女シャーロットとコリンズのロマンス、そして末っ子とウィッカムの恋も周縁で描かれている。この二つは、どちらかというとサイドストーリー的な扱いになっている。しかし、だからといって単なる添え物というわけではなく、「女の幸せをどうやって見つけるか?」という本作のテーマをきちんと含んでいる。全体的な構成はよく練られていると思った。
とことん美しさを追求した映像は、いかにも文芸ロマン的な佇まいを見せ、作品世界をビジュアル面から支えている。大いに見ごたえがあった。
また、演出はこの手の文芸作品にしては珍しく非常に軽妙である。まるで現代劇のようなスピーディーな展開で進むので肩の力を抜いて見ることができた。
キャストでは、エリザベス役のK・ナイトレイがとにかく美しくて◎。勝気な性格を前面に出しつつ時折繊細な一面を覗かせ、恋する女心を魅力的に表現している。
他に印象に残ったのは、父親ベネットを演じたD・サザーランドである。母親が娘達の結婚を急かす傍らで、常にどっしりと構えながら彼女たちの生き方を温かく見守っている。夫々の個性を尊重しながら大らかな優しさで包み込む‥。正に理想的な父親像と言えるのではないだろうか。
過酷なスラム街と浪花節の組み合わせが意外。
「ツォツィ」(2005南アフリカ英)
ジャンル青春ドラマ
(あらすじ) 南アフリカのスラム街。ツォツィ(不良)と呼ばれる少年はギャング団を結成し窃盗を繰り返していた。ある日、仲間が殺人を犯してしまう。自暴自棄になったツォツィは豪邸の前で高級車を強奪し、追いかけてきた主婦を銃で撃って逃走した。ところが、後部座席に生まれたばかりの赤ん坊が乗っていて驚く。今更見捨てることが出来ず、その赤ん坊を近所のシングルマザーに預けるのだが‥。
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(レビュー) スラム街に生きる不良少年達の姿を描いた青春ドラマ。
ツォツィは暴力を振るう父から逃れるようにしてストリート・チルドレンに落ちぶれた少年である。それが期せずして誘拐した赤ん坊に過去を投影し、己の人生を見つめ直していくようになる。
実に浪花節的なドラマであるがこれが予想以上に泣かせてくれる。スラム街というリアルな背景がドラマに説得力をもたらしていることが大きい。ツォツィの葛藤がシビアに伝わってきた。
また、彼のバックストーリーに社会派的なメッセージが強烈にアピールされている所も本作の見所だと思う。言わば、彼等ストリートチルドレンは貧困社会がもたらした悲劇の産物である。彼等は生まれながらにツォツィ(不良)の烙印を押され、荒んだ生活を送る事を余儀なくされている。F・メイレレス監督の衝撃作「シティ・オブ・ゴッド」(2002ブラジル)でも描かれていたが、連綿と続く劣悪な社会的構造は容易に改善することはできない。この映画を見てもその事がよく分かった。
リアリズムな背景とは裏腹に映像はかなりスタイリッシュである。賛否あるかもしれないが、”見せる”演出ということで言えば卓越したセンスを感じさせる。
少年達のキャラクターも夫々に個性的で良かった。中でも、やはり主役のツォツィが一番印象に残る。基本的にベビーフェイスなのだが、善悪を巡る彼の葛藤に奥行きをもたらすという意味からすればこの外見は奏功している。赤ん坊に注ぐ眼差し、シングルマザーへの求愛の眼差しは純真さに溢れている。彼の辿ってきた過酷な運命を考えると、その眼差しには切なくさせられた。
ところで、ハリウッド映画にはベビーシッター物というジャンルがあり、一時流行したものである。C・コロンバス監督の「ベビーシッター・アドベンチャー」(1987米)やコーエン兄弟の「赤ちゃん泥棒」(1987米)等がそうだ。同じベビーシッター物でもそちらは完全にコメディ作品である。赤ん坊の面倒を見る大人たちが様々なトラブルに巻き込まれる姿が面白おかしく綴られている。一方で今作はかなりシリアスなドラマである。同じ設定でもまったく違う映画になってしまうところが興味深い。これもお国柄の違いだろう。
「ホワイ・ドゥ・フールズ・フォール・イン・ラブ」(1998米)
ジャンル人間ドラマ・ジャンル音楽
(あらすじ) 1950年代に一世を風靡したミュージシャン、フランキー・ライモンが他界した。彼の妻エリザベスは窃盗の常習犯で、そのニュースを刑務所で聞いた。莫大な遺産が相続されると喜ぶ。出所後、早速彼女は弁護士を連れてレコード会社に掛け合った。すると、そこには彼女以外に妻を名乗る二人の女が待っていた。一人はフランキーのツアー仲間だった人気歌手ゾーラ。もう一人は田舎で教師をしているエマイラ。彼女達と法廷で争うことでフランキーの意外な過去が露になってくる。
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(レビュー) 実在したミュージシャン、フランキー・ライモンと3人の妻の愛憎を綴った伝記音楽映画。
フランキー・ライモンはティーンエイジャーのドゥーワップ・グループのリーダーとして一斉を風靡したミュージシャンである。その後にジャクソン・5が登場したのだから、彼は時代の先を走った男だったのかもしれない。
今作は普通の伝記映画とは少し変わった構成になっている。というのも、本人の生き様を本人の目線で語らせる構成ではなく、法廷で争う3人の妻と縁故者達の証言、つまり第三者の回想によって彼の半生が振り返られていくからだ。展開は軽快で、三者の視点の交錯がドラマにスケール感をもたらしている。
3人の妻の争いは少しコメディテイストな部分もあるが、回想シーンは割とシリアスなテイストになっている。そこに孤高のミュージシャンの素顔が見えてくる。この辺りの硬軟自在な演出は見ていて飽きさせない。画面もカラフルでそつがなく、BGMは馴染みのある当時のヒットナンバーばかりで心地よい。全体的に細部まで手堅く作っており好感が持てた。
ただ、伝記映画としてどこまで真実のフランキー・ライモンに迫れたかは少々疑問も残る。
というのも、 3人の妻の回想で彼の半生が綴られていくので、当然のことながらそこにフランキー本人の主観は介入してこない。場面場面における彼の内面描写は希薄で、これでは伝記映画としては手落ちという気がしてしまった。あくまで一面的に捉えた半生であって、彼の内面まで知りたいという人には物足りない作品であろう。そこに深く言及できなかったところに伝記映画としての限界が感じられた。
雪、犯罪、愚鈍な人物達が織り成す乾いた笑い。コーエン兄弟の「ファーゴ」を連想させる。
「松ヶ根乱射事件」(2006日)
ジャンルコメディ・ジャンルサスペンス・ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 雪に閉ざされた松ヶ根村。光太郎は派出所に勤務する真面目な警察官。ある朝、ひき逃げされた女性の死体が見つかる。検死に立ち会うと女性に息があることに気付き驚く。幸い軽症ということで彼女は病院で手当てを受け、恋人のヤクザの元に帰って行った。実は彼女を引いたのは光太郎の双子の兄光だった。光は光太郎とは対照的な自堕落な青年である。ヤクザに見つかった光は脅迫される。
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(レビュー) 寒村を舞台にしたオフビートなサスペンス・コメディ。
監督は山下敦弘。前作「リンダリンダリンダ」(2005日)はかなりウェルメイドな作りだったが、本作は彼の原点に戻ったかのようなタッチで描かれている。ダメ人間達が織り成すスラップスティックな騒動劇は、いかにも本来の山下節だ。
物語は、ヤクザの悪企みに光が巻き込まれることでサスペンス・タッチな展開で進んでいく。そこに兄光太郎が関与することで、後半から彼ら双子を中心としたビターな家族ドラマに発展していく。安易にジャンル分けするのを拒むような作りで、それゆえ本作を見て今ひとつ何が言いたいのか分からない、スッキリしないという感想を持つ者もいるだろう。一筋縄ではいかないという意味で言えば、玄人好みの作品かもしれない。
山下節の真骨頂は後半の展開に見られる。ここでキーマンとなるのは光太郎達の父豊道だ。彼は大人になりきれないダメ親父で、仕事もせずに愛人宅に転がり込んでいる。そこには知的障害の娘がいて、とんでもないことに”親子どんぶり”の悪行にはしっているのだ。人間のダークサイトを表した俗物だが、しかし山下監督の手にかかるとこれが不思議とブラックジョークのようなテイストにアレンジされていく。最後には、こんなダメ親父の背中にも一瞬だが哀愁が立ち現れ、愛しくも愚かな本来の人間の姿を垣間見せてくれるのだ。このあたりの描き方が実に堂に入っている。
俳優陣では、ヤクザ役の木村祐一が思いのほかイイ味を出していた。持ち前の仏頂面が狂気とも笑気ともつかぬ独特の造形を成している。銀行のシーンで見せるオフビートな笑いは、彼だからこそ出せる笑いだと思う。
また、普段から喧嘩っ早い役を演じることが多い新井浩文を、真面目な警察官・光太郎役にキャスティングしたのは意外性を狙ってのことだろう。これも面白い試みだと思えた。彼がいつぶち切れてピストルを乱射するのか?タイトルに「乱射事件」と付いてるので画面を見ながらハラハラしてしまった。
毒気タップリに描く戦争コメディ。戦車の暴走シーンが笑える。
「バッファロー・ソルジャーズ 戦争のはじめかた」(2001英独)
ジャンル戦争・ジャンルコメディ
(あらすじ) 冷戦真っ只中の1989年。ドイツの米軍基地は平和ボケに陥っていた。補給大隊所属のエルウッドは、闇売買やヘロインの精製をして退屈な日常を紛らわしていた。そこに厳格なリー曹長が指揮官としてやって来る。早速、彼は問題児であるエルウッドをマークする。一方、エルウッドは彼の愛娘をデートに誘い反抗してみせる。こうして二人の確執は増していった。そんなある日、エルウッドの闇商売に問題が生じる。
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(レビュー) アメリカ陸軍内部の腐敗を痛烈に皮肉ったブラックコメディ。
似たような設定でR・アルトマン監督の「M★A★S★H マッシュ」(1970米)という傑作があるが、本作を見てそれを思い出した。さすがに「M★A★S★H マッシュ」を見てしまうと薄味という感じがしてしまうが、それでも中々面白く見れた。
武器の横領にドラッグ精製、反人種差別による暴行、公文書偽造、挙句の果てに上官は昇進しか頭にない能無しときている。素行不良の劣等生の溜まり場に熱血教師よろしく鬼教官がやって来るという筋書きは、ほとんど学園不良漫画のようなノリで展開されていく。但し、学園マンガと違うところは彼らは武器を持っているという点だ。彼らに人殺しの道具を持たせたらどうなるか‥?ある程度は察しはつくと思う。
前半の戦車の暴走シーンとクライマックスの銃撃戦はかなり強烈だ。いずれもラリった頭が起こした凶行で、本当にこんな事があったらイヤである。
‥と思ったら、驚くことに本作は実話が元になっているという。果たしてどの程度脚色されているのか分からないが、少なからず似たような事があったのだろう。そう考えると益々怖くなってくる。
メッセージも明快に伝わってきた。
劇中でニーチェの「平和な時に戦争は自ら戦争をする」という言葉が引用されている。これはどういう意味だろうか?
エルウッドとリー曹長の確執、バーマン大佐のつまらないプライドが起こす演習、ノールに負わされた任務。これらは皆ある意味で”戦争”とみなす事が出来よう。国籍や民族の異なる者同士が銃を持って戦う‥という意味での”戦争”ではない。人間の虚栄心、悪心に焦点を当てた”戦争”。つまり、個人対個人の争い、あるいは軍内部における競争、そういった所で行われる広義的な意味での”戦争”だ。「平和な時に戦争は自ら戦争をする」という言葉は、平和に安住しても人間は生来的に戦争してしまう生き物なのだ、という事を皮肉的にに表した言葉だと思う。正にこの基地では”戦争”が行われている。人は戦争をやめられないのか?それを見る側に問いているかのようだ。
本作は基本的にブラック・コメディとして楽しめる作品だが、こうした重い問題提起も成されている。単なるコメディとして括る事の出来ない中々骨のある作品だと思う。
また、サスペンス的な娯楽要素も盛り込まれている。途中で登場するミスリードの存在にはまんまといっぱい食わされてしまった。サスペンスとして見ても中々良く出来ている作品だと思う。
痛快無比なブラック・コメディ。
「殺人狂時代」(1967日)
ジャンルコメディ・ジャンルアクション
(あらすじ) 犯罪心理学の教授桔梗信治は見るからに冴えないマザコン男。ある日、人類調節審議会を名乗る謎の男に命を狙われる。奇跡的に窮地を脱したが、人類調節審議会は恐るべき陰謀を持った巨悪犯罪組織だった。ひょんなことで知り合った女性記者啓子と車泥棒大友の協力を得ながら組織に戦いを挑んでいく。
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(レビュー) 正直、前半の寒いギャグの連発と強引なオカルト要素の持込みにうんざりさせられたが、人類調節審議会のボス溝呂木が信治の前に正体を見せるあたりから活劇度がグンと高まり面白く見れた。
溝呂木のキャラクターが強烈である。ヒトラー信奉者のマッドサイエンティストという設定。しかも、天本英世が嬉々として演じている。いやがうえにもショッカーの死神博士を連想してしまうが、これがインパクト大である。
彼の命令で動く殺し屋達も皆個性的で面白い。中でも、眼帯の毒針女はビジュアル的にかなり美味しい。もう少し活躍の場があっても良かったような気さえした。
信治役は仲代達也が演じている。とぼけた表情で素っ頓狂なリアクションをするのだが、それは世間の目を隠すための仮の姿。「能ある鷹は爪隠す」を地で行く切れ者である。スパイ映画における典型的な造形だが、このギャップがたまらなく魅力的である。
アクションでは、どんでん返しの連続で描かれるクライマックスシーンが特に見応えがあった。その後に続くオチも予想外で楽しめる。
また、信治達が自衛隊演習の中に放り込まれるシーンも痛快だった。今なら考えられないような撮影の仕方をしている。良くも悪くも、アナログ時代の”写真屋達”の熱気というものが感じられた。
監督は岡本喜八。このあたりの無茶振り、破天荒さは正に彼の真骨頂だろう。後半のアクションだけで十分お腹は満たされました(^_^;)
尚、本作は一部でカルト視されているが、それは内容が余りにもブラック&シュール過ぎる所から来ているように思う。そもそも精神病患者を殺人マシーンに養成する、という発想からしてかなり危ない。放送禁止用語も連発されるのでテレビ放送にも向かない。故に、こうして幻の作品になっていったのだろう。
今見ると言われるほど過激な気はしないのだが、本作に限らず古い作品は一度埋もれると再発掘されるのは中々難しい。
ほのぼのとした味わいが心地よい。
「UFO少年アブドラジャン」(ウズベキスタン1992)
ジャンルSF・ジャンルコメディ
(あらすじ)モスクワの中央政府はUFOの目撃情報を収集していた。モスクワから遠く離れたウズベキスタンの小村でもそのことは話題になっていた。ある日、農夫バザルバイがUFOの墜落現場に遭遇する。少年の姿をした宇宙人を助け、アブドラジャンと名付けて育てようとするのだが‥。
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(レビュー) 田舎の小村を舞台にした風変わりなSFコメディ。
チープな特撮と脱力テイストが奇妙な味わいをもたらし、いわゆるヘタウマ的な面白さがある映画だ。
また、映画のナレーションがS・スピルバーグ監督に向けて語られている所は、何とも大胆というか人を食っているというか‥。本作は「E.T.」(1982米)のオマージュとして作られている。
物語もほとんど「E.T.」のような展開で進む。貧しい農夫バザルバイとアブドラジャンの朴訥とした交流を中心に、アブドラジャンの奇跡の力の恩恵にあずかる村人達の姿、”肝っ玉母さん”バザルバイ夫人の優しさ等が描かれていく。後半はアブドラジャの身に権力の手が忍び寄るという、まさに「E.T.」を地で行く展開だ。
キャラでは正直者で間抜けなバザルバイが良い。アブドラジャンとのファーストコンタクトで見せる慌てぶり、紙幣の偽造で見せるリアクション、稚気溢れる姿に愛着感が持てる。言わば子供がそのまま大人になったようなオッサンで、だからこそ宇宙人との交流もすんなりと受け入れられるのだろう。
一方で、微妙に風刺を効かせた所に歯ごたえも感じられた。
ウズベキスタンはソ連崩壊後独立するが、独裁政権カリモフが権力を握ることで真の意味の自由はいまだに訪れていない。ただ一人空を飛べない議長は権力者カリモフを投影しているのだろう。だとすると、アブドラジャンは国民の自由の象徴のようにも取れる。
脱力コメディと侮る無かれ。この結末に託されたメッセージは意外に重いものである。