強く逞しい女性像が印象に残る。
「火火(ひび)」(2005日)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 女性陶芸家清子は女手一つで二人の子供を育てている。貧しいながらも、陶芸の道を究めんと日々窯焚に明け暮れていた。数年後、その苦労が報われ陶芸家として成功する。しかし、それと引き換えに彼女は大切な家族を失ってしまった。元々犬猿の仲だった娘とは絶縁状態になり、彼女の跡を継いで陶芸家を目指していた息子賢一は白血病に倒れてしまう。
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(レビュー) 女性陶芸家として活躍する一方で、白血病の息子のために骨髄バンク創始に尽力した実在の女性、神山清子の物語。どこまで脚色されているか分からないが、己の信念を貫き通す清子の姿は天晴れである。
彼女は二人の子供に母親らしい事を一切してこなかった。育児よりも陶芸の修練に明け暮れる。当の子供達からしてみれば酷い母親である。娘は反発し高校卒業と同時に家を飛び出して行った。しかし、それでも清子は陶芸の道こそわが命‥を貫くのである。
その良し悪しは別として、このドラマの中で清子は母親ではなく父親のように存在していると思った。女性でありながら厳しい男権社会、陶芸界に飛び込んでいくわけだから、負けん気の強い男勝りな性格が伺える。そんな職人としての清子を見て、息子・賢一も同じ道を志すようになる。息子の将来を指針する清子は、明らかに母親というよりも父親のように存在している。
しかし、そんな彼女を大きな不幸が襲う。賢一の白血病だ。
この映画で面白いと思った所は、この不幸をきっかけに彼女が段々と父親から母親に変化していく点である。賢一を看病しながら骨髄バンク設立のために各地を奔走する。自ずとその姿から母性愛というテーマが見て取れる。
後半に行くにつ入れてプロパガンダ臭が匂うのは残念だったが、実話がベースという大前提があるので一定の説得力は備わっており、陳腐な難病物として料理しなかった所は作り手側の誠意だろう。実に力強いドラマに仕上がっている。
また、清子を演じた名取裕子の演技も作品の説得力に大きく貢献していると思った。シリアスで陰鬱になりがちなドラマにあって、明るく振る舞う彼女の妙演が光る。こういうのは悲壮感を過剰に演出すれば押し付けがましく映り、シラけてしまうものである。それを中和するかのように、名取裕子は敢えて自然体な演技でクスリとさせるような笑いを各所に振り撒いている。
例えば、彼女は時々意地悪なブラックジョークを平気な顔で言い放つ。周囲の人間は困り果てたリアクションをするしかないのだが、彼女はそれに対してどこ吹く風とそっぽを向く。もし実社会で付き合うとしたら少し躊躇してしまいたくなるような女性だが、映画になるとそこが痛快であり面白い。
逆に言うと、周囲に気を使わず自分の思った事を何でも曝け出してしまうから、彼女はここまで強くいられるのだろう。いわゆる世間から逸脱したアウトローとして、清子が放つキャラクターは鮮烈な印象を残す。
ストイックな作りが見ごたえあり。ただ欲張りすぎたかな‥という印象。
「シリアナ」(2005米)
ジャンル社会派・ジャンルサスペンス
(あらすじ) 引退間近のCIA工作員ボブはある指令を果たすためにベイルートへ飛んだ。その頃、ワシントンでは石油利権を巡って巨大企業の合併話が持ち上がる。その調査に臨んだ若き弁護士ベネットは、意外な事実にぶち当たる。合併話の背景では石油工場勤務者の大量解雇が敢行されていた。パキスタンから出稼ぎに来ていた青年ワシームもその煽りを食らい路頭に迷う。一方、企業コンサルタントをしているブライアンは、中東の石油産油国の若き王子ナシールに接近する。その最中に不幸な事故に見舞われるが、これをきっかけに彼はナシールの相談役に雇われ王位継承を巡る争いに巻き込まれていくようになる。
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(レビュー) 石油利権を巡って様々な人間が複雑に絡み合う社会派群像サスペンス作品。
全部で4つのエピソードが展開していくが、終始緊張感が持続し飽きなく見れた。但し、中東情勢や政治的陰謀に関する説明は不足気味で、かなり難解な映画になっている。ストーリーを追いかけていくだけで手一杯という感じだ。これが仇となり映画的なカタルシスは失われてしまっている。これは、石油に群がる巨悪に戦いを挑む正義の人々の物語である。エピソードを絞って描けば映画的な興奮に満ち溢れた傑作になっていたかもしれないが、色々な要素を織り込んだせいで印象としては散漫になってしまった。かろうじて、ボブの戦いとベネットの戦いにそのメッセージが感じられたが感銘を受けるまでには至らなかった。
監督脚本は「トラフィック」(2000米)の脚本で注目されたS・ギャガン。「トラフィック」同様、複数のエピソードを複雑に交錯させる構成だが、インパクトという点では落ちてしまう。
CIA工作員ボブのエピソードはスパイ劇のようなテイストで、演じるG・クルーニーの熱演は見事である。家族に見放された孤独な中年男という役どころで、それまでのプレイボーイというイメージを良い意味で裏切ってくれた。嘆息交じりのセリフに、狼狽した男の心情を哀愁タップリに吐露している。
ワシントンのエピソードは、社会派サスペンス的なタッチになっている。正義の弁護士ベネットが企業家相手に孤軍奮闘の戦いを見せる。この顛末には何ともやるせない思いにさせられた。
ナシールのエピソードは、「エデンの東」(1954米)のような家族の愛憎ドラマである。ナシールと父の軋轢がメインとなるが、その一方で彼の片腕となるブライアンの家族ドラマも描かれている。映画全体の最後を締めくくるのがこのエピソードだが、これにはホッと安堵させられた。
パキスタン人青年ワシームのエピソードは、テロがどうして起こるのか?その経緯を語っている。しかし、映画の中の”1つのエピソード”として描くには、問題が問題だけに語りつくせない部分が多いと思う。本来ならこれだけで映画1本を撮れてしまうくらいに奥深いテーマを孕んでいるはずだ。先だって見た「パラダイス・ナウ」(2005仏独オランダパレスチナ)との比較から言えばこじんまりとした物に写った。
ありえないようなバイクアクションに大笑い!
「トルク」(2004米)
ジャンルアクション
(あらすじ) バイカーのフォードが久しぶりに故郷に帰って来た。実は、彼は半年前に麻薬密売組織ヘリオンズの罠にかかり警察に追われる身となっていた。フォードはヘリオンズのリーダー、ヘンリーに復讐を宣告する。これに対してヘンリーは地元暴走族リーパーズを使ってフォード捕獲に血眼になる。そこにFBIの捜査の手が忍び寄り‥。
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(レビュー) バイカー達の戦いを描いたアクション作品。
物語は突っ込みどころ満載。登場人物の魅力皆無。ミスリードもバレバレ。はっきり言って内容はスカスカの作品である。
しかし、ヴィヴィットな映像は凝っていて面白い。監督は元々ミュージック・クリップを撮っていた人らしく、生理的快楽を追求した映像演出は爽快。また、バイクという”マシン”をある種セクシー(?)に撮ろうとするフェティッシュ感もすこぶる変態地味ていて面白い。
そして、何と言っても本作の見所は、ありえないようなアクロバティックなバイクアクションの数々である。さすがにクライマックスあたりになるとヤリ過ぎという気もするが‥。いくらCGを使うにしてもここまでやってしまったらビデオゲームなのだが‥。突っ込むどころか唖然とさせられた。
何も考えずに見るにはうってつけの”バカ映画”。その割りきりが出来ているなら楽しめる作品である。
馬鹿ゆえにその生き様は心に残る
「馬鹿が戦車(タンク)でやって来る」(1964日)
ジャンルコメディ・ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 小さな田舎村。元少年戦車兵のサブは、年老いた母と頭の弱い弟と暮らしていた。村の土地はほとんどが大地主のものだったが、サブの家と畑だけは違う。ある日、大地主が手土産を持ってやって来る。土地を狙っているのが見え見えで、サブはその手に乗るかと追い返した。一方、サブにはずっと恋焦がれている女性がいた。何の因果か、その相手は大地主の娘紀子である。彼女は病弱のため長年自宅療養を余儀なくされていたが、ようやく医者から外出の許可を貰った。その快気祝いにサブも招待されるのだが‥。
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(レビュー) 村中から馬鹿にされる豪傑サブが戦車に乗って大暴れする痛快悲喜劇。
山田洋次監督・ハナ肇主演による「馬鹿シリーズ」の第3弾。前2作は未見だが、夫々に別個のストーリーとして作られているので、これ単体だけでも楽しめる内容になっている。
一見すると”ピエロ”の自己完結というアナーキーなドラマに思えるが、基本的にはヒロイン紀子を巡る人情ドラマに軸足を置いているという点で、いかにも山田洋次テイストな物語になっていると思う。後の「寅さんシリーズ」にも通じる”アウトサイダー”と”マドンナ”という人物配置が確認できて興味深い。
コミカルなシーンも芸達者な俳優陣のおかげで生き生きとしたものになっている。ハナ肇演じる強烈なサブのキャラクターを筆頭に、頭の弱い弟兵六、年中セックスしている団子屋の夫婦、真面目な新任巡査、世話好きな郵便局員等、皆個性的だ。
序盤の新任巡査目線による人物紹介は実に手堅く進められていて感心させられるが、逆にこれだけ多彩な人物が登場するとドラマの方向性が拡散するのではないか?という不安に襲われた。しかし、クライマックスに向けての一点集中な作劇が明確に打ち出されており、そんな心配は無用だった。むしろ、大狂騒と言ってもいいクライマックスの盛り上がりは、彼等多彩な人物達があってこそと思えてくる。
物語は釣り船の船頭が都会からやって来た客達に話して聞かせる劇中劇になっている。ドラマに寓話性、神話化を与えんとする構造の妙技で、普通だったら深刻になってしまうところを、どこか愛着のある物と感じてしまうのは、一歩引いて見れるこの物語構造にあると思う。まるで御伽話のように見れてしまった。
K・スペイシーが歌とダンスを披露。
「ビヨンド the シー ~夢見るように歌えば~」(2004米独英)
ジャンル音楽・ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 1950年代、ブロンクスの貧しい家に生まれたボビーは、母親の影響で音楽の道に進む。時代はロック花盛り。場末のクラブから一躍人気歌手に登りつめた彼は、映画に出演し共演相手のサンディと結ばれ幸せな結婚生活を送る。その頃からボビーは自分の歌のルーツであるナイトクラブを活動の拠点としていく。しかし、忙しくツアーをこなす一方で夫婦関係に深い溝が出来てしまい‥。
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(レビュー) 50年~60年代にかけて活躍したエンターテイナー、ボビー・ダーリンの半生を描いた音楽映画。
K・スペイシーが製作・監督・脚本・主演を兼ね、何と吹き替え無しで歌まで披露している。元来芸達者な俳優であるが、歌やダンスまで器用にこなしてしまうとは、大したものである。
物語は、中年のボビーが自分の半生を顧みるという”入れ子構造”になっている。
伝記映画を撮ることになり、自分の幼少時代を演じる子役に過去の自分をダブらせながら、回想ドラマが軽快に綴られていく。随所にミュージカルシーンを織り交ぜながらエンタテインメントに徹した作りが飽きさせない。
名声と愛するパートナーを得て順風満帆な人生を歩むボビーだが、60年代に入ると音楽の世界も様変わりしていく。彼の歌は通用しなくなり、輝かしいステージは過去の栄光となっていく。更に、追い打ちをかけるように”ある事実”が彼を苦しめることになるのだが、この辺りの展開が実にドラマチックで興味深く見る事が出来た。
しかし、ラストに関しては正直しらけてしまった。
エンターテイナーとは栄枯盛衰を運命付けらた存在だと思う。歌声はレコードとして残るが、時代の変遷と共に人々の記憶からは消え行く運命にある。そのことを示すような哀愁を帯びたクライマックスには深い感銘を受けた。
ところが‥である。ラストは唐突に「再び栄光を」と言わんばかりの華々しいステージ・シーンに切り替わるのだ。これまでを台無しにするようなエンディングで個人的にはしらけてしまった。
監督から主演まで一人四役をこなすくらいだから、本作にかけるK・スペイシーの思いは相当なものだろう。おそらく、伝説のボビーは死なず!といったような強い思いがそうさせたのだと思う。しかし、余韻に浸らせたまま終わらせて欲しかった‥というのが個人的な感想だ。
違和感といえば、新婚初夜のベッドシーンの演出にも違和感を持った。あの剣に一体どんな意味があったのか?ちょっと想像の範疇を超えるものであった。
「グロリアの憂鬱/セックスとドラッグと殺人」(1984スペイン)
ジャンル人間ドラマ・ジャンルサスペンス・ジャンルコメディ
(あらすじ) 平凡な主婦グロリアは掃除婦の仕事ををしながら、タクシー運転手の夫アントニオと手のかかかる二人の息子、祖母と貧しい暮らしを送っている。何の楽しみも無い鬱屈した日常に飽き飽きしていた彼女は、ある日仕事先で名も知らぬ男と情事にいたる。しかし、不倫関係を続ける勇気もなく、結局は家事に追われるいつもの日常に戻っていった。一方、アントニオはたまたま客として乗せた老作家から”ある仕事”の誘いを受ける。貧しい暮らしから抜け出せる一攫千金のチャンスだったが、仕事の内容が余りにも胡散臭いもので二の足を踏んだ。そんなある日、ひょんなことからグロリアはこの老作家の家で掃除婦の仕事をすることになる。
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(レビュー) 地味で平凡な主婦の反乱をブラックに綴ったサスペンス・コメディ。
監督脚本はP・アルモドヴァル。彼の初期作品は何かと物議を醸す問題作が多いが、本作もそんな中の1本である。以前このブログで紹介した
「バチ当たり修道院の最期」(1983スペイン)の次に撮られた作品である。いきなりシャワー室でグロリアと名も無き男の無修正セックスシーンが登場して度肝を抜かされるが、主婦グロリアの冒険騨と言ってもいい本ドラマの出発点としては、刺激的で挑発的で一気に作品の世界に引き込まれた。
アルモドヴァル作品の特徴と言えば、何と言ってもキッチュで下劣なセンスが炸裂する描写である。本作にもそういった描写はふんだんに登場してくる。先述のシャワー室でのセックス、TVに登場する顔半分が焼け爛れた女、ドギツイ女装にSMプレイ、ロリコン歯医者等、性に対する倒錯的なフェティシズムはいかにもアルモドヴァルならではという気がした。そして、その特異な作家性は前作よりも更に赤裸々に表現されていると思った。
物語は、前半部はグロリアの日常が淡々と綴られるので少々水っぽく感じた。しかし、後半で大きな事件が起こり、そこからクライマックスにかけてのダッシュアップも悪くない。前半が人間ドラマ、後半がサスペンスと切り分けられており、物語の盛り上げ方は上手く考えられていると思った。
まず、前半で面白いと思ったのは周縁人物の多彩さである。グロリアと同じアパートに住む売春婦、母親から虐待を受ける超能力少女、このあたりはかなり奇抜なキャラクターで面白い。他にも、老作家夫婦のように犯罪を臭わせるキャラクターや、レイプ願望のあるインポテンツ刑事等、かなりアクの強い人物達が登場してくる。そして、ここが巧妙だと思うのだが、彼等が際立つことによって余計にグロリアの地味さ、平凡さが引き立つという仕掛けになっている。正に人物配置の妙だろう。
そんな彼女の平凡な日常ドラマは、後半に起こる血なまぐさい事件により一変する。日常から非日常への転換。ブラックユーモアが感じられ面白く見ることができた。
ラストはハッピーエンドか、アンハッピーエンドか、見る人によって受け取り方が違うかもしれない。ただ、どこかホッと安堵するような終わり方になっている。と同時に、主婦の独立というテーマも見事に印象付けられていて素晴らしいエンディングだと思った。この映画は家族の崩壊、親子の断絶、アブノーマルな男女関係といった複数のテーマが掲げられているが、芯となるテーマは”主婦の独立”だと思う。今や女性映画の巨匠となったアルモドヴァルだがその原点を確認することができるようなエンディングだった。
一方、初期時代の作品ということもあり、少し作りの粗さが見られたのは残念だった。先述のように複数のテーマを欲張りすぎたため、幾つかの伏線が回収されないまま残ってしまっている。アクの強い多彩な人物達がその後どうなったのか?そのあたりについてのフォローが一切無いため、少し消化不良な感じも受けた。
尚、本作には監督本人がチョイ役で登場してくる。中世時代のゲイのオペラ歌手という設定で、これはいかにもアルモドヴァルらしいと思った。彼はすでに同性愛者であることをカミングアウトしているので、これはある意味でハマリ役(?)と言えるかもしれない。
コメディのようでありファンタジーのようであり‥。凄惨な青春犯罪ドラマ。
「白昼の通り魔」(1966日)
ジャンルサスペンス・ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 田舎から都会に出て家政婦の仕事をしているシノの前に、1年ぶりに昔の恋人栄助が現れる。シノを乱暴に犯すと家主を殺害して姿を晦ました。殺人犯とはいえ一度は愛した男である。シノは警察に栄助の事を中々話せなかった。変わりに、栄助の妻マツ子宛てに相談の手紙を書く。マツ子は中学校教諭をしている清廉潔白な女性。手紙を受け取っても彼女も栄助とは疎遠だったため、どうすることも出来ず、ただシノの相談を受け流した。実は、この3人にはかつて恐ろしい愛憎のドラマがあった。
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(レビュー) 連続殺人暴行犯と二人の女性の愛憎を、冷徹な語り口と凄惨な光景で綴った大島渚監督の問題作。
物語は現在進行のドラマと、過去のドラマで展開されていく。シノとマツ子、二人の女の微妙な心理合戦を描くのが現在進行のドラマ。中々見応えがあるが、何と言っても本作の見所は過去編になろう。いかに栄助が蛮行に走るようになったか?その原因が語られる。その直接の原因となる”ある事件”は衝撃的だった。
まだ純情だった青年・栄助は美人教師マツ子に憧れを抱くが、彼女は聖女のごとく君臨する高嶺の花で”愛は分け与えるもの”という信条を持っている。そのため栄助の一方的な求愛は拒まれる。袖にされた彼の肉欲は今度は同級生のシノへ向かうことになる。そこにもう一人の同級生・源治が絡むことで、ドロドロとした四角関係にもつれ込んでいく‥。これが過去編の大雑把なあらすじだ。
マツ子への叶わぬ思いが、栄助を粗暴な色魔に変えたことは言うまでも無い。と同時に、村長の地位を確約され将来を有望視される優等生、源治の存在もかなり大きい。彼に対するコンプレックスも、栄助を犯罪に走らせた大きな原因だったのではないだろうか。
これは閉塞感漂う小村社会特有の病理と言える。外社会に出て行けず生まれ故郷でイジイジと過ごす若者たちの鬱屈した姿は、今村昌平監督の村落を舞台にした青春映画などを想起させる。ネットワークが発達した現代では余りピンと来ない設定かもしれない。しかし、当時はこうした内向きな暮らしを送っていた若者達がたくさんいた‥ということは確かなのだと思う。そう考えると、今作は極めて同時代的な観点を持ったドラマだと言う事が出来る。
キャストでは栄助役を演じた佐藤慶の粗野な演技が印象深い。獲物=女体を求めるギラギラした目が強烈なインパクトを残す。
演出面での特徴は、短いショットの連続と多用されるクローズアップが挙げられる。それによって作品全体は息苦しいほどの圧迫感に包まれている。カメラの絞りを開放することで白を基調とした画面構成もユニークな試みで、どこかこの世のものとは思えない幻想的で悪夢的な雰囲気を漂わせる。「白昼の通り魔」というタイトルにピッタリではないだろうか。
制約された条件でこのテーマは敷居が高すぎ。
「ブック・オブ・ライフ」(1998米)
ジャンルサスペンス・ジャンルSF
(あらすじ) 1999年12月31日。イエス・キリストとマグダラのマリアは、世界を破滅させる命の書(ブック・オブ・ライフ)を持ってニューヨークに降り立った。一方、悪魔はホテルのラウンジでイーディーという日本人女性に希望の光を見つける。そして、彼女に想いを寄せるデーブに宝くじを買えという。それが思わぬ奇跡を呼び‥。
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(レビュー) 現代のニューヨークを舞台にした神と悪魔の戦いと、一人の女性が起こす奇跡を寓話的ムードで綴った中編作品。
監督脚本はインディペンデント界で活動し続ける異才H・ハートリー。この監督の作品は前作「ヘンリーフール」(1997米)が好きなのだが、今回はドラマも作風もかなりラジカルな方向へ舵取りしている。悪く言えば、実験的な事をやろうとして、自己満足的な作品になってしまったという印象である。
映像は独特の色彩と構図から成り立っている。フィルターを駆使しながら不安を煽るような画面設計で、尚且つコマを落として残像を残すような映像になっている。世紀末という背景、神と悪魔の目から見たこの世の朧を表現すべく計算された演出だろう。スタイリッシュで面白い。
問題はそこに登場する数々のメタファーである。イエス・キリストとマグダラのマリア、そして悪魔といった登場人物が見るからにフツーの人間で、造形の面で精彩に欠く。ましてや、最も重要となる”命の書”がフツーのノートパソコンである。壮大なドラマを敢えてミニマムな箱庭に閉じ込めてしまうやり方は”あり”だと思うが、それはバカ映画のジャンルに許される方法論であって、変に小洒落たPV風の映像で表現する代物ではないと個人的には思う。中途半端に料理してしまったという感じだ。
バカ映画として成功している例で言えば、J・キャリー主演の「ブルース・オールマティ」(2003米)がある。ここに登場する神様は、かなりアクの強いキャラクターで皮肉も効いている。本作にもこのセンスがあれば‥と惜しまれる。
「ラスト・キャッスル」(2001米)
ジャンルアクション
(あらすじ) 歴戦の英雄アーウィン中将は、任務の失敗で部下を死なせたことから軍事刑務所に収監される。そこは冷酷なウインター大佐が支配する非人間的な刑務所だった。囚人達はアーウィンに悲惨な実情を訴える。初めは傍観の姿勢を取っていたアーウィンだったが、余りの理不尽な懲罰を目の当たりにして怒りを覚えた。アーウィンは囚人達をまとめ上げ、所長に戦いを挑んでいく。
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(レビュー) 歴戦の勇士が非人道的な刑務所所長に戦いを挑んでいく娯楽アクション作品。
R・レッドフォードが鍛え抜かれた肉体でアーウィン中将を熱演している。還暦を越えたというのにまったくその年齢を感じさせない。彼のこの役作りのおかげで、今作はスター映画然としたヒロイックな作品となっている。
ところで、いわゆる刑務所物というジャンルには様々な種類がある。「大脱走」(1963米)のような脱獄を描いたもの。「ショーシャンクの空に」(1994米)のような囚人同士の友情を描いたもの。そして、本作のような所長対囚人の戦いを描いたものだ。そして、その多くは人道主義的なテーマを扱っている。
今回は設定が少し凝っている。囚人は元軍人達であり、このアイディアは中々面白いと思った。彼等は戦場を掻い潜ってきた荒くれ者ばかりで、英雄であるアーウィンはカリスマ性を発揮して彼等をまるで軍隊のようにまとめあげていく。そして、軍人としての誇り、人間としての誇りを勝ち取るべく大佐に戦いを挑んでいくのだ。やや大仰に思えるシーンもあるが、彼等の戦いの意味するところ、つまり人道主義というテーマはよく描けていると思った。
ただ、その一方でもう一つ何かが足りない‥という感じも受けた。
この手のドラマで重要なのは、実は敵の描き方にあるのではないかと思う。敵つまり所長のキャラクターである。ここが憎々しく尊大に造形されていれば、囚人たちの戦いに崇高さが加わり感動的なものとなる。
思い出されるのは、C・イーストウッド主演の「アルカトラズからの脱出」(1979米)である(この作品は脱獄ものでもあるが‥)。ここに登場するP・マクグーハン演じる所長は、冷酷無比な面構えで強烈な印象を残していた。最後まで負けを認めないところも見ていて実に憎たらしかった。
その点、本作の所長はというと、これが実戦経験のない成り上がり軍人という設定で、アーウィンとの対比から言うとやや小粒である。実際に、アーウィンの計画に面白いようにしてやられてしまうのだから、これは愚鈍としか言いようがない。つまり、二人の対決にゾクゾクするような興奮が余り感じられないのは、所長の造形に魅力が感じられないからである。ここは非常に惜しいと思った。
とはいえ、クライマックスは豪快なアクションシーンが登場してくるので、カタルシスという点ではとりあえずは満足できる。突っ込みどころも満載だが、意外な展開もあるので全体的には中々の快作だと思った。
「ライブ・フロム・バクダッド 湾岸戦争最前線」(2002米)
ジャンル戦争・ジャンルサスペンス
(あらすじ) 1990年8月、イラクのバクダッドにCNNの敏腕プロデューサー、ロバートが撮影クルーを引き連れてやってくる。フセインの取材を申し込むが情報省の門は固く閉ざされた。一方で、ライバルの大手CBSは難なく取材権を獲得した。落ち込むロバート達だったが、そこに朗報が届く。情報省があることを条件にフセインの単独インタビューを許したのである。早速、準備に取り掛かるクルー達。しかし、その頃アメリカではイラク侵攻の準備が着々と進められていた。
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(レビュー) 湾岸戦争が開戦したその日に、現場に残って生中継をしたCNN取材班の姿を描いたサスペンス作品。
今作は実話が元になっているというから驚きである。戦争の真実を伝えるために決死の覚悟で戦火の中をレポートする彼ら、ジャーナリスト達の勇気は賛辞に値する。逆に言うと、会社はよく彼等の滞在を許可したな‥という別の驚きもあった。尊い人命を視聴率と天秤にかけているわけで、これは実に怖い。
ところで、実話を映画にする際しばしば頭をよぎるのは、真実の脚色がどこまで許されるか?という問題である。脚色、つまり演出をし過ぎると嘘っぽく見えたり、せっかく良い話でも嫌味に見えてしまったりしてしまう。かといって、実話を変に意識し過ぎると映画としての面白みは欠けてしまう。このさじ加減、バランスは作り手としては大変悩ましいところだと思う。
さて、そこで本作なのだが、最初は主役であるロバートの言動がかなり軽薄に見えてしまい、実話にしては作りが安っぽいという印象を受けた。軍事国という緊迫した情勢を背景に、この男は事の重大さを理解しているのか?という不安が起こる。ロバートを演じるのはM・キートン。彼は元来コメディタッチを得意とする俳優なのでそれも止む無しだが、作品のジャンルを考えた演技をするのもプロである。それが余りできてないという印象である。
尚、「トレマーズ」(1989米)というB級モンスター映画をオープニングに持ってくるあたりで、何となく嫌な予感もした。「トレマーズ」は好きな映画だが、本作のようなシリアスな社会派作品の劇中映画として使用するのはどうだろう?このあたりのセンスも疑問である。
しかし、これらの不安は中盤に入ってくる辺りから徐々に払拭されていく。要所要所に取材班と情報省の政治的な駆け引きが描かれサスペンスが盛り上がっていく。クライマックス直前の英断にも安っぽさは感じられず、最終的には中々見応えある作品というふうに印象が変わった。
本作はTV用映画である。決して潤沢な予算は用意されてないだろうが、色々と工夫の跡が見られたのも好印象であった。例えば、クウェートの風景などは撮り方の上手さもあって余り安っぽさを感じさせない。全体的に映画のクオリティは劇場用作品くらいのレベルは十分保っているように思った。ただし、クライマックスの戦闘シーンだけはCGが丸分かりで興醒めしたが‥。