学生VS教授の戦いがじっくりと描かれている。
「ペーパー・チェイス」(1973米)
ジャンル青春ドラマ
(あらすじ) ハーバード大学のロースクールの学生ハートは、厳格なことで知られるキングスフィールド教授のクラスで日夜勉学に勤しんでいた。講義についていけない者が続出する中、彼はクラスのトップ集団の勉強会に参加して必死に食らいついていく。その一方で、人妻スーザンとの不倫にのめり込んでいくようになる。実は、彼女はキングスフィールドの娘だった。ハートは苦渋の選択を迫られるようになる。
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(レビュー) エリート大学生の採るべき選択はキャリアか恋か?その苦悩に迫った青春映画。
何と言っても、キングスフィールド教授の冷徹なキャラクターが印象を残す。のっけから「君達の脳みそを手術してやる」という脅し文句で学生達をびびらせる。授業について来れない者はどんどん振り落としていく冷酷無比な教授だ。
さて、今作の主人公ハートは優秀な学生だが、スーザンという恋人もいるし、決してガリ勉タイプというわけではない。見た目はどこにでもいる平凡な学生だ。彼は高名なキングスフィールドを尊敬していたが、余りにも非人間的な授業方針に反発を覚えていくようになる。更に、彼の娘スーザンと恋仲になることで、その関係は軋轢を増していく。試験に合格してスーザンと結ばれること。それが彼にとってのハッピーエンドだが、恋と勉強は中々両立しない。そこにハートの葛藤が生じる。
ラストシーンが面白い。ハッピーエンドとも取れるし、アンハッピーエンドとも取れる。実に虚無的な描かれ方になっていて、これは70年代という時代性を反映したものではないかと分析できる。
若者達が大人達の価値観に反抗した60年代。それが70年代では空回りし始めるようになる。どんなに粋がっていてもいつかは自分達も大人の価値観の中に組み込まれていくという自己矛盾からくる虚無感。それが70年代の若者達の中にあったと思う。ハートはキングスフィールドに戦いを挑み勝利したが、何故か充足感を得られない。果たしてこれで本当に良かったのか?今後の自分の人生はこの勝利によってつまらないものになってしまうのではないか?その不安がこのラストシーンから読み取れる。正に70年代的モラトリアム青年の等身大の姿だろう。
ここで思い出されるのが、68年にコロンビア大学で起きた学生闘争を描いた青春映画「いちご白書」(1970米)という作品である。大学の講堂を占拠した若者達の”革命”という名の反抗は、ここで描かれるハートの冷めた闘争とは明らかに対照的である。時代の相違が見れて面白い。
物語は、対キングスフィールドをメインのドラマに据え、そこにスーザンとのロマンス、クラスメイトの有志で集う勉強会の交流がサブストーリー的に語られている。ロマンスパートは紋切り的で余り面白いとは思わなかったが、勉強会のエピソードは興味深く見れた。
勉強会はハートを含めた6名の学生達からなる。試験に備えて情報交換するというのが主な目的だが、メンバーは全員プライドが高く計算高い連中ばかりなので、少しでも足を引っ張る者がいると”排除”の思想が働く。中でもケビンというキャラクターは色々な意味で面白かった。
彼は既婚学生である。妻や両親の手前惨めな姿を晒せない。しかし、ハートが恋愛と勉強の両立に苦しむのと同じように、ケビンも家庭と勉強の両立に手こずるようになっていくのだ。彼は次第に勉強会のお荷物になっていき周囲から責められるようになっていく。そこをハートは不憫に思い助け舟を出すのだが‥。この人間模様は、正に競争社会の縮図を見ているようで面白かった。
二人の奏でる音楽が素晴らしい。
「ONCE ダブリンの街角で」(2006アイルランド)
ジャンルロマンス・ジャンル音楽
(あらすじ) 男は実家の修理屋を手伝いながらストリート・ミュージシャンをしている。ある日、花売りの移民娘と出会う。彼女は趣味で楽器店のピアノを時々弾かせてもらっていると言う。ぜひ聴いてみたいと言う男の申し出に彼女は快く応じ、楽器店でセッションが始まった。日が経つにつれ男は彼女に惹かれていく。しかし、彼女には”ある秘密”があり‥。
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(レビュー) ダブリンの街角で出会った男女のロマンスを多彩な歌曲に乗せて綴ったラブ・ストーリー。
いたってシンプルなボーイ・ミーツ・ガール物である。よほど下手な作り方さえしなければ素直に見れるストーリーだが、残念ながらキャラクターの年齢設定で若干の引っ掛かりを覚えた。ギターとバイクと海‥といったマテリアルを寄せ集め、少し”青臭い”ドラマ。これが思春期くらいの少年少女だったら納得なのだが、ここに登場する男女は成人した大人たちである。この年齢設定からいってこのラブストーリーは少し幼すぎないか‥と違和感を持った。
また、女性の方がチェコ移民というバックストーリーを持っていたので当然そこに深く切り込んでいくのかと思いきや、これも中途半端にしか料理されていない。この問題に関する作り手側の意識の浅薄さに不満を持った。
しかし、この映画はドラマやキャラクターだけでは語ることの出来ない大きな魅力を持っている。それは、ずばり音楽だ。
本作はミュージカルではないが、全編にちりばめられた歌曲は主人公達の思いをダイレクトに代弁している。彼等の夢が、恋愛感情が、悲しみが歌詞に託されて歌われる。切々と情熱的に歌い上げる姿に図らずも涙腺が緩んでしまった。
特に、レコーディングのシーンは白眉である。セリフだけによる演技の何倍もの説得力をもって見る側の心を揺さぶってくる。これこそが音楽の持つパワーだろう。
本作は手持ちカメラによるドキュメンタリータッチで撮られている。これも面白い撮り方だと思った。ドラマがシンプルでバタ臭いだけに下手をすると陳腐に写りかねない。それを手持ちカメラという客観的な視線を介入することで、作品に一定の臨場感が生まれている。結果、余り”作り物っぽさ”を感じさせない。
ところで、ダブリンを舞台にした音楽映画でまっさきに思い浮かぶのは、A・パーカー監督作の「ザ・コミットメンツ」(1991英)である。青春群像劇として中々良くできた作品だと思うが、本作の男役を演じたグレン・ハンサードは実は「ザ・コミットメンツ」にチョイ役で出演していたというのを彼のフィルモグラフィーで知った。彼はザ・フレイムスというバンドで活動している。相手のチェコ人女性もシンガー・ソングライターということで、どうりで音楽における説得力があるわけだ。本作は彼らの歌唱によって支えられている部分がかなりあるように思う。
作りはヘナヘナだが、きちんと”時代”を映している。
「野良猫ロック 暴走集団’71」(1971日)
ジャンルアクション・ジャンルコメディ
(あらすじ) 東京の掃き溜めにピラニアをリーダーとしたフーテンの一団がいた。仲間の一人隆明は地方名士の子息で、父が差し向けた暴走集団に連れ戻される。その最中、彼は殺人を犯してしまった。隆明の恋人振り子はその罪を被り鑑別所に入った。それから2ヵ月後、振り子は脱走して隆明に会いに行く。ピラニア達も彼女を追って隆明の田舎へと向かう。
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(レビュー) 職無し、宿無し、家族無しのサイケ族の生き様を、破天荒に活写した青春アクション映画。
作りにチープな部分が目立つが、時代と風土を織り込んだ所が面白く見れる。
割と最初の方で、マリファナのやり過ぎで常田富士男が野垂れ死ぬ。何とも惨めな死に様で、ともすると只の愚か者に映ってしまうが、壮絶なクライマックスシーンにも言えることだが、このくらい過剰に、しかも”あっけらかん”と描いてくれると惨めと言うよりもかえって痛快さを感じたりもする。「太く短く」という彼等の生き様がありありと見て取れる。
71年といえば高度経済成長の真っ只中である。街頭からゲバ棒片手の若者達の姿が消え、いわゆる“しらけ世代”が出てきた頃だ。
ピラニア達が無人の山荘に立てこもって町の実力者と戦う姿は、明らかに1969年の東大安田講堂事件を想起させるものであり、学生運動の終局面を反映させたものであろう。アメリカでは、アメリカン・ニュー・シネマの代表作「明日に向って撃て!」(1969米)が公開され、ブッチ&サンダンスが体制に抗い篭城の末、蜂の巣になって死んだ。当時の若者達の目には、学生運動やブッチ&サンダンスの生き様はどんな風に映ったのだろうか?一部の若者達はそこに、反社会的なものに対する“憧れ”みたいなものを感じ取っていたのかもしれない。
本作のピラニア達も、頭の固い大人達に反抗するアウトローとして描かれている。決して格好良いわけではないし、むしろ愚かで滑稽なものとして描かれている。しかし、だからと言って彼らに魅力が無いわけではない。社会という枠組みに突っ張って、突っ張って、一編の食いもなく無様に散っていく様に、ある種の勇ましさも感じてしまう。しらけ世代とは違うアナクロニズム。多分、当時の若者達はそこに大いに共感したのではないだろうか。
尚、この「野良猫ロック」はシリーズ化され全部で5本作られた。ストーリーに繋がりは無い。本作と「野良猫ロック ワイルド・ジャンボ」(1970日)は藤田敏八がメガホンを取っているが、残りの3本は違う監督が撮っている。藤田敏八の作品には興味があるので、機会があれば「ワイルド・ジャンボ」の方も見てみたい。
ややヒロイックすぎるが、個性派揃いのキャスティングが面白く見せる。
「ナバロンの要塞」(1961米)
ジャンル戦争・ジャンルアクション
(あらすじ) 第二次世界大戦時、イギリス軍はドイツ占領下のナバロン島の要塞攻撃に精鋭部隊を投入する。登山のプロフェッショナル、マロリー大尉、爆薬のプロ、ミラー伍長、元ギリシア軍大佐のスタブロ、作戦を提案したフランクリン少佐、船舶機関士のブラウン、ナバロン出身のパパティモス。暴風雨の中、上陸作戦が決行されるが、その最中にフランクリンが負傷する。敵の執拗な攻撃に晒されながら部隊は要塞に向けて出発するが‥。
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(レビュー) 特殊部隊の要塞攻略を豪華キャストで描いた戦争アクション作品。
局地戦を描く作品なのでどうしても派手さに欠けるが、その地味さをドキュメンタリータッチの演出と個性溢れる精鋭部隊の人間ドラマでカバーし、見応えとしては十分。むやみに火薬を爆発させる大雑把な戦争映画よりよっぽど出来が良い。
特に、前半の上陸作戦と後半のスパイ嫌疑のシーンが面白く見れた。
上陸作戦のシーンは、特撮を駆使しながらスケール感溢れる映像で描出されている。マロリーとスタブロの過去の因縁を絡めることでスリリングさが増し、手に汗握るアクションシーンになっている。
スパイ嫌疑のシーンでは、ミスリードの身顕し、それによるマロリーの感情の噴出といったものが、戦争の非情さを痛切に訴えかけドラマチックであった。
その他では、負傷したフランクリンを巡って意見が対立する場面も中々面白く見れた。足手まといの彼を見捨てるか連れて行くかで意見が分かれるのだが、リーダーであるマロリーの中ではすでに答えは決まっていた‥という所に戦争の非情さを思い知らされされる。
要塞攻略のクライマックスは活劇度がグンと増していく。しかし、先に述べたように、局地戦を描く作品なので派手さには欠ける。タイムリミット感を持たせた演出もそれなりに効果を上げているが、やはりどこか”ほのぼの”したものに見えてしまうのは残念だった。
それよりも、この映画の魅力は個性派揃いの精鋭部隊の人間模様にあると思う。
特に、爆破のプロ、ミラーは出色のキャラで、マロリーとの対立が面白い。ミラーは元々は科学者で根っからの軍人であるマロリーとは立場を異にする。二人の思考の違いが克明に出ているのが、例のスパイ嫌疑のシーンだ。一触即発の事態にまで発展しハラハラさせられた。
また、途中でレジスタンスとのロマンスも出てくるが、これについては絶妙なさじ加減で描かれている。決して目立って描かれるわけではなく、”男達による男達のため”の戦争映画として割り切った作りの中に、ほんの隠し味程度に留めたところが良い。得てしてこの手のアクション作品に余ったるいロマンスが絡んでくると途端に退屈してしまうものだが、本作に限って言えばそういったことは無い。
リ・イマジネーションとしては頑張っている方。
「スター・トレック」(2009米)
ジャンルSF・ジャンルアクション
(あらすじ) 惑星連邦軍の戦艦USSケルヴィンが正体不明の敵から攻撃を受ける。艦長はその身を犠牲にしてクルーと身重の妻を救った。その時に生まれたのがジェームズ・T・カークである。数年後、アイオワで荒んだ青春を送っていたカークの前に、亡き父のことを知る連邦軍士官パイクが現れる。彼の言葉に動かされてカークは連邦軍に入隊。ところが、士官昇任試験に中々受からず次第に腐っていった。そんなある日、彼の前にライバルが登場する。論理的思考を信条とするバルカン人スポックだった。対立を深める二人‥そこに緊急指令が発令される。バイク艦長の元、カーク達若き士官候補生がUSSエンタープライズに乗り込み宇宙へと飛び立つ。
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(レビュー) 人気TVシリーズ「スター・トレック」の前日談を描いたSFアドベンチャー作品。
カークやスポックといったお馴染みのキャラクター達の若き日を描くドラマとあって、楽しみと不安が半々だったが、言い意味で予想を裏切る作りになっていた。
スタートレックらしい”ほのぼのさ”は無く、今回は完全にアクション主体の作りになっている。現代風にリ・イマジネーションした‥という作り手側の意識を評価したい。
冒頭から派手な戦闘シーン。そのままのテンションで地球に舞台を移したカーチェイス‥畳み掛けるようなアクションの連続で導入部を描く。エンタープライズが発ってからは、更にアクション度は増していく。特に、任務を負ったカーク達が宇宙船から飛び降りて猛スピードで地上に落下するシーンには興奮させられた。監督はJ・J・エイブラムス。この辺りのアイディア・センスには感心させられる。前作
「クロバーフィールド/HAKAISHA」(2008米)でもそうだったが、遊園地のアトラクションに参加しているような、そんな興奮を味わえた。
キャスティング面も概ね満足できた。オリジナルのキャラクターがイメージとして残っているので、ここを失敗するととんでもないことになってしまう。今回はメイン所を若手俳優で抑えているが、夫々に外見上に”それっぽさ”を含ませており見た目としての違和感は余り無い。
また、スタートレック・ファンなら分かると思うが、このシリーズにはある種”お約束”とも言うべきシーンがあるわけだが、その辺りをきちんと踏襲しているのも、オリジナルファンのことをよく考えて作っているな‥という印象を持った。
ただ、ストーリーに関しては色々と綻びがあり、出来としては今ひとつと感じた。
カークの幼年期については、母親との絡みを含めかなり省略して展開される。青年期に重点を置いた作劇はある意味で潔いのかもしれないが、カークが父を超える‥というアウトラインを持つ本ドラマにあっては、その根幹を描かなかったのは致命的である。アクションの見せ場としての興奮はあるが、物語としての盛り上がりには欠ける。
主君に仕える男の壮絶な生き様が胸を打つ。
「血槍富士」(1955日)
ジャンル人間ドラマ・ジャンルアクション
(あらすじ) 槍持ちの権八は、藩の命で相棒の源太と共に若様を護衛して江戸の旅に出た。同じ道を行くのは、老いた父と気立ての良い娘、三味を弾いて旅をする母娘、謎の大金を持つ藤三郎、孤児の少年次郎だった。彼等は同じ宿場で一泊するが、その夜酒癖の悪い若様が町中で一騒動起こす。権八が駆けつけて事なきを得たが、今後の旅が思いやられた。その頃、町では大泥棒出没の噂が立っていた。大金を持った藤三郎の不審な行動を目撃した次郎が騒ぎたてる。実はその金には意外な事実が隠されていた‥。
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(レビュー) 忠義に熱い槍持ち男の生き様をユーモアとペーソスで描いた時代劇。
宿場を舞台に庶民の人間模様が面白く描かれている。キーマンとなるのが出所不明の大金を持つ謎の男藤三郎だ。彼の金を巡って登場人物達が騒動を起こすのだが、そこに見えてくる義理人情の世界にしみじみとさせられた。
また、権八と三味女の淡いロマンス、次郎との擬似親子的な師弟関係が挿話され、市井に根ざした人情ドラマは懐深く魅力的なものとなっている。
基本的にユーモラスな場面が多いが、クライマックスは一転してシリアスに転じる。槍持ち権八の姿を通して、封建社会に生きる不遇の男の悲劇が語られていく。明暗トーンの切り替えに躓くような所が無く、自然な流れの中で見る事が出来た。主君に仕えるのが己の務め‥という権八の力強く猛々しい”勇気”が叫喚され胸を打つ。
監督は内田吐夢。戦争で中国に抑留されていた彼が久々に日本に帰国して撮ったのが本作である。長年映画界から遠ざかっていただけに、本作にかける思いも並々ならぬものがあっただろう。特に、クライマックスシーンには彼の気概が感じられた。
内田監督と言えば、吉川英治原作の「宮本武蔵」を全5部作で撮った事が思い出される。このクライマックスシーンには、語り草になっている第4作「宮本武蔵 一乗寺の決斗」(1964日)の決闘シーンを髣髴とさせる荒々しい迫力が感じられた。酒溜まりの中で偽物の槍を振り回す権八の姿は何もかもが滑稽である。しかし、命を賭して己が信念を全うしようとする姿は実に神々しくも写る。
尚、内田監督の復帰を祝って本作には小津安二郎が企画協力をしている。作風は違えど二人の間にはこうした繋がりがあったのか‥ということが分かって興味深い。
三田佳子の雰囲気ある風情が良い。
「魂萌え!」(2006日)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 敏子は定年した夫と悠々自適な余生を送ろうとしていた。その矢先、夫が急死する。葬式の日、亡き夫の携帯電話に伊藤という女性から電話がかかって来た。生前、夫は週一回、趣味で蕎麦教室に出かけていたが、どうやらその時に出会った女性らしい。線香を上げにやってきた伊藤を問い正してみると、何と10年も付き合っていたと言う。良き妻として家庭を守ってきた今までの自分の人生はなんだったのか?腹立たしくなってくる敏子。更に、そこに長年疎遠だった息子が妻子を連れて金の無心にやって来た。堪忍袋の緒が切れた敏子は家庭を放り出して夜の街へと出て行く。
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(レビュー) 夫を亡くした中年女性の困惑と悲しみと自立の物語。
熟年離婚ブームが囁かれて久しいが、敏子は正にその世代にいる女性である。離婚ではなく死別という所が違うが、愛人の出現をきっかに夫婦の信頼関係が崩壊していく本ドラマは、熟年離婚と根本的なところで共通しているように思う。そういう意味では、実に現代的なドラマで興味深く見る事が出来た。
貞淑な妻敏子は、亡き夫の不倫の発覚をきっかけに”自分を変える旅”に出る。妻の反乱である。初めて泊まるカプセルホテル。そこで知る多様な人間模様。ショッピングを楽しみ、見知らぬ異性との不倫に心をときめかせる‥。良妻賢母を演じてきた彼女は、家庭の中に引き篭もっていては絶対に知ることの無い外の世界を経験していくのだ。演じる風吹ジュンが好奇心旺盛な少女に戻ったかのように、初々しい表情を見せ印象的である。
そして、この映画最大のクライマックスは、愛人伊藤との対峙である。亡き夫との関係を巡って二人は因縁めいた対立を深めていくが、そこに見えてくるキャラクターの対位性が面白い。
敏子は純真無垢な少女がそのまま大人になったような女性である。学生時代の同級生と未だに世間話に花を咲かせてキャッキャッと騒ぎ、セーラー服姿の自分が写った8ミリ映画を映写しては過去を懐かしむ。
一方の伊藤は小さな蕎麦屋を切り盛りする自立した大人の女性だ。演じる三田佳子の雰囲気ある風情が良い。
1度目の対峙では、敏子はただヒステリックに吼えるだけ。それを伊藤はしたたかな振る舞いでかわし、大人の女性としての貫録を漂わせている。
そして、クライマックスで再び二人は対峙することになる。それまでの優劣関係はここで逆転する所に注目したい。様々な経験を終えた敏子が伊藤に立ち向かっていくのである。それはプライドをかけた女の戦いと言っても良い。これにはゾクゾクするような興奮が感じられた。敏子の”自分を変える旅”が実は伊藤への対抗心から生まれたものなのではないか‥そんなことすら考えてしまった。また、この時の伊藤の足元をアップで捉えた演出は秀逸である。ペディキュアが勝負の分かれ目‥という感じがした。
監督・脚本は阪本順治。以前ここでも紹介した
「王手」(1991日)等、男臭い映画を撮ることの多い監督だが、女性ドラマも中々に上手い。女性殺人犯を追ったコメディ「顔」(2000日)という快作もあった。阪本作品における女性は必ずどこかに芯の強さを持っているのが特徴で、本作の敏子も伊藤もかなり頑固で自分を曲げない強い女性である。
一方、幾つかの不満点も残った。敏子の周縁エピソードに関する中途半端な描写の仕方はいただけない。また、息子夫婦と映写技師のエピソードも消化不良に思えた。特に、映写技師に関するエピソードは敏子の自立に重要な意味を持ってくる。それだけにもう少し突っ込んで描いて欲しかった。
尚、同年にはTVシリーズとしてドラマ化もされている。未見だが、周縁に話を広げるなら、おそらく連ドラのほうが合っているのではないだろうか。2時間で描くには窮屈過ぎるという印象を持った。
男の哀愁が感じられるスナイパーもの。
「ドミノ・ターゲット」(1976米)
ジャンルサスペンス・ジャンルアクション
(あらすじ) ベトナム戦争の狙撃兵だったロイは、殺人罪で刑務所に服役していた。素性の知らない男達が現れて保釈を条件に”ある仕事”が依頼される。初めは困惑するロイだったが、恋人エリーに会いたい一心でこの仕事を引き受けることにした。その際、親友スピンベックの保釈も条件として取り付けた。晴れて自由の身となるロイ。ところが、組織が必要とするのはロイのスナイパーとしての腕だけ。スピンベックは容赦なく撃ち殺されてしまう。ロイはホテルに軟禁され、組織の恐るべき陰謀を知らされる。
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(レビュー) 元凄腕スナイパーが政治的陰謀に巻き込まれていくサスペンス作品。
ロイの殺人にはワケがある。組織はその弱みに付け込み彼をスポイルしていくのだが、彼らの正体は一切不明。仕事の内容も不明である。前半は不気味な雰囲気でドラマが進行する。そして、スピンベックの殺害をきっかけに様々な事情が見えてきて戦慄が走る。
巨悪の陰謀に加担させられる個人のドラマは決して斬新というわけではないが、ジワリジワリとくる恐怖がある。これは中々見応えがあった。第一にロイの視座に徹した所が良い。見る側に彼と同じ恐怖と不安を植えつける周到な作劇になっている。
組織の目的が判明した所で一旦このドラマは求心力を失うのだが、その後にも二転三転する展開を用意し見る側の集中力を途切らせない作りが中々巧みだ。タイトルの”ドミノ・ターゲット”の意味もよく理解できるプロットである。
惜しむらくは、ロイとエリーの関係描写に物足りなさを覚えたことか‥。ロイがこの仕事を引き受けた理由は彼女と再会するためである。ドラマの方向性を指南する大きな存在であるのだから、ここは過去の事件も含めてもう少し掘り下げて欲しかったような気がした。アバンチュールの描写に水っぽさを覚えてしまった。
それと、組織の描き方についても不満が残った。ロイに指令を伝える伝書鳩のような人間は頻繁に登場するものの、バックに立つ権力者は一体どんな人間なのか?存在感の薄さが残念である。その結果、この映画がチープなものに見えてしまった。全てを明かす必要は無いが、せめて権力者の影を匂わすだけでもサスペンスとしての重厚さは俄然増したと思うのだが、そのあたりの作り込みが甘い。
熱演の応酬が見ごたえあり。
「ニュールンベルグ裁判」(1961米)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) 1948年、ドイツのニュールンベルグ。アメリカの州判事ヘイウッドが国際軍事裁判の裁判長として赴任する。ナチスに加担したとして4人の判事が裁きを受けることになった。その中には世界的に高名な法曹家ヤニングの姿もあった。アメリカ陸軍大佐ローソン検事は、ユダヤ人や共産主義者を対象にした”断種法”の立法責任をあげつらい彼等の有罪を主張する。これに対して若き弁護士ロルフは、実際の執行は今は亡きナチスの幹部達であって彼等に責任は無いと主張する。そこに証人として断種の被害者青年が現れた。彼の赤裸々な告白にヘイウッドは心を痛める。一方、ヤニングはその姿をただじっと座って眺めていた。
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(レビュー) ユダヤ人虐殺の悲劇を問うた骨太な法廷ドラマ。
この歴史的悲劇が一体誰の手による犯罪なのか?ナチスによる蛮行であることは確かだが、では具体的な罪人となると誰なのか?罪の範囲、レベル、様々な問題が絡み合うため責任の所在をどこに求めていいのか分からなくなってくる。突き詰めれば突き詰めるほど答えを出せない裁判だ。しかし、だからと言ってそれを描くこの映画が茶番だと言う気はない。知られざる戦争の悲劇を白日の下に知らしめたという意味では、意義のある映画だと思う。
当時のドイツ人はこのユダヤ人虐殺をどう捉えていたのか?それがこの法廷闘争劇から分かってきて興味深い。この断種法を作成したのはナチスの命令によって、ヤニング達、当時の判事だった。その時、彼等は情報を完全にシャットアウトされ、この法律がどんな惨劇を呼ぶことになるか知る由も無かった。
一方で、ヘイウッドが仮住まいする屋敷の使用人夫婦は、虐殺があったことを知りつつも口をつぐみ何も語りたがらない。つまり、使用人夫婦は事件を見て見ぬ振りをしたのだ。
罪があるという点では両者に違いは無い。では、片や被告人席に座り、片や罪を問われないというのはどういうことだろう?ここにこの裁判の難しさがある。つまり、この裁判はある種連合軍サイドによる戦犯探し、文字通り戦争の”後始末”なのである。したがって、裁判の意義というところを考えてしまうと、非常に難しいのである。事実が判明すればするほど、実にやりきれなくなってくる。
俳優陣の演技が見事である。特に、ヘイウッドを演じたS・トレイシーが素晴らしい。彼の役所は引退間近の判事。忌むべき戦争処理を請け負わされたわけだから当然気が重い。陰気で沈んだ表情を貫くが、屋敷の元住人で未亡人のベルトホルト夫人との交遊にかすかに悦を見せる。ここだけは彼が救われた感じがして見ているこちらも安堵させられる。それ以外は終始沈痛な面持ちを貫き通している。
断種の被害者として登場するM・クリフト、ユダヤ人と禁断の愛に溺れたJ・ガーランド。彼等の熱演も素晴らしかった。特に、弁護士の質問に追い詰められていくM・クリフトの演技には心を痛めてしまう。
一方、ベルトホルト夫人を演じるのはM・ディートリッヒ。得意歌曲「リリー・マルレーン」を口ずさむあたりは中々心憎い演出だ。しかし、彼女の見せ場は案外少ない。あくまで法廷ドラマに割り切った作りをしているため、そもそも出番が少ないのだ。彼女のファンからしてみれば、もう少し出番を多くして欲しかったという感想になるかもしれない。
演出はドキュメンタリータッチを堅持し、熱弁振るう法廷の雰囲気を緊迫したムードで捉えている。長回しのカメラワークも見ていて息苦しいほどだ。最後まで重厚なタッチが続き見事だと思う。
余談だが、当時世界はすでに冷戦の兆しが現れ始めていた頃である。それがこの映画の中にもきちんと描かれているところに感心させられた。アメリカは反共産主義を標榜したナチスの断罪を買って出たわけであるが、その後共産諸国と冷戦で対立していく。そのことを考えると、この裁判自体がなんだか皮肉的なものに見えてしまう。
絶妙のキャスティング!
「Mr.&Mrs.スミス」(2005米)
ジャンルアクション・ジャンルコメディ
(あらすじ) ジョンとジェーンは表向きは誰もがうらやむ理想のカップル。しかし、彼等は夫々に裏の顔を持っていた。何と別の組織に属する殺し屋だったのだ。偶然にも同じターゲットを狙ったことで二人は対立することになる。
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(レビュー) 殺し屋夫婦が巻き起こすアクションコメディ。
二人を演じるのは実生活でも夫婦であるブラピ&アンジー。冒頭で二人揃ってカウンセリングを受けるシーンが出てくるのだが、ニヤリとさせられた。私生活さながら?‥そんなゴシップ心をくすぐる。本作は一にも二にもこのキャスティングに尽きる作品だと思う。二人とも楽しそうに演じている所が良い。
最も痛快だったのは、家をめちゃめちゃに破壊するほど壮絶な殺し合いを演じた直後に何故かベッドイン‥!というくだりだった。このバカっぽさが笑える。
また、結婚生活5,6年という設定は夫婦間の倦怠感をリアルにしていて、これも良い。部屋のカーテンを変えるかどうかで口論になるくだりは妙に生々しいやり取りに見えた。境遇近しという人は色々な意味で興味深く見れるかもしれない。
残念なのは結末である。頭を空っぽにして見るべき作品であることは分かるが、さすがにこれは安直過ぎる。もう少し捻りが欲しいところである。