映像はスタイリッシュだが内容が重い。ズシリと来た。
「エヴァの匂い」(1962仏)
ジャンルロマンス
(あらすじ) ベストセラー作家タイヴィアンは婚約者フランチェスカと幸せの絶頂にいた。彼の小説が映画化されることになり、そのパーティーが開かれる。その夜、帰宅すると自宅に見知らぬ男女が上がりこんでいて驚いた。女はエヴァといい、数々の男と浮名を流す情婦だった。タイヴィアンは彼女に一目惚れし、相手の男を追い返してベッドに誘い込もうとする。しかし、軽くあしらわれた。それからというもの彼はエヴァを忘れられず、事あるごとに彼女を追い続けた。一方、浮気を知ったフランチェスカは傷つき故郷へ帰る。映画プロデューサー、ブランコは彼女に密かに恋していたこともあり、タイヴィアンを厳しく責めた。しかし、それでも彼はエヴァを諦め切れなかった。
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(レビュー) 魔性の女に魅せられた男の悲惨な末路を、冷徹なタッチで綴った退廃的ロマンス作品。
エヴァを演じるのはフランス映画界の女首領J・モロー。当時30代半ばの彼女が、妖艶な表情とS度全開な言葉責めで男達を手玉にとっていく姿が実に圧巻である。ここまでの存在感を出せるのはさすがだ。
一方、彼女に翻弄されるタイヴィアンの何と愚かしことか。「私を幸せにしてもいいけど、恋をしちゃだめ‥」などど言われて、鼻の下を伸ばしてのめり込んでいくのだからどうしようもない。骨までしゃぶり尽くされて用無しになったら捨てられるのがオチ。それが分かっていても止められないというのが男の性か‥。
しかし、そう思うのも中盤までである。彼に兄がいることが判明して以降は、どうも単なるM男ではない‥という気もしてきた。
それは後半のエヴァとの対話シーンから読み取れる。タイヴィアンは自分が兄の虚像に過ぎなかった‥とエヴァに告白している。何故、彼女にわざわざ告白したのだろうか?それは彼が”作家”という仮面を剥ぎ取られることにずっと怯えながら生きてきたからである。その恐怖を取り除いてくれるのはフランチェスカではなく、行きずりの女エヴァだった。つまり、エヴァといれば”作家”としての自分ではなく、本当の自分でいられるからなのだと思う。嘘の人生を歩む男が最後にすがるもの。それが嘘の愛に生きる情婦だった‥という所に不憫さが募る。
監督はJ・ロージー。ドラマ自体はいたってシンプルなファムファタール物だが、享楽にふけるブルジョワへのアイロニーをしのばせたところは中々鋭い。ゴージャスな服飾の数々、いかにも上流階級が住みそうな建造物の景観、成功を約束された者だけが入店できる会員制ナイトクラブなどが、労働者出身のタイヴィアンとの対比で登場してくる。直接的ではなく歪曲的に批判するあたりが中々巧みだ。
また、ジャジーな音楽も映画をスタイリッシュな雰囲気をもたらしていて中々に良かった。
F・フォーセットが癌で亡くなりました。闘病生活を写したドキュメンタリー番組が全米で放送され話題になったばかりなのに‥。改めて振り返ってみると、やはり子供の頃に見た「チャーリーズ・エンジェル」の印象が一番強い。あとは「キャノンボール」とか「スペース・サタン」とかも‥。ご冥福をお祈りいたします。
「チャーリーズ・エンジェル」(2000米)
ジャンルアクション・ジャンルコメディ
(あらすじ) チャーリー探偵事務所で働く3人の美女ナタリー、アレックス、ディラン。彼女等の次の仕事は、誘拐されたIT企業の社長ノックスを救出するというものだった。3人はライバル会社のボス、コーウィンを犯人だと睨む。早速変装してコーウィンに近づく。そこに誘拐の実行犯が現れた。カンフーの使い手で強敵だったが、無事ノックスを保護した。しかし、事件はこれだけで終わらなかった。
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(レビュー) 70年代に一世を風靡した人気テレビシリーズ「チャーリーズ・エンジェル」を現代に蘇らせた痛快アクション作品。
C・ディアス、D・バリモア、L・リューが華麗にエンジェル達を演じている。敢えてオリジナルを意識せず新たな「チャリ・エン」を作ろうという意図が感じられる。これはこれで正解だと思う。古いファンには少しイメージと掛け離れる出来かもしれないが、単品としてみれば今時のスピーディーなハイテンション・アクション・ムービーとして十分楽しめる。ノリだけで突っ走った姿勢を買いたい。ストーリーに関しては‥‥この際置いておいた方が良いかと思う。
3人の中ではやはりC・ディアスの可愛らしさが一番飛びぬけているわけだが、敢えて今回は製作を兼ねたD・バリモアに注目したい。彼女は3人の中で最も汚れ役的な役目を負っている。普通なら自分が主演の映画なのだから美しく見せようというのが女優としての本能だろう。しかし、彼女はそのエゴを抑えている。そこに好感が持てた。
実は、彼女はああ見えてプロデューサー業を熱心に行っている。そして、主演を兼務した作品では、必ずと言っていいほど敢えて負け犬キャラを演じている。例えば、ロマコメ映画「25年目のキス」(1999米)。ここでの彼女の”もてなさ”ぶりといったら悲惨である。この自嘲的な造形は狙ってやっているのだろう。そこに観客はついつい感情移入し同情してしまう。そして、彼女のサクセスストーリーを応援してしまいたくなる。プロデューサーという立場からいくらでも自分を綺麗に目立たせる事が可能だと言うのに、敢えて彼女はそうしていない。映画を作る事を客観視出来る賢い女性だと思う。
アクションはテンションが高く、且つ過剰にコミック的で終始楽しい。迫力があるというよりは、ワイヤーアクションにしろCGの使い方にしろ”やり過ぎる”くらいやっており痛快の一言。とはいえ、先日見た
「トルク」(2004米)ほどの”ありえなさ”ではなく、寸分のところでゲームのような映画になるのを回避している。また、エンジェル達のコスプレもサービス満点である。
監督は本作が初演出なるマック・G。コミック風なテイストはこの監督の資質だと思う。軽過ぎるきらいもあるが、ここまで徹底されると逆に潔いと思ってしまう。
かつて、若きスピルバーグは「激突!」(1971米)で鮮烈なデビューを果たし、以後のハリウッドにコミックブック・スタイルの潮流を確立させた。同様に、昨今の若手監督の革新的な映像スタイルは本作のマック・G然り、「マトリックス」(1999米)のウォシャウスキー兄弟然り、「ザ・セル」(2000米)のターセム然り、スピルバーグの世代から確実に進化を遂げているように思う。少し大袈裟な言い方になるが、コミックブック・スタイルの第二世代。それを実感させるような映像が本作から伺えた。
ところで、B・マーレイは役得過ぎる‥。少しは痛い目に合うシーンが必要だったのでは~?
「エンロン 巨大企業はいかにして崩壊したのか?」(2005米)
ジャンルドキュメンタリー・ジャンル社会派
(あらすじ) 巨大企業エンロンの破綻に迫ったドキュメンタリー作品。様々な証言と公聴会のやり取りから、エンロン盛衰の実態が明らかにされていく。
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(レビュー) 昨今はM・ムーアのように娯楽性を持ったドキュメンタリー作品が流行しているが、同時代に作られた本作には余りそういったおふざけ感は無い。割と真面目に作られていると感じた。
アメリカのバブル経済を背景に一躍トップ企業に昇り詰めたエンロン。元社員やルポライター等の証言から、当時の実情が浮き彫りにされていく。粉飾決算による市場操作、役員のインサイダー取引、ブッシュ政権との関係、色々とショッキングな事実が分かって面白い。
中でも、規制緩和による電力自由化の波に乗って、電気取引価格の引き上げを狙う独善的なやり方には驚かされた。これを見ると何でもかんでも自由化すればいいわけではない‥ということが分かる。空恐ろしさを覚えた。
それにしても、興隆を極めた大企業がわずか1ヵ月半で破綻に追い込まれるとは‥。多くの失業者を生んだ一方で、政界との繋がりは完全に闇に葬られ、何ともやるせない思いにさせられた。
日本でもライブドア事件や村上ファンド事件等が記憶に新しい所であるが、つわものどもが夢の跡‥とはよく言ったものである。企業倫理について考えさせられる作品だった。
アクション主体の作りが潔い!
「アポカリプト」(2006米)
ジャンルアクション・ジャンルファンタジー
(あらすじ) ジャングルの奥地にひっそりと佇む集落。そこに若き勇者ジャガー・パウは妻子と平和に暮らしていた。その平穏がマヤ帝国の侵略で壊される。妻子を枯れ井戸に隠して抗戦するが、圧倒的な戦力の前にジャガーは捕まり村は制圧されてしまった。村人達は捕虜となりマヤの街に連れて行かれる。そこで目にした光景は想像を絶する世界だった。
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(レビュー) マヤ文明の滅亡を描いたアドベンチャー作品。
全編マヤ語で綴られた作品で、製作・監督・脚本はM・ギブソン。過去に全編ラテン語で「パッション」(2004米伊)を撮っており、本物志向のこだわりがこの作品からも感じられる。ただ、本作は時代考証的な面でかなり想像が入り込んでおり、ファンタジー的な要素が見られる。厳密に言うと「歴史劇」ではなく「時代劇」という括りで見るのが筋だろう。歴史小説と時代小説の違いと同じで、俺の解釈ではリアリティーを追及したものを前者。歴史に空想を加えたものを後者と捉えている。
しかし、創造された世界観とはいえ、祭事のシーンはエキストラの造形も含め、そのスケール感と細部にわたる作りこみには圧倒される。バイオレンス・シーンは手抜き感が無く、「パッション」さながらの残酷描写にはある種見世物小屋的な興奮も味わえた。
ドラマは、家族を奪われた男の戦いをシンプルに活写したものである。ラストに啓示的なメッセージが登場するが、アクション主体の作りの前に主人公の葛藤は完全に漂白され、シナリオ的には捻りの少なさに物足りなさを覚えてしまった。
とは言っても、息つく暇を与えない程のバイオレンス・シーンのオンパレードには確かに魅了される。
特に、後半の人間狩り以降の展開は、とにかくスピード感があって面白かった。ヒロイックなジャガーの活躍は、昨今のアメコミヒーロー映画におけるウジウジとした葛藤劇など存在しない。実に清々しく猛々しい。ある意味では、ジャンルのボーダーを越えたところで、アメコミヒーロー映画より全然ヒーローしている。そこにユニークな面白さが感じられた。
個人的には前半戦>後半戦>延長戦という評価。
「猟奇的な彼女」(2001韓国)
ジャンルロマンス・ジャンルコメディ
(あらすじ) 大学生キョヌは、電車の中で泥酔した女性を介抱する羽目になる。見た目の可愛いらしさとは裏腹に性格は凶暴。そんな彼女に振り回されながら、キョヌは彼女の失恋の涙を見る。彼女を支えたい‥。彼はその日から彼女に甲斐甲斐しく仕えるようになっていった。そんなある日、いつものように泥酔した彼女を自宅まで送って行った時、偶然彼女の両親から思わぬ話を耳にする。
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(レビュー) 人の良い大学生と性格凶暴な女性の恋を綴ったラブ・ストーリー。
正直このオチには閉口してしまった。「努力した者に奇跡は訪れる」というメッセージを言いたいのだろうが、伏線の弱さに加え、2年という長期にわたる二人の喪失感をダイジェスト風に表現したことで、”偶然”は偶然以上のモノに見えないところが残念である。映画は「前半戦」「後半戦」「延長戦」の3部構成になっており、「延長戦」のご都合主義振りには少し辟易してしまった。
3つの中では「前半戦」が一番面白く見れた。奔放で独善的な”彼女”のキャラクターと、それに振り回される劣等大学生のダメッぷり、この関係が面白く描けている。
酔っ払ってゲロを吐いたり、すぐに喧嘩腰になったり何なんだこの女は?というマイナス面を初めに見せておいて、その後に可愛らしい一面、しっかりした一面というプラス面を見せていく。男から見た理想の彼女像が絶妙に造形されていて、見せ方が非常に上手い。
一方、キョヌも中々魅力的である。冴えない大学生という風貌だが、泥酔した彼女を介抱してあげたり、足に合わない靴を交換してあげたり、涙ぐましい献身振りを見せ、初々しい恋心を体現する。身体目的の下心は無く、彼女の失恋を癒してあげたいという純粋な優しさは、彼の人間的な魅力を引き上げ、ひいてはこのロマンスを爽やかなものにしている。
ある種男女の理想像を上手くキャッチアップしており、カップルで見るデート・ムービーとしては実に”したたか”に作られていてると思った。
笑えたシーンは幾つかあって、電車の賭けシーンは微笑ましかった。また、トイレに入ったキョヌが××に驚くシーンも笑えた。コメディ部分は概ね楽しく見れる。
ただ、ロマンス描写は時々コッテリし過ぎている場面がある。例えば、彼女が学校でピアノを演奏するシーンは、過剰なまでに盛り上げる音楽とカメラワーク演出に胸焼けを起こしてしまった。いかにも韓国映画らしいコッテリ感だが、こればかりは感性の問題としか言いようがないだろう。
重厚な筆致で見ごたえあり。
「砂と霧の家」(2003米)
ジャンル人間ドラマ・ジャンルサスペンス
(あらすじ) キャリーは夫と別れ悲しみにくれていた。そんな彼女に更なる不幸が訪れる。父の残した生家が役所の手違いで差し押さえられてしまったのだ。路頭に迷った彼女は法律事務所に相談する。ところが、家はすでにアラブ人一家が買い上げてしまっていた。家長のベラニーはようやく手に入れたこの家を手放すつもりはないという。キャリーはレスター副保安官の助けを借りて家を取り戻そうとするのだが‥。
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(レビュー) 家族から見捨てられた孤独なアメリカ人女性と、イランから亡命したアラブ系一家が、1軒の家の所有権を巡って対立する悲劇を緊密なタッチで綴ったシリアスなドラマ。
映画は結末を先に提示しており、そこに至る不倶戴天の争いが綴られていく。その中で憎しみ合うことの愚かさが語られる。話だけ聞くと実に地味な映画に思えるが、これが中々緊迫感があって目の離せないドラマになっていた。
夫々に言い分があり、どちらが良い悪いとは一概に言えない。法律上の問題だけでは解決し得ない、より根本的な人道的な問題を突きつけられているような気がした。
前半はどちらかというとベラニーの視点、後半は一転してキャリーの視点に拠った描かれ方をしている。
序盤のキャリーは少し感情移入しずらいキャラクターになっている。生家に固執する理由がよく分からない上に、職も持たず他人に頼ってばかりの姿勢にどこか甘えを感じてしまうからだ。生足を強調した短パンスタイルでレスターを誘惑するビッチ振りも鼻につく。むしろ、祖国を追いやられた移民一家ベラニー達の不幸を考えれば、そちらの方に同情せずにいられない。言葉も習慣も違う国で一からやり直そうと昼夜を問わず真面目に働くベラニー。9.11以降のアラブ人に対する反感や中傷に耐えながら家族を守ろうとするその姿は、実に気の毒に見えてくる。前半はベラニーの方に理があるように思えた。
ところが、後半に入るとこれが逆転する。両者に対する見方が全く変わって来るのだ。
まずは、キャリーの不幸な生い立ちと境遇が述べられる。彼女は家族から見放された隠者であること。そして、ベラニーの妻ナディと交わすささやかなコミュニケーションに”家族”への憧憬がはっきりと読み取れ、彼女が欲しているのは実は”家”という物資ではなく”家族の温もり”なのだということが分かってくる。
これに対して、ベラニー達には”ある前科”がある。役所が手続きの誤りを認めて家の返却を言い渡すのだが、ベラニーは所有権を主張して一切応じない。懇願するキャリーを尽く邪険にし、ここまでくると彼が傲慢なファシストのように見えてきてしまう。
こうして両者は憎しみを増幅させていくのだが、その根本には多民族国家アメリカが抱える社会的な問題が見えてくる。更に深読みすれば、自分がよければ他人はどうなっても良いという人間の生来のエゴイスティックな思考が見て取れる。更に穿ってみれば、アメリカ人女性対アラブ人一家という対立構造には、今起こっている”戦争”のメタファーも読み取れよう。
社会的な問題、人道的な問題、政治的な問題、様々なものが読み取れるところに今作の奥深さが感じられる。
全体を通して緊迫感に溢れていて見応えがあったが、只一つ、クライマックスにかけての展開はやや強引な感じがした。人物の行動が軽率に見えてしまう。その後のシークエンスも編集の粗さのせいで不自然な感じを受けた。
尚、「砂と霧の家」というタイトルは原題の直訳である。これはテーマを言い当てた見事なタイトルだと思った。「砂」とはベラニーの国を換喩するキーワードで、砂塵に消え行くアラブ人一家の末路を暗示しているかのようである。一方、「霧」はキャリーの生家の舞台を象徴している。ビジュアル上でも明確に印象付けられているが、家族を失い暗中模索の状態にある彼女の心境を表した言葉であろう。
カーアクションに痺れる!
「デス・プルーフinグラインドハウス」(2007米)
ジャンルアクション・ジャンルサスペンス
(あらすじ)テキサスの小さな町。人気ラジオDJジュリアは女友達と車を走らせていた。バーに到着するとスタントマン・マイクという怪しい男にナンパされる。ジュリア達はそれを振った。仕方なくマイクは別の女性をゲットし、彼女を家まで送ろうとする。車を走らせたその瞬間、彼は突如恐るべき殺人鬼に変貌した。
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(レビュー) 殺人カースタントマンの恐怖を描いたスラッシャー映画。
監督・脚本はQ・タランティーノ。グラインドハウスとはB級映画を2本立てで上映する映画館のことである。今では見かけなくなったが、映画ヲタク、タランティーノのこと。愛してやまないB級映画に対するオマージュとしてこの「グラインドハウス」を製作したのだろう。尚、本作はアメリカではR・ロドリゲス監督の
「プラネット・テラー in グラインドハウス」(2007米)と二本立てで上映された。
映画は前半と後半に分けられる。
前半はジュリア達がマイクに付け狙われるエピソード。フィルムにわざと傷をつけたり、コマを飛ばしたり、敢えて古い映像にコラージュされている。
後半は、別の少女達が登場して展開される。橋渡し的なインターバルとしてモノクローム映像が挟まれ、その後はそれまでの70年代風のざらついたフィルム質感から極めて現代風なツヤツヤした質感に切り変わっていく。
この映像質感の違いは実に興味深い。単にファッションとしてやっているわけではなく、この変化にはドラマ上の必然的な意味も読み取れる。
考えてみれば、このドラマは70年代の栄光を引きずって生きる時代錯誤の中年スケベオヤヂが、21世紀のパワーガールに痛いしっぺ返し食らう‥という訓話になっている。後半は正にマイクにとってのシニカル劇。つまり、マイクに残酷な現実を突きつけ、お前の時代はもうとっくに終わってるんだよ‥というダメ出しのドラマになっている。ここから70年代→現代という映像質感の変化は、物語の形而下に他ならないということが分かってくる。これは明らかにタランティーノの計算だろう。メタ映画的な遊び心が実に面白い。ちなみに、オヤヂの情けない顛末には彼の逆説的な愛が読み取れた。
映像的な見所は、やはり後半のカーチェイスになろう。体を張った危険なカースタントの連続に興奮させられた。
一方、映画の前半は会話劇で展開されていくので退屈させられる。しかも、最初に登場するジュリア達の駄話が長すぎる。もはや、タランティーノ作品ではお約束の「駄話」なのだが、さすがに今回は長過ぎると感じた。
いつものM・ムーア節で面白く見れるが、今回は前2作に比べると踏み込みが足りない。
「シッコ」(2007米)
ジャンルドキュメンタリー・ジャンル社会派
(あらすじ) アメリカ保険業界の内幕を暴露したドキュメンタリー作品。 国民皆保険を持たないアメリカでは民間の保険会社に加入するしかない。貧しくて保険金を払えない層は手当ても受けられない。しかし、2億5千万人にいると言われている保険加入者も決して安心というわけではない。本作はその実態に迫った問題作である。
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(レビュー) 監督は「ボウリング・フォー・コロンバン」(2002米)や「華氏911」(2004米)で、ドキュメンタリー映画に新風を吹き込んだM・ムーア。とかくお堅いイメージが付きまとうこの種のジャンルに娯楽要素を盛り込み、楽しく見せようというのが彼の作品スタイルだ。今回もそのスタイルに変わりはない。しかし、前2作と比べると臆したかな?という印象を受ける。グアンタナモの米軍基地へ乗り込もうとしたアイディアは良かったが、身の危険を感じて早々に撤退。M・ムーアらしい過激な行動をもっと見てみたかった気がする。
前半はアメリカの医療保険制度の実態が綴られているが、日本に住んでいる者からすると信じられないような事実が色々と出てきて驚かされる。
後半はイギリス、フランスの皆保険制度の素晴らしさを例に挙げて、アメリカにも優れた医療保険制度を‥と提言している。確かに福祉の基礎を成す重要な制度であるし、現にオバマ政権は国民皆保険の設立を公約として掲げている。しかし、この制度にもマイナス面があるということを忘れてならないだろう。
イギリスとフランスは税金が異常に高いことで知られている。貧しい層への所得の再分配が税金の高騰に繋がっているのだ。この制度に甘えて敢えて職を持たずホームレスとして生活保護を受けている者もいると言う。一所懸命働いて半分近くも税金で取られる者にとってはたまったものでははい。
この映画はそのあたりのマイナス面を恣意的に描いていない。問題認識を持たせるドキュメンタリー映画なら、制度の功罪を公平に描くべきではないかと思った。
これまでもかなり恣意的な内容で作品を撮ってきたたムーアだが、今回ばかりは説得力という点で疑問符が残る。むろん表現者である以上、メッセージをはっきりと主張することは大切だ。しかし、今回の提言をそのまま鵜呑みにするのはいささか危険ではないか‥と、個人的には思ってしまった。
独特のテイストで面白いが、前作「かもめ食堂」との違いはどこなのか?
「めがね」(2007日)
ジャンル人間ドラマ・ジャンルコメディ
(あらすじ) 世間のしがらみから逃れるようにして、タエコはとある海辺の町にやって来た。気さくな主人ユージが経営する宿屋でのんびりしようとするが、そこで働く中年女性サクラに何となく距離感を抱いてしまう。サクラは海辺でカキ氷を作って訪ねてきた人にもてなしをしている謎の多い女性だった。タエコは彼女が出してくれたカキ氷を断り、他のホテルへ移ろうとする。ところが、入ったホテルはとても”くつろげる”ような場所ではなかった。結局、ユージの宿に戻ろうとした時、サクラが自転車に乗って迎えに来てくれた。タエコは彼女の優しさに少しだけ情が移るのだった。
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(レビュー) 都会から南の島にやってきた女性タエコの一夏の出来事を、朴訥としたテイストで綴ったドラマ。
監督・脚本は「かもめ食堂」(2005日)で注目された荻上直子。主演も同じ小林聡美、もたいまさこというコンビ。
特に大きな事件が起こるわけでもなく、タエコと町の人々との交流がユル~いテイストで綴られていく。このあたりは「かもめ食堂」と同じテイストである。その中で、タエコが何故都会からここに逃れてきたのか?彼女を気にかける不思議な中年女性サクラの正体とは‥といった所が語られていく。
前作「かもめ食堂」にも言えることだが、荻上監督の描く世界は一見日常風景のように見えて、実は究極の非日常とも言える。前作は異国の地フィンランドという土地を舞台にしたことで、ある種観光映画的な側面も合わさり面白く見れたのだが、本作は日本のどこか‥という曖昧とした設定になっている。前作同様、非日常的な世界感と言えるが、今回は更に寓意性が強まり、解釈次第ではタエコの夢の中の世界‥と取れなくもない。これが好きと言う人もいれば、ついて行けない‥という人もいるだろう。個人的には後者の意見である。前作くらいが丁度良い按配だったのかもしれない。
また、この世界をファンタジー的な景観にみせるもう一つの要因として、キャラクターの描き方が挙げられる。前作の主人公である3人の女性は個性がはっきりと色分けされていて、彼女等のやり取りが映画を魅力的に見せていた。唯一、もたいまさこのキャラクターは今ひとつ判明しなかったが、それでも他の二人との絡みから一定の個性は確認できる。それに対して本作のタエコは素性が分かるのは後半に入ってから。サクラにいたっては最後まで分からず終いである。ホテルの主人ユージにしろ、いずれも登場人物のバックストーリーは極めて希薄であり、リアリティは徹底して排除されている。人物造形が貧相だとドラマにも入り込めないし、結局”別世界”の出来事として俯瞰視点で見ることしか出来ない。
また、何故「めがね」なのか?という疑問も残った。タイトルにもなっているくらいだから、メガネに重要な意味でもあるのかと思いきや、そこに理屈を求めても何の回答も得られない。確かに登場人物はほぼ全員メガネをかけていたが、それは何かのヒントだったのか‥。
主要キャストもテイストも「かもめ食堂」とほぼ一緒ということでかなり食い足りない映画だったが、前作との違いで面白い点が一つあった。前作は食堂を経営する3人の女性の視点、つまり”もてなす側”から描いたドラマだったの対して、今回はお客であるタエコの視点、つまり”もてなしを受ける側”から描いたドラマという違いだ。前作の好評を得て、今回は視点を切り替えて観客にお客さんの気分を味わってもらおう‥という狙いなのだろう。この逆手の発想は試みとしては面白いと思った。
面白い設定だが、肝心の連続猟奇殺人事件が今ひとつ‥。
「ボーン・コレクター」(1999米)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) 犯罪科学捜査官ライムは、勤務中の事故で全身麻痺の体になる。それから4年後、ニューヨークの片隅で猟奇殺人事件が起こった。女性警官アメリアが現場に急行し証拠品を確保した。その後、捜査は病床のライムを中心とした特別科学捜査班の手に委ねられるが、ライムはアメリアの機敏な立ち振る舞いを高く評価し助手に抜擢する。ライムは現場に残された証拠品から次の犯行現場を予想し、現場にアメリアを急行させるが‥。
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(レビュー) 全身麻痺で寝たきりになったエリート犯罪科学捜査官と、男勝りで人一倍強い正義心を持つ新米女性警官が、息のあったコンビで連続猟奇殺人犯を追い詰めていくクライム・サスペンス作品。
ライム役のD・ワシントン、アメリア役のA・ジョリー、夫々に好演している。特に、A・ジョリーが良い。「17歳のカルテ」(1999米)で強烈な印象を残した少女が、この作品ではすっかり大人の女性になって登場してくる。強い女性像を作り上げ、以後彼女は戦う女性を演じる事が多くなっていく。そういう意味では、本作は女優としてのイメージを固定させた”ブレイク作品”と言う事が出来よう。
二人の関係も面白く見れた。アメリアは、動けないライムに代わって彼の”足”となって捜査に協力していく。ライムがプロファイリングし、彼の支持に従ってアメリアが走る‥という関係だ。思い出されるのが傑作サスペンス「羊たちの沈黙」(1990米)である。ライムとアメリアの関係は、丁度レクターとクラリスの関係に似ている。捜査のパートナーという関係にほのかな男女の彩を織り込んだ所も「羊沈」に共通している。ただ、これについては本作のほうがより明確な形で表現されており、映画としての娯楽要素に幅を持たせた‥と見て良いだろう。
一方、肝心のサスペンスに関しては今ひとつ‥。アメリアが殺害現場を検証するシーンなど、それなりにテンションを高める場面は出てくるのだが、脚本の根本的な部分で、アメリアの捜査官としての有能さを引き出し切れていないのは致命的である。新米から一人前への成長‥それが見られないため、どうしても捜査上の鍔迫り合いに緊迫感が生まれてこなかった。
また、ライムの科学捜査の論証も実に小ざっぱりとしたもので、本格的なものを望むと肩透かしを食らう。極めつけはラストのトホホ感だろう。伏線の弱さが仇となりカタルシスが薄い。
残念ながら、サスペンスに関しては「羊沈」の方が一枚も二枚も上手‥という気がした。