初めからバカ映画に徹している所が良い。
「アンダーカバー・ブラザー」(2002米)
ジャンルコメディ・ジャンルアクション
(あらすじ) 黒人スパイ組織ブラザー・フッドは、ザ・マンが率いる白人至上主義の秘密結社と日夜戦っていた。貧しい黒人のために泥棒稼業をしている影のヒーロー、アンダカバー・ブラザーの評判を聞きつけた組織は彼をスカウトする。彼はザ・マンの悪行に立ち向かうことになる。
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(レビュー) 黒人スパイが悪徳白人組織と戦うコメディ映画。
70年代初期に黒人の黒人による映画製作、いわゆるブラックスプロイテーション・ムービーの潮流が起こった。この流れは後にS・リー等によって90年代にニュー・ブラックムービーとして再興することになったのだが、本作は敢えて時代に逆行するかのように70年代当時のテイストが貫かれている。そこが何とも奇妙な味わいに繋がっている。
主人公アンダカバー・ブラザーはアフロにロンドンブーツ、サイケなファッションに身を包んだ超アナクロ野郎である。得意のカンフー技で白人達をバッタバッタと倒していく、言わばブラックスプロイテーション・ムービーの代表作「黒いジャガー」(1971米)の主人公シャフト、はたまた劇中にも登場する「燃えよドラゴン」(1973香港米)の黒人空手家、こうしたキャラクターのパロディのようにも見える。彼が時代錯誤も甚だしい数々のエキセントリックな行動で周囲を引っ掻き回していく。それがこの映画の基本的なギャグの構造だ。
ギャグは所々に寒いモノもあったが、トータルで見ると概ね笑わせてもらった。
特に、アンダーカバー・ブラザーがザ・マンの組織に潜入捜査する際、身分がバレないように白人文化に慣れようと珍特訓をする。これが馬鹿馬鹿しくて面白かった。
また、この映画には黒人と白人のヒロインが登場して対立する。このキャット・ファイトが無駄にエロい。エロとバカのツープラトン。これぞいかにもバカ映画の真骨頂である。多いに笑わせてもらった。
また、本作は音楽にもかなり力を入れている。どこにでも顔を出すJ・ブラウンはここでも大活躍(?)を見せ、相変わらずハイテンションな歌を披露している。
ただし、一つだけ気になったのはクライマックスに流れるM・ジャクソンの「Beat It」である。肌の色に関係なく幅広い人気を得た彼のスター性に、一部の黒人からは否定論も出た。ブッラクスプロイテーション・ムービーの回顧を目指す本作であれば、この選曲はいささか墓穴を掘ったかな?という印象が拭えない。ここはそれこそソウル・ミュージックかヒップホップあたりがベターではなかっただろうか?
豪華競演が見応えあり。
「黄色いロールス・ロイス」(1964英)
ジャンルロマンス・ジャンルコメディ
(あらすじ) 1930年代、イギリス国務大臣フリントン公爵は、結婚記念日のお祝いに妻に黄色いロールス・ロイスをプレゼントした。しかし、妻はロールス・ロイスより夫の部下との不倫に気もそぞろ。ついに二人の関係が夫にばれてしまい‥。数年後、ローマにやってに来たアメリカ人マフィア、パオロは愛人に黄色いロールス・ロイスをプレゼントする。早速それに乗って観光旅行を始めるが、途中で愛人はハンサムな写真屋に一目惚れしてしまう。更に数年後、ユーゴスラビアの小さな町。ミレット夫人が黄色いロールス・ロイスを購入する。そこにナチスの侵攻が始まり‥。
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(レビュー) 1台の黄色いロールス・ロイスを巡る3つのドラマをオムバス形式で綴った作品。
豪華俳優陣の顔合わせが見所である。
第1話は、少し悲しい結末を迎えるメロドラマ。J・モローの瑞々しい美しさが見ものでカラフルな映像も美しい。
第2話も切ないメロドラマだが、こちらは幾分ユーモアを含んだトーンで描かれる。S・マクレーンのコメディエンヌ振りが見所で、適度なオツムの緩さがチャームポイントだ。彼女しか出せない魅力だろう。そして、彼女と恋仲になる若き写真屋をA・ドロンが演じている。こちらの美形ぶりも中々の見もので、S・マクレーンと海辺の洞窟で交わすラブシーンは風情があって良かった。また、何度も登場する”超道徳”という言葉には笑わされた。
第3話は、一転して戦火に巻き込まれるヒロインをフィーチャーしたドラマになる。I・バーグマンが「誰がために鐘は鳴る」(1943米)を髣髴とさせる強い女性を演じている。O・シャリフとのロマンスも描かれるが、ここではそれはあくまでサブ的な扱いである。戦うヒロインの活躍ぶりにドラマは集中している。黄色いロールス・ロイスの意外な活躍(?)の仕方に面白みを感じた。
各エピソードを結びつけるのは、タイトルにもなっている黄色いロールス・ロイスである。いずれもロールス・ロイスは逢瀬の場所として使われる。中々面白いアイディアだと思った。ただ、このアイテムに託された”役割”はこの部分だけで、それ以外は”どうして黄色いロールス・ロイスでなければならないのか?”という必然性は余り感じられなかった。そのため全体を通して見ると今ひとつ物足りなく感じてしまう。
一つのアイテムを巡って綴られるオムニバス作品で、「レッド・バイオリン」(1998カナダ伊)という作品がある。こちらは1本のバイオリンを巡って約300年に渡る数奇なドラマが語られる国際色豊かなドラマだった。バイオリン製作者の愛憎の念、怨念と言っても良いが、それが各エピソードの登場人物達の運命を破滅へと追い込む。キーアイテムとしてのバイオリンが持つ”役割”がしっかりと確認でき見応えがあった。それとの比較から言うと、この黄色いロールス・ロイスにはキーアイテムとしての意味合いが薄い。そのためどうしても食い足りない感じを受けてしまった。
二つのロマンスを絶妙に絡めた構成が面白く見せる。
「ホリデイ」(2006米)
ジャンルロマンス・ジャンルコメディ
(あらすじ) ロンドン在住の女性記者アイリスは、好意を寄せていた同僚に目の前で婚約を発表されショックを受ける。ロサンジェルス在住の映画予告編専門の編集者アマンダは、同棲中の恋人と喧嘩別れしてしまう。そんな二人がネットを介して知り合う。失恋の痛手を払拭したい二人は、クリスマスの休暇中、互いの家を交換して過ごそうということになった。アイリスはロスのアマンダの仕事仲間マイルズと親しくなっていく。アマンダはロンドンのアイリスの兄グラハムと親しくなっていく。
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(レビュー) 失恋した女性がロスとロンドンの家を交換。そこで出会う恋の行方を軽やかに綴ったロマンス作品。
環境が変われば人生も変わる。そう信じてホイホイと見ず知らずの人間と家を交換し合う二人の行動に安易さを覚えるが、喜劇として割り切ればこれは中々面白い設定に思えた。新しい環境で再スタートをはかる二人。そこに現れる男達が彼女等の恋の痛手を癒していく。それは自分を変える旅でもある。アイリス、アマンダ、夫々の自己を見つめるドラマが、ロマンス描写の傍らで丁寧に描かれており、決して恋に夢見がちなご都合主義的ドラマに堕していない。
アイリスを描くロス編は本題のロマンス以外に、引退した老作家との交流を絡めながら描いていくのだが、これが中々味わい深い。傷心のアイリスと人生に見切りをつけて隠居生活を送る老作家。自分の心に壁を作って生きているという点で、二人の境遇は割と近い。そこで育まれる交流は中々感動的だった。単純明快なラブストーリーとして終わらせなかったところが良い。
一方のアマンダを描くロンドン編はかなりベタなロマンスである。しかし、ベタはベタなりにしっかりとお約束を踏襲した作りになっているので安心して見れる。恋仲になるグラハムが抱える”ある事情”。それがこのロマンス成就に立ちはだかる”カセ”となっている。上手い具合にクライマックスのカタルシスを生んでいると思った。ロス編が少し捻りを入れていたのに対して、こちらには正統派的な面白さがあった。
俳優陣の演技も概ね好印象。特に、アマンダ役のC・ディアスが良い。相変わらずのブリッ子演技だが、やはりこのキュートさには毎度の事ながらヤラれてしまう。クライマックスの演技は男の保護欲をそそるように作られていて卑怯過ぎる!
逆にミスキャストだったのがマイルズを演じたJ・ブラックだった。繊細な作曲家という設定だが、他の作品の彼を見慣れているせいか、終始違和感を拭えなかった。意外性を狙って失敗した‥という感じである。
ちなみに、豪華なカメオ出演が登場するサプライズもあり。アマンダが編集した映画の予告編で、J・フランコ主演のサスペンスアクション作品が登場する。個人的にJ・フランコは高く買っている俳優なので、本当にこんな作品があったらぜひ見てみたい気がするのだが、多分ないだろう‥(笑)。
また、本作はハリウッドを舞台にしているので、内輪ネタも盛り込まれていてクスリとさせられた。本作の音楽を担当するのは大御所H・ジマー。J・ブラックがDVDショップで彼の名前を出しておどけてみせるシーンがあるが、これには思わず同意してしまった。確かにこの人の音楽は大仰過ぎる場合が多い。ただ、今回に限って言えば割とシットリした音楽が大半を占めていて好感が持てた。あるいは、今回は本人が意識して敢えて控え気味にしたのかもしれないが‥。
近未来の核の恐怖を描いた反戦映画。地味だが味わい深い。
「渚にて」(1959米)
ジャンルSF・ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 近未来、核戦争が起こり人類は絶滅の危機に瀕していた。1隻のアメリカ軍原子力潜水艦が、まだ放射能に汚染されていないオーストラリアのメルボルンに入港する。そこでは最期の日を待ちながら人々が静かに暮らしていた。艦長のタワーズは孤独な中年女性モイラと恋に落ちる。しかし、故郷に置いて来た妻子の事が忘れられず、今一歩を踏み出すことが出来なかった。一方、オーストラリア軍のホームズ大尉は産まれたばかりの赤ん坊と新妻と暮らしていた。刻一刻と死の灰が迫っている事を考えると、家族にどう接していいか分からなくなる。そんなある日、タワーズに汚染地域の調査任務が下される。もしかしたら、まだ他に生き残っている人間がいるかもしれない‥。淡い希望を胸に潜水艦は出航した。そこにはホームズ大尉、科学者ジュリアン等も同乗した。旅路の果てで彼等が見たものとは‥。
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(レビュー) 冷戦時代に作られた核の恐怖を描いたSF映画。
キューブリックの「博士の異常な愛情」(1964英米)や、それと良く似たストーリーで物議を醸したS・ルメットの「未知への飛行」(1964米)等、後に核兵器の恐怖を描いたSF作品が登場したが、それらはいずれも米ソ冷戦の国際情勢を俯瞰視点から捉えたサタイア、つまり毒の効いた風刺劇だった。本作はそれとは対照的に、あくまで個人レベルの視点から見たドラマである。死の灰が迫る中、絶望に打ちひしがれた人々の葛藤が主たるテーマとなっている。
デストピア映画の一種であるが、決して暗さばかりが目立つ映画ではない。オーストラリアの美しい海辺がまるで楽園のように撮られていて印象的だ。暗い時代に敢えて美観を‥というのは、かえって残酷さを際立たせたりもする。
しかし、俺はこの景観の美しさ以上に、そこで暮らす人々の生活が余りにも平和的でバカンス・テイストに溢れている所に引っ掛かった。どうにも切迫感がないというか、作品世界を絵空事のように見せてしてしまっているような気がしてならない。昨今のカタストロフィー系映画を見慣れている者としては、朴訥としすぎている‥という気がしてしまった。どこかでパニックの騒乱に陥るようなシーンが無いと、やはり作品としてのリアリティーは保てないような気がした。唯一、人々が宗教にすがる場面はあったが、そこも随分とのんびりとした光景で捉えられている。これも時代性ということだろうか?
こういった周囲を取り巻く状況描写については色々と不審な点が多かったが、個人レベルで語られる人間ドラマについては面白く見れた。
タワーズとモイラのメロドラマは切なかった。特に、モイラのタワーズへの告白と、それに続くジュリアンとの絡みは秀逸である。
モイラはすでに中年に差し掛かった孤独な女性である。若い頃から随分と浮名を流してきたが、今まで本当の恋愛をしてこなかった。今や、彼女が頼れるものはアルコールだけになっている。そこに現れたのが誠実で逞しい軍人タワーズだ。彼への告白は、彼女にしてみれば最初にして最後の真の愛だったのかもしれない。しかし、タワーズには故郷に残してきた妻子がいる。すでに死んでいるかもしれないが、それでも彼は家族の生存を信じ再び一緒に暮らすことを夢見ている。残酷にもモイラは拒絶されてしまう。その後、彼女はその足でかつて自分が振った男ジュリアンの元を訪れる。昔聞いたプロポーズはまだ有効か?と訪ねるのだが‥。
人間誰でも思うものであるが、一度過ぎ去った過去をやり直すことは出来ない。この一連のシークエンスは正にそのことを言い表していると思った。人生の悲哀がしみじみと感じられた。
また、ホームズと妻の悲壮感漂う運命も良かった。目の前に迫る放射能は何人も避けがたい現実だ。たとえ、生まれたばかりの赤ん坊であってもこの残酷な運命は免れない。家族と残りの人生をどう生きればいいのか?その選択に迫るの描写は大いに見応えがあった。
また、ジュリアンのレースにかける思いと行動力については、一つの生き方として”あり”だと思えた。彼は運命に抗うかのように夢を追い求める。おとなしく死を待っていても仕方がない。どうせ死ぬなら悔い無く死にたい‥という”攻め”の生き方は天晴れだった。
他に、チョイ役で登場するビリヤード場の店主も良い味を出していた。彼の最期はペーソスに溢れている。
尚、本作は時代設定を現代に変えてテレビ映画としてリメイクされている。「エンド・オブ・ザ・ワールド」(2000アメリカ豪)という作品で、完全版は3時間半に及ぶ大作だ。劇場用映画に比べると作りの規模が小さいのは否めないが、「渚にて」に比べると主人公達を取り巻く背景描写もしっかり描きこまれていて中々緊迫感のある作品に仕上がっている。また、後半に登場する救助信号のネタも、時代に合わせて上手くアレンジされていると思った。リメイク作の方はメルボルン出身のR・マルケイが監督を務めている。今ひとつパッとしない監督だが、何も駄作ばかりじゃないということが分かる1本なので、興味のある方はご覧いただきた。少なくとも、同じ終末モノでも同監督作の「バイオハザードⅢ」(2007米)に比べれば、世界観の作りなどはよく出来ている。
無理ありすぎな設定なので、ある程度割り切って見るべし。
「アレックス・ライダー」(2006英米)
ジャンルアクション・ジャンルサスペンス
(あらすじ) アレックスは見た目はどこにでもいる普通の中学生。しかし、育ての親である叔父からあらゆる格闘術、語学を教え込まれたスーパー少年である。その叔父が何者かに殺された。真相を探る中で叔父がMI6の諜報員だった事を知る。MI6にスカウトされたアレックスは、叔父を殺した宿敵セイルの陰謀に立ち向かっていくことになる。
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(レビュー) 少年スパイの活躍を描いたアクション作品。
破天荒な設定に隙間だらけのストーリー展開。正直、サスペンスとしての面白み、緊張感に欠ける内容である。クライマックスに行くに連れて展開はグダグダになっていくのも難。計算づくの隙だらけなバカ映画であれば、それはそれで割り切って楽しめたかもしれないが、そもそもの作りがライトコメディなトーンなのでそれもしずらい。例えば、スパイグッズがおもちゃ屋の裏で開発されている‥なんていう設定は面白いのだが、このノリがもっと欲しかった。対象年齢が下になるが、この手の作品ではR・ロドリゲス監督の「スパイ・キッズ」(2001米)の方が断然楽しめた。あるいは、故R・フェニックス主演の「リトル・ニキータ」(1988米)の方が、スパイだった両親の暗い過去に一定のリアリティがある分、まだサスペンスとしての楽しみ方が出来た。
本作はサスペンスドラマとしてのリアリティが薄っぺらい上に、かといってバカ映画に徹することも出来ず、結局中途半端な作品になってしまっている。
アレックスが美形少年ということでアイドル映画的な要素を持った作品なので、彼目当てで見れば楽しめると思うが、本格的なスパイ映画を望むと肩透かしを食らう作品である。
しかし、ことアクションシーンに関して言えば中々見応えがあり満足できた。何と言っても、アクション監督に香港映画界に”この人あり”と言われるD・イェンが携わっていることが大きい。前半のBMXを使ったチェイスシーン、その後に続く武術アクションは中々迫力がある。編集も上手い。
尚、本作は様々な伏線を残したまま終わっている。原作はシリーズ化もされているベストセラー小説で、あるいは映画の方もシリーズ化‥なんてこともあるのかもしれない。但し、今のところは次回作は未定である。
J・フォスターが綺麗に撮られている。ファンなら押さえておきたい1本。
「君がいた夏」(1988米)
ジャンル人間ドラマ・ジャンル青春ドラマ
(あらすじ) プロ野球を引退したビリーは今や自堕落な暮らしを送っていた。そんな彼の元に従姉ケイティーの自殺が知らされる。遺言で遺灰を託されたビリーは、彼女との思い出を振り返る------------少年ビリーにとってケイティーは美しく魅力的な年上の女性だった。海にドライブに出かけたり、一緒に悪戯をしたり、まるで本当の姉弟のように仲が良かった。ハイスクールに上がる頃、父の影響で野球を始めたビリーはプロからスカウトを受ける。しかし、喜びも束の間、父は急死する。そんな時、傍にいて優しく慰めてくれたのはケイティーだった。やがて、そんな二人にも別れの時がやって来て-----。
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(レビュー) 憧れの従姉の死をきっかけに自らの人生を見つめなおしていく中年男の再生ドラマ。
ビリーにとって一番大切な思い出。それが従姉ケイティーと過ごした少年時代である。物語はその回想を挟みながら、どうしてケイティーが死んだのか?彼女の死をビリーがいかに克服していくか?を描いていく。愛する人の”死”を通してこの世の”生”を実感する。残された自分の生き方を見つめなおしていく。いわゆる”喪の仕事”を描いたドラマと言えよう。
ラストが感動的である。ケイティーは死んだ今でもビリーを励ましてくれている‥そう信じてしまいたくなるような、そんな思いに駆られた。
ケイティー役はJ・フォスター。快活で優しい年上のお姉さんを好演している。彼女のファンなら見所の多い作品であろう。年相応の少女の微笑みを見せたかと思えば、その一方でビリーの母親のようにも存在し、実に幅の広い演技を見せている。そして、回想の中の彼女の美しさが、死という現実をより一層残酷なものに見せ切なくさせる。
サブエピソードとして登場する、ビリーと旧友の友情にもしみじみとさせられた。二人が誰もいないグラウンドで野球するシーンはジンワリとくる。
この映画で残念に思ったことはBGMの使い方である。過剰に盛り上げるようなBGMが頻繁に流され、ドラマの邪魔になって仕方がなかった。音楽として単体で聴く分には良いかもしれないが、ドラマと掛け合わせる場合は使い方をほどほどにしないと映画のメリハリを失ってしまう。映画は総合芸術である。どれか一つが抜きん出てしまうと全体のバランスが崩れてしまう場合がある。名目上は監督がトータル的なコンポジットをすべきであろうが、それが本作では欠けているような気がした。
後半が面白く見れる。ただ、どうしても「嫌われ松子の一生」と比較してしまいたくなる。
「自虐の詩」(2007日)
ジャンルロマンス・ジャンルコメディ
(あらすじ) 大阪下町。幸江は甲斐性無しの男イサオとボロアパートで暮らしていた。仕事もせずパチンコばかりをしているイサオのために、彼女はせっせと働いていた。ある日、彼女は勤め先の食堂の店主からプロポーズを受ける。しかし、イサオを心の底から愛しているのでそれを断った。どんなに辛い目にあっても、幸江にとっては今の暮らしが何物にも代えがたい幸せだったのである。そんなある日、彼女は医者から妊娠を告げられる。これを機にようやくイサオは仕事を始める気になるが‥。
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(レビュー) 不幸な青春を送った女性が本当の幸せを掴むまでをオフビートな笑いで綴ったコメディ。
主役が不幸キャラ、同じ中谷主演ということで、どうしても「嫌われ松子の一生」とダブって見えてしまうのは致し方が無い所か。ただ、松子が辿った厚みのある人生に比べると、本作の幸江はシンプルで起伏に乏しいと言わざるえない。随分と小じんまりとしていて、比較対照では「嫌われ~」よりも食い足りなかった。
そもそも、前半のしつこいくらいのギャグの連発が、このドラマの底の浅さを露呈してしまっている。例えば、イサオのちゃぶ台返しはCGを駆使しながら面白く撮られているが、これをルーティンされると退屈してしまう。もっと他に描く事があるだろう‥と勿体無く感じた。
また、幸江の父や食堂のマスターのエピソードは、いずれも本筋である幸江の半生にさして関係があるわけではない。ここが「嫌われ~」と違う所である。「嫌われ~」の松子の半生は周縁エピソードを上手く絡めながらドラマチックに盛り上げられていた。本作にはこうした脚本上の必然性や説得性が不足しているように思えた。
ただ、後半の幸江の中学時代のエピソードだけは面白く見れた。
何と言っても、もはや野生児としか言いようがないクラスメイト熊本の風貌が魅力的である。そして、彼女との友情がその後の幸江とイサオとの馴れ初めのお膳立てとなっており、これが構成上の妙味として上手く効いている。幸江のイサオに対する恋愛感情が、幸江と熊本の友情の残像のように見えて切なかった。
ちなみに、幸江達が住むアパートの階下には大家さんが住んでいて、これをカルセール麻紀が演じている。俺はこのキャスティングから「イサオ=熊本」説という、まるでP・アルモドヴァル監督もびっくりの大胆なオチを予想してしまったのだが‥(以下略)。
いずれにせよ、ラストで図らずも涙してしまったのは、熊本との友情に感銘を受けたからである。
ただ、ここでも少し勿体無く感じる事があった。幸江とイサオの主従関係が逆転するきっかけは具体的に何だったのだろうか?映画はそこをもっとドラマチックに描く必要がったように思う。二人の主従関係がある日突然逆転するということは無いはずで、幸江の心が折れる決定的な瞬間がどこかにあったはずにちがいない。本作をそこをクスリによる幻覚という理由づけで適当に描いてしまっている。これでは味気ない感じがした。イサオに頼らざるを得ない心理変化を正面から描くような演出がどこかにあれば、二人の主従関係の逆転にいっそうの説得力が生まれただろう。
映画自体はチープな作りだが、ミュータントの造形がインパクトあり。
「宇宙水爆戦」(1954米)
ジャンルSF・ジャンルアクション・ジャンル特撮
(あらすじ) アメリカ軍事基地で働くキャル博士は、戦闘機の飛行実験中に謎の光に遭遇した。UFOではないか?疑問を抱く彼の元に差出人不明のカタログが届く。そこには人類の想像をはるかに超える高度な技術が記されていた。博士はカタログを元に機械を組み立てた。出来上がった機械のモニターからエクセターという男がメッセージを送ってきた。博士はその言葉に促されて彼の研究所を訪れ驚くべき計画を知る。
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(レビュー) チープな作りが何とも奇妙な味わいをもたらすB級SF作品。
クライマックスに登場するミュータントのデザインのインパクトがとにかく凄い。脳がむき出しになった昆虫のような造形で、随分昔からこのミュータントのスチールだけは目にしていたのだが、このキモカワイイ(?)ビジュアルが記憶の中にこびり付いている。それを目的に今回見た。
ただ、正直映画の出来は今ひとつである。展開が冗長な上に突っ込みどころも満載で、クオリティが高いとは言い難い。キャルにしろエクセターにしろ行動に一貫性がないのが困りものである。何というか‥行き当たりばったりに話を作っているとしか言いようがない。
だが、50年代後半からこうした低予算のB級SF、ホラー映画はたくさん量産され一定の興隆を見せたのは事実である。いわゆるR・コーマン等が製作を務めたAIPがこういったB級映画を多産していた。本作をその前章のような位置づけとして見れば味わいも湧いてくる。
また、エクセターの故郷メタルーナ星の悲劇的末路は「宇宙戦艦ヤマト」のガミラス星の顛末の原型にも思えるし、クライマックスのミュータントとの対決シーンは「エイリアン」(1979米)のラストとも被る。後のSF作品と面白い共通点が見れるという意味でも一見の価値ありかもしれない。
ディックの原作を上手く膨らました快作。寺沢武一の「コブラ」の元ネタがこんなところに。
「トータル・リコール」(1990米)
ジャンルSF・ジャンルアクション
(あらすじ) 西暦2084年、人類の生活圏が火星にまで到達した時代。地球に住むダグは、毎晩火星の悪夢に悩まされていた。火星に行った事など無いのに何故‥?巷では夢の記憶を売るリコール社が流行っていた。興味を持った彼は、そこで火星の疑似体験旅行を買う。ところが、体験中にアクシデントが発生し、謎の組織から命を狙われることになる。命からがら帰宅すると、今度は愛する妻からも殺されかけた。彼女から驚くべき事実を聞き出したダグは、自分が大きな陰謀の渦中にいる事を知る。
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(レビュー) 自分の記憶を取り戻そうとする男の戦いを、ハードな映像で綴ったSFアクション作品。
今見るとこの世界観は地味な感じも受けるが、逆にそこが味わい深かったりする。CGではなくフルセットで作られた火星の町並みが素晴らしい。ある種西部劇テイストも臭うのだが、こういう”すすけた”感じは中々味があって良いと思う。
監督はP・ヴァーホーヴェン。元々棘のあるビジュアル演出をする監督だが、本作もバイオレンスシーンはかなりエグい感じで撮られている。中でも、地下鉄の追跡シーンに登場する”人壁”の扱いといったら酷いもので、この辺りのブラック・ユーモアは好き嫌いが分かれそうだ。しかし、これこそがヴァーホーヴェンの持ち味。彼の資質を知る者としてはニヤリとさせられた。
また、特殊メイクを担当したR・ボッディンも良い仕事振りを見せている。顔面破裂はトラウマになりかねない恐ろしさで、ほとんどホラー映画的な演出だが、元々この人はホラー畑から出てきた職人である。火星に乗り込んだダグが変装を解くシーンも素晴らしいSFXで、これはSF映画史に残る名シーンだと思う。
原作はP・K・ディックの短編小説である。短い原作を2時間のボリュームに膨らませて映画化している。自分は一体何者なのか?という実存主義的なテーマはいかにもディックらしく、このテーマを上手く映画独自の物語に組み込んでいると思った。
特に、中盤で火星の世界が現実なのか虚構なのか?ダグに謎かけするようなシーンが出てくるのだが、これは秀逸だと思った。この謎かけが最後まで付きまとい、結果として映画のラストを巡って二通りの解釈が出来るようになる。果たしてこれまでの冒険は現実だったのか?夢だったのか?後を引くエンディングがとても面白い。
後半からドラマはスケールアップしていき、火星の命運を巡る話になっていく。ここで登場するマッガフィンも上手くサスペンスを引っ張っていると思った。
ただ、アクション主体で押しまくったせいで、かなり乱暴な展開になっていることは否めない。力で押し切るだけの大味な展開になってしまい、このあたりは主演=シュワちゃんだから‥ということで割り切るしかなかろう。
デヴリンが原作ファンから愛される理由がよく分かる。
「鷲は舞いおりた」(1976英米)
ジャンル戦争・ジャンルアクション
(あらすじ) 第2次世界大戦の最中、ドイツ軍ラードル大佐の元にイギリスのチャーチル首相誘拐の極秘指令が下される。チャーチルが毎年夏に訪れる保養地を絶好の舞台と見たラードルは、作戦の実行部隊を猛勇果敢なことで知られるシュタイナー大佐に一任した。ところが、彼はナチス親衛隊に反抗したかどで軍務を剥奪されていた。ラードルは急遽シュタイナーを訪れて作戦を伝える。元IRAの工作員デヴリンも仲間に加わり”イーグル作戦”は決行される。
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(レビュー) 第2次世界大戦下、ドイツ軍のチャーチル首相暗殺作戦を描いた戦争アクション作品。ジャック・ヒギンズのベストセラーの映画化である。
ドイツ軍の視点で描いたアメリカ映画というところが珍しい。最近ではT・クルーズ主演の「ワルキューレ」(2008米独)という作品もあったが(未見)、普通はナチス=悪と描くものである。それが本作はドイツ軍側を主人公にしている。
とはいっても、主人公であるシュタイナーは反ナチという設定なので、決して本作がファシズムを擁護する作品になっているわけではない。彼は冒頭でユダヤ人差別を嫌う人道主義者として登場し、部下から多くの人望を集めている。そして、戦場こそが我が生きる場所、という気骨溢れる猛者として描かれている。シュタイナーは決して悪人というわけではなく、誰もが感情移入できるような主人公としてきちんと作り上げられている。
ただ、実を言うと、俺が本作で一番印象に残ったキャラクターは彼ではなく、いち早く現地に潜入して作戦のお膳立てをした工作員デヴリンの方だった。
彼はアイルランド人の大学講師で、かつてIRAで諜報活動を行っていた人物である。潜入活動はお手の物で、そこを盟友ラードル大佐に見初められてイーグル作戦に参加することになった。演じるのはD・サザーランド。特徴のある風貌もさることながら、ちょっと癖のある皮肉屋気質、自らを”最後の冒険家”と称するお茶目なユーモアセンス等、実に面白いキャラクターになっている。彼はこのスリリングな作戦をどこか楽しんでいる風にも見えるのだが、それは彼の楽天的思考の表れであり、そこが見る側からすればスマートに写ったりもする。真面目なシュタイナーとのキャラクター・コントラストも面白い。
尚、デヴリンはヒギンズの小説では、作品を超えて登場する名物男で原作ファンからは人気が高いそうである。本作を見るとそれも何となく分かる気がする。
一方、本作で残念だったのは、戦争映画でありながらアクションシーンが余りにもお粗末だったことである。監督はJ・スタージェス。かつては切れのあるアクション作品をたくさん輩出した名監督だが、引退作となる今回はさすがに齢を感じずにいられない。往年のアクション演出の切れが見られず残念だった。
そもそも敵であるアメリカ軍が余りにも愚鈍で、高揚感や緊迫感に欠ける。せめて指揮官にそれなりの”器”があればまだ見応えがあっただろうが、シュタイナーと比べると能力の差は歴然。これではドイツ軍の強さを引き立てるためだけに存在しているようなものである。
ただし、ラストにどんでん返しが用意されており、終盤は中々スリリングに作られている。全体を引き締める意味でも、そこは救いであった。