「リミッツ・オブ・コントロール」(2009米)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) 寡黙で孤独な殺し屋が任務を遂行するためにスペインに降り立った。ターゲットは不明。依頼主から”自分を偉大だと思う人物を墓場へ送れ”と命令されただけだった。指定されたカフェへ向かうと、バイオリンを持った男が現れて次の指令が伝えられた。殺し屋は次々と現れる奇妙な人々によって徐々にターゲットへと導かれていく。
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(レビュー) スタイリッシュな殺し屋がめくるめく幻想世界へ迷い込んでいく、一風変わったクライム・サスペンス作品。
主人公の殺し屋を含め登場人物にいずれも名前はなく、容姿や彼等が持つアイテムによってのみキャラクターが特徴付けられている。例えば、バイオリンを持った男、全身白尽くめの映画女優、透明のレインコートを着た女、分子論を講じる日本人女性‥といった具合にだ。物語は、この記号化された設定の中で、殺し屋と指令役のコンタクトが淡々と繰り返されていくだけである。果たして、これはドラマと言えるのか?観念的過ぎて意味不明、ドラマチックさに欠けると言わざるを得ない。
ただ、これは”ドラマ”を追い求めてしまうことから来る不満であって、実は本作はある一つの明確なテーマに基づいて作られた大いなる野心作なのではないか‥という気もする。ある意味では、J・L・ゴダールの映画ような実に作家性に富んだ作品と言えよう。
監督・脚本はJ・ジャームッシュ。独特のオフビートなスタイルで人間の悲哀を描く作家であるが、今回はドラマを最初から捨てている。その変わりに、必要最小限の映像とセリフによってミステリアス且つコンパクトにテーマを追及しているように感じた。
映像、セリフの端々から、映画、音楽、絵画、科学、ファッションといった話題が取りとめもなく流露される。これらは全てクライマックスで一つのキーワードに集約されると思う。それはずばり”イマジネーション”だ。
頭の中で想像の羽を自由に羽ばたかせることは素晴らしい。それが無ければこれらの文化・芸術は生まれてこない。逆に言うと、人間から想像する力を奪ってしまえば、何と貧相で味気ない人生になるだろう。殺し屋が”イマジネーション”を示唆する特異なキャラクター性を持った数々の指令役とコンタクトを取ること。そして、彼等の協力を得て任務を達成するクライマックスは、正に”イマジネーション”の勝利を意味しているのではないかと思う。
無論、この〝イマジネーション”の素晴らしさを啓蒙するかのごとく作られた本作は、映画作家ジャームッシュ自身の使命から出たものと思う。
そして、そんな風にさえ思える言葉がエンドクレジットの後に出てくる。
「NO LIMIT NO CONTROL」
正に”イマジネーション”の無限性を示した言葉に思えてくる。
P・ジェルミらしさが出た下町人情サスペンス。
「刑事」(1959伊)
ジャンルサスペンス・ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) ローマの古いアパートで強盗事件が発生した。ベテラン警視イングラバロが捜査を開始する。隣室には事業家バンドウィッチが住んでいたが、事件当時は旅行中で留守だった。居合わせていた妻リリアーナと女中アッスンティナに聞き込みした結果、イングラバロはアッスンティナの婚約者ディオメデを犯人と睨み逮捕する。しかし、彼にはアリバイがありすぐに釈放された。それから1週間後、今度はリリアーナが何者かに刺殺される。第一発見者は彼女の従兄弟バルダレーナだった。開業医をしている彼はリリアーナから援助を受けていた。二人の間にトラブルがあったのではないかと睨むイングラバロ。そこに彼女の遺言状が発見されたという知らせが入り‥。
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(レビュー) 一つのアパートで起こった強盗事件と殺人事件を捜査する警視の物語。ニヒルで人情味溢れるイングラバロ警視のキャラクターが実に魅力的だ。監督・脚本も務めるP・ジェルミが好演している。
ジェルミと言えば名作「鉄道員」(1956伊)が思い出される。市井の生活を丁寧に筆致した手腕は見事だった。そして、その特性は本作にも見られる。事件そのものよりも、その周縁に居合わせる庶民の生活を捉えた描写が実に魅力的である。逆に、事件の捜査に関しては、もう少しサスペンスを利かせて欲しかった気がする。二つの事件の関係性を重視した作劇を望みたかった。事件の顛末もウェット感を強調しすぎていただけない。ジェルミならではと言えば確かにそうなのだが、BGMの「アモーレ、アモーレ」はコッテリしすぎる。ここはむしろクールに締め括ってくれた方が良かった。
さて、本作の魅力は何と言っても先述の通り、生活臭漂う市井の情景である。様々な個性的な人物が登場して繰り広げられるのだが、これが良い。胡散臭い強盗事件の被害者、子供を持てない孤独な人妻、貧しい小間使い、路上の盗人、アメリカ人の情夫、下町に住むブローカー、神父、娼婦、酒場の人々etc.実に多彩でありその一人一人に興味深いバックストーリーが存在する。下町群像劇といった感じで面白く見れた。
また、イングラバロの二人の助手も面白いキャラクターになっている。一人はいつもポケットに食べ物を入れている小太りな刑事。もう一人は聞き込みでナンパする女に弱い刑事。キャラクター・タッチングを細かく刻みなながら人物像を作り上げていく手際の良さには感心させられた。イングラバロがクールに徹するキャラクターなので、部下達のユーモラスさは映画に緩急をつけるという意味でも大変効果的である。
尚、イングラバロはたびたび恋人に電話をするのだが、ここはW・ヒル監督の「48時間」(1982米)の元ネタに思えた。「48時間」のN・ノルティ扮する刑事が妻に電話をするシーンとよく似ている。いつも肝心なところで邪魔が入る‥という所も一緒で、彼の人間味がよく出たシーンである。
クローネンバーグが悪役を演じているところが見所。
「ミディアン」(1990米)
ジャンルホラー・ジャンルファンタジー
(あらすじ) ブーンは魔物に追われる悪夢を毎晩のように見ていた。そのことを精神科医デッカーに相談する。ところが、実は彼は連続殺人鬼で、ブーンはデッカーの罠によってその罪を着せられてしまう。そして、無残にも逃走中に射殺されてしまった。その後、死んだはずのブーンは不思議な魔力によって蘇る。それは彼が見た悪夢と関係していた。
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(レビュー) ミディアン(死都)に住む魔物達と人間達の戦いを描いたアクションスリラー。
魔物対人類という壮大なスケールを持ちながら、予算が少ないせいで、どこかの片田舎というミニマムな状況で物語は展開され、こじんまりとした内容になっている。いかにもB級映画的なつくりだ。肝心のドラマも突っ込みどころが満載で決して褒められた出来ではない。軽快なテンポで進む前半はまだ見れるが、ブーンが蘇って以降の展開がタルい。
ドラマはともかくして、クリーチャーの造形や彼等が住処とする死都のビジュアル・クリエイションは中々見応えがあった。低予算ながらも、クライマックスにはちゃんとドンパチも用意されておりそこそこ楽しめる。
監督は「ヘル・レイザー」(1987米)等で知られるホラー作家C・バーカー。「ヘル・レイザー」の顔中棘々の怪物は未だに強烈に印象に残っているが、本作に登場する魔物達もそれと同等の、あるいは更に奇抜な容姿をしている。基本的はに半獣人なデザインで、怖いと言うよりもどちらかというとダーク・ファンタジーの住人といった造形で面白い。生理的に受け付けないものから、ちょっとユーモラスなものまで、様々な魔物達が登場してくるのが見所か。
尚、デッカー役を鬼才D・クローネンバーグが演じている。布袋を被った猟奇殺人鬼という役どころをラジカルに演じていて、これが実に似合っていた。
実に楽観的なミュージカル。実力派が揃っている点は評価できるが‥。
「努力しないで出世する方法」(1967米)
ジャンル音楽・ジャンルコメディ
(あらすじ) ビルの窓拭きの仕事をしているフィンチは、「努力しなでい出世する方法」という本を読んで大企業に就職し、入社二日目にして大出世を成し遂げる。美人秘書ローズマリーと恋仲になり悠々自適なオフィスライフを満喫するフィンチ。それに嫉妬した社長の甥バドは、彼を陥れる計画を開始する。
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(レビュー) 世渡り上手な男が出世していく様を軽快な音楽とダンスで綴ったミュージカル・コメディ。
徹底してお気楽に出来ている所に引っ掛かる。いくら夢のあるミュージカルとはいえ、もう少し陰影のトーンを忍ばせてくれないとさすがに入り込めない。ミュージカル・シーンはともかくとして、ドラマをもう少し何とかして欲しかった。役員達も社員達も仕事をしている様子はほとんど出てこず、これで大企業を経営できているとは、どれだけ夢物語しているのだ?と言いたくなった。
そもそもミュージカル映画の始まりは1920年代にまで遡る。暗い不況から逃避するように当時の人々は夢のあるミュージカル映画を求めた。本作は正にその当時を想起させるような徹底的なオプティミズムなトーンによって支配されている。本作が制作された1967年という時代を考えると、ベトナム戦争の真っ只中、いわゆるアメリカ神話が崩壊した頃である。そこにもう一度夢物語を‥というプリミティブな舵取りは、欺瞞にしか写らないのではないだろうか。
また、60年代といえば、「ウエスト・サイド物語」(1961米)や「サウンド・オブ・ミュージック」(1965米)といった作品が登場して、ミュージカル映画が一つの頂点に達した時代でもある。これらは既存の華やか一辺倒だったものからの脱皮を目指して作られた作品である。その潮流を併せ考えてみても、この作品はどうにも時代錯誤に写ってしまう。
尚、本作は元々はブロードウェイのミュージカルで、メインキャストにオリジナル俳優を起用している。それが奏功しミュージカルシーンは上手く作られている。特に、フィンチ役の俳優の歌唱力は抜群に上手かった。映画はほぼ全編オフィスを舞台にしていて、これもミュージカル映画としては珍しい。パステルカラーに彩られた映像と共に歌とダンスについては楽しく見れた。
良く言えばオリジナリティに溢れているが、逆に言えば人を選ぶ作品である。
「パビリオン山椒魚」(2006日)
ジャンルコメディ・ジャンルロマンス・ジャンルサスペンス
(あらすじ) 天才レントゲン師を自称する飛鳥の元に、香川という男からある仕事が依頼される。それは19世紀のパリ万博で展覧された伝説の山椒魚キンジローのレントゲン写真を撮るというもの。現在、キンジローは二宮家が運営するキンジロー財団に保管されている。本物なら骨折しているはずだと言う。香川はキンジロー財団とは深い因縁関係にあり、偽物であること暴露しようとしていたのだ。依頼を請けた飛島は早速財団に潜入しキンジローを誘拐する。そこに二宮家の四女あづきが現れる。飛鳥は彼女とキンジローを連れて逃げ回る羽目になる。
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(レビュー) 伝説の山椒魚を通じて出会った男女のロマンスを、スラップスティックな笑いで綴った異色コメディ。
ストーリーは推理サスペンス的なタッチで始まるが、飛鳥がキンジローを捕獲して以降は、通り一辺倒なサスペンスに収まらない。飛鳥はキンジローを連れたあづきとレントゲンバスに乗って財団と香川から追われることになる。その逃避行の中で、あづきの幻の母を追い求めるドラマが混入され、ここからシュールな世界へと誘われていく。
目的はサスペンスなのか?ロマンスなのか?コメディなのか?何とも掴み所のないストーリーで、作り手側の日和見な態度がやや鼻についた。むろん狙いでやっていることは分かるのだが、それがかえって映画に向かわせる興味を削いでいるような気がした。これがA・コックス監督の怪作「レポマン」(1984米)のような、ジャンルのごった煮としての面白さ、エンタテインメントとしての突き抜けるような快楽があるならまだ救いはあるのだが‥。どうにも本作にはそこまでのサービス精神も感じられない。
また、登場人物が皆クセ者揃いなので、ドラマに対する取っ掛かりも見出しにくい。一つ一つのギャグも今ひとつこちら側にフィットしてこないのも残念だった。同じ系統で連想されるのが三木聡監督の一連のシュールな作品なのだが、そちらのキャラクター、ギャグは感性にツボるのだが、本作はわずかに外れてしまう。これだけ”特殊な”笑いとなると、感性のツボが狭まるのも当然だ。大衆的な笑いとはまた違うので本当に難しい。
そんな中、キャストで頑張っているのは飛鳥を演じるオダギリジョーだった。初めはそこそこ奇妙な出で立ちで登場してくるのだが、かようにストーリーが奔放に暴走していくので、それに合わせるようにどんどん”ヘン”な人になっていく。イタリアのパルチザンか?はたまたチベットの狩猟民族か?このあたりの造形はオダギリジョーの創意だろうか?あるいは、監督のアイディアだろうか?いずれにせよ、オダギリジョーという破天荒が才能が存分に味わえる1本である。
ニュー・ボンドに拍手!
「007/カジノ・ロワイヤル」(2006米)
ジャンルアクション・ジャンルサスペンス・ジャンルロマンス
(あらすじ) イギリス諜報部員ジェームズ・ボンドは、ダブル・オーの称号に昇格するために暗殺を遂行する。これによって彼は”007”の称号を得た。次に下された指令は、爆弾テロの阻止とその資金源を突き止めるというものだった。早速マダガスカルへ渡った彼は、爆破犯を追い詰め黒幕に繋がる手がかりを得た。それを元に今度はバハマへ飛ぶ。そこでボンドは第二のテロ計画の阻止に奔走することになる。
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(レビュー) 「007」シリーズ第21作。6代目ボンドはD・クレイグ。ハードでタフネスなボンド像を作り上げ、旧作のイメージを一新している。これまでのスマートなボンドを見慣れていた分、今回のクレイグ版ボンドは新鮮に見れた。
アクションは終始ハード路線を貫く。冒頭の追跡劇からしてとにかく走りまくる。空港のアクションシーンもスリリングで面白かった。リアリズムには欠けるが、ここ最近の破天荒なアイテムを登場させてのアクションに比べれば十分手に汗握るシーンになっている。
また、これまでのシリーズと一線を画すと言えば、ロマンスに重きを置いたドラマ性だろう。後半のカジノ・ロワイヤルで行われるポーカー対決に、ボンドのパートナーとして女性諜報員ヴェスパーが派遣される。彼女と交わす熱愛が中々魅せる。会話にほど良い洒脱さが加わり、大人の色香、恋の駆け引きの醍醐味が存分に感じられた。例えば、ポーカー対決に臨まんと互いの正装を見立てる所などはクスリとさせられた。ボンドの求めをかわすヴェスパーのしたたかな振る舞い。男女のセンスの違いを見せながら、二人のすれ違いを上手く表現していると思う。
しかし、この映画。ポーカー対決までは盛り上がったのだが、その後が少し退屈してしまう。捕り物が一件落着することで、ドラマの求心力は失われる。後は、ボンドとヴェスパーのロマンスをどうまとめるか‥ということになるのだが、ここが冗長である。ボンドの拷問シーンは斬新であり、色んな意味で面白いのだが、もう少し上手くまとめて欲しかった。
おそらくヴェスパーの心理に迫ることで、悲恋の意味合いをもっと強く打ち出す必要があったのではないだろうか?ボンドから見たヴェスパーの心理でも良い。ここをピンポントに描ければ、もっとカタルシスが出たように思う。
脚本に3名のシナリーライターがクレジットされているが、素晴らしく良く出来ている部分と余り感心できない部分と、全体的にちぐはぐな印象を受けた。複数のライターが共同で執筆することはハリウッドではシステム化された手法だが、正直このやり方には良い面と悪い面があるように思う。相乗効果的に止揚される場合もあれば、逆に散漫でインパクトを失う場合もある。今回は残念ながら余り上手く行ってないような気がした。
手堅い作りで泣かされる。
「河童のクゥと夏休み」(2007日)
ジャンルアニメ・ジャンルファンタジー・ジャンル青春ドラマ
(あらすじ) 小学生の康一は、学校の帰り道に奇妙な石を見つける。水で洗うとその石から謎の生き物が出てきた。それは何百年もの間、地中に埋まっていた河童の子供だった。康一はそれにクゥと名付け家族と共に可愛がる。夏休みのある日、康一とクゥは遠野にある河童伝説を求めて旅に出る。
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(レビュー) 小学生と河童の一夏の友情を、笑いと感動で綴ったアニメーション作品。
監督脚本は「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」(2001日)の原恵一。子供のみならず大人までも虜にしたこの作品で一躍注目を集めた気鋭のアニメーション作家である。「クレしん」同様、今回もツボを心得た作りに泣かされた。
原監督の持ち味は、何と言っても感傷に訴える演出が上手い所だと思う。
例えば、犬と前主人のエピソード。これを犬の回想で表現する辺りが実に上手い。はっきり言うとあざといのだが、そうだとしても涙腺が自然と緩んでしまう。
また、康一と同級生菊池の別れのシーン。ここでの菊池の不意をつく告白と、それに対する康一の素直になれない態度にも切なくさせられた。キャラクターの造形に関して言えばそれほど魅力的ではなく、むしろ昨今の潮流からすれば地味な方なのだが、一つ一つの細やかな演出が思春期相応のものとして実に適確に作られているので感情移入も素直に出来てしまう。
そして、何と言ってもクライマックスシーン。これもまた”あざとい”のだが、康一の寂寥感を淡々と綴ったシークエンスにはこみ上げてくるものがあった。
このように実に手堅く作られており、安心して見ることが出来る作品だと思う。
ただ、原監督の演出手腕は高く評価できるのだが、ドラマ自体は手堅すぎてかえって安易な印象を持ってしまうのも事実だ。
そもそも日常生活に異物が混入するこの手のドラマは映画・マンガの世界では多々存在する。人間と異物に育まれる友情ドラマも判で押したように定石の展開を見せる。例えば、スピルバーグ監督の「E.T.」(1982米)などは正にこれである。また、文明批判をしのばせた社会騒動は「キングコング」の後半と同じだ。更に言えば、康一の家族構成にいたっては「クレしん」の焼き直しと言えなくもない。何かしらサプライズな展開でも待ち受けていれば、新鮮な驚きで見ることも出来たのだが、そこが無かったのは少し物足りなかった。
痛快なバカ映画!
「プラネット・テラー in グラインドハウス」(2007米)
ジャンルアクション・ジャンルホラー
(あらすじ) テキサスの田舎町。軍事施設から流出した生物化学兵器で、人間が次々とゾンビ化していった。ゴーゴーダンサーのチェリーはゾンビに襲われ、そこを元恋人レイに助けられる。右足を失った彼女を治療するために、二人は病院へ向かう。ところが、そこもゾンビに襲撃される。チェリーは生き残った人々とゾンビに戦いを挑んでいく。
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(レビュー) B級映画のオマージュとして作られた「グラインドハウス」。1本はタランティーノが監督した
「デス・プルーフ」で、もう1本がR・ロドリゲスが監督した本作である。ゾンビ映画のパロディとして見る事が出来、その手の作品が好きな人ならクスリとするような場面が多々登場してくる。タランティーノの知性が少しだけ鼻についた「デス・プルーフ」に比べると、本作には寸分の知性の欠片も見当たらない。ひたすらアクションとブラック・ユーモアで押し切るマッスル系な快作で、個人的にはこちらの方が楽しく見れた。
映像の作りは「デス・プルーフ」の前半同様、古めかしい映画のようにコラージュされている。そればかりか、途中で「フィルムが紛失しました」という字幕が入り、いきなりシーンが次の展開に飛んでしまう!娯楽の三大要素であるエロ、ギャグ、アクションのためには話の破綻はお構いなし‥といういい加減さがなんともはや‥。
出演陣はB級スターで固められているが、中でもM・ビーンの老け方には少なからずショックを受けた。また、ロメロのゾンビ映画ではお馴染みの特殊メイクアップアーティスト、T・サヴィーニも出演している。八面六臂の活躍を見せ良い味を出している。彼は出演する作品で必ずゾンビに無残な殺され方をしてファンを楽しませてくれるのだが、今回もその”お約束”は健在。
尚、映画の冒頭に架空のアクション映画の予告編がついている。どうやら冗談ではなくて本気で製作するつもりらしい。R・ロドリゲス監督の稚気に富んだ”おふざけ”はもはや天性のものとしか言いようが無い。今思うとそれがモロに出たのが「スパイキッズ」(2001米)だったのかもしれない。こちらもほとんど冗談のような設定だった‥。
色々と穴はあるけれども、それを補って余りある快作!
「レッド・サン」(1971仏伊スペイン)
ジャンルアクション
(あらすじ) 盗賊リンクとゴーシュ一味は、日米大使が乗っていた列車を襲撃する。日米修好の証としてアメリカ大統領に献上する宝刀を奪って一味は逃走した。しかしその最中、リンクはゴーシュに裏切られて置き去りを食らってしまう。復讐心を燃え上がらせるリンク。大使に随行していた武士黒田は、そんな彼を道案内人にして宝刀を取り戻すためにゴーシュ追跡の旅に出る。
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(レビュー) ガンマンと武士の友情を描いた異色西部劇。三船敏郎、C・ブロンソン、A・ドロンの三大スターが競演し、男臭いドラマに仕上がっている。
何と言っても、黒田を演じた三船敏郎の存在感が抜群で、荒野を颯爽と歩む袴姿の武士‥という絵面が強烈なインパクトを残す。厳格で美徳を重んじるキャラクターも三船のカラーにピッタリで、日本の武士とはこうあるものだ‥というのが、彼の姿からひしひしと伝わってきた。しかも、まだこの頃はサムライという単語は世界規模のマーケットにそれほど浸透していなかったと思う。それを世界の人々に印象付けたのは本作ではないだろうか。海外の人達にとって、三船敏郎の姿はさぞ新鮮で刺激的なものに写ったに違いない。
三船にやや水あける格好になるが、リンク役のC・ブロンソン、ゴーシュ役のA・ドロンも夫々に好演していると思った。
物語は、黒田とリンクがゴーシュを追いかける‥というロード・ムービ形式で進行する。その間A・ドロンのドラマが完全に放置されてしまうのは、三大スター競演という煽り文句からすればやや物足りない感じを受ける。しかし、だからと言ってこのロード・ムービーが退屈すると言うわけではなく、三船&ブロンソンのやり取りはユーモアたっぷりで面白く見れた。西洋と和洋のカルチャーギャップの可笑しさ、キャラクターギャップの相違が上手く効いている。ここでのブロンソンは三枚目的なキャラクターである。眉間にしわを寄せ厳つい表情を崩さない三船とのコントラストが余計に際立ち、二人のチグハグな関係が上手く笑いに繋がっている。
また、中盤で女ッ気が加わるが、これもあくまでサービスの一環に留められており好感が持てた。若干、追跡劇のサスペンスを水っぽくしている気もするが、やはり西部劇に娼館というのは”お約束”で外せないだろう。箸休め的な意味からも。丁度良い按配といった感じである。それに、ここでも生真面目な三船のリアクションが中々楽しませてくれる。
クライマックスは哀愁漂う形で男の友情と裏切りが描かれている。大いに痺れさせてもらった。ドラマ上、コマンチ族を絡める必要性は特に無かった気もするが、ドンパチに迫力をもたらすという意味では奏功しているように思う。
ラストのオチも洒落ていて良い。
時代性を考えると本作は画期的な作品だと思う。現代ではこうした和洋のコントラストで見せる時代劇は中々作られないだろう。このことを鑑みれば、本作の価値は改めて出てくるような気がする。
60年代の風俗が良く出た映画。
「アリスのレストラン」(1969米)
ジャンル青春映画・ジャンル音楽
(あらすじ) モンタナ州の田舎町。アーロ・ガスリーは学校を退学して、プロのフォークシンガーになるため旅に出た。病気で入院している父を訪ねた後、幼馴染アリスと夫レイが共同生活しているコミュニティに向かった。そこでの気ままな暮らしはアーロの性に合っていた。暫く腰を据えることにする。ある日、アリスが小さなレストランを開くことになり、皆でその準備に取り掛かった。そこに服役中だったレイの友人ジェリーが帰って来る。レイはジェリーと一緒に昔の自堕落な日々に戻ってしまう。そのせいでアリスは一人で苦労することになり‥。
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(レビュー) ヒッピー青年の成長を描いた青春ドラマ。
主演はミュージシャンであるアーロ・ガスリー本人。彼の演技は良く言えば自然体ということになろうが、悪く言えば素人演技である。朴訥とした風情に味わいがあるが、純粋に演技の評価をすると少々辛いものがある。この辺りは本業ではないので仕方が無いと言う気がした。
物語は彼の視座で周辺の人物関係を描くというもので、とりたてて大きな事件が起こるわけではなく、どちらかというとドキュメンタリータッチに近いスタイルで日常風景がスケッチされていく。当時の世相をありのままに切り取っているのがこの映画の大きな特徴で、そこには60年代の若者達の姿が赤裸々に投射されている。
様々な人物が登場する中、最も印象に残ったのは途中から登場する麻薬常習者ジェリーだった。彼はレイの悪友でアリスに密かな恋心を抱いている。気性の荒いレイと違って穏やかな性格をしている彼は、いつもアリスを遠くから眺めることしか出来ない。その薄幸さについ魅了されてしまった。
監督はA・ペン。アメリカン・ニューシネマの旗手である彼が「俺たちに明日はない」(1967米)の次に撮ったのが本作である。活劇度が強かった前作の反動なのか、ここでは割とシットリとした演出が取られている。余りにも淡々としているせいで全体的に焦点のぼやけた映画になっているが、ボニー&クライドが天国を放浪している‥そんな含みが感じられれば、また不思議な魅力が出てくるというものだ。
それに、一つ一つのエピソードを拾い上げてみると中々面白いものも見つかる。
例えば、アーロがバーで出会った少女と肉体関係に及ぼうとするシーン。数々の有名ミュージシャンと寝てきたと嘯く少女に、アーロは撒いていたスカーフを渡して去っていく。彼の無骨な優しさが感じられる良いシーンだ。
また、当時はベトナム戦争真っ只中で、アーロ達は徴兵される。この時の兵役検査のエピソードはナンセンス・コメディ的な可笑しさがあって良かった。同様にゴミを捨てるエピソードも面白かった。
尚、アーロの父ウディ・ガスリーもミュージシャンである。彼の半生を綴った映画「ウディ・ガスリー/わが心のふるさと」(1976米)は、先頃不幸な死を遂げたD・キャラダイン主演の作品である。D・キャラダインを偲ぶ意味でも、こちらもいずれ見てみたい。