毒々しい雰囲気がたまらない快作。
「東海道四谷怪談」(1959日)
ジャンルホラー
(あらすじ) 浪人伊右衛門はお岩に片想いしていた。結婚を許してもらおうと父親に直談判しに行く。ところが、取り付くしまもなく断られてしまう。伊右衛門は逆上して父親を切り殺し、そこを偶然、悪友直助に目撃されてしまう。直助はお岩の妹お袖に密かな想いを寄せていたこともあり、共謀して姉妹を我が物にしようと提案する。その言葉に乗った伊右衛門は、父の敵討ちをでっち上げて姉妹に近づき、邪魔だったお岩の恋人までも手にかける。こうして伊右衛門は晴れてお岩と夫婦になるのだが‥。
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(レビュー) 有名な鶴屋南北の怪談を映像化した作品。何度も映画や舞台になっており、知っている人も多いと思うが、本作はあの鬼才中川信夫が監督したということで、おどろおどろしいムードが充満した作品になっている。刺激的な色彩の使用、編集の巧みさはエキセントリックで見るべき点が多い。
昔の作品ながら、お岩さんの特殊メイクも強烈な恐ろしさだ。キッチュなエロティズムはお岩さんのひとつの魅力だと思うが、それがよく出ている。例えば、くしで髪をとかすシーンなどは、薄暗い照明の中にうっすらと浮かび上がる”ただれた”額がなんとも醜怪且つ淫靡である。美醜の変容を印象付けるこの場面は実に見応えがあった。
また、前半におけるカメラワークも作品に重厚な緊張感を漂わせ、この手のB級映画の中にあっては、余り”軽さ”が感じられなかった。これは邦画特有の、もっと言えば日本古来の家屋風景の奥行きと整然さがそうさるのであって、現代劇では中々出せないムードだろう。
1時間15分程度の中編並みの短さなので、ドラマはかなり形骸的な感じを受ける。後半の見せ場を最大限に活かす為に削ぎ落とされたドラマと言って良いだろう。少し安易な話運びであるが、それでも基本となる設定や登場人物達の葛藤は必要最小限に表現されている。実に恐ろしきは人間なり‥というテーマも明確に汲み取れた。
但し、何から何まで大仰な演出になってしまっている所は、さすがに好みの分かれるところかもしれない。演技にしろコントラストを効かせた照明効果にしろ、成功している場面もあるが、シーンによってはオーバーすぎてかえって笑えてしまったりもする。また、花火の効果音はどうにかならなかったものか‥。風情に欠ける。
音楽はロボットアニメ等で知られる渡辺宙明。どうしても軽快な音楽という印象を持ってしまうが、昔は時代劇や犯罪劇等、幅広いフィールドで活躍していた。本作では終始薄暗いトーンでお岩の怨念を見事に盛り立てている。
「カイジ」か?
「13/ザメッティ」(2005仏グルジア)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) 修理業をしている移民少年セバスチャンは、家族と貧しい暮らしを送っている。ある日、仕事先の主人がドラッグの過剰摂取で急死する。生前彼は近々一獲千金の仕事が舞い込んで来ると言っていた。それを耳にしていたセバスチャンは、彼宛に届いた手紙を盗み見する。そして、そこに書かれていた仕事場へ彼に成りすまして向かった。そこでセバスチャンを待ち受けていたのは恐るべき事実だった。彼は生死をかけたサバイバル・ゲームの参加者になっていく。
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(レビュー) 貧しい移民青年がひょんなことから地下ゲームの餌食になっていく様を、緊張感溢れるモノクロ・タッチで描いたサスペンス作品。
ゲームのルールはとても残酷なものである。番号のついた服を着た13人のプレイヤーが1発の弾丸が入った銃を持って円を作る。そして、前の人間の頭に銃を突きつけ、全員がいっせいに引き金を引くのだ。何番が死ぬのか?それが観覧する金持ち達の賭けの対象となる。集団ロシアン・ルーレットというこの奇抜なアイディアは醜悪な人間の本性を醜し、果ては極限まで追い詰められた人間の異常な心理を照射する。実に嫌なゲームである。
セバスチャンは、何も知らずにこのゲームのプレイヤーに強制参加させられる。残された道は二つに一つ。このまま死ぬか、生きて大金を手にするか?マンガの「カイジ」を髣髴とさせる設定だ。セバスチャンの恐怖と絶望感がシャープなモノクロ・タッチでスリリングに捉えられいる。地下ゲームならではの独特のアングラ感、ドライな空気感もよく伝わってきた。
ただし、ゲームシーンが映画の大半を占めるため、セバスチャンの人間的なドラマはかなり削ぎ落とされたものとなっている。そのせいで、彼が体験する恐怖にこの映画がどこまで迫りきれているか?そこは見る人によっては物足りなく写るかもしれない。設定の面白さ、ゲームのサスペンス性で飽きなく見ることが出来るが、いざここで死んだらどうなるだろう?残された家族はどうなるのだろう?そういった彼の内的な葛藤は掘り下げきれていない。彼がゲームに参加するまでの過程、つまりバックグラウンドを浅薄にしか描かなかった前半部のツケけ”がここで回ってくる。セバスチャンが没個性的なゲームの駒に写る‥なんて事にもなりかねない。
また、よくよく考えてみると、このゲームはシステム上の欠陥が幾つかある。例えば、余りの恐怖でフライングして撃つバカがいたらどうなるのか?当然ペナルティはあるだろうが、それについてはまったく触れられていない。また、決勝戦は明らかに先に撃ったほうが断然有利なのでは?なんて思ってしまう。そのあたりは余り深く考えずに見たほうが楽しめるのだろうが、どうしても見ている最中気になってしょうがなかった。
かなり破天荒な話だが、終始楽しく見れるところが◎
「會議は踊る」(1931独)
ジャンルコメディ・ジャンル古典・ジャンル音楽
(あらすじ) 1814年。ナポレオン失脚の後、欧州掌握を目論むオーストリアのメッテルニヒは、各国首脳を招いて会議を開く。メッテルニヒの最大の天敵は大国ロシアのアレキサンダー皇帝。秘書官ペピを使って彼の目を会議から逸らせようと画策する。ペピは女に目がない皇帝の弱みに付け込んで、ウィーンで一番の伯爵夫人を紹介した。まんまと夫人に入れ込む皇帝。ところが、それは皇帝の影武者だった。本物の皇帝はちゃっかり会議に姿を現しメッテルニヒを驚かす。そればかりか、彼は自分を暗殺しようとして逮捕された町娘クリステルに夢中になりお偲びデートに出かける。ペピはクリステルに片想いしていたことから、この恋は三角関係に発展していく。
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(レビュー) トーキー初期のミュージカルコメディ。恋愛騒動と政治風刺が絶妙な按配で絡み合った娯楽快作。当時としてはかなり先鋭的な映像テクニックが見られるという点で、時代を代表する一本と言える。
ドラマは、本物の皇帝と影武者がデートと会議を行ったり来たりする、いわゆる”入れ替わり”コメディである。皇帝はメッテルニヒの策謀を予め予想し影武者を用意していた。そこまでは良かったが、彼自身もひょんなことから町娘クリステルに一目惚れしてしまう。そこに彼女に片想いの秘書官ペピが絡むことによって、国の命運をかけた奇妙な三角関係が形成される。作りはライトで突っ込みを入れたくなる部分が多々あるが、ロマコメ要素を強く押し出した作風は中々面白く見れる。また、オペラ座の演舞やクリステルの心象を歌い上げたミュージカルシーン等、終始楽しく見れるところも良い。
そして、この映画の最大の見所は、何と言っても技巧的なカメラワークだ。雑多な人々で賑わう酒場と荘厳なオペラ座を繋ぐカメラワーク。クリステルが馬車に乗って屋敷へ向かうロングテイク。いずれも当時としては画期的なテクニックだったと思う。また、クライマックスとなるパーティー・シーンも、豪華絢爛に撮られていて色あせない美しさがある。ドラマの面白さと相まって、このあたりの映像美には心酔してしまう。
また、本作は政治風刺的な側面も持っている。役人の狡猾さ、怠慢さといったものをあげつらい、痛烈に皮肉っている所にも注目したい。私腹を肥やすことしか頭にない者、色欲に溺れる者等、低俗な政治家が続々と登場してくる。彼等が安穏と胡坐をかいている所に、恐るべきナポレオンが舞い戻ってくる終盤にはニヤリとさせられた。
そして、誰もいない会議室で各国首脳のイスが一人でに揺れるシーン。ここは強烈な印象を残す。国政などいずこへ?国民をあざ笑うように揺れる空席のイスは、正にこの作品を代表するショットと言えるだろう。
ゾラの人物像を知るという意味で興味深く見る事が出来た。
「ゾラの生涯」(1937米)
ジャンル人間ドラマ・ジャンル古典
(あらすじ) 1862年パリ。作家エミール・ゾラは、画家のセザンヌと屋根裏暮らしをしながら成功を夢見ていた。彼の作品は反体制的なものが多く、そのせいで検閲官に睨まることもしばしば。そんな彼が大手出版社に就職し結婚することになった。ところが、上司と喧嘩をして退職。腐っていたある日、カフェでナナという娼婦と出会う。ゾラは彼女の半生を本に書いて、これがベストセラーとなった。成功した事で自堕落な暮らしに溺れていくゾラ。盟友セザンヌはそんな彼を見て一人寂しくパリを去って行った‥。その頃、世間は陸軍参謀の不祥事事件で沸いていた。ゾラはセザンヌと誓った初心を思い出し、この事件の真相を暴く記事を書く。
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(レビュー) 作家エミール・ゾラの半生を綴った伝記映画。
「嘆きのテレーズ」(1952仏)、「居酒屋」(1956仏)、「マニフェスト」(1988米ユーゴスラビア)等、ゾラの小説を映画にした作品は幾つか見た事がある。市井の貧しさ、ブルジョワや体制に対する批判が一つの特徴のように思う。何故彼がそういうスタンスで作品を書くようになったのか。それがこの伝記映画から率直に伺える。彼自身貧しい出自であり、貧富社会の理不尽さを身をもって体験しており、だからこそブルジョワや体制に対する憤りと告発があったのだ。
映画は最初の30分程で早々にゾラのサクセスを描ききってしまう。やや性急と思いながらも、ドラマはここからじっくりと腰を据えて語り始めていく。陸軍参謀のスパイ容疑事件が起こり、その身代わりとして終身刑になった男をゾラが救うという話になっていく。
作家として成功した彼は、それまで否定してきた富や名声に溺れ俗物に落ちぶれるのだが、盟友セザンヌの言葉に支えられ正義の火を心に灯す。不正を暴こうと、スパイ容疑事件を告発するのだ。孤軍奮闘する姿は実に尊いものに思えた。
伝記映画の中には全生涯を網羅し、結果的に散漫な印象しか残らないというような作品もあるのだが、本作のように一つのエピソードに焦点を当ててじっくりと語るというやり方もある。おそらくはそうした方が作品はドラマチックなものとなり、またその人物像を最も効果的にアピールするという意味では上手くいくのではないかと思う。この映画の場合、名声を捨て自分の信念を取り戻す晩年に焦点を当てることによって、ゾラが持っていた元々の信念、芸術家としての生き方が見事に表現されている。
ただし、後半から肝心のゾラの存在感が薄くなってしまうのは残念だった。彼は軍を中傷した罪で起訴されるのだが、徐々に脇役である弁護人の方に物語の目が向いてしまう。この法廷闘争はむしろゾラの視点で描いた方が、ドラマに力強さが生まれたのではないだろか?感動的なドラマであることは確かだが、作劇の面で今ひとつ弱いのが残念だった。
「ホテル・ルワンダ」と同じ設定のドラマだが中々見応えあり。
「ルワンダの涙」(2005英独)
ジャンル人間ドラマ・ジャンルサスペンス
(あらすじ) 1994年、ルワンダ共和国でフツ族出身の大統領の乗った飛行機が墜落した。政府はツチ族のクーデターだと発表し、フツ族はいっせいにツチ族の大量虐殺を始めた。公立技術専門学校を運営するクリストファー神父は、逃げるツチ族を構内に匿う。駐留する国連治安維持軍に守られながら、周囲を取り囲んだフツ族との間で緊張した睨み合いが続いた。そんな中、白人教師ジョーはBBCのテレビキャスター、レイチェルと一緒に、この切迫した状況を世界に知らせようとする。
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(レビュー) ルワンダで起こった大量虐殺事件を、赴任神父の目を通して描いた実話の映画化。
前年に同じ題材で「ホテル・ルワンダ」(2004英伊南アフリカ)が製作されているため、どうしてもそれとの比較で見てしまいたくなる。ただ、同じ題材を描きながらも両作品には決定的な違いがあり、また改めてこの惨劇を別の角度から捉える事が出来た。
二つの作品の一番の違いは視点である。「ホテル・ルワンダ」は虐殺されるツチ族側の視点で描いたドラマだった。本作は、ツチ族を守る白人神父の視点で描かれている。つまり、事件の被害者ではなく、彼等を守る第三者の視点に立って描かれるところが決定的に違う。そこにヒューマニズムというテーマが浮かび上がってくる。心を突き動かすくらいの感動を味わえたという意味では、「ホテル・ルワンダ」と同じくらい力の篭った作品に思えた。
演出は終始ドキュメンタリータッチが貫かれている。これが作品に異様な緊迫感を与えている。例えば、ジョーがレイチェルとフツ族の検問を通るシーンはかなりハラハラさせられた。また、ここでのミスリードの身顕しも意表を突いたもので絶妙である。「ホテル・ルワンダ」を見たときにも思ったのだが、どこにも逃げ場がない死と隣り合わせの極限的状況は、映画的なサスペンスを上手く引き出している。しかも、実話がベースという前振りがあるので、益々絵空事に見えなく一定の説得力を持つに至っている。”事実は小説よりも奇なり”である。正にそこが本作の強みだと思う。
また、これも「ホテル・ルワンダ」に言えた事だが、国連やジャーナリストといった傍観者に対する痛烈な批判も強く打ち出されていた。それを表現したのが原題である「Shooting Dogs」である。この言葉は、クリストファー神父と国連治安維持軍の大尉の間で交わされる会話の中に登場してくる。人間の力は何と無力であるか‥。その憂いを表したような言葉で、なんともやりきれない思いにさせられた。
全体を通して中々の力作感があるが、一つ、二つ演出の面で引っかかる部分があったのは惜しまれた。出産シーンでの神父の働きは不要に思えた。また、脱出劇はもう少し上手く撮って欲しかった気がする。どう考えても無理くりに見えてしまう。
キャストでは神父役を演じたJ・ハートの好演が素晴らしかった。精練とした顔つきが信仰者という役柄に説得力をもたらしている。
根強い人気に支えられてシリーズ10作目。
「スター・トレック ネメシス}(2002米)
ジャンルSF・ジャンルアクション
(あらすじ) エンタープライズのクルーが、副官ライカーとカウンセラー、トロイの結婚に祝杯を上げていた頃、ロミュランではクーデターが勃発していた。トロイの故郷へと向かった一同は、道中ある惑星で乗組員データにそっくりなアンドロイドを発見する。そこに艦隊司令部からロミュランに急行するよう緊急指令が入った。ピカード達はシンゾンという新たなロミュランの指導者に謁見し、事態の混乱を沈めようとするのだが‥。
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(レビュー) 「スター・トレック」の劇場版10作目。新スター・トレック(ジェネレーションズ)としては4作目の劇場版になる。テレビ版で見慣れたお馴染みの面々ありきでストーリーが展開されるので、予備知識を持たない一見さんにとっては分かりにくい所があるかもしれない。そういう意味では、先だって見たエイブラムス版
「スター・トレック」(2009米)は一見さんにも分かるように作られていて、非常に良心的な作品だったと思える。
これまで様々な敵が登場してきた本シリーズだが、さすがにネタが尽きたのか、今回の敵はクローンである。ピカードの若い頃に瓜二つのシンゾンという野心溢れるキャラクターだ。不気味な登場シーンはいいが、いかんせんクローン化による副作用が残っており、そこが彼の弱点となっている。やはり所詮はクローンということか。敵としてはいささか小物感は拭えない。
クライマックスに派手な戦闘シーンが登場してくる。これまでの「スター・トレック」というと割りと地味な印象だが、そんなイメージを払拭してくれるドンパチで中々楽しめた。さすがにデータのミラクルな活躍には閉口してしまったが‥。派手なドンパチの後には、やはりスタトレ。しっとりと締めてくれる。味わい深さを持たせて終わるのも本シリーズの良い所だ。
ちなみに、
「ヘルボーイ」(2004米)シリーズのR・パールマンがクレジットされていて驚いた。気付かないのも当然で、特殊メイクで完全に顔が隠れている。「ヘルボーイ」でもそうだが、傍目からは本人の顔と気付かれないようなマスクをしている。エイブラムス版「スター・トレック」(2009米)でもE・バナが出ていたのに全然分からなかった。こうして特殊メイクのせいで気付かれないのは、本人からすると複雑な気分じゃなかろうか。主役ならいざ知らず、脇役となると少し可哀想な気もしてしまう。
感動の実話だが作り方に難がある。
「戦場のジャーナリスト」(2000仏)
ジャンル戦争・ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) ニューズウィークのカメラマン、ハリソンは、サラと職場結婚し二児をもうけ幸せな暮らしを送っていた。そろそろ引退を考えていたある日、最後の仕事としてクロアチア紛争の取材が命じられる。ハリソンが発ってから数日後、サラの元に彼の訃報が届いた。夫の死を信じられない彼女は現地へ向かう。
映画生活
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(レビュー) 戦場カメラマンの夫の生存を信じる妻の姿を、凄惨な光景を交えて描いた戦争ヒューマンドラマ。
戦地ユーゴスラビアへ向かう妻サラの行動をどう捉えるかで、この映画の評価は分かれてきそうである。世間知らずで無謀な女性と捉えるか、あるいは勇気のある女性と捉えるか?つまり、彼女の行動に説得力を感じられるかどうかで感想がだいぶ変わってきそうである。
尚、本作は実話が元になっているということである。実話というだけで一定の説得力はあるが、はたして事実はどうだったのか?映画はどこまで脚色しているのか?個人的にはそんな穿った見方をしてしまいたくなるような作品だった。というのも、戦地に赴くにあたってのサラの不安、私生活のしがらみといった”前振り”が端折られているので、戦地に赴く説得力が全く感じられないのである。ドラマにリアリティを持たせるなら、ここを描くことは必携だったろう。したがって、自分はただの無謀な女性と言う風にしか見れなかった。切迫感が薄い。
また、物語の視座はドラマを語る上で重要な部分である。そこが明確にされていないと物語に入り込めなくなってしまうからだ。本作はこのドラマの視座にも支離滅裂な所がある。最初はサラの視点で描かれるのだが、中盤から同行するカメラマンの視点でドラマが展開されていく。これによってサラの葛藤がぼやけてしまったように思う。
クライマックスから終盤にかけての展開にも不満が残った。そもそもサラと一緒に生死を掻い潜ってきたカイルの存在について何もフォローされずじまい、というのはどう考えてもおかしい。この結末をして万々歳は無いだろうと‥。
キャストではサラを演じるのA・マクダウェルが中々頑張っている。ロマコメを中心に活躍する彼女が、本作のようなシリアスなヒロインを演じるのは珍しい。凄惨な光景を目にして恐々とする姿に演技としての見所が感じられた。しかし、厳しく見てしまうと、やはり全体を通して演技が”軽め”に写ってしまう。
色々と不満の残る作品であったが、戦闘シーンは中々臨場感があって良かったと思う。特に、最悪の戦地となるブコバルの惨状は暗澹たる思いにさせられた。
尚、同じクロアチア紛争描いた作品で「ブコバルに手紙は届かない」(1994英米クロアチア)という映画がある。そちらの方が映画的には上手く作られていると思う。スタッフ・キャスト共に現地の人間ということで、戦争の悲惨さをリアルに切り取った力作だ。本作を見てクロアチア紛争に興味を持った方は、ぜひそちらもお勧めしたい。
戦争の狂気をシニカルに笑い飛ばした怪作!
「まぼろしの市街戦」(1967仏英)
ジャンルコメディ・ジャンル戦争
(あらすじ) 1918年、ドイツ軍占領下のフランス北部の小さな村。背水の陣のドイツ軍は大量の爆薬を仕掛けて村を吹き飛ばそうとしていた。その情報を村のレジスタンスがイギリス軍に伝えた。フランス語が話せるという理由で通信兵のプランピックに爆弾処理の命令が下される。早速彼は村に潜入するが、村は閑散としていた。全員逃げ払っていたのである。唯一つ、隔離施設に閉じ込められていた精神病患者達を除いては‥。ドイツ軍に見つかったプランピックは彼等に紛れてどうにか追跡を逃れた。そして、彼はそこで王として祭り上げられていく。
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(レビュー) ドジで間抜けな二等兵が精神病患者しかいなくなってしまった村で起こすドタバタ喜劇。戦争に対する痛烈なアイロニーが感じられる反戦コメディである。
爆弾が仕掛けられた村に解き放たれた患者達は、誰にも邪魔されず久しぶりの自由を満喫する。その光景はさながらカーニバル。死がすぐそこに迫っているというのに、彼等は笑い、喜び、歌う。戦火に芽吹く饗宴。その光景には人間とは?人生とは?という哲学的なメッセージすら感じられる。
プランピックは彼等に取り込まれるようにして村の王になっていく。そして、穢れ無き処女であり娼婦である一人の少女と恋に落ちる。このロマンスは中々愛らしく描けていて良かった。純真無垢な少女の佇まいが魅力的である。
面白いのは、社会的には精神病患者というレッテルを貼られた彼等が実に愛らしく、純粋に思えてくるところだ。彼等は皆、自らの欲望に忠実に生きている。それは人間本来の原初の姿と言える。逆に、殺し合いを止められない外界の人間達のなんと非道なことか。健常者である彼等が非人間的に見えてくる。このコントラストが可笑しい。
映画は非常に幻想的な趣を醸す。常人では理解しがたい患者達の行動はナンセンスで、突拍子も無い事件が巻き起こる。中々面白く見れるが、中盤はそれが淡々と続くので少し退屈してしまった。平板な展開が惜しまれる。
後半はシリアスなトーンが前面に出てきて、映画は徐々に引き締まったものになっていく。
ところで、戦争の狂気で思い出されるのは、「チャップリンの独裁者」(1940米)やキューブリックの「博士の異常な愛情」(1940英米)である。両方とも強烈なサタイアであるが、よくよく考えてみれば、本作の精神病患者と戦争という組み合わせもかなりインパクトがある。戦争の狂気をそのまま地で行くような設定である。
ただ、登場人物が元々狂人であるため、チャップリンのヒトラーやP・セラーズのDr.ストレンジラブを凌駕するほどの危なさは感じられなかった。ヒトラーもストレンジラブも表向きは常人の振りをして、中味は狂人である。それだけに洒落にならない怖さがある。本作の登場人物たちは最初から狂人なわけで、武器を持たせてもその使い方が分かるわけではない。その意味では、同じサタイアでも「チャップリンの独裁者」や「博士の異常な愛情」に比べたら、随分のどかに見れる。
S・ストーンの魅力が炸裂したファムファタール物。
「氷の微笑」(1992米)
ジャンルサスペンス・ジャンルエロティック
(あらすじ) 元ロックスターがアイスピックで惨殺される。サンフランシスコ警察のニック刑事は被害者の恋人キャサリンを犯人だと疑う。彼女は今をときめくベストセラー作家だが、殺しの方法が本に出てくる内容と全く同じだったのだ。早速警察の事情徴収を受けるキャサリンだったが、したたかな振る舞いでこれを掻い潜り証拠不十分としてすぐに釈放された。執念のニックは彼女の尾行を始める。しかし、次第に彼女の魅力に取り込まれていくようになる。
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(レビュー) アイスピック惨殺事件を捜査する刑事が魔性の女に翻弄されていくエロチック・サスペンス。
キャサリンを演じたS・ストーンの妖艶な魅力が見所で、警察の取調べをパンチラで誤魔化す場面は名シーン。大胆なベッドシーンにも果敢に挑み、公開当時かなりセンセーショナルな話題になったと記憶する。特にR指定とかは無かったように思うが、今なら確実に指定ありの公開になるだろう。
一方、S・ストーンのエロチックさばかりが話題に上がる本作であるが、サスペンス的な面白さはと言うと、こちらもまずまずといった感じである。ファムファタール物としては常道を行く展開で肝となる部分はきちんと押さえられている。惜しむらくは、事件の背景にもう少し複雑なプロットが欲しかった。そうすれば、謎解きの面白さも加わりさらにクオリティが増したであろう。キャサリンの恋人ロキシー、ニックの元恋人ベス。いずれも捜査を惑わすミスリードのように登場してくるのだが、比較的素直なキャラクターである。彼女等の愛憎に焦点を当てたエピソードを盛り込むことで、このあたりの物足りなさは解決できたかもしれない。
監督はP・ヴァーホーヴェン。何と言っても、この監督の特徴はエロとバイオレンスシーンになる。但し、エロはともかくバイオレンスに関しては当社非5割減‥といった所だろうか。特殊メイクを担当する大家R・ボッティンの手腕は、冒頭のロックスター殺害シーンに見られるのみで、それ以降は比較的大人し目だ。
J・ゴールドスミスの音楽が延々と流されるのは、作品の緊張感をダラケさせるだけでいただけなかった。このあたりは抑揚をつけた使用を望みたかった。
メタ構造を持った教示的映画。面白い試みの作品になっている。
「宿命」(1957仏)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 1921年、トルコ統治下のギリシャの小村。復活祭で村人達はキリストの受難劇を演じることになった。長老会と司祭によって配役が決まる。キリストを演じるのは羊飼いのマノリオス。マグダラのマリアを演じるのは魅惑的な後家カテリーナ。その他に4人の使徒が選ばれた。彼等は来る本番に備えて衣装のあつらえを始める。そこにトルコ人によって村を追い出されたギリシャ難民がやって来た。司祭は彼等をコレラ患者だと言って追放しようとする。そこにキリスト役のマノリオスが救いの手を差し伸べる。
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(レビュー) キリストの受難劇を演じる村人達が、難民を救うためにあたかも役柄のようになっていく様を、虚構と現実をオーバーラップさせながら描いたドラマ。キリストの教えである”慈悲の精神”を謳いあげ、さしずめこれは現代に蘇ったキリストのドラマか‥という解釈も出来る。
メッセージが教示的なため取っ付き難い部分はあるが、巧みなキャラクター造形、シナリオの上手さで面白く見れた。
例えば、マグダラのマリア役に抜擢されるカテリーナは実に興味深いキャラクターである。旧約聖書のマリアは「罪の女」としてキリストに悔悛した女性である。キリストの貼り付けを見届けるのだが、実際にこの映画でもそのような役割を持たされている。正に役柄がそのまま現実になってしまうところが面白い。しかも、本作では聖書に登場しないオリジナルな脚色も加えられている。彼女はユダ役の村民と姦通の罪を犯しており、それによってキリスト役マノリオスとの間に愛憎ドラマが派生していく。後のユダの裏切りに説得力をもたらすという意味でも、この姦通の脚色は中々巧みに思えた。
他に、使徒役ミケリスの立ち回りも見応えがあった。長老である父の呪縛に捕らわれて生きる彼の葛藤は後半で一つの結果を見るのだが、彼の下した英断は大いに共感をおぼえるものだった。このあたりにはヒューマニズムな主張が感じられる。
監督・脚本はJ・ダッシン。ダッシンと言えば盗賊一味の活躍を描いた活劇「トプカピ」(1964米)を思い出すが、本来彼は硬派な作家である。彼はハリウッドの赤狩りにあい、フランスでこの作品を撮った。その怒りは当然本作にも乗り移っている。マノリオス達の難民を守る抵抗運動は、赤狩りに対する抵抗を投影したものであろう。教示を目指したドラマではあるが、それ以上にダッシン自身の私怨も読み取れる。ある意味で、彼の作家としての”意地”が生み出した作品のように思えた。
ただ、その強い思いは分かるのだが、ともすればそれは作品を私物化してしまう危険性も孕んでいる。
引っ掛かったのはラストの処理の仕方である。難民達の蜂起は暴力主義の啓蒙にも見えかねない。これでは、自らの死をもって非暴力主義を説いたキリストの精神に反するのではないだろうか?キリストの死後、世界は光を失った‥と皮肉的に解釈すれば、それはそれで分かる気もするが‥。ラストの処理についてはダッシンの個人的な思いが先んじた‥という印象が拭えない。