気軽に見れるところが良い。
「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」(2002米)
ジャンルコメディ・ジャンルサスペンス
(あらすじ) 1960年代、高校生フランクは両親の離婚にショックを受け、家を飛び出して詐欺師になった。パイロットに成りすまして偽造小切手を使って方々で大金をせしめた。それをFBI捜査官カールが執念の捜査で追い詰める。しかし、後一歩というところで逃げられてしまった。その後もフランクの手口は益々エスカレートしていき、今度は医者に成りすまして結婚詐欺をはたらこうとする。
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(レビュー) 10代の天才詐欺師と中年FBI捜査官の追跡劇を描いた実話ベースのドラマ。
ギャンブルはハッタリが肝心。フランクは正にそれを実践していく。彼が詐欺師になったのは父親の影響である。商売をしていた父は成功と転落の人生を歩んだ。その生き方は正にハッタリだった。結果的に父は破産してしまうのだが、フランクは父の二の舞になるまいと、敢えて父を越えようと詐欺師に転じていく。様々な職業に成りすまして大金を騙し取っていくのだが、この映画はそこの部分が痛快で面白く見れる。
冒頭のフランス語の臨時教師に始まり、パイロット、医者、弁護士。まだ高校生でありながら自信に満ちたその変幻振りには参りました‥という感じである。これをL・ディカプリオが好演している。元々童顔であるので高校生と言われても十分通用するし、年相応の大人の顔も出来るのでこのキャラクターに全く違和感は感じられなかった。
対するFBI捜査官カールはT・ハンクスが演じている。こちらも好演と言っていいだろう。少し優しすぎるところがこのキャラクターの魅力であり、そこを上手く引き出しているように思えた。フランクに言いように振り回されるこのトホホ感は「ルパン三世」の銭形警部のようで、何とも人間味があって良ろしい。
騙しの手口は少し無理に見えるものもあるが、偽造判別機器が未発達だった当時の状況を考えれば一定の説得力は備わっている。また、コメディという事を考えれば、このくらいの”緩さ”なら許容範囲ではないだろうか。航空会社の社員小切手を偽造するアイディアは秀逸だった。
ただ、ドラマは中盤からフランクと両親のドラマに照射されていくことで、捕り物としての醍醐味は失速する。おそらくは、フランクとカールの間に芽生えた友情、飛躍して解釈すれば擬似親子関係、この部分のペーソスを引き出そうとしたのだろうが、カールの人物像への踏み込みが不足しているせいで今一歩感動までには至らない。コメディに徹するのか、ペーソスに徹するのか、どちらか一方に絞って描くべきだったのではないだろうか?素材が面白かっただけに、このあたりの中途半端さが惜しまれる。
監督はS・スピルバーグ。今回は肩の力を抜いて作っているような感じがした。見る方も気軽に見れる作品になっている。また、60年代を再現した映像はほぼ完璧に近い表現で、プロダクションデザイン、ファッションデザインに関しては申し分ない出来栄えである。
複雑なキャラクターを演じたモンローの熱演が見所。
「荒馬と女」(1961米)
ジャンルロマンス・ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) アメリカ西部の小さな町。暴力夫から逃れたロズリンは晴れて離婚し、親友イザベルとバーで祝杯を上げた。そこにゲイという昔気質の中年カウボーイが現れる。今まで出会ったことのないタイプの男で、ロズリンは新しいロマンスの予感に心ときめかせる。後日、彼に誘われてロズリンはイザベルと共に、彼の友人グイードの家にピクニックに出かけた。羽目を外して酒に酔ったロズリンは、その夜ゲイの腕の中で眠った。そのまま二人は同棲生活を始める。大自然と格闘しながら生きるゲイの逞しさに、ロズリンのハートは益々惹かれていった。そんなある日、馬狩りの仕事があるというので、ゲイはグイードと遠出することになる。ロズリンとイザベルもそれに同行することになり‥。
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(レビュー) 暗い結婚生活と決別したばかりの女と無骨で昔気質なカウボーイのロマンスを、周囲の人々との交流を絡めて描いた恋愛ドラマ。
前半は平板で余り面白いと思わなかったが、後半は面白く見れた。個々のバックグラウンドに深く切り込むことによってドラマに厚みが増し、群像劇的な広がりを見せていくからだ。特に、クライマックスとなる馬狩りの描写、それに続く意外な顛末は緊迫感に溢れた演出で一寸の目も離せなかった。
このドラマの登場人物は皆バツイチで社会、もしくは家族からドロップアウトしている。ロズリンは暴力夫と離婚したばかり。イザベルもバツイチ。グイードも元妻との関係で暗い過去を持っている。そして、途中から登場する賞金稼ぎのパース。彼も家族からドロップアウトした可哀想な青年である。その過去はロズリンとの対面で吐露されることになるが、これには切なくさせられた。
映画は後半に入ってくると、個々がその暗い過去、傷に向き合っていくようになる。怒り、悲しみ、本音が曝け出され、激烈な感情の衝突が始まる。特に、クライマックスシーンにおけるロズリンとゲイの秘めたる感情の炸裂、それによるグイードの豹変。このあたりには見応えを感じた。生きることへ厳然たる執着、人間は孤独でも生きていかなければならない‥という覚悟が感じられた。
そして、その覚悟はラストの野生馬の親子に継承されているような気がする。この野生馬の親子には“家族”のあり方、絆といったものが投影されているように思う。考えて見れば、ロズリンを含め、ここに登場する主要人物は皆“家族”を捨てながら生きている者たちである。そんな彼らはラストの野生馬の親子を一体どんな気持ちで目撃したのだろうか‥。そのあたりを想像すると、このラストは実に味わい深かく見れる
ロズリン役はM・モンロー。まっすぐに見つめる純真な眼差しは、ささくれ立った周囲の心を和ませてくれる。ある種母性の象徴のように存在しているが、母親になれなかった過去からも分かるように、彼女は熟れた肉体を持て余す”女”としても存在している。そこに、このキャラクターのアンバランスさが息づいている。尚、本作の脚本家A・ミラーは彼女の夫である。彼はモンローを想定して自身の短編を脚色したそうである。その甲斐あって本作のモンローは普段は余り見せないシリアスな演技を披露しており、女優として一皮剥けた感じを受けた。
ゲイ役はC・ゲイブル。相変わらず嫌らしい二枚目演技だが、クライマックスの熱演とその後の狼狽した姿に見応えがあった。
残念だったのは、S・リッター演じるイザベルを中途半端な扱いにしたことである。この投げっぱなし感は余りにも酷じゃなかろうか‥。
監督はJ・ヒューストン。骨太な演出を信条とする名匠だけあり、クライマックスの馬狩りのシーンなどにこの監督の真骨頂が伺える。他にも幾つか息詰まるようなシーンが見られ、中々緊迫感のある演出が施されている。前半は余り”らしさ”が感じられなかったが、後半は見事な演出を見せている。
小津作品の中では珍しいカラー。
「浮草」(1959日)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) ある港町に12年ぶりに嵐駒十郎一座がやって来た。彼がこの地にきたのには理由がある。地元小料理屋の女将との間にもうけた息子、清に会うためだった。しかし、どさ周りの身を恥じた駒十郎はずっと自分が父親であることを隠していた。清は何も知らずそんな父を叔父さんと言って慕った。ある日、一座の看板女優すみ子は、頻繁に出かける駒十郎のことを怪しんだ。そして、全ての事情を知った彼女は嫉妬心から駒十郎と大喧嘩をする。すみ子は復讐とばかりに若い女優加代を使って清を誘惑させようとするのだが‥。
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(レビュー) 旅芸人をしている父と、素性を知らず叔父と慕う息子の絆を描いた感動ドラマ。
監督・脚本は小津安二郎。本作は自信の「浮草物語」(1934日)をカラーでセルフ・リメイクした作品である。オリジナル版と人物関係はほぼ同じだが、舞台が信州の田舎町から三重県志摩半島の港町に変わっている。ここが前作と大きく異なる点で、カラーになったことによる映像上の一つの見所にもなっている。
撮影は溝口健二の作品等で知られる名カメラマン宮川一夫。小津とのコンビは意外にも本作1本だけである。小津作品=モノクロというイメージがあるが、そこに色彩美をもたらした感性は見事であり小津との相性は上手くいっているように思う。
まず、冒頭の港町の風景を捉えたシークエンスを挙げたい。風情のある町並みを一座が”ちんどん屋”よろしく練り歩くシーン。そこに無邪気に子供達がついて回るシーン。製作当時でさえ、郷愁の趣を感じつつ古来の日本の美しい風景に心和ませたのではないだろうか。屋内シーンが多い小津作品に、こうした美しいロケーションを上手くはめ込んだ宮川のセンスには脱帽である。
また、花や傘、カキ氷といったアイテムに赤色をポイント的に配し、少し洒落た映像作りになっているのも面白い。従来の小津作品には無い”色”の演出には新鮮さが感じられた。しかも、敢えて刺激的な赤色を選択した所に唸らされる。
物語はオリジナル版同様、涙を誘う人情話になっている。ただ、前作との比較で言うとカタルシスの面ではやや劣る。確かにラストシーンにはしみじみとさせられたが、一番のメインとなるのは父子愛ドラマの方である。その父子の葛藤が少し食い足りなかった。原因は愛人すみ子の存在がかなり突出しているせいある。今回は父子の肉親愛よりも駒十郎とすみ子の愛憎ドラマの方に物語が引っ張られてしまっている。おそらく、小津としては前作との差別化、ドラマ構造の複雑化を計る狙いがあったのだろう。しかし、そのせいでメインの父子ドラマが少し弱まってしまったような印象を受けた。むろん、その逆にすみ子との愛憎ドラマの方は充実したものとなっているのだが‥。このあたりは一長一短あるという気がした。
最も印象に残ったシーンは、土砂降りの雨の中、駒十郎とすみ子が決別するシーンである。ここはかなりハードな罵り合いで驚かされた。抑揚を押し殺した喋り方をする小津作品の特徴からすれば異質であるが、二人の激情は非常に見応えがあった。すみ子を演じた京マチコの熱演が心に響く。
イーストウッドがカッコイイ!
「荒野の用心棒」(1964伊)
ジャンルアクション
(あらすじ) 流れ者のガンマン、ジョーがメキシコのある町にやってきた。そこはロホの一味とモラレスの一味が対立する無法の町だった。モラレスの手下に喧嘩を吹っかけられたジョーは難なくこれを返り討ちにする。それを見ていたロホはジョーを多額の報酬で用心棒として雇った。そのロホ一味には凄腕のガンマン、ラモンがいた。彼は実に悪賢い男で、軍隊から金塊を強奪しこれをモラレス一味の仕業に見せかけようとしていた。その上、彼は子持ちの女性マリソルを軟禁していた。彼女の不幸を知ったジョーは、二つの組織を対立させて壊滅しようと目論む。
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(レビュー) 黒澤明の「用心棒」(1961日)をベースにしたマカロニ・ウェスタン。
製作当時、黒澤側から盗作として訴えられたことで製作サイドが全面的に謝罪。賠償金を払うことで公開されたという経緯を持つ。しかし、結果的にこれが世界市場にかかり大ヒットを飛ばした。公開時のゴタゴタはあったものの、この作品を語らずしてマカロニ・ウェスタンを語ることは出来ない。そんなエポック・メイキングな作品である。監督S・レオーネ、主演C・イーストウッドにとっての出世作でもある。
物語はほぼ「用心棒」と同じである。日和見なガンマン、ジョーが、捕らわれの身となった母とその家族を救うために立ち上がる‥といった内容で、ご丁寧にサブキャラの設定まで似ている。ここまでしたらもはや確信犯としか言いようがなく、知らぬ存ぜぬを通すのはさすがに無理であろう。
本作の最大の見所は、何と言ってもレオーネのハッタリの利いた演出とイーストウッドのクールなキャラクターである。
例えばクライマックス・シーン。爆煙の中から颯爽と現れるイーストウッド演じるジョー。敵の銃弾に倒れるが、すぐに起き上がり何発も銃弾を浴びる。ポンチョの下には○○が‥!ここはオリジナル版を超える痛快な演出で、正にレオーネの真骨頂が感じられた。
また、イーストウッドも実に格好良い。寡黙な男の強さと哀愁。そして、かすかに見せる母子愛への感銘。ヒーローの看板を背負うに相応しいダンディズム溢れる造形は、以後のイーストウッドのキャラクターを決定付けた感がある。
ただ、オリジナル版との比較で見ると、やはり黒澤「用心棒」には及ばない点は多々あげられる。
そもそも本作はプログラム・ピクチャー体制の下で作られた作品である。無名だったレオーネとイーストウッドを急遽起用。ネタ探しに奔走した挙句、目に留まったのは東洋の国日本で作られた時代活劇「用心棒」。それを取り急ぎ丸ごと拝借して作ったのである。だから、映画としては急場しのぎな粗い作りになっていて、決して完成度が高いわけではない。
例えば、町とマリソルのいる小屋との距離感の曖昧さ、棺桶屋の裏での活躍。こういった所は説得力に欠けると同時に、見る側に不審感を植えつける破綻した部分だ。きっちりと作られている黒澤版と比べると明らかに劣る部分である。
もっとも、言い方は悪いが、これ位いい加減だと逆に即席映画ならではの”勢い””力強さ”といったものは感じられる。それもまた本作の魅力‥という言い方は出来よう。
色々な意味で不運な作品である。
「スタア誕生」(1954米)
ジャンル音楽・ジャンルロマンス
(あらすじ) ノーマンは酒と女に溺れるハリウッドスターである。ある晩、酔っぱらってステージを台無しにしてしまいそうになる。そこをバンド歌手エスターに救われた。そのままエスターは次の仕事先である場末のバーへと姿を消した。ノーマンは彼女を追いかけて圧倒的なステージに魅了される。エスターにはスターになる素質がある‥。そう思ってスカウトするが、彼はすぐに撮影に入ってしまい連絡が途絶えてしまった。一方のエスターはバンドを辞めてノーマンから声がかかるのをひたすら待っていた。その後、二人は運命的な再会を果たす。ノーマンは今度こそエスターをハリウッドへ招き、共に成功の道を歩もうとするのだが‥。
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(レビュー) 大スターと新人歌手のロマンスをドラマチックな歌曲で綴ったミュージカル映画。
監督はG・キューカー。本作は彼の初のミュージカル作品である。
彼本来のカラーは骨太な人間ドラマにあるように思う。本作も歌劇シーンよりもドラマパートの方が多く、歌とダンスのシーンは劇中劇やリハーサルといった形でしか登場せず、どちらかと言うと劇映画的な作りになっている。尚、彼の作品では後年の「マイ・フェア・レディ」(1964米)の方がミュージカル然とした作りである。純粋にミュージカル映画を楽しみたいのならそちらを見た方がいいだろう。
しかし、だからと言って本作がミュージカル映画として凡作と言うわけではない。確かに主演のJ・ガーランドの歌は量的な面で物足りなさを覚えるが、少ないながらも実に見応えのあるパフォーマンスを見せてくれている。パワフルな歌唱力、エネルギーと情感に溢れた表現力には脱帽である。特に中盤、これまでのエスターの半生を描いた劇中劇のミュージカルシーンは大いに見応えがあった。
物語は実にシンプルである。ノーマンがスターの座から転落していく一方で、エスターが栄光を歩んでいくという、ショウビズの光と影、浮世を見せていく‥というものである。新味はないが、J・ガーランドの相手役ノーマンを演じたJ・メイソンの好演が奏功し、ドラマとしても中々に見応えがあった。特に、落ち込むノーマンを励ますためにリハーサルを再現してみせるエスターの健気さには胸打たれた。おそらく、このシーンが二人にとって最高に幸せだった瞬間だったのではないだろうか。このシーンには胸が締め付けられた。
尚、公開当時は2時間だったが、後に2時間半版が発表されている。そして、更に今回鑑賞したのはミュージカルシーンが追加されたそれよりも長い3時間弱の完全版である。一部スチール構成になっている箇所がある。時間経過をスムーズに伝えるための演出かと思ったら、どうやらフィルムが紛失してしまったためにそうなっているらしい。そこまでして完全版が発表される本作。公開時に短縮されるという憂き目はあったが堂々たる大作と言えなくはないだろうか。
更なる不運は、本作でJ・ガーランドがオスカーを受賞できなかったという事実である(ノミネート止まり)。映画の中で彼女は皮肉にもオスカー像を手にしている。もし完全版として公開されていたなら、彼女の受賞も当然ありえたかもしれない。そう思うと、不完全な形で公開されたという現実は、彼女にとってさぞかし残念なことだったろう。
飽きなく一気に見れるスラップスティック・コメディ。
「ビッグ・トラブル」(2002米)
ジャンルコメディ
(あらすじ) 元新聞記者のエリオットは高校生になる息子マットと暮している。親子関係は決して良いとは言えない。ある日、マットが同級生の家に忍び込んで事件に巻き込まれる。水鉄砲で悪戯しようとしたら本物の銃弾が撃ち込まれたのだ。実は、それは同級生の父アーサーを狙った暗殺者の仕業だった。命は無事だったが、エリオットが呼び出されて謝罪させられる。その後、アーサーはロシア人の武器商人のアジトへ向かう。彼等は恐るべき陰謀を計画していた。エリオット達はその計画に巻き込まれていく。
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(レビュー) 殺し屋、武器商人、強盗団が登場して様々な事件を巻き起こすドタバタコメディ。
クセのある人物達が多数登場してきて飽きさせない。但し、トップクレジットに記されているT・アレン演じるエリオットの活躍は最後の方に少しあるくらいで、登場シーンは意外に少ない。どちらかと言うと、人物設定や事件の経緯を語るナレーションの役回りで、少し拍子抜けしてしまった。彼とマットの親子の情愛がテーマだが、メインとなるのはあくまでサブキャラが起こす騒動劇の方である。親子の情愛は何だか取ってつけたように見えてしまった。
ドラマは一夜の出来事に限定されている。アーサー暗殺未遂事件を筆頭に、武器密売組織の陰謀、アル中警備員やボンクラ強盗団の珍騒動等々。これらが絡まりあいながらクライマックスの大騒動に発展していく。複雑に入り組んだプロットをスピード感あふれる展開で綴ったシナリオは一定の評価が出来る。
ただ、これほど登場人物を増やす必要性はあったのか?という疑問も残った。
この映画の登場人物はほぼ全員が二人一組のセットになっている。エリオットとマットの父子しかり、犯罪者グループや警官グループといったキャラも皆二人一組のセットである。デカとチビ、黒人と白人というようなコントラストを付けることで個性を際立たせようとした狙いは分かるが、肝心の思考や行動がほとんど一緒というのがつまらない。これでは二人一組である必要性は余り感じられなかった。
E・カザン&J・スタインベック&M・ブランドがタッグを組んだ快作。
「革命児サパタ」(1952米)
ジャンル人間ドラマ・ジャンルアクション
(あらすじ) 1909年メキシコ。貧民出のお尋ね者サパタは、ディアス大統領の圧政に苦しむ農民達の姿を見て反乱を蜂起する。彼の戦いはテキサスにいる革命家マデロの耳にまで届き共同戦線が築かれた。心強い味方を得たサパタは、このまま一気に政権を打倒し新大統領に就任する。かつての悪名も払拭し晴れて豪商の娘ホセファと結ばれ、平和の美酒に浸るサパタ。しかし、その幸せは長く続かず‥。
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(レビュー) 独裁政治に戦いを挑んだ伝説の革命児サパタの活躍を描いた伝記映画。
物語は彼の革命が成し遂げられたところで一つの着地点を見るが、ここからがこの映画の本題である。国の指導者に就いたのも束の間、彼は転落の人生を歩んでいく。革命の歴史の暗転を赤裸々に照射した骨太な作品で中々見応えがあった。
そもそも国民全員に幸せをもたらす政治など、絵に描いたユートピアに過ぎないわけで実現不可能なのだと思う。革命の後に新たな革命が起こるのが世の常であることを考えれば、これは真理だ。サパタがもたらした平和は、沸き起こる国民の不満の声、台頭する軍部の脅威、さらには信頼する身内の背信といったもので脆くも崩れ去ってしまう。その波乱に満ちた人生は鮮烈なラストシーンに集約されているが、革命に生き、革命に敗れた男の生き様が見事に語られていると思った。正に時代を走り抜けた風雲児といった感じだ。
サパタ役はM・ブランド。生来の悪面を活かした不良振りが板についている。そして、その奥に無骨な優しさを滲み出すあたりが流石に名優である。伝説の男サパタを見事に人間味溢れるキャラクターに作り上げている。
脚本はJ・スタインベックの書き下ろしである。巨匠らしい味わい深いセリフが散見できる。例えば、サパタとホセファが出会う教会のシーン。ホセファはサパタ以上に負けず嫌いな女性で、我の強い者同士のダイアローグはスリリングでありながら、その一方で惹かれあう男女の恋の彩もしっかりと描き込まれている。また、婚約の慣習なのだろう。サパタがホセファにプロポーズを申し出るシーンでは、二人が諺で会話を楽しむのだが、この洒脱さは気が利いていて楽しい。
監督はE・カザン。スタインベックとのコンビでは「エデンの東」(1954米)が余りにも有名だが、本作も及第点以上の演出を見せている。特に、ラストシーンはサパタの生き様を強烈に印象付けるという意味でも見事だった。緊張感と虚無感の落差が感動を残す。
ただ、シーンごとのシナリオは確かに細部に渡り良く出来ているのだが、ドラマ全体を大きく捉えるとやや雑と感じてしまった。後半に入ると戦場シーンが尽くセリフで省略されてしまうのにはガッカリさせられた。また、サパタの生涯を語る上で”肝”と言える兄との関係だが、その顛末についてもアッサリしすぎていて食い足りない。同様のことは、ホセファとの関係にも言える。固い絆で結ばれた夫婦愛をドラマチックな悲恋にまで昇華しきれていない。新婚初夜のシーンは味わいがあって良かったが、その後に続くエピソードが割とアッサリとしているので盛り上がりに欠けるのである。このあたりの詰めの甘さは惜しまれる。
やりたい放題のスプラッター映画。
「ブレインデッド」(1992ニュージーランド)
ジャンルホラー・ジャンルコメディ
(あらすじ) ニュージーランドの穏やかな田舎町。純情なマザコン青年ライオネルは、雑貨屋の娘パキータと恋に落ちる。動物園にデートに出かけた二人は、珍種ラット・モンキーに噛まれたライオネルの母と遭遇する。息子を心配して後を追いかけてきたのだ。ライオネルは傷ついた母を看病するが、無情にも彼女はそのまま息を引き取ってしまった。孤独に陥るライオネル。パキータとの恋も諦めた。‥とその時、彼の前にゾンビと化した母が現れた。人目がつかぬようゾンビ母を自宅の地下室に閉じ込める。そこに遺産目当ての叔父がやって来て‥。
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(レビュー) 大量の血飛沫と肉片が飛び散る作品で、おそらくアナログ主流のスプラッター映画ではこれを超える作品は無いであろう衝撃作。しかも、ブラックなアイディアがふんだんに盛り込まれているという点でも比類なき作品と言えよう。
芝刈り機やミキサー、洗濯物の脱水機など日用品を殺戮道具に使うセンス。
執拗なまでの鼻の穴への注射、ペンチによる抜歯、赤ん坊への容赦の無い殴打といった悪趣味なサディズム。
内臓徘徊、顔面電球、床を滑る鼻から上の頭といった斬新でナンセンスな映像の数々。
極めつけは、ゾンビ同士の交尾で産まれるゾンビベビー!
アイディアとしては思い浮かんでも普通はやらないことを、この映画は臆面も無くやって見せる。余りのバカさ加減に、突っ込み所満載の愛おしさ、とんでもないものを見てしまったという映画体験の至福さをおぼえてしまう。たとえどんなに下品でバカでも、それを突き詰めれば面白いものになってしまう。この映画は正にそれを実践して見せてくれているかのようだ。
監督・脚本は「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズで世界中にその名を轟かせたP・ジャクソン。「ロード~」の一部のクリーチャーにその素養が見られるが、彼本来のカラーは独特のスカトロチックな下品さに見ることが出来る。例えば、本作で言えば食事シーン。まさにオエーーーッという描写が出てくる。そして、クライマックスのグチャドロ・パーティー(?)は筆舌に尽くしがたい汚らしさがある。ここまでくるとある種のカタルシスすら覚えてしまうのだが、このハチャメチャ振りにこそ、この映画の不思議な魅力があるように思う。ホラージャンルでありながら、寒気がするような”恐怖”ではなく、あっけらかんとした”気持ち悪さ”。それをマッチョに追求した演出は、この前作「ミート・ザ・フィールズ/怒りのヒポポタマス」(1989ニュージーランド)のクライマックスシーンにおける愛らしいパペットの大量殺戮を何重にもグレードアップし、映画史上に残る究極の”バッドテイスト”を作り上げている。良し悪しは別として、この突き詰め方には敬服せざるをえない。
ドラマは、一口で言ってしまえばマザコン青年の母から独立、童貞青年の通過儀礼の物語である。決して目新しい題材ではなく、語り口も非常にストレートなので、見終わった後に「だからどうした?」という感想で終わりになってしまうかもしれない。
しかし、世の中には一つの事を突き詰めることによって、はからずも後世に残ってしまう傑作も存在する。正に本作はその一例と言えよう。
設定は面白そうだが‥。
「Sweet Rain 死神の精度」(2007日)
ジャンルファンタジー・ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 千葉は時を渡りながら人々に<死>の宣告をしてきた死神である。今回の対象は地味なOL一恵。彼女は失恋の痛手を引きずりながらストーカーに付きまとわれていた。千葉は彼女と接するうちに同情を覚え<死>の宣告を躊躇するようになっていく。
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(レビュー) 死神が出会う3つのドラマをファンタジックに綴った作品。
「地獄少女」をソフティケイトしたような設定に興味をひきつけられたが、演出・脚本が今ひとつ。原作は人気作家伊坂幸太郎のベストセラーということで期待したのだが、どうも原作以前に映画としての料理の仕方がまずい。
大前提として、小説と映画では受け取る側のスタンスに大きな違いがあると思う。小説だと読者が頭の中で自分の映像を思い浮かべることになる。自分が作る世界観だからそこに綻びは出来にくい。しかし、映画だとそのものズバリが映像として提示される。つまり、監督が具現化した世界をあるがままに観客は受動するしかない。ベストセラーの映画化を見て不満を漏らす人がいるが、それは自分の創造した世界観と違ったものに感じてしまうからである。
さて、まず本作はその世界観の作りがかなり粗い。予算の問題等あるだろう。しかし、そこはアイディアでカバーしなければ‥。
例えば、千葉の白い手袋や一恵のストーカーの身顕し、死神の世界、アンドロイドの造形といったあたりに、作りの甘さ、陳腐さが目立つ。映像は時として言葉以上に作品の世界を物語る。本来重要な部分であるにも関わらず、そこをスタッフは御座なりにしすぎている。ここを失敗してしているので、当然ドラマにも入り込めない。
かといって、ドラマだけを取り出してみても、展開の繋がりが唐突な上に単調なのでどうにも退屈してしまう。
この映画の突込みどころは他にもある。全体的に俳優の演技が芝居がかっている。特に、千葉役の金城武のファニーな造形が必要以上に過剰で、深刻なドラマを中和する程度ならまだしも、ここまで来ると軽薄、愚鈍に見えかねない。また、雨とミュージックは千葉というキャラクターにどんな重要な意味をもたらしていたのか?彼のセリフにも行動の中にも滲み出てこないのが見ていて実にもどかしい。彼だけではなく他のキャスト陣にも過剰と思う演技は見られる。非現実的なドラマを必要以上にウソっぽく見せてどうするというのだろう。
唯一良かったことは、3つのドラマの相関性がきちんと図られていた点である。エピソードの繋がりに一工夫欲しい気もするが、全体を通して伝えようとするメッセージは最低限読み取れた。
ブラピのブレイクスルー作品。
「リバー・ランズ・スルー・イット」(1992米)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 20世紀初頭、モンタナ州の田舎町に仲の良い兄弟ノーマンとポールが住んでいた。二人は父に連れられて毎日川釣りに出かけていた。父は厳格な牧師をしている。彼の教育のかいもあって、ノーマンは優秀な成績でシカゴ大学へ進学する。一方のポールは落ちこぼれて地元の新聞社に就職した。久しぶりにノーマンが帰郷した。再会を喜びポールと彼の恋人メイベルと酒場で祝杯をあげる。楽しく飲んでいたが、混血女性のメイベルが店から理不尽な差別を受けたために、ポールは怒って店主を殴り倒した。その夜、彼は留置場に入れられた。父はポールの事を情けない息子と吐き捨てる。現場で全てを見ていたノーマンは、父の言葉に複雑な思いになる。
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(レビュー) 出来の良い兄と不出来な弟の兄弟愛をノスタルジックに綴った作品。
真面目で堅実な兄ノーマン、奔放で冗談好きな弟ポール。性格はまったく異なるが二人は兄弟というかけがえのない絆で結ばれている。しかし、成人する頃、彼らの人生は大きな隔たりを見せていくようになる。大学へ進学するノーマンに対して、ポールは地元で新聞記者をしながら自堕落な暮らしを送るようになる。厳格な父の見る目も、自ずと出来の良いノーマンの方ばかりに向いてしまい、ポールは益々腐っていく。血を分けた兄弟でありながら父から受ける愛は不平等。これほどの不幸は無いだろう。
性格の異なる兄弟の因縁のドラマには一つのパターンがある。その代表的なものは旧約聖書のカインとアベルの物語であろう。これをベースに敷いたE・カザンの「エデンの東」(1954米)は名作と誉れ高い。父から排除され屈折していくJ・ディーンの姿は実に痛々しく、見る者の胸を打つ。
本作の兄弟にはそこまでの殺伐としたトーンは見られないが、優秀な兄と劣等生の弟という関係性にはカインとアベルの物語と同じ要素が見て取れる。兄との間に決して埋めることの出来ない深い溝を認め、それでも父から認めてもらおうと葛藤する不出来な弟ポールは、「エデンの東」のJ・ディーンのように涙を誘う。
しかし、そんなポールにも一つだけ類まれな才能があった。皮肉にもそれは彼の事を毛嫌いしている父から教わった釣りの技術である。父もノーマンも彼のこの才能だけは評価しており、川釣りするポールの姿は実に輝かしく生き生きと描写され、まるでこの瞬間だけが彼にとっての至福の時のように映る。その姿にこれまた切なくさせられる。
ポールを演じるのはB・ピット。彼は本作をきっかけにスター街道を駆け上がっていくようになる。言わば、この作品は彼にとってのブレイク作品だ。そして、その成功の影には、監督であるR・レッドフォードの演出が大きく寄与しているように思う。ブラピを哀愁漂う青春スターとして強烈に印象付けたのだから、その手腕は見事だ。
そして、驚くべきことに、本作のB・ピットは若い頃のレッドフォードによく似ているのだ。これは単なる偶然ではない。
レッドフォードという人はどこか懐古主義的な所があって、事実この作品は21世紀初頭のモンタナの田舎町が舞台である。他の作品も、やはり古き良きアメリカを舞台にしたものが多い。おそらく本作のB・ピットに自分の若い頃の姿を重ね合わせた‥懐古主義的なレッドフォードのこと。そんな想像もできる。
ただ、ブラピの姿は良いのだが、物語自体はいたって予定調和で美談を狙い過ぎるきらいがあり、少々物足りなく感じた。屈折したポールの感情に深く切り込む位のハードな描写がもう少しあっても良かったように思う。回想ドラマなので全体的に表層をなぞるような作りになっていることが一番の原因だろう。ポールの内面にもっと深く迫ることが出来たらラストは更に盛り上がったことと思う。
美しい自然を捉えたカメラは絶品である。モンタナの雄大な山並み、黄金色に輝く水面の風景は筆舌に尽くしがたいほどだ。この年のアカデミー賞撮影賞を取っているのも納得の映像である。