大画面のIMAXシアターで3D初体験!興奮のアトラクション映画だった。
「アバター」(2009米)
ジャンルSF・ジャンルアクション・ジャンルロマンス
(あらすじ) 戦争で下半身不随になった海兵隊員ジェイクは、兄の後を継いでアバター・プロジェクトに参加する。早速惑星パンドラに赴任した彼は、そこで先住民ナヴィと地下資源を巡る戦いに巻き込まれていく。そして、ナヴィの女戦士ネイティリと恋に落ちるのだが‥。
goo映画映画生活ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) J・キャメロン製作・監督による一大プロジェクト。3Dの映像美にひたすら心酔した2時間40分だった。
物語は勧善懲悪な訓話になっていて、観客に対する門戸はかなり広く開かれたものになっている。ただ、後半にいくにつれ突っ込みどころが目に付くようになった。おそらくは映像に集中して欲しいという願いから、こういった穴だらけのシナリオになっているのかもしれない。また、魂と肉体を分離させるアバター・システムはある意味でヴァーチャル的な発想なので、ここを哲学的なテーマに昇華できなかったことは大いに不満に残った。従って、ドラマだけを取ってみれば物足りなく★2つ。
しかし、映像の作りこみ、世界観の見事さ。今の映画の潮流である3Dを体験をさせてくれたという感動から★2つをプラスした。それくらいこの映画の映像の力は凄まじい。3Dでなければ本作の魅力は半減してしまう。そう言っても過言ではない。
特筆すべきはパンドラの世界観である。ひたすら美しく、そしてリアルである。3D映画=飛び出す立体映画という認識はもはや古い。奥行きを意識させる映像は映画の可能性を開かせたのではないだろうか。
また、先住民ナヴィの造形も見事である。技術の進歩もさることながら、やはり時間と労力のかけ方が膨大だとここまでしっかりしたものが出来るのか‥と感心させられた。ただ、人間の役者がCGで作られた世界の中で芝居をすると、若干の違和感は出てきてしまう。例えば、パワードスーツに搭乗する人間の芝居は背景から浮いて見える。生身の俳優とCGの合成にはまだまだ限界があることも認識させられた。
しかし、トータル的に言って、3D映画の分野では現時点で最高のクオリティだと思う。
メカニック関係については洗練さに欠けバタ臭く感じる部分もあるのだが、これはもはやJ・キャメロンのセンスなのだろう。「ターミネーター2」(1991米)の頃からちっとも変わってない。これはご愛嬌といたところか‥(^_^;)
そもそも自作品のパロディが所々に登場してくるのであるから、完全に狙ってやっているものと思われる。「アビス」「1989米)、「タイタニック」(1997米)、「エイリアン2」(1986米)等のエッセンスが確認できた。
尚、今回字幕版で鑑賞したのだが、正直なところ3Dは吹き替え版のほうが良いと痛感した。字幕が画面から浮きあがって見えるので邪魔になってしまう。
良くも悪くもいかにもキャプラらしい作品。
「スミス都へ行く」(1939米)
ジャンル社会派・ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 故郷にダム建設工事を計画していた汚職議員ペインは、議会工作の手段として同郷のスミス氏を新任議員に担ぎ上げる。スミスは地元の少年警備団を指揮する愛国心溢れる青年で、絶大な人気を誇っていた。偶然にもペインが亡き父の親友だったこともあり、スミスはすっかり彼を信用する。早速、意気込んで国会に乗り込んだスミスだったが、マスコミから痛い洗礼を受ける。その影には女性秘書サンダースの策がはたらいていた。しかし、スミスは彼女を疑うことなく、少年キャンプ施設建設の夢を熱く語った。その純真な思いに胸打たれたサンダースは、心を入れ替えて一緒に法案作りに精を出す。ところが、それはペイン議員のダム建設法案と真っ向から対立するもので‥。
DMM.comでレンタルする映画生活ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 汚職に立ち向かう熱血新人議員の姿を描いた社会派ヒューマンドラマ。
監督はF・キャプラ。彼の作品はアメリカの良心・偉大なるアメリカを掲揚するものが多く、中には傑作と評される物も多い。アメリカ人がキャプラの描く理想像に襟を正すのはよく理解できる。ただ、その理想像は時に絵空事のように見えてきてしまうのも事実である。今回のように政治の腐敗を題材にしたドラマの場合、それが当たり前のように考えられている現代において、果たしてこの理想主義がどこまで普遍的なものとして通用するのか?疑問に思える。朴訥とした古きアメリカを郷愁の思いで見るのなら良いが、理想だけでは現実は語れない。正直、キャプラの作品では、同時代性を持った政治や風刺色のある作品よりも他の作品の方が好きである。
この映画には二つの人物関係のドラマによって展開されている。一つはスミスとペインの師弟ドラマ。もう一つはスミスとサンダースの恋愛ドラマ。
主となるのは師弟ドラマの方だが、個人的にはサンダースの変容を描く恋愛ドラマの方が面白く見れた。
彼女は若くしてこの世界に入った才女である。しかし、政界のゴタゴタに辟易し、スミスを”ある罠”にはめて退職金代わりの報酬を貰ってさっさと辞職しようと考える。しかし、スミスの崇高な夢に共鳴し辞職を思いとどまる。いつしか彼女は彼を仕事上のパートナーとしてでなく異性の対象として見るようになっていく。当然そこには恋のライバルも登場してくるのだが、サンダースの苦悩を表したバーのシーンは印象に残った。それまでは”はすっぱ”な印象だった彼女が、ここでは少しだけ不憫で愛らしく見える。切ない女心に泣かされてしまった。
一方の師弟関係のドラマはやや予定調和な展開だったが、ペインの複雑な心理に迫る部分は面白く見れた。政治家は多かれ少なかれこういった葛藤を持っているのだろう。ここを深く掘り下げていけば、また違ったテイストの骨太な社会派ドラマになっていたかもしれない。
スミスを演じるのはJ・スチュアート。クライマックスの熱演が印象に残った。ここでのマスコミを利用した情報操作戦は過剰なまでに盛り上げられていて少しシラけるが、彼の熱演がそれをカバーしている。その演技から作品のメッセージも十分伝わってきた。欲を言えば、ラストはもう少し余韻が欲しかった‥。
硬派なポリティカル・サスペンス。人間模様も面白い。
「野望の系列」(1961米)
ジャンル社会派・ジャンルサスペンス
(あらすじ) 空席となった国務長官に元議員のレフィングウェルが就任する案が議会に提出される。これを快く思わなかったのが、過去に激しい論戦を交えた因縁のライバル、ベテラン議員シーブだった。レフィングウェルが元共産主義者のメンバーだった過去を調べ上げ聴聞会にかける。窮地に立たされたレフィングウェルは、その嫌疑を晴らすべく反証を述べるのだが‥。
goo映画ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 政界の内幕をハードに綴った社会派サスペンス作品。
前半はレフィングウェルの過去を追いかけるミステリ仕立てにのストーリーになっている。
彼は本当に共産主義党員と交流があったのか?それとも只の噂に過ぎないのか?その真偽が聴聞会の場で明らかにされていく。手だれの策略家や正義感に燃える新人、保身ばかりの臆病者といった個性豊かな政治家達が登場し、彼の立場を擁護する派、反対派に分かれて対立していく。前半は終始、緊張感が持続して面白く見れた。特に、レフィングウェルの過去を知る重要参考人が登場してからは、問題の核心に迫っていくようになるので俄然面白くなっていく。
ただ、後半から物語の目先は別のところに向いてしまう。それまでドラマの中心を担っていたレフィングウェル対シーブの対決が後方へと追いやられてしまい、変わりに双方の板ばさみにあって苦悩する聴聞委員会の委員長ブリッグの物語が語られるようになるのだ。前半と後半で映画が二分される形になっていて散漫な印象を持ってしまう。ここはどちらかに比重を置いた作りに徹してほしかった。
監督はO・プレミンジャー。毒の効いた政治風刺はいかにも”反骨の人”プレミンジャーらしい。保守にもリベラルにも加担しない中立の眼差しを貫き、魑魅魍魎がうごめく政治の舞台裏を冷徹に描いている。製作当時、アメリカでは赤狩りが盛んに行われていた頃である。本作のレフィングウェルも正にその矢面に立たされた人物であるが、ラストのメッセージにプレミンジャーなりのこの問題に対する静かな憤りみたいなものが感じられた。
更に、本作では同性愛の問題についても言及されており、そこにも同時代性が感じられる。これに関してはリベラルな立場がとられている。
キャストでは、老練な政界の重鎮シーブを演じたC・ロートンの演技が見応えがあった。一筋縄ではいかない狸オヤジといった風貌で、常に先を読む立ち振る舞いがキャラクターに説得力をもたらしている。その一方で、通りを歩く女の尻を視姦するエロオヤヂ振りに独特の愛嬌も感じてしまう。ビジュアル的な造形がそうさせるのだろう。以前、このブログで紹介した
「戦艦バウンティ号の叛乱」(1935米)の熱演も見事だったが、今回の存在感も抜群だった。尚、残念ながら本作が彼にとっての最後の作品となってしまった。
勢いだけで押しまくったパンクな傑作!
「狂い咲きサンダーロード」(1980日)
ジャンルアクション・ジャンル青春ドラマ・ジャンルSF
(あらすじ) 暴走族が支配する夜の街。無為な抗争に終止符を打とうと各グループのリーダーが一同に集まった。そこに魔墓狼死の特攻隊長仁とその一派が乱入する。仁の暴走行為に頭を悩ました魔墓狼死は、OBで右翼団体のオルグ剛の力を借りることにした。一度ははむかった仁達だったが、全グループの圧倒的な戦力を前にして非情な現実を突きつけられる。死傷者を出した所で、彼等は剛の右翼団体の傘下に収まる。
DMM.comでレンタルするgoo映画映画生活ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 思考停止な”ぬるま湯社会”に強烈なカウンターを食らわす暴走族少年の生き様をエネルギッシュに描いた青春映画。
監督・脚本は石井聰亙。持ち味のパンキッシュな作風が前面に突出した怪作であり、画面狭しと大暴れする若者達の破壊っぷりが”どなた様にも遠慮なく”繰り広げられている。特に、クライマックスはもうほとんど喧嘩祭り状態(^_^;)
映像は基本的に一昔前のPV的な作りが多くバタ臭く感じるが、手持ちカメラによるライヴ感と、時折見せるアヴァンギャルドな構図等、奔放さに溢れている。見ようによっては拙く写る部分もあるのだが、逆に言えば設計され尽くされた既存の演出とかけ離れた奇妙な魅力も感じる。また、インダストリアルな音の演出も、”映画=体感する”ものとして捉えれば、冒頭のシーンなどはゾクゾクするような興奮が感じられた。
物語は最初の1/3は平板で退屈した。面白くなるのは右翼団体が登場して以降である。
このドラマはあらゆるものに牙を向く不良少年と、それを押さえ込もうとする大人社会の対立構造によって出来上がっていると思う。大人社会の最たるキャラクターが右翼団体のオルグ剛であり、以降のドラマは彼との対決のドラマになっていく。テーマの芯がしっかりと立ち始めるので、二人の関係がどう転じていくのか?そこを一つの見所にして興味深く追いかけていく事が出来た。
その顛末は実に印象的だった。社会に与されることに少なからずフラストレーションを持つ者ならば、眩しく写るのではないだろうか。
仁役は本作でデビューとなる山田辰夫。ギラついた狂気の眼差し、悲痛な怒声が、強烈な印象を残す。何者にも取り込まれない一匹狼気質な尖った不良少年の生き様を、ひたすら刹那的に体現しており、特に後半、魂の抜け殻になって以降の狂気の演技は凄まじい。
監督の石井聰亙は、以後もこの作風を貫き通している。先立って見た
「逆噴射家族」(1984日)も凄い映画だったが、本作を見てしまうとまだまだ甘っちょろく思えてしまう。近作の「
DEAD END RUN」(2003日)は小手先のテクニックに溺れてしまった感があるし、「ELECTRIC DRAGON80000V」(2000日)は確かに石井聰亙のロック魂が感じられる作品だったが、どうも実験映画的過ぎてしまう。それらに比べると、本作はドラマの破綻や演出の稚拙さはあるものの、映画作りの情熱、もっと言えば石井聰亙のパッションが詰まっていると言えるのではないだろうか。客観的な評価を寄せ付けないカルト映画の典型のような作品である。
クリスマスに見れる恋愛映画。S・ブロックとラストが良い。
「あなたが寝てる間に…」(1995米)
ジャンルロマンス・ジャンルコメディ
(あらすじ) 地下鉄の改札で働く独身女性ルーシーは、毎朝顔を合わすエリート弁護士ピーターのことが密かに好きだった。クリスマスイブの日、ピーターが強盗に襲われ線路に突き落とされる。とっさにルーシーは危険を顧みず彼を救った。しかし、落ちた衝撃で彼は昏睡状態に陥ってしまう。見舞いに来た彼の家族にルーシーは婚約者だと嘘をついてしまい‥。
DMM.comでレンタルするgoo映画映画生活ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 孤独な女性に訪れる奇跡のロマンスを軽妙に綴った作品。
昏睡状態に陥ったことをいいことに、憧れのピーターの婚約者の振りをするルーシー。彼が目覚めてしまったら全てが終わり。でも、婚約者のままでいたい。その葛藤に迫る”成りすましコメディ”である。
ルーシーを演じるのはS・ブロック。まだ有名になる前の作品であるが、コメディエンヌとしての素養は今作から十分伺える。安定した演技で好感の持てるキャラクターを作り上げている。
特に、昏睡状態のピーターに向かって内心を吐露するシーンは良かった。彼女にとってピーターは正に白馬に乗った王子様のような存在である。現実には話しかけることすら出来ず、妄想の中だけで恋愛にふけっていた。それが意識の無くなった状態とはいえ目の前にいる。無言の彼に向かって、これまでの思いのたけを話す姿が実に愛らしい。
そんな妄想でしか恋愛経験の無いルーシーは、やがて過酷な現実にぶち当たることになる。その壁として登場するのがピーターの弟ジャックである。彼は兄の婚約者だと名乗るルーシーを怪んで身辺調査を開始する。その調査の仕方が非常に馴れ馴れしいもので、たちまちルーシーは彼と喧嘩をする。こうして険悪な関係から始まる二人だが、面白いもので付き合っていくうちに段々相手に情が湧いていくようになる。
つまり、ジャックはルーシーに現実の恋とは何なのか?ということを教えてくれるキャラクターなのである。ここに奇妙な三角関係が形成される。妄想の中の恋人ピーター。現実の恋を教えてくれるジャック。果たして、ルーシーはどちらを選ぶのか?妄想と現実で揺れ動くヒロインの葛藤は、今までに無い一風変わったシチュエーションで中々面白く見ることが出来た。
ただ、映画の作りで何点か残念に思ったことがある。一つはジャック以外の家族の描き方、もう一つはクライマックスの描き方である。
ピーターが昏睡状態になった夜に家族がクリスマスパーティーを楽しむというのは、いくらなんでも酷すぎじゃなかろうか‥。それと、ルーシーの嘘に影ながら尽力するピーターの叔父の存在が、後半から急にその役割を失ってしまうのもいただけなかった。物語を面白くする要素を十分持っていたキャラだけに悔いが残る。これでは最初から無くていいキャラになってしまっている。
もう一つの不満点はクライマックスの描き方である。ピーターとジャックの間で揺れ動くルーシーの恋心をギリギリまで引っ張るツイストは良いとして、問題は結果の出し方が性急過ぎることだ。事を丸く治めたいのはコメディである以上当然としても、そこにいかに説得力を伴わせることができるかが重要である。しかしながら、本作のルーシーの決断は余りにも安易に写る。その後のエンディングは中々洒脱が効いていて良かっただけに、そこに至るまでの展開をもう少しじっくりと描いて欲しかった。
倉本聰が脚本を手がけたユニークなSF映画。カルト映画になっている。
「ブルークリスマス」(1978日)
ジャンルSF・ジャンルサスペンス・ジャンルロマンス
(あらすじ) UFO存在論者として著名な兵頭教授が講演会場から謎の失踪を遂げた。それをJBC局の記者南が追跡する。教授はイカの血が青いことに着目して何らかの研究をしていた。偶然にもJBCのドラマの主役に抜擢された新人女優高松夕子の血が青いという噂を聞いていた南は、今回の失踪事件に会社が関与しているのではないかと睨む。その頃、世界各地でUFOの目撃情報が相次いでいた。見た者の血は青く変色するという謎の奇病が蔓延する。危機感を募らせた南は兵頭教授がニューヨークにいることを突き止め急遽渡米する。一方、一連のUFO事件の脅威から政府は有事に際して特殊部隊を組織する。隊員の一人、沖は密かに思いを寄せる冴子という女性がいたが、彼女にはある秘密があり‥。
goo映画映画生活ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) UFO事件を追いかけるテレビ記者と特殊部隊隊員の悲恋を描いたSFサスペンス作品。
監督岡本喜八、脚本倉本聰というおよそSF映画らしくない布陣は意外性を狙ったものであろう。当然、出来上がったモノも一風変わった作品となっている。名目上SF映画というジャンル分けはされるが、特殊効果はほとんど出てこず、UFOの存在に深く言及されることもない。青い血にまつわる人間ドラマとそれを排除しようとする政治的陰謀にドラマの主眼は置かれている。
前半は巨大な陰謀を背景に南の追跡取材がサスペンスフルに描かれていく。監督岡本喜八らしい軽快さが中々面白く見せる。
後半からいよいよドラマは佳境に入っていく。南の取材のエピソードは一旦袖に置かれ、陰謀の犠牲者となる沖と冴子の悲恋が脚本倉本聰らしいウェット感で綴られる。しかし、ここから前半でそれなりにスケール感を期待させたサスペンスはいきなりトーンダウンしてしまう。
青い血の人間に対する迫害は、未知なる物、異質な物への恐怖心、偏見意識からくるものであることは、劇中に登場するアウシュビッツのニュースフィルムにも明確に示唆されている。しかし、ユダヤ人に対するナチスの迫害は歴史が証明しているという点でリアルな出来事として受けとめることが出来るが、ことSFというフィクショナルな次元で語られてしまうと、どうにもこの青い血騒動はリアリティに欠けてしまう。あるいは、初めからSF映画としての世界観がきちんと図られていたならば、それはそれで素直に受け取れたかもしれない。しかし、この映画は肝心の世界観を極めて同時代的なものとして描いている。つまり70年代の風俗がそこかしこにプンプンと匂って来るので、SF映画として見ることも出来ない。結果的に、青い血の人間に対する迫害の悲劇をいくらそこに織り込んでみても重厚さに欠けてしまうのである。
更に、そもそもの話をすると、世界規模のパニックがいかにして蔓延していったのか?その過程の作りこみも怠慢に写る。ならば、ゴダールの「アルファビル」(1965仏)やトリフォーの「華氏451」(1966英仏)ほどのセンス・オブ・ワンダーがあるかと言えばそうでもない。ここで語られる悲恋は、わざわざSFという設定を無理に取り入れなくても、いくらでも現代劇で語れるのではないか?そんな風に思えた。
ちなみに、キャスティングで面白かったのは沖役の勝野洋と彼の同僚役の沖雅也のコンビである。当然「太陽にほえろ!」のテキサスとスコッチのコンビが重な。終盤近くの二人の会話は沖雅也の演技が中々魅せる。彼は一連の青い血騒動を巡って勝野とは別の意見を持ち、そこに彼独自の苦悩が見えてきて面白い。この熱演を見ると、若くして自らの命を絶ってしまったことが惜しまれる。
コメディ色を押し出した作風が好感触。
「50回目のファースト・キス」(2004米)
ジャンルロマンス・ジャンルコメディ
(あらすじ) ハワイの水族館で獣医として働くヘンリーはプレイボーイ。今まで散々観光客と付き合ってきたが、まだ本当の恋を見つられないでいた。ある日、カフェでルーシーという女性に出会い一目惚れする。二人は食事をして翌日の再会を約束して別れた。ところが、次の日再びカフェで会うとルーシーはヘンリーの事を全然覚えていなかった。実は、彼女は1年前の交通事故で短期記憶喪失障害という難病を抱えてしまっていたのだ。家族は彼女をそっとしてろうと毎日、事故の前日を繰り返していた。ヘンリーはルーシーを現実に向き合わせようと彼女に猛アタックを始める。
DMM.comでレンタルするgoo映画映画生活ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 1日しか記憶がもたない女性と心優しいプレイボーイのロマンスを、笑いとペーソスで綴った恋愛コメディ。
短期記憶喪失障害をモティーフにした映画は昨今、題材にされることが多いが、気軽に見れるロマコメとして料理した所はさすがにハリウッドである。せっかく親密な仲になっても次の日には自分の存在を忘れ去られているヘンリーの姿は、悲劇というよりも喜劇のように描写されている。そもそもプレイボーイという設定なので、どんなに振られ続けても悲劇には写らないわけで、この計算されたキャラクターのコンステレイションは上手く出来ている。シリアスに描けば涙の感動ドラマに出来るだろうが、敢えてフランクに料理することで他のこの手の作品とのエンタテインメントの”気質”の違いを見せ付けている。
個性的なサブキャラも笑いを支える大きな存在になっている。特に、ヘンリーの同僚のハイミスとルーシーの筋肉バカな弟。この二人に関しては大いに笑わせてもらった。また、ヘンリーの勤め先が水族館ということもあって、登場してくる動物達の演技(?)も良い味を出している。セイウチの起用は洒落ていて絶妙だった。
基本的にはロマコメ路線で進むが、後半からドラマは喜劇色を薄めて徐々にウェット感を出していくようになる。トーンの切り替えは手際よく料理されており、不自然さ、嫌らしさは感じない。二人のロマンス成就を自然に見守る事が出来た。
欲を言えば、ラストにもう一捻り欲しい気がした。これくらいあっけらかんに幕引きしてくれるとある程度割り切れるが、余韻を引くような〝味わい”も欲しい所である。
ルーシー役のD・バリモア、ヘンリー役のA・サンドラーは共に好演している。
また、陽光まばゆいハワイの景観は開放感に満ちていて◎。明快な作風にも良くマッチしている。
ところで、同じ一日を繰り返すルーシーを見て、B・マーレイ主演の「恋はデジャ・ブ」(1993米)という作品を思い出した。あれは完全にファンタジーだったが、やはり本作のルーシー同様、B・マーレイは同じ一日を延々と繰り返すという話だった。意中の女性に猛アタックするが尽く失敗に終わる姿がなんとも情けなく同情の笑いを誘ったが、そこに人生観をしのばせたことで類まれな傑作になっている。今回はアタックされる方が一日を繰り返すというドラマになっていて、「恋はデジャ・ブ」の視点を逆転させたようなアイディアになっている。
アイドル映画の好例。
「恋する女たち」(1986日)
ジャンルロマンス・ジャンル青春ドラマ
(あらすじ) 高校生多佳子は親友汀子と一緒に、クラスメイト緑子の葬儀に付き合わされる。この葬儀は失恋した緑子が昔の自分を殺すために開くもので、もはや恒例となっていた。その帰り道、多佳子は汀子から恋人が出来た事を告白される。緑子も汀子も恋をしている‥。自分ひとりが取り残された気分になって多佳子は内心焦った。そんな彼女にも密かに想いを寄せてる異性はいた。相手はクラスメイトで野球部の主将勝である。ところが、どうしても彼の前では素直になれず喧嘩ばかりしてしまう。そんな多佳子を見つめるもう一人の生徒がいた。多佳子の姉比呂子が家庭教師をしている神崎という下級生である。多佳子にその気は無かったが、勝の試合を一人で見に行くのが恥ずかしいので神崎を誘って見に行くことにした。その帰り際、多佳子はショッキングな光景を目にしてしまう。
goo映画映画生活ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 恋に恋する女子高生達の姿を綴った青春ロマンス作品。
少女達の恋愛は、即物的で打算に満ちた大人の愛憎に比べたら、実に淡く切実な想いに溢れていて微笑ましく見れる。このラストには青春特有の清々しさを覚えた。青春とはつまり解放的なものであり大人に脱皮することである。そのことを実感させる見事なカタルシスだった。
物語は多佳子から見た群像劇になっている。親友汀子、緑子は夫々に個性的な少女で、恋愛の価値観も三者三様、多彩である。
多佳子は頭で物事を考える文学少女タイプである。勝にどうしても素直に好きと言えず、どうして?という自己問答をひたすら繰り返す。この年頃の純なる思いが素直に伝わってきた。
汀子は年上の異性に憧れる野心家タイプである。理想と現実のギャップに苦悩するのだが、その葛藤には切なくさせられる。これまた背伸びをしたい年頃の少女にありがちなリアルな心情を切り取っている。
緑子はかなりストーレートなアイドル気質を持った美少女タイプである。小悪魔的な奔放さが魅力的だ。
このように夫々の人となりは個性的にコントラストが図られていて、その恋愛価値観も明確に色分けされている。映画を観終わる頃には実に豊穣な鑑賞感を残す。
また、彼女等以外に更にもう二人のサブキャラが登場してくるのだが、この恋愛観も中々面白い。一人は多佳子の姉比呂子、もう一人は美術部の先輩で絹子というキャラが登場してくる。女子大生の比呂子は、多佳子達に比べると少しリスクを孕んだ大人の恋にのめりこんでいる。それが意外な形で判明する終盤の場面は面白く見れた。絹子は芸術家タイプで恋愛もかなりアート思考である。多佳子にヌードのモデルをせがむレズビアンで、本作で最も尖ったキャラクターで、こちらも中々面白い。
監督・脚本は大森一樹。原作は氷室冴子のコバルト文庫シリーズの同名小説である。少女の等身大の目線で綴った世界観は、読者の対象を同年代とするこのレーベルの大きな特徴だと思うが、大森一樹はこの方針を崩すことなく、それでいて大人の鑑賞にも堪えるような本格的な女性映画として上手く仕上げている。
主演は当時人気だったアイドルでキャスティングされている。多佳子役は斉藤由貴。「スケバン刑事」の主演で人気は絶頂に達していた頃だったと思う。随所で複雑な恋心を吐露する好演を見せ、断髪という大胆なシーンにも果敢に挑んでいる。中でも印象に残ったのは、汀子の恋人と対峙するシーンだった。ここでは不意に大人びた顔を見せドキリとさせられた。
汀子は相楽晴子。こちらも「スケバン刑事Ⅱ」でブレイクしたばかりだったと思う。そして、緑子を演じるのは元おニャン子クラブの高井麻巳子である。演技は今ひとつだがアイドル気質の役所は正に適役と言えよう。主要三人は見事なキャスティングだと思った。
一方、絹子役の小林聡美だけは少し浮いてる気がした。良く言えば大人びている、悪く言えばおばちゃん風で、高校生という設定の割には少し貫禄がありすぎる。
ちょっぴりほろ苦い群像劇。
「輝ける女たち」(2006仏)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 古い伝統を持つキャバレー「青いオウム」のオーナーが入水自殺をした。彼の相棒でマジシャンのニッキーが跡を継ごうとするが、オーナーの遺言によって店の経営権はニッキーの二人の子供に託された。夫と離婚協議中の娘マリアンヌ。ゲイの息子ニノ。二人は葬儀に参列し遺言の存在に驚く。放蕩の限りを尽くしてきた父ニッキーに対する憎しみもあり、彼等は何の未練も無いこの店を売り払おうとした。しかし、そこには働いている従業員達がいる。彼らの事を考えると二人は店を売れなくなる。こうして「青いオウム」は存続するのだが‥。
DMM.comでレンタルするgoo映画映画生活ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 老舗キャバレーに集うワケあり人間達の悲喜こもごもを描いた群像劇。
登場人物はかなり複雑に入り組んでいる。ニッキーはオーナーに息子同然のように育てられた孤児である。厳しい芸能界で一時代を築いたこともあり、芸にかける思いは人一倍強い。そういう意味では、仕事に対するガッツは認められる。しかしながら、私生活に関してはとことん不真面目で、二度の結婚と離婚を経験している。今は年甲斐もなく夜のステージに生きる美人歌手レアに鼻の下を伸ばしている有様だ。
その二度の結婚で生まれたのが、娘マリアンヌと息子ニノである。マリアンヌには別居中の夫が、ニノには同棲中のゲイの恋人がいる。それぞれに今の暮らしに不満を抱えており、それが彼等を新しい恋へと向かわせる。
映画はこの3人のドラマと、そこに二人の母親が絡んできて、キャバレー再建の奔走劇が描かれていく。
テーマは「家族」‥ということになろうか。バラバラだった彼等はオーナーの死によって一同に会する。初めは互いに憎しみ合っていたが、血の繋がりは消せない。夫々に過去の罪と向き合い、家族の温もり、大切さを思い知っていく。
ただ、この映画は家族愛を啓蒙するような美徳的な映画ではない。家族とはこうあるべきだ‥という理想を持ち出して万事解決とするわけでなく、家族のあり方について考えさせるような、そんな結末になっている。そこに俺は好感が持てた。
家族は個人が社会的な繋がりを持つ上での最小限の共同体である。誰もが家族の一員として生まれ、そして死んでいく。家族があるから個人があるのだ。しかし、同時に個人には夫々に固有の人生がある。個人の人生と家族との関係。これは表裏一体のようなところがある。家族のために自分の人生を犠牲にしたくないという人もいれば、逆に家族の幸せを優先に考える人もいる。このバランスのとり方は大変難しい。本作のラストは、この問題を提示しているような気がする。自分自信の人生と家族のあり方について考えさせるような、そんな懐の深いテーマが感じ取れる。
本作で少し残念に思ったのは、主人公ニッキーのキャラクターが弱かった点である。本作のような群像劇の場合、登場人物を一望できるような俯瞰視点のキャラクターが必要となってくる。その役割を担うのがニッキーであるが、彼のキャラそのものが貧弱であるため、どうしても映画全体が散漫なものに映ってしまった。むしろ、周囲のキャラクターの方が濃く、C・ドヌーヴ、E・ベアール・ミュウ=ミュウといった早々たるメンバーが揃い、ニッキーが完全に押されてしまっている。彼のキャラクターを前面に出すような構成が取れていれば、もう少し骨のある作品になっていたかもしれない。このあたりの作りは惜しまれる。
ノスタルジックなファンタジー。
「マジェスティック」(2002米)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 1951年のハリウッド。新人脚本家ピーターは赤狩りのとばっちりを受けてクビになる。ヤケ酒を飲み雨の中を車を走らせていた時に事故を起こし川に転落してしまう。目を覚ますとそこは見知らぬ町だった。記憶喪失になった彼は、第二次世界大戦に出兵したまま連絡が途絶えたルークという青年に間違われる。ルークの帰還に町中が大騒ぎになる中、彼はルークの父が経営する閉鎖した映画館の復活に生きがいを見出だすようになる。
DMM.comでレンタルするgoo映画映画生活ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 記憶喪失になった脚本家が体験する奇跡を通して映画の素晴らしさを謳いあげた感動ドラマ。
当時のハリウッドの赤狩りを背景に、体制に抗した主人公がヒロイックに描かれている。ただ、メッセージ自体はよく理解できるのだが、いかんせん赤狩りにあった当事者の悲劇というものを具体的に描かなったことでテーマが弱まってしまった。そこがあればクライマックスも俄然説得力が出てきただろう。おそらく製作サイドは、作品のポピュラリズムを得るためには、そういった陰惨な場面は除外した方が得策と判断したのだろう。
監督はF・ダラボン。「ショーシャンクの空に」(1994米)を初め、S・キング原作を映像化することの多い監督である。得てしてキング原作の映画作品は失敗作が多いと言われる中、ダラボン作に関してはそうでもない。この監督の根本的な資質にホラーやファンタジーといったジャンル映画的な要素が確実にあるからだろう。それは本作を見ても確認できる。ダラボンはキングと相性がいいのである。
さて、アメリカの良心と言われたのは、ハリウッドの名監督F・キャプラである。本作には彼の映画に似たテイストが感じられる。
ユーモアを含ませたピーターの好青年ぶり。性善説に基づいた町の人々。町が朴訥とした雰囲気に溢れていること。全てが理想的なアメリカである。そして、その一方で、世の中には悪い奴もいて、彼は庶民を食い物にする富裕層、つまりここで言えば映画を商売の道具にする金の亡者、重役達である。これもまたキャプラの作品ではお馴染みの悪役のパターンだ。今作はこの善と悪の対比を通して人間の良心、夢が啓蒙されている。これは正に往年のキャプラ節そのものと言える。時に夢見すぎな楽天家と評されるキャプラであるが、戦争という悲劇に耐え忍んだ当時の人々がハリウッドの映画で癒されていたのは事実である。今作にも同様の癒しのテイストが貫かれている。
話がキャプラの映画に逸れてしまったが、要するにこの作品はそういった当時のメルヘンを確信犯的に狙った上で作られているのである。したがって、楽天的過ぎると評して切り捨てるのは野暮というもので、そこに夢や希望を見出しながら鑑賞すべきであろう。
また、考えてみればリアリティが乏しい"軌跡″のドラマを、まるでファンタジーのように見せるのは実にしっくりといく話法に思える。本作は監督のセンスと古風なドラマが見事に融合した好例だと思う。
ピーターを演じるのはJ・キャリー。笑いのシーンは上手く演じている。例えば、歓迎会でピアノを弾く場面などは、彼の焦燥感が手に取るように分かって可笑しかった。しかし、彼はシリアスになりきれない俳優であり、例えば泣く演技はどうにも大仰で受け付けない。ここの抑制ができれば名優になれるのだが、残念ながらそこまでの期待は無理だろう。