緊張感が持続する。音がスゴイ。
「ハート・ロッカー」(2008米)
ジャンル戦争・ジャンルアクション
(あらすじ) イラクのバグダッド。アメリカ陸軍ブラボー中隊の爆発物処理班にジェームズ軍曹がやってくる。細心の注意を要する危険な仕事にも関わらず、彼の行動は時に向こう見ずで、部下のサンボーンとエルドリッジは度々危機に晒される。そのため二人はジェームズに対する不信感を次第に募らせていった。一方、ジェームズは地元少年とのかすかな交流に暫しの安らぎを覚えていく。そんなある日、彼等は任務中に突然銃撃戦に遭遇してしまう。
goo映画映画生活ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 死と隣り合わせの過酷な任務に従事する爆発物処理班の姿を緊張感みなぎるタッチで描いた戦争映画。
リアリズムに徹したドキュメタリータッチなドラマが、戦場の恐ろしさを克明に記している。いつ爆破するか分からない恐怖。どこにテロリストが紛れ込んでいるか分からない恐怖。それを3人のアメリカ兵の目線を通して臨場感溢れるタッチで描いている。
人間ドラマは兵士達の織り成す人物関係がかすかに語られるだけで、ザックリと削ぎ落とされている。38日間に及ぶ任務の描写にひたすら終始した作りは、ドラマ性を求める人にとっては少し味気なく写るかもしれない。また、描かれるテーマも冒頭の言葉にあるように”戦争の狂気”に関するものである。これも様々な戦争映画で語りつくされたテーマである。ドラマ性が薄く尚且つテーマに新鮮味も無い。しかし、本作はオスカーを受賞した。その理由はどこにあったのだろうか?
戦争に対する痛烈なアイロニーが見る者の胸を打ったのか。あるいは、今正にイラク戦争の意味を問うたところに社会派的な意義があったのか、様々な理由が思い浮かぶ。しかし、第一にこの映画を見て衝撃を受けたことは、殺し合いの場における異常な空気感、それを生々しく伝えた秀でた演出力だった。この戦場の恐怖は、ヒロイックさを売り物にする他のアクション映画では到底足元にも及ばない説得力を持っている。死線における生命の卑小さを異常なまでの熱度で照射した演出力は、ある意味で戦場疑似体験映画としては画期的なものではないかという気がした。これは爆発物処理班という好材あってこそだと思う。目の付け所が良い。
そもそも、爆発物の処理はサスペンス映画のクライマックスなどではよく見られるシーンである。赤のコードと青のコードどちらを切るか?絶体絶命に追い詰められた主人公の二者択一の選択が、サスペンスを盛り上げる。言ってしまえば、この映画はそのクライマックスが全編に渡って連なっているのだ。見ているこっちも手に汗握りながらその現場を目の当たりにしていくことになる。ただし、同じシチュエーションの繰り返しでは2時間持たせるのは無理なので、そのあたりは色々と工夫されている。タクシー乱入という突発的なアクシデントや、人権を蔑ろにしたテロリストのやり方を非情極まる方法で見せた廃ビルのシーン等。砂漠で遭遇する銃撃戦は、また違った意味で大いに興奮させられるシチュエーションだった。このようにこの映画は、爆発物処理班の体験を様々な手法をもって息つく暇を与えないほど次々と繰り出してくるのだ。正直、映画を見終わる頃にはどっと疲れてしまう。しかし、ここまで徹底した形で戦場の恐怖を捉えた作品は、余り他に例が無いように思う。
監督はK・ビグロー。時に豪快さを、時にセンシティブな感性を操りながら、シーンの緊張化をはかる。生々しいドライヴ感を基調としながら、時にスローモーションの作為性を織り交ぜつつ、それでいてドキュメンタリー様式を崩さない。見事な手腕だ。女性監督というイメージは作品からは微塵も感じられない。彼女の作品を全て見ているわけではないのだが、これまでは正直今ひとつの印象だった。かろうじて傑作と呼べるのは、J・リー・カーティスがタフな女性警官に扮したサスペンス作品「ブルースチール」(1990米)くらいであろうか。K・リーブス主演ということで比較的メジャーと思われる「ハートブルー」(1991米)にしろ、元夫であるJ・キャメロンが脚本を手がけた近未来SF作品「ストレンジ・デイズ/1999年12月31日」(1995米)にしろ今ひとつパッとしない仕事振りだった。ただ、彼女の映画はどれも男っぽい作りで統一されている。そして、その作家性を最も認識させたのが、前作「K-19」(2002米英独)だった。原子力潜水艦の密室劇で、ほぼ男しか登場してこない文字通り“地獄”のような映画だった。そして、今回もほぼ男しか登場してこない戦争映画である。この女性監督は一体どこまで男前な作風を貫くのだろうか。
さて、戦争の狂気ということで真っ先に思い出されるのはキューブリック監督の「フルメタル・ジャケット」(1987米)である。実は、この「ハート・ロッカー」も極めて似たような戦争に対するアイロニーを含んだ映画であるが、主人公に起こる内的な変化についてはまったく真逆の方向を見せるので興味深い。殺人マシーンと化していく新兵達を描いた「フルメタル・ジャケット」に対して、本作の主人公ジェームズは大胆不適な爆破処理マシーンからどんどん人間的な弱さを持つようになっていく。しかし、結末はどうかというと、どちらも同じようなシチュエーションで幕を下ろすのだ。ジェームズがその後どうなったかは本編では描かれていない。しかし、戦争を麻薬に例えた冒頭の言葉からすれば、こんな風に想像できてしまう。麻薬は歯止めが効かない。そして、待ち受けるのは”死”のみである‥と。弱き哀れな男に成り果ててしまっても、それでも彼は戦火の中にその身を置かざるを得ないという戦争の狂気。麻薬に例えるとは、言いえて妙である。
独創的な世界!
「真夏の夜の夢」(1959チェコ)
ジャンルファンタジー・ジャンルアニメーション
(あらすじ) 大公の婚礼を翌日に控えた王国。国中が浮かれる中、貴族の娘ハーミアは勇敢な騎士ディミートリアスとの婚約を反故にして笛の名手ライサンダーと駆け落ちする。嫉妬に駆られたディミートリアスは二人を追って森の中に入っていった。その後をディミートリアスに片想いするヘレナがついていく。森の支配者オーベロンはその様子を面白がり、妖精パックを使って悪戯をする。そして、森の王女ティターニアを振り向かせようと画策するのだが‥。
goo映画映画生活ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) シェイクスピアの戯曲を幻想的に描いた人形アニメーション作品。
4人の男女と森の住人達が織り成す恋愛騒動は、大公の婚礼を祝うために集められた芝居一座の面々が加わることで狂騒的なものになっていく。複雑に絡まりあう恋愛模様は、クライマックスとなる芝居一座の劇中劇へと結実し見事な大団円を迎える。先の読めない展開で中々面白く見れた。
そして、ドラマもさることながら本作の最大の見所は何と言っても生き生きと表現されたアニメーション、そして幻想的なビジュアルである。
特に、クライマックスの演劇シーンは白眉の出来栄え。人形の一つ一つの所作はなめらかな動きで、尚且つ手作りの温もりも感じられる。コマ撮り撮影の苦労が偲ばれる。
また、幻想的に彩られた森の風景も素晴らしい。花や草木、動物、妖精、半獣人の異形の怪物達が共存し、ダークな色調をしのばせつつ魅力的なイマジネーションの世界が構築されている。特徴的と言えば、サイケデリックな照明効果が挙げられる。エッジの効いたシュールさはこの作品世界の大きな魅力だ。まるで悪夢を見ているような感覚に捕らわれた。
チェコでは昔から人形アニメは盛んに作られており、本作の監督イジー・トルンカは世界的にも知られる巨匠である。その系譜に連なるのが
「アリス」(1988スイス)等で知られるJ・シュヴァンクマイエルといった現代の作家達である。脈々と受け継がれるチェコ映画の伝統と言っていいだろう。
長崎被爆の前日談。悲しくも美しい作品。
「TOMORROW 明日」(1988日)
ジャンル人間ドラマ・ジャンル戦争
(あらすじ) 1945年8月8日、長崎。工員庄治と看護士ヤエの結婚祝宴が慎ましやかに開かれた。戦時下の折、彼等を取り巻く環境は決して明るいものではなかったが、和やかなムードに両家は安らぎを覚える。そんな中、ヤエの身重の姉ツル子が急に産気づいた。運悪くそこに空襲警報が鳴り響き‥。一時はどうなることかと思ったが、どうにかツル子は落ち着きを取り戻し、空襲警報も大事には至らなかった。祝宴が終わり夫々が帰途に着く。庄治とヤエは初めての夜を迎える。ツル子は安静状態で母の看護を受ける。戦地に向かう恋人と別れる少女、瀕死の敵兵を見守る捕虜収容所の兵士等々‥夫々の夜が明けていく。
DMM.comでレンタルするgoo映画映画生活ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 原爆が投下された長崎を舞台に、そこに暮らす人々の姿をスケッチ風に綴った群像劇。
物語の主となるのは庄治とヤエの結婚である。その傍らで縁故者達のエピソードが同時並行で語られていく。ヤエの姉ツル子の出産、ヤエの妹昭子の悲恋、庄治の親友のエピソード、両親のエピソード等、様々なドラマ紡がれていく。
一見すると登場人物が多すぎる気もするが、構成の巧みさで混乱することなく見れた。映画は夫々の朝の風景から始まる。その後の婚姻シーンで人物関係をおおよそ紹介し、後の展開に結びつく様々な伏線も設けられている。実に上手く作られていると思った。
ただ、その後はドラマ的に何か大きな事件が起こるわけではない。淡々と「被爆」という悲劇に向かって日常風景が静かに積み重ねられていくだけである。このあたりの平板さをどう捉えるかは賛否の別れる所かもしれない。しかし、この淡々とした作りがかえって彼等の日常の営みを儚く見せ、俺はそこにしみじみとさせられた。
例えば、無邪気に遊ぶ子供達の姿、小豆のあんこを食べる幸せ、新しい生命の誕生、大好きなレコードを聴く喜び等々。平和のありがたみと、それを一瞬にして奪い去ってしまう原爆の恐ろしさ。それが一連の描写から感じられる。被爆の直接描写無しにここまで原爆の恐ろしさを表現できた所は見事と言うほかない。類まれな反戦映画になっていると思う。
中でも捕虜収容所に勤務する石原のエピソードは白眉だった。彼は捕虜を見殺しにしまったことで自責の念に駆られてしまう。その後、彼は娼婦の胸に抱かれて慰められる。ここでは電球に集まる蛾や赤く染まった月等、死の前兆とも取れるニュアンスが登場し、この世の無常をいやがうえにも意識させられる。そして、抗いようがない運命に怖さを覚えると共に、一夜限りの男女の仲という所にしみじみとしたペーソスが感じられた。
この他にも様々なエピソードが登場してくる。いずれも原爆による悲劇を哀しく訴えている。決して声を大にして訴えていない所が良い。日常の営みの中に静かに描いてる。自然と胸に迫ってきた。
ただし、1点だけ興が削がれるエピソードがあった。それは三女の悲恋のエピソードである。これは芝居が過剰で少し嫌らしく感じてしまった。
監督は黒木和雄。反戦をモティーフにした映画は本作を含め数本撮っているが、これは彼の晩年のライフワークと言っていいだろう。遺作となった
「紙屋悦子の青春」(2006日)までこの姿勢は一貫して崩さなかった。その作家性は改めて評価されてしかるべきであろう。
尚、助監督に鬼才三池崇史の名前がクレジットされている。過度な暴力描写を撮る三池がこういった静かな作品に携わっていたことは意外だった。
味のある作品。泣ける。
「紙屋悦子の青春」(2006日)
ジャンルロマンス・ジャンル青春ドラマ
(あらすじ) 昭和20年。戦争で両親を亡くした少女悦子は、鹿児島の兄夫婦の家で暮らしていた。彼女には密かに想いを寄せる人がいた。それは兄の後輩で海軍航空隊に所属する明石少尉である。ある日、兄が縁談の話を持ってくる。期待に胸膨らませる悦子だったが、縁談の相手は明石の親友永与少尉だった。落胆するが、実際に会って話してみると、その素朴さに惹かれていく。
DMM.comでレンタルするgoo映画映画生活ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 戦争によって引き裂かれた恋と友情を感動的に綴った青春ロマンス作品。
監督は黒木和雄。彼の作品は以前
「祭りの準備」(1975日)と
「竜馬暗殺」(1974日)を紹介した。力強い豪快な演出を信条としながら、叙情的なテイストも中々に上手い名匠である。尚、本作は彼の遺作である。初期時代のような豪快さはないものの、老いてこそ出せる”巧みの味”。それを十分に感じさせてくれる作品になっている。
物語は、現代の悦子と永与の回想劇で進行する。二人の馴れ初の秘密がノスタルジックに綴られ、たとえどんなに悲しい過去でも、今の自分達の幸せがあるのはあの過去があったからなのだ、という人生の彩が丁寧に描かれている。
戦時下の悲劇と聞けば深刻一辺倒なドラマを想像してしまうが、ユーモラスで朴訥とした雰囲気を随所に織り込むことで、作品全体の印象は温かみに満ちたものになっている。
黒木監督の演出も実に手堅い。冒頭から安定したフレーミングの長回しが続き、以後も基本的にはこの手法が取られている。主だった登場人物は5人のみ。必要最小限のダイアローグ劇に、ユーモラスで洒落たセリフを自然にはめ込むあたりは正に熟練ならではという感じがした。特に、前半の悦子と明石、永与の初々しいやり取りが秀逸である。また、兄夫婦のやり取りにもほのぼのとした味わいがあって良かった。
悦子役の原田知世、永与役の永瀬正敏、明石役の松岡俊介。3人ともリアリティを追求する黒木監督の演出に見事に応えていると思った。但し、悦子と永与の現在の姿については違和感が残った。主に外見に関してなのだが、老けメイクの雑さが惜しまれる。ハリウッド映画なら完璧にメイクするだろうが、日本映画はどうしてもこのあたりが弱い。
ドロン&ベルモンド競演の快作。
「ボルサリーノ」(1970仏伊)
ジャンルアクション
(あらすじ) 1930年代のマルセイユ。強盗の常習犯ロッコが刑期を終えて出所した。昔の恋人を訪ねてみると、そこには新しい情夫フランソワがいた。二人は派手な喧嘩を始めるが、これがきっかけで奇妙な友情が芽生える。その後、ロッコはフランソワの詐欺稼業に協力するようになっていく。やがて二人の悪名は暗黒街に響き渡るようになり、マレロのマフィア組織に迎え入れられた。そこでも二人は目覚しい活躍を見せていった。そんなある日、フランソワはバカンス先で、昔ナンパしたことのある少女ジネットに再会する。しかし、彼女は敵対するマフィア組織ポリの情婦だった。
goo映画映画生活ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) ヤクザ達の刹那的な生き様を痛快に綴ったギャング映画。
ドラマ自体は取り立てて新鮮味が無く単調。細部に渡る詰めの甘さも作品としての完成度を落としている。しかし、この映画の魅力は何と言っても、フランスの二大スター、J・ポール・ベルモンドとA・ドロンの魅力を存分に引き出したところにあり、2人の競演作自体が意外に少ないこともあり、その希少性が作品としての価値を引き上げているような気がする。とにかく、本作におけるベルモンド&ドロンの格好良さは尋常じゃない。ここまで徹せられると、スター映画然とした潔さも感じられる。そういった意味では、ドラマを不用意に詰め込まなかったのはかえって良かったのかも‥そんな気にもなってくる。加えて、本作を代表するといえば音楽。どこか陽気な感じのするテーマソングが不思議な味わいをもたらし耳に深い余韻を残す。
まず、序盤のロッコとフランソワの殴り合いから映画の世界に一気に引き込まれた。二人ともセリフを一言も喋らず、ひたすら無言で殴りあいを始める。拳で語ることでお互いの強さを認め合うという、正に体育会系的なノリ。男同士の友情に言葉など不要、といったところか。このニヒリズムが堪らない。
後半から、ポリとマレロの二大勢力の抗争で物語はスケールアップしていく。しかし、話が大きくなるにつれて、ロッコとフランソワの友情ドラマが後方に追いやられてしまい急にテンションが落ちてしまうのは残念だった。せめてボスであるポリとマレロにカリスマ性があればまだ盛り上がるのだが、それも無いためこの抗争劇自体がどこか安穏としたものに写ってしまった。そもそもこの映画全体に言えることなのだが、冷酷非情なマフィア社会を描いておきながら、作りが割とライト志向に拠っている。そこが物語のリアリティを失している。
ただ、ラストにはスカッとさせられた。「冒険者たち」(1967仏)におけるA・ドロンとL・ヴァンチェラの友情にも似た、男泣き必至なエンディングになっている。コインを使った演出も気が利いてて良かった。
ちなみに、公開時には二大スター競演ということで大いに評判を呼び、その後続編が製作された。未見なので評価のしようがないが、どうやら続編は今作を懐古するような物語になっているらしい。ロッコとフランソワの友情は本作でいったんの終わりを見せるわけで、蛇足という気がしなくもない。
異才松尾スズキが放つ怪作!
「クワイエットルームにようこそ」(2007日)
ジャンルコメディ・ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 雑誌記者明日香は、仕事のストレスと夫婦関係の軋轢から、睡眠薬を多量摂取して病院に運ばれる。そして、自殺の危険性があるとして精神病の隔離施設に移された。彼女は自分は正常だと訴え出るが、病院側はそれを認めなかった。長期療養を余儀なくされた明日香は、そこで様々なワケあり患者達と出会う。過食症の少女ミキ、一見普通に見えるが逃避癖のある主婦栗田、ピアノを奏でる自閉症のお嬢様サエ。彼女等との交流に不思議と安堵を覚えていく明日香。そんなある日、彼女はある患者とトラブルを起こしてしまい‥。
DMM.comでレンタルするgoo映画映画生活ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 精神病棟に強制入院させられた女性の悲喜こもごもをブラックな笑いで綴ったコメディ作品。
監督は様々なフィールドで活躍を続ける異才松尾スズキ。直木賞の候補にもなった自らの原作を元に、いかにも松尾らしいダメ人間達の心の闇をシニカルに描いている。
物語序盤は、睡眠薬の過剰摂取で一時的に記憶を失った明日香が、何故自分が精神病棟に強制入院させられているのか?その謎を解明していくというストーリーになっている。
このミステリーは、面会に来た夫の回想で一旦は解明される。しかし、これを伏線として後に意外などんでん返しが用意されている。これはいわゆる”ブラックアウト物”の映画の一つのパターンで、最近で言えば「メメント」(2000米)という作品があった。また、D・ホッパーの怪演が印象的だった、タイトルもそのものズバリな「ブラックアウト」(1997仏米)という作品があった。これらの作品に共通しているのは最後の意外などんでん返しである。それを期待しながら見ると本作も中々楽しめるのではないだろうか。
中盤からは、他の入院患者達との交流を通して明日香の成長が描かれていく。不謹慎ながら、精神病という色々な意味で危険な題材をよくぞここまで毒気タップリに描いた‥と感心させられた。言ってしまえば、J・ニコルソン主演の名作「カッコーの巣の上で」(1975米)と同じシチュエーションなのだが、そこで繰り広げられる患者同士の交流は決して甘ったるいヒューマニズムに堕するものではない。いかにも松尾スズキらしい辛辣な表現は、患者達すなわち社会から疎外された者達に対する愛ある叱咤の言葉に思えてくる。
前作「恋の門」(2004日)もそうだったが、松尾スズキは異端者、ドロップアウトした者に幾ばくかの親近感を持って接しているようなところがある。これは彼自信が作家としてはマイナーな、つまるところクセを持った異端者であることからくる同胞意識があるからなのかもしれない。劇中で育まれるダメ人間の友情にどこか優しさが感じられるのは、こうした監督自身のシンパシーがあるからなのだろう。
明日香を演じるのは内田有希。酒とクスリに溺れる”やさぐれ”キャラを体当たりで演じている。白目をむいたりゲロを吐いたり、これまでにない汚れ役は新鮮だった。また、患者の一人を演じる大竹しのぶの怪演はかなり強烈だった。少しやり過ぎな感じがしなくもないが、インパクトという点で言えば随一である。一方で、蒼井優とりょうは、今ひとつキャラを活かしきれていないのが残念だった。それと、白井先生に関しては反則としか言いようがないなぁ‥(笑)
良心に満ちた作品だが、手厳しく見ると‥。
「この道は母へとつづく」(2005ロシア)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 孤児院育ちの6歳の少年ワーニャは、養子縁組が決まり新しい両親が迎えに来るのを待っていた。先だって親友ムーヒンも養子として貰われて行った。きっと温かな家庭で幸せに暮らしているだろう。自分もきっと‥そんな期待に胸膨らませていたある日、孤児院にムーヒンの実母が我が子を返して欲しいとやって来た。すでに養子に出されたことを知ると彼女はショックを受けて自殺してしまう。ワーニャは動揺する。そして、実の母に会いたいと思い始める。
DMM.comでレンタルするgoo映画映画生活ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 母を求めて旅をする少年の物語。実話がベースになっているということだ。
よくある話といえばそれまでで取り立てて目新しさは無い。しかし、こういった良心的な作品は今のような時代には特に必要とされているのではないだろうか。
前半は孤児院の人間模様が興味深く見れた。
孤児院では、年上グループと幼年グループの縦社会が構築されている。年上グループは盗みや売春をしながら独立生計を立てている。ワーニャは幼年グループに属しているが、このまま孤児院にいればいずれ彼等と同じ道を歩むことになるだろう。だから、里子に出されることは地獄に仏、非常にラッキーなことなのだ。まだ年端も行かない少年少女たちにこれほど過酷な「格差」を与えるとは‥。この現実は余りにも残酷すぎて胸を痛めてしまう。
そんな孤児院に一際目立つキャラクターがいた。それは年上グループに属するイルカという少女である。彼女はトラッカー達に体を売って金を稼いでいる荒んだ少女である。すれっからしな反面、ワーニャに読み書きを教えたり、孤児院から脱走するのを手伝ってやったり、面倒見の良い一面も持っている。ギャップ萌えではないけれど、中々魅力的なキャラクターに思えた。残念ながら彼女は中盤で物語の舞台から退場してしまうのだが、その後の彼女をもっと見てみたかった気がする。
後半は、孤児院を脱走したワーニャの旅のドラマになる。外の世界に出た彼は様々な出会いと別れを繰り返しながら成長していく。一人で生きることの厳しさ、人々の優しさを直に感じ取りながら、時には危険な目に合ったりしながら逞しく成長していく。実話がベースということもあり、波乱に満ちた‥とまではいかないが、中々起伏に富んだドラマで面白く見れた。
ただ、この映画は中盤までは上手く作られているのだが、終盤に差し掛かるあたりから色々とご都合主義が見えてきてしまい、今ひとつ乗り切れなかった。
その原因はドラマの視座にあると思う。この映画はワーニャの視座に固定されて展開されている。最終的にこれがこのドラマを偏狭的なものにしてしまった。もし、この結末にするのだったら、母親のドラマは不可欠だったのではないだろうか。そもそもワーニャが孤児になった経緯についてもよく分からない。母親がワーニャに対してどういう感情を持っていたのかも分からない。したがって、ここは母親から描いたドラマも交えて、母子の絆の再生というカタルシスに十分な説得力を持たせるべきだったのではないかと考える。
他にも、幾つか作りの甘さで気になる点があった。例えば、ワーニャが手を切るシーンは伏線を要すべきだったろう。唐突に感じてしまった。また、終盤で知らされる港で発見されたという情報は、この場合かえって不要なものに思えた。
メッセージは明快に発せられてるし、ロシアの現実社会を投影したところにも見応えがあったが、完成度という点で言えば色々と突っ込みを入れたくなってしまう作品だった。
カラフルでポップで楽しい。
「ヘアスプレー」(2007米)
ジャンル音楽・ジャンルコメディ
(あらすじ) 1960年代のボルチモア。トレーシーはテレビのダンス番組出演を夢見るおデブで快活な女子高生。意気込んでオーディションに臨んだはいいものの、あえなく落ちてしまう。しかし、ダンス番組に出演するクラスメイト、リンクとひょんなことから仲良くなったことで番組出演が決まる。そして、持ち前の明るさで彼女は瞬く間に町の人気者になっていった。それを面白く思わなかったのが、番組ヒロインのアンバーと彼女の母親だった。トレーシーは番組ディレクターも兼ねる母親から様々な嫌がらせを受けるようになる。
DMM.comでレンタルするgoo映画ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 鬼才J・ウォーターズ監督のメジャーデビュー作にして、ブロードウェイの人気ミュージカル「ヘアスプレー」。今もって人々から愛されるこの作品をリメイクした作品。
持ち前の明るさで周囲にハッピーをもたらす女子高校生のパワフルな活躍に勇気付けられる。明るくポップな映像とポジティブなドラマ性で終始楽しく見る事が出来た。
尚、時代背景はオリジナル版同様、1960年代に設定されている。このドラマの一つの鍵となるのは黒人に対する人種差別だ。仮に現代に置き換えて描くとしても、この素材を他のものに置き換えるのは大変難しいと思う。そういう意味では、オリジナル版の時代設定を踏襲した作りは正しい選択のように思えた。また、時代設定に説得力をもたらすべく、ファッショナブルな映像も実に凝っていて上手く作られている。
物語はトレーシーの勇気ある行動によって人種差別撤廃を唱えていく‥というものである。極めて博愛主義なテーマの下、ドラマは語られていく。この博愛主義はシリアスに語られてしまうと説教じみてしまう危険性があるが、本作はひたすらエモーショナルな歌とダンスによって表現されている。嫌味なく発せられていて素直に受け止められる。
そして、このトレーシーの人種差別撤廃運動は、今作のテーマ。見た目で人を判断することの愚かさ‥といったことを見る側にストレートに訴えかけてくる。このメッセージは、ルックス的にはお世辞にも良いとは言えないトレーシーが訴えるから説得力が増してくるように思う。これが仮に美人が言っても何の説得力も伴わないだろう。
全体的にそつなく作られていて中々の好編だと思う。ただ、クライマックスにかけての展開にはmやや“難”ありと思えた。登場人物全員が揃って大団円と呼ぶに相応しいミュージカルを披露しているが、ここで複数の葛藤と克服を抱え込んでしまったのは流石に欲張りという気がした。トレーシーの母親のドラマ、黒人差別撤廃運動を先導する組織のドラマ。様々な葛藤と克服が乱立されて何となく”とっちらかった”印象を持ってしまった。ここは何でもかんでもハッピーエンドにする必要はなかったように思う。時には、問題を未解決とした方が余韻を残す場合もあるし、作品としての深みが生まれる場合もある。
キャスト陣では、トレーシーの母親役を演じたJ・トラボルタの怪演が強烈だった。特殊メイクを施して巨漢を揺らしながらダンスを披露している。父親役はC・ウォーケン。こちらは朴訥とした風情で心和ませてくれる。そんな二人がダンスをするシーンがある。ここは必見である。胸が熱くなった。
変質的なキャラをI・ウッドが妙演している。
「僕の大事なコレクション」(2005米)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) コレクション癖のある青年ジョナサンは、病床の祖母から1枚の写真を貰う。そこには自分とそっくりな容姿をした亡き祖父とアウグスチーネという女性が仲良く写っていた。ユダヤ人だった祖父は彼女のおかげでナチスの迫害を逃れたという。ジョナサンはアウグスチーネを探しに祖父の故郷ウクライナへ飛んだ。空港に降り立った彼を出迎えたのは、片言の英語しか話せない通訳アレックスとドライバー役の彼の祖父だった。3人はアウグスチーネを探す旅に出るのだが‥。
DMM.comでレンタルするgoo映画映画生活ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 変わったコレクション癖を持つ青年とウクライナ人達の交流をオフビートなタッチで綴ったロード・ムービー。
ジョナサンは、見たもの、触ったものは何でもコレクションする性癖を持っている。その容姿も黒のスーツに大きな黒ぶちメガネ、髪をカッチリと固め、奇妙な出で立ちをしている。どうして彼はそんな趣味を持つに至ったのか?どうしてそんな格好をしてるのか?そのあたりのことは最後の方で明かされるのだが、これをI・ウッドが飄々と妙演している。この前の記事で紹介した
「17歳~体験白書~」(2002米)でもそうだったが、変質的で何を考えているかよく分からない怪しさが魅力的だ。この役作りは監督の指示なのか、あるいは本人によるものなのか分からないが、持ち前の端正で冷淡な顔立ちとの相性で言えば、中々上手くハマっている。
映画はそんな彼の旅を描いていく。
前半はガイド役である地元青年アレックスと彼の祖父との交流を通して、アメリカ人の目から見たウクライナの風景がスケッチされていく。観光映画的な面白さ、カルチャーギャップの面白さが感じられた。また、朴訥とした住人とのやり取り、動物を使ったコメディ・タッチな演出等、楽しく見る事が出来る。
後半から作風がガラリと変わってくる。ウクライナで起こった戦争の歴史、ユダヤ人であるジョナサンの祖父が受けた迫害の歴史がシリアスに語られていく。ウクライナでこうした反ユダヤ主義があったというのは知らなかった。歴史の一幕を見た思いである。
ただ、こうしたシリアスなトーンを出してくるとは思いもよらなかったので、全体を通して見ると少し意表を突かれた感じは受けた。トーンの統一感に欠けるような気もした。
また、この悲劇の語り部となるのはアレックスの祖父である。彼の戦争体験を通してユダヤ人迫害の歴史を紐解く構成になっているが、ここにドラマ視点のブレが生じてしまう。ジョナサンが過去の歴史を知り得るのは終盤になってからであり、その間ドラマの主観が宙をさ迷う。これはジョナサンのルーツ探しのドラマなのか?あるいは、アレックスの祖父の悔恨のドラマなのか?どっちつかずの印象を持ってしまい、余り上手い構成に思えなかった。ここはドラマの肝となる部分なので、やはりジョナサンの視座に固定して描いて欲しかった気がする。
また、この後半部分は旅の終着点となる描景など、少し幻想的なトーンを帯びてくるようになる。これにも違和感を感じた。確かにこの描景は鮮烈な印象を残すが、戦争の悲劇を炙り出す舞台としてはいささか美し過ぎるような気がした。作り手達はきちんとこの歴史に向き合わなければならない。郷愁として美しい思い出に溺れてはいけないと思う。終盤でのアレックスのリアクションにしてもそうである。余りにも軽すぎる。祖父から受け継いだ戦争の語り部としての役割をアレックスはどう思っているのか?終わりよければ全てよし‥といかないところが本作の苦しいところだ。
I・ウッドが癖のある役に挑戦。
「17歳~体験白書~」(2002米)
ジャンルロマンス・ジャンル青春ドラマ
(あらすじ) ジョーンズは大学を休学して、祖父が残した遺産を使って一人暮らしを始める。入居したアパートには様々な人間が住んでいた。女流カメラマンのジェーン、売れない女優リサ、同性愛者のブラット。ジョーンズはジェーンに一目惚れするが相手は年上。したたかにかわされてしまう。一方で、同年代のリサとは何でも話せる親密な仲になっていった。しかし、それでもジョーンズの中ではジェーンに対する想いが中々吹っ切れないでいた。そんなある日、彼はジェーンとリサの過去の因縁を知る。
DMM.comでレンタルする映画生活ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 大学に進学したはいいものの、初日にドロップアウト。作家を目指してアパートで一人暮らしを始めるが、そこには様々な人間がいて‥。思春期少年のアンビバレントな心理を周囲の人々との交流で綴った青春ドラマである。
「体験白書」というサブタイトルがついているとおり、この映画は端的に言ってしまえば”脱童貞”のドラマである。クールな年上の女性ジェーンと、同年代の天真爛漫な少女リサ。タイプの異なるヒロインの間で、ジョーンズの初恋の葛藤が綴られていく。中盤、ジェーンとリサの過去の秘密が暴露されるのだが、ここがこのロマンスのクライマックスとなっている。ただ、個人的にはどうにも今ひとつ盛り上がりきれなかった。ジョーンズの葛藤が余りにも淡々と描かれているせいである。
また、ロマコメ映画には常套の“すれ違い”の演出も図られているのだが、これも余り切迫感が感じられなかった。
同じアパートの住人ブラットとの交友も、青春ドラマとしては余りにも定番過ぎてつまらない。ジョーンズは彼から酒やタバコ、銃といった大人の男としての”たしなみ”を教示され、一皮向けた大人の男に変身していくのだが、これが余りにも紋切り的過ぎる。ブラッドの同性愛者という設定が全く活かされていない所にも不満を持った。
このように出てくるエピソードは凡庸と言わざるを得ない。所々の斬新な演出は確かに見るべきものはあったが、ドラマ自体は型にはまったもので新鮮味がなく退屈した。また、ラストの処理の仕方も好き嫌いが分かれよう。個人的には強引過ぎると感じた。
ただ、本作はジョーンズのキャラクターだけは面白いと思った。彼にはエッチな妄想癖があり、それを自分の性体験として物語風に書き綴っている。現実より夢想を好む気弱なヲタク少年の”いじらしさ”がよく表現されている。ジョーンを演じるのはI・ウッド。このキャスティングも実にはまっている。
そして、後半から彼のこの倒錯的な行為に”ある重要な意味”が隠されていることが分かってくる。彼のバックストーリーも見えてくるようになり、正直、ロマンスドラマよりもこちらの方が面白く見る事が出来た。