インポテンツを極限的なシチュエーションで描いた”キケン”な映画。
「盲獣」(1969日)
ジャンルロマンス・ジャンルサスペンス
(あらすじ) 人気モデル、アキは写真展で奇妙な男を見る。その後、その男はマッサージ師として再び彼女の前に現れた。実は、彼は道夫という盲目の彫刻家だった。アキは道夫に拉致され人里離れた廃工場に監禁されてしまう。
goo映画映画生活ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 盲目の彫刻家・道夫に監禁されたモデル・アキの絶望的な愛をシュールに綴った作品。
江戸川乱歩原作の猟奇趣味、増村保造監督の艶かしいエロティズムが見事に融合した怪作である。倒錯的な性愛をスリリングに活写し、一種異様な雰囲気を持った作品に仕上がっている。
道夫はたった一人の家族である母の寵愛を受けながら、造形ヲタクよろしく引き篭もりの生活を送っている。すでにこの設定からして異常なわけだが、彼は一目惚れしたアキをモデルとして拉致監禁する。当然アキは脱出を試みるのだが後一歩という所で道夫の母親に連れ戻されてしまう。そして、道夫の気持ちを弄んだとして母から虐めを受けるのだ。こうしてアキは徐々に精神を崩壊させていくようになる。子が子なら母も母である。この母子関係には近親相姦的な偏愛も想像でき、そこに禁忌的な危うさも付帯する。
物語は若干シュールに展開されるが、アキのモノローグがその場の状況、心理を簡潔に形而下しているので混乱するようなことはない。むしろ、即物的すぎて見ようによっては見世物小屋的作品と写るかもしれない。
ただ、当時の新東宝の”それ系”なマニアックな作品が一定の需要を得ていたことからも分かる通り、こうしたエログロが一部で受けていたのも確かである。
例えば、映像上最もインパクトに残るのは、道夫のアトリエのプロダクション・デザインである。目、口、鼻、手足、胸といった人体のパーツが壁一面に敷き詰められ、中央には巨大な女体のオブジェが二体並んでいる。芸術家の脳内宇宙をシュールに再現したものであり、それを巧みなスポットライト効果で少しずつ見せていく演出はすこぶる不気味で見せ物映画的興奮に満ちている。
そして、道夫とアキの倒錯的なSMプレイがもたらす残酷な顛末。これも印象に残った。道夫が作ったオブジェで顛末を表現してしまう演出は正に”技あり”である。”ドスン!”という音にビビった。
ただ、その一方で映画としての作りにやや粗さも見つかる。例えば、道夫とアキの鬼ごっこや母親の末路。これらについてはもう少し配慮して欲しかった。どうしても安穏としすぎてしまう。
主要キャストはたったの3人であるが、いずれも熱演を見せている。特にアキ役の緑魔子の物の怪にでも取り付かれたような"イッちゃった”演技は凄まじかった。クライマックスの彼女の演技は正に「狂気」の一言である。
オーソドックスな作りが安心して見れるが‥。
「トワイライト~初恋~」(2008米)
ジャンルファンタジー・ジャンルロマンス
(あらすじ) 高校生ベラは両親の離婚で新しい学校に転校する。彼女はそこでカレン兄弟に出会う。ミステリアスな佇まいにどこか近寄り難いものを感じるベラだったが、兄弟の一人エドワードに一目惚れする。ある時、自動車事故に遭いそうになったところを彼に助けられ、その想いは益々強まっていった。しかし、彼にはある噂があった。ベラは先住民居留区に住む幼馴染から一家にまつわる”ある過去”を聞かされる。
DMM.comでレンタルするgoo映画映画生活ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 人間とヴァンパイアの禁断の恋を綴ったファンタジー・ロマンス。
アメリカのティーンズを中心に熱狂的な支持を受けた原作とあって、今回の映画化には注目せざるを得ない。全五部作の構想で進められており、今のところ第二部まで製作されている。第三部は全米今夏公開ということだ。遅ればせながらその人気の理由が何なのか?探りを入れてみるつもりで第1作を見てみた。
恋愛青春ドラマとしては非常にオーソドックスな作りになっていて、そこが同世代の共感を得ているのだろう。一昔前ならよくあるティーンズ・ムービーとして片付けられていたところを、本作にはヴァンパイアという今時のファンタジーの要素が織り込まれている。これがサスペンス、アクションといったエンタメ性を上手く演出している。娯楽性は豊富だ。恋するヴァンパイア、エドワードのニヒルな美形っぷりも、ある種アイドル映画的な造形を成し、人気の一役を買っていると思われる。学園ファンタジーを擁したラノベと同種の匂いを感じるが、ともかくもポピュラリズムに拠った作りは潔いと言える。
但し、所詮は若年層をターゲットにした作りなので、映画の設定自体はかなりユルユルだ。ヴァンパイアの説明、ベラのキャラクター。いずれも”設定のための設定”に造形され、情報量としては浅薄。本来なら生死を分けるような切迫した葛藤ががあって然るべき所を、恋に恋する夢見心地に堕している。したがって、映画全体の印象は食い足りないものに感じられてしまう。ベラの葛藤をどこまで掘り下げる事が出来るか?そこが今後の課題&見所になっていきそうだ。
また、色々と伏線の持ち越しが見られるが、そこも次作以降の宿題だろう。二人の寸止めラブはどこまで続くのか?そこがこのシリーズの鍵を握ると思った。
奇妙なアクション演出は良かった。エドワードの蜘蛛歩きにはバカ映画的なノリも見出せるし、野球のシーンも同様のノリが感じられた。
水増し展開でガッカリ。
「ソウ5」(2008米)
ジャンルサスペンス・ジャンルホラー
(あらすじ) 連続殺人鬼ジグソウの死後、ホフマン刑事は事件解決の英雄として賞賛される。彼と同じく死の罠から軌跡の生還を果たしたFBI捜査官ストラムは、ホフマンがジグソウの後継者ではないかと睨み独自の捜査を開始する。その頃、とある地下室で鎖につながれた5人の男女が目を覚ました。彼等は新ジグソウが仕掛ける死のゲームに挑んでいく。
DMM.comでレンタルする映画生活ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 第二のジグソウを追いかけるFBI捜査官の奔走を描いたシリーズ第5弾。
前作の生き残りストラム捜査官を中心とした謎解きサスペンスだが、申し訳ないのだがこのキャラクターをまったく覚えていなかった。
「ソウ4」(2007米)のクレジットを調べると確かに出ていたのだが印象が薄い。もはや常連さん御用達なシリーズであるが、まさかここまで隙間をついてくるとは‥。おまけに主役であるジグソウは、
「ソウ3」(2006米)ですでに死んでいるのにどこまで引っ張るつもりなのか?このシリーズ、ここまで来ると余程コアなファンしか需要としていないことが分かる。とか言いつつ、俺も付き合っているのだから結構な物好きであるが‥。
しかしながら、正直なところ今回はこれまでの中で一番退屈した作品だった。生前のジグソウとホフマン刑事の繋がりは前作で判明していることであり、それを今回改めて説明する必要があったのかどうか?この映画全体がものすごく蛇足な気がしてならない。もしかしたら、今回描かれた事が後の伏線になっている可能性もあるのだが、だとしても作品単体として見た場合この映画はミステリにすらなってない。この程度の話なら30分くらいにまとめて早々に次の展開に入って欲しい。水で薄めるようなドラマは見ていて非常に退屈だ。
ストラムの捜査の一方で5人の男女の脱出劇も描かれているが、こちらも今までの作品に比べるとサスペンスの緊張感が薄い。オチにはなるほどと思わされたが、そもそもこのシリーズの一番の見せ場である残酷な仕掛け。そこに斬新さが無い。
思うに、監督の演出力が響いているのではないだろうか。今回はこれまでプロダクション・デザインを手がけてきた人物が初監督を務めている。シリーズ2~4とは違う監督で、そのせいで作風が若干”もっさり”としている。タイムリミット感を煽る演出等、スピードが命の本シリーズにあって、これじゃいかんと思う。
尚、途中でジグソウの元妻が遺品を手にするのだが、これについては謎のままである。おそらく続編で明らかにされるのだろうが、さすがにもう付き合いきれなくなってきたなぁ‥。
ちょっと癖のあるところが面白い。
「厨房で逢いましょう」(2006独スイス)
ジャンルロマンス
(あらすじ) 小さな人気レストランを経営する天才シェフ、グレゴアは、料理一筋の人生を送ってきた独身中年男。日々お客のために最高の料理を作り続けてきたが、孤独を感じることもある。ある日、カフェで働く主婦エデンに目が留まり、以来彼女の事をずっと遠くから見続けるようになる。エデンには障害を持つ娘がいて、そのせいで夫との関係は冷め切っていた。グレゴアはひょんな事からエデンと親交を持ち、彼女も彼の料理に魅せられ毎週厨房を訪れるようになる。その関係をエデンの夫に知られてしまい‥。
DMM.comでレンタルするgoo映画映画生活ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 著名な天才シェフと平凡な主婦の慎ましやかなロマンスを、独特のタッチで描いた小品。
通俗的なメロドラマにブラックな味わいをトッピングしたところが面白く見れる。一番の功労はグレゴアのキャラクターにある。
彼は幼い頃から大食漢で、食べる事が大好き。それが興じて料理人になった。今や体重は100キロをゆうに超える超肥満で、容姿に対するコンプレックスから女性との恋愛経験は無い。人生の全てを料理に捧げてきた生き方は、ある意味で不幸とも言える。そんな彼が主婦エデンに出会い恋に落ちる。一般的に不倫というとドロドロとした印象が先立つが、彼の童貞気質丸出しの初々しいアプローチが背徳性や隠微さを被覆する。また、この不倫には色情に拠った即物的な関係とは違う精神的な繋がりが感じられ、どこか朴訥とした風情が漂う。
しかし、裏返して見ればこの朴訥さは、彼が辿ってきた人生の”闇”の部分を克明に表しているとも取れ、それがあることでこの物語はちょっと風変わりな恋愛ドラマになっている。
グレゴアには父親がいない。そして、育ての親である義父との関係はずっと険悪だった。彼のバックストーリーには父性が完全に欠如していることが分かる。そのせいか彼は母親に対する愛情に特別依存しており、それは幼少時代に見た母の妊婦姿にも象徴されている。つまり、彼は大人になった今でも、母の姿を追い求める”子供”なのである。
そして、彼のこの母性求愛は、障害者の娘を愛でる母性の象徴とも言うべきエデンへの求愛にそのまま転化されているような気がした。内気で臆病な言動とは裏腹に、このグレゴアという男の中には病的なほどのマザコン気質が窺い知れる。
誰からも愛されないマザコン男と言えばホラー映画界に一人の有名キャラクターが思い浮かぶ。それは「13日の金曜日」シリーズのジェイソンである。幼いころに得られなかった愛を取り戻そうとして無差別殺人を繰り返すこの殺人鬼は、ホラー映画界のアイドル的存在である。本作のグレゴアにも同様のキャラクター性が読み取れるような気がした。一見すると呑気な不倫劇を描いているように見えるが、実はちょっとだけ背筋の凍るようなブラック・ユーモアが隠されているところが面白い。
凝りに凝った映像演出が痛快!
「ワイルド・バレット」(2006独米)
ジャンルアクション・ジャンルサスペンス
(あらすじ) ジョーイはイタリアン・マフィアの麻薬密売人。取引現場を覆面警官に押さえられ銃撃戦になる。どうにか難を逃れたが、彼はボスから使用した銃の処分を命じられる。しかし、彼はそれをすぐに廃棄しなかった。自宅の地下室に隠していたのを、遊びに来ていた息子の友達オレグに盗まれてしまう。オレグはその銃で暴力を振るう義父を撃ってしまった。ジョーイは逃走するオレグからその銃を取り返そうとする。
DMM.comでレンタルする映画生活ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 1丁の拳銃を巡って様々な人物が交錯するスタイリッシュなアクション作品。
麻薬の売人ジョーイと銃を盗んだ少年オレグの追跡劇をベースに、マフィア、汚職刑事、売春屋といった一癖も二癖もある人物が登場して物語が展開されていく。どんでん返しを含めたプロットはよく考えられていて中々楽しめる作品だった。
また、ジョーイと息子、オレグと義父、中盤に登場するワケあり夫婦、真夜中に生きる孤独な娼婦等。彼等の背景には親子の情愛、夫婦愛といったテーマが投影されていて、これもストーリーの中に上手く描き込まれている。活劇の合間にちょとしたペーソスが派生し味わい深い。
各所に散りばめられた伏線もクライマックスを盛り上げる中で上手く回収されていた。ただし、オレグの喘息という設定やジョーイの父親の存在は、中盤からどうでもいい扱いになってしまっている。このあたりを上手く絡めていければ、クライマックスは更にドラマチックになっていただろう。その点が惜しまれた。
また、終盤の演出がテーマの押し売りのようになってしまったのもいただけない。これはちょっと”狙いすぎ”な感じがを受けた。
本作はアクションシーンを含め、全体的にビジュアル面の演出に卓越したセンスが見られる。今の流行と言ってしまえばそれまでだが、中々面白い撮り方をしている。
例えば、冒頭の銃撃戦は、フィルムの逆回転や切れ味鋭いモンタージュで、視覚に訴えた絵作りがなされている。このスピード感と迫力は、映画の導入部としては申し分ない出来栄えだ。エンドクレジットがアメコミ風なアニメーションになっていたので、もしや
「ヒストリー・オブ・バイレオンス」(2005米カナダ)のようなグラフィック・ノベルが原作なのかと思ったら、本作はオリジナル作品ということだ。監督はこれが初演出の新人。もしかしたら、この監督の基本的な資質として、P・アンダーソンやZ・スナイダーのような映像偏愛的なヲタク嗜好があるのかもしれない。今後の活躍を期待してみたい。
お気楽に見れるところが良い。
「ハッピーフライト」(2008日)
ジャンルコメディ
(あらすじ) 副操縦士・鈴木は厳格な原田教官の元、ホノルル行き1980便に搭乗して機長昇格試験に挑んだ。同機には新人キャビンアテンダントの斉藤も搭乗した。彼女は早速仕事で失敗して先輩から大目玉を食らう。一方、空港カウンターでは地上係員・木村がお客とのトラブル対応に追われていた。彼女は出会いの少ない今の職場を今日限りで辞めようとしていた。新米整備士・森岡は先輩整備士に叱られながら機体の最終チェックを行っていた。こうして様々な思いを乗せながら飛行機は離陸する。
DMM.comでレンタルする映画生活ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 旅客機飛行に携わる様々な人間模様を軽妙に綴ったコメディ作品。
ANAの全面協力を得て作られただけあって、説得力のあるウンチク、リアリティを感じさせる撮影等は見応えがある。一般的には余り知られていない空港の舞台裏を見れると言う意味で興味深く見ることが出来た。また、かつて流行した「大空港」(1970米)に始まる一連の航空パニック映画のオマージュが見れるのも映画ファンとしては嬉しい。
ただ、所々に笑いの演出がサービス過剰になってしまっているところがあり、少し”引いて”しまうような場面もあった。笑いはその人の感性に合う合わないが、さじ加減一つでシビアに決まってくるので、この辺りは仕方がない。コメディを作るほど難しいものはない‥と言うが、それは個々人で笑いのツボが違うからである。極論してしまえば、万人向けのコメディなどこの世の中には存在しない。それでも、より多くの人に笑いを与えようとエンタテインメントに携わる人間は日々頑張っているのである。
‥で、俺がこの映画で受け付けなかったのは、新人キャビンアテンダント斉藤の造形である。ベタなものを狙っているのは分かるのだが、彼女のドジっぷりには流石に引いてしまう。まるで新人アイドル歌手のぶりっ子にも似たような、そんな嫌らしさを感じてしまった。
他に、管制塔のスタッフのおどけたやり取り、クライマックスにおける”デジタル派”対”アナログ派”の安易な衝突。このあたりにも青臭さを感じてしまった。
ヅラネタもクドイ感じがした。
分かりやすいというのは大変結構なことである。しかし、そうした笑いばかりだとやはり辟易してしまう。どうせ2時間もある映画である。合間にちょっとだけ捻りの効いた笑いも見てみたい‥。そう思うのが人としての心情だろう。
監督・脚本は矢口史靖。ウェルメイドな作品を得意とする監督なので、その点では今回も安心して見れる作品に仕上がっている。クライマックスの盛り上げ方なども中々手馴れていて楽しめた。ただ、時として戯画が過ぎるのが玉に瑕である。そのあたりの抑制をしてもらえたらもっと楽しめる作品になっていただろう。
キャストはよくまとまったアンサンブルを形成していた。各人、安定感がある。
海外では上映禁止、延期。日本最速上映という曰くつきの作品。
「KEN PARK ケンパーク」(2002米オランダ仏)
ジャンル青春ドラマ・ジャンルエロティック
(あらすじ) ロスの閑静な住宅街。スケボー好きな青年ケンパークが拳銃自殺した。その時、彼の友人ショーンは、ガールフレンドの母親と不倫をしていた。クラスメイトのクロードはアル中の父とスケボーを巡って喧嘩していた。ピーチーズは優しい父とボーイフレンドを交えてランチを取っていた。祖父母と暮らすテートは日頃の苛立ちを自慰行為で解消させていた。日々の暮らしの中で、4人はケンパークの存在すら忘れかけていく。
DMM.comでレンタルするgoo映画映画生活ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 若者達の鬱屈した感情を過激な性描写で綴った青春群像劇。
監督、脚本は「KIDS/キッズ」(1995米)でセックスとドラッグに溺れる少年少女の姿をセンセーショナルに描いたインディーズ界の異端児、L・クラークとH・コリン。二人はその後夫々に映画を撮っていたが、7年ぶりに再びコンビを組んで撮ったのが本作である。
エイズをモティーフにした「KIDS/キッズ」は、若者サイドの視点が作品世界を狭量的なものにしてしまっていたが、今回は家族崩壊の図式を底辺に敷いたドラマなので広がりが感じられた。ある種、家族のドラマとして面白く見る事が出来た。
登場するのは4人の若者達である。彼等は皆、親あるいは周囲の大人との間に深い溝を作って生きている。映画の視座は若者達の悲しみや怒りに拠っており、彼らを擁護する立場で大人達の愚かさが描かれている。そこで見られる大人の子供への無関心、あるいは虐待といった"暴力”は、現代的な問題として強く受け止められる。
例えば、ショーンはガールフレンドの母親と不倫している。この母親は表向きは穏やかな主婦を演じながら、影では不倫の背徳感を愉しんでいるかのようだ。大人としての自覚、罪の意識といったものは微塵も感じられない。
クロードは身重の母とアル中の父と暮らしている。常日頃から父親とは対立していて、大好きなスケボーの板を壊されたことで彼の怒りは頂点に達する。その夜、酔った父親はとんでもない行動に出るのだが、これは紛れもない児童虐待である。
ピーチーズは他の少年少女たちと違って、父親からの信頼が熱い成績優秀な女の子である。ところが、ボーイフレンドとセックスしていたところを見つかり、父の信頼を裏切ってしまう。信仰心の厚い父は彼女に神の導きを教えようと、ほとんど狂信的と言っていい病的な行動に出る。ピーチーズが母親に瓜二つということを鑑みれば、これは恐るべき近親相姦と言える。
そして、最も悲劇的な末路を遂げるのが引き篭もりの少年テートである。彼は常日頃から過保護な祖母の干渉にうんざりし、頑固な祖父に反感を抱いている。学校でも家庭でも孤立する彼はやがて戦慄的な凶行に走る。
彼等の悲惨な日常をスケッチする形で映画は展開されていくが、ラストで冒頭のケンパークの自殺の原因が何だったのかが分かる構造になっている。4人の置かれた状況を目にして、改めて彼の自殺について考えると一定の情を禁じえない。確かに自殺は良くないことである。しかし、彼は純粋すぎて自分に嘘をつきたくなくて自らの命を絶ったのだと思う。その死は誰からも責められるべきものではないだろう。むろん、彼の自殺に理解を示せるかどうかは見た人それぞれの解釈によると思う。しかし、彼のような選択をする若者達がこの世の中にいるという現実。それについて考えさせられただけでも、本作を見た価値はあったように思う。
尚、最も印象に残ったシーンは、終盤直前のショーンとクロード、ピーチーズのセックス・シーンだった。透明感あふれる美しい映像とは裏腹にどこか物悲しさも感じさせる。行き場を無くした子供達の求愛行動が不憫に見えてしょうがなかった。
演出は基本的にドキュメンタリータッチが採られているが、時折叙情的な淡いトーンで耽美的な画面設計がはかられている。いかにも印象派L・クラークらしいセンスである。
また、問題となった性描写はかなり大胆で、チャイルド・ポルノを売り物にした下世話な作品‥と思う人もいるかもしれない。確かにしつこく感じる部分もあった。ただ、これらがあることで作品のテーマはより強く主張されることになったと思う。自分には必然性があると感じられた。
ベルモンドの成りは良いのだが‥。
「パリ警視J」(1984仏)
ジャンルアクション・ジャンルサスペンス
(あらすじ) パリ警察の敏腕刑事ジョルダンは麻薬犯罪組織の首領メカチの逮捕に執念を燃やしていた。ところが、行き過ぎた捜査から風紀課に左遷されてしまう。それでも彼の執拗な捜査は終わらなかった。かつて自分が逮捕した麻薬常習犯を訪ねて、メカチに関する重要な証拠を聞き出す。
goo映画映画生活ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) J・ポール・ベルモンドがタフな刑事に扮して大活躍を繰り広げるポリス・アクション作品。
監督・脚本はJ・ドレーということで大人の雰囲気を醸したハードボイルド作品を期待したのだが、その期待は大きく裏切られてしまった。ベルモンドのアクション、ドレーの演出、共に精彩に欠く。ハードなアクション映画を狙っているのだが、ドレーという監督の資質を考えた場合、相性が余りよろしくない。
例えば、冒頭の追跡劇。初っ端からいくらなんでもここまで何でもアリだと見ているこちらが白けてしまう。また、シナリオの穴も多い。薬漬けにされた少女や男女の仲になる売春婦のエピソードなどは投げっぱなしである。
そもそもJ・ドレーと言えば、以前ここで紹介した
「フリック・ストーリー」(1975仏伊)のような、息を呑むような手に汗握る緊張感を作り出すのが上手い監督である。本作にはそういったテイストはほとんど出てこなかった。
そんな中唯一上手く作られていたのは、売春婦とジャンキーがたむろする歓楽街のシーンだった。麻薬組織の情報を聞き出すためにベルモンドが足繁く通うのだが、薄暗く隠微な雰囲気が漂い猥雑に撮れていて良かった。ここだけ変にリアリティが感じられた。
尚、敵役メカチをH・シルヴァが演じている。シルヴァと言えば、不死身のヒットマンを怪演したB・レイノルズ監督・主演の「シャーキーズ・マシーン」(1982米)が思い出される。主人公が麻薬課の落ちこぼれ刑事という設定、売春クラブを舞台にした捜査等、色々と共通点が見つかる。もしかしてパクッたのか?と思えてしまうほどだが、シルヴァの演技に関して言えば今回は収まりが良すぎて今一つ物足りない。「シャーキーズ・マシーン」ほどの強烈な演技が見られなかったのが残念だった。
オムニバスなので気軽に見れる。
「イタリア的、恋愛マニュアル」(2005伊)
ジャンルロマンス・ジャンルコメディ
(あらすじ) イタリアを舞台にした4つのラブストーリー。
第1章「めぐり逢って」は、無職のダメ男が一目惚れした美女に猛アタックする話。
第2章「すれ違って」は、倦怠期の夫婦の話。
第3章「よそ見して」は、夫の不倫現場を目撃した婦人警官の話。
第4章「棄てられて」は、妻に逃げられた小児科医の話。
DMM.comでレンタルするgoo映画映画生活ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 4組のカップルの出会いと別れを描いたオムニバス作品。男女間のシリアスな恋愛騒動は、コメディライクな作りのおかげで気楽に見ることができる。テーマを噛み締めたい人には物足りなく感じるかもしれないが、こういうのってあるよね‥というくらいで見る分には丁度良い。
登場するのは、若いカップル、破局寸前の夫婦、離婚した元夫婦達である。様々な男女関係をパノラマ風に見せることで、男にとっての、女にとっての恋愛論が語られていく。洒落たセンスで面白く見れた。
中でも第4章「棄てられて」が一番印象に残った。ここでは子供を作らなかったことで妻に棄てられた小児科医ゴッフレードの悲劇が描かれている。真面目に描けばひたすら暗いだけの話だが、明朗で嫌味のない作りのおかげで見ているこちら側にすんなりと入ってくる。
妻に棄てられ様々な災難に見舞われていくゴッフレードの姿は実に不憫である。俺はどうしても彼のことを嫌いになれなかった。こういうダメ男っているよなぁ‥という所に親近感が涌いてしまう。特に、ゴッフレードが旧友と再会するシーンには声を出して笑ってしまった。正に身から出た錆である。男のどうしようもない助平心に親しみが湧いてしまう。
そして、俺がこのエピソードで一番感心したのはラストである。実は、これは第1章とリンクしたオチになっている。第1章に登場したナンパ男トンマーゾは
「寂しくなったら過去に後退するのではなく未来に前進しなければならない。」
この一言で愛しのジュリアンのハートをゲットした。ゴッフレードは最後にこの言葉をきちんと実践し、前を向いて幸せを手にしている。普通なら「そんな上手くいくはずないよ‥」と思ってしまうのだが、構成の妙でご都合主義に見えず、自然にこのカタルシスに乗っかることが出来た。
以下、それ以外の章について簡単な感想を書いてみたい。
第1章は演出の巧みさに感心させられた。キスに至るまでの男女の駆け引きが夫々のモノローグに乗せて描かれ、ドキドキするような興奮が味わえた。ただ、話が余りにも都合よく進む所に多少の引っ掛かりを覚えてしまう。女優が可愛いのは◎
第2章は、倦怠期のカップルの問題を取り上げている。シリアスな問題を孕んでいるが、演者のコメディライクな演技のおかげで楽しく見れる。集団カウンセリングのシーンが一番可笑しかった。
第3章は、第2章に輪をかけてかなりファナティックなコメディになっている。これも倦怠期の夫婦によくある話としてリアリティが感じられた。
4つの物語は連鎖して展開される。中には章をまたいで登場するキャラもいたりして、構成自体はよく考えられていると思った。尚、タイトルにもなっている「恋愛マニュアル」は恋愛指南のCDブックのことで、映画冒頭に登場してくる。これも後々の伏線になっているので注意して聴いておきたい。4つの物語を繋げるピースの役割を果たしている。
目くるめく摩訶不思議な吉田喜重ワールド。
「煉獄エロイカ」(1970日)
ジャンル社会派・ジャンルファンタジー・ジャンルサスペンス
(あらすじ) 最新工学研究者庄田は妻夏那子と幸せな暮らしを送っていた。ある日、夏那子がアユという謎の少女を家に連れてくる。その後、少女の父親を名乗る男が連れ戻しにやって来た。庄田はその男を見て驚く。実は、二人は戦後間もない頃、極左活動に殉じていた同志だったのである。米大使誘拐を計画していたが、内部の裏切りによって組織は崩壊してしまった。複雑な思いが庄田の中にふつふつと蘇ってくる。そして、その悔いを払拭するかのようにして彼はアユの若い肉体を犯した。その後、庄田は謎の女から強迫を受けるようになる。
DMM.comでレンタルするgoo映画映画生活ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 革命に殉じた者達の姿を幻想的に描いた作品。
庄田の研究にタイムマシン的な設定を設け、50、70、80年代という3つの時間軸を放逐したところにアイディアの妙を感じる。一見すると社会派映画のようであるが、SF、サスペンスといったジャンル映画的要素や男女の愛憎ドラマも盛り込まれており一筋縄ではいかない作品になっている。また、見る人によっては全然分からない‥という印象を持つ者もいよう。極めて観念的な作りをしている。
監督・脚本は吉田喜重。場面把握の難解さは、同年に製作された
「エロス+虐殺」(1970日)を凌ぐほどである。時代が唐突に切り替わり、尚且つキャラクター設定に対する説明が無いため、ファッションや革命運動の発言といったものから、その場面がどの時代のものなのか、このキャラクターはどの時代の人物なのかを把握するしかない。後半に入ってくると、時制は更に混迷を極めていく。例えば、庄田に対するスパイ嫌疑の査問委員会のシーンは、50年代と70年代の登場人物を同居させながら展開される。やがてこのシーンは10年先の80年代の視点に継承され、もはや時間という概念そのものが遊離してしまう。
もっとも、こうした時制の複雑化は”計算”以外の何物でもないのだろう。
一言で言ってしまうと、本作のテーマは革命の幻想性である。革命に賭した若者達を異なる時空に彷徨わせることで、彼等の抵抗運動が時代の波に飲み込まれていった事実を皮肉的に見せているのだ。時代にそっぽを向けられた惨めさ、虚しさが強調され、彼等が掲げる「革命」が滑稽にすら写る。当時の機運としてすでにあったのかもしれないが、後に生まれる”しらけ世代”の兆しがこの映画から何となく嗅ぎ取れることは興味深い。
尚、「煉獄」とは「天国」と「地獄」の間に存在する世界を指す言葉である。革命に取り付かれた人々が彷徨うこのカオスは、生かず死なずの「煉獄」と呼ぶに実に似つかわしい言葉だ。
ポーランドの巨匠、故K・キエシロフスキーの未完の遺稿に「天国」「地獄」「煉獄」の三つの物語が残されている。「天国」と「地獄」は他の監督達によって映画化されたが、「煉獄」だけが未だに手付かずの状態にある。現在、カトリック教会では「煉獄」は認められておらず、そのため一般的な認知度はかなり低い。映画化が実現されない理由はこのあたりにあるのではないかと推察するが、その「煉獄」が今から40年前の日本映画のタイトルになっていたというのは実に面白いことだ。
尚、本作は映像的に見ても色々と面白い発見が出来る。
整然と設計された構図、無機的で幾何学的なオブジェが織り成す空疎な空間には、吉田独特の感性が見られる。まるで背景そのものが主人公のように画面を席巻する。そして、特筆すべきは無人のロケーションである。実にシュールで異様な雰囲気を醸し出している。また、露光を解放した映像もこの世のものとは思えない非現実性を浮かび上がらせタイトルの「煉獄」を意識せずにいられない。彼の映像美は前作「エロス+虐殺」に続き、本作で一つの到達点に達したと言っていいだろう。