設定・映像のアイディアが秀逸。
「インセプション」(2010米)
ジャンルSF・ジャンルアクション
(あらすじ) コブは他人の夢の中に入り込んでアイディアを盗み出す産業スパイ。今回のターゲットは日本の実業家サイトーである。しかし、あと一歩というところでその仕事は失敗に終わる。逆に、サイトーに弱みを握られたコブは、彼に雇われることになる。サイトーは敵対する会社を潰すためにある計画をしていた。その計画とは、敵会社の御曹司の夢に入り込み潜在意識下にアイディアを植え込むというものだった。早速、コブは相棒アーサーとチームの編成に取り掛かる。まず、コブは大学教授をしている義父の元を訪ね、優秀な生徒を紹介してもらう。女子大生アリアドネは膨大な夢の世界を構築する設計士としての素質を持っていた。また、夢の中では何にでも変装できる偽造のプロ、イームス、睡眠薬を調合する闇の薬剤師ユスフといったメンバーを集める。計画の発案者であるサイトーを含め、いよいよ計画は実行に移される。
goo映画映画生活ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 他人の夢の中に入り込む企業スパイの戦いを描いたSFアクション作品。
夢から覚めたらまた夢だった‥というオチはよく映画の中でも見かけるが、本作はそれを逆手に取ったような作品である。夢の中の夢、またその中の夢へと、コブ達はどんどん深く潜り込んでいく。本来不条理でビジュアル化するには不向きな夢の世界であるが、逆に言えば映像で表現する上でこれほど自由度の高いネタはない。大変魅力的な素材と言えよう。現にこれまでも夢を素材にした映画はたくさんあった。しかし、本作は今までには無い挑戦的な野望の元、極めて独創的な夢の世界を作り上げている。ターゲットに夢と気付かせないためのリアリティと、夢では何でもありというファンタジーの同居。この二つが微妙なバランスの元にコントロールされ魅力的な世界が形成されているのだ。また、夢を多層構造世界にしたのもサスペンスを盛り上げるためのアイディアとしてはかなり面白い。
夢は潜在意識の顕現であり、そこに手を加えればまったく別の意識に変化していく可能性がある。この考え方もSF的な発想としては大変面白いと思った。シュワちゃん主演の
「トータル・リコール」(1990米)の夢の売り買いに通じるような、ちょっとゾッとするようなSF設定である。ユングの心理学にもあるとおり夢と潜在意識は深い関係性にある。その研究成果が、遠い未来こんな犯罪を生むかも‥なんて考えると、まんざら絵空事に思えなくも無い。事実、催眠療法などはそれを利用したカウンセリングの一種であろう。
物語は、基本的にはシンプルである。ただ、それは現実世界の話であって、夢の世界は全部で3層構造になっている。こちらは複雑だ。しかも、平行展開されるので見ている最中混乱することもある。逆に言えば、一瞬の気も許されない。そんな緊張感を持ったドラマである。
監督・脚本はCノーラン。そもそも、この監督は映像派作家であると同時にシナリオ作家でもあると思う。一部の作品については、特異なドラマ構成が特徴として挙げられる。デビュー作である「フォロウィング」(1998米)では、ストーカー男の回想の中に二つの時間軸を設けたドラマが展開され、回想が二重構造になっている。本作の多層夢世界にかなり近いかもしれない。続く「メメント」(2000米)では、記憶障害の男の回想が細切れに遡っていく作品だった。これもかなりトリッキーな構成である。これらの作品から、ノーランは夢と現実、過去と現在という相反する世界の平行性に大変興味があることが分かる。その後、バットマン好きが乗じて「バットマン ビギンズ」(2005米)等を撮ったが、基本的に彼の作家性は「フォロウィング」や「メメント」といった初期作品にあるのではないかと想像出来る。その2本を経て本作辿り着いた‥ということ考えてみると、この「インセプション」は集大成的な作品という見方も出来よう。
映像も斬新なものが出てきて楽しめた。特に、ホテルでの格闘シーンは大変ユニークだった。ただ、それに比べると、雪山のアクション・シーンは今ひとつアイディアとしての売りに欠ける気がした。夢の世界は個々に相関する関係にある。演出的な面白さを利用して、ここはもっとスリリングに出来たのではないか‥と残念に思う。
キャストでは、T・ベレンジャーの出演が個人的には意外だった。映画を見る前はまったく分からずクレジットを見て初めて知ったくらいで、余りの変わりようにちょっとショックを受けてしまった‥。
尚、複雑、複雑と言われる本作であるが、自分も分からなかった点が2つある。一つはとても重要なことんだけど‥‥。う~ン‥もう1回確かめるために見に行く気力も無いので、分かった人がいたら教えて!
(以下、ねたバレがあるので未見の方は注意)
1)ホテルのシーンで登場した社長の片腕は夢の中の人物であって、イームスの成りすましでは無かったような?画面には確かイームスが映っていたと思うのだけど、だとしたら夢の中の人物にどうやって吐かせたの?
2)最後のほうの海辺のシーンは、いわゆる「虚無」の世界と解釈していいのか?その後に飛行機で目を覚ますシーンが出てくるのだが、どうやってコブとサイトーは現実の世界に戻れたのか?
特に2)が重要なんだけど、現実に戻るための”キック”があったかどうか?見落としたのかなぁ‥。
しみじみとさせるホームドラマ。少しホラーっぽい演出が面白い。
「歩いても 歩いても」(2007日)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 横山家に長男の命日で家族が集まった。次男良多は妻ゆかりと義息子あつしを連れて久しぶりの帰郷になる。元開業医の頑固な父とは犬猿の仲で、兄の死後その関係は益々悪化していた。他に、横山家には明るい性格の母、同じく帰省していた長女一家がいた。彼女等のおかげで、父子間に流れる不穏な空気はどうにか浄化されていたが、二人は腹の中ではさっさと命日など終わってくれと思っていた。一方、良多の妻ゆかりは再婚という身から必要以上に父に気を使う。それがかえって良多の気分を害してしまった。昼食後、良太は家族と母を連れて長男の墓参りに出かける。そこで母から思わぬ言葉が出る。それは良多を驚かせるものだった。
楽天レンタルで「歩いても 歩いても」を借りよう映画生活ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 長男の命日に集まった家族の一日をしみじみと綴ったホームドラマ。
基本的に家屋内を舞台にした一日のダイアローグ劇になっている。家族崩壊をシビアに描きながら、家族のあり方とは?という問題を鋭く突いている。見終わった後には色々と考えさせられると共に、家族っていいなぁ‥とホッとさせられた。
物語の主軸となるのは、父と良多のやり取りとなる。映画は全体的にペーソスに傾倒した作りになっているが、この二人の激しい衝突はかなりヘビーに描かれていて、語弊はあるかもしれないが、まるでホラー映画を見ているような気分になった。現に、心霊現象に類する”ある物”もクライマックスで登場してくるし、亡き長男の霊を意識させるような霊感を漂わせたシークエンスは、見ようによってはかなりホラー的である。
例えば、<カメラの視線>=<亡き長男の視線>ということを意識させる演出。これはほぼオカルト的な演出だと思う。一番分かりやすい例で言えば、一家揃って取る昼食シーン。良多と父が対峙し、その後ろに長男の仏壇が配されるという位置関係だ。目に見えない気まずさと緊張感が空間を覆い、それは背後から見る<亡き長男の視線>で捉えた映像と重なり合う。
監督・脚本は是枝裕和。彼はドキュメンタリー畑出身の作家である。今回もこれまで同様、ドキュメンタリー・タッチで撮られている。ドキュメンタリー・タッチはシーンに張り詰めた緊張感をもたらすのに適した手法だが、それは<カメラの視線>が<観客の視線>と重なることで画面に写る現場に観客を強く引き込む力を持っているからである。まるでその場にいるかのような緊張感と直感的な感動が観客を襲うことになる。
ただ、本作の場合、先述の通り<カメラの視線>が<亡き長男の視線>として機能している箇所が一部であり、これはかなり特異的である。崩壊の危機を迎える家族の罵り合い、あるいは表面を取り繕う姿、そういった一挙手一投足が、亡き長男を意識させる視点から捉えられることで奇妙な可笑しさ、怖さ、悲しさが生まれてくる。
特に、長男の死を嘆く母の呟きと、着物絡みで見せるゆかりの眼差し。この二つには、怖さと悲しさを感じた。母親は朗らかな笑みを浮かべる傍らで、本当は長男を死に追いやった加害者を今でも殺したいくらい憎んでいる。ゆかりは笑みを絶やさない良き嫁を演じているだけで、実は家族の繋がりに窮屈感を感じている。それぞれ、セリフでは表現されない本音が、客観的なドキュメンタリー・タッチの視点によって炙り出されている。カメラは意味深に長回しになったり、彼女等の無言を粘着的に捉えながら、心の中の本音を炙り出していくのだ。そして、その時、長男の嘆息がどこかから聞こえてきそうになる‥。
ここまでキャラクターの内面を炙り出す事が出来るのは、ひとえに是枝監督の鋭い人間観察眼あってこそだと思う。そして、彼の観察眼の鋭さは人物のみならず、物質に対する捉え方にも卓越したセンスを見せている。
例えば、料理の材料、レコード、靴下、着物といったアイテムは、人物造形、感情、人間関係を表現する為の”意味あるもの”として登場してくる。
また、いわゆる人物が登場しない無人ショットにも同様の事は言えて、例えば夕暮れを捉えたショット、海岸に難破する船を捉えたショット。これらの静物に込められた意味を汲み取る事は様々に可能である。正直、ここまで細部にわたってイノセンスに表現されると脱帽である。一つ一つが実に見応えがあった。
ところで、是枝監督と言えば、デビュー作である「幻の光」(1995日)も家族の死を背負いながら生きる遺族の物語だった。映画初出演となる江角マキコが孤独に埋没するヒロインを好演し、映画を感動的に盛り上げていた。遺族の喪の仕事という意味では今回も同系列のドラマに入れることが出来る。ただ、両作品には大きな違いがあって、それは遺族が配偶者か家族かという点である。本作は遺族を家族としており、そこには個人が抱える問題よりももっと複雑で多岐にわたる問題が絡んでいる。結果として、同じ喪の仕事を描いても、テーマは更に広がりを持つことになった。単にテーマを焼き直しただけではなく、家族を題材にしたという点で、「幻の光」よりも一歩進んだところで勝負しているような感じがした。
奇妙なテイストを持ったサスペンス作品。オチは予想を超えるものだった。
「ステイ」(2005米)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) 精神科医サムは、交通事故で奇跡的に生存した大学生ヘンリーをカウンセリングすることになった。ヘンリーが事故のトラウマから拳銃自殺をほのめかしたので、気になったサムは彼の住居を突き止め訪ねてみる。しかし、彼はすでに失踪していた。気落ちするサムを恋人ライラが気遣う。実は、彼女もかつて自殺未遂の経験がありそこをサムに救われたのだ。そんなある日、サムはヘンリーの亡くなったはずの両親に出会う。
楽天レンタルで「ステイ」を借りようgoo映画映画生活ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 精神科医が自殺願望患者に翻弄されていく姿を独特な映像トーンで綴った異色のサスペンス作品。
この映画はほぼ全編に渡って映像に実験的な加工が施されている。シーンの奇妙な接合、非現実的な雰囲気を漂わせた美術背景、心霊的な幻覚現象等、面白い映像演出が次々と登場してくる。これらは何を意味しているのか?オチに繋がる重要な伏線になっているのではないか?そんなこと考えながら最後まで飽きなく楽しめた。
監督はM・フォスター。どちらかと言うと実直でリアリズムに拠った演出をする監督だと思っていたのだが、正直ここまで超然とした映像に凝るとは意外だった。ほとんどホラー映画的と言っていいこの不条理感溢れる映像演出は、D・リンチ作品のテイストに近いものがある。
ミステリアスな展開で進むものの、ドラマ自体はそれほど複雑なからくりはない。食い足りないと言う感じもするが、一発ネタとして割り切れば中々よく出来ている。俺は中盤に差し掛かる頃のサムとライラの会話で結末を予想をしたのだが、結果的にその予想を超えるものをこの映画は用意してくれていた。
精神科医が患者の世界に首を突っ込み自らも精神を病んでいく‥というのはよくある話である。もしかしたら、ヘンリーは精神に異常をきたしたサムが創作した人物なのではないかと想像したのだが、実際にはそれを逆手に取るかのようなオチでこれには「やられた!」という感じである。荘子の「胡蝶の夢」を連想した。
欲を言えば、エンディングはもう少し洒落たものを望みたかった。オチは衝撃的で良かったが、その後のアッサリ感は物足りない。ドラマを占める上での余韻が欲しい所である。
怪獣映画みたいな感覚で見る分には良いかも。
「砂漠は生きている」(1953米)
ジャンルドキュメンタリー
(あらすじ) アメリカの砂漠に住む様々な動物の生態を捉えたディズニー初の長編ドキュメンタリー作品。「自然の冒険」シリーズの第1作。
goo映画映画生活ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 過剰なまでの自演的ナレーションから、本作はあくまで子供向けに作られたドキュメンタリーであることが分かる。とことん”娯楽”に特化した内容で、自然の深遠を過度に求めてしまうと肩透かしを食らいかねない作品だ。
とはいえ、その割りきりができていれば、ツチガメの決闘やガラガラヘビとタランチュラの戦い等、まるで怪獣映画を見ているような感覚で楽しめる。また、ピョンピョン跳ねるカンガルーネズミの動作も可愛らしかった。ムカデや蛇は生理的に苦手なのでパスしたい‥。
やらせっぽいの演出はあるものの、砂漠の不思議な生態を垣間見るという程度で見るなら十分楽しめるドキュメンタリー映画だと思う。
個人的に一番興味を引かれたのはデスバレーの”動く石”だった。神秘とロマンに満ちた怪現象で、もし本当に動いているのだとしたら、その瞬間をぜひ映像として見てみたいものである。
神に抗った囚人の物語。
「暴力脱獄」(1967米)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 退役軍人ルークは泥酔してパーキングメータを壊した罪で懲役2年の刑になる。厳しい看守が見張る刑務所で、彼は過酷な労働を強いられる。しかし、決して根を上げることはなかった。新入りらしからぬ堂々とした振る舞いは、囚人達のボス、ドラクラインのかんに障った。ある日、2人はボクシングの試合で壮絶な殴り合いを演じる。巨漢のドラクラインのパンチを浴び何度も倒れるルーク。しかし、彼はそのたびに立ち向かっていった。その闘志は周囲の囚人達を驚かせ、ついにはドラクラインも負けを認める。こうしてルークは仲間として受け入れられ、ドラクラインと固い友情で結ばれた。そんなある日、ルークの元に家族の悲報が届く。彼は脱走を試みるのだが‥。
楽天レンタルで「暴力脱獄 デジタルリマスター版」を借りようgoo映画映画生活ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 権力に逆らい続けた脱獄囚の物語。
タフな脱獄囚ルークをP・ニューマンが熱演している。ニューマンと言えば、アメリカン・ニューシネマの傑作「明日に向かって撃て!」(1969米)のブッチ役が印象に残っている人も多いだろう。体制に抗ったアウトローとして大変魅力的だった。しかし、このキャラクターのエッセンスは「明日に向かって撃て!」以前からすでに見られる物だった。ニューシネマの旗手A・ペンが監督した「左ききのガンマン」(1958米)のビリー・ザ・キッド、「ロッキー」(1976米)の原型とも言える「傷だらけの栄光」(1956米)のボクサー。ニューマンが演じるのは、いずれも権力に戦いを挑み壮絶な最期を遂げるアウトロー達だった。これら50年代後半の作品には、すでに「明日に向かって撃て!」のブッチ的キャラクター性が伺える。言わば、P・ニューマンという俳優の特徴はこれらの作品によって決定付けられ、後の「明日に向かって撃て!」に結びついたわけである。本作はそんな流れの中で製作された1本である。それまで積み上げてきたニューマンの俳優としての特性、キャリアが、画面に存分に散りばめられているという意味では、本作こそ彼の代表作ではないかという気がする。
彼が演じるルークのチャーム・ポイントは、何と言っても時折見せるファニーな笑顔だろう。これはニューマンの一つの魅力でもあったが、その笑顔は余りにも無垢であり、刑務所という殺伐とした空間では余計に輝いて見える。そして、その笑顔はドラクラインを始め囚人達の荒んだ心に潤いを与え、彼等の結束を強めていくようになる。ボクシング対決、卵の大食い競争のエピソード等、囚人同士の交流はユーモラスに描かれていて終始楽しい。
その一方で、ルークは看守との対立を繰り返していく。こちらはかなりハードだ。看守の中には、常にサングラスをかけて無表情・無口な男がいるのだが、敵役としてこの造形は実に印象に残る。サングラスに隠された目はルークをどう見ているのか?表情が見えないところに、悪役としての不気味さ、体制の理不尽さが演出されている。
囚人同士の友情、そこから派生する権力への反発。このドラマは、言わばこの二つによって構成されている。こう書くと、刑務所物の映画としてはよくあるエッセンスで、特段目新しいものではない。ただ、本作を只の脱獄物と見てしまっては、おそらく製作サイドが訴えるテーマの半分も理解したことにはならないだろう。今作には他の脱獄映画にはない極めて特異なテーマが隠されている。その特異なテーマとは、ずばり”宗教”だ。
ルークは戦争から戻った後、職にあぶれ酒に溺れ刑務所に収監された。友達もいない。老いた母親は弟に頼りっきりで家族とも疎遠。そんな孤独な世界に嫌気が差して、敢えて彼は刑務所に服役した‥そんな風に想像できる。つまり、彼は戦争の贖罪も母親とのわだかまりも解けずに、現実に背を向けたまま生きている男なわけである。キリスト教的に言えば、刑に服し過去の罪を洗い流すことで更生の道を歩むべきだが、彼は頑なにそれをしようとしない。閉ざされた檻の中に逃避する罪人を貫くのだ。
やがてこの安住の地にもいずらくなったルークは脱獄する。しかし、何度も失敗して懲罰を受ける。この時、彼は看守から告解を強要される。ここでは看守の口からストレートに”神”という言葉が発せられ、神に許しを請いニ度と脱走しないことを誓わされるのだ。
他にもこの映画の中では”神”的なアイコンは登場してくる。例えば、卵の大食い競争のラストショット。この時の大の字になって倒れるルークの姿はキリストの殉教姿にダブって見える。また、劇中で歌われる楽曲の歌詞、クライマックスの舞台が教会であること等、宗教を臭わす描写は様々に登場してくる。宗教が作品の重要なモチーフになっていることは間違いない。この映画は表向きは権力に逆らうアウトローの物語として成立しているが、一歩踏み込んで解釈すれば神に逆らった男の物語として捉える事も可能なのだ。正にこの部分が本作を他に類を見ない作品にしている。
こう考えてみると、ラストシーンには荘厳さも漂う。神に戦いを挑んだ男が、結果的に囚人達にとっての神となったわけであるから、これは実に皮肉的な結末と言わざるを得ない。結局、最期まで彼は神の手から逃れる事は出来なかった‥そんな解釈も出来る。
ラストに納得がいかないが、しみじみと見れるシーンもある。
「百万円と苦虫女」(2008日)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 親元で暮らす21歳の鈴子は、バイト仲間とルームシェアすることになり家を出る。ところが、引っ越してみると相方は失踪。変わりにその彼氏が入居してきた。鈴子はひょんなことから彼とトラブルになってしまい警察の厄介になる。こうして彼女は前科1犯となってしまった。家に戻った鈴子は肩身の狭い思いをする。中学受験を控えて神経質になる弟拓也との間は険悪になるし、両親との折り合いもギスギスしたものとなる。一刻も早く家を出たい。そう思った鈴子は、バイトで100万円を貯めて今度こそ本当に独立した。拓也はそんな姉を少しだけ見直し文通の約束をするのだった。
楽天レンタルで「百万円と苦虫女」を借りようgoo映画映画生活ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 内向的で気弱な女性が様々なバイトを通して自立していくヒューマンドラマ。
蒼井優が持ち前のソフティケイトな演技で鈴子役を好演している。鈴子は他者との繋がりに消極的で、自分の世界に閉じこもって生きる根暗な女性である。現代の若者は感情希薄で冷めた態度を取る者が多いなどと言われるが、それは上っ面だけを見た批判に過ぎないと思う。彼らにだって感情はある。まだ人生経験が浅くて、その感情を上手く表に出せないだけなのだと思う。鈴子も正にそのようなタイプの女性で、思ったことを素直に口に出せず常に苦虫をかんだような表情をしている。このドラマはそんな彼女が外の世界に羽ばたいていくことで、少しずつ成長していくイニシエーション・ドラマになっている。
物語は序盤から軽快なテンポで進む。しかし、これはやや暴走気味という感じを受けた。おそらくドラマの”引き”の意味からこうしているのであろうが、余りにも唐突に始まるので入り込みづらい。中盤以降はじっくりと見せる演出に切り替わりドラマも安定してくる。おそらくこの監督は本来、淡々とした演出をする人なのではないだろうか。例えば、これが中島哲也監督なら、序盤のテンポのまま最後まで一気に見せてしまうのだろう。彼は映画を”戯画”として見せるテクニックに長けているし、全編のリズムを一定に保つことを心がけると共にリアリティの排除にも一切の迷いが無い。そういう意味では、この監督の本来の資質は中盤以降の日常描写にこそあり、序盤のアップダウンの激しい演出は変に作りすぎているような印象を受けた。
映画は基本的にはオーソドックスな青春ドラマとして見る事が出来る。ただ、日常描写に軌跡や偶然が入り込んでくるので、少し寓話的なテイストが漂う。例えば、バイトを転々としながら簡単に100万円が貯まるなどありえないし、季節が初夏からさっぱり変わらないというのもまったくもってナンセンスである。こうした物語の背景にはリアリティが薄いため、全体的に非現実的なテイストが漂う。
しかし、だからと言ってこのドラマを単なる絵空事と一蹴するつもりはない。鈴子の「自分を変えなければ‥」という自己変革の意志が、しっかりと物語の中で主張されており、彼女の葛藤はこちら側にもよく伝わってくる。現実味が薄いドラマであることは間違いないが、すれすれの所で現実をみつめた青春ドラマになっていると思う。
尚、本作で一番良かったのは鈴子と弟拓也の関係だった。リリカルに切り取られた別れのシーンが印象に残った。2人の間で交わされる文通のオチにもしみじみとさせられた。
また、中盤の桃園のエピソードにもほのぼのとさせられた。この逸話にはうだつの上がらない桃園の一人息子が登場してくるのだが、彼は他人に自分の思いを上手く伝える事が出来ない不器用な人間である。そういう意味では鈴子とよく似ていて、二人の交流はどこか微笑ましく見れた。
一方、結末に関しては今ひとつ感心できなかった。これだと作品のテーマである鈴子の成長が切り落とされてしまった印象を受ける。また、キーマン・中島の行動も解せない。そもそも彼の行動には一貫性がないので展開に余り身が入らない。中盤はそれなりに流麗に展開され面白く見れたのだが、終盤は彼の煮え切らなさが仇となりドラマが動脈硬化に陥ってしまっている。
中々見応えのある文芸ロマン。
「トリコロールに燃えて」(2004米英スペインカナダ)
ジャンルロマンス
(あらすじ) 1933年のロンドン。苦学生のガイはアメリカ名士の娘ギルダと恋に落ちる。その後、彼女は母の死をきっかけに旅に出てしまった。3年後、ガイは教師になり、内戦で吹き荒れる故国スペインでレジスタンス活動に参加する。一方のギルダはパリで気鋭のカメラマンになっていた。彼女から手紙をもらったことでガイは消えかけていた愛を再燃させる。早速パリへ渡ったが、そこで彼を待ち受けていたのは衝撃的な事実だった。ギルダはパトロンと付き合っていたのだ。気まずい関係になるガイとギルダ。そこにギルダの専属モデル、ミアがやってくることで奇妙な同棲生活が始まる。
楽天レンタルで「トリコロールに燃えて」を借りようgoo映画映画生活ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 戦乱に翻弄される男女の数奇なロマンスをドラマチックに綴った作品。
ガイとギルダの出会いと別れを描く前半は、割りとアッサリとした描写に留まり食い足りない。トントン拍子に進む展開。上滑りするダイアローグ。時代に不似合いなエキセントリック且つ過剰なアート臭を放つ衣装やメイクの数々。装飾にこだわるばかりで、人物感情の深部に切り込めなていない。
しかし、戦争の暗雲が立ち込めてくる中盤あたりからは徐々に面白く見れるようになっていった。スペイン内戦とナチスの台頭によってガイとギルダの関係は引き裂かれていく。正に命がけの恋だ。そして、そこにミアが割って入ることで男一人と女二人の三角関係が築かれていく。
ここではミアの存在が面白い。彼女は片足が不自由な元ストリッパーで、カメラマンをしているギルダのお気に入りの専属モデルである。ミステリアスな過去、何を考えているのか分からない振る舞いにドキドキさせられた。彼女はガイとギルダの関係の鍵を握るキーパーソンになっていく。彼女の動向によって二人の運命はかき回され、この恋はドラマチックに展開されていくようになる。
また、中盤以降はドラマも丁寧に作りこまれていくようになる。カメラマンとして、女優として活躍していくギルダの波乱万丈の生き様が、時間をタップリとかけて重厚に描写されていく。上昇から転落の人生。そこにヒロインとしての成長も確認でき見応えがあった。
ギルダを演じるのはオスカー女優のC・セロン、ミアを演じるのはP・クルス。夫々に好演していると思う。セロンの堂々たる存在感、妖しい雰囲気を漂わせたクルスのミステリアスな造形、共に見事である。ヒロイン二人については申し分ない。一方の男優はということ、こちらは残念ながら女優二人に押され気味である。ガイ役のS・タウンゼントが今ひとつパッとしない。女優陣がこれだけ”濃い”キャラクターだと生半可な俳優では相手役は務まらないだろう。こちらにも濃い味系の男優をキャスティングして欲しかった。
映像は文芸ロマンらしい美しさと格調高さを備えていて見応えがあった。深みのあるトーンが要所を締め、戦時下の悲恋というある種定番ネタといえる本作を堅実に支えている。
モンロー出演のサスペンス映画。
「ナイアガラ」(1953米)
(あらすじ) ナイアガラの滝を一望できるロッジに、新婚夫婦カトラーとポリーがやって来た。そこにはすでに年の離れたカップルが宿泊していた。気立てのいい妻ローズと、戦争の後遺症で療養中の夫ジョージである。二人の仲は見るからに冷め切っていた。ある日、ポリーは偶然ローズの浮気現場を見てしまう。それを知ったジョージは怒りを爆発させ、翌日姿を晦ました。実は、そこにはローズと愛人の策が働いていた。ポリーはそれを偶然知ってしまい‥。
楽天レンタルで「ナイアガラ」を借りようgoo映画映画生活ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) ある夫婦の不倫殺人の渦中に巻き込まれてしまう新妻の恐怖を、大迫力のロケーションの中に綴ったサスペンス映画。
不倫関係のもつれから起きる計画殺人はよくある話といえばそれまでだが、ナイアガラの滝の迫力とプロットの巧みさで中盤までは楽しめる。
ただ、終盤からサスペンス的な面白みに陰りが出始め、気の抜けた感じになってしまうのは残念だった。計画殺人は思わぬところで綻びが出るが、突っ込みを入れたくなるようなものである。また、観客の「目」となるポリーのキャラクターの弱さも難点である。ローズ役のM・モンローの方に花があるため割を食っているという印象だ。彼女のキャラが弱いため、犯人に追い詰められていく展開にも今ひとつ感情移入がしずらい。
そんな中、夫婦の愛憎をスリリングに描いた塔のシーンは見応えがあった。まるでヒッチコックの「めまい」(1958米)を思わせる緊迫感が感じられた。さらに、ジョージ役がJ・コットンというのもヒッチコック繋がりで言えば、彼が主演した「疑惑の影」(1942米)が想起される。映像のシャープなタッチにゾクゾクするような興奮を覚えた。
今作のモンローは役柄的にあまり好みではなかったが、セックス・アピールが存分に発揮されているので目の保養にはなる。お尻を左右に振って歩くモンロー・ウォークも見ることが出来る。ヒールの高さを敢えて不揃いにしてヒップラインを強調したと言われている。本作でそれが検証できるということだが、実はこの話は彼女の友人の女優の証言であり真偽のほどは定かではない。
映像は良かったが‥。
「パリは霧に濡れて」(1971仏伊)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) パリに住むアメリカ人夫婦フィリップとジルは倦怠期に突入していた。妻ジルにとっての唯一の心の拠り所は幼い二人の子供達だけだった。出版社に勤める夫フィリップは、家庭を顧みず仕事に生きている。そんなある日、フィリップの元に謎の組織から電話がかかってくる。実は彼にはある裏の顔があった‥。一方、ジルは最近断片的な記憶喪失に悩まされていた。日常のストレスから次第に精神薄弱に陥っていく。
goo映画映画生活ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 倦怠期のカップルに忍び寄る恐怖をシリアスなタッチで綴ったサスペンス映画。
物語は二つの謎を孕みながら進行する。一つは夫フィリップと秘密組織の関係。もう一つは妻ジルの記憶障害にまつわる謎。この二つを軸にサスペンスが展開されていく。しかし、正直なところ両者共に今ひとつ魅力に欠ける内容だった。組織の正体にはもう少し捻りが欲しいし、ジルの記憶障害は後半に入ってくるとほとんど何の意味も持たなくなってくる。前半はミステリアスで良かっただけに、このあたりの作りは惜しまれる。
監督はR・クレマン。かつては「海の牙」(1946仏)、「太陽がいっぱい」(1960仏)といった傑作を輩出したサスペンス映画の巨匠である。しかし、本作を含め、晩年の作品は今ひとつと切れが足りない。やはり老いには勝てぬ‥ということだろうか。
それでも、映像や雰囲気は中々魅力的だった。特に、前半が素晴らしい。冒頭の霧に包まれたパリの情景は、いかにもこれから何かが起きそうな、そんな期待感を抱かせてくれる。
また、ソフトフォーカスのカメラも主演のF・ダナウェイの美しさを上手くで捉えている。今作の彼女は中々の好演を見せている。
黄色をポイント的に配した色彩演出も洒落た味わいをもたらしている。特に、黄色のジャケットを着た息子パトリックがパリの街を走る絵は印象に残った。クレマンのアーティスティックな感性が伺えるシーンである。
ワールドカップで盛り上がった南アフリカ。本作は南アの英雄マンデラの知られざる一面を描いた実話の映画である。
「マンデラの名もなき看守」(2007仏独ベルギー南アフリカ)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 1968年、アパルトヘイト政策下の南アフリカ共和国に、白人軍人グレゴリーがやって来る。現地語を話せるという理由から、彼は反政府運動の指導者マンデラが収監されるロベン島で検閲官の仕事を任された。初めはマンデラをテロリストの首謀者として敵視していたグレゴリーだったが、彼の人柄に接していくうちにその考えが改まっていく。マンデラの息子が事故死したことをきっかけに、グレゴリーはアパルトヘイト政策に疑問を持つようになる。
楽天レンタルで「マンデラの名もなき看守」を借りようgoo映画映画生活ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 南アフリカ共和国初の黒人大統領ネルソン・マンデラは、27年もの獄中生活を送った。その間、ずっと彼を見続けていたのが今回の主人公グレゴリーである。本作は彼の原作を元にした実話の映画化である。マンデラとの間に芽生えた友情は、こんなことがあったのか‥という思いで興味深く見れた。
一方でマンデラの素顔にも興味があったので、そこも見せてくれるのではないかと期待したのだが、残念ながら映画は必要以上に彼の内面を描くことをしていない。あくまでマンデラ=パーフェクトな良識者として造形するに留め、日常レベルでの素顔は中々見えてこない。存命中の人物の場合、ましてや今回のような英雄を描く場合は、そのイメージもあるのでどこまで踏み込んで描くかは中々難しい問題なのだろう。これについては、また別の機会に‥ということになろう。
物語はややこじんまりとしてしまった感がある。原因はマンデラとグレゴリーの語りだけで全ての物語を説明してしまっている点にある。二人の長年に渡る交流は本来なら大河ドラマ的なスケール感を持った映画になってもおかしくはない。しかし、敢えて二人の友情にポイントを絞った作劇になっているせいで随分と小さな映画になってしまった。友情というテーマを明確にした結果だろうから、これは一つのやり方として合っているのかもしれない。しかし、名も無き囚人と看守の物語だったら、このやり方はあってもいいような気がするが、今回はマンデラというある種、偉人が見せる友情ドラマである。やはり、そこにはマンデラでしか描けないような周辺ドラマを盛り込んで、もっとスケール感のある友情ドラマにして欲しかった。
監督はB・アウグスト。過去に「愛と精霊の家」(1993独デンマークポルトガル)や「レ・ミゼラブル」(1998米)といった絢爛な大河ドラマを撮ったベテラン監督である。本作にもそのくらいの氾濫万丈且つドラマチックな作劇を望みたかった。
もっとも、この監督の作品の特徴は展開の流麗さにあり、その点についてはこれまでどおり一定の評価ができる。今回も飽きることなく最後まで一気に見ることができた。
また、アパルトヘイトの実情を知ることが出来たのも良かった。例えば、グレゴリーも彼の妻も、最初は黒人=共産主義のテロリストという差別主義者として登場してくる。かなり過激な偏見だが、おそらく当時はこのような考え方を持った人達が多かったのだろう。こうしてアパルトヘイトの歴史が作られていった‥ということが本作を見るとよく分かる。