娯楽性と社会性を併せ持った中々の力作。
「クライマーズ・ハイ」(2008日)
ジャンル人間ドラマ・ジャンル社会派
(あらすじ) 1985年8月12日。群馬県の御巣鷹山に乗客524人を乗せた日航機123便が墜落した。北関東新聞の記者悠木が全権デスクとなってトップニュースを任される。墜落場所が徐々に判明してくると、悠木は若手記者佐山を現場へ向かわせた。そこに悠木の親友安西がくも膜下出血で倒れたという報が入る。悠木の気持ちは焦るばかりだった。一方で、他社が次々と事件を報じる中、佐山からの連絡は中々入ってこなかった。結局、上司は輪転機の故障を理由に紙面の差し替えを断行した。落胆する悠木と佐山。しかし、状況は刻一刻と変化している。悠木は佐山に再び現場へ向かうよう命令するが‥。
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(レビュー) 日航機墜落事故を追った記者達の姿を描いた作品。
約25年前のことになるが、当時のニュースはTVで見ていてよく覚えている。実に悲惨な事故だった。25年経った今でも、残された遺族の心は癒えることはないだろう。それだけに映画化にあたっては慎重に臨まねばならない。単にワイドショー的な興味本位な視点で描かれても困るし、変に感傷的に盛り上げられても困る。その点で言えば、本作は概ね真摯に作られていると思った。事故そのものの描写は後半に一部あるのみである。映像としてどこまで見せるかについては、少し尻込みしたくなる部分だと思うが、ドラマを語る上では必要最小限に留められ、尚且つ現場の悲惨さは十分伝わってくるように撮られている。
物語の中心を被害者や遺族ではなく、あくまで事故を報道する新聞記者達の葛藤に置いたのも興味深い。前代未聞の大惨事を報じるにあたってジャーナリストとしてどうあるべきか?その”覚悟”を掘り下げた社会派的なテーマが主となっている。
映像は終始ドキュメンタリータッチが貫かれており、混乱に陥る新聞社の様子を生々しく切り取っている。2001年に起きた米同時多発テロを描いた「ユナイテッド93」(2006米)。あれに似たテイストで中々の迫力が感じられた。
主人公は全権デスクを任された悠木という記者である。彼はこの報道に全精力を傾けていく。しかし、何しろ彼の新聞社は地方の弱小会社である。大手中央新聞社に比べたら人材や機材は貧相で、結局スクープは大手に出し抜かれてしまう。ならば‥と昔気質の記者魂で部下の佐山を現場の近くまで派遣し情報収集を命じるのだが、報道というものは情熱だけで仕事が出来るほど甘い世界ではない。彼等はジャーナリストであると同時に企業人でもある。スポンサーの都合、役職の上下関係といった様々なしがらみが絡んでくることで、逆境に追い込まれていくようになる。この辺りの葛藤は実に面白く見れた。
そして、この面白さを支えているのが個性豊かな登場人物達である。保守的な上司、気の良い部下、野心溢れる女性記者、過去の因縁を引きずるかつての盟友等。悠木の周囲にはこういった曲者達が揃っている。彼らの丁々発止のやり取りが、作品のテンションを支えている。中には、事故現場を目撃したせいでノイローゼになってしまうカメラマンもいる。これには同情せずにいられなかった。事件の裏側に隠れたもう一人の犠牲者‥という気がしてやるせない思いにさせられた。
ただ、いかんせんこれだけ多くの情報量が詰め込まれると、作品全体の印象として窮屈な感じになってしまうことも事実だ。中には特に無くてもいいようなキャラ、エピソードがあったりする。
例えば、安西のエピソードはこの事故とは直接関係が無い上に、後半からその存在すら忘れかけられていく。また、悠木と息子の関係も踏み込みが中途半端だ。果たしてこれらが悠木の葛藤にどれほど必要だったのか?あるいは、もし描くのであればもっと丁寧に描く必要があったのではないだろうか。エピソードの取捨選択はもう少しシビアにして欲しかった。
国際色豊かで中々ユニークな映画。
「TOKYO!」(2008仏日韓国)
ジャンルファンタジー・ジャンルロマンス
(あらすじ) 3人の外国人監督が東京を舞台に撮ったオムニバス作品。
第1話「インテリア・デザイン」は、田舎から出てきたカップルが友人の部屋に居候しながら新居を見つけようとする話。
第2話「メルド」は、下水道に住む謎の怪人メルドが街中を混乱に陥れる話。
第3話「シェイキング東京」は、引き篭もり青年とピザ配達の少女が恋に落ちる話。
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(レビュー) M・ゴンドリー、L・カラックス、ポン・ジュノといった個性派監督が東京を舞台に撮ったオムニバス作品。斬新なタッチが面白く見れた。
第1話は、都会に馴染めない田舎娘が最後には○○になってしまうという奇談。ギスギスした人間関係、猫の額ほどの居住空間。外国人から見たリアルな東京とはこういったものか‥というのがよく分かる作品である。映画監督志望の加瀬亮の甘えた喋り方をするダメ男振り、それに振り回される恋人藤谷文子の薄幸さが良い。ラストはなるほど‥と思えるようなオチになっていて、ゴンドリーらしいブラック・メルヘンになっている。中々の快作といって良いのではないだろうか。
第2話は、ゴジラをモティーフにした作品。伊福部昭のBGMで始まり驚かされる。地下に住む片目の怪人メルドが人々を驚かす冒頭のシーンは、一部ゲリラ撮影と思しきものがあり生々しく撮れている。演じるのはカラックスの盟友D・ラヴァン。解読不能の言葉で狂った怪演を披露する彼のアドリブ演技も面白い。東京=糞=メルド(フランス語で「糞」)という、ある種反日的な傾向を持った作品であるが、そういったイデオロギーはこの際抜きにして作品そのものを楽しみたい。とは言っても、狐につままれたようなオチは少々おふざけが過ぎるという気もするが‥。
第3話は、引きこもりという社会問題を取り上げている。監督はポン・ジュノ。引き篭もりは韓国でも大きな社会問題になっているだけに、韓国出身のジュノには他人事ではないのだろう。ただ、時代を近未来に設定したため風刺は若干弱くなってしまった。ジュノ監督らしい毒が少々物足りない気もする。そもそも、このドラマは引っ込み思案な青年に訪れる軌跡の恋という極めてロマンチックな味付けのされ方をしていて、引き篭もりという社会問題自体、クライマックスを盛り上げるための”カセ”に過ぎないという気がした。ただ、演出的には3本中最も洗練されていて、作品のクオリティは一番高いと思った。オチにもう一つインパクトがあると尚良かった。
国籍が異なる3人の監督たちに東京という街を舞台にフリーに撮らせた、この企画自体は面白い試みだと思った。ただ、「TOKYO!」というタイトルがついていながら、東京である必然性が感じられたのは第1話のみで、あとの2作品は余り必然性が感じられなかったのが残念である。おそらく外国人が見る分には新鮮に写るのだろうが、我々日本人が見ると詰めの甘さは色々と出てくるだろう。
個人的には3人とも好きな監督だったので、一度に3つの作品が見れたというお徳感もあり全体的に満足のいく作品だった。
古典だが様々な要素が詰まった良質な作品。
「丹下左膳餘話 百萬兩の壺」(1935日)
ジャンルコメディ・ジャンル人間ドラマ・ジャンル古典
(あらすじ) 江戸時代、柳生藩に衝撃的な知らせが入る。先日、婿養子に出た次男源三郎に二束三文のこけ猿の壷を贈ったのだが、それが百万両もする値打ち物だったことが分かったのだ。藩主は慌ててそれを取り戻そうとする。ところが、源三郎はそうとは知らずにその壷を屑屋に売り払ってしまった。その後、壷は屑屋の隣に住む子供安吉の金魚入れになった。柳生藩の遣いは壷探しに奔走することになる。一方、美人な女将が切り盛りする小さな射的屋。そこには片目片腕の用心棒・左膳が居候していた。くしくもそこに安吉の父親が出入りしていた。ところが、ヤクザに因縁をつけられて彼は刺し殺されてしまう。左膳と女将は天涯孤独になった安吉を預かる事になった。そこに源三郎がやって来る。彼は新婚の身ながら射的屋の娘に一目ぼれしてしまったのだ。何も知らずに壷を持った安吉や左膳等と交流を重ねていく。
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(レビュー) 百万両の壷を巡って繰り広げられる下町人情劇。
人気シリーズ「丹下左膳」の1編であるが、タイトルに「餘話」とついていることからも分かる通り、本作は原作者側から左膳のイメージが違いすぎるというクレームがつき、このようなタイトルになったそうである。従来の左膳はニヒルなイメージが強かったが、本作の左膳はコミカルで親しみやすくなっている。しかし、それが功を奏し、本作は数ある「左膳」作品の中でも多くの人々から愛されるようになった。
監督は山中貞雄。現存する作品は少なく、28歳という若さで亡くなった短命な作家である。今改めて彼の作品を見ると急逝が偲ばれる。遺作となった「人情紙風船」(1937日)は日本映画史に残る名作だと思う。そして、この「丹下左膳餘話 百万両の壺」もそれに負けず劣らずの傑作だと思う。
まず、この物語に盛り込まれた娯楽要素の多彩さに驚かされる。たかだか90分程度の作品に、人間ドラマ、サスペンス、ロマンス、コメディ、様々な要素が無理なく詰め込まれている。ここまで内容の濃い作品もそうそう無いだろう。
左膳と安吉の擬似親子、女将との擬似夫婦、このあたりには人間ドラマ的な風情が感じられる。そして、百万両の壷を巡る争奪戦にはサスペンス的な面白さが、源三郎の不倫にはロマンスの面白さがある。映画はこれらを軽妙洒脱なコメディ・フレーバーで包み込んで形成されている。悲惨な境遇や陰湿な陰謀も出てくるが、それすらもこのコメディ・フレーバーによって楽しく見れるようになっている。しかも、一つ一つの笑いが実に計算されているのだ。
例えば、百万両という値打ちを知らずにこけ壷に金魚を入れたり、射的屋の借金返済に売り出そうとしたりするところは実に可笑しかった。上流社会と下流社会の価値観のズレを皮肉的に表しながら見事に上質な笑いへ昇華されている。
そして、このコメディ・フレーバーを支える上で、源三郎というキャラクターを忘れてはならないだろう。このキャラクターは物語上、大変重要な役割を担っている。彼は若い娘にうつつを抜かす不貞の亭主で、しかも道場の師範を任されておきながら剣の腕はからっきしというダメ男である。要所要所の笑いに必ず彼が絡んでくるのだが、その顛末が良い。半ば強引なまでのハッピーエンドとも言えるが、この男にしてこの”あっけらかん”とした顛末はよく似合っていた。
むろん、主役の左膳とヒロイン女将も魅力的に描けている。何気ない日常会話や射的屋の置物といった小道具を駆使しながら、二人の関係が簡潔に説明されている。また、言葉は乱暴だが根は優しい左膳。勝気だが懐の深い女将。二人とも傍から見れば冷淡な人間に見えるが、実際には情に熱い人物であることもよく分かる。表裏のギャップを様々な局面で見せた山中演出には感心させられるばかりた。
加えて、山中監督の省略演出にも唸らされるものがあった。これがこの映画をコンパクトにまとめている最大の要因だと思う。ただむやみに省略しているわけではなく、きちんと計算されているところが素晴らしい。
例えば、左膳が安吉の父を家まで送るまでの経緯、女将が安吉を引き取るまでの経緯、安吉が竹馬を買ってもらうまでの経緯。これらは全て中間の描写が省かれている。描く事で全てを見せてしまうことと、描かない事で想像させること。山中貞雄はその使い分けを心憎いほどよく弁えている。例に挙げた3つのシーンは、描かない事で観客に想像を働かせ、結果的に味わいをもたらすことに成功している。ちなみに、この3つの省略には左膳と女将の優しさもそこはかとなく滲み出ていて良い。テンポの良さ、隙の無い作劇、そしてキャラの人となりを的確に捉えた省略演出は実に見事である。
つぎはぎ作品なのでずっと同じトーンが続く。
「装甲騎兵ボトムズ ペールゼン・ファイルズ」(2008日)
ジャンルアニメ・ジャンルアクション
(あらすじ) アストラギウス銀河は100年に及ぶ戦争状態にあった。ギルガメス軍の特殊部隊レッドショルダーは最も勇猛果敢とされる部隊である。ところが、創設者ペールゼンの越権行為が軍の上層部に知れ渡りレッドショルダーは粛清され、ペールゼン本人も軍事法廷で裁かれた。レッドショルダーの生き残りキリコは、負傷した身体を引きずりながら新たな戦場を求めて旅立った。一方、ギルガメス軍の情報省次官ウォッカムは、ペールゼンが残したファイルから興味深い実験記録を見つける。
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(レビュー) 80年代にテレビ放映されたリアル系ロボットアニメ「装甲騎兵ボトムズ」のOVA(全6巻)を劇場版に編集した作品。長きに渡りファンから支持を集め、今もってシリーズ化される人気作である。
物語はかなり駆け足気味に展開される。全12話のストーリーを2時間に要約するのだから、当然そうならざるを得ないだろう。この手の総集編を見た時にいつも思うのだが、物語の辻褄を合わせようとするばかりでドラマは浅薄になり、キャラクターの感情も上滑りするばかりで、どうにも作品に入り込みづらい。
本シリーズの大きな見所がメカ・アクションにあることは分かる。しかし、そればかりが転々と繰り広げられるばかりな上に、ドラマは軍部に起こる事件の説明に費やされるばかりで、主人公キリコの視点が曖昧になってしまっている。本シリーズの魅力の一つに、孤高のキャラクター、キリコの存在も欠かせないはずである。血塗られた過去の歴史、それにどう向き合っていくのか?その葛藤に迫るような描写をもっと見せて欲しかった。この構成の仕方では彼が淡々と戦場を渡り歩いているだけ、という風に写ってしまう。
アクション・シーンは3DCGで表現されており、過去作品の印象とは大分趣を異にする。最初のTVシリーズを見ている者としては、このあたりには少々戸惑いを覚えた。2Dで表現される人物と3Dで表現されるメカのギャップが最後まで埋められなかった。このあたりは慣れという気がしなくもないが‥。
「ボトムズ」というシリーズがリアルな作品世界を一つの魅力にしている事は紛れもない事実であろう。そして、それを支える大きな要因がリアル系ロボット、つまりメカニック的な部分にあることにも異論はない。しかし、その表現に今回3DCGを持ち込んだことで、かえって周囲の2D表現の世界との間にギャップが生じてしまった。アニメーション作品に対してこういう言い方をするのも変だが、これでは作品の本来の魅力であるリアルさを後退させてしまっているだけではないだろうか。
また、リアルさはつまり”嘘”を嘘っぽく見せないことである。元来アナクロニズムな造形をした塩山紀生デザインのキャラクターに3Dのメカはあまり相性が良いとは言えない。作品世界の統一感が薄くなってしまい、本来”嘘”であるものが余計に”嘘っぽく”見えてしまう。おそらく、もっとシャープな造形のキャラクターならシックリ来たのかもしれない。
それと、挿入歌の使い方はもう少し考えて欲しかった。ここまでクドく使われると多少しつこく感じてしまう。
面白く見れたのは、キリコの部隊に配属されたワケあり面々が織り成す人間模様である。一癖も二癖ある連中が揃っていて中々魅せる。初めは対立する彼等だが、共に戦火を潜り抜けることで熱い友情で結ばれていく。それがクライマックスで少しだけ見られたのが良かった。おそらくここを軸にドラマが構成されていたなら、もっと見応えのある作品になっていたように思う。
おふざけ感がたっぷり詰まったアクションシーンが良い。
「プレデターズ」(2010米)
ジャンルSF・ジャンルアクション
(あらすじ) 傭兵のロイスは気が付くと見知らぬ惑星に放り出されていた。そこには彼と同じようにこの惑星に連れてこられた人間たちがいた。女スナイパー、ロシア特殊部隊の隊員、死刑囚、ヤクザ、医師等。彼等は未知なる敵プレデターの狩猟の獲物としてここに連れてこられたのだった。
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(レビュー) シュワちゃん主演のSFアクション「プレデター」(1987米)から約20年。人間とプレデターの壮絶な戦いを描いたシリーズ最新作。
未だに根強いファンが多い本シリーズだが、最強最悪のエイリアン、プレデターの凶悪さは地球最強のヒーロー、シュワちゃんとの死闘をもって確立されたモンスターと言っていいだろう。第1作は昔TVで見て光学迷彩のアイディアに驚嘆したものだった。それを引き継いで製作された第2作は、肝心のシュワちゃん抜きという事でどうも見る気が起きず今に到っている。その上で本作を見た。
ストーリーはあって無きが如し。いたってシンプルである。前作からの関連性や複雑な設定等は絡んでこないので、未見でもとりあえず楽しめる内容になっている。ただ、第1作は抑えておいた方が色々と都合が良いと思う。というのも、第1作のオマージュが幾つか出てくるからだ。知っていると知っていないとでは、楽しみ方が違ってくると思う。
アクションシーンは中々切れがあって良かったと思う。製作と視覚効果監修にR・ロドリゲスが噛んでいるので、ただひたすらバカなものを予想していたのだが、その期待には十分応えてくれている。
例えば、L・フィッシュバーンやD・トレホといった癖のある俳優たちをほとんど冗談みたいな扱いにしてしまった所。ヤクザ=日本刀という安直な思考もバカバカしくて笑える。
そもそも、登場人物が皆悪人、もしくは殺しのプロという偏った面子であるからして、彼等のズルさ、他人を踏み台にしてまでも生き残ろうとする姑息さは映画的スリリングに満ちている。そこをアクション主体で攻め切った構成は潔い。
また、その他の脇役についても色々と見るべきものがあった。決して全部のキャラを上手く料理し切れているわけではないが、中々の曲者揃いで楽しめた。
その反面、主役に関しては不満が残った。A・ブロディはどう見てもプレデターと対決するには貧弱すぎる。意外性を狙ってのキャスティングだろうが、だとしたら逆手に取った”効果”というものをもっと前面に出すべきだったのではないだろうか。シュワルツネッガーでも第2作の主演D・グローヴァーでもない、彼には彼しか表現できないキャラがあったはずである。それを証明してくれるような場面を1箇所でもいいから見せて欲しかった。
それと、L・フィッシュバーンが登場して以降の中盤はだれる。そもそも、彼は物語を語る上で絶対に必要というわけでないし、アクションも休憩に入ってしまうので退屈してしまう。人物紹介の作劇と敵から追われるサスペンスで引っ張った前半の勢いが、ここに来て失速してしまうのは惜しかった。このあたりの作り方はもう少し工夫して欲しかった。
エンドクレジットまでタップリあんこが詰まった痛快ドタバタコメディ!
「ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い」(2009米)
ジャンルコメディ・ジャンルサスペンス
(あらすじ) 結婚式を控えたダグは独身最後のパーティーを楽しもうと、友人フィルとステュ、花嫁の弟アランとラスベガスへ繰り出す。高級ホテルのスウィートを取り、屋上で祝杯を上げ、いよいよカジノに乗り込んだ。明けて翌朝----彼等がホテルで目を覚ますと、部屋はすっかり荒れ果てていた。トイレには何故か虎がいて、クローゼットには赤ん坊がいた。挙句の果てに肝心のダグの姿が見えない。二日酔いで昨晩の事をまったく覚えていない彼等は、ダグを探そうとするのだが‥。
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(レビュー) 酒に酔って羽目を外した良い年した男たちが、記憶を手繰り寄せながら行方不明になった親友である花婿を見つけ出すまでを、下品でおバカな笑いで綴ったコメディ。”酒は飲んでも飲まれるな”という言葉があるが、本作は正にその教訓を含んでいるかのような作品で、きっと酒で痛い目を見た経験のある人には身につまされるかも‥?
アメリカのコメディ映画は、日本ではヒットしないというジンクスがあり、向こうでは大ヒットを飛ばしてもビデオ・スルーされることが多い。本作はコメディジャンル全米歴代1位という偉業を成し遂げたにも関わらず、公開未定だった。それが一部の人達の尽力のおかげでどうにか劇場公開に漕ぎ着けた。実際、見てみるとそれも納得の出来である。失礼ながら、この手のバカ映画はとりあえず笑えればOK的な考えで見るが、ドラマはよく考えられているしクオリティも中々高い。
ありえない場所に虎がいたり、心当たりの無い赤ん坊を抱えることになったり、見た目は突拍子も無い不条理劇だが、これらは失われた記憶を手繰り寄せていくという計算の元で作られており、ミステリー映画のようなオチと伏線の接合がきちんとはかられている。思い出されるのが「ブラックアウト」(1997米)という作品である。あれもやはりドラッグと酒に溺れた主人公が、一夜の記憶を取り戻していくという作品だった。とんでもない痴態を後になって知る‥という、実にいたたまれないオチだったが、本作はその痴態が”笑える”というところで完全にコメディに特化している。誰も死なないし、悪者は悪者として限られた中できちんと不幸になるし、いたって平和に見れるところが良い。現実には他人の酔った痴態ほど見苦しいものは無いが、そこは映画なので笑い飛ばす‥くらいな気持ちで見るのがベストだろう。つまり、それくらい広い気持ち見てあげたほうが良いという事だ。
そして、単に笑えるだけではなく、少しだけチクリと刺さってくるメッセージも感じられた。
ラストの方で、フィルがダグの結婚を少しばかり揶揄するセリフを吐く。他のシーンでも、結婚に関して彼は悲観的な物言いをする。彼には安定した職と愛する妻子がいる。一見すると家庭円満に写るが、器用な彼は目に見えないところで色々と苦労しているに違いない。だからこそ、彼の結婚に対する悲観論はリアルなものに聞こえてくる。家庭に縛られたらこんなバカ騒ぎは益々出来なくなってしまうぞ‥という警告、あるいは幾ばくかの寂しさ。それが、ラストの方のこの言葉から伺える。裏を返せば、男としてはちょっとだけ反抗してみたい‥という本音とも取れる。こう考えると、彼等のこのバカ騒ぎはどこか愛しくさえ見える。
ちなみに、一番笑ったのは、リトル・ウェデングでのエピソードだった。ヘザー・グレアムを久々に見たが、年を取ったとはいえやはりキュートである。彼女の別れのシーンにはしみじみとさせられた。逆に、警察描写は少しやり過ぎな感じがしなくもない。公権力を悪辣と描くことに異論はないが、過剰な暴力に多少の引っ掛かりを覚えた。