時を越えたファンタジー・ロマンス。ありえね~と思いながらも入り込んでしまう。
「フォーエヴァー・ヤング/時を越えた告白」(1992米)
ジャンルファンタジー・ジャンルロマンス
(あらすじ) 1939年、アメリカ空軍のテスト・パイロット、ダニエルは恋人を交通事故で失い失意のどん底に落ちる。自暴自棄になった彼は、親友ハリーが行う軍の最高機密、人間冷凍実験に志願する。それから50年間、ダニエルは冷凍装置に入ったまま軍の倉庫に放置された。ある日、悪戯で潜り込んだ少年ナットによってダニエルは冷凍装置から目を覚めす。様変わりした世界に戸惑いながら、彼はナットと母クレアの協力を得ながらハリーを探そうとする。
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(レビュー) 50年間眠り続けた男が、かつての恋人を求めて様々な障害に立ち向かっていく軌跡のファンタジー。
ドラマとしてはリアリティに乏しいし、SF的な設定に関しては十分な説明も無い。しかし、そういったご都合主義はあるにしても、見せ方が非常に上手い。作品として上質に仕上がっている。
人は誰でも過去にやり残した事、後悔した事を抱えながら生きているものだ。本作の主人公ダニエルは、恋人に告白できなかったことを後悔している。彼は冷凍装置に入ったまま50年後の未来にタイムスリップし、それを実現しようとする。斜に構えてしまうと”嘘っぽい”という感想になろうが、映画に夢を求めるのも人の情。その欲求に素直に応えてくれるのが、この映画の良い所である。
そして、”嘘っぽい”と見せないためにこの映画では様々な工夫が凝らされている。俺が感心したのは以下の2点ある。
まず1点目は、冷凍睡眠から目覚めたダニエルが世話になるクーパー家との交友描写である。クーパー家は別れた暴力夫に付きまとわれて困っているのだが、それをダニエルが排除することで一家に迎え入れられる。言わば、用心棒代わりのように受け入れられるわけだが、これが徐々に擬似家族のようになっていく所がミソだ。
ちなみに、ここでダニエルと母クレアは安易に恋仲にならない。男と女。普通なら助平心が芽生えてもおかしくないところを、あくまでプラトニックな関係に抑えている。
クレアは仕事をしながら子供を育てる独立心の強い女性である。目の前に突然現れた見ず知らずの男に心を奪われるなどしたら、彼女の性質から言ってそれこそ嘘っぽくなってしまうだろう。映画は二人の関係を微妙な距離感で描いており、これが中々のリアリティを持っていて物語の“嘘っぽさ”を払拭している。クレアを演じたJ・リー・カーティスの軽妙な演技も良い。彼女のおかげで変に隠微にならないで済んでいる。
一方、息子ナットは母親と違ってダニエルを心から信奉している。憧れの空軍パイロットで、腕っ節も強く話も分かる頼りがいのあるナイスガイである。ナットにとって正に理想の父親像である。この擬似父子関係は実に爽やかに見れた。
そして、感心した2点目は技術的な面である。クライマックスシーンは普通に考えたらどうして?何故?の連続だが、それをクオリティの高い特殊メイクが支えている。
一昨年見た
「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」(2008米)の特殊メイクにも感じたことだが、何十年という人生を一人の俳優が演じているのに、それを自然に見せてしまうハリウッドの特殊技術の高さには毎度のことながら感心させられる。これこそ映画のマジックだろう。特殊メイクを担当したのは、「ゴッドファーザー」(1972米)、「エクソシスト」(1973米)、「タクシードライバー」(1976米)、「アマデウス」(1984米)等、数々の傑作でその手腕を発揮した大家D・スミス。”嘘っぽさ”を自然に見せてしまう彼の技術は見事である。このクライマックスシーンは実に感動的だった。
尚、この映画にはもう一つしみじみときたシーンがあって、それは中盤のダイナーのシーンである。時代の流れと共に変化した風景に、ダニエルは一つだけ昔と変わらないものを見つける。それが恋人と最後に過ごした思い出のダイナーである。イスに座って感慨にふけるダニエルの姿にジンワリさせられた。
時を越えたファンタジー・ロマンス。今ひとつ弱い。
「ある日どこかで」(1980米)
ジャンルロマンス・ジャンルファンタジー
(あらすじ) 作家を目指す大学生リチャードは、ある日見知らぬ老婦人から金時計を貰う。それから8年後、作家として成功した彼は旅先で1枚の美しい女優の写真に心奪われる。彼女は1910年代に活躍したエリーズという女優だった。図書館で彼女について調べてみると思いがけない事実が判明する。なんと8年前の老婦人が彼女だったのだ。彼女は既にこの世を去っていた。あの時貰った金時計の意味を教えてもらうために、リチャードはタイムトラベルに挑む。
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(レビュー) 運命の恋人だと確信したリチャードは、エリーズに会うためにある方法によって現代から1912年にタイムスリップする。時代を超えた切ないロマンスが美しい映像で綴られている。
リチャードを演じるのは「スーパーマン」(1978米)の主演で華やかにスクリーン・デビューを果たしたC・リーヴ。晩年は不運な事故によって車椅子の身体になってしまい映画界から遠ざかっていたが、この作品は彼が最も輝いていた頃の一本で正統派二枚目スターの魅力を存分に堪能できる。
物語はメロドラマとしてはやや通俗的でありながら、ポイントをしっかり抑えた作りになっている。若かりしエリーズと再会を果たしたリチャードは身分を隠して彼女と親密になっていく。しかし、売れない女優をしている彼女には、長年面倒を見てくれたパトロンがいる。リチャードはエリーズを巡って彼とライバル関係になっていく。身を引いて彼女の女優としての成功を見守るべきか。それとも、歴史に逆らって彼女に断ち切れぬ想いを伝えるべきか。切ない葛藤がドラマを大いに盛り上げている。
ただ、厳しく見てしまうと、どこにもである感傷的なドラマと一蹴することも可能である。紋切り的で、物語のどこかで”捻り”が欲しいという気がした。また、タイムトラベルのきっかけも突っ込みを入れたくなるような強引さで説得力のあるSF設定を求めたかった。大仰なBGMの使用もセンスに欠ける。
そこで、見終わった後に、このドラマをどうすればもっと面白くできるか、あれこれ妄想してみた。
この映画の視座はリチャードにある。ここは一つエリーズの側から見たリチャード像というのを入れてみるのも面白いのではないだろうか。クライマックスにおける彼女の喪失感。それを冒頭のシーンに結びつけることによって、エリーズの恋情がクローズアップされ切なさがいっそう増すのではないかと思う。また、結末が冒頭に戻ることで、二人のすれ違いにメビウスの輪のごとき神秘性と永遠性が加わりドラマチックさも増す。そのためには当然エリーズにも重い葛藤を背負わせる必要性が出てこよう。
考えてみると、この映画はそこも含めて彼女のドラマに深く切り込めていなかったような気がする。あと一つ何かが足りないとすれば、そこではないだろうか。
二つの世界に分け隔てられた男女の激しい衝突が魅せる!
「ある朝スウプは」(2003日)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) パニック障害で精神科に通う北川は、同棲する恋人志津の愛に支えられながら生きていた。志津は中々就職が決まらず、最近焦りを感じ始めている。そんな二人の生活は日ごとすれ違いを増していく。北川は在宅の仕事を始めながら、セミナーと称して頻繁に出かけるようになった。ある日、彼が無断で40万もする黄色いソファーを買ったことから二人は口論になる。問い詰めると、それはある新興宗教から買ったと言う。
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(レビュー) 宗教にのめり込んでいく青年と、彼を現実に引き止めようとする女性の愛を描いた作品。
監督・脚本・主演は以前このブログで紹介した
「14歳」(2006日)を手がけた”群青いろ”というユニットである。ユニットのメンバーは高橋泉と廣末哲万の二人。本作は高橋が監督・脚本・撮影・編集を務め、廣末が主演を務めている。ちなみに、「14歳」は監督・主演が廣末で高橋は脚本のみの参加だった。両作品を比較してみると二人の演出に若干の違いが見られて面白い。どちらもドキュメンタリー・タッチであることに変わりはないが、高橋の方が長回しが多く、よりナチュラル志向が強いように感じられた。北川と志津のやり取りがこの映画の中心になるが、それをリアルに切り取っていくことで、作品に緊迫感を生んでいる。これに比べると、「14歳」の方はスローモーション等の作為的演出が盛り込まれ、映像面での意図的な工夫が凝らされている。製作された時期や、予算、スタッフを含めた環境の違いもあろうが、映画作りのスタイルに若干の相違が見られて面白い。ただ、高橋については本作の後、脚本家としての活動が中心となり監督作が無いので、比較対照するのが本作のみになってしまう。彼の演出手腕に関しては、今の段階では未知数と言った方がいいかもしれない。
シンプルな物語であるが、精神病と新興宗教という現代ならでは問題に正面から切り込んだ所に作り手側の問題意識の高さが伺える。いかにして離れ離れになってしまった心を愛の力で繋ぎとめていくことができるか?その試練が見せ所になっている。ある意味で、
「愛のむきだし」(2008日)とよく似たテーマ性が伺える。
本作の見所は、終始一貫して捉えられる北川と志津の激しいやり取りである。北川にとっての現実はもはや宗教の世界であり、志津との日常生活は虚構になっていく。志津との世界に徐々に接点を見出せず、彼の心は二つの世界に引き裂かれていくようになる。たどたどしく喋る北川のセリフが小声で聞きとりにくいという不満はあるが、これは彼の心が情緒不安定にあることを指し示すものだろう。その姿には説得力が感じられた。
一方、志津は日常のテリトリーが北川の新興宗教に侵食されていくことに危機感を募らせていく。彼女の苛立ちは、書かれたセリフというよりも、キャラクター本人が喋っているように生々しく、その苦しみは見ているこちら側にダイレクトに伝わってきた。
特に、トイレの窓を挟んでの北川との対峙は、心の底からの“叫び”のように聞こえ印象に残る。聞き取りにくいセリフや薄暗い照明等、作り自体に拙さは否めないが、この場面だけはそれを補って余りある迫力が感じられた。
異色のサスペンス作品。
「ザ・シャウト/さまよえる幻響」(1978英)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) ある精神病院でクリケット大会が開かれる。スコアラーとしてやって来た青年ロバートは、同じくスコアラーとして同席したクロスリーから不思議な話を聞かされる。彼はここに入院している前衛音楽家アンソニーの妻を寝取ったと言うのだ。更に、彼は”声”で他人を殺せると言い出し始める。
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(レビュー) ”声”が殺人アイテムになるという設定もユニークだが、物語もかなりユニークな異色のホラー・サスペンス作品。
物語は殺人絶叫を持つ男クロスリーがロバートに話して聞かせる回想形式で進んでいく。浮浪生活をしていた彼はアンソニーの家庭に上がりこみ、様々な奇行で夫婦を翻弄しながら妻を誘惑する。たわいもない不倫劇と言えばそれまでだが、男女3人のスリリングな駆け引きは中々目が離せなかった。クロスリーのミステリアスな造形も魅力的だった。
そして、この映画の見所は何と言っても、クロスリーがその”声”で人を殺す場面である。中盤でそれが登場するのだが、このシーンはインパクトがあった。映画は全体的に静かなトーンで綴られていくが、それがかえってこの大爆音とも言うべき絶叫シーンを際立たせている。
もっとも、本作は最初から娯楽的なホラー、スリラー映画を狙って作られているわけではない。何しろ監督・脚本はポーランドの異才J・スコリモフスキである。A・ワイダの
「夜の終りに」(1961ポーランド)やR・ポランスキーの「水の中のナイフ」(1962ポーランド)で脚本を書いたことでも有名な才人である。両作品とも息苦しいほどの緊張感が漂うダイアローグ劇で、大いに見応えがあった。そんな彼が監督をつとめた作品であるから、今作もただの見世物小屋的な映画にはなっていない。
アンソニーが音響の世界にのめりこむ余り妻との関係が空疎になっていく様は、どこか寒々しく写り、まるで「水の中のナイフ」における倦怠期の夫婦とダブって見えてくる。そう言えば、「水の中のナイフ」も妻が寝取られる話だった。夫婦の中に異端者が入り込みその関係が壊されていくというプロットは本作とよく似ている。おそらくスコリモフスキとしては、建前上ジャンル映画という形を取っているが、本当に描きたかった部分はこの不倫劇であり、夫婦関係の破綻それ自体なのだろう。
尚、語り部がクロスリー自身にあり、彼の回想が虚言なのか、それとも真実なのか?証明する者がいないため見終わっても今ひとつ判然としない。ラストの妻の所作にしても、彼女はクロスリーを愛していたのか?それともアンソニーを愛していたのか?その解釈については真っ二つに分かれよう。
しかし、考えてみれば元来愛とは白黒はっきりとつけられない、複雑にして怪奇なモノである。この映画は、愛は幻影に過ぎないということを、虚実をぼかした作劇で暗喩しているのだろう。かなり捻った作りだが、見終わった後に色々と考えさせられた。
アメリカン・ニューシネマ時代の異色の西部劇!T・スタンプが◎
「血と怒りの河」(1968米)
ジャンル人間ドラマ・ジャンルアクション
(あらすじ) アメリカ人青年アズールは、運命の悪戯で幼い頃よりメキシコの盗賊オルテガに育てられた。ある日、オルテガ一味はアメリカ人の村を襲撃する。そこでアズールは、仲間にレイプされそうになった村娘ジョアンを助けた。その際、彼は深手の傷を負う。アズールは医者をしているジョアンの父の手当てを受け、名前をブルーと改名して村で暮らすことになった。そこに彼を連れ戻そうとオルテガがやって来る。
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(レビュー) メキシコ人の盗賊として育てられた青年が、アメリカ人父娘との交流を通して出自を見つめなおしていく異色の西部劇。
オープニングはマカロニ・ウェスタン風のアクションシーンで始まり高揚感がある。その後は、アズール改めブルーの周縁を描く人間ドラマに傾倒していく。そして、クライマックスは西部劇の王道をいくような派手な銃撃戦が展開され、ブルーのアイデンティティーに一つの答えが提示される。この結末には、アメリカ人でありながらメキシコ人として育てられたブルーの葛藤が集約されていて中々感動的であった。
見所は何と言っても、ブルーを演じたT・スタンプのニヒルな佇まいである。どこか悲しげでありながら、そこはかとなく狂気を孕んだ表情が魅力的だった。
T・スタンプと言えば、「コレクター」(1965米)の異常な蝶収集家の怪演が忘れ難い。屈折したフェチを持った孤高性は見る者の心を掴んで離さなかった。スタンプはこうした”繊細さ”と”異常さ”を併せ持った演技をやらせると実に上手い。そして、そのキャラクター性は今作のブルーにも共通しているように思った。彼はメキシコ人とアメリカ人との狭間で迷う異端者である。村人たちを恨めしそうに見据える表情に、やはり自分はアメリカ人にはなれないのか‥という孤独が見え哀愁を誘う。異端者という“異常”な存在。アイデンティティーを掴もうと葛藤する“繊細さ”。この二つからブルーのキャラクターは掘り下げられている。
本作は映像も美しい。青い空と緑の大地が織り成す雄大な自然を、カメラは詩情溢れるタッチで切り取っている。アクションシーンのカメラワークも素晴らしく、特に前半の村の襲撃シーンは斬新な映像演出が見られる。稲穂の中の追跡とオルテガの息子が村人に捕まり射殺されるシーンは、荘厳さも感じられる。そして、極めつけはラストの空撮である。正に「血と怒りの河」というタイトルを印象付けるような長回しショットで映画は幕を閉じる。
ただし、残念ながら中には今ひとつと感じた演出も少なくはない。
例えば、クライマックスの銃撃戦は、前半の襲撃シーンに比べるとアクション演出は平板で、派手な銃撃戦を繰り広げている割には現場を大局的にしか捉えておらず緊迫感が薄い。
また、シナリオもブルーの葛藤を追う前半は面白く見れるが、後半の安易な展開は惜しまれる。ジョアンにはジェフという恋人がいてブルーを交えた愛憎ドラマが用意されているのだが、これが消化不良のまま終わってしまったのは残念だ。決着の付け方が”なあなあ”でパンチに欠けると言わざるを得ない。
命がけの姿に拍手!
「ヤング@ハート」(2007米)
ジャンルドキュメンタリー・ジャンル音楽
(あらすじ) 平均年齢80歳のコーラスグループ、ヤング@ハートのツアーを追ったドキュメンタリー作品。
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(レビュー) 今のお年寄りは元気である。しかし、まさかこの年でロックを歌うとは‥!驚きである。体力的な衰えも何のその。ソニック・ユースやジェームズ・ブラウン等、敢えてアッパーな曲を選曲して彼等は熱唱する。何だか見ているこちらも元気を貰ってしまう。
作りは非常にオーソドックスである。コンサートに向けて練習に励むメンバーの姿と、その裏側で育まれる交流。それがPV風の映像を交えて淡々と綴られていく。昨今は娯楽要素を盛り込んだドキュメンタリー映画がたくさん作られているが、それらと比べると朴訥とし過ぎる感はある。しかし、それは作り手達の真摯な姿勢の表れとも言える。
映画は後半から思いもよらぬアクシデントによってドラマチックな展開を見せていく。彼らの前に「老い」という避けようが無い現実が立ちはだかり、コンサート活動に赤信号が点滅し始める。狙ってやっているわけではないのだろうが、ドラマの盛り上げ方が非常に上手いため感動出来る。確かに見ていて痛々しく写る場面もある。しかし、ここまでの情熱を見せつけられてしまうと感極まってしまう。生涯現役。この精神は見習いたいものである。
映画監督北野武の自己投影映画。今の思いが正直に吐露されている。
「アキレスと亀」(2008日)
ジャンル人間ドラマ・ジャンルコメディ
(あらすじ) 絵を描くのが大好きな少年真知寿は、将来画家になることを夢見ていた。しかし、父の会社が倒産したことで彼の人生は一変してしまう。父は首を括って自殺し、母もその後を追うようにして他界した。親戚の家に預けられた真知寿は孤独の淵に落ちる。大好きな絵を描くことと、地元を放浪する知的障害の画家との交流だけが心の慰めとなった。数年後、成長した真知寿はアルバイトをしながら美術専門学校に入学する。友人に囲まれながら黙々と絵を描き続ける日々が続く。しかし、中々芽が出ず行き詰まりを感じ始める。
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(レビュー) 不遇の画家の半生を綴った人間ドラマ。
監督・脚本・主演は、今やフランスで熱狂的な支持を受ける北野武。日本では彼の作品はヒットしないのに本当に不思議な現象である。今作の主人公真知寿のネーミングは、20世紀前半に活躍したフランスの画家アンリ・マティスからきている。当然、自身の作品を評価してくれるフランスに対する相思相愛の表れだろう。
ここ最近の北野作品は、「監督・ばんざい!」(2007日)、「TAKESHI'S」(2005日)と、極めて異色な作品が続いた。正直な所、この2作品に関しては余り面白いとは思わなかった。物語が希薄でショートコントの寄せ集めを見せられているようで何だか味気ない。映画監督北野武の迷走。それがそのまま表出したような作品だった。本作にも若干まだその迷走は伺えるが、少なくとも”物語る”ことへの回帰は感じられた。どうにか劇映画としての体裁が整えられている所に少しだけ親近感を持てる。
迷走といえば、真知寿=当時の監督本人の姿にダブって見えてくる所は大変興味深い。海外では成功しても日本での評価は今ひとつ‥。このあたりのことは北野監督本人、かなり意識しているようで、それが本作の自己投影的な主人公の造形に繋がっていると想像できる。作家としての正直な吐露。それを窺い知る事が出来る。
ただ、オチは今ひとつ腑に落ちなかった。本作のテーマは売れない作家の葛藤である。それをどうして突き詰められなかったのか‥。
画家の苦悩を描いた作品では、以前このブログで紹介した
「ポロック 2人だけのアトリエ」(2000米)がある。芸術がいかに残酷で恐ろしいものかが克明に記されていた。元来、芸術家とは頑固で浮世離れしていて作品の生みの苦しみの中で一生を終える者が多い。ゴッホしかり、モディリアーニしかり、ポロックしかり。中には死んで初めて評価されるなんて人もいるくらいで、大方芸術家は不幸な人生を送るというのが常なのである。
それが、どうして安易に美談として片付けてしまったのか。むろん、この結末に持っていくためのドラマがきちんとはかられていたなら、多少の予定調和があったとしても、ある程度の割り切りの上で理解することは出来る。しかし、この結末は余りにも唐突過ぎる。
また、これはもはや相性の問題としか言いようがないのだが、北野映画のギャグのセンスは少々苦手である。
今回で言えば、首吊り自殺を発見するシーンのリアクションが挙げられる。微妙にタイミングをずらすことでオフビートな笑いを生み出そうしているのだろうが、大仰過ぎて笑えない。亡き母の死に顔、学生達の賑やかな創作風景。このあたりのギャグも狙ってやっているのだろうが、わざとらしく写ってしまった。思うに、タイミングの取り方、効果音演出、映像演出が自分の感性に合わないのだろう。笑いの感性は千差万別であるから、こればかりは仕方がない。コメディは本当に難しい。
一言で言えば”奇妙な映画”。
「注目すべき人々との出会い」(1979英)
ジャンル人間ドラマ・ジャンルサスペンス
(あらすじ) 19世紀後半のアルメニア。少年グルジェフは父に連れられて、ある祭事を見に行った。各地の楽器演奏者が一同に集い魂の音を奏でるその光景に彼の心は震えた。以後、グルジェフは蘇った死者の弔いを目撃したり、悪魔に取り付かれた少年を目撃することで、神の世界と自己存在の意義について探求するようになっていく。数年後、成人したグルジェフは機械工員として働くが、幼い頃からの探究心は今だ覚めやらず、友人達と発掘作業に明け暮れていた。そんなある日、一つの古文書を発見する。そこには紀元前2千五百年の秘密教団サルムングの記述があった。グルジェフは全財産をはたいてサルムング教団を捜す旅に出る。
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(レビュー) 今世紀初頭の神秘思想家ゲオルギイ・グルジェフの伝記映画。グルジェフは名前だけは知っていたが、その人物像についてはほぼ無知である。本作を見た後にネットで色々と調べてみたが、更に興味が掻き立てられた。
彼は生涯、自己存在と宇宙について探求し続けた哲学者である。ある意味でロマン溢れる研究者と言っていいだろうが、彼の評価は様々である。偉大な思想家という人もいれば、魔術師、超能力者等、ほとんどオカルティックな形容をする人たちもいる。要するに一言では形容し難い人物なのである。果たして本当の彼はどんな人物だったのか?この映画から少しだけそれが見えてくる。尚、原作はグルジェフ本人による自叙伝である。
グルジェフは全てを投げ打って太古の秘密教団サルムングを求めて旅に出る。古文書の記述によると教団が存在していたのは紀元前2千5百年。旧約聖書の時代、一説によればノアの箱舟の時代である。彼は存在するかどうかも分からない、この太古の軌跡を信じ、それに触れることで自分が変わるのではないか?世界の成り立ちを知る事が出来るのではないか?という思いに取り付かれていくようになる。
映画は彼の幼少時代から、サルムング教団探索の旅までを描いている。しかし、ここまでは言わばグルジェフという人間の草創期に過ぎない。彼はその後、欧州各地を巡り思想家として着々と功績を積み上げていく。残念ながら、この経緯については別書を参照ということになるが、いずれにせよ彼の人物像、それを垣間見れるという点では興味深く見れた。
それにしても、何とも奇妙なテイストを持った作品である。本作は形態としてはドキュメンタリー・タッチのロード・ムービになっている。若者が旅をしながら少しずつ成長していくという極めてオーソドックスなプロットだが、何分テーマを語る上での不純物が多い上に、旅の目的に到達したときの達成感が希薄なので安易な評価をしずらい。そもそも、グルジェフの旅はこの先もまだ続くのであるから、ドラマ的には決して完結しているわけではない。したがって、純粋に”ドラマ”としての魅力は余り感じられなかった。
ただ、グルジェフが道中で出会う賢者や伝道師が余りにもリアル過ぎる点、彼らとのやり取りが余りにも生々しい点等、この映画そのものが神秘を持ったものとして見る者を強く引き込む力を持っていることも確かである。まるでカルト映画の金字塔「エル・トポ」(1969メキシコ)にも通じるような、不思議な魅力を持った作品と言える。
また、グルジェフの未知への探究心を”特異”と一蹴できないような気もする。彼が何故そこまで未知なる物に惹かれたのか?その理由を考えると、人間の本性、つまり人は本来知識を欲する生き物なのだ‥ということも分かってくる。
哲学者アリストテレスは「人間は生まれながらにして知らんことを欲する」と言った。だとすると、グルジェフがそうであったように、我々人間は生涯探究し続ける運命にあるのかもしれない。
教示的な意味を含んだ中々の力作。
「プレッジ」(2001米)
ジャンルサスペンス・ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 退職間近の警官ジェリーは、少女暴行殺害事件で現場へ急行した。凄惨な光景に胸を痛めるジェリー。彼はその足で被害者の両親宅に事件の報告をしに行った。そして、両親に犯人逮捕を誓う。程なくして目撃証言から知的障害の青年が逮捕される。しかし、ジェリーには釈然としなかった。どうしても彼が犯人には思えなかったのである。退職後、バッジを外した彼は独自に調査を開始する。そして、被害者少女が描いた1枚の絵から別の犯人像を割り出す。
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(レビュー) 少女暴行殺害事件を捜査する元警官の姿を、周囲の人間関係を交えながら描いたヒューマン・サスペンス作品。
監督は俳優でもあるS・ペン。シリアスなトーンを基調にしながら、犯人追跡のサスペンスと孤独な中年男の悲哀を手堅い演出で筆致している。
前作「クロッシング・ガード」(1995米)で復讐の虚しさ、無意味さを説いたペンだが、ここではそこから更にもう一歩踏み込んだテーマに取り組んでいることが分かる。
被害者両親の復讐の念を受け取ったジェリーは、全ての時間と資産を費やして犯人逮捕に執念を燃やす。最初は正義感からくる無垢な行動に見えるのだが、途中からほとんど病的と言っていいほどの”盲信”に変容していくのが興味深い。そこまで彼を復讐の鬼に駆り立てたのは何だろうか?そこに今回のテーマがあるように思う。
このドラマには重要なアイテムとして序盤に、被害者両親の十字架が登場してくる。ジェリーはいきなり十字架を渡されて驚くが、見ているこちらも少し唐突に思えた。この場面にはプレマイズを要したと思うが、ともかくジェリーはその十字架に犯人逮捕を誓わされる。
そして、中盤に登場する神父の存在。ジェリーは彼を犯人ではないかと疑い始める。一番犯人らしくない人物が実は犯人だった‥というのはよくあることなので、このあたりのサスペンスは中々面白く見れるのだが、それが神父というところに何か宗教的な意味を求めずにいられない。
そして、極めつけはラストに出てくる「SAVE」という文字が書かれた看板である。これにも宗教的なメッセージが隠されている。このようにこの映画には宗教が色濃く投影されたアイテム、キャラクターが要所要所に登場してくるのだ。
キリスト教では復讐はいかなる場合でも固く禁じられている。新約聖書には「復讐するは我にあり」という言葉がある。この場合の「我」とは人間のことではなく神のことを言っている。つまり、罪を犯した者に対する断罪は神によってのみ成されるのであり、人が人に罰を与える事はキリスト教では禁じられているのだ。この事を考えると、このドラマの被害者両親、ジェリーの復讐はキリストの教えからすると誤ったものになる。彼等もまた加害者同様、神の道を踏み外した罪人ということになろう。
したがって、この結末は当然の帰結という見方が出来た。あるいは聖書に登場する訓話のように捉える事も可能である。前作に続き復讐をテーマにしているが、今回はそこに宗教観を持ち込んだ所に新味を感じた。
尚、彼は若い頃にはかなりの”やんちゃ”をしていたが、ここ最近の監督作品を見るとかなり保守的な思想に傾倒しているような気がする。最新作の
「イントゥ・ザ・ワイルド」(2007米)でも、主人公の禁欲的な生き方に、やはり教示主義的なものが読み取れた。昔に比べると随分と人生を達観できるようになったな‥と少し感慨深くもある。
ドラマに関しては、欲を言えばもう少しパンチが欲しかったか‥。サスペンスと人間ドラマの二つで責めたところは良いのだが、犯人探しのサスペンスにもう一捻り欲しい気がした。
一方、ジェリーの孤独感に迫る人間ドラマの方は、演者の好演のおかげもあって面白く見れた。ジェリーとウェイトレスをしているシングルマザー、ロリとの交流が良かった。
ジェリー役はJ・ニコルソン。渋い演技が◎。ベニチオ・デル・トロも登場するが、こちらはかなり作りすぎな感じを受けた。ただ、少ない登場シーンながら強烈な存在感を見せつけたあたりは流石は個性派俳優である。他にも、渋いキャスティングが揃っていて安定したアンサンブルが見られる。
尚、何故ヤマアラシのキーホルダーが登場するのか?府に落ちないまま見ていたが、後で調べてみたらここにもきちんと理由があった。ドイツの哲学者ショーペン・ハウアーの寓話に”ヤマアラシのジレンマ”というものがある。ヤマアラシは体の棘が刺さって他のヤマアラシに近づけないというジレンマを持っていて、これは心理学的には自己自立の実現と他者との一体感の難しさを意味すると言う。なるほど‥。ということは、このキーホルダーを心理学的見地から紐解けば、孤独のメタファーということになろう。ジェリーの孤独を表すアイテムであり、人間は本来孤独な生き物であるという意味にも繋がってきそうだ。本作には原作があって、そちらは未読であるが、おそらくこのアイテムにはそのあたりの意味も明示されているのかもしれない。映画の中ではそれにあたる文言、あるいはヒントになるようなものが無かったので意味が分からなかった。これは案外重要だと思うのでもう少し劇中に何らかのフォローが欲しかったかもしれない。
姉妹のギャップを面白く描いている。
「イン・ハー・シューズ」(2005米)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 弁護士をしている地味な姉ローズと、自由奔放な暮らしを送る美人な妹マギー。彼女等は性格も見かけも異なる対照的な姉妹である。ローズは上司と恋仲になり幸せを掴む。一方のマギーは酔っ払って実家を追い出されてしまう。住む場所を無くした彼女はローズの家を訪ね、ローズは仕方なく彼女を部屋に住まわせることにした。しかし、マギーの自堕落な振る舞いの数々がローズを怒らせ、結局彼女は再び住む場所を失ってしまう。マギーは以前実家の書棚で見つけた祖母からの手紙を思い出し、そこに書かれていた住所を訪ねる。
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(レビュー) 水と油の関係にある姉妹の成長と絆を描いた女性ドラマ。
前半は、真面目でお堅い姉ローズと奔放でだらしない妹マギー。二人のギャップをシリアスとコメディの絶妙なバランスで描いて見せている。
ローズとマギーは一言で言ってしまえば、「実」と「美」に分け隔てられるキャラクターだと思う。「実」にしか興味の対象がないローズが「美」の象徴であるマギーに嫉妬と対抗心を燃やしていくのは、女性的な思考をよく捉えていると思った。男兄弟ではこうし考えは起こらないだろう。女性ならではという意味で面白い。
ローズの家に居候するマギーだったが、生活習慣、思考の違いから二人はすぐに決別する。ここから映画は夫々に自己を見つめなおすドラマになっていく。キャリアだけを人生の目標に掲げてきたローズは女性らしさ、「美」を磨くようになり、派手な暮らしを送ってきたマギーは「中味」つまり「実」を磨くようになっていく。夫々に足りなかったものを追い求めていくドラマは中々見応えがあった。
ただ、どうだろう‥。互いの生き方を認め合い、夫々の人間的成長を擁していく方向性は悪く無いのだが、この映画はその部分にかなり多くの時間を割いている。このドラマのポイントとなるのは、マギーの”あるハンデ”の克服だ。ここは確かに感動的で、ローズに対する愛も十分感じられ泣かされた。しかし、そこに行くまでの展開が水っぽい。
例えば、二人の間に立つキーマン・祖母のロマンスのエピソードが描かれているが、これは本来付属的なエピソードに過ぎない。メインのテーマを語る上で、こうした不純物が必要以上に詰め込まれると映画は冗漫に感じられてしまう。
むしろ、祖母のエピソードを広げるよりも、母親に関するエピソードの方がテーマを掘り下げる上では重要であり、そこに着目したドラマがもっとあっても良かったような気がする。母に関する逸話は所々に匂わせるものの、中々本題に入っていこうとしない。そのため度々肩透かしを食らわされ、見ていて多少イライラしてしまった。
キャストでは、祖母役を演じたS・マクレーンの味のある演技が中々良かった。