物語は後半からグダグダになっていくが、J・ワイマンのヒロイン振りは見応えアリ。
「心のともしび」(1954米)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 大富豪の御曹司ボブはボートの事故で重体に陥る。搬送先の病院で救命器を使ってどうにか一命を取り留めたが、その代わりに持病の心臓発作で倒れた院長ウェインが命を落としてしまう。嘆き悲しむ妻ヘレンにボブは償いの意味から補償金を差し出した。しかし、彼女はそれを受け取らなかった。そんなある日、ボブは亡きウェイン医師の世話になった一人の老画家と出会う。生前の医師の聖人振りを知り今の自分の未熟さを恥じたボブは、改めてヘレンの傷ついた心を癒そうとするのだが‥。
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(レビュー) 放蕩息子と未亡人の交流を描いた感動ドラマ。
何となくC・チャップリンの名作「街の灯」(1931米)を連想させる物語だが、いかにもD・サーク監督らしいメロドラマになっている。しかし、いくら俗っぽさを狙ったメロドラマでも、ここまでご都合主義が続くといささか辟易してしまう。これはシナリオの問題だろう。さすがにメロドラマの巨匠サークと言えども、これを上手く料理するのは難しかったか‥。ありえないような軌跡の連続だけに、一歩引いて見てしまうと作り物臭さがどうしても匂ってしまう。ある程度割り切った上で鑑賞するしかないだろう。
他のサーク作品に比べて、キャラクターのリアクションが表層的なのも雑に思えた。例えば、夫の死に際のヘレンのリアクション、ヘレンを追いかけてスイスまでやって来た娘がボブを見た際に見せる態度。このあたりに引っかかりを覚える。基本的にキャラのリアクションをスマートに描くことでドラマを流麗に展開させていくのがサーク映画の一つの特徴だと思うのだが、これらはいずれも物語の中ではキーとなるシーンである。もう少しじっくりと描いても良かったのではないだろうか。ずっと似たような演出が続けば作品はどうしても平板に写ってしまう。要は抑揚の問題であろう。
サブキャラに関しては、概ね上手く機能していると思った。特に、ボブとヘレンの間を取り持つきっかけとして登場する少女の存在が良い。また、ベテラン看護師もへレンの良き理解者として実に頼もしい存在に思えた。
ただ、老画家については最初は良かったのだが、終盤のしたり顔には違和感を持ってしまった。年の功があるとはいえ、そこに説得力を持たせるべくバックストーリーが劇中で語られていないため、本来の役割を超えたものに写ってしまった。
ボブ役はD・サーク作品ではお馴染みの二枚目スター、R・ハドソン。演技に深遠さは無いが、サーク作品との相性で言えばかえって奏功しているように思った。逆に、ヘレン役を演じるJ・ワイマンは、見る者に色々と想像させるような奥行きを持たせた演技を披露していて◎。今回は役柄が役柄だけに「目」による演技が許されないのだが、そのマイナス面を上手く利用しながら悲劇のヒロインを好演している。
メロドラマの巨匠D・サークが黒人差別の問題に挑んだ野心作。
「悲しみは空の彼方に」(1959米)
ジャンル人間ドラマ・ジャンル社会派
(あらすじ) 1947年のコニー・アイランド。夫を戦争で亡くした未亡人ローラは、モデルをしながら幼い娘スージーと小さなアパートで暮らしていた。ある日、海岸で黒人女性アニーと出会う。彼女もまた幼子サラジェーンを抱えるシングルマザーだった。住む家がないというアニーの事情を気の毒に思ったローラは、彼女等を部屋に住まわせることにしてやる。こうしてアニーは世話係として働くことになり、サラジェーンはローラの計らいでスージーと同じ学校に通うようになった。そんなある日、ローラに映画出演のチャンスが舞い込んで来る。
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(レビュー) シングルマザーの友情と苦悩を描いた人間ドラマ。
女優として活躍していく白人女性ローラ。家庭を切り盛りしながら彼女を支える黒人女性アニー。人種も身分も異なる二人のシングルマザーは固い友情で結ばれていく。そこにしみじみとさせられた。
監督はメロドラマの巨匠D・サーク。上昇していくローラの人生と下降していくアニーの人生の対比が物語をドラマチックに演出している。終盤がいささかご都合主義に思えたが、逆に言えばこの俗っぽさこそサークの真骨頂でもある。好みの分かれる所かもしれないが、ここまで自身の作風を貫かれるとかえって潔さを感じてしまう。
また、本作は人種差別という社会派的な問題を描いており、このあたりも見応えがあった。黒人に対する反差別運動が興ったのは60年代に入ってからである。その後、公民権法が制定されたのは1964年。まだこの頃は黒人に対する差別意識が相当強かった。サークは当時の差別に対する厳然とした批判を、サラジェーンが辿る悲劇のエピソードに絡めて描いている。
サラジェーンは黒人の母アニーと白人の父の間に生まれたハーフである。見た目だけでは黒人であることは分からない。そのおかげで学校では白人の子供たちと仲良くなり、ローラと本当の姉妹のようになっていく。しかし、噂というものは怖いもので、彼女の母が黒人であることはすぐに周囲に知れ渡ってしまう。学校で虐めを受けるようになったサラジェーンは苦悩する。そして怒りの矛先は母アニーに向かっていくようになる。この母子間の軋轢は後半部分の一つの見所になっており、黒人がいかに社会的差別に苦しんでいたかがよく分かる部分だ。彼女の幸薄い青春を、アニーは母親としてどうしてやることも出来ない。その苛立ち、悲しみは、察するに余りある。見ていて実にやるせない思いにさせられた。
一方、ローラとスージー親子だが、こちらにも母子の軋轢ドラマは用意されている。ただ、アニーとサラジェーンの関係に比べればそれほどシリアスとまでは言えない。
ローラは裕福でボーイフレンドもいるし女優業も順調である。スージーも好きなものを何でも買ってもらえる満たされた青春を送っている。それがスージーが思春期を迎える頃から、徐々に母子関係はギクシャクしていく。仕事ばかりのローラにスージーが反発を覚えていくようになるのだ。表向きは華やかに見える母子が、実際には目に見えない所で軋轢を繰り返していく‥というのがこのエピソードである。
しかし、このローラの苦悩はアニーのそれと比較すると、どうしても上流階級特有の贅沢な悩みにしか見えない。劣悪な環境に置かれたアニーの方がシリアス度で言えば断然上で、どうもローラの葛藤の描き方には深刻さが足りなかった。
対照的な女性の友情を描くという題目を掲げながら、ある種Wヒロインのような作りになっている今作だが、人種差別の問題を含め完全にアニーのほうに比重が置いた作りになっている。そのため全体のバランスが歪になってしまった感がある。アニーの献身的な母性振りは非常に魅力的であったが、それに比べるとローラの姿が今ひとつなのが残念だった。
メロドラマの名匠ここにあり。
「天はすべて許し給う」(1955米)
ジャンルロマンス
(あらすじ) 閑静な高級住宅街に住む未亡人キャリーは、大学生の息子と高校生の娘と暮らしている。ある日、彼女は庭師をしている青年ロンの苗木園に赴く。ロンは優しく誠実な青年でキャリーの心は徐々に惹かれて行った。その後、二人は逢瀬を繰り返す。しかし、年も身分も違いすぎるため、たちまち周囲の悪評を呼んだ。そのせいで子供達も苦しむことになる。キャリーはロンとの関係を諦めるしかなくなるが‥。
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(レビュー) 未亡人と庭師の純愛を描くメロドラマ。
世間の反対に晒されながら、一世一代の恋を貫くヒロインをJ・ワイマンが好演している。彼女の事は初見であるが、プライベートでは元大統領で元俳優でもあるR・レーガンの夫人第一号という経歴を持っている。結婚と離婚を繰り返す恋多き女性で、そのあたりの性格を反映してか、演技の方も中々深いものを感じさせる。今作では不倫に溺れる未亡人の葛藤を見事に表現している。
監督はメロドラマの名匠D・サーク。古典的でシンプルなドラマながら、様々な伏線と小道具を巧みに利用しながら洒落た味わいの恋愛劇に仕上げている。ハトやテレビ、亡き夫の忘れ形見、苗木、このあたりのアイテムの使い方には唸らされるばかりだ。
また、サブキャラを周縁に配すことで上手く物語も展開されていると思った。
ゴシップ好きな近所のオバちゃん、下心見え見えで言い寄ってくるやもめ男、一家を温かく見守る頼もしい恩師等、人物のコンストレイションが見事にはかられている。また、キャリーの二人の子供達にも性差というキャラクターの相違を持たせている。息子にはエディプスコンプレックスを、娘には同性としての共感を持たせ、母の不倫に対する夫々のリアクションに違いを見せている。これも興味深く見れた。
サークの演出は基本的には堅実である。奇をてらったものは見られないが、メロドラマの名匠と言われるだけあってラブシーンの演出には上手さを感じた。キャリーの亡き夫や子供たちに対する申し訳ないという思いが、ロンとのキスに一寸の”間”を作ってしまう。ワンクッション置いたエロスにはかなりのカタルシスを覚えた。たかがキスとはいえ、男女関係に奥ゆかしさを求められた朴訥な時代である。この“もったいぶった”見せ方にはサークのこだわりが感じられよう。
ただ、欲を言えば、相手役であるロンのバックストーリーにはもう少し奥行きを持たせて欲しかった。それと、独立した子供達の変化が少し唐突に見えてしまったのもいただけない。90分足らずの作品なので、このあたりの描写不足は仕方がないといったところかもしれない。
ジージャン姿の原田芳雄が格好良い!
「反逆のメロディ」(1970日)
ジャンルアクション
(あらすじ) 関西のヤクザ哲は淡野組が解散したことで路頭に迷う。仕方なく関東で兄が組織する立花組に入った。兄が服役中だったこともあり、変わって哲が凋落著しい組を立て直すことになった。そこに元淡野組の組長淡野大治郎が乗り込んできた。彼は関東周辺の暴力団組織をまとめ上げて建設会社を設立しようと構想していたのである。哲はその傘下に入る事を断固拒否した。そんなある日、哲は淡野を仇とする一匹狼滝川と出会う。
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(レビュー) 変わり行く闇社会を舞台に、一匹狼たちの孤独な戦いを激しいバイオレンスシーンで綴ったアクション作品。
本作は大映と日活が共同で配給したダイニチ映配の作品である。すでに斜陽産業となっていた業界におけるダイニチの立場は相当厳しかったようで、この共同配給も苦肉の策であったが、実績を上げられずたった2年足らずで終了してしまった。本作はその時期に作られたうちの1本である。70年代の風俗をリアルに絡めたところが独特の風情を醸している。当時のヤクザ映画とは一線を画すテイストを持っており、後のいわゆる東映”実録物”の前兆的な匂いも感じられた。
まず、哲役の原田芳雄のジージャン姿に、同時代的な匂いが感じられた。ヤクザというよりもチンピラといった風体で、これは当時の新宿界隈に出現したフーテンの若者の姿にどことなくダブって見えてくる。また、地元に密着する形で興隆していた暴力団組織が、大規模な産業分野へ事業をシフトさせていったのも、いかにも高度経済成長時代を思わせる設定である。すでに鈴木清順が日活で現代的なヤクザ像を撮っていたが、ここまで近代化したヤクザ像はまだ無かったように思う。そういう意味では、当時としてはかなり先進的なヤクザ映画だったのではないだろうか。
そして、この同時的な匂いは、作品のテーマにも密接に繋がってくる。簡単に言ってしまうと、本作は義理人情が重んじられる任侠世界からの脱却。つまり、時代に合わせる格好でビジネスライクな繋がりに傾倒していった闇社会の変化を憂うドラマになっている。哲や滝川といった血気盛んな若者達が昔気質の義理人情を重んじ、淡野や哲の兄といった古参が変革を望むという、普通に考えると逆ではないかという意外な設定が中々面白い。
クライマックスにかけての展開は中々痺れる。オチも時代を考えれば衝撃的と言うほどでもないが、収まり具合としては中々良い。
製作年代が近いということで言えば、やはりダイニチ映配の「野良猫ロック」シリーズに近いテイストも感じられた。シリーズの顔だった原田芳雄、藤竜也、地井武男の3人が、バーでビールを飲み交わすシーンは「野良猫ロック」を知っているとニヤリとさせられる。この場面にはしみじみとした男の友情が感じられた。また、その傍らで寄り添う紅一点、梶芽衣子も「野良猫ロック」では馴染みの女優である。彼女はここではキーパーソンとして中々の存在感を見せつけている。
女王と従僕の切ないラブロマンス。
「Queen Victoria 至上の恋」(1997英)
ジャンルロマンス
(あらすじ) 1861年、ヴィクトリア女王は夫であるアルバート公を失い喪に服す。3年間世間に姿を見せず小島の宮殿に篭り続けた。そこに乗馬係として従僕ブラウンがやって来る。彼は塞ぎ込みがちな女王を外へ連れ出すことでし少しずつ心を開いていった。やがて二人は公私に渡り交流を深め、何物にも変えがたい絆で結ばれていくようになる。しかし、それはゴシップ記者の格好のネタにされた。周囲は二人の関係を引き裂こうとする。そこに政界騒乱の波紋が及び‥。
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(レビュー) 女王と従僕の恋を綴った文芸ロマンス。
ヴィクトリア女王を演じたJ・デンチの圧倒的な演技に魅せられる。喪に服し周囲に心を閉ざす序盤から、ブラウンとの交流で次第に笑みを取り戻していく中盤。そして、切ない恋心を体現する後半。メリハリをつけながら見事な演技を見せている。
人間味に溢れた従僕ブラウンの造形も良い。彼は相手が誰であろうと、本音でズケズケ言うタイプの人間である。ヴィクトリアを“女王”としてではなく一人の“人間”として扱う。過ちがあれば指摘し、下々の暮らしを教えんと下民と同じテーブルにつかせる。
女王はブラウンのおかげで世界を見聞し、自ら律することを覚え、夫の死の悲しみから立ち上がっていく。そして、時に父のように、時に親友のように献身的に仕えてくれるブラウンに、密かな想いを寄せていくようになる。しかし、これは身分の差から決して実らぬ恋である。この恋愛衝動は見ていて実に切なくさせられた。女性ならこんな一途な恋をしてみたい‥、そんな願望を抱きながら女王と同じで目線で本作を見れるのではないだろうか。まるで少女マンガのようなストーリーだがこの明快さは本作の強みである。感情移入もしやすいと思う。
中盤から君主制対民主制の政変が起こってくる。これについてはあくまで物語の背景に抑えられていてドラマを難解にすることはない。むしろ、この政変は女王であるヴィクトリアの身に迫る暗殺の危機‥といったサスペンス的な面白さを生み、更には彼女を守るブラウンの勇敢さが、さしずめ「ボディガード」(1992)におけるK・コスナーのようなヒーロー性を演出する。この政変はドラマを上手く盛り上げているように思った。
文芸作品らしい美しい景観も堅実に作られている。ハリウッド大作のような豪華絢爛とまではいかないものの、作品世界に説得力を与えんとするなら、これ位は必要にして十分と言えるだろう。
ハリウッドということで言えば、監督のJ・マッデンは本作の成功でハリウッドへ渡り、次回作「恋に落ちたシェイクスピア」(1998米)を撮った。アカデミー賞も受賞し興行的にもヒットを飛ばした「恋に落ちた~」は、彼にとっての大きな成功だったろう。その後が今ひとつパッとしないのは残念であるが‥。
同じ文芸ドラマということで本作と比較してみると、美術、衣装といったプロダクションデザインについては、さすがにハリウッドとの力量の差で「恋に落ちたシェイクスピア」の方に軍配が上がってしまう。しかし、ドラマ自体はむしろ今作の方がストレートで力があるように思った。
尚、「オペラ座の怪人」(2004米)や「300<スリー・ハンドレッド>」(2007米)のG・バトラーが本作で映画初出演を果たしている。
プレデターの意外な一面が分かる?
「プレデター2」(1990米)
ジャンルSF・ジャンルアクション
(あらすじ) 近未来のロス。麻薬捜査官ハリガン警部補は、麻薬犯罪組織と銃撃戦中、目に見えぬ敵の存在をかすかに感じ取る。それは宇宙からやって来た凶暴なエイリアン、プレデターだった。プレデターによってハリガンの周囲の人間が次々と餌食となっていく一方で、FBIは密かにプレデター捕獲作戦を決行する。
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(レビュー) シュワちゃん主演のSFアクション映画「プレデター」(1987米)の続編。前作から数年後の近未来を舞台に、黒人中年刑事とプレデターの戦いが繰り広げられている。ただ、近未来とはいっても、時代設定が1997年。この設定は今見るとかなり微妙な気もする‥。
今回の主役ハリガン刑事を演じるのはD・グローヴァー。前作のシュワちゃんと比較すると、どう考えても普通のオッチャンである事は否めない。しかし、これが前作とのテイストの差別化に繋がっていて中々面白く見れる。彼にアクションを演じさせることに賛否はあろうが、これはこれでありなのではないだろうか。冴えない中年オヤヂが稀代のエイリアン、プレデターと一戦交えるとこと自体、かなりの意外性がある。1作目の怖さはなくなってしまったが、この意外性がコミカルさを誘発する。バカ映画に向き合うスタンスで見るならグローヴァー版「プレデター」も“あり”というふうに楽しめた。
ハリガンの部下として登場する若い刑事の軽薄さも、作品にユーモラスさを味付けするという点では奏功している。
また、今回はプレデターに新たなキャラ付けが施されていて、シリーズ物ならではの面白みも感じられた。実は、プレデターは妊婦さんや子供には優しいのだ!?
製作にハリウッドの敏腕プロデューサー、J・シルヴァーの名がある。彼は「ダイ・ハード」や「リーサル・ウェポン」等、アクション大作シリーズを手がけた人物である。その事を知っていると、今回のD・グローヴァーというキャスティングは何となく理解できる。「リーサル・ウェポン」シリーズにおけるグローヴァーの正義感はここでも健在で、どこか小市民的な佇まいが合わさることでキャラクターに対する親しみやすさが生まれてくる。そのあたりを買われての抜擢だったのかもしれない。また、彼が高所恐怖症という設定は、もろに「ダイ・ハード」シリーズの設定そのままであろう。これはオマージュと捉えられる。
尚、ラストで18世紀初頭の年号が記された銃が思わせるぶりに登場してくる。これは何かの伏線かと思いきや、特に続編には関係ないようだ。先日見た
「プレデターズ」(2010米)にも
「エイリアンVS.プレデターズ」(2004米)にもそれらしきものは見当たらない。
ただ、歴史的見地から考えてみると、この年号には興味深い推察も出来る。16世紀から18世紀半ば頃といえば、欧州列強による南米大陸の植民地化が進んでいた時代である。R・デ・ニーロ主演の
「ミッション」(1986米)を見るとその当たりの事は良く分かる。この作品でデ・ニーロは奴隷商人として登場してくる。彼は原住民を奴隷として狩って、土地を統治するスペインやポルトガルに売り払っていた。そして、思い出してみると前作「プレデター」は南米ジャングルでプレデターが人間狩りをするという映画だった。ラストの銃に記されたの年号に、奴隷狩りの歴史事実を暗にしのばせたのなら、作り手側の狙いは中々鋭い。実は、今作は案外アイロニーを含んだ作品なのかもしれない。
滝田洋二郎監督の風刺劇は過激で面白い。
「僕らはみんな生きている」(1992日)と並べて見てみたい。
「木村家の人びと」(1988日)
ジャンルコメディ・ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 木村家の朝は忙しい。父は近所の老人達を雇って新聞配達を代行し、妻は艶っぽい声でモーニングコールのサービスをする。その後は、家族総出で仕出し弁当を作るのだ。彼等は副業で小銭を稼ぐことに生きがいを感じる一家なのである。そこに認知症の母親を引き取ってもらおうと兄夫婦がやって来た。彼等はその光景を目にして呆れ果てる。そんな中、唯一小学生の長男太郎だけはためらいの顔を滲ませていた。兄夫婦は太郎だけでも救ってやりたいと思い、手紙のやり取りをしながら「人生に大切なものは金じゃない」ということを教えていく。そんなある日、木村家に事件が起こる。せっせと貯めた貯金が、認知症の母の気まぐれで散財されてしまったのである。落ち込む木村家の人々。そこに兄夫婦が太郎を引き取りたいとやって来て‥。
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(レビュー) 小銭を稼ぐことに生きがいを感じる一家の悲喜こもごもをブラックに描いた風刺コメディ。
映画が製作された当時はバブル真っ盛りだったと思う。不動産や金融投機に夢中になり、老若男女誰もが浮かれていた時代である。木村家の人々はそれらに比べると随分堅実と言える。真っ当かどうかは別として、とりあえず労働の対価として金銭を稼いでいるからである。しかし、金に生きがいを求める思考はつまるところ拝金主義なわけであり、金によって人生を狂わされたバブリーな人達と大して違いはないというのがこの映画の“本音”だろう。後にバブルは崩壊し、それまで浮かれていた人々はこぞって泣きを見るようになる。木村家も正にそうなっていくのだが、本作はそこを滑稽に描きつつ拝金主義、つまり当時のバブル経済に警鐘を鳴らしているところが中々鋭い。
作品が発するメッセージは至極シンプルである。豊かな人生とは何なのか?という命題を問うている。
木村家は金が最も大切だと捉えた。兄夫婦は人間愛を重視した。夫々の人生だから夫々の人生観があっていいと思うが、しかし考えてみれば金も愛も不確実で不誠実な価値観の上に成り立つ極めて移ろいやすいものである。バブルがはじければ金は藻屑と消えるし、人の心が変われば愛だって消えてしまう。大事なのは何かを得るのではなく、それを得るために“どう生きるか”ということなのだと思う。つまり、目的ではなくて過程。それが人生にとって一番大切なんだということを、この映画は教えてくれている。そこを見誤ってしまったのが拝金主義者である木村家であり、偽善者である兄夫婦だった‥ということだろう。
ラストは木村家対兄夫婦という構図そのままに、”金”と”愛”の選択が提示されている。正面から問題提示したところに好感が持てた。惜しむらくは、親子愛という感傷に引きずられる形で閉幕してしまったことであろうか‥。全体の作りが気楽に見れるコメディになっているので、終わり方も清々しい感じに仕上げたかったのだろう。しかし、もう少しクールな幕引きにしたほうがテーマはより引き締まったように思う。
小ネタで笑えたのは、木村夫婦の賭けセックスだった。腰を振った回数だけ妻は夫から100円貰えるシステムになっている。夜の生活にまで金儲けを持ち込むとは‥、苦笑してしまった。他に、学校の先生の異常に熱の篭ったハーモニカ演奏も馬鹿馬鹿しくて笑えた。
基本的に本作の笑いの演出はスペクタクルに傾倒していくパターンが多い。ドミノ倒し的に広がる笑いは非常に痛快で面白い。ただ、このタイプのギャグが全編に渡って反復されてしまっているので後半あたりから食傷気味になってしまった。パターンが決まっているので先が読めてしまうつまらなさがある。前半はまだ笑えたのだが、後半あたりから少し辟易する場面もあった。また、ギャグとして惜しい箇所もあり、例えば木村家の向かいに住む高倉家の変わり身はもう少し説明を要した方が笑えたと思う。
キャストは鹿賀丈史、桃井かおり、共に肩の力を抜いた演技が中々楽しませてくれる。また、長女役を演じた岩崎ひろみの生意気な小学生も印象に残った。
パロディ満載のバカ映画。たまにはこういのも良いかも。
「最終絶叫計画4」(2006米)
ジャンルコメディ・ジャンルSF・ジャンルホラー
(あらすじ) 失業したばかりのトムは、離れて暮らす二人の子供達と週末を過ごすことになった。そんなダメ親父トムに奇跡の出会いが訪れる。近所にやって来た介護ヘルパー、シンディと恋に落ちたのだ。しかし、運命は残酷にも二人の関係を引き離してしまう。シンディは仕事中に不気味な白塗りの少年を目撃する。少年は不吉なメッセージを発すると消えてしまった。そこに宇宙人の襲来が始まり‥。
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(レビュー) パロディ満載の「絶叫計画」シリーズの第4弾。
第1作しか見てないのでよく分からないのだが、どうやらシンディだけは全シリーズに登場するキャラらしい。彼女が毎回散々な事件に巻き込まれることで話が展開されていくのが本シリーズの特徴のようだ。
第1作はホラー映画のパロディがメインだったように思うが、この第4作はスピルバーグの「宇宙戦争」(2005米)、「ヴィレッジ」(2004米)、「呪怨」、「ソウ」といったネタが入っている。ストーリーは完全に「宇宙戦争」と一緒である。また、「ブロークバック・マウンテン」(2005米)や「ミリオンダラー・ベイビー」(2004米)といったシリアスな作品のパロディも登場してくる。
監督は「フライング・ハイ」(1980米)や「裸の銃(ガン)を持つ男」(1988米)等で知られるD・ザッカー。この手のパロディ映画はもはやお手の物といった監督だが、それだけに要所を突いた作りは堅実だ。
尚、下ネタやしょーもないギャグも出てくるので、下らないと言って怒らない人だけが楽しめる作品だと思う。
キャストやVFXには結構お金がかかっていて侮れない。C・シーンやL・ニールセン、M・マドセンといったメジャーな俳優も登場してくるし、VFXシーンも本家「宇宙戦争」に負けないくらいしっかり作られていて、この手のバカ映画の中にあっては案外本気度が高い。
「レッドクリフ PartⅡ-未来への最終決戦-」(2009米中国日台湾韓国)
ジャンルアクション
(あらすじ) 5万の劉備・孫権連合軍は赤壁の砦で軍勢80万の曹操軍と対峙する。孫権の妹、尚香が敵の情報を探るために曹操軍に潜入した。兵士達は慣れない土地で疫病にかかり疲弊しきっていた。しかし、冷酷な曹操はこれを利用して疫病を劉備・孫権連合軍に蔓延させる。劉備軍は苦渋の選択で撤退を余儀なくされた。こうして孫権軍は更なる逆境に立たされる。
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(レビュー) 三国志のエピソード”赤壁の戦い”を描いた
「レッドクリフPARTⅠ」(2008米中国日台湾韓国)の後編。
タレント揃いの戦場を破天荒な立ち回りで見せた前編は正に痛快の一言で、久々に地脇肉踊る興奮を覚えた。今回は総力戦といった感じのスケール感溢れる戦闘シーンが繰り広げられている。ここまで大掛かりな合戦シーンはアジア映画では中々お目にかかれないと思う。それを見れただけでも満足だった。
また、今回は女性キャラがキーマンとして活躍する。これも前編には無かった見所である。
尚香と敵青年兵のロマンスは微笑ましく見れた。得てして戦場はホモ・ソーシャルな世界で埋め尽くされがちだが、そこにちょっとしたスパイスとしてこのロマンスは情緒をもたらしてくれる。まぁ‥尚香の男装の麗人ぶりに無理があることは確かだが、そこさえ目を瞑ればクライマックスの身顕しは見応えがある。
また、周瑜の妻、小喬の機転をきかせた行動もクライマックスを大いに盛り上げていた。前編では完全に添え物扱いだった彼女が、ここまで肝の据わった女性を体現して見せたのは、この後編が戦う女をモチーフにしているからに他ならない。そういう意味では、前編との差別化はキッチリとはかられていたように思った。
難は、前編であれだけ活躍していた趙雲、張飛、関羽といったキャラクター達が、総力戦の影に隠れがちになってしまったことである。クライマックスにこそ活躍場面はそこそこ用意されていたが、前編に比べると明らかに物足りない。また、孔明は参謀役としてひとまずの見せ場が用意されているが、いざ激しい合戦を描くクライマックスシーンになると、ほとんど存在すら消えかけてしまっている。誰もが知る著名なキャラだけに、個々の活躍場面にはもう少し気を配った演出をして欲しかった。
監督は前編に続きJ・ウー。ケレンミ溢れる演出は今回も存分に楽しめる。「レッドクリフ」におけるケレンミの肝要を成すのは”舞”と”音楽”だと思う。スローモーションとオーバーラップというアンリアルな時間操作によって、男女の彩や友情、憎しみ、悲しみといった感情はよりいっそうエモーショナルに表現されている。
ただ、反面アンリアルさを強調しすぎたことで、戦争のシリアスさは薄まってしまった。この作為的な演出は随所で炸裂しており、ここが“見せ場”というシーン以外にも氾濫する。サービス過剰というよりも、もはや監督が自分の演出に酔っているだけという気がしないでもないのだが‥。こうした”見せ場”的演出が頻繁に登場すると間延びした感じを受けるし、本来ここぞという場面で効果が発揮されてなくなってしまう恐れがある。何事もほどほどにしておいた方が良い。
人間の恐るべき怨念を描いた怪奇映画。いかにもな内容だが、いかんせん盛り上がりに欠ける。
「憲兵と幽霊」(1958日)
ジャンルホラー・ジャンルサスペンス
(あらすじ) 昭和16年、憲兵波島は、愛する明子が同僚田沢と結婚するのを恨めしい思いで見ていた。1年後、波島は軍の機密文書を紛失した罪で田沢を告発し処刑する。実は、波島自身が裏で機密文書を中国側へ売り渡していたのである。その後、邪魔な存在である田沢の義母を自殺へ追い込むと、彼は念願の明子を我が物にした。やがて戦争が激化すると波島は明子をあっさり捨てて外地へ赴任した。そこで彼は死んだ田沢にそっくりな弟に出会う。
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(レビュー) 新東宝の怪奇シリーズは色々と作られたが、本作はあの怪作「地獄」(1960日)や
「東海道四谷怪談」(1959日)で知られる中川信夫が手がけた作品である。いかにも中川監督らしい独特なテイストが見られる。
まず、印象に残るのはカメラワークである。斜め構図のロングテイクやフィルムノワール調のシャープな画面作りが、独特の緊迫感を作り上げいてる。撮影の西本正は後の「東海道四谷怪談」でも極彩色な毒々しい映像を作り出していたが、本作ではモノクロの質感にこだわり不気味なムード作りに専念している。こうした数々の映像から滲み出てくる不穏さは、怪奇映画としては申し分ない。
今作で問題なのはドラマの方である。怪奇映画を想像させるタイトルの割りに、肝心の幽霊はほとんど出てこない。これでは看板に偽りありと言われても、仕方がないのではないだろうか。物語は波島の明子への愛憎、スパイ嫌疑を巡るサスペンス、この両輪で構成されている。ところが、リアルなスパイ劇にはほど遠い内容で余り面白くない。予算も時間もかけられないプログラムピクチャーと割り切っても、中川信夫は本当にこのような作品を撮りたかったのだろうか‥。どうにも中途半端に写ってしまう。
波島を演じた天知茂は良かった。冷酷な眼差しで鬼畜男を演じている。老婆にまで拷問をかけた挙句、身重の女を捨てて別の若い女に走ってしまうのだから、この極悪非道振りは凄まじい。ニヒルな顔立ちゆえ、冷血漢を漂わせた造形がこれ以上にないくらいハマる。以後中川作品の常連となっていくが、よほどこのキャラクターが監督に気に入られたのだろう。テレビの明智小五郎役や「特捜最前線」の刑事役とはまた一味違った悪役ぶりは一見の価値がある。