かつての日本映画の勢いが味わえる娯楽快作!
「銀嶺の果て」(1947日)
ジャンルサスペンス・ジャンルアクション
(あらすじ) 3人の銀行強盗犯が雪山に逃げ込んだ。彼らは温泉街に一時潜伏して警察の捜査を巻いた。しかし、途中で仲間割れを起こして、一人が雪崩に巻き込まれて死んでしまった。残った野尻と江島は、その後も逃走を続け、雪に閉ざされた小さなロッジに辿り着く。そこには質素に暮らす祖父と孫娘の春坊、そして客として来ていた青年本田がいた。何も知らずに彼等を温かく迎え入れる一同。野尻は久しぶりの安堵を覚える。しかし、若い江島はそれが気に入らなかった。
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(レビュー) 雪山に逃げ込んだ強盗犯が辿る非情な運命を、過酷な大自然の中に描いたアドベンチャー・サスペンス作品。
脚本は黒澤明。粗野な強盗犯江島役を三船敏郎が演じ映画デビューを飾っている。本作は二人の初顔合わせとなる記念碑的作品で、三船はこの後に黒澤監督の「酔いどれ天使」(1948日)のヤクザ青年に抜擢される。その時の獣のようなギラついた目で相手を威嚇する激情型キャラクターは、すでに本作にも伺える。演技自体は決して上手いというわけではないのだが、強烈な個性を放っているところに生来のスター性が垣間見れる。
そして、江尻役を演じたのは、これまた以後の黒澤作品に欠かせぬアイコンとなっていく志村喬。本作を出発点にして三船&志村の競演作は立て続けに発表されていくが、動と静のコントラストがここでも抜群の相性を見せている。
物語は黒澤らしい骨太なものであるが、正直序盤は少々退屈した。野尻と江島がロッジに着いてからが本題で、ここから俄然面白くなっていく。ロッジの住人との間で育まれる擬似家族的な交友が野尻と江島、両方の視点で描かれている。この相違が面白い。
祖父と春坊と本田は、彼らを強盗犯と知らずに歓待する。その無償の愛に感動を覚えた野尻は、指名手配中の身ながらつい警戒心を解いてしまう。一方の江島は過去に相当荒んだ青春を送ってきたのだろう。それは彼の態度からも十分伺える。誰からも愛されなかった孤独感が彼を人間不信に陥らせ、和気藹々とした雰囲気に馴染めず背を向けてしまう。
以後、ドラマは野尻と江島、夫々の葛藤に焦点を当てて綴られていく。そして、クライマックスとなる雪山脱出のシーンで、この葛藤はダイナミックに展開されていく。この辺りの盛り上げ方は実に律儀に構成されていて、黒澤の脚本には感心させられるばかりだ。また、この雪山脱出のシーンはサバイバル的な活劇も盛り込まれておりスリリングで見応えがあった。
尚、本作は撮影も素晴らしい。前半の雪崩のシーンでドキュメンタリー映像を使用した事による不自然さはあったものの、当時の機材を考えればクライマックスの撮影はかなり野心的だと思う。身体を張った危険なアクションがシーンに生々しい迫力をもたらしている。
また、映画の締めくくり方も感動的であった。テーマが真摯に発せられており、本田の“山の掟”という言葉には色々と考えさせられるものがあった。この言葉は“社会の掟”と言い換えることも可能だと思う。“社会の掟”を破った犯罪者、野尻と江島に投げかけられた言葉のように聞こえた。重層的なニュアンスが含まれたセリフで奥深い。
音楽は伊福部昭。本作が彼にとっての初の映画音楽となる。重々しい音楽が監督の意図にそぐわず意見を対立させたそうだが、それを仲裁したのが黒澤明という逸話が残っている。黒澤も音楽には相当煩い方であったが、伊福部の主張が貫かれたというから、これに関しては監督ではなく黒澤の力添えが勝ったということになろう。結果としては正解だったように思う。
ドラマ自体はよくあるものだが、小ねたが笑える。
「グッド・ガール」(2002米)
ジャンルロマンス・ジャンルコメディ
(あらすじ) スーパーの化粧品売り場の勤める平凡な主婦ジャスティンは、鬱屈した日々に退屈していた。ある日、同じ職場で働く文学青年ホールデンと恋に落ちる。夫の目を盗んで不倫をはたらくジャスティンだったが、次第に罪の意識に苛まれ‥。
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(レビュー) とりとめもない不倫劇で、物語自体に決して新味はない。ただ、所々に登場するオフビートな笑い、ブラック・ユーモアは中々楽しめた。
警備員の誘いで聖書勉強会に参加するくだりは、罪業を深めていくジャスティンの心情と併せて見れば中々面白い。天網恢恢疎にして漏らさず‥。イジワルな演出だがクスクスとさせる。
また、ジャスティンの同僚が病院に担ぎ込まれるクダリとその顛末にはブラックな笑いが感じられた。これがあるとないとでは以後のジャスティンの不倫の説得力が全然違ってきてしまい、そういう意味でも重要なエピソードになっている。同僚にしてみれば気の毒な話かもしれないが、そこを割り切って描いたところを評価したい。
他に、夫の精子検査のクダリも笑えた。
ジャスティン役を演じるのはJ・アニストン。ロマコメのヒロインの印象が強いが、個人的にはこうした不幸を負ったキャラがよく似合う女優だと思う。プライベートではブラピとの結婚→破局を迎え、そのことも彼女の演じるキャラクターをどこか不憫に見せるのかもしれない。今回は開き直ったかのように仏頂面を貫き通し、日々の欲求不満を飄々と体現している。
夫役のJ・C・ライリーも良い味を出していた。昼はペンキ塗りの仕事、夜は悪友とつるんでテレビとコカイン浸りの自堕落な生活を送っているダメ亭主である。極悪人を演じさせても良い味を出すが、J・C・ライリーにはこういったどこか憎めない一面を含んだキャラを演じさせてもピタリとはまる。
黒人マフィアと白人刑事の戦いを描いた実録犯罪映画。
「アメリカン・ギャングスター」(2007米)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) 1968年のニューヨーク。黒人マフィア、フランクはベトナムへ渡り高純度のヘロインを軍経由で密輸するルートを築いた。これによって彼はハーレムの麻薬密売市場を手中にする。一方、ニューヨーク市警の麻薬捜査課に勤めるリッチー刑事は、マフィアと内通する上司の汚職を突き止める。彼は正義感から告発しようとするが、組織ぐるみの隠蔽工作の前に潰されてしまった。片田舎に左遷されたリッチーは、そこで麻薬密売の根絶に執念を燃やしていくようになる。
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(レビュー) 麻薬密売の帝王となった黒人マフィアと、彼を追い詰める白人警官の戦いを描いた実録ギャング映画。
フランク役はD・ワシントン、リッチー役はR・クロウ。豪華オスカー俳優の競演が見所だが、いかんせん二人が顔を合わせるのは終盤になってからである。実話に基づく映画なので仕方がないかもしれないが、二人の熱い演技合戦をもっと見てみたかった。
監督はR・スコット。元々がCF出身の作家だけに映像美に卓越したセンスを発揮する監督である。しかし、今回は映像に凝るより、腰を据えてドラマを語ることに専念している。軽快なドラマ運びによって2時間半を超える長さをストレスなく見せた手腕は見事と感じた。
ただ、軽い演出に終始するあまり、踏み込み不足という感じも受けた。映画には見せ場となるシーンと軽く流すシーンがあるものだ。そこのメリハリが無いと、ただ何となく映像が流れてる‥なんてことになりかねない。決して退屈するわけではないが、見終わっても余り印象に残らない‥そんな映画になってしまう。本作も正にそうだった。
物語自体は善対悪を描くストレートなもので、すんなりと入ってきやすい。“善”がR・クロウ演じる警官リッチーで、“悪”がD・ワシントン演じるマフィアのフランクである。このキャストなら普通は逆ではいか?という気もするが、そこが配役の妙である。それぞれにこれまでのイメージを払拭する熱演を見せている。ただ、先述のように全体の演出が軽すぎるため、個々の葛藤に深く迫りきれているか‥というと少々物足りなかった。
また、豪華共演作であるが、どちらかというとフランクが辿る盛衰の方に、若干ドラマの主眼が置かれているような感じを受けた。対するリッチーはその敵役という描かれ方になっている。一応、彼にも離婚調停のエピソードが重要な問題として用意されているが、いざそれがクライマックスを盛り上げるブーストになるかと言うとそこまでの働きはしない。リッチーの相棒の死についてもそうだが、リッチー側のエピソードの処理がフランクのそれに比べるとやや雑な感じを受けた。
実録ドラマということで、リアリティの追求も見所となっている。ファッションや音楽を使いながら当時のハーレムをそれらしく再現した点は評価できる。但し、ここにも突っ込み所があって、例えばフランクが終戦間際のベトナムに潜り込むのはどう考えてもリアリティを無視した作劇である。首都サイゴンは北ベトナム軍の波状攻撃でカオスな状況だったはずである。この辺りは「ディア・ハンター」(1978米)を見てもらえばよく分かると思うが、フランクはそのサイゴンに突入して何事もなかったように飄々とニューヨークに戻って来るのである。映画の尺の関係でそこは仕方なくスルーしたのかもしれないが、どうしても手抜きに感じられた。
それと、ここが一番解せない演出だったのだが、終盤のフランクの母親の態度。ここには首を傾げたくなった。ドラマの佳境に差し掛かる所でこうした演出をされると興醒めしてしまう。
麻薬密売王と潔癖な刑事という人物造形の対比で引っ張った前半は◎と言える。但し、作品の“ほつれ”が目立ち始める後半は今一であった。傑作になり損ねてしまった‥という感じで残念である。
タクシーに乗りあわせた天使と悪魔の物語。
「コラテラル」(2008米)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) ロサンゼルスでタクシーを運転しているマックスは、アニーという美人女性検事を乗せて上機嫌になった。その後にビンセントという男を乗せる。実は、彼はある組織に雇われた殺し屋だった。マックスはビンセントの殺しに加担させられた上に、警察とFBIに追われることになる。
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(レビュー) 運悪く殺し屋を乗せてしまったタクシー運転手の災難を、スタイリッシュな映像で綴ったアクション作品。
善良なタクシードライバー、マックスをJ・フォックス、冷酷な殺し屋ビンセントをT・クルーズが演じている。T・クルーズの殺し屋はどうしてもスターの輝きが邪魔になって”にわか”に写ってしまうが、小市民的な“成り”が板についたJ・フォックスの造形は中々に良かった。冒頭、客として乗せた女性検事アニーにデレデレしたり、入院している母親につまらない嘘で虚勢を張って見せたり、いかにもうだつの上がらないブルーカラーの悲哀がキャラクターのリアリティを作り上げている。ユーモラスな面持ちにも好感が持てた。
物語は、マックスの日常が殺し屋ビンセントによって壊されていくという、言ってしまえばブラック・コメディのようにも取れる話である。作品のトーンが悲喜劇的に料理されており個人的にはこういうのは大好物である。終始飽きなく見れた。
本作の面白さの肝は、何と言ってもマックスとビンセントのやり取りであろう。タクシーという密室で行われる二人の駆け引きは心理サスペンス的な緊張感を生み、尚且つ加害者と被害者でありながら運命を共にするという奇妙な連帯関係がバディ・ムービーのようなペーソスを醸す。こういう設定で友情を描いた所は本作の新味であろう。
更に言えば、マックスとビンセントは、善と悪、無機(夢)と有機(金)、正常と異常、相反する資質に区分でき、人間の二面性を含ませたキャラクターとして捉えられる。言わば、彼らは人間の深層に存在する天使と悪魔の権化という解釈も出来るのだ。
中盤で、自暴自棄になったマックスが猛スピードを出して強引に脱出を試みようとするシーンがある。ここは彼が善と悪、正常と異常の一線を超えた瞬間で、とにかくスカッとするシーンだった。
彼はそれまで客の言われるままに走ってきた真面目な運転手だった。それが、自らの意思でアクセルを全開にしてこの窮地を切り抜けようとするのだ。これはつまり平凡な日常を打ち破る瞬間であり、普段は見せない別の顔を見せる“変身”の瞬間でもある。現に、これ以降マックスは肝の据わった強い男に変わっていく。変身ヒーロー物にも似たカタルシスと言えばいいだろうか‥。ともかくもこの爽快感、痛快さには痺れた。
一方のビンセントのドラマはと言うと、マックスに比べると少々見劣りしてしまう。警察やマフィアが登場して追跡劇が展開されるが、緊張感があるわけでもなく、謎解きのような面白さがあるわけでもない。そもそもビンセントは時折フールな言動で笑わすようなことをするので、殺し屋にしてはヌルく映ってしまうのが難だ。また、対する警察の捜査描写やマフィアの描写もどこか安穏としたものに映るし、シリアスに捉えようとすればするほど随所に無理が出てきてしまう。先述したように、捉えようによってはブラック・コメディのようにも見れるので、ビンセントの追跡劇は肩の力を抜いて見るくらいが丁度いいのかもしれない。
尚、チョイ役でJ・ステイサムとJ・バルデムが出演している。前者はすぐに分かったが、後者は全然気が付かなかった。
殺し屋シガー、お前はどこに出ていたのだ?
子供たちに未来はあるか?
「未来を写した子供たち」(2004米)
ジャンルドキュメンタリー
(あらすじ) インド、カルカッタの売春街に住む子供たちを捉えたドキュメンタリー映画。
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(レビュー) 麻薬、売春、暴力に溢れたスラム街の風景は、筆舌に尽くし難いほど悲惨なものである。映画はそこに住む幼い少年少女達の姿を切り取っていく。
現場の風景を生々しく切り取った作りは、ドキュメンタリーというジャンルの中で真剣に勝負しようという製作サイドの気持ちの表れだろう。形にこだわらずあるがままに伝えようとする意思。そこに真摯な姿勢を感じた。ただ、一部で作為性を持った映像も登場してくる。しかし、それらはあくまで作品に緩急のリズムをつけるという程度に抑えられており、本作は基本としてルポルタージュに徹した作りになっている。
DVに苦しむ少年、幼いうちから客を取らされる少女、親が売春婦という理由だけで学校から門前払いを受け、まともに教育すら受けさせてもらえない現状。カメラはそれらを次々と捉えて行く。子供達の前には絶望しか広がっていない。この過酷な運命には心を痛めてしまう。
映画はそこに一人の女流カメラマン、ザナが現れることで、希望に満ちたものになっていく。彼女は子供たちにカメラを与えて、思い思いに自由に写真を撮らせることで、閉塞的な日常に潤いの時間を与えていく。中には、大人顔負けのセンスを持った子もいて、何とかその才能を開花させてやろうとザナは様々にサポートしていくようになる。また、子供達が学校に行けないことを知ると、彼女は諸々の関係機関に入学を認めてもらおうと働きかけていく。正直、ここまで自分を犠牲にして慈善活動に専念してくとは、頭が下がる思いである。
こうして子供たちの顔には徐々に笑顔がこぼれていくようになる。それは薄暗いスラム街では一際眩しく写る。特に、ザナに連れられて初めて海に行くシーンの生き生きとした表情は印象に残った。
世界にはまだまだ我々の知らないところで、このような子供たちがいるのだろう。彼らに少しでも希望という名の光が訪れんことを祈るばかりである。
アメリカNASAのアポロ計画を紹介したドキュメンタリー映画。
「ザ・ムーン」(2007米)
ジャンルドキュメンタリー・ジャンルSF
(あらすじ) 当時の関係者と貴重な記録映像から、世界初の月面着陸を成し遂げたアポロ計画の舞台裏を描いていく。
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(レビュー) アポロ計画は1961年から1972年にかけて、アメリカが行った宇宙開発計画である。当時は冷戦真っ只中ということもあり、ソ連の宇宙開発に対抗する形でプロジェクトが進められていった。計17回のミッションが実行され、そのうち6回月面着陸に成功している。
本作では主に月の周回起動に乗せたアポロ8号、初の月面着陸に成功した11号、そしてT・ハンクス主演で映画にもなったアポロ13号について紹介されている。特に、1969年7月20日のアポロ11号のミッションは、映画のクライマックスとしてフィーチャーされている。一般では中々見れないレアな映像を見れるという意味で、貴重な作品になっていると思う。また、着陸の瞬間を固唾を呑んで見守る世界中の人々の姿も登場してくる。当時の感動がよく伝わってきた。
ただし、ラストのメッセージをナレーションとして語らせてしまったのは、蛇足という気がしなくもない。環境破壊や戦争を憂うことで人類愛、平和を唱えるのは、本作が持つ本来のテーマとはまた別物である。仮にそういったメッセージが製作サイドの狙いとしてあったとしても、啓蒙するべきではないだろう。これらは観客個人に考えさせるべき問題であって、月から捉えた青く美しい地球を見れば、それだけで十分伝わるはずである。
アメリカの戦争の歴史を紐解くドキュメンタリー映画。
「フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国防長官の告白」(2003米)
ジャンルドキュメンタリー・ジャンル戦争
(あらすじ) 元アメリカ国防長官ロバート・マクナマラが語るドキュメンタリー映画。彼が経験した戦争の歴史を振り返りながら11の教訓を提示する。
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(レビュー) マクナマラはケネディ、ジョンソン政権下で国防長官を務めた理論派として知られる政治家である。彼の人生は戦争の歴史そのものだった。
ハーバード大学に進学した彼は、第二次世界大戦時に軍の戦術分析の顧問を務める。その功績を買われてケネディ大統領の下では国防長官に任命。その後、キューバ危機を目の当たりにし、次のジョンソン政権下では泥沼化していくベトナム戦争の責任者となった。正に彼の人生は戦争に明け暮れたアメリカの歴史そのものだったわけである。しかし、そんな彼も一時期フォード社の社長を勤めていた経歴がある。ケネディから声をかけられなかったら、あるいは彼の人生は今とは全く違ったものになっていたかもしれない。そう考えると、人生どこでどうなるか本当に分からない‥。
彼が自らの経験から編み出した11の教訓については、実践するとなるとかなり苦労しそうだ。理論派らしい説得力のある指針だが、言うのとやるのとでは全然違う。しかし、少なくとも国のリーダーシップを執る者にはこの11の教訓は頭の中に入れておいて欲しいものである。
そして、明言はされていないものの、これらの教訓はイラク戦争を起こしたジョージ・ブッシュに提示するアドバイスのようにも聞こえてきた。この辺りの含みがあることで、本作は極めてリテラシーの高いドキュメンタリー映画になっていると思う。映画というものが時代を反映した媒体であるということを、改めて再認識させてくれる。
そんなマクナマラ自身も、自らの過ち、つまり過去の戦争については後悔している。本作への出演は彼なりの贖罪の意味もあったのだろう。自分がどういう立場でどういう形で戦争に関与したか、包み隠さず述べている。
ただし、東京を焼け野原にされ、2個の原爆を落とされた我々日本人からすると、彼の後悔の弁は少々虫が良すぎる‥という気もしてしまう。ベトナムの人々にしても思いは同じかもしれない。彼の弁によっていくら戦争の悲惨さが伝えられても過去は変えられないし、尊い命が戻ってくるわけではない。戦争の傷痕とはそう容易く消せないものなのである。
彼は長官退任後、世界銀行の総裁に就任し、人道的な事業に力を入れていくようになる。それが過去の戦争に対する罪滅ぼしだったのかどうかは分からないが、映画のラストに堂々とそれをテロップで流すのはどうだろう‥。何となく嫌らしい感じがするので、こういうのはさりげなく出して欲しかった。
W・デフォーの存在感が抜群!
「処刑人」(1999米)
ジャンルアクション
(あらすじ) アイルランド系移民のマクマナス兄弟は、悪人どもを殺す影の処刑人だった。ある日、行きつけのバーでロシアン・マフィアとトラブルを起こし彼等を殺害する。兄弟はFBI捜査官ポールによって逮捕されるが、証拠不十分ですぐに釈放された。その後も兄弟は処刑人稼業を続けていく。今度のターゲットは麻薬密売組織。ところが、その仕事中にイタリアン・マフィアの運び屋で悪友のロッコとかち合う。ロッコは兄弟の処刑人稼業に共鳴し協力するようになる。
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(レビュー) 社会の悪を処刑する移民兄弟の活躍をスタイリッシュに描いたアクション映画。
法で裁けぬ悪は俺たちが裁くとばかりに、マフィアを次々と撃ち殺していく様は痛快である。思い出されるのが、C・ブロンソン主演のヒット作、デスウッシュ・シリーズだ。マクナマス兄弟の処刑も、世間からまるで聖人のように歓迎されていくところが皮肉めいていて興味深い。
彼等を追いかけるのはFBI捜査官ポール。本作のもう一人の主役と言っていいだろう。マクナマス兄弟を執拗に追跡しながら、彼は迷い始める。悪人始末をする彼らを誰が裁けようか?本当の正義とは何なのか?神父を挟んでマクマナス兄弟と対峙する告解シーンは見応えがあった。法律と道義のどちらを正義の拠り所にするか?彼の葛藤にカメラは迫っていく。
ただ、ポールのこの迷いからも分かるように、この映画は終始マクナマス兄弟の処刑を肯定して描いている。アクション・エンタテインメントとして気楽に見る分にはこれでもいいが、何となくマクマナス兄弟の処刑が美化され過ぎた感覚を覚えるも事実だ。彼らは敬虔なキリスト教徒という設定であり、そこに安易な正義の肯定性を見てしまう。オープニングとラストシーンを見ただけでもそれは分かる。明らかに彼等の悪人成敗が神示のごとく肯定されている。ここはドラマに奥行きを持たすべく、彼らにもポールと同様な葛藤を持たすべきだったのではないだろうか?少し物足りなさを覚えた。
もっとも、こうしたメッセージ性は見る側の受け取り方に拠る所であり、娯楽アクション作品には邪魔になるだけである。変に理屈をこねても単純に楽しめなくなってしまうので、割り切って楽しむが吉だろう。
キャストでは、ポール捜査官を演じたW・デフォーが印象に残った。前半こそ兄弟の造形のミステリアスさでドラマは牽引されていくが、後半からは完全に彼の独壇場になっていく。オペラをBGMに悦に浸りながら現場検証する序盤のシーンからして、只者じゃない感がプンプン匂ってくる。そして、極めつけは後半のオカマ演技!これには大いに笑わせてもらった。プロファイリングの際に突き出す指鉄砲も最高にイカす。彼のファンならこの映画はぜひ抑えておきたい1本である。
尚、本作は一部でカルト的な人気があり、何と10年経った後に続編が製作された。機会があればそちらも見てみたい。
藤田敏八が見出したミューズ秋吉久美子の魅力が光る。
「赤ちょうちん」(1974日)
ジャンル青春ドラマ
(あらすじ) 無目的且つ自堕落な青春を送る青年修は、駐車場に勤めながら都内のボロアパートに住んでいる。アパートが取り壊されることになり行き場をなくした彼は、恋人幸枝の部屋に転がり込んだ。暫くして前の住人を名乗る中年男が訪ねてきた。病気を患っているという勝手な理由で、彼はずうずうしく部屋に居ついてしまう。彼を不憫に思った幸枝は優しく接してやるが、修は二人だけの愛の巣を奪われた感じがして不快になった。ある日、職場の先輩に誘われて皆で海に出かけることになった。修は邪魔な中年男を連れて行き、その場で暴行し置き去りにしてしまう。やがて、幸枝は妊娠する。子供を育てる自信が無かった修は堕胎を勧めるが、幸枝は頑なにそれを拒み出産した。新しい家族に恵まれた彼らは、新居に引っ越して心機一転頑張ろうとするが‥。
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(レビュー) 慎ましくも幸せな暮らしを送る若いカップルの成長を、時にコミカルに時にシリアスに綴った青春映画。
監督は藤田敏八。主演は秋吉久美子。このコンビは「妹」(1974日)、「バージンブルース」(1974日)に続いて3度目の顔合わせになる。この3作品は藤田監督の青春三部作と言われている。
俺はこれまでに「妹」を見たことがあるが、両作品を比較してみて色々と面白い共通点が見つかった。まず、両方とも当時の若者の等身大の姿がリアルに画面に投影されている。これは青春映画作家・藤田敏八監督の一つのカラーと言える。改めて今見てみると画面に登場する当時の世相がどこか懐かしく、そして新鮮に写ったりもする。
同時代性を感じさせるという意味で言えば、当時のシラケムードというのも両作品に共通するキーワードだと思った。「妹」の主人公にしろ、本作の主人公にしろ男達は無目的に生きている。これは正に当時のシラケ世代を反映させたものであろう。
一方で、彼らを立ち直らせるべく影で支えるのが、両作品に共通するヒロイン秋吉久美子である。彼女は快活で、奔放で、積極的で行動力のある女性として描かれている。だらしない男主人公を支える強い女性で完全に男の上を行くキャラクターとなっている。このキャラクターは、女性が世間に進出し始めた世相とリンクして語ることが出来るかもしれない。ただ、最終的に彼女は家庭に収まり、強い母親になる事を考えれば、むしろ古風な女性と捉えることも可能だ。いずれにせよ、本作も「妹」も女性上位の映画と言う事が出来よう。
また、両作品とも主題歌をかぐや姫が歌っていることも共通している。「赤ちょうちん」も「妹」も、必ずしも歌詞のイメージと物語の内容がそのまま合致するわけではないが、作品のモティーフになっていることは各所で感じられた。
尚、藤田監督はこの青春三部作以外に、アリスの「帰らざる日々」(1978日)や井上陽水の妻としても知られる石川セリの「八月の濡れた砂」(1971日)等、流行歌とリンクさせた作品を何本か撮っている。歌は世につれ、世は歌につれ‥なんて言葉もあるが、歌詞に込められた作品世界をモティーフにして映画を撮る事は、彼の創作活動の大きな狙いだったのだろう。一連の作品から時代の“臭い”みたいなものが如実に感じられる。
作品のテイストは、基本的にはライト志向に寄っているが、後半からシリアスに傾倒していく。テイストの緩急をつけながら上手く物語が転がされていると思った。
そして、ユニークなのは修と幸枝の同棲を描く物語なのに、まるでロード・ムービのような作りになっていることだ。二人は転々と引っ越しながら、山あり谷ありの人生を歩んでいく。これも狙いとしては面白い。
尚、彼らは途中で様々な人物に出会うのだが、これらサブキャラにも面白いものが見つかった。例えば、長門祐之演じる謎の中年男と樹木希林演じるアパートの意地悪な管理人、彼らはどちらも一筋縄ではいかない曲者で物語を上手くかき回している。
オチは虚無的に締めくくられていて、おそらく見た人の多くが意外に思うかもしれない。個人的にはまさかこういうオチに持っていくとは予想できなかった。少しファンタジックで不思議な鑑賞感が残る。こういうテイストで終わる青春映画はちょっと珍しいのではないだろうか。良い意味で期待を裏切ってくれたという感じである。
チェ・ゲバラの半生を描く後編。
「チェ 39歳 別れの手紙」(2008米仏スペイン)
ジャンル人間ドラマ・ジャンルアクション
(あらすじ) 1966年、キューバ革命を成し遂げたチェ・ゲバラはカストロに別れの手紙を送り、次なる革命の地ボリビアへと密航した。早速、独裁政治を打倒すべくゲリラ戦を指揮するが、戦況は圧倒的に不利だった。頼みの綱である地元共産党の支援も得られず苦戦を強いられるゲバラ。更に、アメリカ軍が参入してきたことで戦況は悪化の一途を辿っていく。
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(レビュー) チェ・ゲバラの半生を描いた伝記映画の後編。
あらゆる物語の基本構造は極論すると一つしかないと思う。それは極めてシンプルなものであって、主人公が「上昇」し「下降」していくというストーリーだ。古今東西、様々な物語があるが、全てを削ぎ落としていけば最終的にはこの形式に当てはめて考える事が出来る。主人公が低い地位、つまり「死」の状態にいれば、そこから這い上がろうと様々な障害を乗り越えて高い地位、つまり「生」の状態に上昇していく。逆に、主人公が高い地位に満足し驕り高ぶれば、いずれは没落していく。言わば、物語というものは「生」と「死」が循環することで初めて成り立つものだと思う。
この基本構造に当てはめて考えると、この2部作は前編が「死」から「生」の上昇ドラマで、後編は「生」から「死」の下降ドラマと言う事が出来ると思う。1本の物語として完成するには、本来なら前後編に分けるべきではないのだが、そこは仕方が無い。何せ両方合わせると4時間以上の長さになってしまう。インターミッションは必ず入る上映時間だ。本作は前後編揃って初めて成り立つ作品であり、仮に前編だけ見て後編を見ないと言うなら、それは実に勿体無い話である。出来れば前後編一気に見るのが一番好ましい。
この後編は、キューバ革命後から始まる。すでに革命の英雄となったゲバラが、単身ボリビアに乗り込み戦いに敗れるまでを描いている。敗因の一番の原因は民衆の協力が得られなかったことだろう。ボリビア人からしてみれば、キューバからやって来たゲバラは、いかに革命の英雄だとしても所詮は“よそ者”である。自分達の国の事をろくに知らず勝手に乗り込んできて戦争を始めるとは、何てはた迷惑な‥。かえって政府の圧制を強めるだけではないか。こういった声が上がるのをゲバラは読めなかった。今回の戦いは、同じ民族が固い絆で結ばれたキューバ革命とは根本的に違うのである。
演出は前編同様、ゲリラ戦を客観的視点で綴っていくというものだが、終盤だけはカメラがゲバラの内面に肉薄していく。このシーンは彼の無念の思いを見事に捉えきっており、ベニチオ・デル・ドロの熱演も相まって実に見応えがあった。
尚、本作は前後編合わせるとかなりの長時間になる大作であるが、実はこれだけかけても彼の全てを語る事は出来ていない。前後編の間に、キューバ革命達成の経緯が省略されているのだ。ゲバラが新生キューバ建国に尽力したエピソードや、カストロと別れてコンゴに遠征するエピソードが、バッサリとカットされている。ドラマとして見れば、ゲバラの「上昇」と「下降」に絞った描き方は必要にして十分という気もするが、伝記映画として見た場合は不十分な作りになっている。そこを補完したいというのであれば、
別掲のドキュメンタリー作品や他の著作物を見たりするのが良いだろう。