人間の欲心をシニカルに綴った娯楽作!
「黄金」(1948米)
ジャンルサスペンス・ジャンルアクション
(あらすじ) 1920年代のメキシコ。仕事を探しにやって来たアメリカ人ドブズは、一文無しになり途方にくれていた。偶然雇われ仕事にありついたが、その賃金を払ってもらえず再びどん底の生活に戻る。ドブズはその仕事で知り合ったカーティンと、今後の身の振り方について思案を巡らした。そんな矢先、ハワードという老人に出会う。彼は元金鉱掘りの職人で、その気があれば一攫千金を狙えると言う。ドブズ達はハワードの案内で早速金が眠る山へ向かうが‥。
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(レビュー) 金に目がくらんだ男達の非情な運命を、熱度の高いタッチで綴った巨匠J・ヒューストンの作品。
即物的な快楽を追求する人間の“性”を赤裸々に曝け出して見せた所に、本作の意義があろう。金を巡って精神状態がおかしくなっていく3人の姿は正に俗物の一言。人間の嫌な面が突きつけられた感じがして、好き嫌いは分かれようが、個人的には非常に見応えがあった。
むろん、このテーマをストレートに語ってしまえば、ひたすら陰鬱で教訓めいた押し付けがましいドラマになってしまう。J・ヒューストンはそれを避けるために、アクション、サスペンスといった娯楽要素を盛り込みながら、見る側が自然にこのメッセージを受け取れるよう策を働かせている。この辺りの作りが実に巧みだ。彼の持ち味である骨太なタッチもドラマへの求心力を高め、単なるお説教映画になっていない。
見所は何と言っても、金を掘り当てた3人の衝突と友情ドラマである。彼らは協力しながらせっせと金を掘っていくのだが、金を独り占めされまいか‥と夫々に疑心暗鬼に陥っていく。過酷な自然という極限状況も相まって、この辺りの3人の心理劇は実にスリリングだ。
ただし、アクションシーンは正直今ひとつだった。単調で間延びした感じを受ける。時代を考えればこれは已む無し‥といったところだろうか。むしろ、銃撃戦よりも、前半の酒場の殴りあいの方が迫力があったくらいで、この辺りは若い頃にボクシングにのめり込んでいたJ・ヒューストンのこと。その経験や思い入れが演出の“切れ”に繋がっているのだろう。今見ても全然遜色ない。
シナリオはバイヴレーション豊かで飽きさせない。無駄の無い純度の高い構成力に驚かされる。
また、ウィットに飛んだセリフ回しも面白い。例えば、ハワードの「水は金より高価」というセリフは、人間が生きるうえで最も大切なのは何なのか?ということを考えさせられる。そして、この言葉の意味は随所に効いてくる。このあたりの配慮の行き届いた作りは感心させられる。
伏線も見事な働きを見せている。例えば、序盤に登場するくじ売りの少年やペテン師、中盤に登場する第三の男といった人物の立ち回りがドラマ運びの伏線として上手く機能している。
キャストではドブズを演じたH・ボガートのワイルドな魅力が印象に残った。彼は金しか信用しない孤独な男である。そして、いざと言う時には仲間を平気で裏切る薄情な男である。人間の悪心を生々しく体現したところに見応えがあった。
ハワードを演じたウオルター・ヒューストンも、味のある演技を見せている。彼はJ・ヒューストンの実父である。ラストの彼の演技は特に印象深い。半ばあきれ顔で豪快に笑い飛ばすその所作に、全てを無に返すような痛快さ、人間の卑小さを皮肉ったニヒリズムが感じられる。この世に真の道徳など存在しないのではないか‥。そんなことをこのラストから感じられた。
音楽についてはやや大仰でシーンにそぐわない選曲があった。アクション演出同様、このあたりは時代性が関係しているかもしれない。もう少しメリハリをつけて欲しかった。
ほのぼのとさせられる反戦映画。
「エーゲ海の天使」(1991伊)
ジャンル戦争・ジャンル人間ドラマ・ジャンルコメディ
(あらすじ) 1941年、エーゲ海をのぞむギリシャの小島に8人のイタリア兵がやって来た。彼らは島民達との触れ合いの中で、戦争という現実を忘れて平和を甘受していくようになる。
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(レビュー) 淡々としたドラマだが、随所に散りばめられた戦争に対するアイロニーは中々鋭いものがある。ソフティケイトされた反戦映画という感じで、肩の力を抜いて見ることが出来た。“戦争は酷い‥”と言えばとりあえず反戦映画になるが、本作はそうではない。兵士達の日常を見せる事で平和のありがたみを説いている。
見ようによっては非現実的過ぎるという意見もあろう。しかし、無益な血を流すことで戦争の残酷さを分からせるだけが、正しい反戦映画ではあるまい。戦争と無縁の暮らしは兵士達の願望をよっぽど現実的に捉えているとも言え、戦争に対するアンチテーゼも静かに感じられた。ラテン気質な楽観主義と一蹴することも可能だが、何かと世知辛い世の中だからこそ、彼らが身を持って体現する反戦メッセージには癒されてしまう。
映画には8人の兵士たちが登場してくる。彼らは夫々に個性的に色分けされている。
画家を夢見る中尉は、教会のフレスコ画を描くことに生きがいを持つ芸術家タイプである。ロバに恋するストラッツァは、新しいロバとの出会いに心ときめかせる変質的な夢想家。ファリーナは町の娼婦と禁断の恋に落ちる純情少年。脱走兵のノヴェンダはホームシックにかかる悲観主義者。軍人気質のロルッソ軍曹は何でも仕切りたがる番町タイプ。他に、秘密主義な軍曹の腰ぎんちゃく、村娘を奪って恋敵になる兄弟等が登場してくる。皆に共通して言える事は、夫々に自分のやりたいこと、好きな事を謳歌しているということだ。これは紛れもなく個人主義を無視した軍隊に対するアイロニーに他ならない。彼らの活き活きとした暮らしぶりから自ずと反戦というメッセージも伺える。
笑いはオフビートなものからブラックなものまで、少しクセを持ったものが登場してくる。例えば、序盤のロバのエピソードは実に居たたまれない悲劇だが、同時に戦争の愚かさを見透かした喜劇でもある。そこに何とも言えぬ居心地の悪さが誘発する。この悲喜劇のバランスのとり方は絶妙だ。
また、中盤に登場するトルコ商人のクダリには知的な風刺も感じられた。地中海を囲むイタリア、ギリシャ、トルコの関係は実に因縁めいていて、島民達がトルコ商人に嫌悪感を持つのには「あぁ、なるほど」と納得させられた。
ラストは郷愁に堕した感もするが、まずまずといったところか。ただ、このラストが無くても本作は十分に成り立つドラマであると思う。そもそも全編これ寓話‥のようなドラマなので、現実性を強調するようなラストは蛇足な感じがしなくもない。むしろ、その前で終わっていてくれた方が、作品が醸すアイロニーは切れ味が鋭いままこちらに突き刺さってきたように思う。
尚、本作と似た設定で、N・ケイジが主演した「コレリ大尉のマンドリン」(2001米)という映画が思い出される。某映画解説者の感動したというCMにつられて見に行ったが、正直落胆した。「コレリ大尉~」に比べれば、本作の方が断然奥深い作品である。
ミステリアンがインパクト大!
「地球防衛軍」(1957日)
ジャンル特撮・ジャンルSF・ジャンルアクション
(あらすじ) 天体物理学者白石博士は富士山のふもとで調査をしていた。その最中、山火事が起こり彼は失踪してしまう。早速、同僚の渥美が捜索に出かけた。ところが、その先で巨大な怪物に遭遇する。防衛軍の必死の抗戦によって怪物は倒されたが、今度は地中から宇宙人の乗った巨大ドームが出現し、人類に宣戦布告をしてきた。
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(レビュー) 母星を失った宇宙人ミステリアンと地球防衛軍の戦いを描いた特撮映画。
実写映像と円谷英二が手がけるミニチュアの合成で描かれた特撮シーンが見所である。特に、ミステリアンの熱光線を受けて溶ける戦車が素晴らしい。また、巨大ロボット、通称モゲラのデザインはSF作家小松崎茂が担当。以前からスチールや模型では知っていたが、改めて動いている姿を見るとこれが案外萌える。クライマックスには、パラボラ型の熱線砲が登場し、東宝特撮ファンにとっては感涙モノではないだろうか。
伊福部昭の音楽もすこぶる快調で、進軍場面などは実に勇ましくてワクワクさせられた。
ただ、肝心のクライマックスの戦闘シーンは冗漫に感じられた。ここは人間ドラマを織り込むなり、危機感を募らせる演出を施すなりして、単調にならないような工夫を凝らして欲しかった。
尚、ミステリアンのコスチュームはかなりぶっ飛んだセンスで楽しませてくれる。これがある事によって作品のチープ感が際立ってしまうのだが、逆に言えばトンデモ映画的な“親しみ”も生まれる。
彼等は人間の外来者に対する排他性を痛烈に皮肉った存在とも取れ、この辺りは「ゴジラ」(1954日)にも言える事だが、厳しいアイロニーが込められている。ただ、子供にも分かりやすく‥ということなのだろう。全てをセリフで片付けてしまったことで説教臭くなってしまったのが残念である。もう少しスマートに表現してくれると作品に更なる味わいが出たかもしれない。
斬新なアイディアが売りのサスペンス映画。
「デジャヴ」(2006米)
ジャンルサスペンス・ジャンルSF
(あらすじ) フェリーが爆発炎上し500人以上の尊い命が失われた。ATF捜査官ダグは遺留物からテロの可能性を確信する。その後、事件現場から離れた川岸でクレアという女性の死体が発見された。検死の結果、テロリストに繋がる手がかりを得るダグ。彼はその証拠を持ってFBI特別捜査班に招かれる。そして、最新テクノロジーを駆使した政府の極秘捜査システムによって犯人を追い詰めていく。
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(レビュー) 政府の秘密捜査システムは、正に驚異の一言。監視衛星で捉えた記録映像を、人間の顔の表情まで克明に再現することで、過去の情報を引き出すというものである。再現映像のカメラアングルは自由自在に動かす事が出来るし、限られたエリアならどこまでも被写体を追いかける事ができる。但し、再生できるのは4日前のものからに限る。それ以前のものは再現できない。また、リアルタイムで再生することしか出来ず、一度終わってしまえばビデオのように巻き戻しは出来ない。はっきり言って、そんなのありねぇ~と思ってしまうし、事実本作の主人公ダグもこのシステムを疑ってかかる。この“とんでも”な設定に突っ込みを入れてしまうと、この映画は全然入り込めなくなってしまうだろう。逆に、タイムトラベルを奇抜な設定で切り込んだ‥と評価できれば面白く見れる。
個人的には、SFの作り方にも色々とあるが、これはこれで中々ユニークな設定だと思った。タイムマシンに乗って時代を渡るというだけではもはや新味がない。再現映像、つまり過去の中に入って捜査を行うというのは、よく出来たアイディアだと思う。もっとも、クライマックスあたりから禁じ手のようなものが出てきて、只でさえ荒唐無稽な設定が更に突拍子もないものになってしまうのだが‥。
物語はやや一本調子ながら、クライマックスの盛り上げ方はよく考えられている。色々と不要なシーンがあり、その当たりを刈り込めば2時間以内に収まって丁度良い見易さになっただろう。また、犯人探しのサスペンス以外に、本作にはロマンスも用意されている。説得力という点では甘いが、これもクライマックスを上手く盛り上げている。この手のタイムトラベル物には付き物の“すれ違い”もあり、結構楽しめた。
監督はT・スコット。元々、映像に凝る作家だけに、今回の再現映像にもかなり面白い画作りが見られる。特に、ダグがいる現実の世界とクレアがいる映像の世界をオーバーラップで紡いでいくシーンは、まるで二人が目には見えない愛のシグナルを出し合っているかのような、そんな官能を感じられた。中盤のカーチェイスシーンも、現在に過去の映像を被せる事でスリリングさがより過激に演出されている。視覚に直感的に訴えてくるケレンミと緩急自在の編集は流石である。
被爆の悲劇を描いた感動ドラマ。
「夕凪の街 桜の国」(2007日)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 昭和33年、広島下町。OL皆実は母と暮らしている。彼女には離れ離れになった弟旭がおり、いつか再会する事を夢みていた。そんなある日、皆実は会社の同僚打越からプロポーズを受ける。しかし、彼女には過去のトラウマあり‥。現在の東京。定年退職した旭は二人の子供達と暮らしている。長女七波は最近旭の不審な行動が気になっていた。ある晩、旭が内緒で家を出て行った。後をつけてみると、彼は広島行きの夜行バスに乗った。七波はその後をついて行くのだが‥。
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(レビュー) 広島原爆投下の悲劇を描いた感動ドラマ。
ヘビーな題材を扱っている割に、どうも作りが軽すぎるのが気になった。要因の一つにコメディライクな演出が挙げられる。ドラマに集中しようにも、これでは中々入り込めない。同じ被爆を題材にした映画なら、
「黒い雨」(1989日)の方がよっぽど真正面から描いている。確かに「黒い雨」にもコメディライクな箇所はあったが、それは全体を壊す程度のものではなかった。目をそむける事を許さないシリアスなトーンが維持されている。それに比べると、本作はコメディライクな演出が大仰でいけない。また、感傷に訴えすぎる演出もわざとらしくて興ざめした。
映画は2部構成になっている。前半の「夕凪の街」編はストレートに被爆の現実を訴えたドラマになっている。皆実の「原爆は落ちたんじゃない、落とされたんよ」というセリフは印象に残る。また、銭湯のシーンもショッキングで印象に残った。被爆という非日常と入浴という日常をこうした形で画面に同居させた所に衝撃が走る。
スラム街のセットもこじんまりとした物だが時代背景に説得力をもたらすという意味では頑張って作られていると思った。ただ、遠景のショットになるといかにも現代的な家屋が並ぶので、世界観の詰めの甘さが惜しまれる。
後半の「桜の国」は被爆の第2世代の話である。原爆を知らない子供たちが改めてその歴史を知っていく‥というドラマになっている。しかし、こちらは前半に比べると作りが少し雑に感じられた。例えば、七波の友人のエピソードは、テーマを語る上では特段必要というわけではない。これを挿話したことでドラマが散漫になってしまっている。また、七波が旭の行動に対する解釈。それを独り言として明言させてしまったのはいただけない。悲しみや怒りといった心情を、口に出して説明してしまうことほどダサい演出はない。
原作がコミックということであるが、漫画ならかろうじてこうした表現はありかもしれない。漫画の場合は多少臭いセリフを吐いても、偶像であるキャラが“作られたセリフ”を発しているという割り切りの上で受け止める事ができるからだ。しかし、実写映画の場合は違う。俳優がそこで演技をしている。その上でこういうセリフを吐かれると、いかにも“言わされてる感”が匂ってしまいダメである。
牧歌的に始まりシリアスに落とす。J・ウェインとB・ダーンの対峙に痺れた。
「11人のカウボーイ」(1971米)
ジャンルアクション
(あらすじ) ゴールドラッシュのせいで働き手を失った牧場主ウィルは、牛を運ぶために人手を探し始めた。ところが、村の若者はほとんど出払っており、まともに働ける者は残っていなかった。仕方なく友人に相談したところ、年端もいかぬ11人の少年達を紹介される。初めは馬鹿にするウィルだったが背に腹は変えられない。少年達の熱意にほだされて雇うことにした。黒人料理人ナイトリンガーも加わり、ウィルと11人の少年達は牛を運ぶ旅に出発する。
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(レビュー) 老カウボーイと11人の少年達の交流を大自然の中に描いた西部劇。
カウボーイに憧れる子供達の無垢な心根は、現代からすると余りにも牧歌的に感じてしまうが、師弟ドラマとして見れば上手くまとまっている。子供達との交流も多岐に渡って描かれており飽きさせない。本作の魅力は正にここに尽きるといっても良いくらいで、老練なカウボーイと孫ほども年の離れた少年達のユーモラスなやり取りが一つの見所だ。
ウィルを演じるのはJ・ウェイン。本作は彼の晩年の作品である。かつての勇まさは鳴りを潜め、ここでは隠居寸前の頑固じいさんという佇まいを終始貫いている。まるでボーイスカウトの引率者、スポーツ部の監督のような立場で少年達に道徳や躾を教えていく。穿ってみれば、彼の言葉は映画界の後世に向けた老優の遺言のようにも聞こえてくるかもしれない。しみじみとさせられた。
少年達のキャラクターも個性に溢れている。序盤の荒馬乗りのテストで個々のキャラを説明する手際の良い話運びは見事だ。中でも、混血児として異端扱いされるシマロンというキャラクターは面白い存在である。彼は出自のせいで他の少年達から明らかに浮いた存在であり、混血というバックストーリーがその後の波乱をあれこれ想像させる。他に、デブやチビ、メガネ、どもり症といった特徴を持った子供達が登場してくる。ただ、さすがに11人全員をフィーチャーするのは時間的な限界があり、中に埋もれてしまう子達もいた。このあたりは止む無しと言ったところだろう。
中盤に登場する黒人カウボーイ、ナイトリンガーとウィルの関係性も面白く見れた。ウィルがチームの監督だとすれば、ナイトリンガーはそれをサポートするコーチのような存在である。子供達の夜遊びを微笑ましく見つめながら、ウィルとウィスキーをくゆらすシーンは中々味がある。
そして、この映画にはウィルの行く手を阻む敵対者として大変重要なキャラが登場してくる。それは牛泥棒ロングだ。実は、この映画は後半に行くに連れてシリアス色を強めていくのだが、それは彼が物語に絡んでくるからである。ロングはウィルに雇われなかった事を根に持ち、牛を盗もうと彼の後を付け回す。ウィルの過去の悔恨と照らし合わせてみると、そこには複雑なキャラクター性を見る事が出来る。
ロングのバックストーリーは詳しく語られていないが、彼に宿る一抹の悲哀、もっと言えば孤独性は、父性に対する求愛行動の表れではないかと想像できる。ここで言う父性とはもちろんウィルのことである。一連のロングの行動を見ていると、父親に拒絶された子供がわざと嫌がらせをして突っかかっている‥そんな風に見れた。
一方でウィルの方に目を向けると、彼は息子を亡くしていることが冒頭で明らかにされている。亡き息子との関係は具体的に描かれていないが、ウィルの言葉の端々に後悔の念が読み取れる。そこから決して良好な関係でなかった事が分かる。息子と年齢が近いロングである。ウィルは彼に亡き息子を重ねて見ていたのではないか。そんなことが想像出来る。
クライマックスはもちろんこの二人の対峙になる。ここはアクション的にもドラマ的にも見応えがあった。
ただ、映画はその後にもう一山盛り上がり所を設けている。これは蛇足な感じを受けた。子供達が起用に銃を使うこと自体、リアリティを失しているし、しかもそれで人を撃ち殺すのだから見ていて決して気持ちの良いものではない。また、途中の”ある悲劇”も何もそこまでしなくても‥というような気がしてならなかった。
青春映画?任侠映画?特異な演出が際立つ怪作ならぬ快作!
「股旅」(1973日)
ジャンル青春ドラマ・ジャンルアクション
(あらすじ) 江戸時代後期、源太、信太、黙太郎の3人の若者達が、渡世人に憧れて旅をしていた。ある寒村で組同士の縄張り争いに巻き込まれるが、小さないざこざに馬鹿馬鹿しくなって彼らは再び旅立った。途中で賭場を襲ったりしながら、ある村に辿り着く。3人は番亀一家に潜り込み、そこで源太は失踪した父と再会する。父は金貸しの取立人をしていて女と暮らしていた。その惨めな姿に腹を立てるが、腐っても親子である。やはり憎めなかった。そんなある日、源太は番亀親分から父が敵対する組と内通しているので今すぐ首を取って来いと命令される。
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(レビュー) 3人のヤクザ青年が非情な運命に打ちのめされていく姿をエッジの効いたタッチで描いた異色の仁侠映画。
かなりユニークな作りの時代劇である。物語の舞台は江戸時代末期であるが、映画が製作された時代を考えると、実はこれは当時の若者達の世相を風刺したドラマなのではないかと推察できる。若者達の間に蔓延していた怠惰な空気感が、3人のヤクザ青年達の生き方にはっきりと投影されている。同じ幕末というキーワードでいくと翌年に製作された
「竜馬暗殺」(1974日)にも同様のユニークさが見つかる。時代劇でありながら現代風な香りを漂わせたところが実に面白い。
本作はキャスト面での成功が大きいと思う。黙太郎を演じた萩原健一は、前年に「太陽にほえろ!」でマカロニ刑事を演じ、翌年には「傷だらけの天使」で主演している。本作を含め一連の作品で見せたショーケンの自由奔放で風俗にまみれた現代的な若者像は、彼が醸す独特のキャラクター性と言っていいだろう。雰囲気があって良い。
他の2人の若者、源太と黙太郎についても基本的には同じ穴の狢で、気ままで宛てのない旅を楽しむ無職、無収入、無宿者達である。源太を演じるのは小倉一郎、信太を演じるのは尾藤イサオである。弱々しく情けない源太、お調子者の信太。こちらも夫々に持ち味を活かしながら妙演している。
さて、ここまでのキャスティングを見たら、多くの人が普通はショーケンが主演だと思うだろう。しかし、異色な作品スタイル同様、本作はこのあたりも少し捻くれている。物語のメインを張るのは、小倉演じる一番弱々しい源太である。
彼は再会した父の首を取ってくるよう親分から命令される。義理を取るか?人情を取るか?彼が本当の意味での“渡世人”になれるかどうかの試練が与えられる。ドラマの中盤以降はこの葛藤を軸に展開されていく。
正直、前半は物語の方向性が定まらず今ひとつという感じがした。無目的な旅を延々と写されても、それだけでは退屈してしまう。しかし、後半から源太のこの葛藤が明確に炙り出されていくことで、徐々にドラマに芯が立って映画に集中する事が出来た。源太の運命、友情で繋がる黙太郎、信太の運命がどう転がっていくのか?面白く見る事ができた。
監督は市川崑。同じ股旅物としては前年に「木枯らし紋次郎」を撮っているが、その流れからすると本作を監督したのも何となく合点がいく。但し、本作の狙いは紋次郎のようなニヒルな格好良さではなく、それとは逆の“格好悪さ”である。華麗な剣術を披露するわけでもないし、勧善懲悪でもない。その証拠に、この映画に出てくるチャンバラシーンは実に情けないものである。敵も味方も関係なくただ闇雲に刀を振り回し、腕や足にかすり傷を負えば泣き叫びながら地面を這い蹲る。どのシーンを取っても敢えて不恰好に撮られている。この方がリアリティがあると市川監督が考えたのだろう。また、信念を持てない甘えた現代の若者像をリアルに再現する狙いがあったのかもしれない。穿ってみれば、ケレンミを標榜した娯楽時代劇に対するアンチテーゼ‥と捉えられなくもない。
演出スタイルにもユニークな特徴が見られる。アクションシーンはもちろんのこと、平凡な日常描写まで、異常なほど短いカットがインされる。それによって見る側のスムーズな時間感覚、映画を見るリズムというものは狂わされてしまう。市川監督は作品によっては時々こうした細かな編集をするが、本作ほどそれが突出した例は今までに見た事が無かった。特に、クライマックスにおけるカッティングの嵐は、もはや音と映像が完全に合っておらず異化効果にすら生んでいる。まるで子供がダダをこねているようにしか見えず爆笑するしかなかった。おそらくこれも監督の意図するものなのだろう。このクライマックスとその後に続く結末は、当時の若者達の“幼稚性”の表明と捉えた。
尚、当時の潮流を考えても、この作品がいかににユニークな存在だったかが考察できる。この頃はヤクザ映画にも陰りが見え初めていた頃で、東映は「仁義なき戦い」シリーズで新たに実録物を出発させた。既存のヤクザ映画にはないリアリズムに賛否はあったものの、その衝撃的な内容でヒットを飛ばした。方や、本作はその逆を行くような古き郷愁の世界、股旅の世界である。同じ任侠映画にカテゴライズされながらも、同時代的に言えば本作がいかに異色な作品であったかが分かる。
それと、音楽もかなり独特である。オープニングからいきなり度肝を抜かされたが、音楽を担当する九里子亭(くりすてい)は市川崑監督と夫人の共同ペンネームである。ミステリー作家のアガサ・クリスティから取ったということで、他に数本、映画の脚本を書いている。例えば、以前このブログで紹介した
「悪魔の手毬唄」(1977日)は九里子亭の脚本である。
毒気タップリのコメディで楽しめる。
「バーン・アフター・リーディング」(2008米)
ジャンルサスペンス・ジャンルコメディ
(あらすじ) アル中でCIAをクビになったオズボーンは、やけになって暴露本の執筆に取り掛かる。妻のケイティは夫の友人で財務省連邦保安官ハリーと不倫しており、離婚の機会を虎視眈々と狙っていた。一方、近所のフィットネスジムに勤めるチャドはロッカーで1枚のCD-ROMを拾う。そこにはCIAの機密情報が入っていた。実は、それはケイティが離婚に利用しようとしてオズボーンのパソコンからコピーしたものだった。チャドの同僚で出会い系サイト中毒の独身中年女性リンダは、全身整形の費用欲しさにそれをネタにオズボーンから金をせしめようとする。
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(レビュー) CIAの機密情報が入ったCD-ROMを巡って起こる騒動をスラップスティックに描いたコーエン兄弟の作品。いかにも彼等らしい毒の入ったコメディに仕上がっている。
本作の見所は何と言っても豪華な出演陣である。J・クルーニー、J・マルコヴィッチ、B・ピット、T・スウィントン等、夫々に単独で看板を背負う事が出来るようなスターたちが情けないキャラを妙演している。
中でも、コーエン作品ではお馴染み、F・マクドーマンドの演技は一際目立った。彼女が演じるのはフィットネスジムに勤める孤独な独身中年女性リンダ。彼女は出会い系サイトで結婚相手を見つけようとしているが、年齢的にどうしても容姿の衰えカバーしたい。そこで全身整形しようするのだが、その費用を稼ぐためにオズボーン脅迫計画を思いつく。言わば、彼女の不純な動機を出発点として一連のドタバタ騒動劇が始まるのだ。天下のCIAを相手に何と大胆な‥と思ってしまうが、孤独な中年女性の暴走と言っても良いこの愚行にこそ、コーエン兄弟が描き続ける人間の悲哀を見る事が出来る。同監督作の「ファーゴ」(1996米)の狂言誘拐騒動に通じるような哀しさ、愚かさが感じられた。
また、B・ピット演じる筋肉バカなインストラクターも面白い役どころだった。彼については後半に意外な顛末が待ち受けているのだが、これは予測できなかった。本作で一番の〝美味しい”キャラだと思う。
また、映画の構成も中々凝っていて面白い。冒頭と結末が共に〝天”からの視点で描かれるのだが、これは見ようによっては神からの視点とも取れる。一連の騒動を見て神様も苦笑している‥。そんな神様目線で観客は見れるのではないだろうか。本作は決して感情移入出来るような作品とは言い難い。一歩引いた目線で楽しむペシミスティックな作品と言える。
笑いも爆笑を狙うものではなく、概ねシニカルさを伴うものが多い。事件がエスカレートしていくに連れて、血生臭い惨劇も出てくるし、ほとんどのキャラが悲劇的な顛末を迎える。事件は一応の決着を見るので、ある程度はスッキリするが、同時に何とも言えない後味の悪さも残る。こういった独特なテイストがコーエン作監督の持ち味だろう。
ちなみに、ハリーを付回す黒い車の正体にはまんまと一杯食わされた。もしかしたらこの騒動で一番の勝者はハリーの妻だったのかもしれない。実にしたたかな勝ち逃げ振りであった。
偏執的な愛憎をオフビートに綴った怪作。
「鍵」(1959日)
ジャンルサスペンス・ジャンルロマンス
(あらすじ) 青年医師木村は、美術鑑定家として有名な剣持の愛娘敏子と婚約中である。公私に渡り順風満帆であったが、ある晩夕食に招待された剣持邸で事件が起こる。剣持の妻郁子が酒に酔って風呂場で気絶してしまったのだ。大事には到らなかったが、同じような事が翌日にも起こった。その後、木村は剣持から写真の現像を頼まれた。何とそこには気絶した郁子の裸が写っていた。それを見た木村の気持ちは敏子から郁子の方へ向いていく。
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(レビュー) 中年夫婦の異常な性愛に巻き込まれていく青年医師の運命をシニカルに描いた愛憎ドラマ。
原作は谷崎潤一郎。監督・脚本は市川崑。セクシャルな男女のやり取りに一定の緊張感は感じられるものの、ストーリーは決して起伏がある方ではない。どちらかというと淡々と進む。これは原作の通りなのかもしれないし、あるいは市川監督が谷崎の純文学風なテイストを必要以上に意識した結果なのかもしれない。いずれにせよ、少し退屈するドラマだった。
また、所々にコメディ的な演出が入ってくるが、これも今ひとつである。例えば、剣持がテレビを見ながらこけるシーンはオフビートな笑いを狙ったものであろう。しかし、“間”が悪いせいでわざとらしく見えてしまう。また、指圧のシーンなどは、逆にあからさま過ぎて笑えない。本作は基本的には悲劇である。それを無視した笑いにどこか薄ら寒いものを感じてしまった。
とはいえ、物語自体はじっくりと読み込んでいけば中々歯ごたえがあると思う。
剣持夫婦のアブノーマルな性生活に翻弄される木村の葛藤はよく理解できる。彼は言わば観客の目線として存在しており、この背徳感は観客の“覗き見したい”というスケベ心に直結されている。途中から剣持の罠だと知りつつも木村は好奇心を抑えきれずその罠にはまっていく。彼の欲求はおそらく誰もが理解できるのではないだろうか。人間は一度快感を知ってしまうと、それがどんなに危険と分かっていて止められない習性を持っている。木村も正にそうだったのだろう。
オチも人を食っていて面白い。伏線の張り方はやや甘い感じがしたが、ドロドロした愛憎劇を一掃してくれるような、そんな爽快感が味わえた。
撮影監督宮川一夫のカメラも良い働きを見せている。市川監督は少し凝った画面構図を好んで持ち込む映像派作家だが、宮川一夫はその意を上手く汲み取りながら、それでいて余り過剰にならず絶妙な按配で安定したフレーミングを設計している。このあたりはベテランカメラマンならではの手練だろう。また、彩度の低い渋めのトーンも、全体を覆う隠微な雰囲気を上手く表現している。もしかしたら、これがあったから後の
「おとうと」(1960日)の“銀残し”が生まれたのではないか。そんな風に思えた。
キャストでは何と言っても、剣持を演じた中村鴈治郎のいやらしい演技が白眉である。片足が悪いという設定は不具者であることを更に惨めに見せているが、彼の腹黒さを考えるとそれすらも何だか郁子に対する当てつけのように見えてしまう。
郁子を演じた京マチ子は白い肌を見せ、これまた色っぽく演じていて◎
唯一、木村を演じた仲代達也はこの役柄に不似合いな印象を持った。とぼけた味を見せようとするのは、市川監督のオフビートな演出との相性で言えば合っていると言えるが、どうしても周囲から浮いてしまう。
いわゆる“ポカホンタス”。所々の映像は良いが‥。
「ニュー・ワールド」(2005米)
ジャンルロマンス・ジャンルアクション
(あらすじ) 1607年、イギリスの入植隊がアメリカ大陸に辿り着く。一向は海岸沿いにキャンプをはり、先住民からの攻撃に備えることにした。その一方で、勇猛果敢なスミス大尉が先住民との交渉役に任命される。スミスは早速部下を引き連れてジャングルの奥地へ入って行った。しかし、先住民の罠にかかり捕虜になってしまう。死刑にされそうになったところを王の娘ポカホンタスに救われ、二人は交流を深めていくようになる。
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(レビュー) アメリカ建国の神話を壮大なスケールで綴ったロマンス作品。
監督・脚本は寡作な作家で知られる巨匠T・マリック。二つの世界に分断された男女のロマンスを軸に、戦いを止められない人間の“業”を独特の詩的演出で見せていく。いかにもマリックらしい映像叙事詩になっている。
確かに美しい自然風景には魅了されるが、過去の作品と比べてしまうとどうだろう‥?イマジネーションの広げ方がドラマから遊離しすぎているような感じを受けた。この世のものとは思えぬほど神秘的な映像。そこに登場人物達のモノローグが被さるという、お馴染みのマリック演出だが、今回は悠然さに欠け、不要にイメージショットの横溢が目立つ。
同監督の作品では「天国の日々」(1978米)こそ至宝の一編と呼ぶに相応しい映像抒情詩だと個人的には思っている。現に彼は「天国の日々」を越える作品を撮れない所に、作家としての残酷な運命を背負っている人物で、こうして10年に1本のペースで新作を撮るたびに比較されてしまうのは、気の毒と言えば気の毒である。
とはいえ、新作を待ち望むファンは確実にいるわけで、その期待に応えて欲しい‥というのが本音である。
ドラマは引き裂かれる運命にある男女の悲恋をシンプルに紡いだものである。特段目新しさが無い分、安定したドラマと言えるが、正直な所今ひとつ力強さは感じられなかった。映像世界に目が奪われてしまうので、物語が画面に埋没してしまうのが原因だ。先述のように、今回は映像と物語が余り噛み合っていないため、単なるイメージ映像の垂れ流し‥という風に感じなくも無い。
また、物語の視座にも原因はあろう。前半はスミスの視座、後半はポカホンタスの視座でドラマが語られている。後半部分はポカホンタスのドラマばかりで、スミスのドラマがほとんどフォローされていない。離れ離れになってしまった彼のポカホンタスへの愛、つまり内的なフリクションがスルーされてしまっているため、悲恋のドラマチックさが生まれにくい。見ているこちらとしては、何となく”はぐらかされて”しまった‥そんな印象になってしまう。極めつけはラストにかけてのオチだろう。どうしても唐突に思えてしまった。
スミス役はC・ファレル。抑揚を押し殺した演技で深みを出そうとしているが、先に述べたように後半はほとんど登場する機会がないので、全体的に印象が薄くなってしまった。ポカホンタス役は新進のドイツ人女優ということである。先住民としてビジュアル面の造形は悪くはないが、演技のポテンシャンルについては中々計り知れない。たゆたうようなマリック演出の中では演技力云々と言うものはかき消されてしまう。