寡作な作家V・エリセの奇跡的な作品が見れるオムニバス映画。
「10ミニッツ・オールダー 人生のメビウス」(2002英独スペインオランダフィンランド中国)
ジャンルファンタジー・ジャンルサスペンス・ジャンルドキュメンタリー・ジャンルロマンス
(あらすじ) 世界各国の巨匠が描くオムにバス作品。
「結婚は10分で決める」出所したばかりの男がレストランの給仕にプロポーズする話。
「ライフライン」ナチ台頭下の山村家族の話。
「失われた一万年」南米ジャングルを取材したフェイク・ドキュメンタリー。
「女優のブレイクタイム」女優の休憩時間を綴った1シチュエーションドラマ。
「トローナからの12マイル」薬物の過剰摂取をした男の奔走激。
「ゴアVSブュシュ」米大統領選の舞台裏を描いたドキュメンタリー。
「無幻百花」何も無い土地から引っ越しをする男の話。
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(レビュー) 10分という時間的制約の中で、名だたる巨匠達が様々なテーマを自由に綴ったオムニバス作品。
夫々の個性が発揮されていて面白く見れたが、中でもV・エリセの「ライフライン」は出色の出来である。モノクロ映像に戦争の悲劇を淡々と綴った作品で、一つ一つショットの完成度の高さは他を圧倒している。映像は主に二つのシーンで構成されている。一つは家族の平穏な暮らしを映す日常風景、もう一つは寝ている赤ん坊の下腹部が徐々に鮮血に染まっていく光景。日常と非日常の対比が後に起こる悲劇的戦争を鮮烈に印象付け、たった10分間の作品ながらかなりショッキングな寓話になっている。
他の作品も小粒ながら中々の佳作揃いである。
第1話のA・カウリスマキの作品は、いかにも彼らしい無表情、無機的ショットの連続で連ねたロマンチックな小品である。
第3話はV・ヘルツォ-クの作品。これも彼らしい“自然対文明”というテーマが力強く発せられていた。
第4話はJ・ジャームッシュの作品。元々短編を得意とする監督だけに、設定選びからして優れている。テーマ選びも適確で、いかにもジャームッシュらしいオフビートな味わいが感じられる。
第5話はW・ヴェンダースの作品。出だしはロードムービーだが、実はブラックコメディだった‥という意外なオチが面白い。本作で一番演出の切れが感じられた。
第6話のS・リーの作品は、大統領選挙の得票集計の舞台裏を描いたドキュメンタリー作品である。リーらしい告発も感じられ、報道に負けた選挙だった事を改めて知らしめてくれる。
第7話はアジアで唯一の参加、C・カイコーの作品である。幻想奇談という捻りを入れているが、近代化の波に飲まれていく古きものへの郷愁がコミカルに筆致されており、最後を締めくくるという意味では後味も良い。
豪華な顔ぶれが揃うオムニバス作品。
「10ミニッツ・オールダー イデアの森」(2002英独スペインオランダフィンランド中国)
ジャンルファンタジー・ジャンルSF・ジャンルドキュメンタリー・ジャンルロマンス
(あらすじ) 世界各国の巨匠が集ったオムにバス作品。
「水の寓話」不法入国者が仙人と出会う話。
「時代×4」4つの異なるエピソードを交錯させた物語。
「老優の一瞬」今際の老人の走馬灯を描く話。
「10分後」結婚記念日を迎えた夫婦の悲劇を描いたエピソード。
「ジャン=リュック・ナンシーとの対話」著名な社会学者との対話を描いたドキュメンタリー。
「啓示された者」ある一家のキャンプ風景を蝿の目線で描いた話。
「星に魅せられて」宇宙飛行士の数奇な運命を描いたエピソード。
「時間の闇の中で」時間の概念を問うたコラージュ作品。
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(レビュー) 10分という時間的制約の中で、名だたる巨匠達が様々なテーマを自由に綴ったオムニバス作品。作り手側の独創的な感性が存分に出たオムニバス作品で、夫々に興味深く見る事が出来た。但し、ストーリー性を重視するよりも、映像や構成に凝った作品が多く、見る人の感性が試されるようなところがある。そこにフィットすれば面白く見れるだろうし、そうじゃないと見ていて少々辛い作品かもしれない。
実験作という意味で言えば、M・フィギスが監督した「時代×4」の4画面分割の作品が斬新である。一人の男が4つの画面で起こるドラマの中を巡るという奇抜なスタイルで、音と映像が氾濫するため今ひとつ何を言いたいのかよく分からない部分もあるが、このアイディアとセンスは買いたい。
「老優の一瞬」もアバンギャルドな作品で興味深い。実際の老俳優のこれまで半生を、彼が演じてたキャラクターを使って様々にコラージュしている。正に走馬灯とはこういうものなのかもしれない‥。そんな不思議な感覚に捉われた。
「時間の闇の中で」はJ・L・ゴダールの作品。近年彼が得意とするパッチワーク的な作品で、哲学的なメッセージを含んでいるが、何せ10分という短い時間では語りつくせぬものが多すぎる。そのため、やや中途半端な作品になってしまった。
逆にドラマ性があったのはM・ラドフォード監督が撮った「星に魅せられて」という作品である。SFとしてはよくある話なのだが、起承転結がしっかりと織り込まれていて他の作品に比べるとかなり取っ付きやすい。
B・ベルトリッチが監督した「水の寓話」もドラマチックな展開を見せる。訓話として洒脱が効いているし、何よりたった10分という短い時間の中に20年という大河を描こうとした逆転の発想が素晴らしい。
他に、アイディアとして面白かったのは「啓示された者」である。延々と空中を跳ぶ蝿目線のPOVカメラによって綴られた作品で、何とも奇妙な味わいをもたらす。しかも、蝿のモノローグがやたらと哲学者気取りな所がやけに可笑しい。名前(オチ)も洒落ている。
終盤の勝新の圧倒的な演技‥これに尽きる。
「いのちぼうにふろう」(1971日)
ジャンルアクション
(あらすじ) 川に浮かぶ離れ小島に飲み屋「安楽亭」があった。実は、そこは密貿易の隠れ蓑になっていた。ヤクザの定七と仲間達が用心棒として居座っており、八丁堀の同心岡島も中々手が出せずにいた。ある日、灘屋の小平が定七に仕事を持ちかけてくる。彼には以前煮え湯を飲まされたことがあり、定七は二の足を踏んだ。そこに岡島が単身乗り込んできた。とっさの判断で定七は彼を殺してしまう。こうしていよいよ定七達は追い込まれていくようになる。一方、安楽亭で働く富次郎が店の金を持ち逃げしようとした。そこには彼なりの複雑な事情があり‥。
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(レビュー) ヤクザたちの命がけの戦いを緊迫感溢れるタッチで描いた時代劇。
勝手気ままに生きてきたヤクザ達が、生まれて初めて他人のために命を張って戦う。「いのちぼうにほうろう」というタイトルが示すとおり刹那的な結末を迎えるが、漂う戦う男のダンディズム、アウトローとしての哀愁には痺れさせられる。
定七達はこれまで一体何人殺してきたのだろうか?明確には分からないが、安楽亭の裏に立つ地蔵から、少なくとも片手では足りないくらいの人数だと思う。今回の一件は因果応報、悪運もついに尽きたか‥という感じで見れるが、しかしそんな彼らがかすかに芽生えさせるこの良心は一体どこから来るものなのだろうか?絶望の淵に立たされた事で生まれる最後の悪足掻き?あるいは、これまで辿ってきた修羅の人生を省みて罪滅ぼしをしたくなったのか?ヤクザ者が辿る宿命と言えば格好は良いが、彼らは皆惨めにくたばっていく。傍から見れば間抜けという気さえしてしまう。しかし、ありのままの自分を曝け出しながら“やり遂げた感”を持って死んでいく、その姿にはどこか愛しさを感じるし、アメリカン・ニューシネマのような何とも言えぬケレンミも感じられる。
原作は山本周五郎の「深川安楽亭」である。どこまで脚色されているのだろうか?山本周五郎と言えば、最近では黒澤明の遺稿を元にした「雨あがる」(1999日)という作品が思い出される。終末の美学とも言うべき、武士の最期が熱く静かに描かれていた。本作は武士とはまるっきり反対のヤクザの物語である。しかし、男の生き様を熱く語っている所は「雨あがる」と共通している。テーマはここでも<男のプライド>という感じがした。
監督は巨匠小林正樹。全体を覆うシャープなモノクロ映像は、この人の最も特筆すべき映像的特徴だろう。特に、奥行きと巧みな陰影で紡いた屋内のカメラワークは秀逸である。この緊張感は、以前紹介した彼の作品
「上意討ち 拝領妻始末」(1967日)にも見られるものだった。
また、武満徹の音楽も不穏な旋律で画面を大いに盛り立てている。
一方、アクションシーンは、リアリズムに徹した日常芝居と比較すると、やや浮いたものに写ってしまった。冒頭の橋の上での格闘、後半の密輸シーン、クライマックスのチャンバラ等。いずれも劇画とまではいかないが、全体を貫く緊迫感とは明らかに異なるトーンで演出されており、そこに作品としてのバランスの悪さを感じた。
キャストは文句ない。安楽亭の面々はサブキャラも含め皆個性的である。定七は何事にも関心を寄せないクールな男で、“知らぬの定七”と仇名されている。これを仲代達也が熱演している。彼の相棒役を務めた佐藤慶も良い。持ち前の悪人面が異様な雰囲気を醸している。物語のキーマン山本圭の好青年ぶりも敵役に思えた。他に、お調子者やオカマ、病持ち、お笑いといった面々が周囲に揃う。
そして、何と言っても忘れてならないのは、安楽亭に出入りする勝新太郎だろう。この存在を抜きにして本作は語れまい。彼は劇中ではほとんど酩酊しているのだが、後半、山本圭との絡みで見せる演技で一気に映画を飲み込むような好演を見せる。
彼はドラマが進行しても一向に素性は不明で、このシーンでそれが一気に解明される。彼がいかにして今の堕落した生活に落ちぶれてしまったのか?何故酒に溺れてしまったのか?それがまるで酔っ払いの愚痴のように淡々と告白されるのだ。定七達の戦いというメインのドラマとの直接的な絡みはないのだが、彼もまた定七と同様に、誰かのために自分の人生をかけたいと思った“熱き男”だったのだろう。その思いが、この場面の勝新の語りからひしひしと伝わってきた。
笑いとペーソスで綴る娯楽時代劇!
「斬る」(1968日)
ジャンルアクション
(あらすじ) 天保4年、荒れ果てた小村に二人の浪人が腹をすかせてやって来た。一人はヤクザの源太、もう一人は農民出の半次郎。そこに小此木藩の青年武士・笈川がやって来る。彼は仲間の青年武士たちと暴君の城代を暗殺し、正義を成し遂げたと慢心していた。しかし、全ては藩を我が物にしようとする次席家老・鮎沢の策略だった。鮎沢は青年武士たちの行為を私闘とし、討伐隊を差し向ける。その場に居合わせていた源太と半次郎も、この争いに巻き込まれてしまう。
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この映画には「斬る」というセリフが度々登場してくるが、実際には中々「斬る」ことはない。しかし、最後には「斬る」となる。こういうトンチの効いた作り方は大変面白い。この言葉遊びからも分かるとおり、本作はハードな時代活劇であるが、根底には喜劇色が流れている。
監督・脚本は名匠・岡本喜八。彼らしい明快で痛快な作風は、冒頭のシーンからすでに主張されている。この場面では一羽の鶏を巡って源太、半次郎、笈川が出会うのだが、夫々のキャラを手際よく紹介しながら実にユーモラスに味付されている。ドラマの“引き”としては申し分なく、このあたりの巧みな演出には唸らされる。そして、笈川が持っていた握り飯で鶏の一件を水に流してしまう3人の単純さ、あっけらかんさ。夫々のキャラに対する愛着が自然と湧いてしまう。
本作のキャラは悪役を除けば、基本的には大らかな人物が多い。本来どっしりと構えて貫禄を見せるべき立場にあるご家老でさえ、女郎屋から一生出たくない‥などと駄々をこねる始末で、いたって能天気である。これだけ“ウカツ”な連中が騒動を繰り広げるわけであるから、ハードなドラマもどこかユーモラスなものに見れてしまう。
岡本喜八らしいハイ・テンションなアクションもクライマックスに用意されていて、そこも見応えが感じられた。他にも随所に笑える“事件”が用意されていて、これらもかなりテンションが高い。日常のちょっとした騒動といった類のものが多く、特に半次郎が柱を引き抜こうとするシーンは馬鹿馬鹿しくて笑えた。こうしたナンセンスなギャグは、見る人の感性に拠るところが大きいと思うが、個人的には爆笑物である。また、ナンセンスという事で言えば、"土の匂いがする女″というアイディアを持ってきたところにも妙味を感じた。
このように基本的に能天気キャラが揃うのだが、中には異質なシリアス・キャラも登場してくる。それはただ一人ニヒルを貫き通す、岸田森扮する組長である。彼は愛する女房を救うために争いの先陣に立っていくのだが、他と一線を引いたダンディーなキャラである。また、源太を見逃すウカツな一面もあるのだが、このウカツさでさえ他の連中と異なり哀愁に満ち溢れている。そもそも彼は道義を重んじる男である。それがこの"ウカツさ″に繋がっているのだ。今作では異彩を放つキャラクターで印象に残った。
物語で少し惜しいと思ったのは、中盤の砦の山のシーンだろうか‥。いわゆる篭城モノならではの緊迫感、危機感といったサスペンスが余り実感として湧いてこなかった。その理由は、砦の中のキャラが整理できていないからである。窮地から脱する方法を巡って内部分裂が起こっても今ひとつ盛り上がりきらなかった。
卓越した映像センスに酔いしれる。
「倫敦(ロンドン)から来た男」(2007ハンガリー独仏)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) 鉄道会社で夜勤をしているマロワンは、仕事中に殺人事件を目撃する。殺された男は海に落とされ、マロワンは現場から大量の札が入ったスーツケースを拾った。彼はそれを隠していつもの日常生活に戻る。翌日、彼の近辺に殺した男が現れる。
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(レビュー) 生きる希望もなく漫然と暮らす孤独な中年男が、たまたま目撃してしまった殺人事件によって運命を狂わさていくサスペンス作品。
監督はハンガリーの鬼才タル・ベーラ。
映画の冒頭から10分以上の長回しが登場する。マロワンが勤務する港湾で殺人事件が起こる場面を流麗なクレーン撮影でリアルタイムで切り取っていくのだが、これには圧倒されてしまった。スポットライトが殺人の凶行をどす黒い闇にうっすらと浮かび上がらせていく。白と黒のせめぎあい、光と影のコントラストが織りなす映像は、何となくドイツ表現主義的な独特のトーンをも連想させる。
そして、この冒頭の光と闇は日中のシーンでは反転する。マロワンが夜勤の仕事を終えて帰宅すると、今度は眩いばかりの白が画面を席巻する。白眉は彼が自宅のベッドに入るまでを捉えた1シーン1カットだろう。露出を解放することで、窓から差し込む陽光が寝室を真っ白な世界に変えてしまう。幻想的といっても言い。映画は光と影によって作り出される産物である。そのことをタル・ベーラは知り尽くしているのだろう。こうした研ぎ澄まされた数々の映像は本作の最大の魅力と言っていいだろう。
今作は基本的に1シーン1カットで構成されている。必然的に決め打ちのショットが続き、それら一つ一つが強固に安定したフレーミングによって切り取られている。
その一方で、俳優の表情を克明に捉えたクローズアップも度々登場してくる。例えば、マロワンの妻を演じたT・スゥイントの唇を震わすほどの熱演、ブラウン婦人のあふれ出す涙等。カメラは彼女たちの主観に寄り添いながら、その感情を丁寧に掬い上げている。これも見応えがあった。
全体的に映像についてはほとんど文句なくパーフェクトである。
一方、物語はと言うとこちらはヴァイブレーションに乏しくやや中途半端という気がした。訓話という捉え方が出来れば皮肉が利いていてそれなりに面白く見れるが、そうでなければ事件のからくり自体はそう大して複雑ではないので退屈してしまう。サスペンス要素を求めてしまうと肩透かしを食らうだろう。
いずれにせよ、映像だけでもかなり見応えのある作品であることは間違いない。
独特の映像に魅了される麻薬のような映画。
「闇のバイブル/聖少女の詩」(1969チェコスロバキア)
ジャンルファンタジー・ジャンルエロティック
(あらすじ) 13歳の少女ヴァレリエは両親がいなく、厳格な祖母に育てられた。ある日、彼女は村にやって来た旅一座に不気味な怪物を見る。それ以来、奇妙な悪夢にうなされる。農夫が公然とセックスをし、少女達は森の中で川遊びをし、少年は磔にされ戒めを受けた。ヴァレリエは不思議な光景を次々と目撃しながら迷宮の世界を彷徨っていく。
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(レビュー) 初潮を迎えたばかりの少女が、不思議な現象に遭遇しながら、自らの呪われた運命と対峙していくミステリアスな怪作。幻のロリータ映画として一部に熱狂的なファンを持つことでも知られる作品だ。
物語は判然とせず、筋を追っていくと余り面白くない。一応、ヴァレリエが見る悪夢という解釈が出来るが、場面に整合性がなかったり、キャラクターの生死が不明瞭だったり、かなり曖昧な内容になっている。
また、吸血鬼の設定をベースに敷いていることは明白だが、これがヴァレリエにとって何を意味するものなのか。今ひとつ分からない。怪しい宣教師が村を牛耳っていくことと関連付ければ、吸血鬼は神的なもの、権力的なもののアイコンとして存在しているのかもしれない。あるいは、思春期のヴァレリエに不安と恐怖を与えんとする父権の象徴なのか?はたまた、彼女に永遠の処女性を強要する周囲の大人達の傲慢さなのか?色々と想像できる。
こうした様々な点で分かりにくい作品である。しかし、逆に言うとその解釈を巡っては如何様にも想像を働かせることが出来、見る人によって作品の魅力は無限大に広がっていくことにもなろう。近いテイストとして挙げられるのが、寺山修司の幻想的な作品やL・マル版アリスと言える
「ブラック・ム-ン」(1975仏西独)あたりだろうか。見る人によって評価が真っ二つに分かれるような作品だ。
映像も不思議な味わいを醸す。作り手の美的感性が忠実に再現された耽美タッチ、日本のワビサビにも似た儚さや透明感が特徴的だ。
そして、画面の作りこみに最も寄与しているのは、東欧独特のロケーションの素晴らしさである。優しい光が差し込む田園風景、伝統的な石畳、これらはこの物語をまるでファンタジーのように見せている。
一方でヴァレリが見る悪夢シーン、あるいは屋敷の地下室で繰り広げられる行為にはダークな色調が占有し薄気味悪さが前面に出てくるようになる。美観とのコントラストは実に刺激的であり、この禍々しさにも魅了される。
また、見所の一つとしてエロティックなシーンも挙げられよう。下世話というよりも上品に撮られており、余りいやらしさを感じさせない。少女の半熟なセックスアピールが周囲の大人、そして自らをも翻弄していくというのはナポコフの「ロリータ」にも共通するものであるが、こちらは近親相姦的な禁忌さも相まって、かなり倒錯した世界に傾倒している。
キャストでは何と言っても、ヴァレリエ役の少女の繊細さと小悪魔性をしのばせた造形に魅了された。映画出演は本作のみということで勿体無い。
監督のヤロミール・イレシュはチェコ・ヌーヴェルヴァーグの作家として知られる才人である。この長編処女作の他に数本撮っているが、残念ながら日本でDVD化されているのは本作のみである。類まれなセンスを感じさせる映像作家なので他の作品もぜひ見てみたいのだが‥。
フィンチャー作品では「ゲーム」と並ぶような映画で面白い。
「ファイト・クラブ」(1999米)
ジャンルサスペンス・ジャンルアクション
(あらすじ) 自動車会社でリコールの査定をしているジャックは、不眠症に悩まされていた。それがひょんな事から参加した睾丸癌患者のセラピーのおかげで眠れるようになった。以来、ジャックは様々な集会に通って安眠できるようになった。ところが、行く先々でマーラという女性に出会い、彼の心は乱され再び眠れぬ夜が続くことになる。そんなある日、ジャックは出張先でタイラーというセールスマンに出会った。外見も性格も自分とは全く正反対の彼に、ジャックは何故か惹きつけられた。その後、出張から帰宅すると運悪く彼の部屋は火事になっていた。仕方なくジャックはタイラーの家に転がり込むことになる。
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(レビュー) 真面目な仕事一筋人間が、謎の男に出会う事で内なる暴力性に火を灯していくバイオレンス映画。
監督は鬼才D・フィンチャー。MTV的な映像作家の先駆けとも言える世代の一人であるが、クールでコマーシャリズムな映像には、やはり一歩抜きん出たこの人ならではの感性が見られる。
例えば、ジャックの部屋の家具をテロップで紹介したり、一瞬だけドラマと全く関係ない映像を入れる事でサブリミナル効果を狙ったり、画面をわざとぶらす事で幻惑効果を狙ったり、各所で実験的な映像が施されている。まるでこの世はウソで塗り固められた虚構に過ぎない事を、見る側に啓蒙するかのようだ。尚、ラスト近くにはペニスのカットが一瞬だけ入るのだが、ブルーレイ版では無修正ということである(今回はDVD版だったため未確認)。この一瞬の悪戯にも、現実が非現実に侵食されるという、映像派作家ならではの遊び心が感じられる。
ただし、無論こうした凝った映像はドラマからリアリティーを取り除くことになりかねない。結果的に、本作=<ファンタジー>であることを強く印象付けてしまうことになってしまった。
そのライフスタイルからして、いかにも無機質、滅菌的な生き方をしているジャックだが、彼は自分とは正反対のタフでワイルドなタイラーに惹かれていく。これは肉食系男子に憧れるマッチョ願望として、ある程度の説得力を持っているが、一方でリアリティーを排した各所の映像演出。そして、この物語全体がジャック自身のモノローグで綴られていることを考えれば、ある種のファンタジーに、もっと言えば何でもありな“俺様主人公的なアドベチャー・ゲーム”、リアルな社会とは程遠い自家中毒的な妄想の産物のように見せてしまっている。
したがって、劇中でタイラーがいくら消費社会を批判したとしても、また感覚麻痺に陥った現代人が肉体を破壊することで初めて“生”を実感できるという地下組織ファイト・クラブのコンセプトにしても、さも現代社会を皮肉っているように見せているが、実のところそれほど重みは感じられない。メッセージが弱いのだ。問題を提示する方法としては、フィンチャーの演出は間違っていると言わざるをえないだろう。
もっとも、こうしたメッセージ性をそこまで噛み締めたくないライト・ユーザーにとっては、ポップで軽快な語り口に終始楽しめることと思う。
ただ、一点だけ苦言を呈するなら、ファイト・クラブが組織的に大きく様変わりしていく中盤の描写はもう少し丁寧に描いて欲しかった。なぜなら、ここはジャックが初めてタイラーに不信感を抱くドラマの転換点でありキーとなる部分だからである。ここをちゃんと見せておかないと、以後の展開に説得力が出てこなくなってしまう。
それ以外は、実に計算の行き届いた演出が施されていて感心させられる。ラストに結びつくヒントが各所に配されており、改めて本作を見返してみると実に周到に作られていることが分かる。ミステリー映画としてはかなり完成度が高いのではないだろうか。
先日見た
「ソーシャル・ネットワーク」(2010米)でもそうだったが、見返すたびに新しい発見に魅了されるというのは、それだけ緻密に計算されていることの証しだ。観客の視的快感を誘導する映像演出家と言えるフィンチャーだが、実はかなりの理論派なのではないか‥。そんなことを本作と「ソーシャル・ネットワーク」から確認出来る。
キャストではタイラーを演じたB・ピットの妙演が光る。いわゆる不良なイケメンという、彼の俳優としてのチャームを弁えた上での役作りであり、生き生きと演じているところが良い。ヒロインを演じたH・ボナム=カーターは登場シーンこそ鮮烈に写ったが、以降は同じ演技が続きやや物足りなく感じた。むさくるしい男だらけの世界に咲く“紅一点”として、もう少しメリハリを利かせてヒロインとしての存在感を出して欲しかった。
エロとバイオレンスが盛り込まれたポップなノリのB級作品。
「テラービジョン」(1986米)
ジャンルSF・ジャンルホラー・ジャンルコメディ
(あらすじ) 宇宙からの怪電波をキャッチした一家にモンスターが襲い掛かる。モンスターはテレビ画面を通して現れて次々と家族を襲っていく。
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(レビュー) カジュアルなノリのB級SFパニック・コメディ。
見終わった後に「‥で?」というツッコミを入れたくなること必至な作品である。しかしこのスカスカな内容、登場キャラが漏れなく馬鹿ウィルスに感染しているあたり、いかにもB級然とした不思議な味わいが感じられる。
登場してくるのはミリタリーヲタクな祖父と孫、セックスマニアな両親、ヘビメタ好きな娘とその彼氏などである。
見せ場は宇宙からやって来たモンスターが彼らを襲撃するシーンとなる。このモンスターはテレビ画面を通じて現れ一人ずつバリバリと頭からかじっていく。その様は残酷というよりも余りにも馬鹿馬鹿しい描写で逆に笑えてしまう。スプラッタ・シーンは観客の嫌悪感を考慮して血の色を緑に変えており、これによって随分とドギツさが抑えられている。モンスターの下品な造形も中々面白かった。
ただ、こうした見せ場以外となると、正直なところ退屈してしまう。特に、両親のスワッピングを延々と引っ張る中盤が退屈した。
パロディネタが色々と見れたのは面白かった。「E.T.」(1982米)をセリフとして表明しているあたりの厚顔さには爆笑したが、他にも「グレムリン」(1984米)、「ポルターガイスト」(1982米)等、この頃にヒットしたスピルバーグ作品のオマージュがあちこちに登場してくる。要するに、作り手側も色々と面白そうなモノを詰め込んでみました‥という感じで作っているのであろう。
また、本作のエッセンスにはクローネンバーグの「ビデオドローム」(1982カナダ)的な発想があることも付記しておきたい。更には、SFホラーという観点から言えば「遊星からの物体X」(1982米)との近似性も認めらる。
後になって知ったが、本作のスタッフは、かの藤岡弘主演のアクション映画
「SFソードキル」(1984米)や、何故か今頃になって「つまらない!」という理由から火が点いてドキュメンタリー映画まで作られてしまった「トロル2/悪魔の森」(1995伊)の元々のオリジナル作品「トロル」(1986米)、日本のロボットアニメからインスパイアされて作った「ロボ・ジョックス」(1990米)等、数々の怪作・珍作を世に送り出した人たちだった。そう考えると、今作の怪しさ満点な作りもなるほど‥と思えてしまう。
そう言えば、テレビに映る映画も古いB級映画ばかりで、この辺りにも作り手側の趣味が伺える。R・ハリーハウゼンのコマ撮りでも有名な「世紀の謎 空飛ぶ円盤地球を襲撃す」(1956米)が出てくる。おそらくスタッフが目指したのはこのチープさなのだろう。至極納得‥。
お金はともかく貴重な時間を返して欲しい。
「ソドムの市」(2004日)
ジャンルホラー・ジャンルコメディ・ジャンルSF
(あらすじ) 18世紀、ある国の王妃が暗殺される。犯人の罪を着せられた二人の侍女が、王の市兵衛に呪いの言葉を吐き捨てながら死んでいった。それから300年後、市兵衛の子孫、市郎は殺人を犯しながら大人に成長した。晴れて結婚することになるが、その祝宴で悲劇が起こる。たった一人の家族である妹が、嫉妬に駆られて花嫁を殺してしまったのだ。実は、それは300年前の侍女の呪いだった。
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(レビュー) 300年前の怨念によって運命を狂わされていく青年、市郎の戦いを描いたホラー・コメディ。
低予算のデジタル撮影という条件下で製作された「ホラー番長」シリーズの1本である。監督・脚本は「リング」(1998日)や「血を吸う宇宙」(2001日)等の脚本を手がけた高橋洋。
基本的に緩いコメディであり、決してガチなホラー作品ではない。予めそれを知っていれば、その程度‥と割り切れたかもしれない。しかし、タイトルがタイトルだけに釈然としない思いも残った。パゾリーニの「ソドムの市」(1975伊)の“本気度”を知る者としては、この映画の緩さが何だか片手間に作られているような感がしてならなかった。
映像にしろ演技にしろ、この映画はどこからどう見てもチープに作られている。プロの仕事とは到底思えない。先述の通り、予算や人材の問題がネックになっていることは分かる。しかし、いくら限られた環境でもアイディアと工夫次第では面白い映画は作れるものである。‥ということは、このスタッフは敢えて確信犯的に低レベルの物を作って見せているのだろうか?テレビに流れるコントだと思えばコレくらいで丁度いいのかもしれないが、お金を払って見る程のエンタテインメントがこの作品の中には見つからなかった。
それでもまぁ、見所となるのはクライマックスのアクション・シーンとなろう。かなり派手に作られている。おそらく普通に考えたら、このスタッフはこのレベルくらいのものは撮れるのだと思う。だからこそ、その熱意を作品全体にぶつけて欲しかった。
ドラマも退屈する。オカルト、SF、ミュージカル、カンフー、西部劇、様々なジャンルのごった煮映画で、このカオス感は決して嫌いではないが、「血を吸う宇宙」の二番煎じと考えると新味も薄れる。そして、最も肝心となるギャグ。これが余り笑えなかった。
アメリカでは放映出来なかった衝撃作!
「インプリント~ぼっけぇ、きょうてえ~」(2005米)
ジャンルホラー
(あらすじ) 川の中島に建つ遊郭に一人のアメリカ人がやって来た。彼はかつて愛した小桃を探すうちに顔の醜い一人の遊女と出会う。彼女から小桃にまつわる恐るべき事実を聞かされる。
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(レビュー) アメリカのケーブルテレビ局が企画製作したオムニバス・ホラー・シリーズの1編。世界各国のホラー監督達が一堂の集結したプロジェクトで、日本からは三池崇史が参加して本作を撮った。しかしながら、過激な描写のせいでアメリカでは放映を断念したそうである。内容を見ればそれも納得という感じがした。確かに堕胎などは宗教的に問題があり、向こうで放映するには不適切な感じがした。
60分強程度の短編なので内容は実にシンプルである。物語は主人公のアメリカ人が不気味な遊女から小桃の過去を聞かされる‥という構成になっている。
その話の中で繰り広げられる惨劇は、ドラマの凡庸さを補って余りあるほどの過激な内容でかなり見応えがあった。決して怖いというわけではないが、心臓に余り良くない。三池監督は過激なビジュアルにこだわりを持つ作家なので、ここで見られる肉体嗜虐や、生命に対する酷薄な行為は、さもありなんという感じがする。人間の残酷さという、ある意味でホラー映画における肝となる部分もストレートに発せられており、それはもう直視するのをためらうほどだった。
キャストでは、遊女役を演じた工藤夕貴の熱演が印象に残った。顔の半分に特殊メイクを施し、クライマックスではおぞましい変態を見せる。物語の舞台は古い日本の小村だが、アメリカ製作ということもありセリフは全編英語である。工藤はハリウッドでも活動しているので英語は中々流暢である。
尚、本作には原作があり、タイトルの“ぼっけぇ、きょうてえ(とても怖い)”という言葉は岡山の方言だそうである。奇妙な響きで惹き付けられる。アメリカ資本で製作された作品だが、こうした題材選びを含め、今作は実質的には日本人のスタッフによって作られた作品である。
ただ、こうした日本の地方に伝わる風俗はアメリカ人には中々理解し難いものがあるだろう。それを知ってか、脚本の天願大介はアメリカ人が見ても分かるように、地方風俗を作品世界からごっそり取り除いてしまっている。彼らが日本に対して抱くイメージ、侍、芸者といったアイコンを明快に差し出す事で、物語に入り込みやすくしている。しかしながら、これによって作品世界がステロタイプにしてしまったことは否めない。閉塞的な地方の因習体質という、この物語が本来持っていたであろう怪しさが無くなってしまったのは、日本人としては少し物足りなく感じた。
ただ、シンプルなストーリーの中に二転三転するプロットが無理なく詰め込まれていた点は評価できると思う。最後まで飽きなく見れた。彼は
「十三人の刺客」(2010日)の脚本も書いているが、三池監督との相性は合っているように思う。三池監督は時々悪乗りをして突っ走ってしまうところがあるが、それを彼のシナリオが抑制している。