ジョージ・W・ブッシュの半生を描いた伝記ドラマ
「ブッシュ」(2008米)
ジャンル人間ドラマ・ジャンル社会派
(あらすじ) 1966年、ジョージ・W・ブッシュは名門エール大学に在籍していた。父は下院議員をしており、そんな父に反抗するかのようにブッシュは喧嘩と女遊びに明け暮れる。やがて、仕事を転々としながら念願のハーバード大学に入学する。しかし、そこでも放蕩生活をやめられず、父ブッシュの期待は次男ジェブの方に向けられていく。1977年、ブッシュは突然政界入りを目指す。翌年のテキサス州下院議員選に出馬し惜敗を喫したが、妻の助言もあり再選に挑んだ。その後、父ブッシュが大統領選に出馬することになり彼の運命は大きく変化していく。
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(レビュー) アメリカ大統領ジョージ・W・ブッシュの半生を描いた伝記映画。
大量破壊兵器を理由に始めたイラク戦争は、彼の政治家としての最大の汚点なのだと思う。多数の死者を出しながら大量破壊兵器は見つからず、フセイン逮捕でお茶を濁したが、未だにテロの驚異は無くなっていない。何故ジョージ・W・ブッシュことWは戦争を始めてしまったのか?そして、何故過ちを認めることができなかったのか?それがこの映画の後半部分で語られているいる。かなり説得力をもった描かれ方をしていて、フィクションという次元で片づけられないような一定のリアリティが感じられた。
一方で、映画前半ではWが大統領になるまでの波乱万丈の立志が描かれている。青年期の彼は政治家の父の七光りのお零れにあずかる不肖の息子だった。酒や女遊びに明け暮れ自堕落な生活を送っている。そんな彼がやがて国を背負う大統領の座に就いてしまうわけであるから、アメリカという国は本当に悲劇的な国である。元々政治的信念を持っておらず、ただ父に対する反抗心だけが彼を政界の道へ歩ませた。国の指導者という役割を背負わせたことは果たして正しい選択だったのかどうか?おそらくこの映画を見た多くの人は疑問を抱くだろう。映画は終始、反Wの姿勢を貫いている。
監督は何かと物議を醸す作品でお馴染みのO・ストーン。彼はこれまでに「JFK」(1991米)「ニクソン」(1995米)といった過去の歴代大統領の素顔に迫る社会派的な作品を撮ってきた。その流れから言って、今回の企画に意欲を持って臨んだことは想像に難くない。この反Wという姿勢は彼の作家としての告発なのだろう。
そして、ストーン監督はWを父の影から逃れられなかったコンプレックスの塊のように描き、徹底して卑小な男として造形している。政治を舞台にした社会派作品であるが、Wの苦悩に父子の確執を落とし込んだところに人間ドラマ的な厚みも感じられ歯ごたえのある鑑賞観も得られた。
ところで、ここまでWをバカの能無しみたいに描くとは、この映画大したものである。何しろ本作が製作された時には、まだWは現職の大統領だった。言論の自由を規制する風潮がある中で、こうしたダイレクトな作品を作り上げたスタッフの勇気には拍手を送りたい。
Wを演じたJ・ブローリンのなりきり演技も見事だった。チェイニー副大統領、ライス補佐官等、他のキャストも微妙に本人に似ていて面白い。チェイニーが石油獲得を目論んだ作戦戦略を述べるシーンは、外見が似ているせいで妙にリアリティが感じられた。そして、イラクに大量破壊兵器が無かった事が分かって落ち込む一同の姿のなんと無様なことか‥。なんだかソックリさん大集合の政治ショーを見せられているようで笑えてしまう。
ただ、例の大統領選における票集計の不審な点、同時多発テロ事件に関する謎といった辺りには一切触れられておらず、本作でWの全てが語られているわけではない。また、下院議員から大統領になるまでの経緯も省略されてしまっており、彼の政治家としての働きぶりが完全に削ぎ落とされているところに、Wのマイナス面しか描いていないではないか‥という批判を浴びせられる可能性もあるだろう。どうしても反Wという側面だけが突出してしまうため、賛否が出てきそうな作りになってしまっている。
「ミルク」と合わせて見るといいかもしれない。
「ハーヴェイ・ミルク」(1984米)
ジャンルドキュメンタリー・ジャンル社会派
(あらすじ) 自らゲイである事を公言しサンフランシスコの市政執行委員になった実在の活動家、ハーヴェィ・ミルクの素顔に迫ったドキュメンタリー映画。
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(レビュー) S・ペン主演の
「ミルク」(2008米)を先に見ていたので、ある程度人物像を知った上での鑑賞である。
正直な所、「ミルク」は彼の政治活動に主眼を置いた作りになっていたので、見終わっても今一つ物足りない作品だった。それに比べたら本作には”伝記物”としての面白さがある。「ミルク」に足らなかった私的な側面が多分に入っていて人間ドラマ的な趣が感じられる。
例えば、彼の生い立ちや暗殺後の世間の反応といった辺りは興味深く見ることができた。ミルクがどういう生い立ちを辿り、最終的にどういう死に方をしたのか?彼の生き様が克明に描かれており、「ミルク」では得られなかった感動を味わえた。
また、周囲のインタビューを紹介しながら、彼の人となりを立体的に浮かび上がらせたところも中々手堅いと思った。ミルクの人物像がより鮮明に理解できた。
ただ、欲を言えば賛否両方の意見を聞いてみたかった気がする。どうしても賞賛の声が大きくなってしまっている。この手のキュメンタリーではよくあることだが、これは仕方がないことか‥。まさか同性愛者の人権運動に大きく貢献したヒーローである彼を、悪くは描けまい。
作りはいたってシンプルだが、冒頭とクライマックスを繋げるドラマチックな構成はよく考えられていると思った。特に、クライマックスとなる4万5千人のデモは圧巻である。「ミルク」のラストでも印象的に描かれていたが、正にあれと同じ光景がここでも見られる。
それにしても、実際のハーヴェイ・ミルクはJ・バルデムによく似ている。S・ペンではなく彼が「ミルク」の主演だったら‥と思ってしまうくらいよく似ていた。
詰めが甘い感じがした。キャストは◎。
「トレーニング デイ」(2001米)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) 新米刑事ジェイクは、麻薬捜査課のベテラン刑事アロンゾとコンビを組むことになる。出勤初日、ジェイクはアロンゾの捜査を見て驚く。彼はせっかく捕まえたヤクの売人を釈放すると、没収したマリファナをジェイクに吸えと命じてきたのだ。強制的にそれを吸わされたジェイクは朦朧とした意識でパトロールすることになる。その後、ジェイクは裏通りでレイプされそうになっていた少女を助けた。しかし、またしてもアロンゾは自分達の管轄外だとして犯人を解放してしまった。ジェイクは彼のやり方に不信感を募らせていく。
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(レビュー) 正義に燃える新人刑事と悪徳刑事の対立を描いた刑事ドラマ。
善人ジェイク、悪人アロンゾ、両者は明確に善と悪に切り分けられるキャラである。彼らの対立を描く本作は基本的に勧善懲悪のドラマになっている。大変入り込みやすいドラマと言っていいだろう。だが、正直それだけでは食い足りないという感じも受けた。
アロンゾがジェイクの青臭い正義感に昔の自分を重ねる所までは良い。問題はそこからで、この映画はアロンゾの葛藤の深部まで迫りきれいていない。それまでのアロンゾを変えてしまった理由。そこをもっと深く掘り下げて欲しかった。そうすれば作品としての歯ごたえがもっと出てきたように思う。
今作のように、刑事が内部の不正を告発するドラマは、それこそ吐いて捨てるほどある。最も印象に残っているのがS・ルメット監督、A・パチーノ主演の「セルピコ」(1973米)である。「セルピコ」は、新人刑事セルピコが警察内部の汚職に失望し徹底的に周囲の不正と戦っていくハードな作品だった。しかし、似たようなドラマとはいえ、結末は本作とはまったく異なるものである。「セルピコ」の方が圧倒的にリアリティーと重みが感じられ、この問題に観客に正面から向き合わせようという強い志が感じられた。
それに比べると、本作の結末には“逃げ”が感じられてしまう。ジェイクは不正を正したが、その後はどうなったのだろうか?中盤でアロンゾを操る影の上層部が出てくるので、あるいは‥という想像は出来るが、そこ止まりである。しかし、そこを描いて初めてこの映画のテーマは強く主張されてくるのではないだろうか。どうにも気の抜けた結末でいただけない。
ジェイクを演じるのはE・ホーク。持ち前のナイーブさを前面に出しながら、悩める新米刑事を好演している。
アロンゾを演じるのはD・ワシントン。これまでは割と善人を演じる事が多かったが、以前紹介した
「アメリカン・ギャングスター」(2007米)と同様、ここでは悪役に徹している。レイプ犯のタマを潰す悪辣ぶりは相当なもので、新境地への意欲が感じられた。
但し、クライマックスの演技は大仰でいただけなかった。アロンゾの凋落を過剰に見せてしまっている。元々の尊大さとのギャップを図ろうとしているのは分かるが、かえって空回りしているように見えてしまった。とはいえ、本作を中盤まで引っ張ったのは彼の熱演によるところが大きいように思う。
演出はまずまずといったところか。アクションシーンは決して派手ではないが、堅実に撮られてる。また、たった一日のドラマをスピーディーな構成と会話の妙で最後まで飽きなく見せた手腕は見事である。
一方、シナリオで雑と感じたのが2点ある。アロンゾとロシア・マフィアの関係が今ひとつ不明瞭だった点。それとクライマックス直前のジェイク脱出劇は伏線の甘さが仇となり、ややご都合主義に見えてしまった。
寺山修司の遺作。100年たてばその意味が分かる‥というメッセージを残して孤高の芸術家は逝った。
「さらば箱舟」(1982日)
ジャンル人間ドラマ・ジャンルファンタジー
(あらすじ) 南国のとある小村。旧家の長男大作は、村中の時計を盗んで海岸に埋めた。数年後、大作は村の権力者となった。一方、村外れには捨吉とスエという夫婦が住んでいた。二人はいとこ同士で、スエの父はこの結婚に反対だった。スエは父に貞操帯をつけられ、そのせいで未だに夫婦の関係を持てないでいた。そして、男になれない捨吉はを村中からバカにされた。ある日、村が祭りで賑わう中、捨吉は自分を罵倒した大作を逆上して刺し殺してしまう。村にいられなくなった彼はスエを連れて放浪の旅に出るのだが‥。
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(レビュー) 架空の小村で起こる様々な怪現象を幻想的に綴った寺山修司の遺作。原作はガルシア=マルケスの「百年の孤独」だが、原作サイドからクレームがつき公開が延期されたという曰くつきの作品である。舞台設定が異なる上、シュールな寺山ワールドが原作の世界をまるで別物のように見せているという理由からクレームがついたのであろう。良くも悪くも、それだけ寺山修司の作家性が横溢したという証しである。
物語は余り判然としない。禁忌を犯した捨吉とスエが辿る悲劇を、生と死が交錯する世界に描いた幻想奇譚‥というような不思議なドラマになっている。例えば、道端に死の世界に通じる穴が突如現れたり、殺されたはずの大作が生まれ変わって第二の大作として登場したり、理解の範疇を超える事象が余りにも多い。したがって、ドラマの筋を追いかけても余り面白くはない。しかも、捨吉とスエのドラマは後半で一旦終了し、その後は別のドラマ、異文明の流入によって村が滅んでいく‥というドラマに移行していく。元々の原作もそうらしいが、とにかく難解で随分と取っ付きにくい印象を受けた。
とはいえ、寺山作品の魅力は映像にこそ見るべきものがある。こちらは大いに見応えがあった。
名カメラマン鈴木達夫の撮影が素晴らしい。神秘を宿した森や海の情景は、この世のものとは思えぬ美しさを醸し心奪われる。沖縄に代々伝わるキジムナーだろうか?神出鬼没な少女に翻弄される青年たちの姿は、浮遊感を漂わせた独特の色彩で捉えられ実にエロティックだった。
一方で、捨吉とスエの家は後半からグロテクスに変容し毒々しい映像が見られる。捨吉は大作を殺した罪に苦しみながら徐々に精神を崩壊させていくのだが、それにリンクするかのように禍々しい装飾が施されていくようになる。絡みつく木の枝は血管のようになり、柱が男性器のように変化する。まるで家全体が生物のようだ。
得体の知れぬパワーが空間を制圧する祈祷のシーンも印象に残った。序盤と後半、2度に渡って登場するのだが、舞台演出家・寺山のラジカルな感性に度肝を抜かされた。
尚、寺山作品ではお馴染みの旅一座や壁掛け時計、本人の分身であろう白塗り・学ラン姿の少年といったガジェットが、本作には次々と登場してくる。彼の他の作品を見ていれば、これらの意味するところは色々想像できよう。
おそらく、撮影の段階でこれが遺作になることを本人も自覚していたのであろう。集大成的な作品にしようという意気込みが、これらの奇抜なガジェットから伺える。
キャストではスエを演じた小川真由美の熱演が印象に残った。女として生きることを父に剥奪された不幸を悲痛に演じている。その慟哭、叫びは真に迫るものがあった。
寺山ワールドの集大成!
「草迷宮」(1979日)
ジャンル青春ドラマ・ジャンルエロティック
(あらすじ) 青年は母親が口ずさんでいた手毬歌の歌詞を求めて田舎町に流れ着いた。しかし、誰に訪ねても知らないと言われる。次第に青年は少年時代に見た“ある記憶”に取り付かれていくようになる。それは土蔵に住む奇妙な女との性交の記憶だった‥。
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(レビュー) 寺山修司がフランスのオムニバス映画のために撮った作品。40分の短編であるが、寺山の感性がこれでもか!とばかりに表出した後期の傑作である。
物語は一応あることにはあるが判然としない。マザコン青年が精通の記憶を手繰り寄せていく‥という郷愁のドラマであることは確認できるが、何せ短編なのでストーリーを語るというよりは映像を見せることの方に力が入っている。
また、面白いのは、本作の主人公に寺山自信の自伝的要素が強い「田園に死す」(1974日)の主人公を重ねて見ることも出来る。彼がいかに母親に対して畏怖と敬意の入り混じった複雑な愛情を抱いていたか。それがこの両作品から伺えたことは興味深い。
青年が手毬歌の歌詞に取り付かれているのは、取りも直さず母親の呪縛に捉われている事を意味している。そして、歌詞を探し求めながら永遠に旅をしなければならないという宿命は、彼に重くのしかかった母親という大きな記憶を指し示すものであろう。寺山にとって母親の存在は、生涯ついて回る絶対的存在だったことが読み解ける。
何と言っても本作の見所となるのは、シュルレアリスティックに紡ぎ出された数々の映像である。レトロ・フィーチャーな背景、美醜の混沌の極みとも言える土蔵の女の造形、極彩色豊かなクライマックスのカーニバル(?)等、寺山の感性が40分という枠の中に凝縮されている。寺山アートの到達点という感じがした。
尚、本作で三上博史がデビューを果たしている。今にして思えば、当時まだ15,6歳の少年にこのようなポルノチックな演技をさせることが許されたのだから驚きである。ある意味で大らかな時代だったのかもしれない。
イスラエルとシリアに分断される家族のドラマ。秀逸なシチュエーションが目を引く。
「シリアの花嫁」(2004イスラエル仏独)
ジャンル人間ドラマ・ジャンルコメディ
(あらすじ) イスラエル占領下のゴラン高原。そこにこれから結婚式を上げようとする花嫁モナがいた。周囲は祝杯ムード一色だったが、モナの心中は優れない。というのも、結婚相手はシリアに住む人気俳優で、一度も会った事がないのだ。シリアに嫁いだら二度とイスラエルには戻ってこれない‥。不安になるモナを姉のアマルがなだめる。いよいよ一家は花婿がいる境界線へと向かうのだが‥。
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(レビュー) イスラエルとシリアに分断された境界線上で結婚式を上げることになった花嫁の苦悩と、彼女を優しく包み込む家族の愛をしみじみと綴った作品。
数多あるウェディング映画でも、こういう舞台設定で描かれた作品は今までに見た事が無かった。純白のウェディングドレスと迷彩柄の軍服を画面に同居させた時点で、この映画はすでに唯一無二の作品足りえている。本作の監督はイスラエル人だそうだが、彼が見てきた世界をそのまま作品にダイレクトに反映させたところに本作の魅力を感じる。
こう書くと単に戦争の悲惨さを前面に出した映画のように思えるかもしれないが、本作は決して隠滅としたドラマではない。基本的にホームドラマとしての体を取っており、結婚式というささやかな奇跡のドラマをユーモアをを交えて描いている。見るほうとしても実に入り込みやすい作りになっている。
政治や宗教といった複雑な問題が絡んでくるが、そこに必要以上に踏み込まなかった点も良かったと思う。あくまで家族のドラマとして、日常目線で追いかけることが出来、そこにドラマの普遍性も生まれてこよう。
洗練されたシナリオも良い。モナの葛藤はきちんと捉えられており、彼女を取り巻く周囲の人間ドラマも周到に織り込まれており、手際のいい進行に感心させられた。
ロシア人女性と結婚した長男と父親の確執、第二の人生を歩もうとする長女アマルと夫の冷めた夫婦関係、赤十字に勤務する女性職員と次男のロマンス等。夫々のドラマが約1時間半という短い時間の中にコンパクトに収められている。
唯一不満に思ったのは、モナが何故この結婚をすることになったのか、その理由が説明不足だった点である。どうしても見ながら気になってしまった。ここをきちんと盛り込めれば彼女の葛藤はさらに真に迫るものとなっていたであろう。
演出は基本的にユーモラスなものが多い。イスラエルとシリアの対立は実に深刻な問題で未だに解決の糸口すら見えない状況にある。そこをこの映画はあっけらかんとした笑いでチクリと風刺している。
中でも印象的だったのは、赤十字の女性職員がモナの出国許可証を持って境界線を行ったり来たりするシークエンスだった。戦争の理不尽さをここまで滑稽に描き出したところに、この作品の真意が読み取れる。おそらく世界中の人々は、シリアの境界線でこんな事が行われていることを知るよしもないだろう。結婚すらままならないこの理不尽な状況を声を大にして言うのではなく、軽やかな笑いに転嫁して見せたところに妙味を感じた。
ギャグに走り過ぎてついていけなかった。
「ウェディング・ベルを鳴らせ!」(2007セルビア仏)
ジャンルロマンス・ジャンルコメディ
(あらすじ) セルビアの片田舎。祖父と暮らすツァーネは好奇心旺盛な少年。まだまだ恋も知らないツァーネだったが、祖父は過疎化したこの村に彼の未来はないと憂いていた。そこで町に出て花嫁を見つけてくるようツァーネに言う。彼は1頭の牛を引き連れて町へ出た。そこでヤヌスという美少女に出会い一目惚れする。どうにか彼女に告白しようと悪戦苦闘する最中、大事な牛をマフィアに盗まれてしまった。こうしてツァーネは犯罪に巻き込まれてしまう。
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(レビュー) 田舎から出てきた純情少年の初恋をブラック且つシュールに描いたドタバタ・コメディ。
軽快な音楽とハイテンションなキャラクターが織り成すカオスは好き嫌いが分かれそうである。個人的には最初は面白く見れたのだが、途中から疲れてしまい余り楽しめなくなってしまった。落ち着かない調子がずっと続く上、一つ一つのギャグが大仰でしつこく感じてしまう。例えば、落とし穴を使ったギャグはワンパターンで、大団円になる頃には、もうそれはいいから‥という感じになってしまった。
監督・脚本はE・クストリッツァ。エキセントリックな作風はこの監督の持ち味で、その資質からすればこのドタバタ・コメディもさもありなん‥といった風に見れる。
ファンタジーとリアリティーを共存させた演出も大きな特徴で、例えばカーニバルの人間大砲はストーリーと関係なく時々空を横切りながら一連の騒動を眺めている。祖父は彼を天使と言うが、司祭は悪魔と言う。果たして何を象徴しているのか?映画が終わっても判然としないが、極めてナンセンスなキャラで面白い。こうした独特の感性で描かれたキャラ、ギャグが随所に散りばめられており、この監督の非凡なセンスには唸らされる。
ブラックなセンスもこの監督の特徴だろう。本作には牛の睾丸を去勢するシーンやマフィアの悪行の数々など、過激なギャグが出てくる。しかし、クストリッツァはこれらを尽く突き放して描くことで、上手く残酷さを薄めている。笑ってはいけないと思いながら、ついつい笑ってしまった。
物語はボーイ・ミーツガール物の常道で、特に捻ったところは無い。かなりシンプルにまとめられている所も含め、極めてチャーミングなドラマだと思った。ただ、彼の過去作「黒猫・白猫」(1998仏独ユーゴスラビア)にかなり似ており、新味という点ではどうしても薄れる。
尚、彼のこれまでの作品には多かれ少なかれ政治的なマテリアルが必携となっていたが、今回はそれほど画面上に露出する事は無い。9.11テロの攻撃の対象となった世界貿易センタービルや、アメリカ社会の裏を描いた映画「タクシードライバー」(1976米)に捧げたオマージュ。このあたりに大国アメリカに対する愛憎の念か伺える。ただ、これらが過激なアンチシズムに繋がるような事は無く、サラリと流す程度に抑えられており、今回はクストリッツアのシリアスな側面は完全に封印されている気がした。
おそらく監督自身も、今回は最初から肩の力を抜いて作ろうとしたのだろう。これまでの作品のような歯ごたえは感じられなかったが、何も考えずに楽しむ分には、これくらいが丁度いいのかもしれない。
所々に違和感を感じてしまう。
「WiLd LIFe」(1997日)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) 元ボクサーの宏樹は津村商会でパチンコの釘師をしている。社長の津村とは旧知の仲で、何かと面倒を見てもらっていた。ある日、いつものように仕事をしていると、そこに津村の娘理恵が訪ねてくる。数年ぶりに再会した二人は急激に惹かれあっていった。そんな中、津村が関西ヤクザ伊島に誘拐される。その後、宏樹は伊島から“あるビデオテープ”を渡せと脅迫される。そのテープは宏樹のかつての同僚水口から貰っているはずだと彼は言う。しかし、宏樹にはまったく身に覚えが無かった。実は、そのテープにはある重大な秘密が隠されていた。
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(レビュー) ヤクザと警察の暗躍に巻き込まれてしまう釘師をサスペンスフルに描いたハードボイルド作品。
事件のからくりは分かってしまえばよくある話と一蹴できてしまうが、ミステリアスな語り口に魅せられる。事件に関わる人物、宏樹と水口の関係、水口と津村の関係。このあたりを謎に伏せたまま物語は展開されていく。特に、事件の鍵を握る水口の存在を終始ミステリアスに仕立てたところが良い。
物語は現在と過去を交錯させながら進行する。
まず、宏樹と津村が警察で取調べを受けるシーンが現在パートになる。そして、宏樹と津村と水口の関係、ヤクザの狙いといったものが過去のフラッシュバックで回想されていく。ただ、この回想は決して宏樹と津村の一人称で語られているわけではない。例えば、ヤクザ側の視点に立ったものや理恵の視点に立ったものも混在し、視座があちこちに飛んでしまうところに統一感の無さを感じた。そうしなければ事件の全容を説明できないというのは分かるが、回想は当人の語りで描いて欲しいものである。複雑で分かりにくい感じがした。しかし、統一感の無さを除けば、この回想劇はミステリとして中々面白く見る事が出来た。
尚、ここまで回想の視座に統一感がないのであれば、津村の取調べについてはサスペンスを弱めるだけでむしろ無かった方が良いのではないかと思われる。というのも、彼が今ここで取調べを受けているという事は、誘拐されても無事だった事を最初から観客に教えているようなものであり、過去の誘拐騒動にまったく緊張感がなくなってしまうからだ。
監督、脚色はこの前の記事で取り上げた
「レイクサイド マーダーケース」(2004日)の青山真治。本作は彼の3作目の作品になる。映像は所々に良いものが見つかる。例えば、大量に廃棄されたパチンコ台の幻想的な佇まい、デベロップメントの陽と陰の対比をドライに切り取った街並み、大胆な色彩設計も魅力的だった。
一方で、演出上の不自然さが幾つか見られたのは残念だった。これは感性の問題としか言いようが無い。
例えば、宏樹と理恵のキスシーン、クライマックスのアクションシーン、いずれも全体のトーンを考えると少し違和感を覚える。大の大人がまるで中学生のように恥ずかしながらキスをするのはいかがなものか?突然マンガチックになるアクションシーンは笑わせようとしているのか?全体とのギャップを感じてしまう。おそらく敢えてやっているような節も感じられるのだが、見ていてテンションが下がるだけなので変に奇をてらわないで欲しい。
また、音楽も垢抜けなくていただけなかった。他の作品ではこういう不満を感じなかったので、青山監督のセンスでないと信じたい。本作にはどちらかと言うと、静かなBGMの方が似合っていたのではないかと思う。
ブラック・ユーモアがちょっとだけ入ったサスペンス作品。子供達が恐ろしい‥。
「レイクサイド マーダーケース」(2004日)
ジャンルサスペンス・ジャンル社会派
(あらすじ) 3組の親子がお受験合宿で湖畔のロッジにやって来た。その中の一組、並木家の関係は完全に冷め切っていた。夫婦は別居状態にあり、写真家をしている夫俊介は助手の英理子と不倫している。その日、合宿に遅刻してきた俊介は早速、講師の津久見から注意を受けた。その晩、ロッジで親子揃ってのバーベキュー・パーティーが開かれる。そこに仕事の使いを言い訳に英理子が乗り込んできた。俊介にホテルで待っていると言い残して彼女は去っていった。しかし、これが思わぬ悲劇を呼ぶ。俊介がホテルに向かってる最中に、英理子は逆上した妻に殺されてしまう。
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(レビュー) 不倫殺人事件を描いたサスペンス映画。
監督・脚本は青山真治。人間の業に容赦なく迫りながら、徐々に事件の真相を暴いていく終盤は圧巻である。嫉妬、不信、欲深、心の闇を照射し、傑作「EUREKAユリイカ」(2000日)を想起させる息苦しさに溢れていた。ただ、今回は全体的に娯楽寄りな作りを貫いているので、「EUREKAユリイカ」ほど心にズシリと来るものは感じられなかった。
クレジットを見て分かったのだが、エグゼクティブプロデュサーにフジテレビの亀山千広の名前があった。「踊る大走査線」やこの前の記事で書いた
「容疑者Xの献身」(2008日)等でお馴染みのプロデューサーである。主にテレビとのタイアップを得意とし、これまで数々のヒット作を世に送り出してきた敏腕Pである。これまでの作品からも分かるとおり、彼が映画に求めるものはポピュラリズムである。しかし、この考え方は、これまでエンタテインメント的な作品と無縁だった青山真治の作家性とは余り親和性があるとは思えない。何故本作の監督に彼を抜擢したのか?そこが凄く不思議である。事実、本作にはそう思わせるような、ちぐはぐな作りが散見できる。
原作は東野圭吾の小説である。未読であるが、どんでん返しを含めたミステリーはよく考えられていると思った。ただ、これはもしかしたら青山監督の独特の作風がそう思わせるのかもしれないが、決して緊張感を漂わせた純然たるサスペンス映画とは言い難い作りになっている。
例えば、親達が右往左往する姿は、原作でどこまで描かれているのか分からないが、映画の前半を使ってそこをかなり子細に描いている。A・ヒッチコックの「ハリーの災難」(1955米)を想起させるブラックなシチュエーションが、観客を第三者的立場に追いやり、劇中の人物達への感情移入を拒むような作りになっている。これはサスペンス映画として見た場合ちぐはぐな演出と言える。純然たるサスペンス映画を期待してしまうと、この前半部分は少し水っぽく感じられるだろう。
映画は後半に入ってくると、そんな親達を見つめる子供達の眼差しを絡めて展開されていく。受験戦争という極めて現代的な問題を投げかけながら、親子関係の破綻、競争社会における人間性の喪失といったテーマが語られ、社会派的な視野を持った作品に底上げされていく。しかも、かなり冷え冷えとした虚無感で描写されており、子供達の眼差しに空恐ろしさを覚えた。しかし、この社会派的なテーマは亀山プロデューサーが求めているであろうポピュラリズムとは相入れない部分であろう。
このように前半はサスペンスとしてのエンタメ性が中途半端であるし、後半はテーマが全面に出すぎてしまっている。プロデューサーが求めるエンタメ性と監督が求めるテーマ。その間に生じた深い溝を埋められないまま本作は出来上がってしまったという感じがした。
ちなみに、ラストの陳腐な飛行はどう考えても全体のトーンを壊す演出である。敢えてこうしているのだとしたら、黒沢清級の確信犯的ズッコケ演出である。まさかとは思うが、最後に監督がさじを投げた‥というわけでもあるまい。
キャストはベテラン陣を揃えているので安定感が感じられた。中でも印象に残ったのは柄本明である。彼の演技の裏側に何らかのコンストラクチャーを盛り込み、一連の行動に積極的に説得力を持たせる必要性はあったかもしれないが、何はともあれクライマックスの貫禄の熱演は見事だった。
テレビのスペシャル版としてライトに見れば楽しめる。
「容疑者Xの献身」(2008日)
ジャンルサスペンス・ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) ある川岸で顔と指紋を潰されたが変死体が発見される。貝塚北署の刑事内海と草薙は、天才物理学者湯川に捜査の協力を依頼した。その後、現場近くで発見された指紋から被害者の身元が判明する。容疑は彼の元妻子にかかり、早速湯川は彼女達のアパートを訪れた。すると、そこで旧友・石神に再会した。湯川は石神が事件に深く関わっているのではないかと睨む。
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(レビュー) 直木賞受賞の東野圭吾の同名原作を映画化した作品。本作の前に同じキャラクターで描かれたテレビシリーズがあった。この劇場版はテレビ版のヒットを受けて同じキャスト・スタッフで製作された作品である。
テレビ版は“ガリレオ”こと湯川の華麗な推理が一つの見所となっていたが、本作の主人公は湯川ではなくて事件の渦中に登場する石神になる。彼は高校の数学教師をしている、他者との繋がりを持てない閉鎖的な中年男である。その孤独は隣に住む事件の容疑者花岡靖子に対する愛で癒されていく。つまり、事件の裏側で語られる悲しき愛‥それが本作のメインのドラマとなっている。石神の屈折した愛情は実に不憫に思えた。
ちなみに、事件の成り行きは既に冒頭で明かされている。推理する面白みはあまり無いが、それでもクライマックスには意外などんでん返しが用意されているので、最後まで面白く追いかける事が出来た。
ただし、途中の警察捜査に色々と引っ掛かる部分があり、サスペンスの緊張感が余り感じられなかったのは残念であるが‥。
また、全体的にテレビ的というか、こじんまりとした作りになっているのも残念だった。中盤の雪山シーンもロケーションを活かしきれてるとは言い難い。スクリーンでこそ映えるようなスケール感、細部に渡る画面の作り込み、演者の激しい衝突をもっと見せて欲しかった。
アバンタイトルはテレビのスペシャル版か何かの流れだろうか?本筋にまったく関係がなかったので、何だか取ってつけたように感じられた。また、テレビ版のレギュラー陣だろう。物語に一切絡んでこないゲスト的な立ち居地のキャラもいた。こういうところが1本の独立した映画としてみた場合、不要に思える部分である。
総じてストリー自体は面白いのだが、全体的な作りがテレビのスペシャル版の域を出ておらず物足りない作品だった。