貧乏を扱った人情悲喜劇。クライマックスの座敷のシーンがしみじみとくる。
「大阪の宿」(1954日)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 保険会社に勤めるサラリーマン三田は、あることが原因で大阪支店に左遷される。川沿いの小さな旅館に下宿することになった彼は、そこで3人の女中とオッサンと呼ばれる女将の弟の世話になりながら新しい生活を始めた。ある晩、大学時代の親友田原が芸子のおようを連れてやって来た。再会を祝して杯を交わす3人。それからというものの、おようは三田の事を密かに想いながら、度々訪ねに来るようになった。しかし、三田は毎朝通勤中に見かける名も知らぬ女性に惹かれていく。
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(レビュー) 大阪下町を舞台にした人情ドラマ。堅物サラリーマンと周囲の人間との交流をしみじみと謳いあげた作品である。それほど大きな事件が起こるわけでもなく三田の日常が淡々と綴られていくだけの物語だが、ラストにはしみじみとさせられた。
ここに登場する人物は皆、貧困に喘いでいる。ここがこの映画のポイントで、今作をある種下町人情劇のようなドラマに仕立てている。
旅館の3人の女中達は年齢も思考も異なる個性派揃いである。ヤクザな夫を抱えるおりか、遠くの息子を思うシングルマザーおつき、奔放でしたたかな若いお米。彼女らは、いつか幸せを‥という夢を思い描きながら、貧しさに耐えながらこの旅館で働いている。
洋服店の少女おみつは病弱な父を抱えながら一人で店を切り盛りしている。彼女は詐欺と知らずに三田に偽のブランド品を売ってしまい、これによって更なる不幸に追い詰められてしまう。
このように各登場人物は夫々に苦悩を抱えながら力一杯生きている。そこが健気で愛おしく映りしみじみとくるのだ。
一方で、この物語には陰鬱とした展開を軽妙にさばく明るいサブキャラが登場してくる。それが女将の弟、通称〝オッサン”だ。周囲に笑いをもたらすピエロ的キャラで、これが案外重要な役回りを果たしている。彼の存在なくしてこのドラマは成り立たないだろう。
また、乙羽信子演じる芸子おようのきっぷのよさも、沈滞ムードを絶妙のさじ加減で和らげてくれる。彼女は“うわばみ”という相性で呼ばれるくらい酒が強くて根っからの楽天家である。彼女の存在もこのドラマの中では大きい。
ちなみに、おようは三田に密かに恋焦がれているが、その男前な性格からどうしても友情以上の関係になれない。それでも三田を思ってあれこれ世話を焼く姿は実に健気に映った。中でも、日頃の陽気さとのギャップで見せる川のシーンが素晴らしい。彼女は三田に少しだけ本当の自分を曝け出してみせるのだが、このしおらしさが何とも味わいがあって良かった。
ただ、一方でここまで貧乏を強調されると、三田のセリフにあるように、金ではなく心が大切なんだ‥というメッセージが少し説教臭く感じてしまう。善人と悪人の描き分けもカッチリとしすぎており、もう少し複雑な彩を織り込んでも良かったのではないだろうか。善は善、悪は悪と単純に分けるのではなく、善と悪の狭間にこそ人間の本性がある‥という風にすればこの説教臭さは払拭されただろう。
例えば、旅館の女将などは、やりようによってはかなり面白いキャラにできそうである。彼女は女中を虐める悪人として造形されている。しかし、その一方で夫を亡くして一人で旅館を切り盛りする苦労人でもある。次第に経営が立ち行かなくなり、彼女は店を手放すかどうかで苦悶するようになる。その葛藤を拾い上げることでキャラクターに幅を持たせることは出てきたと思う。ドラマに深みがもたらすなら、このようなリアルなキャラクター造形をもっと積極的に披露して欲しかった。
また、説明不足なキャラがいて、このあたりの処理の仕方も勿体ない気がした。三田の隣の部屋に住む野呂は、後半の接待シーンでようやくその素性が判明したくらいで、こういう情報はもっと事前に提示して欲しかった。
ちなみに、、劇中に登場する三田の愛読書「星は地上を見ている」に何か特別な意味があるのかと思って後から調べてみたら、この本は過酷な運命を辿る労働者一家を描いた小説であることが分かった。なるほど、労働者の悲喜劇という点では本作と共通している。と同時に、“うわばみ”が三田を称して「あんたは星だった」というセリフの回答にもなっていて、この書物の使い方は中々気の効いた演出に思えた。
4人のガンマンの冒険活劇。内容を詰め込みすぎた感はあるがラストの収まりは中々。
「シルバラード」(1985米)
ジャンルアクション
(あらすじ) ペイドンは故郷シルバラードに向けて旅をしていた。その途中で盗賊に襲われ身ぐるみ剥がされる。そこをエメットというガンマンに助けられた。二人は一緒に旅し、ある村で例の盗賊を見つける。復讐を果たしたペイドンは、そこでかつての相棒コップに再会する。彼から新しい商売の話を持ちかけられるが、過去に煮え湯を飲まされた経験からペイドンはそれを断り、エメットと共にシルバラードに向けて旅を再開した。その後、二人はエメットの弟ジェイクと落ち合うためにある町に立ち寄る。しかし、彼は殺人罪で処刑されそうになっていた。エメットとペイドンは彼を救い出そうとするが‥。
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(レビュー) 故郷シルバラードを目指して旅をする4人のガンマンの友情と戦いを描いた西部劇。
夫々のキャラは個性的に確立されていて中々面白く見ることができた。家族愛に熱いエメット、女好きで二挺拳銃の使い手ジェイク、冷静なニヒリスト・ペイドン、差別に苦しむ黒人ガンマン・マル。4人の運命は、やがて登場する敵の存在によって大きなクライマックスを迎えることになる。オーソドックスな作りだが、安心して楽しめる西部劇になっている。
前半は彼ら4人の旅の風景が語られるが、後半からはシルバラードに到着した夫々の物語になっていく。一種の群像劇のようなテイストで展開され、家族の愛憎、友情と裏切りがドラマチックに語られている。
ただ、さすがにドラマがここまで分岐してしまうと、内容の詰め込みすぎによる散漫化は避けられない。クライマックスに行くまでの紆余曲折が本来の痛快さを失わせてしまっており、ドラマの推進力がどうしても弱まってしまう。
例えば、エメットと開拓民の女とのロマンスは、途中の経過が省略されてしまっているので唐突に見えてしまった。また、マルの妹にまつわるエピソードは、ドラマを語る上で絶対に無くてはならないものではない。むしろ、描くなら彼の父親の死の方を描くべきだろう。こちらの方がドラマ上、重要な意味を持っている。ジェイクのロマンスについてもそれほど必要というわけではない。本作は全般的に女性キャラクターが弱く、そこに絡んで描かれるエピソードについてはことごとく中途半端な感じを受けた。
また、悪役の造形についても丁寧な描写が欲しい。確かに敵役であるボスが腕効きのガンマンである事は途中のシーンで証明されていたが、彼が銃を抜いたのはこの1回きりである。クライマックスの盛り上げを考えた場合、ラスボスの強大さを表すにはこれだけでは弱い。例えば、定番なところで腕が立つ用心棒がいるとか、卑怯な手段で人質を取るとか、様々なアイディを加えることで、このクライマックスはもっと盛り上げることができたと思う。早撃ちの用心棒を登場させて、二挺拳銃の使い手ジェイクと対決させる‥なんてのも面白いだろう。本作にはそういった盛り上げるためのアイディアが足りない気がした。
総評としては、4人の個性を過不足なく引き立てた前半は◎。後半はトーンダウンしてしまい×。勧善懲悪に締め括られているのでとりあえずスッキリするが、色々と深みを求めてしまうと物足りない作品であった。
映像は見ごたえあるが‥。
「トゥモロー・ワールド」(2006英米)
ジャンルSF・ジャンルアクション
(あらすじ) 西暦2027年、テロの脅威が蔓延する荒廃した近未来。世界最年少の少年が殺されたというニュースに多くの人々が落胆した。人類は原因不明の奇病にかかり子孫を残せない身体になっていて衰退の一途を辿っていたのである。ロンドンの政府機関に勤めるセオも未来を絶望視する一人だった。ある日、彼は反政府組織“フィッシュ”に誘拐される。一味のリーダーはかつての恋人ジュリアンだった。彼女からキーという女性を入国させるために通行証を入手するよう脅迫される。こうしてセオはテロ組織の戦いに巻き込まれていく。
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(レビュー) 荒廃した近未来社会を舞台にしたSFアクション作品。
色々と突っ込みを入れたくなるストーリーだが、アクションシーンについては見応えのある映画だった。なんと言っても長回しによるアクションシーンが2度登場してくる。今作はこれに尽きると言っても過言ではない。
一つ目はキーを乗せた車の襲撃シーンである。車中からの1カット撮影で、事の次第を漏れなく捉えたカメラに圧巻である。CGも多少使われているが、それと気付かせないように必要最小限に留められており、この臨場感、緊迫感に目が釘付けになった。
二つ目はクライマックスの戦闘シーンである。戦場を走るセオの背中越しのドキュメンタリータッチ撮影が延々と続き、これまた生々しい迫力が感じられた。
キャストとスタッフの入念な下準備がなければ、ここまでの映像は作り出せないだろう。当然撮影の苦労がしのばれるが、この二つについては見事にそれに見合うだけの迫力と興奮をもたらしてくれる。
ちなみに、こうしたロングテイクを多用することで有名な作家としてはテオ・アンゲロプロスが思い出される。ただ、アンゲロプロスの長回しは人物の心象やストーリーの推移を目的としたものが多く、割とミニマムな撮影態勢で撮られている。それに比べると、当然本作の方がバジェットが大きく、膨大な火薬とモブが画面に浩々と登場してくる。多くの金と時間と労力がかかっているので、そうおいそれとリテイクは許されないだろう。そんな重圧を押しのけて作り出された映像には素直に拍手を送りたい。
また、この手の長回しのアクションシーンでは、J・トー監督の「ブレイキング・ニュース」(2004香港中国)という作品も思い出される。冒頭7分に及ぶクレーン撮影は銃撃戦に異様な迫力をもたらし、かなり興奮させられた。しかし、今回のクライマックス・シーンはそれをはるかに凌ぐ情報量が画面に詰めこまれている。質的なことを言ってしまうと、見た人の評価があるので良い悪いの判断はそれぞれにあろうが、物量に関して言えば完全にアンゲロプロスの映画も「ブレイキング・ニュース」も圧倒していると思った。
映像面の魅力でいえば荒廃したロンドンの風景も面白いと思った。昨今はどうしてもCGで簡単に街並みを作ってしまうが、この映画は極力アナログな手法で近未来の世界を作り上げている。そもそも、本作は決して荒唐無稽なSF映画ではない。例えば、テロが蔓延する世界は明らかに9.11以降のアメリカを背景に敷いているし(現にブッシュ元大統領の写真が画面に登場してくる)、不法入国の問題も現代のイギリス社会では極めて深刻な問題として受け止められている。こうした現代的な問題を絡めて作り上げられた地続きな世界観なので、高層ビルが立ち並ぶスタイリッシュな近未来社会よりも、こうしたすすけた雰囲気が残る荒廃した近未来社会はしっくりとくる。
ただし、所々に出てくるアーティスティックなオブジェは余り感心しない。ユーモアとしてのセンスは中々のものだが、全体の世界観から多少浮いてるように映った。
一方、ドラマの方は残念ながら不満が残る出来だった。
第一に、キーの内面に迫りきれていない。彼女はその名の通りドラマの鍵を握るキャラである。彼女のミステリアスさがドラマの求心力として途中まで支えていた事は確かだ。しかし、その素性が明かされて以降の戦いが今一つヒートアップしない。一番の原因は、彼女のキャラクターとしての魅力が描きこまれていないからである。セオがキーを守る戦いはやがて世界を守るという大きな使命に繋がっていくのだが、どこか事務的なものにさえ映ってしまった。この際、世界を守るという設定は二の次であっていいように思う。もっとパーソナルな感情で彼女を守りたい‥と思えるような、キーの人物的魅力を付加すべきだったのではないだろうか。
また、サブキャラがストーリーを語る上での〝捨て駒”のような扱いに終始するのもいただけなかった。ミリアム、ジャスパール夫妻の退場については、もっとドラマにインパクトを残しても良かったように思う。本来、彼らはセオの戦いを益々ハードなものにしていく尊い犠牲者であらねばならないはずである。それが単なる〝捨て駒”扱いでは余りにも勿体ない。セオの葛藤に強くインパクトを与えることで、もっとストーリーに重みと厚みを加えて欲しかった。
色々と面白い映像が見られる。
「フローズン・タイム」(2006英)
ジャンルファンタジー・ジャンルロマンス
(あらすじ) 失恋のせいで不眠症に悩まされていた美大生ベンは、深夜のスーパーマーケットの清掃アルバイトを始めた。そこでシャロンというレジ打ちの女性に恋をする。ある晩、ベンは周囲の異変に気付く。彼以外の人間が皆止まってしまったのだ。時間を止める能力を手に入れた彼は憧れのシャロンのヌードをスケッチしていく。
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(レビュー) 失恋した美大生が、時間が止まった世界で新しい恋を見つけていくファンタジー・ロマンス。
この手の映画は設定を一々気にしていたら入り込めない作品だと思う。何故時間が止まるのか?何故ベンだけが動けるのか?色々と突っ込みを入れたくなるが、そこはそういう物なのだ‥と割り切った上で作品を見てあげよう。
‥とはいえ、いくらファンタジーでも辻褄が合わないようなことがあってはならないと思う。本作の場合、ストーリーを破綻させかねない代物・現象が幾つか出てくる。
例えば、フットサルのシーンで出てきた謎の男、自動販売機の一件。映画はこれらに対して何の説明もしていない。細かい所とはいえ、この手の〝時間物”の場合こうした特異な現象は重要な部分である。そこをスルーされては、見ている方としても引っかかって仕方がない。全体的に詰めの甘さを感じた。
映像に関しては中々良いセンスが見られた。監督はファッション・フォトグラファー出身の新人監督らしいが、凝った画面が随所に出てきて楽しめる。特に、ラストは美しい光景で締めくくられ印象に残った。
また、時制の交錯を1シーンの中で接合して見せた演出は中々巧みである。新人ながら映像の作り方はかなり上手いと思った。
一方、物語の方はというと、こちらは典型的なボーイ・ミーツ・ガール物で、特に捻りはないものの安定した面白さがある。欲を言えば、時間を止めるところでサスペンス的な面白さを引き出せれば更に良かったかもしれない。止まった時間を動かすためにベンは指を鳴らすが、そこにもう一つアイディアが加われば、ハラハラドキドキするような盛り上がりを出せただろう。クライマックスが割りと淡々としているせいでどうしても鑑賞感が弱い。そこにこうした細工はあっても良かったように思う。
ちなみに、ベンの感傷をひたすらナレーションで語らせてしまう進行は、人によっては好き嫌いが分かれてきそうな感じがした。思うに、監督本人もこの主人公と同様に相当ナルシスティックな人物なのではないだろうか。美しいもの、哀しいもの、儚げなものに注がれる偏愛が少し鼻につく感じがした。ベンが描くヌードも小奇麗で、エロの本質が醜いもの、下世話なものに宿るということを、この監督はどこまで理解しているのか‥。とりわけ本作のような男の目線で描く恋愛ドラマの場合、そこを避けては本当の意味での恋愛、エロは描けいないように思う。
ファッション・フォトグラファーという仕事なら綺麗なものだけを捉えていればそれでいいだろうが、ドラマを作ろうとする場合、綺麗なだけではどうしても淡白なものになってしまう。
映像は必見。
「落下の王国」(2006インド英米)
ジャンルファンタジー・ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 1915年、ハリウッド。撮影中に事故で足を怪我したスタントマンのロイは、入院先で腕を骨折した少女アレクサンドリアと仲良くなる。ロイは彼女のためにおとぎ話を聞かせてやる。
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(レビュー) 世界24カ国でロケを敢行したというだけあり、美しい映像の数々が見応えあった。
映画はロイとアレクサンドリアの交友を描く現実パートと、おとぎ話のファンタジーパートに分けられる。このおとぎ話はいわゆるRPGゲームのような冒険談になっていて、奇抜なファッションやファンタジックな現象が登場してきて面白く見れた。普通ここまで自由度が高いと色々な物をぶち込みたくなるものだが、世界観の統一に注力しているところに感心させられる。アレクサンドリアがインド出身という設定なので、全体的にエキゾチックなトーンで統一されている。
尚、最も印象に残ったのは、序盤の砂漠のシーンと象の泳ぎである。この世のものとは思えぬ美しい光景に心奪われた。
また、全体的にCGはごく一部に抑えられており、生の自然風景を写そうと心掛けている。制作サイドのこの狙いは、明らかに昨今の潮流に対する一つの挑戦だろう。こういう姿勢は何とも頼もしい。本作はある種観光映画的な意味でも見所の尽きない作品となっている。
一方のドラマも、現実とおとぎ話を交錯させながら上手くまとめられていると思った。ロイとアレクサンドリア、夫々の成長も律儀に織り込まれ、やや過剰な演出ながらクライマックスではテーマがストレートに発せられている。
欲を言えば、現実パートのドラマにもう少し起伏が欲しいか‥。どうしても映像的な見せ場を追求するあまり、後半は冒険談の方に目が行きがちになってしまう。その間、現実パートのドラマが少々お座なりになってしまう。ロイとアレクサンドリア、両者のバックストーリー、葛藤が浅いため、少し楽観的に見えてしまうのが残念だった。
ド派手な映像に興奮!
「トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン」(2011米)
ジャンルSF・ジャンルアクション
(あらすじ) 1969年、NASAはアポロ11号の月面着陸で月に墜落した宇宙船を発見する。その残骸を秘密裏に持ち運んだために、人類は思わぬ危機に陥ることになる。現代---ソ連のチェルノブイリで謎のエネルギーが発見されたという報告を受けて、オートポット軍は現地へ調査に向かった。そこでディセプティコン軍の襲撃に遭う。一方、その頃サムはどうにか就職面接に合格し、新しいガールフレンド、カーリーも出来て、順風満帆な暮らしを送っていた。そんなある日、サムは会社で奇妙な事件に巻き込まれてしまう。
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(レビュー) 人気アニメから火が付いた実写映画シリーズ「トランスフォーマー」の第3作。
前作から数年後を舞台に、再びオートポットとディセプティコンの戦いが繰り広げられる。
初っ端からアポロ11号の驚愕の秘話が出てきて笑わされたが、これぞ本シリーズの醍醐味(?)と言ってもいい。このでたらめなハッタリはいかにも〝マイケル・ベイ”印である。その後のチェルノブイリのシーンも突っ込みどころ満載で、良くも悪くもバカ映画然とした作りに潔さを感じてしまった。あとは如何にこのノリについていけるかどうか‥。本作はそこに尽きるだろう。
アクションシーンの映像は目を見張る出来栄えで、おそらくは前作や前々作と比較してもかなりクオリティは底上げされているように思う。そもそも、これまでは敵味方がよく分からないくらいゴチャゴチャして見づらかったのだが、今回はきちんと各キャラが整理されているので大変見やすい。それだけでなく、血か?唾液なのか?何だかよく分からない液体が噴き出して、ロボット達の〝生きてる感”の追及が尋常ではない。日進月歩のテクノロジーであるが、このあたりを見ても本作の映像が現時点で最も緻密でゴージャスなCG映像になっていることは間違いない。
尚、今回はシリーズ初の3D作品である。後半の戦闘シーンあたりになってくると3D効果も麻痺してしまうが、ここまで派手な戦闘を見せられれば、とりあえずはお腹一杯になる。
そして、何より個人的には今回や第1作のような市街戦のほうが、前作の砂漠を舞台にした戦いより俄然燃えるということだ(笑)
欲を言えば、ロボットと人間の作戦にもう少し連携が欲しかった。どうしても、人間は逃げ回るだけになってしまい、これではアクションが単調になってしまう。まぁ、人間ムササビの活躍には大いに笑わさせてもらったが‥。
派手な戦いが繰り広げられる一方で、映画は主人公サムの私生活も描いていく。こちらは主に恋愛ドラマとなるが、相変わらずサムのヘタレっぷりが笑わせてくれる。
尚、今回のヒロイン役は前作までのM・フォックスではなく、別の女優が新キャラとして登場してくる。最初からまるで何事もなかったように付き合っている二人を見て、それまでのヒロインはいったい何のために存在していたのか‥という突っ込み入れてしまいたくなるが、そこはグツと堪えよう‥(そもそも、それを言ってたらきりのない映画である)。
ただ、肝心のこの人間ラマは中盤に差し掛かってもあまり進展しない。というか、オートポットとディセプティコンの戦いにさして関係するわけでもなし、たいして重要な意味があるわけでもない。そのため、中盤まではダラダラと続き少し退屈に思えてしまった。この際、前半はバッサリと刈り込んでも良かったのではないだろうか。
シナリオには他にも破綻部分や伏線の未回収などがあり、色々と不満が残る出来だった。これまでもお世辞にも出来が良いとは言えなかったシナリオだが、今回も同じ印象である。
キャストでは、前作までのレギュラー、J・タートゥーロに加え、J・マルコビッチ、F・マクドーマンドといった演技派も登場し揚々とコメディ演技を披露している。めったに見れない演技という意味で言えばそこそこ楽しめた。それにしても皆物好きだなぁ‥(笑)
戦争巨編堂々の完結!
「人間の條件 第5部死の脱出篇/第6部曠野の彷徨篇」(1961日)
ジャンル戦争・ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) ソ連軍との死闘を繰り広げた梶は、僅かに生き残った部下を引き連れて南下していた。途中で避難民と出会い、彼等と協力しながら生きて故郷へ帰ろうと必死のサバイバルを始める。どうにか焼け焦げた廃墟に辿り着き食料にありつくが、その時にはすでに大半の仲間を飢えで失っていた。そこで暫し休息する梶達。ところが、そこに再びソ連軍の追撃が迫ってきた。彼等は仕方なく廃墟を出て森の中をさ迷い歩く。そこで未だ抵抗を続ける味方の小隊に遭遇した。梶達は敵に背を向けた腰抜けと罵倒され‥。
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(レビュー) 全6部で描かれる戦争巨編の完結編。
第5部では敗走する梶のサバイバルが描かれている。愛する者が待つ故郷を目指して旅をする話で、様々な出会いと別れが戦争の無情を訴えかけてくる。たとえば、飢えで死んでしまう赤ん坊、首を括って心中する一家、慰み者にされ殺される少女等、戦災者、敗残兵の悲劇に迫る一連の描写は筆舌に尽くしがたいほど過酷で、正直見ていてこれほど疲れる映画もなかった。これまで以上に、ひたすら隠滅としたドラマになっている。
最終章となる第6部では、捕虜となった梶が辿る運命が描かれている。非人道的な扱いに反旗を翻す梶の抵抗はヒロイックであるが、本作はそれを非情なるものとして描いている。梶は何度も倒れながら人間の尊厳を訴えかけるが、時に仲間からも反感を買い、彼と彼の周囲に悲劇をもたらしていく。
改めて振り返ってみると、第1部・第2部は中国人工人に対する人権迫害のドラマだった。第3部・第4部は関東軍兵士の人権が、そしてこの第5部・第6部では第1部・第2部では支配する側だった日本人がひとたび敗走の憂き目に遭い、かつての中国人工人と同じように虐げられる立場に追いやられていく。戦争とはそういうものだ‥と言えば確かにそうだが、果たしてここで描かれるドラマをそんな軽い言葉で表現してもいいのだろうか‥。当事者の立場に立てばそんなことを言える余裕などないはずである。本作を見て改めて戦争の非情さを思い知らされた。
こうやって見ると、本シリーズは戦争によって殺される人間性というテーマが終始一貫されていたように思う。これほどの質と量で迫ってくる戦争追体験ドラマは、世界広しと言えどそうそう無いのではないだろうか。製作サイドが投げかけるメッセージに一切の澱みが無いことに圧倒されてしまう。
映画は最後に梶の戦いに残酷な結末を用意している。戦争という過酷な現実に抵抗してきた彼が、ついにクライマックスである行動に出るのだ。それまで彼が唱えてきたヒューマニズムの信念はこの時に折れた‥と思えた。これは無意識のうちに出た行動なのかもしれない。だとすると、彼は戦争という巨大なシステムにいつの間にか取り込まれてしまった‥とも考えられる。実に重い鑑賞感が残る。
尚、第4部まではどちらかと言うと男の世界を中心にしたドラマだったため、女優陣にあまり見せ場がなかったが今回はかなり目立っている。
慰安婦を演じた栗原小巻の妖しさ、戦災少女を演じた中村玉緒の愛らしさ、そして開拓村の娼婦を演じた高峰秀子の気だるさ。それぞれに個性を発揮しながら好演している。戦争の犠牲者は何も男ばかりではない。女は男以上に悲惨な運命に晒されているという事を彼女等が体現している。
また、前作から登場している梶の部下、寺田を演じた川津祐介の好演も光っていた。
そして、何と言っても全6作を通して主演を張った仲代達也の力演を忘れてはならない。特に、ラストの凄まじい形相は必見である。間違いなく本シリーズは彼の代表作の1つと言っていいと思う。
軍内部の非道を描いた直球勝負な反戦映画。
「人間の條件 第3部望郷篇/第4部戦雲篇」(1959日)
ジャンル戦争・ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 関東軍に入隊した梶は厳しい訓練を受けていた。離れて暮らす妻美千子のことを夢に見ながら、終戦を待ち望む日々が続く。そんなある日、行軍の任務中に同じ班の小原が落伍した。皆の見てる前で古参兵から虐待を受けた彼は、その夜自殺した。更に、梶が唯一信頼する新城一等兵も脱走した。一人残された梶は心身ともに衰弱し病院に運ばれる。その後、どうにか体調が回復し再び隊列に復帰する。梶はそこで親友影山と再会する。
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(レビュー) 全6作で描く戦争巨編「人間の條件」の第3部と第4部。全ストーリーの中盤にあたる本作では、梶の過酷な兵役体験が綴られている。人権を無視した懲罰、リンチを描きながら、戦争の無情さ、理不尽さを浮き彫りにした骨太な作りは見応えがあった。
本作で描かれる軍内部の腐敗と混乱ぶりは、以前紹介した山本薩夫監督の力作
「真空地帯」(1952日)に通じるようなテーマだと思った。
梶以外に小原という兵士が登場してくるが、彼に対する虐めなどは見ていて本当に気の毒になってくる。グズでのろまで何をやらせてもダメな、いわば落ちこぼれ兵士なのだが、それが古兵の虐めのターゲットになってしまう。見るに見かねた梶は小原を救おうとするが、その甲斐なく彼は自ら命を絶ってしまう。助けてやる事が出来なかったことの悲しみ、自らの無力さ、自責の念が梶を苦しめることになる。
その後も映画は軍の腐敗を描いていく。信頼する先輩兵士新城の脱走エピソード、親友影山との再会、まだ年端も行かぬ初年兵への教官体験。こうしたエピソードを通して梶は人間性を殺してしまう戦争の理不尽さ、怖さを思い知りながら、軍の不文律を切り崩そうと孤軍奮闘していく。そして、いかに人間らしく生きるか‥という根本的な命題が模索されていく。第1部・第2部同様、人間の尊厳が声高らかに謳われている。
さらに、今回の白眉は何と言っても、第4部で描かれるソ連軍との死闘だろう。ドイツ軍の降伏、沖縄での敗戦を経て、戦況は悪化の一途を辿り、もはや関東軍は玉砕覚悟の特攻に出る事になる。犬死としか言いようが無い無謀な作戦に借り出される兵士達の姿が実にやるせない。ここで梶は小原を救えなかった自責を益々増幅させていくのだが、その境地に到るエンディングは見事だった。緊迫感溢れる演出も素晴らしく、死線を渡り歩く兵士の恐怖がリアルに再現されている。
今回も小林正樹監督の演出は終始堅実である。また、映像のスケールも第1部・第2部に続き壮大で手抜き感はまったく見られない。
ただ、シナリオ上、梶と影山の関係に深く踏み込みきれていない‥という印象は持った。
美千子を挟んだ盟友の思いは描き方次第ではもっとドラマチックに盛り上げることができたと思う。影山からすれば美千子に対する未練がないわけではない。梶からすれば美千子を幸せに出来なかったことに対する申し訳ないという気持ちがあるだろう。再会した二人の間に一体どんな思いが交錯したのか?そこを丁寧に描けば、中盤は更にドラマチックになったと思う。
見応えある戦争大作。
「人間の條件 第1部純愛篇/第2部激怒篇」(1959日)
ジャンル戦争・ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 1943年、鉄鋼会社に勤める梶は同僚美千子と恋仲にあった。満州に出征する親友、影山の勧めで二人は結婚する。その後景山は戦場へ、梶は召集免除と引き換えに満州の鉱山へ赴任し労務管理することになる。そこでは中国人労働者に対する蛮行が横行していた。梶はこの環境を改善しようと尽力する。暫くして、軍から捕虜を特殊工人として引き渡される。脱走を試みる工人達が後を絶たず、梶の心労は極まっていく。
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(レビュー) 名匠小林正樹監督が全6部9時間半をかけて描いた戦争大作。公開時は2部構成3回に分けて上映された。戦争の無益さ、人間の醜さを豪快に筆致した労作で、実に見ごたえのある作品に仕上がっている。
この第1部、第2部では主人公、梶が満州の採鉱場で労務管理に勤しむ所までを描いている。彼は虐げられる中国人工人の姿を目の当たりにして労働環境の改善に努めていくようになる。しかし、強権を振るう現場監督や軍部の妨害にあい、中々思うようにいかない。また、捕虜を特殊工人として受け入れることになり、脱走しようとする彼らとの間で日々折衝に勤しむこととなる。こうして日本人と中国人との板ばさみにあいながら彼の苦悩は続いていく。
中国人に対する非道な扱いが延々と続くため見ていて決して気持ちが良いわけではないが、戦争の理不尽さをまざまざと見せ付けた所に作り手側の気概を感じた。ヒューマニズムを体現する梶の戦いにも説得力が備わっており、おそらく作り手側もこの描写をおろそかにしてはいけない‥そう考えたのだろう。
物語は梶の視点を中心に描かれているが、一方で虐げられる中国人労働者達の視点でも描かれている。工人と売春婦の悲恋、梶から親切にされる中国人青年の葛藤、このあたりは中々ドラマチックに描けていえ見応えがあった。いくら梶が心を砕いても、工人達からしてみれば梶も所詮は日本人である。彼の誠意は中々伝わらない。戦火に芽生える友情を美談として描く作品がある一方で、こうした形で非情な現実を突き付ける作品は大変貴重だと思う。作り手側の真摯さも感じられた。
キャストでは梶を演じた仲代達也の熱演が印象に残った。また、特殊工人のリーダーを演じた宮口精二、梶の片腕として労務管理に当たる山村総も中々の好演を見せている。
特に、山村総演じる沖島は役柄的にかなり複雑で面白い立ち位置になっている。梶のヒューマニストを中和するかのように存在しており、ある種ドラマを客観視させる立場を持たされたキャラで、その葛藤にも注目したい。脱走者が続出すると沖島は工人の管理を強め、梶のやり方とは微妙に異なる姿勢を見せていく。どちらかと言うと、やりたくない仕事だが仕方なくやっている‥というスタンスを取っており、梶には無い人間臭さが見れて良かった。また、収監された梶に妻の美千子を引き合わせる友情には優しさも感じられる。これにはしみじみとさせられた。
作りは全体的に重厚で、モブシーンも中々の迫力が感じられた。長丁場のため途中で息切れするかと思いきや、演出の手抜き感が全く見られず最後までクオリティが落ちなかったところは凄い。
ただ、終盤若干性急に映る部分があったのは惜しまれた。また、不自然な展開も見られる。例えば、釈放された梶が工場に出向いてその足で一旦町へ行き、その後に美千子へ会いに行っている。順番としては美千子に真っ先に会いに行く‥とした方が自然ではないかという気がした。
このドキュメンタリー映画面白すぎ。
「イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ」(2010米英)
ジャンルドキュメンタリー
(あらすじ) 素顔を隠しながら世界をまたにかけるストリート・アーティスト、バンクシー。本作は彼を取材することになった一人のアマチュア映画監督の姿を捉えたドキュメンタリー映画である。
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(レビュー) 西海岸で古着屋を営業しながら趣味でアマチュア映画を撮っているティエリーの数奇な運命を、斬新な構成で綴ったドキュメンタリー作品。
初めはティエリーが様々なストリート・アーティストをカメラに収めていくドキュメンタリー映画かと思って見ていたのだが、後半からガラリと視点が変わっていく。彼の取材対象だったバンクシーが、逆にティエリーを追いかける映画になっていくのだ。撮られる者が撮る側になり、撮る者が撮られる側になるという逆転現象。この変わった構成が意外性があって面白い。
見どころは、後半から描かれるティエリーの嘘みたいな人生だろう。正直言って、ここまで来ると笑えてしまう。バンクシーが、自分を取材した彼を逆に撮ろうとしたのも分かる気がする。それくらい冗談みたいな人生だった。
と同時に、そこには世間の風潮に流されやすい大衆の愚かさというのも見えてきて苦笑してしまう。アートとは本来純粋な創作姿勢にこそ宿るものだと思う。しかし、ティエリーのアートは中身ではなく外見で勝負するビジネスシステムに乗っかって世間に評価されていく。マーケット至上主義と言えばいいだろうか。これは何もアートの世界に限ったことではないが、確かに現代の一側面を正確に表していると思った。複雑な思いにさせられる。
こういうのはドラマとして見せられると、いかにもさもありなん‥という感じで説教臭く映ってしまうが、ことドキュメンタリーという形で見せられると有無をも言わせぬ説得力を帯びてくる。
個人的には、劇中に登場する著名アーティスト、シェパード・フェアリーの言葉に共鳴した。ティエリーは決して正しい方法で今の地位に辿り着いたわけではない。いずれメッキがはがれる時が来るかもしれない‥と彼は言う。果たして、ティエリーの今後はどうなるのか?映画を観終わった後に気になってしまった。