5人兄弟の悲喜こもごもを描いたホームドラマの秀作。
「若者たち」(1967日)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 佐藤家には5人の兄弟がいる。早くに両親を亡くし長男・太郎が父親代わりになって弟達の面倒を見ていた。しかし、度々兄弟喧嘩が起こり、それに嫌気がさした長女オリエが家を出て行ってしまう。彼女は親友マチ子のアパートに引越した。マチ子は勤めていた会社が倒産したばかりで訪問販売の仕事をしていた。しかし、売り上げが中々伸びず苦しい生活を強いられていた。さすがにオリエはいつまでも居候することが出来ず、結局我が家に戻ってくる。一方で、次男・次郎はマチ子に淡い恋心を抱き親交を深めていった。そして、長男・太郎には縁談の話が持ち上がる。しかし、彼は一家を守るという責任感からそれを断ろうと考える。
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(レビュー) 貧しいながらも逞しく生きる兄弟の姿をエネルギッシュに描いた人間ドラマ。
前年に放送された同名テレビシリーズを映画化した作品で、後に2本の続編が作られた。スタッフ、キャストはテレビシリーズと同じである。何となくストーリーが駆け足気味な感じを受けたのだが、元々テレビで放映していたストーリーを強引に切り詰めたからなのかもしれない。
とはいえ、物語の展開は自然に追いかけることが出来、破たんするような箇所も余り見られない。群像劇としてよくまとまっており、クライマックスもきちんとドラマを収束させる方向で上手く盛り上げられていると思った。特に、末吉の大学受験にまつわるエピソード、オリエの悲恋のエピソードにはしみじみとさせられるものがあった。
5人兄弟はそれぞれに個性的に描き分けられている。長男・太郎は工事現場の監督をする一家の大黒柱。次男・次郎はトラックドライバーをしているお調子者。三男・三郎は大学で学生運動にのめり込んでいる生真面目人間。四男・末吉は大学受験を控えている多感な学生。そして、紅一点長女・オリエは家庭を切り盛りする母親代わりのように存在している。彼らは夫々に問題を抱えながら日々の暮らしを送っているのだが、時に助け合い、時に対立しながら家族の絆で結ばれている。
ドラマの大きなポイントとなるのは、家族の中心に存在する長男・太郎を起点としたエピソードになる。弟たちのために結婚もせずひたすら家計を支える献身ぶりは実に尊いものに映る。しかし、その献身ぶりは時に弟たちにとってはお節介となり彼らの反動を呼び起こすことになる。
それを表したクライマックスの壮絶な兄弟喧嘩は見応えがあった。末吉の大学受験の顛末を描くこのシーンは、太郎の意見が平和な食卓に嵐を巻き起こすことになる。末吉の受験を心配する太郎と、三郎、末吉といった弟達が意見を対立させていくのだ。そして、コトは末吉の受験問題から、金と愛どちらが大切かという人生観、そして血縁にどんな意味があるのか?兄弟とは何か?家族とは何か?という問いにまで発展していく。演者の力演も相まって実に見応えのあるシーンになっている。
また、このシーンにおける三郎の「兄弟だから他人なんだよ」というセリフには考えさせられるものがあった。兄弟はいつかは家を出て夫々の人生を歩んでいかなければならない。彼はそのことをよく知っていて、だからこそこのセリフが出てきたのであろう。
しかし、これは弟達をいつまでも自分の目の届くところに置いておきたいという太郎の考え方とは真っ向から対立するものである。
大家族が当たり前だった昔なら太郎のような考え方が普通なのだろうが、時代の移り変わりとともに家族の在り方も変わってきた。核家族化していった当時の状況を考えれば、太郎の考え方は旧態的で三郎達に理解できないのは当然のことなのかもしれない。三郎の「兄弟から他人なんだよ」というセリフには、そういった家族の在り方の変遷が読み取れて面白い。
また、オリエの悲恋は奥ゆかしく描かれており、こちらも印象に残った。ここには被爆の問題が絡んでいるのだが、まだ当時こうした偏見が世間に蔓延してたことを思うと実にやるせない気持ちにさせられた。これも時代の証憑として興味深く見れるエピソードだった。
全体的に演出は堅実にまとめられているが、先述の通り駆け足気味な展開が前半で目につく。やや性急に写る箇所があったのは残念だった。特に、各人物を紹介するアバンタイトル、三郎にまつわるエピソード(特に学生運動との距離感が曖昧なまま処理されていしまったこと)には不満を持った。また、マチ子と次郎の関係ももう少し突っ込んで描いてほしかった気がする。
今作はトータルで90分に満たない作品である。このあたりは、明らかに時間的な制約がネックになっているという気がする。クライマックスシーンのように見せ場となる所は丁寧に描写されているのだが、細々とした所で描き不足が見られた。おそらく尺の問題で全てをパーフェクトに描けなかったのだろう。
ちなみに、音の演出については数か所、感心させられるものがあった。この映画は時々無音になるシーンがある。例えば、次郎がマチ子に詰め寄るバーのシーン、オリエと戸坂が靴屋で再会するシーンなどがそうだ。二人の間だけで流れる特別な時間。それを意識させるような静寂に見ているこちらも思わず引き込まれてしまった。メリハリを利かせた音の演出が光る。
キャストでは太郎を演じた田中邦衛の訴えるような目の演技が素晴らしかった。元々こうした不器用なキャラはこの人の得意とするところであるが、本作ではその魅力がよく発揮されている。
また、彼の婚約者を演じた小川真由美のクールな佇まいも印象に残った。川の堤防における彼女の魅力と言ったら尋常ではない。それまでは自己主張できない箱入り娘だと思っていたのだが、ここで彼女はもう一つの顔を見せる。女の二面性が見事に表現されてるシーンだと思う。
陰鬱なトーンが貫通された不気味なサスペンス映画。ある意味トラウマになりかねない作品である。
「みな殺しの霊歌」(1968日)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) 孤独な工員、川島は高層マションの1室で有閑マダムを乱暴に犯しナイフで惨殺した。彼は彼女から聞き出した4人の女達を次々と殺害しようと付け狙う。彼にはそうしなければならない理由があったのだ。一方で、川島は行きつけの食堂で春子という女性に密かに想いを寄せていくようになる。
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(レビュー) 連続殺人犯の心の闇をシャープに綴ったサスペンス作品。
ストーリー的にはかなり消化不良な感じがして、お世辞にも完成度が高いドラマとは言い難い。警察の動きを含めた周辺描写の甘さ、川島の殺人動機を含めたバックストー リーの踏み込み不足が、ドラマの説得力を失わせてしまっている。川島と春子のささやかな交流もいまひとつ弱い。二人の絆を強めるために春子の過去にまつわる悲劇を用意しているが、いかんせん唐突過ぎる上に、第三者の伝聞という形で川島に分かる格好になってしまいドラマチックさが薄まってしまっている。上映時間が90分と短く一つ一つが表層的で食い足りなかった。構成に山田洋次の名前がクレジットされているが、らしくない仕事振りと感じた。
ただ、異様な雰囲気を漂わせたシャープなモノクロ映像、川島を演じた佐藤允の異形の面構えが強烈なインパクトを残し、ストーリーの物足りなさを補って余りある<映像作品>になっている。
特筆すべきはカメラだろう。いわゆる我々が普通に生活している中で見るアイ・レヴェルのアングルはほとんど登場してこず、ほぼ全編がロー・アングルで撮られている。これによって非日常性、不安、被写体となる川島の孤高性が強調され、緊張感が持続する。明らかに計算されたカメラ演出だろう。
また、シャープなコントラストで描かれた殺害場面も、川島の残酷性を浮かび上がらせ印象に残った。特にアバンタイトルの殺人シーンは白眉の出来栄えである。切れ味鋭いモンタージュが川島の暴力性を見事に表現している。
尚、春子を演じた倍賞千恵子も中々の好演を見せている。寅さんシリーズではお馴染みの朗らかな笑顔をここでも通しているのだが、その裏側に一抹のダークさを忍ばせた点は新鮮だった。彼女にはある悲劇的な過去があり、それとなく匂わす演技は見応えがあった。ただし、先述の通りここでもシナリオの詰めの甘さが惜しまれる。春子の裏の顔を十分に引き出しきれず、その結果終盤の彼女の言動が安易に写ってしまった。
サムライが現代のLAに蘇って悪人をぶった切るB級アクション映画。
「SF ソードキル」(1984米)
ジャンルSF・ジャンルアクション
(あらすじ) 戦国時代の武将ヨシミツの遺体が雪山の奥地で発見された。アメリカの研究所に運ばれ蘇生手術を受けた彼は息を吹き返す。様変わりした世界に戸惑いながら親切な女性記者クリスとの交流に安堵を覚えるヨシミツ。そんな彼を研究所の職員が名刀を狙って襲撃する。ヨシミツは彼をとっさに切り捨てて逃走。その先でギャング団に襲われていた老人を助けるのだが‥。
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(レビュー) 400年前の武士が現代のLAに蘇って悪人たちと死闘を繰り広げるSFアクション作品。
一々理屈を考えていたら見れないが、そこはそれ。B級バカ映画として見れば十分面白い。
特に、タイムスリップ物としての面白さ、和洋のカルチャー・ギャップの面白さに焦点を当てた前半に妙味を感じる。しかも、普通なら悪ふざけのギャグに逃げてもおかしくないところを、案外この映画はそこも真面目に作っている。そこに好感が持てた。
後半はモルモット扱いする科学者の追跡、ギャング団との戦いがヨシミツを孤立無援の状態に追い詰めていく。彼が辿る非情な運命は、女性記者クリスとのロマンスを絡めながらドラマチックに盛り上げられており、哀愁漂う幕引きも中々良かった。
ただ、いくら真面目にやっていても、設定が設定だけにどう転んでもバカ映画であることには間違いない。
例えば、TVに向かって警戒するヨシミツの姿は滑稽であるし、スシ・バーでミフネ・トシローのコスプレと間違われる所などは笑うしかなかった。
また、低予算映画なので物語は随分とこじんまりとしている。今ならCGを使っていくらでも作品の世界観を膨らませることが可能だが、時代が時代だけに中々そうもいかない。小さくまとまりすぎて消化不良な感は否めない。逆に、B級映画という割り切りが出来ていればこんなものか‥という感じで見れるだろう。
ヨシミツ役は藤岡弘が演じている。作品の基本的なテイストに沿ったシリアスな演技をしている所に彼の生真面目さが伺える。しかし、向こうの人にはどう映っただろう?そう思うと、ちょっと切なく感じたりもした‥。
古き良きB級ホラー。
「ハードカバー/黒衣の使者」(1988米)
ジャンルホラー・ジャンルサスペンス
(あらすじ) 古書店で働くバージニアは、ホラー小説にのめり込み過ぎて、最近不思議な幻覚を見るようになっていた。恋人のリチャード刑事に相談するが、笑ってまともに取り 合ってくれない。そんなある日、小説の中の殺人鬼がバージニアの目の前に現れて、本に描かれていた通りの殺人を犯す。
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(レビュー) 終盤に行くに連れてグダグダになっていくが、中盤まではストーリーテリングの上手さでグイグイと引き込まれた。理路整然としない部分もあるにはあるのだが、そこはそれ。この手の超自然現象に一々突っ込みを入れてしまうと映画を楽しむロマンが無くなってしまう。ある程度割り切った上で見るが吉である。
今作は所々に良い恐怖演出が見つかる。小説の中の出来事と現実の出来事は映像トーンがきっちり描き分けられており、小説内は60年代風なトーン、現実は現代的な‥と言っても今見ると少し古臭い80年代のトーンになっている。そして、そこで行われる殺人シーンの数々。これが中々良い。
例えば、ピアノ調律師が殺されるシーンは、殺人鬼が忍び寄る影の演出が秀逸だった。光と影のコントラストを効かせながら巧みに恐怖が盛り上げられている。また、その現場をバージニアが離れた場所から眺めるというシチュエーションも良い。A・ヒッチコックの「裏窓」(1954米)に通じるような〝覗き見”の背徳感が加わりゾクゾクするような興奮を覚えた。一部しか見せないほうがかえって怖い‥という観客心理を見事に突いている。
一方、残念だったのは先述の通り終盤にかけての展開である。図書館における犯人追跡のオチにはイスからずり落ちそうになった。ユーモアを盛り込むことに反対はしないが、あってもそれは物語の前半なら許せる。しかし、緊張感が張り詰めた終盤にこういうのを出されると興ざめしてしまうだけである。
そういう意味では、クライマックスに登場するアレも何だか滑稽過ぎて笑えてしまった。当時のCG技術が今みたいなレベルまで達していないことを考えれば仕方がない‥と言う気もするが、そこは演出でカバーしてほしい。
プロット自体はシンプルで食い足りないがスタイリッシュな映像は今見てもまだまだ通用する。
「エンゼル・ハート」(1987米)
ジャンルホラー・ジャンルサスペンス
(あらすじ) 1955年、ニューヨーク。私立探偵エンゼルは、サイファーという男から人気歌手ジョニーの生死を確認して欲しいという依頼を受ける。ジョニーは戦争で負傷し今は郊外の病院に入院しているらしい。しかし、調べてみると彼はその後消息を絶っていた。エンゼルはジョニーを追いかけるうちに奇妙な殺人事件に巻き込まれていくようになる。
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(レビュー) 謎の男を捜索する探偵が次第に悪魔の陰謀に取り込まれてしまうオカルト・サスペンス。
製作時期がわりと近いというのと、ノワール調な映像が少し似ているというところで、俺の中では「ジェイコブス・ラダー」(1990米)とゴッチャになってしまうのだが、本作の方はかなり正統派的な作りになっている。ちなみに、「ジェイコブス・ラダー」は今見ても未だに斬新に感じてしまう。それだけ奇天烈変態な作品だった‥ということなのだろう。
探偵が悪夢的迷宮に溺れていく様は、いかにもフィルム・ノワールっぽい作りである。プロット自体はよくあるもので少し古臭く感じられる。また、ミステリのからくりも早急に分かってしまい物足りない。これだけヒントが散りばめられていればオチは早々に気付くだろう。
ただ、本作にはストーリーの陳腐さを補って余りあるスタイリッシュな映像がある。監督A・パーカーのセンスが作り出す映像は今見てもかなり刺激的で全然錆びていない。
特に、冒頭のシーン、闇と光で描き出すエンゼルの悪夢シーンは実に渋い。往年のフィルム・ノワールを想起させるコントラストを効かせた眩惑的な映像には痺れてしまった。
また、コニーアイランドのシーンも異様な雰囲気を漂わせ印象に残った。尚、この時登場する鼻シャッポにはクスリとさせられた。フィルム・ノワールの傑作「チャイナタウン」(1974米)のJ・ニコルソンの鼻絆創膏を髣髴とさせる。明らかにA・パー カーが狙った"お遊び”だろう。
また、後半のベッドシーンも印象に残った。天井から滴り落ちる雨漏りが次第に鮮血にまみれていくアイディアは恐怖演出としては中々優れている。
このように本作は映像面では大いに見応えがあり、尚且つドラマの舞台からどこかノスタルジックな風情も感じられゴージャス感も漂う。1本の映像作品としてはかなり完成度が高いと思う。
キャストでは、エンゼルを演じたM・ロークのルーズな佇まいが中々に良かった。当時はセクシー男優として人気絶頂だった頃だったと思う。以後は何を勘違いしたか、ボクサーに転向したり、ドラッグに溺れたりしながら徐々に人気が凋落してしまった。おそらくこの頃が一番輝いていた時期であろう。改めて本作を見ると、もっと活躍できた俳優なのに‥と惜しまれる。
一方、サイファーを演じたR・デ・ニーロの怪しい佇まいも雰囲気があって良かった。あからさまな出オチ臭にガッカリさせられるが、開き直りも言えるレストランでのヤリ過ぎ演技(?)が素晴らしい。おそらく本人もノリノリ でやっているのだろう。大仰過ぎて笑えてしまうのだが、このシーンはデ・ニーロにとって今作一番の見せ場となっている。
どうしたS・ライミ!ギャグは良かったが恐怖はスベリまくりだぞ!
「スペル」(2009米)
ジャンルホラー・ジャンルコメディ
(あらすじ) 銀行に勤めるクリスティンは出世のために、ローンの延長を頼み来た老婆を冷たく追い返した。その後老婆は死に、クリスティンの周辺に奇妙な現象が起こるようになる。偶然入った占いの店で、彼女は驚愕の事実を知らされる。
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(レビュー) 老婆に呪いをかけられた女性の恐怖を描いたホラー映画。
監督・脚本は「スパイダーマン」シリーズで一躍ブロックバスター監督の仲間入りを果たしたS・ライミ。元々がホラー畑出身なので、今回は元のジャンルに戻ってきたということになる。「スパイダーマン」に携わっていた間に出来なかった鬱憤を一気に晴らしたい‥と言ったところだが正直、出来は今一つ‥。
デビュー作である「死霊のはらわた」(1983米)の勢いに比べると、さすがに演出は大人しくなってしまっている。この人独特の下品さも抑え目で、残酷描写もG指定(年齢関係なく誰でも見れる)なので大人しい。まぁ、広い層をターゲットにするならこれもやむなしという気もするが、そこらの監督が撮るならいざ知らずあのS・ライミが久々にホラーを撮ったわけであるから、もう少しパンチが欲しい。
それでも、コメディタッチについては幾つか面白いものがあった。目玉や入れ歯が飛び出す演出は、間抜けな効果音もあいまって爆笑してしまった。鼻血ブーッのシーンも最高である!老婆や恋人、占い師の造形もコメディらしく分かりやすくて良いと思った。
ドラマはこの手のジャンル映画なので余り期待は持てない。非常にシンプルな構成のドラマとなっている。ただ、最後のどんでん返しは「技あり!」に思えた。
欲を言えば、若干中だるみが生じてしまうのでそのあたりを少し工夫してほしかったか‥。前半でクリスティンの悪夢が度々登場してくるが、ここを削ぎ落とせば早々に本題に入れたと思う。後半の降霊会のシーンを前倒しにすることで食いつきの良い作品にすることは出来たように思う。
ヒロインについては×‥というよりもはや演技力が問われるレベルだと思う。ホラーにおける要、絶叫演技は中々良いのだが、忍び寄る恐怖に表情を引きつらせるような"中テンション″の演技が全然出来ていない。来るぞ‥来るぞ‥と思わせてハラハラさせる。これこそがホラー映画の醍醐味であろう。しかし、この女優は、来るぞ‥来るぞ‥という演技がまるでなっていない。これでは見ているこちらにも全然怖さが伝わってこずミスキャストと言うほかないだろう。
未公開のエクソシストものだがラストが切ない‥。
「レクイエム~ミカエラの肖像」(2005独)
ジャンルサスペンス・ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 小さな田舎町に住む少女ミカエラはてんかんの持病があり、長らく病気療養を余儀なくされていた。しかし、このたび大学に進学することになり、親元を離れて 寄宿舎に入居する。幼馴染ハンナと同室になり、ボーイフレンドも出来て、青春を謳歌するミカエラ。ところが、ある日突然病気が再発する。精神治療を受けて も一向に回復の兆候が見られない。ついに、ミカエラは藁にもすがる思いで牧師に相談する。
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(レビュー) ドイツで実際にあった悪魔憑きの少女の話を描いたサスペンス・ホラー・ドラマ。
以前、このブログで紹介した
「エミリー・ローズ」(2005米)は、この映画の元になった実話をモデルにして作られた作品である。ミカエラの顛末がどうなるかは「エミリー・ローズ」を見て知っていたので、この結末にはさして驚きはしなかった。しかし、それが分かっていても、やはり彼女が辿る悲劇的な運命は胸に響いてくる。
尚、本作にはオカルティックな要素が多分に入っているが、それらは映画を構成するテリングに過ぎない。基本的にはシリアスな人間ドラマであり、見世物小屋的なハッタリは限られた範囲でしか登場してこない。そのためジャンル映画として見てしまうと実に地味な作品と言わざるを得ない。
逆に、そういったフィルターを取り外して見れば、実に興味深く見れる作品である。悲しい運命を背負った少女の葛藤が痛々しく描かれている。
映画はミカエラが何故宗教に頼らなければならなかったのか?そこをじっくりと描いている。ただし、劇中でその答えは明言されていない。そこは見る側が想像するように作られている。ちなみに、自分は次のように解釈した。
ミカエラは孤独の殻に閉じこもって生きている。そうさせた一番の原因は彼女の母親にあるような気がした。劇中では母親のミカエラに対する強圧的な態度が何度か登場してくる。そこから、彼女は幼い頃からミカエラを厳格に育ててきたのだろうな‥というのがよく分かる。そして、こうした母との関係によってミカエラは内向きな少女になってしまったのではないか‥。そんな風に想像できた。
例えば、ミカエラは母親から貰ったロザリオに触れる事が出来ない。深層心理に母親への畏怖、拒絶、憎悪が存在するからであり、これは何も今に始まったことではなく遠い昔から蓄積された母に対するネガティブな感情があるからであろう。このあたりは「キャリー」(1976米)の母娘関係に少し似ていて、児童虐待的な問題も見えてくる。
このように、この母子関係を踏まえた上でこのドラマを見ていくと、ミカエラが牧師にすがった理由というのも自ずと読み解ける。
おそらく、ミカエラはロザリオに母親を見ていたのだろう。つまり、彼女にとって母親と神は同義だったのだと思う。ロザリオに触れられないと言って牧師に助けを求めたのは、神(=母親)への救いの表れであり、拒絶し拒絶されてきた母親との関係を修復したいという願い、言い換えれば母性求愛の代償行為のように映った。
現にラストで何となくわかって来るのだがが、ミカエラは自我を顕示できない無垢なる存在に自分を見せかける事によって、母親の愛を受けようとしていたような節がある。何故彼女は悪魔憑きを演じてまで宗教に助けを求めたのか?それは母親との関係を清算し、新たに良好な関係を築きたかったからではないかと想像できる。
そう考えると、ミカエラの切ない思いには実に憐憫の情を禁じ得ない。見終わった後には何とも悲しい気持ちになった。
悪魔憑きの映画と言っても本作はホラーではない。あくまで孤独な少女の内面に迫った重厚な人間ドラマである。彼女の悲しみ、葛藤を噛みしめることが出来れば、中々の佳作と言う事が出来よう。
真面目な三池流時代劇。こんなものも撮れるのか‥と良い意味で裏切られた。
「一命」(2011日)
ジャンル人間ドラマ・ジャンルサスペンス
(あらすじ) 関ヶ原の戦いの後、豊臣勢についた武士達の中には、生活に困窮し大名屋敷の前で狂言切腹するのが横行していた。ある日、井伊家の前に津雲半四郎という浪人がやってくる。彼は切腹したいので庭先を拝借したいと申し出た。当主・斎藤は、以前同じ用件でやって来た千々岩求女という若い浪人の話をする。斎藤は二度とこのようなことが起こらぬよう彼に切腹を許したというのだが‥。
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(レビュー) 小林正樹監督の「切腹」(1962日)をリメイクした作品。
困窮する武士の悲劇的な運命をドラマチックに綴った中々の力作だ。監督の三池崇史は前作
「十三人の刺客」(2010日)に引き続き再び時代劇というジャンルに挑み、見事にこれまでの作家としてのスタイルからの脱皮を成し遂げることに成功したと思う。
今回はガチでシリアスな時代劇になっている。前作は活劇の面白さを追求するために、まだ幾分三池流のギャグが残されていたが、今回は徹頭徹尾、真面目に作られていて、最後までストイックな姿勢を崩さなかった所にちょっとした感動すら覚えた。
物語も端正に構成されている。半四郎が切腹する現在パートと求女の切腹する過去パートをシンプルにカットバックしながら、二人の思いが上手く表現されていた。特に捻りはないものの、作品に重厚さが生まれ夫々の葛藤も見えてきやすい。堅実にストーリーが組み立てられている。
ただ、堅実は堅実なのだが、三池流のもう一つの特徴である凄惨なバイオレンス演出は今回も出てくる。前半のドラマのポイントである求女の切腹シーンにおけるの執拗な残酷演出。ここは好き嫌いがはっきりと分かれそうな気がした。ただ、個人的には求女の痛み、苦しみを強調するための演出ということを考えれば、ここは念入りに描いてなんぼ‥という気もする。逆にここが軽々しく描かれると、以後のドラマは引き締まらなくなってしまうだろう。それ以外については、ほとんどが会話劇、日常の芝居になっているので、こうした三池流バイオレンス演出は出てこないが、ここだけはハッキリと彼の嗜好が見て取れた。
後半のポイントはチャンバラにシーンになるのだが、ここも緊迫感とスピード感があって中々良かった。降雪の演出にちょっとだけ
「スキヤキ・ウェスタン・ジャンゴ」(2007日)のクライマックスが重なりクスリとしてさせられたが、そこは三池監督が考える映画の〝色気”なのだろう。本作は時代劇初の3D作品である。おそらくこの降雪は3Dを考えた演出なのかもしれない。今回は2Dでの鑑賞だったので、どういう風な効を発揮していたのかは未確認であるが、映画のケレンミを出すための三池流演出というふうに捉えた。
キャストでは半四郎を演じた市川海老蔵の好演が光る。古典に身を置く者としての嗅覚と言えばいいだろうか‥セリフ回しや所作に貫禄が感じられた。一部で臭すぎる芝居は見られたが概ね好演している。
求女を演じた瑛太は何と言っても切腹シーンの熱演が見応えがあった。
一方、ヒロインを演じた満島ひかりはファナティックな演技こそさすがに上手さが感じられるが、日常のセリフが少しぎこちなく聞こえた。貞淑な妻という役柄からだろう。全体的に声のトーンを弱めているのだが、普段演じているキャラクターとどうしても見比べてしまい不安定に聞こえた。
少女のひたむきな戦いをシリアスに綴ったハードボイルド作品。
「ウィンターズ・ボーン」(2010米)
ジャンルサスペンス・ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) ミズーリ州の片田舎に、精神疾患の母と幼い姉弟の面倒を見ている少女リーがいた。父は麻薬密売の罪で起訴され、その保釈金のために家と土地を差し押さえられている。その後、肝心の父が行方不明になってしまい、いよいよ家族は路頭に迷いそうになる。リーは必死になって父親探しに奔走する。しかし、中々足取りがつかめなかった。そんなある日、叔父のティアドロップが、父はマフィアと関わっていたことを打ち明ける。
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(レビュー) 家族を支える少女が行方不明の父を探して闇社会に足を踏み入れいていくヒューマン・サスペンス作品。
曇天の下、貧困に喘ぐ家族の暮らしぶりが延々と描かれているので、決して晴れ晴れとするドラマではないが、ラストには少しだけ安堵させられた。見ている最中はかなり息苦しかったが、このラストで救われたような気がした。
物語はいわゆるイニシエーション・ドラマとして実に周到に作られている。言ってしまえば、少女が今まで知らなかった未知の世界を体験しながら成長していく‥という冒険談で、エッセンスだけを抜き取れば実に普遍的な物語である。しかし、だからと言って決して今作が凡庸な映画だと言うつもりはない。
第一に閉塞的な田舎町を舞台にした点が魅力的である。全編に渡ってかなり異様な雰囲気が漂い、これが結構怖い。S・ペキンパー監督の「わらの犬」(1971米)のイヤ~な雰囲気に近い。
また、主人公を少女に設定した点も大きなセールス・ポイントだと思う。これが少年だったら間違いなく父を乗り越えていく息子の話‥というような手垢のついたドラマになっていただろう。女で子供。この世で一番非力で弱い存在であるから、このドラマは面白く感じられるのだ。
リーはまだ17歳という設定の割に、その言動は随分と大人びている。周囲の大人たちに物おじせず、時には彼らを黙らせるような鋭い指摘もする。父親がいなく母親が病気という特殊な家庭環境が彼女を強くさせたという見方が出来よう。
‥と同時に、彼女はやはりまだ年相応の少女なのである。
例えば、彼女の交友範囲は映画を見る限りごく一握りに限られている。過疎化した村社会では当然という気もするが、そもそも彼女はまだ大人社会にコネクションを持つ術を知らない未熟な若者である。
あるいは、切羽詰って安易に軍隊に入ろうとするシーンが出てくるが、冷静に考えれば未成年である彼女が入隊出来るはずがない。つまり、リーはまだまだ思慮の浅い子供なのである。
思春期の少年・少女とは、大人と子供の間で揺れ動く不安定な存在である。本作のリーも正にその通りで、事あるごとに不安定な心理状態、どっちつかずな宙ぶらりんな心理に陥ることでキャラクターのリアリティ化が図られている。そして、キャラクターがリアルになってくれば当然見る方としても感情移入しやすくなり、彼女に助かって欲しい、家族が救われて欲しい‥と願わずにいられなくなる。本作の上手さは正にここで、リーというキャラクターに息吹を与えるための作劇に一切手を抜いていない所にある。これは見事だと思った。
そんなリーがボロボロになりながら様々な障害や困難に立ち向かっていく姿は実にケレンミに溢れている。
例えば、マフィアの巣窟に単身乗り込んで父の行方を聞き出そうとするシーンがある。これはこの間見た
「トゥルー・グリット」(2010米)における少女マティが陥る状況によく似ていると思った。父殺しの復讐を果たそうと過酷な戦いに身を投じていくマティの勇気は実に印象的だったが、それと共通するような頼もしさがこのリーには感じられた。
そういえば本作の舞台はミズーリ州の寒村である。連想されるのは西部劇、そして劇中にはカントリー・ソングが度々かかる。この作品を見て何となく懐かしい感じがするのは、こうした西部劇テイストが随所に散りばめられているからなのかもしれない。
そして、リーの勇気が試される最大のクライマックスとも言うべき川のシーン。ここは実に見応えがあった。罠ではないか?という危険な匂いがしてかなりハラハラさせられる。この映画はこれでもか‥というくらい彼女を追いこむ仕掛けが用意されているが、このシーンの追い込み方はちょっと尋常ではなかった。中盤のリンチも凄かったが、さすがに直接描写はなかった。しかし、このクライマックスは描写の省略などせず、ひたすらリーの苦渋を深々と捉えている。
監督はこれが長編2作目の新人監督らしいが、このクライマックス以外にもここぞというシーンで息詰まるような緊迫した演出を重ねてくる。中々手堅い演出をする作家だと思った。
ただ、設定説明に費やす箇所に一部拙さも見られ、特に前半はドラマが中々前に進まないので少しじれったく感じられた。ここをサラリと描ければもう少し食いつきの良い映画になっていただろう。このあたりの処理を上手くこなせればかなりの監督になるような気がする。
キャストはほぼパーフェクトだと思う。昨年見た
「フローズン・リバー」(2008米)にも感じたことだが、アメリカのインディーズ界にはまだ見ぬ実力派がゴロゴロと転がっているものだ。リーを演じたJ・ローレンスは本作でアカデミー賞他、数々の映画賞で主演女優賞にノミネートされた。今後どういった活躍を見せていくのか楽しみである。
B級テイスト溢れる過激なアクション・スプラッター作品。
「片腕マシンガール」(2007日米)
ジャンルアクション・ジャンルコメディ
(あらすじ) 高校生アミはたった一人の家族・弟ユウを虐めで殺された。復讐を果たすため虐めていた同級生の家を襲撃するが、相手はヤクザの息子で逆に返り討ちにされてしまう。傷だらけになった所をユウの親友の両親に助けられる。彼らの息子も虐めで殺されていた。こうしてアミ達の壮絶な復讐劇が始まる。
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(レビュー) 弟を殺された少女の復讐をB級テイスト溢れるタッチで描いたアクション・スプラッター作品。
もともとは北米のビデオメーカーで製作された作品で、日本のサブカル・ネタがふんだんに盛り込まれていることが話題になり逆輸入された作品である。監督・脚本は異才・井口昇。
ストーリーは一本調子であるし、中には唐突に映る箇所もある。また、演出も取ってつけたような悪ふざけ感が鼻につき今ひとつ笑えなかった。浮きまくりなCGにしろ、過剰な演技にしろ、何もかもが狙ってチープに作られており、そこをどう評価するかだろう。こういうのは見る人を選ぶと思う。ならばその悪ふざけに乗ってやろうじゃないか‥という人なら面白く見れるのではないだろうか。
ストーリーはこの際置いておくとして、売りとなるビジュアル演出にもう少し洗練さが欲しい。敢えてチープにすることでブラックコメディに味付けしているのは分かるが、そればかりだと見ていて段々面白味が薄れてしまう。
例えば、S・ライミ監督のデビュー作「死霊のはらわた」(1983米)と比較してみるとよく分かる。両者ともスプラッター描写におけるこだわりが感じられるが、S・ライミは全てをギャグで逃げているわけではない。シリアスとコメディの緩急をつけることで、クライマックスの盛り上げをきちんとはかっていた。それと比較すると本作はクライマックスまでもが〝笑い”で片づけられてしまっている。どうしてもダラダラとした印象しか残らない。
あるいは、よりコメディに特化するならP・ジャクソンの
「ブレイン・デッド」(1992ニュージーランド)くらいの徹底したバカバカしさが欲しい所である。
ただ、アクションの演出についてはまずまずのキレが感じられた。日本と言えば忍者、服部半蔵という発想がバカっぽくて良い。飛んだり跳ねたりのアクションを手堅く見せきった演出は救いである。