TV版同様ユル~いテイストが楽しめる。
「映画 けいおん!」(2011日)
ジャンルアニメ・ジャンル青春ドラマ・ジャンル音楽
(あらすじ) 桜が丘高校の軽音部員・唯、澪、律、紬は卒業を控えていた。後輩・梓に何か残せないかと思案していたところに本人が登場し、つい卒業旅行に行くとでまかせで言ってしまう。こうして5人はロンドン行きの準備を始めるのだが‥。
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(レビュー) 同名コミックのTVアニメが2期製作されたが、今回はその劇場版となる。一応ストーリーはTVシリーズで完結しており、今回はその最後のエピソードを新たに作り直したという体になっている。
制作した京都アニメーションのクオリティの高さはTV版でも実証済みで、本作もその点については期待を裏切らない出来になっている。決して派手なシーンがあるわけではないが、日常のちょっとした風景描写に様々なこだわりが感じられる。そして、そうした丁寧な作画の積み重ねが軽音部の面々を生き生きとしたキャラに仕立て上げ、作品自体を愛おしいものにしている。
物語は唯たちの日常を淡々と綴ったTV版同様、ほのぼのとしたテイストが貫かれている。この緩さは「けいおん!」の一つの特徴で、ファンなら作品世界にすんなり入れよう。一応、卒業旅行という大きなイベントは用意されているが、そこで繰り広げられる様々なアクシデントも徹底して緩く描かれており、卒業を控える唯たちの葛藤をどうこう変化させるものではない。あくまでファンが唯たちと一緒に旅行しているような楽しい気分に浸ってください、最後の思い出作りをしてください。そうした狙いの下で本作は造られている‥という感じがした。
逆に、一見さんの中にはこのダラダラとした展開に退屈感を覚える者もいるかもしれない。また、サブキャラに関しては、一見さんには少し分かりづらい面があるので、念のためTV版を見た上での鑑賞がベターだろう。
卒業旅行の傍らで、梓との惜別のドラマが描かれている。実は、こちらがクライマックスを盛り上げるメインのドラマであって、TV版では視点を切り替えて描かれた最後の部分となる。卒業旅行だけを描く番外編的な作り方もあったと思うのだが、TVを見てくれたファンに対するお礼だろう。「けいおん!」という作品の基本に戻って大団円としている。
ただ、卒業旅行というイベントと梓との別れというイベント、この二つを並行させたことで、作品は若干散漫な感じになってしまった。この二つが緊密に関連付けられていれば、相乗効果的に盛り上げることが出来ただろうが、そこまで上手く歯車がかみ合っているようには思えなかった。早朝のゲリラ・ライブにしても蛇足でしかなく、構成面の粗さが惜しまれる。
劇中歌はどれもポップでカラフルで良かった。演奏シーンも京アニらしくクオリティが高く満足いく出来栄えとなっている。
尚、最も印象に残ったのは屋上のシーンだった。この時もしかしたら唯たちは泣いていたのかもしれない。しかし、それを後ろ姿とセリフだけで匂わせた所に演出の妙を感じる。飛行機雲、飛翔する鳥、疾走する唯たちの姿が解放感に満ちていて、いかにも青春ドラマ!という感じがして良かったと思う。
戦争の悲劇を母性愛で切り込んだ意欲作。
「サラエボの花」(2006ボスニアオーストリアヘルツェゴビナ独クロアチア)
ジャンル人間ドラマ・ジャンル社会派
(あらすじ) ボスニア紛争から10余年。シングルマザー、エスマは思春期の娘サラと暮らしていた。サラは幼い頃から父親がシャヒード(殉教者)だったと教えられていたが、最近それが嘘なのではないかと思うようになっていた。というのも、修学旅行の費用を工面するのに、エスマがホステスの仕事を始めたからだ。父親がシャヒードなら費用は免除してもらえるはずなのに‥。そんなサラの不信をよそに、エスマはベルダという店の用心棒とかすかな交流を芽生えさせれていく。それを見たサラは反抗し‥。
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(レビュー) シングルマザーの深い愛を戦争の歴史を交えて描いた人間ドラマ。
ボスニア紛争を描いた映画は幾つか見たことがあるが、母性というテーマでこの戦争に切り込んだ作品を自分は今までに見たことがなかった。それだけに本作は新鮮に見れた。
また、今作は戦争の悲惨さを訴えた作品であるが、戦場の直接的な表現は一切登場してこない。これも評価できる。悲惨な戦場を描けばとりあえず反戦メッセ―ジにはなるが、今作は敢えてそれを封印、戦後の一般市民の生活に目を向けている。例えば、エスマのような女性が数多くいるという厳然とした事実、戦争後遺症で保護給付金を受け取る者、職に就けない者、戦時の敵同士が共生するという異常な現象、こういった市井の日常を通して戦争の悲惨さ、残酷さを訴えているのだ。かなりジャーナリスティックな視点を持った作品と言うことができよう。
物語は、エスマとサラの愛憎ドラマを軸として進行していく。更に、途中からエスマとベルダの恋愛ドラマが加わり、この二つが絶妙に絡み合いながら盛り上げられている。
また、エスマのアイデンティティーの混迷というのも大きな見所となっている。この手のシングルマザーのドラマではよく目にする葛藤だが、丁寧になぞられており見終わった後にはズシリとした余韻が残った。中々の重厚感だ。
今作の白眉は何と言っても、クライマックスのエスマとサラの衝突のシーンである。二人の熱演もさることながら、ドラマのボルテージの高め方の上手さもあって実にエキサイティングだった。また、その後に続く集団セラピーでのエスマの表情も忘れ難い。静かではあるが、しっかりと戦争の悲劇が語られている。
他にも本作には幾つか印象に残るシーンがあった。
サラと喧嘩相手の男子生徒の交流には何とも言えぬ寂寥感が漂う。共に父親が同じ運命を辿ったということから始まる友情で、彼らの関係変遷にはしみじみとさせられた。
また、一瞬だけ映るベルダの私生活も魅力的だった。彼は認知症の母親と同居しており、その時に見せる表情がベルダという人間を愛すべきキャラに仕立てている。彼は用心棒という職業柄、普段は厳つい表情を貫いている。それがこの時だけは柔和な表情に変化するのだ。サラのためにシングルマザーを貫き通してきたエスマが惚れる男である。それに見合うだけの人間的魅力がこの表情から感じられた。
難は、終盤にかけての展開だろうか。このラストをもってエスマとサラの関係が修復されたのだとするなら、それはさすがに強引であろう。そこに至るまでにもう1アクション、二人の関係修復をそれとなく分からせるシーンが欲しい所である。
また、修学旅行の費用を結局こういう形でクリアされてしまうと、それまでのエスマの奔走は一体なんだったのか?ということになりかねない。エスマとサラの確執の根本に絡む問題である。それをこうもアッサリ解決されてしまっては何だか味気ない。
今作はテーマもドラマも力強く発せられているが、終盤にかけての詰めの甘さが惜しまれる。そこを除けばしみじみとした感動を味わえる中々の佳編である。
幸せが偽装によってしか得られない悲しみ。実に不幸なことだが見応えある。
「ロルナの祈り」(2008ベルギー仏伊)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) パートをしながら麻薬中毒の夫クローディを支える主婦ロルナには、ある秘密があった。実は、彼女はファビオというタクシー運転手の依頼で偽装結婚をしていたのである。クローディはいずれ廃人になって死ぬだろう。そうすれば彼女には次の偽装結婚の相手が待っていた。その一方で、ロルナには同郷の恋人ソコルがいた。彼女は偽装結婚で稼いだ金を元手に彼と小さなバーを構えようとする。
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(レビュー) 偽装結婚を繰り返す女の苦悩をシリアスに描いた人間ドラマ。
製作・監督・脚本はダルデンヌ兄弟。彼らの作品は、手持ちカメラによるドキュメンタルなスタイルが一つの特徴である。本作のカメラもロルナの姿をつぶさに監察しながら、彼女が辿る運命を生々しく切り取っている。緊張感と臨場感が最後まで持続し、目の離せない作品に仕上がっている。
さて、本作は偽装結婚をモチーフにしたドラマである。国籍を得るための偽装結婚という題材は過去になかったわけではないが、何故ダルデンヌ兄弟はこれを描こうとしたのだろうか?それを考えてみると興味深い。
ベルギーの首都ブリュッセルは、昨今中東系を中心とし移民が大変多いそうである。おそらくダルデンヌ兄弟はこの深刻な社会問題を描こうとしたのだろう。ただし、過去のフィルモグラフィーと照らし合わせて考えてみても、彼らはそれほどガチな社会派作品を撮っているわけではない。むろんそれも目的の一つだったろうが、本当の理由はもう一つあったのではないかと想像できる。それは〝物語的な面白さ″を狙うということだ。
例えば、過去に偽装結婚をモチーフにした作品ではこういった映画がある。アメリカの永住権を取得するために偽装結婚するカップルをロマンチックに描いた「グリーン・カード」(1990 米)。ヤクザが中国人女性と偽装結婚する浅田次郎原作の「ラブ・レター」(1998日)。あるいは同原作を韓国に置き換えて作られた「パイラン」 (2001韓国)等。これらの作品は、バレたらおしまいというスリリングさ、倫理に反する背徳感が主人公を追い詰めドラマを面白く見せていた。つまり、偽装結婚という素材はサスペンスとメロドラマの複合的な要素を持ち合わせた大変魅力的な素材なのである。だからこうして度々作品のモチーフとして取り上げられる。そして、本作のロルナも常に危機感を募らせながら、恋人に対しては申し訳ないという後ろめたさを抱えて葛藤している。
また、後半に入ってくると更に別の問題が発生しロルナを追い詰めていくようになる。これは先の偽装結婚物の映画では見られなかった”妊娠”という問題だ。形だけの偽装結婚なのに何故?という疑問が見る側には当然芽生える。そこがこの物語のミソで、後半はこの妊娠を巡って彼女の葛藤がミステリアスに綴られていく。
元来、セリフに頼らないダルデンヌ作品は観客に不親切と言う事も出来る。しかし、逆に語らない演出がツボに入ると、こういう風に良い塩梅にミステリアスなドラマになっていく。見る側は「一体何が起こっているのか?」という疑問を常に抱きながら映画を見進めていくことになるのだ。こうした観客の好奇心を喚起するタルデンヌ脚本の上手さは、近年冴えわたっていると言っていい。尚、ラストは「そんなことあるわけが無い」という疑問に対する回答がきちんと提示されており、十分にカタルシスが感じられた。
また、作劇の上手さということで言えば、中盤の〝ある展開″もドラマの転換的として実に巧みに組み込まれていると思った。作風が淡々としているだけに、不意にこうした展開を出されるといっそう劇的に感じる。
ダルデンヌ兄弟の作品は決して明快な説明をしてくれる作品ではない。そのため玄人好みの作品であることは間違いない。しかし、ちょっとした人物の表情の変化、一見すると唐突に映る行動等から、そのキャラの心中や、その後の展開を色々と想像させる大変骨のある作品ばかりである。彼らの作品は新作が作られるたびにカンヌで称賛を浴びているが、本作を見ればその理由が改めて分かろうというものだ。この「ロルナの祈り」は、彼らのフィルム・メーカとしての力量を再確認できる1本である。
乾いたタッチで描く緊迫感みなぎる実録犯罪映画。映像化した勇気に拍手。
「ゴモラ」(2008伊)
ジャンル人間ドラマ・ジャンルサスペンス
(あらすじ) ナポリを拠点とする犯罪組織カモッラ。そこには様々な人々が暮らしていた。少年トトは配達の仕事をしながらいつかカモッラに入りたいと思っていた。家賃の取り立てをしながらカモッラに上納しているドン・チーロは、最近の抗争に危機感を募らせていた。無軌道に生きるチンピラ少年マルコとチーロは、強盗を繰り返しながらいつかナポリの帝王になることを夢見ていた。組織の産業廃棄物処理会社に就職したロベルトは、そこで非情な現実を目の当たりにする。組織の下請け工場で仕立て屋をしているパスクワーレは、新作のオートクチュールの入札に成功し仕事に精を出す。
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(レビュー) イタリン・マフィアと言えば、フランシス・F・コッポラの「ゴッドファーザー」シリーズが思い出されるが、本作に登場するカモッラもその系譜に入る現代のマフィアと言えよう。尚、カモッラは実在する組織である。原作者は組織から暗殺の脅迫を受け海外に逃亡したという。その話を聞くと、よくそんな危険なものを映画化できたな‥と思ってしまった。
物語は5つのエピソードを同時並行に描く群像劇になっている。一部で若干分かりづらい部分もあるが、夫々に見応えがあった。
中でも、少年トトが辿るエピソードは強く印象に残った。年端もいかぬ少年の人生がこうも簡単に狂わされてしまう現実。それを映画はドキュメンタリータッチに描いている。組織に入るための〝ある試験”にも驚かされたが、なんと言っても最後に彼の採った選択。これが抗いようのない現実を強烈に印象づけ、一体彼は今後どんな人生を歩むのだろうか‥と空恐ろしさをおぼえた。
ロベルトのエピソードは、この中では割と救いのあるエンディングを迎える。しかし、これもその後の人生を考えると一概にハッピーエンドとは言い難い。そもそもこの映画は誰が敵で誰が味方か分からない怖さを孕んでいる。ある日突然隣人から「ズドン!」とやられてしまう‥なんてことが日常茶飯事で、ロベルトもいつかそんな風になってしまうのではないか‥という嫌な後味を残す。
このエピソードと同様、パスクワーレのエピソードも組織の〝シノギ”を生々しく切り取ったものである。彼は朴訥とした穏やかな男で、殺伐とした本作にあっておそらく一番観客の共感を得やすいキャラクターになっている。ここではライバル会社である中国企業が登場し彼の運命は狂わされていくのだが、経済成長著しい現在の中国の勢いというものが如実に分かるエピソード、で風刺としての面白さが感じられた。
一方、家賃の取り立て屋ドン・チーロのエピソードはやや薄みという気がした。また、チンピラ少年マルコとチーロの顛末は、本作のテーマ、つまりマフィア社会の非情な現実を端的に言い表したエピソードと言えるが、少々予定調和な感じを受けた。確かに衝撃的な顛末ではあるが、彼らの内面へのすり寄りが甘いため、その非情さが中々画面から伝わってこない。彼らが何故荒んだ青春を送ることになったのか?おそらくその描写が添えられていたならもっとドラマチックに受け止められただろう。
ただ、一方でこうも言える。本作はそもそも作為性を極力排したルポルタージュ色の濃い群像劇である。はなからベタなドラマチックさを求めるべき作品ではなく、この淡々としたところに現実の重みと怖さを見るべきであって、製作サイドの狙いは〝正直に描くこと”その一点に徹している‥と。この映画がどこまで真実を言い放っているのか分からないが、原作者が組織から脅迫を受けたことを併せ考えてみても、いずれのエピソードも事実に忠実なのだろう。
尚、基本的に本作はシリアスなドラマだが、所々にユーモラスな演出も見られる。産廃トラックを子供に運転させるくだりはぞっとさせられるが、同時にかなりのブラック・ユーモアも感じた。おそらくここも事実に即した描写なのだろう。
また、パスクワーレが仕立てたドレスが意外な場所でお披露目されるのももユーモアが感じられた。本人からしてみれば実に皮肉的な顛末だが、職人としての満足感も心のどこかで得られたのではないだろうか。それを想像すると何となくペーソスも沸いてくる。
過激なバイオレンスシーンで突っ走るB級全開なバカ映画。ここまでやれば何も言うことはない。
「ホーボー・ウィズ・ショットガン」(2011米)
ジャンルアクション
(あらすじ) 初老のホーボー(流れ者)が、ドレイク率いる犯罪組織が支配する無法の町に辿りつく。彼はそこでドレイクが恒例とする公開処刑を目の当たりにし憤りを覚えた。その後、レイプされそうになった娼婦アビーを助け犯人を警察に突き出す。ところが、警察もドレイクの仲間でホーボーは半殺しの目に合わされる。アビーに助けられた彼は九死に一生を得て悪人退治に立ち上がる。
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(レビュー) 初老の流れ者がショットガンを手に悪者たちと戦っていく壮絶アクション映画。
タランティーとR・ロドリゲスが製作した「グラインド・ハウス」のフェイク予告編を長編映画として作り直した作品。いやはや、のっけから飛ばしまくっている。正にグラインド・ハウス系なノリのB級アクション作品である。
尚、ホーボーというのは放浪者のことで、昔のアメリカ映画にはホーボーを主人公にした映画が結構作られていた。最もポピュラーな所では、L・マーヴィン主演・R・アルドリッチ監督作の「北国の帝王」(1973米)が思い出される。汽車に無賃乗車しながら町から町へと渡り歩く男の生き様が熱く活写されていた。今作の冒頭で主人公が汽車に乗って現れるのは、これらホーボー映画に対するオマージュである。60、70年代のテイストが漂い懐かしさを覚えた。
物語はシンプルでやや予定調和な感じもするが、ホーボーの哀愁はストレートに表現されていると思った。ラストもきちんと収まるところに収まっているのでカタルシスも十分である。
見所となるのは、なんと言っても過激なバイオレンスシーンとなろう。かつてのB級映画をパロディ化して現代に蘇らせるというのが先の「グラインド・ハウス」の基本コンセプトだったが、今作でもそれは踏襲されている。
ただ、初っ端から残酷な公開処刑が登場し、以降も次々と人体損壊描写が頻出する。シリアスな映画ではないので全てがコメディ・トーンに演出されているが、苦手な人にはきついかもしれない。
演出は所々に拙さを見せ、作品の出来自体は決して褒められたものではないが、ここまでバイオレンスに特化した潔さは買いたい。
尚、映画のスタートは60,70年代なテイストを覗かせるが、後半に行くにつれて80年代風なテイストに変わっていくのは面白い。その最大の要因はオカルトチックなネタが投入されたことでSF風味が加味されたところにある。それとシンセを使ったチープなBGMもいかにも80年代的なトーンを匂わせる。こうした脈絡の無さ、何でもありな破天荒さもB級らしいと言えばB級らしい。
ホーボー役はR・ハウアー。久しぶりに見たのだが、さすがに老けたなと思った。
ただ、ある側面でこの物語は、乱れきった現代社会に対する頑固老人の叱咤という裏テーマが隠されているような気がする。例えば、ドレイクのドラ息子に対する成敗などは正にそれを暗喩していると言えよう。であるならば、やはりこの老いは必然であり、それをここまでド直球に演じられる俳優は彼をおいて他にない‥という気にもさせられた。彼の怒りのショットガンがふやけた現代社会に強烈なカウンターを食らわす様は痛快でもある。
徹底した見世物趣味は好き嫌い分かれそう。全編に渡る陽気なテイストが独特な鑑賞感を残す。
「2000人の狂人」(1964米)
ジャンルホラー
(あらすじ) 南部の小さな町プレザント・ヴァレーに、ドライブを楽しむ2組の若いカップルと途中で連れ立った一組の男女がやってきた。町が100年祭で賑わう中、彼らは客として歓待される。その晩、カップルの一人が謎の失踪を遂げ‥。
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(レビュー) スプラッター映画の元祖H・G・ルイスが監督・脚本・撮影を兼ねたカルト作。
物語自体は町に誘われた6人の男女が次々と町人によって惨殺されていくというだけで、取り立てて面白味は感じない。
見どころとなるのはやはりゴア・シーンとなる。
斧で腕をバッサリ切り落とすというショッキングな光景に始まり、4頭の馬に四肢を繋いで走らせたり、釘を打った樽に入れて転がしたり、とにかく町人達の狂ったアイディアが恐ろしすぎる。しかも、それを見て彼らはヒューヒュー!と囃し立てるのだ。何とも奇天烈な絵面がシュールで不思議なテイストをもたらす。
カメラ、演出、特撮、全てにおいてローエンドな作りなので、描写自体にまったくもって迫力が感じられないのだが、その拙さもかえって見世物小屋的な〝いかがわしさ”を醸し、これぞまさしくB級映画という感じがした。
また、バックに流れる陽気なカントリー・ソングも奇妙な味わいをもたらす。緊張感を高めて然るべきシーンに、敢えてルイスは明るい音楽をガンガンかけてくる。このセンスも作品全体のシュールさに繋がっている。
しかし、一方で残酷な描写に漂うこの陽気さが、人間の無垢なる残酷性をリアルに表明している‥という捉え方も出来る。子供はよく虫などに残酷な仕打ちをしたがるものだが、町人たちの行為にもそれと同じものに思えた。この無垢なる残酷性は恐ろしいと言えば恐ろしい。監督がそこまで狙ってやっていたとすれば、それはそれで凄いことであるが‥。
総じて怖いというよりもブラック・コメディのような感覚で楽しめる作品である。人を食ったこのオチにもクスリとさせられた。
P.O.V.スタイルのホラー映画。中々怖い。
「REC/レック」(2007スペイン)
ジャンルホラー
(あらすじ) テレビ局のレポーター、アンヘラは、ドキュメンタリーの取材で消防署に来ていた。その晩、近所のアパートの緊急通報を受けて署員たちは現場に急行する。アパートの住人によると、ここに住んでる老婆の様子が変だという。早速、アンヘラはカメラマンのパブロを連れて消防隊員の後を追いかけて行った。そこで彼らは恐ろしい光景を目撃する。
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(レビュー) いわゆる一人称のカメラで捉えたP.O.V.形式のパニック・ホラー映画。
このスタイルは、見る側を恐怖の現場に引き込み、張りつめた緊張感を持続させるという意味において、アトラクション系の映画には相性のいいスタイルではないかと思う。もっとも、このスタイルが成功するのは、本作のように80分に満たない中編程度の小品だけであろう。それ以上になってしまうとカメラに酔ってしまう人や、徐々に退屈してしまうという人が出てくるかもしれない。一発ネタ的な所があるので、このくらいの長さが丁度いいのだろう。
尚、同じP.O.V.形式の映画でも
「クローバーフィールド/HAKAISHA」(2008米)に比べたら、こちらの方が断然リアリティが感じられた。扱う対象が違うということもあるが、「クロ-バ~」は中盤までは良かったのだが後半の作り物臭さがいただけなかった。
今作は恐怖のバイブレーションが巧みに盛り上げられており、見る側をグイグイと画面に引き込む力強さを持っている。クライマックスに登場する"アレ”が自分はかなり恐ろしかった。暗視カメラというアイディアも恐怖を盛り上げるのに奏功している。
ただ、物語はいたってシンプルなので多くを期待できない。既存のゾンビ映画をパロディとして取り入れながら、1シチュエーションの密室劇が展開されている。各登場人物たちは複雑なキャラクター性を持っているわけではなく筋書もいたってシンプルである。やっていることはバイオハザードとほとんど一緒なので、ゲームに近い感覚で見ればいいのかもしれない。
演出は一見すると即興のように見える箇所がある。しかし、パニックに陥った状況をカメラマンのパブロが適確に捉えなければならないということを考えれば、場面によっては細かな計算がされているのかもしれない。いずれにせよ、中々緊張感が漂う演出で面白く見れた。特殊メイクもこれ見よがしに出てくるわけではなく、程々に抑えられているのがリアルで良い。
もっとも、そうは言っても、やはり後半に行くにつれて作為的な演出は強められていくのだが‥。
淡々と恐怖を盛り上げていくだけではホラー映画としてはどうしても盛り上がりに限界がある‥と考えたのだろう。先述のクライマックスのアレなどは正にそれを証明するものであるが、この後半の演出を受け入れられるかどうかで本作の評価が分かれてきそうである。
低予算ながら全米で大ヒットを記録したフェイク・ドキュメンタリー・ホラー。
「パラノーマル・アクティビティ」(2007米)
ジャンルホラー
(あらすじ) 若いカップル、ミカとケイティは新居で不気味な現象に悩まされていた。ミカが寝室にカメラを設置するとそこにある物が写っていた。
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(レビュー) 製作費たったの1.5万ドルで全米興行収入1億ドルを突破したということで話題になったホラー映画。
若いカップルの周辺に起こる超常現象をドキュメンタリータッチに紡いだ作品で、物語自体は特にこれと言って語るべきものはない。「ブレア・ウィッチ・プ ロジェクト」(1999米)のようなフェイク・ドキュメンタリーもアイディアとしては二番煎じでしかない。
ただ、低予算とはいうものの、特撮、演技、演出はそれなりに頑張っていると思った。少なくとも「ブレア~」のような作りの綻びが見られなかっただけでも、今作のほうが真摯に作られていると言える。「ブレア~」は後半の作為性に萎えてしまった。
この映画の肝となるのは、超常現象にどれだけリアリティを持たせることができるか‥という点になる。日常描写に変に事件があったのでは超常現象の事件性のインパクトは薄くなってしまう。本作は出来るだけ日常描写を淡々と作り、ここぞという時のショック効果を大きく見せる演出をしている。
今作を見て日常描写が退屈と言う人の意見は分かるが、非日常とのギャップを生むための〝退屈″と甘受しなければならない。
そもそもホラーの肝は日常と非日常のギャップから派生するカタルシスにある。日常をなるべく本物っぽく見せることで非日常の異常性を大きく見せることで成り立っているのだ。ましてや今作のようなフェイク・ドキュメンタリーの場合、日常を日常っぽく作ろうとすればするほど〝退屈”になるのは当然である。しかして、現に今作の終盤はかなりショッキングに見れた。
大林宣彦初期時代のノスタルジー映画。ロケーションが素晴らしい。
「廃市」(1984日)
ジャンルロマンス
(あらすじ) 大学生の江口は卒論を仕上げようと美しい運河の町を訪れた。宿泊先の旅館には気立ての良い娘・安子がおり、彼はすぐにこの町も彼女のことも好きになった。その夜、どこからともなく女の泣き声が聞こえてきた。安子から姉夫婦の存在を聞いていた彼は、もしや泣き声の主は安子の姉・郁代のものではないかと疑った。気になった江口は郁子について尋ねたが、彼女の姿を見ることは出来なかった。そんなある日、旅館にふらりと郁代の夫・直之が現れる。安子と密会する所を偶然目撃した江口は、まだ見ぬ郁子に益々興味を抱いていく。
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(レビュー) 大学生が体験する一夏の恋をノスタルジックに綴った小品。
今はもう無くなってしまった美しい運河の町を舞台に、大学生・江口と下宿先の姉妹安子と郁代、郁代の夫・直之の複雑な恋愛模様がミステリアスに回想されている。姉妹の過去には因縁めいたドラマがあり、描き方次第ではドロドロとした愛憎劇になろうが、そこをこの映画は第三者である江口の目線を通して過去の郷愁として美しく包み込んでいる。哀愁溢れる後味も含め、青春懐古の映画としては実に正攻法に作られていると思った。
製作・監督・編集・作曲は大林宣彦。主人公江口の回想モノローグも彼が担当している。そこから何となく「私的」な作品のような雰囲気が漂うが、実は原作は別にあるそうだ。監督はこの主人公に自己投影するくらい、この物語に惚れ込んだのかもしれない。現に監督は今作の企画にもクレジットされている。
さて、本作の見どころは何と言ってもロケーション、これに尽きると思う。大林監督と言えば、自身の出自を舞台にした尾道三部作が思い出されるが、本作にもそれと同様のノスタルジックな美観が登場してくる。
本作の舞台は日本のヴェニスと称される架空の町とされている。川を行き交う旅客船がどこかイタリアのヴェニスを思わせ、中々魅力的である。また、中盤で大々的にフィーチャーされる夏祭りの賑わいも和気あいあいとしたもので実に楽しそうだ。本作のロケは福岡県柳川市で行われたことが映画冒頭で明かされている。一部で若干風情を壊すような人工物が見られたのは勿体なかったが、こんな町が日本にもあったのか‥と思わせるくらい、とても魅力的であった。
また、川の音や鈴虫の声等、繊細な音も見事に自然の風景に融合し作品世界にドップリと浸らせてくれる。
難はキャストだろうか。江口を演じた新人俳優は良く言えばすれていない純朴さが魅力と言えるが、起伏に欠ける演技が味気ない。安子を演じた小林聡美もまだ初々しい頃とはいえ、しばしば見せるアイドル演技のような妙なノリが若干無理に映った。前作「転校生」(1982日)での女子中学生とのギャップを図ろうとしているのは分かるが、後に確立される彼女の役者としてのキャラを見ればわかる通り、アイドル的な演技は無理と言えよう。果たして今回の役は彼女に合っていたかどうか‥。
一方、周辺に集う大人達はそれぞれに好演している。特に、直之を演じた峰岸徹の楽屋裏での長芝居には、枯れた味わいが感じられてしみじみとさせられた。
尚、タイトルは「ALWAYS 三丁目の夕日」(2005日)等で有名な白組が製作している。白組はこの以前に、やはり大林監督作「転校生」のタイトルも担当している。今や邦画界に無くてはならぬVFX集団となった白組の過去の仕事ぶりが確認できる。
蔵出し的なレア度はあるが、黒沢作品の中では下の方に入る出来。
「ドレミファ娘の血が騒ぐ」(1985日)
ジャンルコメディ・ジャンルロマンス・ジャンルエロティック
(あらすじ) 憧れの先輩を探しに秋子は東京へやって来た。早速彼が通う大学へ行き、彼女はそこで心理学の平山教授に出会う。彼は人間の“恥ずかしさ”の心理を研究する一風変わった中年男だった。平山は秋子の一途な恋心に着目し、彼女の肉体にこそ研究の答えがあるのではないかと思うようになる。そんなある日、秋子は構内で恋人に再会する。しかし、彼はもうかつての彼とは違っていた。
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(レビュー) 初恋に焦がれる田舎娘が変態教授の毒牙にかかっていくエロティック・コメディ。
監督は黒沢清。本作は元々ピンク映画として製作された作品だそうである。しかし、何故かは分からないがお蔵入りになってしまい、監督自身が再編集して一般映画として公開したそうである。ピンク映画という性格上セックスシーンは何度か登場してくるが、決してエロいというほどではない。この程度なら一般映画として流しても普通に見れるだろう。
それにしても、本作はかなり実験的な作品である。ヌーヴェルヴァーグの影響をモロに受けていたであろう、若かりし黒沢タッチが各所に見られる。冒頭の移動ショット、ジャンプ・ カット。更には、ドレミファという“絶対音感”を持ち出して語る音楽へ変質的な執着。これらは明らかにゴダール映画の模倣である。確かに実験的で野心的な試みに思えた。
ただ、ゴダールがゴダールたる所以は、彼自身の映画哲学に揺るぎがないからこそであり、昨日今日映画を覚えたてた新人監督にそうやすやすと超えられるものではない。演技、演出、カメラ、全てにおいてオリジナルには到底及ばない拙い出来栄えで、奇をてらって墓穴を掘った‥そんな風にしか見えなかった。
ただ、後の黒沢作品に見られる深い“闇”に対する執着の洗礼。それが見られたことは良かった。平山邸のゴシックな風情も中々に雰囲気があって良い。
尚、今作には所々にミュージカルシーンが唐突に登場してくる。残念ながらこちらは陳腐でいただけなかった。映像的なカタルシスもなければ、音楽的な魅力もまったく感じられない。このチープさが狙いと言われればそれまでだが、だとしてもこれだけお粗末なものを見せられると笑う気にさえなれない。
キャストでは、平山を演じた伊丹十三は堅実な演技を見せている。しかし、彼以外は素人に毛の生えたレベルである。プロの仕事とは到底思えなかった。ただ、秋子を演じた洞口依子のダークさを忍ばせたロリータ・フェイスはビジュアル的に中々のものがある。処女作にしてこの大胆な脱ぎっぷりも大したものである。