アメリカ最大の映画祭アカデミー賞が決まりました。大方の予想通り「アーティスト」が作品・監督・主演男優を獲得しました。敢えて現代にモノクロ・サイレントという所が勝利の要因だったのでしょうか。日本でも公開が予定されているのでぜひ見てみたいです。
では、個人的アカデミー賞行きましょう。
昨年見た映画は36本。忙しかった割には少しだけ増えました。
そんな中でのベスト10
1「冷たい熱帯魚」2「アンチクライスト」3「ブラック・スワン」4「未来を生きる君たちへ」5「スーパー!」6「127時間」7「イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ」8「ミッション:8ミニッツ」9「ソーシャル・ネットワーク」10「ミスター・ノー・バディ」作品賞:冷たい熱帯魚
監督賞:園子温(「冷たい熱帯魚」「恋の罪」)
脚本賞:アーロン・キーソン(「ソーシャル・ネットワーク」)
男優賞:でんでん(「冷たい熱帯魚」)
女優賞:シャルロット・ゲンズブール(アンチクライスト」)
ベスト3は痛くて怖い作品。1と2は僅差です。どちらが上かで迷いましたが、でんでん>S・ゲンズブールということでこういう結果になりました。3位以降は両作品に比べると一段下がる形でとりあえず順位を付けてみました。
次点は
「ゴーストライター」「英国王のスピーチ」「キック・アス」「神々と男たち」「ゴモラ」です。
ジャンル俺アカデミー賞
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孤独な老人と孫のロードムービー。
「春との旅」(2009日)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 北海道の漁村。足の不自由な元漁師・忠男は孫娘・春と暮らしていたが、春が東京に出ることになったため一人になる。心配する春を安心させるために忠男は兄弟と暮らすことにした。ところが、最初に訪ねた兄は、長年険悪だったこともありすぐに追い返されてしまう。次に弟のアパートを訪ねた。すると見知らぬ女性が出てきて、弟は刑務所に入っていると言われる。次に旅館を経営する姉を訪ねた。彼女は春をいたく気に入り跡継ぎにしたいと言い出す。
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(レビュー) 孤独な老人と孫娘の情愛をしみじみと綴ったロード・ムービー。
監督は
「海賊版=BOOTING FILM」(1999日)、
「愛の予感」(2007日)の小林政広。今回は自らの原作を映画化した作品である。
氏の作品を全て見ているわけではないが、基本的には淡々とした作風を持ち味とするインディペンデント系の作家だと思う。繊細な演出を計算高く積み重ねながら見る側に考えさせるような作風を信条とし、どちらかというと派手さはない。こうした特徴を考えると、今作の演出はいさかか作為が過ぎると感じた。原因はキャストのような気がする。
監督自身が主演した「愛の予感」(2007日)は、演技ではなく素の姿をそのまま写した正にドキュメンタリーのような作りだった。劇映画としては少し歪な印象を受けたが、それが奇妙な緊張感を生み普通の映画には無いスリリングさが感じられた。それが今回は芸達者なベテラン俳優陣が揃ったことで、元々の小林作品のカラーである淡々とした作風に良くも悪くもフィクショナルな味付けが施されている。画面が全体的に華やかになってしまった。
例えば、忠男と春の歩き方。これ一つとってもかなり作為的だ。忠男は片足が不自由な歩き方、春はガニ股で歩く。ロードムービーという事で、ほぼ全編に渡って二人の歩く姿が映し出されるのだが、この特徴的な歩き方が少し鼻につく。
また、BGMの使用も過剰である。例えば、クライマックスの春の慟哭。淡々と描けばそれなりに重く突き刺さるものとなっただろうが、ウェット感を更に誘うようなBGMが被さり少し押し付けがましく写ってしまった。
むろん、ストレートに情感に訴える明快な演出に感動を覚える人もいるだろう。しかし、こうした大仰とも言える演出の数々は本来の小林正弘作品らしくはない。そもそも祖父と孫の愛情ドラマ自体決して斬新と言うわけではなく、そこにこれ見よがしの作為が施されてしまうと本当に、ただのよくできた人情ドラマになってしまう。正直、今回はいつもの小林作品らしさが希薄で物足りなく感じた。
ただ、小林作品のもう一つの特徴である長回し。これについては今回も所々で目を見張る緊迫感、抒情性を創出している。こちらはキャストの演技が良い方向に寄与したと見ていい。
忠男を演じた仲代達也がコンビニ弁当をわびしく食べるシーン、姉との会話シーンは特に印象に残った。何の変哲もない日常芝居に、寂しさ、哀しさ、楽しさ、愛おしさといった感情の機微をしたたかに織り込んだ仲代の演技は見事である。ただし、これは繰り返しになるが、コーヒーを飲んだ事が無いという告白には、やはり現実離れした嘘臭さを見てしまい演出の過剰を感じてしまった。
忠男の兄弟達も夫々にベテラン俳優が演じている。
この中では、先日他界した淡島千景演じる姉が良かった。亡き夫が残した旅館を一人で切り盛りする女将という役どころで、地に足がついた逞しい女性をきびきびと体現している。いつまで経ってもだらしがない忠男にキツい一発をお見舞いする所などは、実に堂々としたものである。しかも、それが単に残酷な仕打ちではなく、深い姉弟愛から生まれた叱咤という含みを持たせたところが上手い。
忠男の弟を演じた柄本明も良い味を出していた。かつては不動産王として君臨していたが、今は事業の失敗から惨めな隠居暮らしを送っている。言わば人生の負け犬である。はるばるやって来た忠男と取っ組み合いの喧嘩をする姿は、どこからどう見ても子供の喧嘩であり、そこが人間臭くて良かった。
このように今作は、役者を上手く使えている所とそうでない所の差が激しい作品のように思った。
小林監督はこれまでは一般的にあまり知られていない、且つお馴染みの俳優を使うことが多かった。しかし、今回は随分と豪華なベテラン陣が顔をそろえている。おそらく、ここまで贅沢なキャストが集まったのは初めてではいないだろうか。しかし、こうしたベテラン・大御所俳優は、夫々に強烈な個性を持っているものである。小林監督はそれを上手く抑制できなかったのではないか。そんな印象を持った。
ところで、老い先短い孤独な老人が兄弟を頼って徘徊するこのロード・ムービーは、昨今の高齢化社会という問題に結びつけて考えながら見ても面白いかもしれない。厄介払いされながら居場所を失っていく忠男の姿、彼を連れて一緒に旅をする孫娘・春の姿。二人を見ていると実に憐れに思えてくる。現代の無縁社会に対する憂いが見えてくる。
老人介護を扱った社会派人間ドラマ。
「恍惚の人」(1973日)
ジャンル人間ドラマ・ジャンル社会派
(あらすじ) 84歳の茂造は妻に先立たれたショックでボケが進行する。嫁の昭子が面倒を見ることになったが、茂造は外を徘徊したり、ついさっき食事したことを忘れたり、症状が悪化する一方だった。次第に昭子は、仕事と家事と介護で心労が積み重なっていく。こうして茂造は老人ホームに預けられることになった。ところが、入って早々、入居者とトラブルを起こし出ることになってしまう。今度は福祉士に相談した。茂造の場合は老人性鬱病で精神病院に入院させるしかないと言われる。仕方なく昭子は、自分の留守中の面倒を見てもらうために介護アルバイトを住み込みで雇うことにする。
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(レビュー) 認知症の義父の介護に苦闘する主婦の姿を描いた社会派人間ドラマ。
昨今急激に叫ばれるようになった高齢化問題だが、この映画が製作された当時はまだそれほど広く一般には浸透していなかったように思う。第一、この頃日本は第2次ベビーブーム真っ盛りである。まさか近い将来、国民一人が高齢者一人を支える時代がやってこようとは夢にも思ってなかっただろう。そういう意味では、本作は実に先見性の高い作品だと思う。
今でこそ介護保険制度が発足し高齢者の健康は一定水準保障されているが、当時はまだ茂造のような認知症患者に対する社会的ケアは十分ではなかった。したがって、周囲にいる家族が面倒を見なければならなくなる。しかし、いくら家族とはいえ付きっきりで面倒をみるというわけには中々いかない。それぞれに仕事もあれば家事もある。プライベートな時間だって時には必要だろう。結局、互いに協力し合いながらこの難局を乗り超えていくしかない。
このドラマの不幸は、昭子が茂造の介護を一身に背負ってしまった所にある。夫は仕事一辺倒で、息子はまだ遊びたい盛りの学生。結局、茂造の世話をするのは昭子しかいないのである。改めて本作を見ると、これは本当に辛い仕事だなぁ‥と思わずにいられなかった。
本作は扱うテーマがテーマだけに、極めてシリアスのように思えるかもしれない。確かにそういう面はある。しかし、一方で所々にとぼけたユーモアも配されていて、特に前半は笑いを含ませた演出があちこちに見られて肩の力を抜いて見ることが出来た。
その一番の功労は茂造を演じた森茂久彌のオフビートな演技である。認知症の老人は意識なしに暴威を振るうものである。それをそのまま演じてしまえばただ単に嫌なキャラになってしまうが、そこを森繁はとぼけた喋り方と愛らしい所作で演じて見せている。
例えば、庭で小便するときに月を見上げて「きれいだな‥」と呟くシーンがある。頭はぼけていても人としての感情はしっかり持っているのだ‥ということが分かり何だか愛しく見えてしまう。
また、昭子を演じた高峰秀子も素晴らしい演技を見せている。普通に演じてしまえば意地悪な嫁に写りかねないが、彼女はかすかな優しさを滲ませながらこの難役を好演している。
例えば、夜中に何度も茂造に起されるシーンがある。ここでの彼女の怒りの裏側には「仕方がないわね‥」というツンデレ・ニュアンスがかすかに確認できると共に、ここまでの根気強さを見せられるとある種の母性も感じさせる。この母性は「人は老いると皆赤ん坊に戻るのよ」と言う彼女のセリフからも伺える。憎まれ口を叩きながらも、昭子は大らかな愛で茂造を包み込んでいるのである。
後半に入ってくると、ドラマは次第にシリアス色が強められていく。テーマの引き締めにかかるという意味では、このあたりは上手く展開されていると思った。ズシリとした重い鑑賞感を残すラストも、テーマを真摯に訴えている。
ところで、このラストの「もしもし」という昭子の呼びかけだが、これは一体何を意味するものだろう?今まで家族の協力を得られなかった彼女の空しい心の声という解釈も出来る。しかし、一方で本作を見た我々全員に対する呼びかけのようにも聞こえた。
老いという問題は周囲の家族の協力が無ければ乗り越えられない難しい問題だと思う。「もしもし」というセリフは、あなたの周りに「もしもし」という言葉に応えてくれる人はいますか?という問いかけのように聞こえた。家族の在り方そのものを考えさせられるラストである。
尚、高齢化社会に鋭く切り込んだ作品で、吉田喜重監督の「人間の約束」(1986日)という作品がある。本作を見てそれを思い出した。こちらは老人が老人の介護をするという、正に現代に直結するようなテーマが語られている。その劇中に「恍惚の人」からの引用とも思えるセリフが登場してくる。孫が認知症の祖母を指してこう言い放つのだ。
「もう人間ではない動物だ。動物園と同じように施設に閉じ込めて社会が管理すればいい。」
そして、本作では孫の敏が茂造を指してこう言う。
「人間じゃない動物だ」
どちらのセリフも実に無慈悲なセリフである。
しかし、いざ自分が介護する立場に立たされたら‥と思うと複雑な思いにさせられてしまう。
ここで描かれている問題は時代が移り変わっても基本的には無くならない問題である。そして、最終的には一番身近な家族がどう解決していくか‥という所にかかってくるように思う。この映画が訴えていることは実に普遍的である。高齢化の波が押し寄せる今こそ本作は見直されるべき作品ではないだろうか。
木下恵介監督の実験精神溢れる傑作。この特異なスタイルに賛否分かれよう。
「楢山節考」(1958日)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 雪に閉ざされた信州の山村。70歳になるおりんは、年が明けると人減らしのために楢山に捨てられる運命にあった。目下の悩みは長男・辰平の後妻探しだけだったが、それも隣村から後家がやって来ることで解決する。相手の玉は気の利く良い嫁だった。これで安心して山に行ける‥そう思ったが、おりんを背負って山に捨てる辰平には別れが惜しまれた。そんなある日、しきたりを破って中々、楢山に行こうとしない隣家の又やんが村中から責めたてられる。家族から疎まれ飯も食わせてもらえないため村中の畑を荒らして回ったのだ。業を煮やした村人達は一斉に実力行使に出る。
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(レビュー) 食い扶持を減らすために裏山に捨てられる老女と息子の情愛ドラマ。
同名小説を名匠・木下恵介が監督した作品である。尚、1983年に製作された今村昌平版の方を先に見ていたので、ストーリーは大体分かった上での鑑賞である。
しかし、それを知った上で見ても、この残酷なしきたりには胸を痛めてしまう。と同時に、高齢化社会が深刻な昨今の状況を併せ考えてみると色々と考えさせられるものがあった。
今作は全編オールセットで撮影された作品である。おりんたちが住む農村や森、川、山岳等、全てがセットで作られている。日本映画でこれだけ大掛かりなセットが作られたことは驚異的としか言いようがない。一体どれだけの労力がかかったのだろうか。
そもそもこの物語は各地に伝承する姨捨(おばすて)物語を元にして作られた話である。おそらく木下監督は伝承という所に着目し、オールセットの舞台劇風に料理することで寓話のように味付けしようとしたのだろう。伝承を伝承として再現すること。それを目的とすれば今作のような寓話色の強い作りに繋がるのは何となく理解できる。
実際、木下監督の演出も撮影スタイルに合わせる格好で舞台劇的な文脈作法に則っている。例えば、幕を下ろして場面転換をはかったり、人工的でサイケデリックな照明を多用することで人物の感情を表現してみたり、様々なトリッキーな演出が見られる。
特に、色彩の豊富さは特筆すべきで、毒々しいトーンでシーンに不穏な空気をもたらすワインレッド、流血シーンに必ずと言っていいほど被せてくる刺激的な赤、恐怖と不安を盛り立てる緑等、エキセントリックな色使いがリアリティを削ぎ落しながら寓話性を強調していく。これらは舞台照明と同じような効果を果たしている。
また、音楽も浄瑠璃で統一する徹底ぶりで、これも映画的と言うよりも舞台劇を意識した起用である。
数々の実験精神溢れる演出は、他の作品で見られる一般的な木下恵介テイストとは完全に異質なものであるが、それだけに本作にかける氏の意欲、寓意性を強調しようという狙いはひしひしと伝わってきた。
こうした特異なスタイルから、本作は通常の映画として評価するには難しい面がある。以前紹介したL・オリヴィエ監督・主演の
「ヘンリィ五世」(1945英)や、K・ブラナー監督・主演の
「ハムレット」(1996米)等、戯曲の再現を目指すという前提があれば、ある程度自然に受け止められるが、元々が舞台劇でもない原作ををこういう形で料理した所に不自然さを感じてしまうことは確かだ。
また、演劇的演出がしつこく感じる部分もある。玉が涙を川で洗い流すシーンはクドいと感じてしまった。クライマックスに登場する又やんのエピソードもどうかすると強引に写ってしまう。ここは不自然な形でオチをつけなくても良かったのではないだろうか‥。
こうした舞台劇的演出は普通の映画として見てしまうと違和感を感じてしまう部分である。ただ、それでもやはりここまで美術や撮影の完成度が高く、尚且つ刺激的な演出が次々と繰り出されてしまうと木下恵介アートの集大成という感じがして圧倒される。
キャストでは、おりんを演じた田中絹代の熱演が素晴らしかった。若干顔のしわが少ないのが気になったが、撮影当時48歳でこの老け役振りは大したものである。特に、前半の前歯を折るシーンは壮絶だった。抜歯して撮影に臨んだというから三國連太郎も真っ青の役者魂である。生涯女優・田中絹代の"本気″を見た思いがした。
クライマックスの拷問シーンにイッテンバッハらしさは確認できるが、肝心のお話が退屈してしまう。
「ビヨンド・ザ・リミット」(2003独)
ジャンルホラー・ジャンルサスペンス
(あらすじ) ある墓地に一人の女性記者がやって来る。彼女は支配人からこの墓地にまつわるの恐ろしい話を聞かされる。それはマフィアの抗争に巻き込まれたダウニングという男の話だった。彼はボスの命令で〝ある物"を探していた。それを巡って殺し屋達と対決していく。
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(レビュー) 「新ゾンビ」(1998独)、
「バーニング・ムーン」(1992独)の監督オラフ・イッテンバッハが撮ったホラー作品。
期待して見たのだが、残念ながら今回は「新ゾンビ」のようなバカさが揮発して割とまともな映画になっている。それまでのチープな演出も幾分洗練されてしまい、奇妙な"毒"も失われてしまった。ただ、後半のゴア描写には"らしさ"が見られる。見世物的なカタルシスはそこだけになろう。
ストーリーも今一つの出来だった。墓地の支配人を語り部にした恐怖談という構成になっていて、マフィアの抗争劇と中世時代の異教徒討伐のエピソードが語られる。この二つには共通するキーアイテムが存在するのだが、いかんせん余り相関がはかられていないのが見ていて苦しい所だ。どちらのエピソードも強引に写ってしまう。これならエピソードをどちらか一つに絞って描いた方が面白く見れたかもしれない。その方が構成的にはスッキリするし、それを聞いた女性記者の恐怖もこちら側にすんなり入ってこよう。
尚、前半のエピソードにリックという殺し屋の舎弟が登場してくるのだが、これが演技、造形共に印象に残った。サイコパスな佇まいが実に良かった。
「新ゾンビ」でカルト視されているドイツの変態監督イッテンバッハのデビュー作。
「バーニング・ムーン」(1992独)
ジャンルホラー
(あらすじ) 喧嘩と薬物に溺れる青年が妹を寝かしつけるために怖い話を聞かせてやる。一つは精神病院を脱走した連続殺人鬼の話。もう一つは田舎町の神父の恐るべき話。ひとしきり話が終わると妹は眠りについた。兄が外に出て空を見上げると月が真っ赤に燃えていた‥。
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(レビュー) 残酷描写を売りとするドイツの鬼畜映画監督オラフ・イッテンバッハのデビュー作。
いかにもチープなビデオ撮影な上に、演出、特殊メイクが稚拙。編集もシナリオも甘い。正直、お粗末な作品と言わざるを得ない。ちなみに、車に引かれるシーンが見るからに人形で笑うしかないのだが‥。
もっとも、イッテンバッハの映画は一々突っ込んでいたら見てられない。どんなにちゃっちくても、どんなに間抜けでも、そこは笑って見てあげる‥というくらいの度量が必携である。
ドラマは至ってシンプルで、家族から爪はじきにされた不良青年がラリッた頭で妹に怖い話を聞かせる‥というものだ。彼の作り話は2本ある。1本目は精神異常者が家族を皆殺しにする話、2本目は田舎の神父が実は連続レイプ犯だったという話。どちらも後半に凄まじいゴア描写が用意されており、それ目当てで見る分には満足いくだろう。もっとも作りはチープなので余り期待しない方がいいと思うが‥。
個人的には1本目よりも2本目の方が少しだけ捻った展開になっていて面白く見れた。何か宗教的なメッセージを言いたげな感じもするが、余りにも見世物的な描写が強烈になってしまいそこまでの深遠さは感じられない。そこが良くも悪くもB級然としている。
二つの物語が終わると、再び現在に戻って青年の顛末が描かれる。ここはもう少し捻ったオチを望みたかった。比較的ストレートな終わり方になっていて食い足りなかった。
尚、ドイツと言えばこの手の過激なスプラッター映画の宝庫である。以前に紹介した
「ネクロマンティック(特別篇)」(1995独)同様、本作もドイツ当局の検閲で起訴処分を受けている。そして、今回も日本ではノーカット版がビデオのみでリリースされている。
ド派手なスプラッタシーン、人を食ったオチ。ここまでパワフルにクダらなければ大したもの。
「新ゾンビ」(1998独)
ジャンルホラー・ジャンルアクション
(あらすじ) 太古のインド。殺戮に荒れ狂う邪神プリムトスが古文書に封印された。それから千年後のドイツ。その古文書が発掘されプリムトスが復活し、村人たちが惨殺される。そして現代。冴えない青年マティアスは庭先で偶然その古文書を発見する。彼は家族が集うパーティーの最中でプリムトスを復活させてしまう。
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(レビュー) ジョージ・A・ロメロが世に確立した稀代のモンスター、ゾンビを題材にした映画は数多く作られているが、本作もその系譜に入る1本である。ただ、映画を見る限りウィルスのように感染する事はないようである。ゾンビ達は人間を跡形もなく食い尽くしてしまうので、襲われた者は蘇生する余裕などない。では、ゾンビはどこから増殖するのか?それがよく分からないのだが、おそらくプリムトスの呪いか何かで墓穴から蘇ってくるのだろう。
このように本作には説明不足なところが多い。脈絡なく出てくる夢のシーンや、古文書が何故そこにあるのか不明だったり、はっきり言ってストーリーはものすごくいい加減である。その一方で、有史以前の太古の呪い(?)であろうプリムトスの復活が、ミニマルなストーリーを遥かに超えたスケール感で語られる。このギャップにはつい笑わされてしまうのだが、面白いかと言われると正直な所ストーリーは意味不明な部分が多くてつまらなかった。
尚、敢えて突っ込んでおくが、キリストの復活をプリムトスの所業だと言うのはまずかろう。見る人によっては洒落にならないので‥。
映像的な見所はクライマックスのゾンビとの死闘になる。武器マニアの父親の私室に家族が立てこもってゾンビを迎え撃つのだが、これでもか!というくらいの大量の血しぶきと肉片が飛び散りかなり気合が入っている。最後にはある物が秘密兵器として登場してくる。これには突っ込みを入れるのもアホらしくなってしまった‥(笑)
但し、派手なことは派手なのだが、いかんせん演出の拙さが散見され決して褒められた出来ではない。カメラワークは無頓着でアクションもひたすらワンパターンの繰り返しである。
監督はその筋の人には人気の高いO・イッテンバッハ。おそらくだが、彼のこだわりは人体破壊の映像特殊効果だけにあり、それを見せる術という所については何も考えていないのであろう。とりわけ顔面損壊の描写が目立って多く、何やら倒錯的なフェティシズムすら穿ってしまうのだが‥。
いずれにせよ、このクライマックスは作り手たちのノリと勢いが感じられることだけは確かである。間違いなくバカ映画の部類に入る作品であり万人には決して勧められないが、この奇妙なパワーは一見の価値ありかもしれない。
コロンバイン高校銃乱射事件をモチーフにしたサスペンスドラマ。この究極の選択に何を思うか?
「ダイアナの選択」(2008米)
ジャンルサスペンス・ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 郊外の高校に通う奔放な高校生ダイアナは、地味な級友モーリーンとひょんなことから親友になっていく。ある日、二人の運命は突然起こった校内銃乱射事件によって狂ってしまう。それから15年後、ダイアナは平凡な中流家庭の主婦に納まっていた。しかし、忌まわしい事件の記憶は今だに脳裏にこびり付いて離れなかった。事件の起こった日に被害者の追悼式が学校で行われることになり‥。
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(レビュー) 銃乱射事件に巻き込まれた少女のトラウマをミステリアスに綴ったサスペンス作品。
「ダイアナの選択」というタイトルからも分かるとおり、彼女は事件の渦中で〝ある重要な選択″を迫られることになる。それは親友モーリーンの運命を左右するような究極の選択なのだが、もし自分がその立場に立たされたら‥と思うとゾッとさせられてしまう。昔見た映画で「ソフィーの選択」(1982米)という映画があった。M・ストリープの熱演が忘れ難い傑作であるが、クライマックスの彼女の究極の選択は戦争の残酷さを見事に表しており、ある種自分の中ではトラウマ映画になっている。今回のダイアナの選択にも正にそれに近い〝難しさ″と〝恐ろしさ″が感じられた。自分ならどうするだろうか?色々と考えさせられてしまった。
監督はV・パールマン。以前紹介した
「砂と霧の家」(2003米)の監督である。サスペンスに人間ドラマを掛け合わせた作風は「砂と霧の家」にも通じるもので、この監督の得意とするところなのだろう。加えて、今回は時制を交錯させることで、ダイアナの過去の解明をミステリー仕立に語っているのが特徴的だ。ダイアナがどんなバックストーリーを持っていて、この事件にどう関係していたのか?そしてこの事件が現在の彼女にどう影響しているのか?それらが次第に明らかにされてくる。前作よりも幾分複雑な構成になっている。
ただ、複雑になった分、ドラマの力強さは若干弱まってしまった印象を持った。演出もスローモーション等の技巧に溺れ過ぎており、この重苦しいドラマをどこか軽く見せてしまっている向きがある。テーマがテーマだけに端正な演出に心掛けた方が正解だったのではないだろうか。
例えば、回想パートでダイアナとモーリーンの友情形成はあっさりとしか描かれていない。見た目や性格がまるで異なるだけに何か大きなきっかけがあってもおかしくないのだが、回想シーンの中ではそこが完全に省略されてしまっている。今回、二人の友情形成はドラマの肝と言っても良い。クライマックスの究極の選択もそこが欠けてしまったら、余り盛り上がらない物になってしまう。したがって、二人の前日談はもっとじっくりと作劇して欲しかった気がする。
一方、この映画ではダイアナとモーリーンの友情以外に、ダイアナと母親、ダイアナと娘の愛憎ドラマも描かれている。こちらは中々見応えのあるドラマになっていた。
少女時代のダイアナは、周囲の男子達を手玉に取るような奔放な娘だった。そんな彼女を母は厳しく教育していく。しかし、これがかえってダイアナを反抗的な娘にしていく。
そして現在。歴史は繰り返されじゃないけれども、母親となったダイアナは今まさに若い頃の自分によく似た娘の教育に手を焼いている。ダイアナは子育てしながら過去の自分を見つめなおすようになっていくのだ。この三世代に渡る母娘ドラマは、事件の傍らで中々興味深く見ることが出来た。
尚、肝心の銃乱射事件の顛末はラストで解明される。少し卑怯という気もしたが、予想を裏切るという意味では中々面白いオチに思えた。
「灼熱の魂」のD・ヴェルヌーブ監督の日本未公開作品。
「Polytechnique」(2009カナダ)
ジャンル社会派・ジャンルサスペンス
(あらすじ) モントリオールの理工科大学に通う男子学生が、銃を持って構内に乗り込んできた。彼はフェミニストに対する怒りから女性ばかりを狙って発砲した。就職の面接模擬試験を受けていた女子学生ヴァルもその騒動に呑み込まれてしまう。一方、彼女と同じクラスのジェフは、負傷者を介抱しながら犯人の凶行を止めようとしていくのだが‥。
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(レビュー) カナダで実際に起こった銃乱射事件を元に作られた社会派サスペンス映画。
「灼熱の太陽」(2010カナダ仏)のD・ヴィルヌーヴ監督がその前に撮った日本未公開作品である。
コピー機の前に立っていた女性がいきなり撃たれるというショッキングな幕開けからして、この映画はただものではないという感じがした。
その後、時間が事件当日の朝に遡り、犯人の視点でドラマが展開されていく。犯人の心情をトレースしながらドキュメンタリータッチで語る作劇は、コロンバイン高校銃乱射事件をモチーフにしたG・V・サント監督の「エレファント」(2003米)を彷彿とさせる。後から製作された分、どうしても本作の衝撃度は弱まってしまうが、ヴィルヌーヴ監督なりのアプローチが見られたところは面白い。
本作は犯人の視点以外に二人の被害者視点でも物語が綴られていく。一人は就職を目前に控えた女子学生ヴァル。もう一人は彼女に淡い恋心を抱くジェフ。映画は中盤からこの二人の視点で事件が描かれていくのだ。
ここで注目すべきはヴァルのドラマである。今回の犯人はフェミニストに対する憎悪から女性ばかりを狙って銃を発砲した。当然彼女もその被害にあうのだが、運よく一命を取り留める。そして、映画終盤では事件後の彼女のドラマが描かれていく。そこから一つの重要なテーマが見えてくる。それは強き母性というテーマである。
この終盤はヴァルがフェミニストを憎む犯人に屈しなかったことの表明と捉えられる。そして、序盤の模擬面接のシーン。「結婚してもあなたは子供を持ちたいですか?」という審査官のセクハラめいた問いに対する答えにもなっている。
女性は子供を生めば退職してしまう。だから社会進出など無理だ‥という一方的な偏見は今の世の中にはまだまだ根強い。このラストからは、それに対する提言が読み取れた。
ここが同じような事件を描きながら、病んだ犯人像に迫った青春映画「エレファント」と似て非なる所である。今作のテーマはあくまで女性の社会進出、母性である。そして、当時のカナダの社会的実情を告発しているという点で、非常に問題意識の高い作品にも思えた。
一方、ジェフのドラマだが、こちらはヴァルと正反対に事件のトラウマを克服できなかった者のドラマである。その顛末は改めてこの事件の悲劇性を衝撃的に物語っている。事件を軽んじない製作サイドの意志が感じられた。
演出は基本的にドキュメンタリー・タッチに拠ったスタイルが取られている。淡々とした中にも緻密な映像演出に見応えが感じられた。例えば、ラストショットの逆さまの映像は、犯人のパラノイチックな心理を表したものだろう。こうした特異な映像もヴィルヌーブ監督の一つの特徴で、「渦」(2000カナダ)でも見られたものだった。
また、犯人の心情にすり寄った前半の演出は、ひたすらミニマムに徹しているのだが、色々な想像を掻き立てられるという意味では中々鋭い表現をしていると思った。
例えば、構内に乗り込む直前、彼は車中で母親宛に遺書を書き残す。書き終えると急に怖気づいたのか、車のエンジンをかけようとする。ところが、寒さでエンジンが中々かからない。ふと外を見ると楽しげに会話する学生たちの姿が目に飛び込んでくる。ここで彼は自分の孤独、惨めさを思い知り、意を決して銃を持って車を降りるのだ。この一連の行動を見る限り、彼は事件を起こす直前まで迷っていたことがよく分かる。彼の臆病さ、幼稚さも想像できる。このあたりのリアリズム溢れる演出には唸らされてしまう。この犯人がいかに卑小な男であったのかがよく分かる演出だと思った。
この結末に何を思うか?戦争に翻弄された女性の数奇な運命をミステリアスに綴った骨太な作品。
「灼熱の魂」(2010カナダ仏)
ジャンル人間ドラマ・ジャンルサスペンス・ジャンル戦争
(あらすじ) カナダ在住の双子の姉弟ジャンヌとシモンは、亡くなった母ナワルの遺言を公証人から受け取る。そこには父と兄を探してそれぞれに手紙を渡してほしいと書かれていた。父は中東の内戦で戦死した。兄など存在しない。では、何故母はそんな遺言を残したのだろうか?生前、母と余り仲が良くなかったシモンは呆れ果てて言葉も出なかった。一方、ジャンヌはどうしても母の意志を無視できず彼女の生まれ故郷へ向かう。すると、そこで意外な真実が分かってくる。
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(レビュー) 亡き母の意志を受け継いだ子供たちが、母の知られざる過去を探っていく衝撃のヒューマン・ミステリー。
非情な戦争によって狂わされていく人々の姿を描いた映画は数多くあるが、今作ほど登場人物たちの数奇な運命を残酷に綴った作品もそうないだろう。大抵の場合は主人公たちを取り巻く過酷な状況にスポットライトを当てて反戦メッセージを訴えて終わり‥となるのだが、今作は人間ドラマを前面に出すことで戦争そのものの残酷さはもちろんのこと、人間の残酷さそのものを訴えかけている。見終わった後にはやりきれない思いにさせられた。
物語はジャンヌの出自を探る現在パートを軸にしながら、母ナワルの半生が回想形式で綴られていく。スッキリとした構成で大変見やすい。
そこで語られるナワルの半生は凄まじいとしか言いようがない。軽快に展開していくため少し浮き足立つ場面もあるのだが、彼女に襲いかかる悲劇の数々は実に痛ましいものばかりで暗澹たる思いにさせられた。特にバスのシーンは最も印象に残った。ここは彼女がその後の人生観を変える転換点とも言えるシーンであり、ドラマ的にもサスペンス的にも大変見応えがあった。
後半を過ぎた所でナワルの過去は一応全て露わになる。ここから映画はクライマックスにかけて現在パートを中心に展開されていく。こちらもかなり衝撃的だった。冷静に見るとかなりご都合主義な展開と言わざるを得ないのだが、全体の作りがリアリティに拠っているため妙に納得させられてしまう。正にギリシャ悲劇のごとき因縁めいた血縁のドラマになっている。ジャンヌとシモンは、ナワルが残した重石を背負いながら今後どんな人生を歩んでいくのだろうか。それを考えると胸を痛めてしまう。
と同時に、この結末をナワルの視点に立って見るならば、偉大な母性愛も感じられた。全ては戦争という狂気がもたらした悲劇であり、彼女はその渦中で40年もの間、もがき苦しまなければならない運命にあった。その間に、彼女は想像を絶するほどの地獄を味わったに違いない。しかし、彼女はそれに耐えたのである。実に強い母親だと思った。
本作には原作戯曲がある。原作者はレバノン出身のカナダ人ということで、今回の物語に自身の故郷の内戦が反映していることは間違いないだろう。それだけに強い思いも伝わってきた。戦争の絶えない世界に救いの希望を見出すべく、憎しみの連鎖を少しでも広げないように過去の誤った歴史を後世に伝えようとする努力。それが感じられた。
そしてもう一つ、今作からは極めて普遍的なメッセージも感じられた。それは殺戮の世界を灯すのは新たな生命の歓びである‥というメッセージである。未来の希望と可能性を秘めた子供たち。彼らを育てるのは親の愛である。ナワルの母性にはそれが込められているような気がした。大変重苦しいドラマであるが、最後にほんの少しだけこのメッセージが感じられた所に救われた。
監督はD・ヴィルヌーヴ。随分前に彼の「渦」(2000カナダ)という作品を見たことがある。実に奇妙なテイストを持った寓話色の濃い作品だった。時制をトリッキーに交錯させながら運命の残酷さをミステリアスに綴ったサスペンス作品で、本作に共通する物も見られる。ただ、その時に見られた特異なビジュアル・センスは今回はほとんど登場せず実にオーソドックスな作りになっている。個人的には「渦」のような尖ったセンスも好きなのだが、今回はリアリティに拠った演出で統制されており初期作品で見られたような作家性は封印されている。
尚、シナリオ上、幾つか性急に写る個所があり違和感を覚えるシーンがあったのは惜しまれる。シモンと現地の弁護士の動向を描く後半から、作りの粗が目立ってしまった。このあたりの作りは若干惜しい気がした。