後半のイカレっぷりは前代未聞である!
「鬼畜大宴会」(1997日)
ジャンル青春ドラマ・ジャンルアクション
(あらすじ) 1970年代初頭、左翼系学生が集うアパートの1室で男女がセックスに興じていた。女は服役中の組織のリーダー相澤の恋人・雅美。男は組織の最年長・山根。来るべき蜂起に備えて準備を整えていたが、学生運動が縮小する中、彼らは次第に自堕落な生活を送るようになっていた。その後、山根は雅美の運動方針に反発し組織を出て行った。そこに刑務所で相澤の思想に同調した青年・藤原がやって来る。一同は歓迎の杯を上げるが、組織の一人・熊谷だけは不満な態度を示した。雅美はこれ以上脱落者が出ないように彼を誘惑して引き止めた。その頃、獄中の相澤は割腹自殺をする。
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(レビュー) 学生運動の崩壊を過激なバイオレンス描写で綴った問題作。
監督・脚本・編集は熊切和嘉。大阪芸大の卒業制作だった本作は、その余りにも衝撃的な内容から劇場公開されるに至ったという伝説を持っている。国際的にも評価が高く(?)、まさかのベルリン国際映画祭上映という快挙まで成し遂げた。熊切監督は本作をきっかけに商業デビューを果たした。
何と言っても、見所となるのは壮絶なバイオレンスシーンである。劇中に映し出される残酷描写はかなりのもので、日本映画界でこれを凌ぐ作品は無いのではないか?というくらいの鬼畜振りである。かつての新東宝系の見世物ジャンル映画との類似も感じられるが、演出が過激な分、こちらはもはやトラウマ・レベルの衝撃度である。タイトルの「鬼畜大宴会」とは言いえて妙である。
当時の機運といったものも画面から十分に伝わってきた。確かに見世物的な趣向を余りにも優先させた結果、ストーリーはお座なりで学生運動の何たるかといった大切な部分は描き方が不足していると感じた。真摯に向き合っていないという意見も出てくるかもしれない。しかし、自分は大島渚や若松孝二の作品を見ていたので、彼らがなぜ内紛を起こし自暴自棄な行動に走っていったのか。その理由は汲み取ることが出来た。
たとえば、前半で見られる学生たちの脱力振り、あるいは熊谷に誘われて運動に参加し何も発言出来ないまま流れに身を任せてしまう新入生・杉原の覇気の無さは当時の"シラケ・ムード"を見事に捉えていると思う。学生運動の斜陽が必然であったことがよく分かる。
また、なぜ熊切監督がこの時代設定にこだわったのか。その狙いも何となく理解できた。
一つには戦前派と戦中・戦後派である団塊世代を明確に区分けしたかったのではないだろうか。太平洋戦争を境に社会は大きく変化した。当然日本人も思考や生き方を変えざるを得なくなってしまった。戦中・戦後派の若者たちは政治闘争という手段を持って社会に抗した。しかし、戦前派の大人たちに抑え込まれると急激にその運動は冷めて行った。この全共闘世代の末裔が現代の若者たちであるのだとしたなら、ここで描かれる凄惨な光景は現代の"写し鏡"という解釈も出来るのではないだろうか。おそらく、熊切監督は全共闘世代以降、連綿と続く閉塞的な若者たちの姿を描いて見せたかったのかもしれない。
演出は終始荒々しく扇情的である。
例えば、雅美は獄中にいる恋人・相澤の代わりに、組織の男たちを手当たり次第に誘惑していく。そこで描かれる一連のセックスシーンは実に赤裸々でえげつなく撮られており、生々しさと滑稽さが入り混じった不思議なテイストをまき散らす。そして、彼女は女帝のごとく組織の頂点に君臨し、反発する者には次々とリンチを加えていく。思うようにならない苛立ちと憤りがセックスと暴力によってしか解消されないこの現実。一度タガが外れたしまった破壊衝動は、若松孝二監督の
「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」(2007日)でも描かれていたことだが、そこをバカバカしいほど過剰にやってのけた熊切監督の演出は実に野心的と言える。
静と動のメリハリのつけ方、省略演出にもセンスの良さが伺えた。他にも、サブリミナル効果を狙ったようなショッキングな演出も実験的で面白い。一部で不自然な箇所も見られたが、何せ大学生の卒業制作作品である。それを考えれば全体のクオリティは高い方と言えるだろう。
また、クライマックスの場所となる廃校は、雅美たちの孤立感、絶望感、運動の終息を表すには絶好の舞台に思えた。このロケーションの選定も良い。
キャストは小劇団の俳優や素人で占められている。演技力が抜群に上手いという人はいないが、血のりや汚物にまみれながら夫々に身体を張って頑張って演じていると思った。
中でも、途中から組織に加わる藤原を演じた俳優の存在感は群を抜いて印象に残る。彼は獄中のリーダー・相澤の信念を受け継いだ者として運動に参加していくのだが、崩壊していく組織をまるで死んだ相澤の代弁者のように達観した眼差しでクールに見つめる。雅美でさえ彼には命令できない。それは彼が相澤の分身であり、狂気を隠し持った得体の知れない存在に映ったからに違いない。寡黙で不敵で何を考えているのか分からない‥そんな風貌がとても魅力的であった。彼がいることで組織内のパワーゲームも面白く見れる。
尚、助監督に
「松ヶ根乱射事件」(2006日)などで知られる映画監督・山下敦弘がクレジットされている。彼も本作の後に監督として商業デビューを果たしている。
石井苗子の佇まいが良い。
「揮発性の女」(2004日)
ジャンルロマンス
(あらすじ) 孤独な中年女性・悦子は、田舎町でガソリンスタンドを経営している。そこに原付バイクに乗った逃走中の強盗犯・理一が逃げ込んできた。僅かな現金とガソリンを奪って逃げようとするが、悦子の熟れた肉体を目の当たりにして思いとどまる。そして、そのまま悦子の部屋に居ついてしまう。こうして奇妙な同棲生活が始まるのだが‥。
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(レビュー) 孤独な中年女性と強盗犯の愛をオフビートに描いたドラマ。
愛とエロスをテーマに6人の監督たちが競作した「ラブコレクション」プロジェクトの中の1本である。
監督・脚本は衝撃作
「鬼畜大宴会」(1997日)でデビューを果たした熊切和嘉。過激な見世物的内容に度肝を抜かされたが、その後彼はガラリとテイストを変えてメジャー初進出作「空の穴」(2001日)を撮っている。そちらは淡々とした恋愛ドラマで、今にして思えばデビュー作の方がこの人にとっては異質な作品だったのだろう。本作も基本的には「空の穴」と同様、淡々としたテイストが横溢する。ほとんどが悦子と理一のやり取りで進行するミニマルな作品で、夫々の秘めた欲望を静かに筆致しながらじわじわと心に響いて来るような作品に仕上げられている。
但し、クライマックスからラストにかけては、やはりデビュー時のようなラジカルな演出が登場してくる。手持ちカメラで人物感情の噴出を生々しく切り取りながら、そのままの勢いを維持したままエンドクレジットまで突っ走っていく。オチを敢えて外した結末には賛否あるかもしれないが、後の二人を色々と想像させるという意味では味わいのある物に思えた。あの後二人はどこまで走っていったのだろう?悦子はこの町から出られたのだろうか?理一は逃げ延びることが出来たのだろうか?そんなことをあれこれ想像させる。
物語は、言ってしまえば流れ者のヤクザとカタギの女の恋愛ドラマで、取り立てて斬新と言うほどではない。先述の通り企画段階でテーマが限定されており、尚且つ80分という中編であることを考えれば、内容的にはこのくらいが丁度良いだろう。むしろ、ストーリーに凝るよりも料理の仕方(演出)に注力するのは、この手の競作系の作品では作家の個性を出すと言う意味において重要なことではないかと思う。
今作はストーリーを停滞させてでも一つ一つの描写をじっくりと描いて見せている。このあたりには熊切監督の人物観察能力の高さが伺える。そこを噛みしめながら見ていくと本作は非常に楽しめる作品だと思う。
そしてもう一つ、この面白さを引き立たせたものとして、悦子を演じた石井苗子の存在を忘れてはならないだろう。初見の女優であるが、中年女の孤独を実にリアルに体現していると思った。
悦子は、亡き夫の後をついでガソリンスタンドを経営する孤独な女性である。化粧っ気のない地味な風貌、感情を表に出さないボソボソとした喋り方、いかにも内省的で取っつきにくい感じの女性として登場してくる。極端な話、喪に服し続ける"死んだ"女と言ってもいい。それが理一に出会うことで徐々に感情の機微を見せ始めていくのだ。
例えば、彼女の所作は包丁を持った理一に無抵抗に屈する恐怖から始まる。その後、理一と寝食を共にするうちに少しずつ警戒心を解いていき、奇妙な愛情を抱くようになる。そして、後半からは理一の腐った根性を嗜める母親のようになっていく。石井苗子はフラットな演技の中にこうした一連の変化を見事に表現している。
また、彼女は理一の前で化粧をするようになり外見も変わっていく。"死んだ"女から"生きた"女に生まれ変わっていくのだ。前半の取っつきにくい印象はどこかに消し飛んでしまい、悦子が少しずつ可愛い女に見えてくる。これも石井なりの(あるいは監督の)創意だろう。
このように悦子の変化に注視すれば、本作はガール・ミーツ・ボーイのドラマと言うことが出来ると思う。ちなみに「空の穴」はこれとは正反対で、孤独な中年男が若い女と出会うボーイ・ミーツ・ガールのドラマだった。「空の穴」を見ていれば、今回は立場を逆転させて描いたんだな‥ということが分かって面白い。
逆に、理一の変化に着目すれば、今作にはちょっとしたホラー・エッセンスも見つかる。魔性の女・悦子に取り込まれてしまった運の悪い青年‥という構造が読み解け、「悪魔のいけにえ」恋愛版というような見方が出来る。このホラー・エッセンスは「鬼畜大宴会」で見せた熊切監督のもう一つの資質だと思う。男性目線で見ていくと少しゾッとするような箇所がある。
今作で唯一謎だったのは、悦子の虫取りの習慣だった。「悪い虫がつく」という慣用句があるくらいだから、おそらく男を寄せ付けない悦子のキャラクターを暗に示すものと捉えられるが、全体のリアリズムに拠ったトーンからするとやや浮いてしまっている。狙い過ぎでかえって不自然に映ってしまった。
予想外の結末で凹んだが周囲を描く群像劇は面白く見れた。
「空気人形」(2009日)
ジャンルファンタジー・ジャンル人間ドラマ・ジャンルロマンス
(あらすじ) 中年男・秀雄は孤独を紛らすために毎晩ラブドールと寝ている。ところが、ある日そのラブドールが心を持ってしまった。秀雄の出勤中に彼女は部屋を出て外の世界を見聞する。そして、近所のレンタルビデオ店でアルバイトを始めた。彼女はそこで働く青年・純一に惹かれていくようになる。
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(レビュー) 心を持ってしまった空気人形の恋をリリシズム溢れるタッチで描いたファンタジー・ロマンス。
「自虐の詩」(2007日)の業田良家の同名コミック(短編)を実写映画化した作品である。
魂を持った空気人形がメイド服を着て外出する姿など、明らかにその手のヲタク嗜好への媚びへつらいが見られ、最初はいわゆる"落ちもの″系と呼ばれるような男主人公に都合の良い物語だと思って見始めた。
ところが、物語の中心に存在するのは孤独な中年男・秀雄ではなく空気人形の方で、自我を持ったことで生まれる葛藤、そこに集中してドラマは展開されていく。彼女は性処理の道具にされるだけの愛のない生活に苦悩し、アルバイト先で出会った青年・純一に淡い恋心を芽生えさせていくようになる。
話だけ聞くといかにも陳腐な悲恋ドラマといった感じがするが、実際に映画を見てみるとそれほど感傷的な作りにはなっていない。これは監督・脚本を担当した是枝裕和の資質がそうさせているのだと思う。彼のこれまでの作品を見れば分かるが、基本的にはドキュメンタリータッチを信条とする演出家である。その作家性が良い意味で、本作の嘘臭いファンタジー色を払拭している。設定が設定なので他の作品に比べるとリアリティーには欠けるが、必要以上に盛り上げようとせず、淡々とした筆致で丁寧に描写するスタイルはいかにも是枝節である。そのおかげで変に浮き足立つようなドラマにはなっていない。
ただ一つ、空気人形と純一の辿る結末については全くリアリティが感じられず興が削がれてしまった。
この時の二人の行動が異常過ぎて入り込めなかった。そもそも、空気人形は詩を朗読するくらいだから、それを理解する知識や感動する心といったものは持っていたはずである。当然、自分は普通の人間とは違う存在であることも知っているものと思っていた。仮にそうでないとしても、その直前で純一と裸体を重ね合わせた時に、人間には体温があり人形である自分には体温が無いということくらいは気付くだろう。それなのに、何故彼女はああいう行動に出てしまったのだろうか?実に解せない。また、その行動に対する純一のリアクションも理屈に合わない。あるいは、ある程度覚悟していたという考え方も出来るが、だとしてもあのリアクションではその覚悟も感じられない。演出が中途半端過ぎる。このクライマックスシーンだけは、一歩引いて見ることしかできず余り乗れなかった。
一方で、本作は空気人形と周囲の人間関係を描く群像劇にもなっている。都会に住む人々の孤独を彩豊かに照射した是枝監督の手腕は見事である。孤独というテーマ自体、彼の得意とするところであり、これについては見応えが感じられた。
登場する人は多種多様である。生身の女性と付き合えない空気人形のご主人様・秀雄を筆頭に、二人暮らしの父子、身寄りのない老人、未婚の中年受付嬢、過食症の引き籠り女、サブカルヲタク青年、妻子に逃げられた中年男、退屈な日常の繰り返しに脱力している巡査等、実に多彩である。そして、彼らもまた空気人形と同じように心満たされぬ寂しい人たちである。
尚、吉野弘作の「生命は」という詩をバックに彼らの生活をカットバックで繋いでいくシーンは、詩の意味を噛みしめながら見ると実にしみじみとさせられる。生命の欠如を他者との関係で埋めていくことの素晴らしさ、人間関係の尊さを歌っているのだが、現実の彼らはその欠如を埋めるだけの交友を持っていない。実に切なくさせられた。風に回る風車の音がやけに虚しく聞こえた。
キャストでは空気人形を演じたペ・ドゥナの演技に見応えを感じた。たどたどしい日本語をしゃべりながら、たゆたうような演技を貫き、自我の萌芽を瑞々しく表現している。ヌードやセックスシーンにも果敢に挑んでおり頑張っていると思う。
秀雄を演じた板尾創路も情けない役を飄々と演じていて良かったと思う。たった100円で喜ぶせこさ、股間に白毛を見つけて落ち込む姿など、自前のお笑いキャラを上手く利用しながら妙演している。
一方、終盤に登場するオダギリジョーには興が削がれた。この役所にこのイケメンをキャスティングしてしまっては現実味が薄い。
別の世界に飛ばされた男の数奇な恋愛ドラマ。
「天使のくれた時間」(2000米)
ジャンルロマンス・ジャンルファンタジー・ジャンルコメディ
(あらすじ) 会社社長ジャックは仕事一筋の人間。クリスマスイブの日、13年前の恋人ケイトが連絡をくれる。しかし、彼は仕事を優先させてそれを無視した。その後、帰宅途中で雑貨屋で強盗犯に遭遇する。彼から1枚のクジを買って自宅へ戻り就寝した。翌朝、彼が目を覚ますとそこは別世界だった。ジャックはケイトと二人の子供に囲まれた平凡な父親になっていたのである。今までと全く異なる生活に戸惑いながら、彼は大切なものを見つけていく。
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(レビュー) 富と名声を得たエリートビジネスマンが、別の人生を歩みながら大切なものは何なのかを知っていくファンタジーロマンス作品。
F・キャプラの名作「素晴らしき哉!人生」(1946米)を思い出させるようなストーリーだが、こちらは男女の数奇なすれ違いをメインのドラマに敷くことで恋愛ドラマが強く打ち出されている。そこに「素晴らしき哉!人生」とは違った面白さが感じられた。
中盤でジャックが昔の結婚式のビデオを見るシーンが出てくるが、ここにはしみじみとさせられた。彼はそれまで元の世界に戻りたいと思っていたのだが、このビデオを見たことで気持ちが揺らいでしまう。高級車に乗れなくても、リッチなスーツを着れなくても、愛する妻子に囲まれながら平凡な暮らしを送るのも悪くないんじゃないか‥そう考え方を改めるのだ。ジャックの改心をセリフではなく映像で分からせた演出が良い。
全体を通してハートウォーミングな作りになっており、誰もが入り込みやすい作品と言えよう。大きな不満箇所も特にない。
ただ、逆に言うと良くも悪くも平均点な作品と言うことも出来るわけで、何かこちらの虚を突くようなインパクトが欲しかった。話の展開もこれと言った意外性がないので漫然と見れてしまう。良い話はそれだけで観客の満足を満たしてくれるものであるが、それだけではやはり物足りない。何か捻った展開を盛り込んでほしかった。例えば、せっかく登場させた天使を使って何か事件を起こすのも良い。そうした予想をさせない"何"かをもっと見せて欲しかった。
演出は概ね堅実にまとめられている。ただ、幾つか気になる箇所があった。ジャックが初めて異世界に飛ばされて目を覚ました時に、隣に寝ているケイトに気付かなかったのは回りくどい演出と言える。ここは自然に分からせるべきだったろう。終盤のプロポーズもやや強引に見えてしまった。もう少しジックリと描いた方が胸に迫ってくるような気がする。
D・エルフマンの音楽は劇中のクリスマス・シーズンに上手くマッチしていると思った。ただ、これも使い方をほどほどにしないと大仰過ぎて押し付けがましくなってしまう。個人的にはもう少し抑制して欲しかった。
ジャックを演じるのはN・ケイジ。シリアスもコメディも器用に演じ分ける俳優だが、今回は終始コメディ寄りな演技を貫いている。ケイトとの夜の生活のすれ違い、不慣れな育児パパ振りが実に可笑しかった。
国内未DVD化作品。中途半端な作りで味の分からない作品になってしまった。
「40オトコの恋愛事情」(2007米)
ジャンルロマンス・ジャンルコメディ
(あらすじ) コラムニストのダンは妻に先立たれて3人の娘たちと暮らしている。休暇を親戚一同が集う別荘で過ごすことになった。ある日、近所の本屋でマリーという女性に出会い意気投合し一緒に食事をする。楽しい時間を過ごすが、なんと彼女は弟ミッチの恋人だった。秘めた思いを胸に平静を装う二人だったが、その夜のディナーでダンは感情を爆発させてしまう。
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(レビュー) シングルファーザーの恋をユーモラスに綴った作品。
主演が
「40歳の童貞男」(2005米)のS・カレルと言うことで見たのだが、意外に笑いは少ない。映画を見終わってみると結構シリアスなドラマだったんだ‥という印象である。「40歳の童貞男」にあやかってつけられた邦題に騙された‥という感じがした。
また、基本的にシリアスではあるが、そこを責めきれてないという感想も持った。そもそも、キャラクターへの踏み込み不足と葛藤の弱さを感じる。
例えば、ダンは何故あそこまで弟の恋人であるマリーにのめり込んでしまったのだろうか?まず一歩引いて冷静に考えるという葛藤があって然るべきだと思う。
あるいは、恋は盲目ということであれば、ダンが何もかも捨てて夢中になるくらいの魅力がマリーになくてはならない。ところが、マリーを演じたJ・ピノシュは決してそこまでの女性とは言い難い。これは個人的な好みで言っているではなく、シナリオ上少なくともそういう風に造形されていなければならない‥ということを言っているのである。
無論、若い頃の彼女であれば、そこに存在するだけで魅力的な女性に見せることは可能だったろう。しかし、40も半ばに入ればそれ相応の大人の"色香″というものを出していかないと男を虜にすることは出来まい。
料理上手、豊富な海外渡航経験、知識欲旺盛で博識、エクササイズなどをこなす健康的な女性etc.なるほど、大変魅力的な女性である。しかし、肝心のセックスアピールは全く感じられない。ダンは彼女のどこに惚れ込んでしまったのだろうか?
同様にダンにもセックス・アピールの不足は感じてしまう。彼は売れないコラムニストをしながら年頃の娘たちの面倒を見ている良き父親である。序盤の海辺のシーンで彼のユーモアと包容力は明確に打ち出されている。確かに善人である。しかし、善人だけではマリーが惚れる理由としてはまだ足りない。恋人を裏切り情事に落ちるという所までいくには、やはり男性的な特別な魅力がないとダメだと思う。
今作はディズニー傘下のタッチストーンの製作である。だから性表現に限界があるのではないか‥と穿った見方をしてしまった。しかし、それではダンとマリーの恋愛に説得力を持たすことは出来ないと思う。
また、ラストの強引なハッピーエンドにも閉口してしまった。この時のミッチの選択は余りにも唐突過ぎる。
おそらく、こうした留意点は最初からコメディとして作られていたなら、ある程度目を瞑ることが出来たのかもしれない。しかし、コメディとシリアスの中間を行くような作りになってしまったため、釈然としない作品になってしまった。
尚、ロケーションの美しさ、ダンの3人の娘たちのキャラクターはそれぞれに良かったと思う。リリーのプレゼントが実に微笑ましかった。
独特の感性で描かれた恋愛ドラマ。
「ウルトラミラクルラブストーリー」(2009日)
ジャンルロマンス
(あらすじ) 軽度の知的障害を持つ青年・陽人は、青森で祖母と野菜作りをしている。軽トラに乗って野菜を売っていたところ、近所の幼稚園に赴任してきた保母・町子に出会い恋に落ちる。彼女は不幸な事故で恋人を亡くし、カミサマと呼ばれる占い師に相談するために東京から青森に引っ越してきた女性だった。町子は今でも死んだ恋人のことが忘れられなかった。そんなある日、陽人は近所の子供とふざけて農薬を浴びてしまい‥。
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(レビュー) ADHD(注意欠陥・多動性障害)を持った青年と、恋人を亡くした女性の触れ合いを、のどかな青森の農村を舞台に描いた恋愛ドラマ。
基本的には純愛路線のロマンス・ストーリーだが、一筋縄ではいかないクセを持った作品で好き嫌いがはっきり分かれると思う。個人的にはこういうブラックでシュールなドラマは割と好きである。
ただ、後半である事件が起こり、それ以降のくだりが性急に写った。陽人と町子の関係が急に接近してしてしまった感じがして、後半から今一つのめり込むことが出来なかった。それまでの二人の微妙な距離感が独特の雰囲気を漂わせていて好きだっただけに惜しまれる。ちなみに、東京の病院へ行くエピソードもストーリー上、不要に思えた。
監督・脚本は新鋭・横浜聡子。未見であるが自主制作した前作「ジャーマン+雨」(2006日)で注目を集めた才人である。
今作を見る限り、彼女の作家としての資質はキャラクターの造形の仕方から伺える。軽度とはいえ障害を持ちながら田舎で野菜作りをしている青年。首なし恋人に取りつかれながらカミサマの声に耳を傾ける傷心の女性。主役二人をこうした特異な設定に据えたことからして、単純な恋愛ドラマにしようとしてない監督の意気込みが伝わってくる。
そして、後半の現実とも虚構ともつかないシュールでナンセンスなシーンの数々、終盤のブラックなオチにも横浜監督の独特の感性が伺える。直接的に視覚に訴える刺激的な演出は何となくL・ブニュエルに近い感じもするが、いずれにせよこのセンスは今の日本映画界にあっては非凡と言える。
主演に松山ケンイチ、麻生久美子というイケメン&美女を持ってきたことも特筆すべきであろう。監督デビュー作にして人気俳優である二人の持ち味を上手く引き出した演出センスには唸らされる。特に、前半における二人のオフビートなやり取りには味わいが感じられた。また、このキャストを当て込んだプロデューサーの尽力も相当あるように思う。普通はここまで風変わりな作品に、しかも新人監督の映画に、こうした人気俳優は出演しないだろう。
横浜作品は今回が初見だったが、後半の作劇を除けば、全体的には中々面白く見れた。この独特の感性で今後もますます日本映画界を活性化させていって欲しいものである。密かに期待したい。
淡いタッチの岩井ワールドとダークなドラマの取り合わせが中々奇妙で面白い。
「リリイ・シュシュのすべて」(2001日)
ジャンル青春ドラマ
(あらすじ) 中学生の蓮見は剣道部に入り、そこで星野と友達になった。二人は夏休みを利用して沖縄へ旅行に行く。そこでの出来事が星野を変えてしまう。二学期が始まると星野は不良グループの頂点に立ち、蓮見は虐められっ子になった。一方、同じクラスの詩織は星野に弱みを握られ援助交際を強要される。詩織の近所ということで蓮見は彼女の面倒を見るようになるのだが‥。
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(レビュー) 中学生達の鬱屈した感情を描いたビターな青春映画。
原作、監督、脚本は岩井俊二。美しい田園風景の中で蓮見がリリイ・シュシュの歌を聴くフォトジェニックな冒頭のシーンからして、いかにも岩井ワールドといった感じで引き込まれた。陶酔的な浮遊感の中に青春の儚さ、残酷さを投影しつつ、随所に彼の美的感性が幅を利かせ、印象深いカットが各所に見つかる。正に抒情詩と呼ぶに相応しい美しい映像作品だ。
ただ、映像の美しさとは裏腹に物語はかなり重い。この年頃の子供たちは精神的にも肉体的にもアンバランスな状態にある。自分自身の中で起こる変化にどう対処して良いか分からず、暴力を振るったり、空想に浸ったりetc.
本編には少年犯罪、受験、 虐め、セックス、自殺といった問題が登場してくる。これらは以前紹介したインディペンデント製作の青春群像劇
「14歳」(2006日)の中でも語られていた問題だった。更に、今作には「14歳」で唯一欠けていたインターネットの問題がモチーフとして大きく関わってくる。同時代的な匂いが嗅ぎ取れるという意味で、今回のネット問題は特に興味深く見れる部分だった。
物語は割と淡々と進む。どれもこれもこの年頃の少年少女にはリアルにありそうなエピソードで面白く見ることが出来た。特に、インパクトが大きかったのは、蓮見に対する陰湿な虐め、詩織の顛末、久野の変身である。これらは見ていて何ともやり切れない思いにさせられたが、同時に大人になり切れない未成熟な子供たちの素の姿を見事に捉えていると思った。
そして、この映画を見て周囲の大人達は一体何をしているのか?という怒りにも似た感情も湧いた。どうして助けてやることが出来なかったのか‥と。
そもそもこの映画は最初から大人の存在感が薄い。出てきたとしても放任的で事務的な態度で子供たちに接するだけである。これは岩井俊二が敢えて狙った演出なのだろう。まるで"子供だけの国″のように見せることで、そこにコネクトできない大人の愚かさを証憑しているかのようである。これは実に辛辣なメッセージだと思う。子供を救えない大人が増えることで、世界はどんどん暗く悲しいものになってしまうからだ。
こうした閉塞感漂う日常の中で蓮見は、リリイ・シュシュという女性アーティストの音楽に出会う。彼女のファンになり彼女のサイトを立ち上げて様々な人々とネット上で繋がり、彼の荒んだ心は次第に救われていくようになる。
ちなみに、リリイ・シュシュの音楽性については、少しダークな感じでビヨークっぽい印象を受けた。今作で音楽を務めた小林武史は、同じ岩井俊二監督作の「スワロウテイル」(1996日)でも音楽を担当していた。アンビバレントなテイストを漂わせた独特の世界観が、少年少女の心の闇を表しているかのようである。そこに彼らはシンパシーを覚えるのだろう。
ただ、リリイ・シュシュ自体は、ここではあくまでドラマを成す一つのピースに過ぎない。岩井俊二が描きたかったのは彼女の音楽性の素晴らしさではなく、あくまで彼女に魅了される若者たちの孤独感である。言わば、リリイ・シュシュとは過酷な現実を忘れさせてくれる一つのファッションのようなものであり、彼女の代役は別にマンガやお笑いだっていいのである。現実逃避の先にたまたまリリイ・シュシュというアーティストがいた‥そういうことなのである。
先に述べたように、本来なら蓮見たち若者を救うのは親や教師といった大人達なのだが、肝心の彼らがこうも不甲斐ないのでは"偶像”であるリリイ・シュシュに救いを求めたくなるのも何となく分かるような気がした。現代社会における大人と子供の隔絶をリリィ・シュシュという"偶像″を媒介にして捉えた所は見事と言えよう。
映像に関しては、岩井俊二らしい透明感溢れる美的センスが随所に登場し見所が尽きない。ただ、その一方で今回は沖縄旅行のラフなタッチにも魅了された。ホームビデオ風な映像が、開放感に溢れた海の風景と相まって"青春の匂い"をリアルに捉えている。活き活きとした蓮見たちの表情がたまらなく魅力的であった。
こうしたラフな手持ちカメラの一方で、決めうちのショットも所々で良いものが見つかる。例えば、夕陽を浴びる葬列シーンなどは幻想的で印象に残った。
キャストでは、市原隼人と蒼井優が今作でデビューを果たしている。自然体な演技は瑞々しい岩井ワールドに上手くマッチしてた。ただ、個人的には彼ら以上にもう一人のヒロイン・伊藤歩の存在感を買いたい。彼女の中盤の変身振りにはアッと驚かされた。
思春期の女子高生達の友情を清々しく描いた青春映画。
「blue」(2001日)
ジャンル青春ドラマ
(あらすじ) 高校三年の桐島はクラスメイトでもそれほど目立たない遠藤のことが何故か気になった。意識し始めたのは二年生のある日。遠藤が救急車で運ばれていく姿を目撃してからである。その後、どういうわけか彼女は停学処分になり、最近になって学校に来るようになった。桐島は遠藤に一緒にお昼を食べようと誘う。こうして二人の交友が始まった。その後、桐島は遠藤の知られざる素顔に徐々に惹かれていくようになる。
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(レビュー) 女子高生の切ない友情を静謐なタッチで描いた青春映画。同名コミックの映画化である。
地味な作品であることは確かだが、思春期の少女達の等身大の姿にリアルに迫った所に好感を持てた。
演出はミニマムに設計されており、画面は安定したフレーミングと長回しによって整然と作られている。また、海や空の風景の美しさが素晴らしく、淡い青春の"匂い"というものをきちんと再現している。特に、桐島と遠藤が歩き回る終盤のシークエンスには陶酔的な美しさが感じられた。欲を言えば、一部でロケーションのちぐはぐさが目立つので、このあたりが無くなればもっと完成度は高くなっていただろう。
物語は、同性に対する憧れが恋心に変わり‥という百合属性なドラマになっている。謎めいた少女・遠藤には暗い過去がある。それを知った桐島はその悲しみを共有できず次第に思い悩んでいくようになる。その葛藤は見ているこちら側によく伝わってきた。
また、遠藤の秘密を探るミステリも面白く追いかけることが出来た。遠藤の親友・中野にべらべら喋らせてしまったのは演出的に難ありだったが、それまでの桐島の知りたい‥というモヤモヤ感はドラマの高い求心力を成している。このあたりの心理描写は繊細に表現されていると思った。
本作は基本的に桐島に視座が固定されているが、ここにもドラマ構成の妙がある。終盤の海辺のシークエンスで遠藤から見た桐島観が遠藤の口から吐露されているのだが、桐島はこの時初めて自分は遠藤にこんな風に見られていたんだ‥ということを知り驚かされる。二人は実に対照的なキャラクターで、簡単に言ってしまえば、遠藤は"持っている者”であり桐島は"持たざる者”である。"持たざる者″だった桐島が〝持っている″遠藤を常に見上げる関係だったのが、このシークエンスでは逆転する。実は遠藤の方が桐島に憧れていた‥ということが分かりしみじみとさせられるのだ。
桐島役は市川実日子、遠藤役は小西真奈美、それぞれに好演していると思った。
市川実日子は割と淡々とした演技を貫きながら、アンビバレントな少女の心情をナチュラルに見せている。ただ、これは演出的な問題かもしれないが、序盤の泣くシーンだけは不自然に写った。どうやらその後も彼女は時々感情が高ぶると泣く癖があるのでそういうキャラクターなのかもしれないが、ここだけ妙に過度に写ってしまったのが残念だった。
小西真奈美は市川以上に淡々としている。若干一本調子で食い足りない感じもしたが、桐島が憧れる対象としては、この凛とした佇まいは適確な演技に思えた。彼女には暗い過去があるが、それをわざとらしくちらつかせなかった点も良かった。
尚、製作に俳優の故・岡田真澄がクレジットされている。どういう繋がりで彼がプロデューサーになっているのか分からないが、彼が映画の製作に携わったのは本作と翌年のスポ根青春映画「AIKI」(2002日)だけである。意外に青春映画を作ることを切望していたのかもしれない。
アメリカン・ニューシネマの隠れた傑作!
「グライド・イン・ブルー」(1973米)
ジャンル青春ドラマ・ジャンルサスペンス
(あらすじ) アリゾナで白バイ警官をしているジョンは刑事になることを望んでいた。ある日、いつものように相棒デイビットと交通取り締まりをしていたところ、偶然老人の死体を発見する。自殺に見せかけた殺人だと睨んだジョンは、事件を担当するハーブ刑事の助手に抜擢されて捜査を開始していく。
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(レビュー) 刑事に憧れる白バイ警官が夢破れていく様を渇いたタッチとスタイリッシュな映像で綴った作品。今一つ知名度の低い作品であるが、アメリカン・ニューシネマの隠れた傑作として評価する者も多い。
事件の種明かしそのものは存外シンプルでサスペンス的な面白味は弱い。ただ、事件の裏側には孤独な人間の姿が見え一定の味わいを持った作品になっている。
製作・監督・音楽はロックバンド、シカゴのプロデューサーでも知られるJ・W・ガルシオ。本作は彼が残した唯一の作品である。初監督ながら中々手練れた演出を見せている。
まず、アバンタイトルのスリリングな銃撃シーンで一気に画面に引き込まれた。映画の"引き″としては申し分なく、この緊迫感は只事ではない。
また、所々で見せるユーモアも楽しく見れる。例えば、ジョンとデイビットのやり取り一つとっても、馬鹿だなぁ~と思いつつも、後の顛末を想像してしまうとどこか抒情性もこみあげてくる。特に、下半身を丸出しにしてダンスするシーンは最高に笑えて泣けた。
そして、なんと言ってもラストシーンである。延々と続くハイウェイを移動ショットで紡ぎながら、ジョンの夢破れていく姿を強烈に印象付けている。いかにもアメリカン・ニューシネマらしい虚無感漂う幕引きは実に心に残った。
撮影監督コンラッド・L・ホールの働きも実に素晴らしい。彼はこれ以前に「暴力脱獄」(1967米)、「明日に向かって撃て!」(1969米)といったアメリカン・ニューシネマの傑作を撮っており、本作にもその卓越した映像センスはいかんなく発揮されている。荒野を写した美しい映像、奥行きを活かしたダイナミックな構図、極端なクローズアップ等、映画のクオリティをビジュアル面から支えている。
キャストは決して有名な俳優が出ているわけではないが、夫々が自分のキャラクターに生々しい息吹を吹き込んでいる。
ジョンは背の低い生真面目な警官で、そのキャラクター・タッチングは序盤で早々に明示されている。生真面目さゆえの不器用さというバックドアもきちんと図られており、すんなりと主人公としての立ち位置をはっきりと示している。
反対に、彼の相棒デイビットは長身でズボラな性格の警官である。ジョンとのキャラクターの対比を図りながら、彼には彼なりの人生観、夢があることを明確に示唆し、これも生きたキャラクターとして上手く作り上げられていると思った。
そして、もう一人のメインキャスト、事件を担当するハーブ刑事だが、こちらは表と裏の顔を持つ曲者的な存在感を出しながら見事なキャラ立ちを見せている。
このように地味な顔ぶれながら、個々のキャラは魅力的に造形されている。
ただ、確かに他のアメリカン・ニューシネマのように、強烈な個性を持ったアウトローといったものは登場してこない。それゆえ記憶に残りにくい作品と言われるのかもしれないが、そこは深く噛みしめれば他のアメリカン・ニューシネマの主人公たちと同等の、あるいはそれ以上の鮮烈さは感じ取れよう。
尚、射撃練習場で「イージー・ライダー」(1969米)のポスターを標的にするシーンが登場してくる。言わず知れたアメリカン・ニューシネマの代表作だが、このポスターをわざわざ出してきたのは製作サイドの気を利かせたジョークだろう。
「イージー・ライダー」の主人公はマリファナを積んで大陸を横断するヒッピーたちだった。そして、今作のジョンはヒッピーのコミューンに単身乗り込んでいる。相棒のデイビットは麻薬所持で無実のヒッピーを逮捕している。つまり、本作の主人公たちはヒッピーに対抗する"体制側"の人間達なのである。「イージー・ライダー」のポスターを使ったことは、"体制”対"反体制”という図式を示そうとした作り手側の狙いであろう。
ただ、今作は"体制側"から描いた作品ではあるが、主人公たちの思考は決して権力サイドに寄っているわけではない。体制側にも、当然のことながら古い価値観を持った人間と新しい価値観を持った人間がいて、ここがこの映画のミソである。ジョンたちは古い価値観を持った上司に反抗して新しい価値観を実現させようとする若者たちなのだ。
多くのアメリカン・ニューシネマが"反体制”側にスポットライトを当てていたのに対して、今作はまったく逆の立場、つまり"体制側"を主人公にした映画である。ただ、そこには確実に古きものを打破しようとするカウンターが厳然としてあった‥ということを、この映画は物語っている。ここが他のアメリカン・ニューシネマにはない、今作の大きな特徴だろう。一際異彩を放った作品だと言える。
孤独な男の哀愁をクールに活写したバイオレンス映画。
「ドライヴ」(2011米)
ジャンルサスペンス・ジャンルロマンス
(あらすじ) 男は昼間は自動車修理工場で働きながら、時々映画のカースタントのアルバイトをしている。しかし、彼にはもう一つの顔があった。それは類まれなドライビング・テクニックで強盗犯を逃がすという裏の仕事だった。ある日、彼は同じアパートに住む母子と顔見知りになる。その後、故障した自動車を修理してやったことから次第に交流が始まる。孤独だった男の心は少しずつ癒されていき、彼の生活にも潤いが出始めて行った。ところが、そこに刑務所に入っていた彼女の夫が戻って来る。
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(レビュー) 天才ドライバーが愛する母子のために犯罪に手を染めていくサスペンス映画。
まず、この主人公の設定。どう考えても、W・ヒル監督の「ザ・ドライバー」(1978米)の主人公を彷彿とさせる。そこはオマージュなのだろうか?それとも単なる偶然なのだろうか?
それはともかくとして、寡黙でミステリアスな能面表情を決め込む本作のドライバーは、社会の片隅にひっそりと暮らすアウトロー然とした造形で中々に魅力的であった。この主人公のキャラ立ちだけで、このドラマはほぼ成功しているような所がある。
物語はヤクザ者が孤独の淵に見つけた愛に最後の人生をかけていく‥という、言ってしまえばよくあるドラマである。しかし、物語の凡庸さを補って余りある監督ニコラス・ウィンディング・レフンのスタイリッシュな演出が映画全体を大いに引き締めていて、ラストまで一時も目が離せなかった。同年のカンヌ国際映画祭で監督賞を受賞したのも納得である。
まず、冒頭の強盗シーンからスリリングで一気に画面に引き込まれた。タイムリミット感を持たせた演出がハラハラドキドキの興奮を味あわせてくれる。物語はその後、ドライバーと隣人の母子の温かい交流を描いていく。そして、刑務所から母子の旦那が出所してきてドラマはサスペンス方向へと流れていく。ここから物語はボルテージを下げることなく一気にクライマックスまで突っ走っていく。大筋だけなら実にシンプルなドラマだが、それを飽きなく見せたレフン監督の演出力は見事といえよう。
また、途中で2度ほどテクニカルな構成術が見られる。時制を前後させた構成である。これは見る側に意外性をもたらすという効果と、要所だけを見せることで物語をコンパクトにまとめるという効果。この二つの効果がある。こうした構成術もレフン監督の卓越した演出力の成せる技だろう。
キャラクターは非常にミニマムに設定されている。余計な登場人物を一切登場させないため、物語は必要以上に膨らまないで済んでいる。
ただ、こうしたミニマムな語り口は、見ようによってはストーリー上の"穴"を生んでいる‥という言い方も出来てしまう。
例えば、強盗事件がニュースで流れたら、普通はR・パールマン演じるニーノは真っ先に母子の近辺を怪しむだろう。そうなれば当然、隣に住むドライバーの素性にも気が付くはずである。また、それ以前にマフィアの報復だってあるのが普通だと思う。こうしたストーリー上の綻びは、普通は詳細に描くことで補完されるものだが、本作は敢えて情報を必要最小限に留めてしまっているので、物語の"穴″となってしまう。このあたりの作りは賛否あるかもしれない。
主人公のドライバーを演じるのはライアン・ゴズリング。今回のキャラクターは名前も過去も不明である。一切の素性が分からない所、寡黙な表情の裏に暗く哀しい過去を色々と想像してしまいたくなる。そして、それを上手く匂わせたライアン・ゴズリングの演技は見事である。正に好演である。また、パッと見は文科系優男だが、その外見とは裏腹に瞬間的に凄まじいバイオレンスを繰り出し、内に秘めたる暴力性を静かに体現した所も大いに評価したい。何となく「タクシードライバー」(1976米)の主人公トラヴィスを彷彿とさせるような所もある。
隣人の母親役を演じたC・マリガンも中々の佇まいを見せている。幸薄そうなロリータ・フェイスにC・リッチに似たチャーミングを感じる。惜しむらくはもう少し母性を全面でに出して存在感を出してほしかったか‥。先述の通り、この映画はストーリーも人物設定も非常にミニマムに作られている。その煽りを食らった感じがした。
尚、一部で物議を醸したバイオレンス・シーンだが、これについては確かにヤリ過ぎといった印象を持った。リアリティ云々を言ってしまうと、とてもじゃないが嘘臭く映ってしまう。ただ、ここは見世物的なハッタリを効かせた‥と解釈したい。また、ハッタリということで言えば、銃の音やタイヤの軋む音等、音響の迫力も中々の物である。
ラストの締めくくり方も賛否あろうが、個人的にはこの主人公にしてこの幕切れは実にしっくりと来た。
劇中には何度も夜の都会を俯瞰で捉えたショットが登場してくる。映画はそれをバックにしながら、ドライバーの「この町には何千という通りがある」というクールなナレーションで始まる。まさにドライバーの人生という名の"通り"もその中の1本になるのだろう。であれば、深い闇へと続くロードで終わるラストは、主人公の行き先を暗示しているとも言える。OPとEDを繋げたこの演出は、ドライバーの孤高性を見事に印象付けている。