J・トー節がさく裂した快作!ちょっとお遊びが過ぎるがクライマックスには全漢が痺れること間違いなし!
「エグザイル/絆」(2006香港)
ジャンルアクション
(あらすじ) 中国返還間近のマカオ。香港マフィアのボス・フェイを暗殺しようとして追われる身となったウーは、誰も知らないこの土地で妻子とひっそりと暮らしていた。そこに二組の男達がやって来る。一組はフェイの命令でウーを殺しにやって来たブレイズとファット。もう一組はウーを守るためにやって来たタイとキャット。二組はウーの前で壮絶な銃撃戦を始めるが‥。
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(レビュー) J・トー監督が殺し屋たちの友情を持ち前のスタイリッシュな映像で活写したアクション作品。
劇中で繰り出される数々のアクションシーンは今までに見たことがない荒唐無稽なものが多く、それゆえどうしても評価に詰まるところがあるが、そこは鬼才J・トー。斬新なアイディア、スタイリッシュな演出は他の作家達の追随を許さない独創性に溢れていて、一つ一つのシーンに目が釘付けになってしまった。
まず、初っ端から緊迫感みなぎる3つどもえの銃撃戦が繰り広げられていて興奮させられる。この時のドアの演出などは普通に考えたらリアリティ無視な演出だが、J・トーは敢えてこういった突拍子もない演出を繰り出すことで見る側を驚かす。しかも激しい銃撃戦の直後にはそれまでの殺伐とした雰囲気から一転、和気あいあいとした食事のシーンに切り替わる。ここまでセリフ無し。彼らの関係も一切説明されない。黙々と食卓を囲む彼らを見て「え?何なのこいつら?」と見ているこちらは呆気にとられるしかない。こちらの想像を嘲笑うかのような"語らない"演出には脱帽だ。
マカオのボス・キョンの暗殺シーンにおけるピリピリとした睨みあいにも痺れた。ここにもやはり必要以上に"語らない"J・トー的演出の妙が感じられる。静まり返った沈黙の中に夫々の人物の思いを封入しながら、一触即発の状況を「これでもか!」というくらい煽り立て極限までボルテージを沸騰させていく演出。これにはぞくぞくするような興奮が味わえた。
このように本作は一つ一つのアクションシーンについて見て行けば、これまでのどのJ・トー作品よりも過剰に味付けされた濃い味テイストになっている。毎度のバカ演出も含め、彼の演出テクニックが様々に詰め込まれた一つの到達点のような作品と言っていいような気がする。
尚、今回最も笑わされたのはクライマックスのレッドブルである。
一方、ストーリーの方は日和見な部分が目につき正直今一つ‥といったところである。予想を裏切るのがJ・トー作品であることは分かるのだが、たとえば途中で描かれる金塊強奪のエピソードは物語的に言って余り必然性が感じられなかった。このエピソードから新キャラが加わるのだが、彼はラストの処理要員としての役割くらいしか持たされておらず、そのための伏線だとしたらもう少し上手いやり方があったように思う。第一にクライマックスの戦いに出ないのであれば、このエピソードで披露した彼の銃の腕前は一体何だったのか‥?ということになってしまう。
また、キョンの動向もドラマの盛り上がりを考えればもう少しやりようがあったように思う。
主要キャストはいわゆるJ・トー組で占められている。A・ウォン、フランシス・ン、ラム・シュー、ロイ・チョン。彼らはJ・トーの出世作「ザ・ミッション/非情の掟」(1999香港)で一気にお馴染みとなったが、それ以降どの作品を見ても仲良く共演している。中でもA・ウォンが相変わらず渋くて格好良かった。
「八仙飯店之人肉饅頭」(1993香港)、
「エボラ・シンドローム/悪魔の殺人ウィルス」(1996香港)の怪演は確かに強烈だったが、彼本来の演技スタイルはこちらだろう。
緊張感あふれるシーンが「流石!」と思わせてくれるジョニー・トーの作品。
「エレクション 死の報復」(2006香港)
ジャンルアクション・ジャンルサスペンス
(あらすじ) 香港最大のマフィア和連勝会は次期会長の選挙を控えていた。大陸で大掛かりな事業を展開するジミーが最有力候補だったが、彼は会長職になると警察に睨まれ仕事がしずらくなると言って出馬を辞退した。変わって組織の武闘派トンフンが有力候補者となった。そんなある日、ジミーが贈収賄の罪で逮捕されてしまう。警察は血の気の多いトンフンが会長に就くよりジミーに就いて欲しかった。そこで選挙に出馬することを条件にジミーを釈放した。こうして二人の壮絶な選挙戦が始まるのだが‥。
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(レビュー) 香港闇社会の抗争をスタイリッシュな映像で綴ったJ・トー監督の作品。以前このブログで紹介した
「エレクション」(2005香港)の続編である。
今回は前作の主人公だったロクの後継者選びの話になっている。事業家として成功したジミー。暴力でシマを牛耳るトンフン。二人の権力争いに現会長であるロクが絡んできて、ストーリー自体は前作よりも捻りが効いていて楽しめた。
映像の作り込みに関しては、前作同様今回も素晴らしかった。深遠な闇に血で血を争うヤクザ達の刹那的な生き様が、痺れるタッチで表現されている。
そして、J・トーと言えばもう一つ。まるでマンガみたいなバカ演出も特徴であるが、今回は中盤にそれが見られる。まず、人間と犬を一緒に監禁するというシチュエーションからして斬新である。そして、ここで見せるジミーの豹変。これがかなりエグく撮られている。このバカ過ぎる過剰さこそJ・トー演出の真骨頂だろう。同様のことは棺桶の使い方についても言える。強引過ぎて笑ってしまうのだが、他の映画では決してお目に描かれない彼独特のアイディア、遊び心が堪能できた。
ただ、前作同様、基本的に本作も静かなタッチが貫かれているので余り派手さは無い。息詰まるような緊張感を前面に出しながら、戦う男たちの駆け引きを渋く捉えた作りになっている。敢えて拳銃を使わないのも前作の流れを受け継いでいる。そのせいでどうしてもアクション・シーンに物足なさを覚えてしまうが、そこはトーのこだわりなのだろう。
もっとも、それを差し引いたうえでも、緊密なタッチで一気に盛り上げていく後半には大いに興奮させられた。このあたりには前作以上にJ・トーの演出に冴えが感じられた。
ところで、ロクの殺し屋フェイの顛末が中途半端なまま終わっているのだが、もしかしたら第3弾の構想でもあったのだろうか?ジミーのその後も気になるし、もし続編が作られるなら今度はスクリーンで見てみたいものである。‥と言っても、J・トーは多作な割に日本未公開になってしまうケースが多く、今作もビデオスルーになってしまったのだが‥。前作は劇場公開されたのに、その続編がビデオスルーなんてあまりにも酷い扱いである。
ブルース・リーとは違う〝裏ドラゴン″。再評価されても良いような気がする。
「片腕ドラゴン」(1972香港)
ジャンルアクション
(あらすじ) 正徳武館のティンロンは、悪行を繰り返す鉄砲門に怒りを覚え門下生と争いを起こした。これが道場同士の抗争に発展し全面戦争に突入する。戦いは正徳武館に軍配が上がったが、鉄砲門は世界中から名だたる武術家を集めて報復を始める。
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(レビュー) 片腕を失った男の復讐をハードなアクション・シーンで描いたカンフー映画。
監督・脚本・主演のジミー・ウォングは、香港映画界でブルース・リーとほぼ同時期に出てきたスターである。本作は本国で大ヒットを飛ばして彼は一躍注目を集めた。しかし、その頃ブルース・リーは「燃えよドラゴン」(1973香港)で世界的成功を果たしていく。ウォングは香港というドメスティックな世界でしか活躍できなかった悲運のスターだったのだ。香港闇社会との繋がりが不世出の原因だったのかもしれない。あるいは、本作の片腕のカンフー使いという奇抜なキャラクターが余りにもインパクトがありすぎて、〝色物″的なイメージとして見られるようになってしまったからなのしれない。どうしてもメジャーになり切れないところがある。尚、ウォングはこの後に「片腕カンフー対空飛ぶギロチン」(1975香港)という怪作で再び片腕のカンフー使いを演じている。
彼のカンフー・アクションは、ブルース・リーとは一味違った派手さ、魅せるためのアクションで個人的には中々好きである。特に、予想外の変則的な動きはこの人ならではの特徴だろう。色物だ何だと言ってバカにする人もいるが実力は確かである。
物語は一本調子で食い足りないがまずまずといった所か‥。少なくとも先述の「片腕カンフー対空飛ぶギロチン」の方は完全に荒唐無稽なバカ映画だったが、それよりは随分まともな作りになっている。
とはいっても、鉄砲門が用心棒として呼び寄せる世界中の格闘家が、皆胡散臭いという所に笑いがこぼれてしまうが‥。沖縄武術、密教武術、ムエタイ、柔道、テコンドー、様々な個性的な武術家がティンロンと異種格闘技戦を繰り広げていく。特にインドのヨガの達人とラマ僧はどう考えてもギャグ要員にしか見えない。
アクション的な見せ場は、なんといっても片腕になったティンロンの凄まじい強さ!これに尽きると思う。両腕の時よりも強いって何それ?状態で次々と格闘家たちを蹴散らしていく様は圧巻である。
尚、長い間映画界から遠ざかっていたウォングだが、「捜査官X」(2011香港中国)という作品で約20年ぶりにスクリーンに復活したそうである。主演・アクション監督があのドニー・イェンということなのでバリバリなカンフー映画を想像したが、推理アクション映画みたい‥。
パワフルなゲテモノ映画。犯罪者の異常な心理をA・ウォンが体現!
「八仙飯店之人肉饅頭」(1993香港)
ジャンルホラー
(あらすじ) マカオの食堂で働くウォンは、借金苦から人殺しをした逃亡犯である。彼は賭け麻雀のトラブルから店主を殺害し店を自分のものにした。その後、警察は海岸でバラバラ死体を発見する。検視の結果、警察はウォンを犯人だと睨むのだが‥。
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(レビュー) マカオで実際に起こった猟奇殺人事件を題材にした見世物ホラー映画。
本作は香港に猟奇映画ブームを巻き起こしたエポック・メイキングな作品である。そのバイオレンス描写たるや凄まじい。今見てもかなり過激で、人肉饅頭というネタ自体もセンセーショナルである。しかも、実話をベースにしているという所も恐ろしい。
尚、先日紹介した
「エボラ・シンドローム/悪魔の殺人ウィルス」(1996香港)と同じ監督・主演コンビで作られた作品である。
ストーリーはやや一本調子だが、今作の魅力は何と言ってもウォンの犯罪心理にひたすら迫った所にあろう。犯罪者を犯罪者サイドから描く物語はそれだけで一つのドラマ足りうると思う。それは我々が日常生活の中では決して触れることができないミステリアスな部分だからだ。
とりわけ中盤以降、逮捕されたウォンの過酷な運命の中に、狂った犯罪者の心理を見い出すことが出来る。
彼は、警察の強引な追求、刑務所の囚人たちによるリンチによって、肉体的・精神的に追い詰めていくようになる。その描写はとにかく凄まじい。縛られて暴行されたり、便器に顔を突っ込まれたり、水道水を注射されたりetc.そして、この地獄に耐え切れなくなったウォンは、ついに自分の手首の動脈を食いちぎって自殺しようとする‥。見ていてかなり不快感を催すが、この部分もやはり実話を元にしているのだろうか?少なくとも今の日本では考えられないことである。
このようにウォンは、来る日も来る日も過酷なリンチを受けながらズタボロになっていく。しかし、その責め苦の中で、彼は決して自分の犯行を認めようとはしない。頑として自分は無実だと主張するのである。ここがこの物語の味噌で、自分には到底理解しえない狂った犯罪者の心理である。自供すれば楽になれるのに、どうして彼は罪を認めようとしなかったのか?自分には最後までその真意を理解できなかった。
また、その一方で、悲壮感漂う姿には憐れみも感じてしまった。いかなる暴虐にも屈しない所に奇妙なプライドが感じられ、アウトロー然とした哀愁も見てしまう。犯罪者にプライドなどがあっても困るのだが、では逆に警察サイドや囚人達の傍若無人な蛮行に問題がなかったか?と言われると、そうではあるまい。
尚、見世物的な醍醐味としては、前半に登場する死体解体と人肉饅頭作り、後半のウォンの回想で描かれる店主一家殺害シーンとなろう。特に、後者は言葉を失うほどの生々しさ、迫力が感じられて度肝を抜かされた。怯える子供たちに対する容赦のない殺戮は見ていて辛いものがあった。
また、ウォン役のA・ウォンの鬼気迫る怪演も忘れ難い。「エボラ~」の狂気的演技も凄まじかったが、本作の方が幾ばくかキャラクターに奥行きを持たせた役作りを行っている。冷酷で非情な殺人者という風貌にリアリティが感じられた。「エボラ~」のいかにもヤクザな風貌とは異なる一見すると普通のオッサンで、それがかえって本当にいそう‥と思わせてくれる。尚、A・ウォンは本作で香港アカデミー賞の主演賞を受賞している。
演出は陳腐な所もあるが、ここぞという所のホラー・タッチは中々堂に入っている。また、かえってこのチープさが一種異様ないかがわしさを醸しているとも言える。
ただ、警察内部のやり取りをすべてコメディ・タッチにしてしまったのはいただけなかった。見やすくしようとする配慮からこうしているのだろうが、最初から最後までそれが続いてしまうと全体のトーンから浮いてしまう。ここは硬軟混ぜて描いて欲しかった。
モラルに唾を吐き捨てる男をA・ウォンが怪演!
「エボラ・シンドローム/悪魔の殺人ウィルス」(1996香港)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) マフィアのカイはボスの女房を寝取ったことで殺されそうになり、逆にボス達を殺してアフリカへ逃亡した。それから十数年後、殺されたボスの娘リリーが新婚旅行でアフリカを訪れる。そこで食堂の給仕をしているカイに再会した。しかし、リリーは親の仇とは気付かなかった。ある日、カイは豚肉を仕入れにサバンナの奥地の村を訪ねる。そこはエボラ出血熱が蔓延した死の村だった。カイは感染した女をレイプして体液を浴びてしまい‥。
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(レビュー) ウィルスに感染した男の凶行を極悪なバイオレンス描写で描いたサスペンス映画
エボラ出血熱については何となく恐ろしい病気であることは知っていたが、具体的にはどんな症状が起こるのか?何が原因でそうなるのか?詳しくは知らなかった。この映画を見るとそのあたりの所がよく分かる。映画だから多少の誇張はあるだろうが、一度感染したらほぼ助かる見込みがない実に恐ろしい伝染病である。
本作の主人公カイはこのエボラに感染するのだが、なんという奇跡か‥1000万人に一人という確率で特殊な免疫を持っていたために自然回復する。しかし、問題はここからで彼は自分が保菌者であることを知らずに周囲にウィルスをまき散らしていくのだ。更に始末に負えないことに、このカイという男、自分のボスの女房を寝取った上にボス共々殺害するわ、片っ端から女は犯すわ、倫理の欠片がこれっぽちもないダメなヤクザなのである。最初は知らずにウィルスをまき散らしていたが、自分が保菌者であることを知ると今度はわざとそれをばら撒こうとし始める。
映画は親の仇であるカイをリリーが追いかけるというサスペンス仕立てになっている。しかし、正直そんな話はどうでもよくなってきて、全編に渡ってカイの傍若無人振り、変態振りが描かれ、映画もそこを見せることに力を入れて作られている。
例えば、豚肉の切り身を使ってオナニーしたり、レイプした女を人肉バーガーにして売ったり等々。とにかくやることなすこと酷すぎる。カイが街中に唾とスペルマをまき散らす姿は見ようによってはブラックコメディのように映るが、それはあくまで洒落が通じる人だけである。おそらくモラルを重視する人が見たら笑うよりも怒りだすだろう。
尚、映像的にもかなりショッキングな物が飛び出してくる。見世物映画としては十分のエグさで、ここが今作の一つの見所でもある。チープな特撮もあるにはあるが、そこはそれ。低予算のB級映画だと思えば許せてしまう。
カイ役は香港映画界の人気俳優A・ウォン。よくこんな役を引き受けたなという驚きもあるが、この何でもありなバイタリティ溢れる役者魂には昔ながらの香港映画人気質を見てしまう。もはや俳優としてのイメージをかなぐり捨てた怪演は一見の価値あり。
デヴィッド・エリスのはっちゃけた演出が足りない。
「ファイナル・デッドサーキット」(2009米)
ジャンルホラー
(あらすじ) ニックは恋人ローリーと友人たちとカーレースの観戦に来ていた。彼はそこで多くの観客を巻き込む事故の予知夢を見る。その直後、レースカーがクラッシュし彼が見た通りの大惨事が起こった。幸い危険を察知したニックのおかげで数名の命が助かった。しかし、後日その中の一人が悲惨な事故死を遂げる。ニック達はこれが死神によって引き起こされた死のゲームであることを知り、これ以上死者を出さないように奔走する。
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(レビュー) 死神によって死を運命づけられた人々の恐怖を描いた人気ホラーシリーズの第4弾。
第1作「ファイナル・デスティネーション」(2000米)は斬新なアイディアに感心したものだが、その後に作られた第2作
「デッドコースター」(2003米)では早くもそれがパロディ化し怖さよりも笑いの方が前面に出た感があった。その後の第3作は見てないのだが、今回は久々に第2作の監督デヴイッド・R・エリスが演出を務めたということで見てみた。この監督の作品には「セルラー」(2004米)というアイディアを効かせた小品や、快作「スネーク・フライト」(2006米)などがある。自分は彼こそ現在のB級バカ映画専門の雄だと思っている。だからどうしても捨て置けない監督なのである。
ただ、今回は結論から言うと脚本がまずいのだろう。もはや死のオンパレードを見せるための見世物にしかなっておらず、何とも気の抜けた映画になってしまった。物語はほとんど1本調子で食い足りない。加えて、すでに物語の世界の中では死の連鎖は大きな事件として人々に周知されており、ニックたちも死神の存在に早々に気付いてしまう。ミステリーとしての面白味も放棄してしまっている。
また、今作はシリーズ初の3D作品である。これがくせもので、エリスの演出も3Dの迫力を出そうとする演出に引っ張られてしまい本来の切れが見られない。奥から手間に飛び出すような映像演出ばかりが多用されるので見ていて少々退屈していしまう。3Dで見ればその迫力も感じられたのだろうが、今回は2Dでの鑑賞だった。
ただ、ホラーのお約束、"スカシ″の演出は中々堂に入っていて楽しめた。来るぞ来るぞと思わせて実は意外な方向から死が忍び寄るという、観客の期待を裏切る演出は手練れている。冒頭のサーキットのシーンやクライマックスの映画館のシーンは、ニックの予知能力を逆手に取った"スカシ″の演出が上手く効いていた。美容院のシーンも然りである。
一方、シリーズ最大のお楽しみであるデストラップであるが、こちらはこれまで以上に色々なアイディが盛り込まれている。ただし、さすがに過激さを狙いすぎてかなり強引な物もあるが‥。尚、車に引かれるネタは今回も健在であった。もはや鉄板ネタである。
ダラボン&キングの快作!
「ミスト」(2007米)
ジャンルホラー・ジャンルサスペンス
(あらすじ) 小さな田舎町を嵐が襲った。翌朝、イラストレーターをしているデヴィッドは幼い息子と一緒にスーパーマーケットに買い出しに出かけた。彼らはそこで謎の霧に襲われる。霧の中には何かがいた。町の人々はスーパーマーケットに籠城しその"何か"と対決していくようになる。
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(レビュー) S・キングの原作をF・ダラボンが監督・脚色したホラー映画。
映画が始まってから30分。ジワリジワリと不穏な空気に包まれていくシークエンスが素晴らしい。嵐が襲った翌朝、デヴィッドは息子と一緒に町の中心地に出かけるのだが、そこで目にする風景が徐々に異様な光景に変化していく。町中が霧で覆われ通りには軍の車両が往来し、一体何が起こっているのか?という不安が不気味に盛り上げられている。見ている自分も画面にグイグイと引き込まれてしまった。
もっとも、本作は肝心の霧の正体の種明かしの仕方が少々まずい。もう少し引っ張っても良かったように思うが、案外アッサリと判明し、それ以降途端によくあるモンスター・パニック映画になってしまった。序盤のミステリアスな展開に期待を膨らませていた自分は何だか肩透かしを食らってしまった気分である。
また、SF的なネタを持ってきた所も賛否あるかもしれない。限定空間、短時間というミニマムなドラマだけに、この荒唐無稽さは唐突過ぎる感じも受けた。
一方、モンスターの造形は中々良かったと思う。生理的に苦手な物もあったが、そこはそれ。だからこそのホラー映画である。後半に行くにつれて様々なデザインが見られ、造形に関しては申し分ない。
ドラマの方は先述したとおり、序盤から前半にかけて牽引していた謎解きの魅力が無くなってしまったのは残念だった。ただし、中盤からスーパーマーケットに閉じ込められた人々の衝突、駆け引き、友情の人間ドラマがハイテンションに活写されており楽しめた。絶望的な選択の数々、醜悪な争い、疑心に駆られた狂気的行動。そこから浮かび上がってくるテーマは、ホラー映画としては定番なものであるが実にストレートに発せられている。
例えば、集団パニックを先導する狂信的なキリスト教信者カーモディの存在は面白い。彼女はこの状況を神示と捉え不安に駆られる人々に祈ることを強要する。演じるM・ゲイ・ハーデンの扇情的な怪演が、このキャラクターをことさらおぞましいものに見せ、ある意味では霧の中に生息するモンスター以上にモンスターのように見えてくる。彼女の存在は集団心理の異常性を見事に物語っていると思う。主人公デヴィッドは彼女と対立していくようになるのだが、彼女が〝敵役″として徐々に人々の心を掌握していくことで彼の戦いもヒートアップしていく。このあたりの作りが中々堂に入っている。
また、衝撃的なラストにも見応えが感じられた。ネタバレを避けるためにここでは書かないが、これは原作とは異なっており、監督・脚色のF・ダラボンのオリジナルのアイディアだそうである。
S・キングとF・ダラボンのコンビと言えば「ショーシャンクの空に」(1994米)、「グリーンマイル」(1999米)に続いて今回で3作目になる。このコンビで作られた作品は、人間のダークな心理を上手く映像的なカタルシスに落とし込むことに成功しており傑作と評する人も多い。そして、今作のラストも正に人間のダークな心理が妥協なく突き詰められていて圧巻だった。人間の業を皮肉った残酷な〝顛末″は、見る人が見ればトラウマ級のヘビーさと言えよう。
地味ながら中々怖い小品。コーマン作品の中ではかなり出来が良い。
「血のバケツ」(1959米)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) 有名彫刻家になることを夢見るウォルターは、芸術家が集まるカフェで給仕のバイトをしていた。ある日、彼は周囲を驚かすほどの天才的な彫刻を作りあげる。実はそれには秘密があり‥。
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(レビュー) 芸術家志望の青年の恐るべき秘密に迫ったサスペンス映画。
製作・監督はB級映画の帝王R・コーマン。
見かけはいかにもチープなプログラム・ピクチャーだが、作り自体は意外にも手堅くまとめられていて中々の佳作になっている。コーマンの映画を指して佳作と言うのもヘンな話だが、ジャンル映画としてよく出来ている。凄惨な描写もこのくらいさりげなく表現されていると、見ていて余り不快な感じを受けない。
物語は無能な青年が天才に祭り上げられていくというシニカル劇で、そこはかとなく芸術、特にカフェに集うビート族に対するアイロニーが感じられた。そこで繰り広げられる会話の何と空虚なことか‥。当時のビート族は単なるファッションでしかなかったということを暗に示すかのごとく、鋭い批判精神が見て取れる。それは下世話でチープなエンタテインメントを追求し続けてきた彼だからこそ言える批判であり、上っ面だけの芸術に対する嫌悪の表れでもある。
ドラマ構成も実に堅牢だ。要は、才能なきウォルターは芸術という名の悪魔に魂を売り払った〝ファウスト″だったのだろう。真の芸術に近づこうとして狂気の世界に踏み込んでしまった彼は愚かであるが、しかし著名な芸術家の多くが孤独を抱えていたことを考えれば、ウォルターの境遇には一定の情を禁じ得ない。芸術と狂気の狭間に埋没する人間ドラマはよく理解できる。
惜しむらくは、映画全体の尺がたった70分弱しかないということだろうか。これだけ短いと流石にウォルターの葛藤に深みは生まれてきにくい。良くも悪くも軽快なコーマン演出の賜物と言えるが、このアッサリ感が物足りない。もう少し踏み込んで描けば更に見応えのある映画になっていたであろう。
A・ウォーホールの笑劇作。
「悪魔のはらわた」(1973伊仏)
ジャンルホラー・ジャンルエロティック
(あらすじ) フランケンシュタイン伯爵は、優れた人体パーツを集めて作った男女の人造人間を性交させて完璧な人類を創造する研究をしていた。ある夜、精力絶倫な男の首を求めて夜の町へ出る。そこで二人の娼婦を相手にする男を発見し、彼の首を切ってそれを完成間近の人造人間に取り付けた。ところが、その首は実は絶倫男の友人である神学生の首だった。神学生はホモだったので人造人間の女を相手にしても全然セックスができず‥。
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(レビュー) ポップアート界のカリスマ・A・ウォーホールが監修したエログロ・ナンセンス・ムービー。
フランケンシュタインをベースにしたストーリーはまずまずといった感じで面白く見れた。
ただ、癖のある笑いは好き嫌いがはっきり分かれそうである。ある程度確信犯的にやっているのだろうが、少々退屈する笑いもある。演出のせいだろう。
特殊メイクは当時の技術を考えればよく出来ている方だと思った。特に、フランケンシュタインが女型人造人間のはらわたを弄りながらセックスするシーンはかなりエグく撮られている
‥とはいっても、先述の通り基本的に演出がコメディ・タッチなので臓物がブラ~ンと飛び出しても何だか間抜けに見えて笑ってしまうわけだが‥。
キャストは、フランケンシュタイン伯爵を演じたウド・キアの怪演に見応えを感じた。これ以後、彼はクセのある脇役として数々の作品でその特異なキャラを確立させていくのだが、そのアティテュードは現在でも変わっていない。こういう変態的なバイプレイヤーは実に稀有な存在だと思う。
ブットゲライトの狂った感性が存分に出た怪作。
「シュラム 死の悦楽」(1993独)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) 一人の男が自室で今際の際にあった。外では一人の女性がドアをノックしている。そして男の傍には死体が転がっていた。男の名はロター。彼は数時間前にやって来た二人の伝道師を殺害したのだった。血痕を隠すために壁をペンキで塗っていたところ、梯子から滑り落ちてしまったのである。ドアをノックする女とは只ならぬ関係にあった‥。
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(レビュー) 口紅の殺人鬼と呼ばれた男の心の闇を、現実と過去と幻想を交えて描いたサスペンス作品。
ドイツのブッ飛び監督J・ブットゲライトのめくるめく倒錯ワールドが見る者を圧倒する怪作で、同監督作の
「ネクロマンティック(特別編)」(1995独)ほどのテンションは流石に感じられないものの、目を覆いたくなるようなえげつない描写が度々登場してくる。そういう意味では、見世物映画としては十分の出来栄えである。
物語はロターの回想で綴られていく。尚、この映画は極端にセリフが少ないため、彼の真意は安易には把握できない。彼がいかにして屈折した情欲を抱えた殺人鬼になってしまったのか?その理由は彼の異常な行動から推察するほかない。
ロターはかつてマラソンランナーだった。しかし、事故か何かで右足を負傷してしまい、今は部屋に閉じこもって暮らしている。そして、彼はその孤独をダッチワイフと馴染みの娼婦で解消している。風呂場でダッチワイフの掃除をするシーンは実に惨めで、彼の孤独感を印象的に物語っている。
しかし、後から分かるのだが、実は彼は娼婦を抱くことが出来ない不具者なのである。娼婦を睡眠薬で眠らせて自慰にふけるだけなのだ。
思うに、ロターは心のどこかで女性というものを過剰に神聖化してしまっていたのではないだろうか。汚れた存在である娼婦を抱けないのには、そういった理由があるからだと思う。そして、この葛藤は憎しみへシフトし、結果女性という存在そのものに対する畏怖と嫌悪にまで発展していった‥。そんな風に想像できた。
それを最も具現化したのが、彼が幻視する女性器の化け物である。これは正に女性に対する畏怖や嫌悪からくる彼の深層心理が生み出した怪物であろう。閉ざされた部屋の中で日々、こうした妄想に悩まされていたロターの葛藤はかなり深いように思う。
ラストは当然ロターに断罪が下る。部屋を訪ねてきた罪もない二人の伝道師を殺害したのだから当然だろう。ただ、犯行当時、彼は精神的にかなり追い詰められており、正常な思考が出来なくなっていたように思う。その証拠に彼は壁に飛び散った血を隠そうとしてペンキで塗ろうとしている。ペンキが剥がれれば血塗られた罪は白日の下に晒されるわけだが、彼はそれすら想像できないほどに狂ってしまっていたのだ。彼を擁護する気はないが、余りにも愚かで憐れな狂人と言わざるを得ない。
このラストは彼の深い心の闇を見事に捉えていると思った。ただ、表現の仕方については疑問を禁じ得ない。ここまであからさまに教条に走ってしまうと陳腐にしか見えない。また、その後に続く娼婦の顛末も作品の切れ味を落とし、蛇足以外の何物でもないだろう。
ブットゲライトの演出は今回もかなりブッ飛んでいる。抒情的なフレーズと下品なビジュアルの融合は相変わらずで、彼本来の資質は十二分に感じられた。
今回は現在と過去、現実と幻想の交錯が横溢し、かなり複雑な構成になっている。普通ここまでカットバックが頻繁に行われると作品自体が散漫になってしまうものだが、今作は全体のトーンが不穏な空気感で統一されているのでそれほどバラバラな印象は受けなかった。このあたりの構成力、演出にはブットゲライトの実力が感じられる。
尚、最も印象に残ったシーンは、草原で娼婦と戯れるシーンと夜霧をまとうダンスシーンだった。これらには陶酔的な美しさが感じられた。
一方、見世物的な残酷シーンでは、目玉をくり抜かれるシーン、陰茎に釘を打ち込むシーンが視覚的にも心理的にもかなり痛かった。