人情味溢れる医師の佇まいが◎
「本日休診」(1952日)
ジャンル人間ドラマ・ジャンルコメディ
(あらすじ) 戦後の焼け野原にひっそりと佇む個人病院・三雲医院。戦争で息子を亡くした老医師・三雲は、婆と若い院長、数名の看護婦でこの病院を経営している。今日は休診の日である。ゆっくりくつろげるかと思っていたら、交番の巡査が悠子という娘を連れてやって来た。大阪から上京した彼女は、その日のうちに暴漢に襲われたと言う。不憫に思った三雲は診察することにした。その後、18年前に帝王切開でお産をし母親とその子供がやって来た。未払のままだった診療をわざわざ持ってきたと言う。更に、そこにヤクザの加吉と恋人・お町がやって来た。加吉は指を詰めるので麻酔を打ってほしいと言った。呆れ果てた三雲は戦死した息子の話を聞かせて、真っ当に生きろと言い諭す。
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(レビュー) 戦後間もない頃の下町を舞台に、老医師と患者達の悲喜こもごもを軽妙に綴った人情ドラマ。
日常に根を下ろした群像劇は安心して見ることが出来るが、反面地味という言い方も出来る。もう少しクライマックスにかけて盛り上がりを見せて欲しかった。何となくなぁなぁで終わってしまったと言う感じである。
ただ、小品として見れば中々味わいのある作品になっていると思う。何より個々の人物が生き生きと描けている所が良い。彼らのやり取りを見ているだけで飽きなく楽しむことが出来た。
まずは何と言っても三雲医師のキャラクター。これが抜群である。斜に見てしまえば偽善者と称することも可能だが、強きを挫き弱きを助く
「赤ひげ」(1965日)よろしく、彼の医師としてのスタンスにはブレが無い。実に頼もしい"町のお医者さん″である。情にもろく頑固で不器用で‥このあたりの人情味が良かった。
他にも、今作には様々な個性的なサブキャラたちが登場してくる。
悲劇を乗り越えて一生懸命生きる初々しい少女・悠子。彼女を不憫に思って面倒を見ることにする母子。ヤクザ稼業から足を洗えずもがき苦しむ加吉。彼を一途に愛しながら病に倒れてしまうお町。戦争体験によって精神に異常をきたしてしまった青年等々。貧しく苦しい戦後の焼け野原で、彼らは自身に降りかかる不幸を跳ね除けながら希望を捨てずに生きていく。大上段に構えずサラリと描いているが、その姿には戦後ヒューマミニズムの足跡が垣間見られる。
ラストは先述の通りかなり強引に締めくくられている。反戦メッセージが前面に出すぎて本来のドラマからずれた印象を持ってしまった。全体的にシナリオは上手く出来ていると思うが、このラストだけはいただけなかった。どうにも説教臭い。
また、いくらコメディとはいえ引っかかる場面がなくもない。例えば、三雲が酔っ払ったまま患者を診療するのは倫理上どうだろう‥。さすがに引いて見てしまうしかない。
しかし、こうした難点を除けばコメディ場面も多く割と見やすい映画となっている。とりわけ、箕島親分の邸宅に加吉が単身乗り込んでいくシーンは可笑しかった。この時の箕島の女房のやり取りが愉快である。
キャストでは三雲を演じた柳永二郎の軽妙な演技が素晴らしかった。他に、鶴田浩二、三国連太郎、佐田啓二、淡島千景、岸恵子等、豪華な面々が出演している。中でもお町役を演じた淡島千景の奥ゆかしい佇まいには心を鷲掴みにされてしまった。こういう女性には幸せになって欲しい‥。見ていてそう思わずにいられなかった。
警察官と市民の間で繰り広げられる人情ドラマ。
「警察日記」(1955日)
ジャンル人間ドラマ・ジャンルコメディ
(あらすじ) 東北の田舎町の警察署に勤務する吉井巡査は、ある日、身売りされた少女アヤと母親に捨てられた幼い姉弟ユキ子と茂を発見する。アヤを後輩の花川巡査に送り届けさせ、自分は幼子二人を連れて相談所や施設を回って引き取り先を探した。ところが、どこも手いっぱいで預かる余裕がないと断られる。仕方なく吉井はユキ子を引き取り、茂は近所の料亭の女将に一晩だけ預かってもらうことにする。
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(レビュー) 戦後の貧しい地方農村を舞台に、警察官たちとワケあり市民たちの交流を温もりに満ちたタッチで描いた人情ドラマ。
演出がやや感傷に訴えすぎな面があるが、劇中で繰り広げられる人々のユーモアと優しさには癒された。特に、ユキ子と茂にまつわるエピソードには泣かされた。クライマックスとなる料亭前のシーンは白眉である。
また、万引きをして捕まった母子のエピソードには、胸が締め付けられるような思いになった。母子は万引きの後に無銭飲食で再び捕まるのだが、この時子供は「カレーライスを食べた」と言う。取り調べの警官は母親に向かって「お前は何を食べたんだ?」と尋ねる。すると、逮捕した警官が「お茶だけでした」と答える。無銭飲食をしてしまった母のやむにやまれぬ心情、子を思う気持ちが痛いほどよく分かり切なくさせられた。
コメディ・シーンとしては、少女アヤを売った女の送検シーンが印象に残った。警察署、労働基準監督署、職業安定所、夫々が自分の手柄にしようと「うちで送検する」と主張して喧嘩になる。縦割り組織のお役所に対する痛烈な批判が感じられる。非常に分かりやすい風刺である。
他に、アヤと花川の純愛エピソードも中々味があって良かったと思う。
今作はこうした様々なエピソードを積み重ねながら展開されていくグランドホテル形式のドラマとなっている。これだけの多彩な人物と事件をまとめあげたシナリオは見事である。ただ、キャラクターが皆性善説に拠りすぎており、ややご都合主義になっている面はある。そこをどう取るかで作品の評価は分かれてくるだろう。自分は、人としての優しさを再認識させてくれるような良作であると感じた。
キャスト陣では吉井を演じた森繁久彌の人情味あふれるキャラクターが素晴らしかった。捨てられた幼子たちに対する温かな語りかけが、昔の田舎には本当にこういうお巡りさんがいたかもしれない‥いや、いて欲しいと思わせてしまう。この説得力は、やはりこの独特のセリフ回しにあるように思う。
また、ユキ子を演じた天才子役・二木てるみの愛らしさも印象に残った。
他に、宍戸錠が今作で映画初出演を果たしている。見てる最中は全然気づかなかったが、どうやら若手警官の一人を演じているらしい。頬にシリコンを入れる前の彼である。
ミレニアム・シリーズの完結編。
「ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士」(2009スウェーデン独デンマーク)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) 宿敵ザラとの対決で瀕死の重傷を負ったリスベットは、殺人未遂の罪で裁判にかけられることなった。ザラの元仲間たちは過去の凄惨な事件を隠ぺいすべくザラとリスベットを暗殺しようとする。一方、ミカエルはリスベットの裁判の準備に取り掛かっていた。彼の妹アニカを弁護士に立てて法廷にのぞむのだが‥。
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(レビュー) 「ミレニアム」」シリーズの第3弾にして最終章。
物語は前作のエンディングから始まっている。ザラとの対決で重傷を負ったリスベットは、彼の元仲間に命を狙われながら法廷で闘っていく。話の流れが中断されることなく、すんなりとドラマに入り込むことが出来た。
ただ、結論から言うと、前2作に比べて地味な印象は拭えない。むろん、法廷中に彼女の過去が明らかにされていく所にはカタルシスを覚えるし、今シリーズが一貫して訴えてきたテーマ"男尊女卑″という社会問題にも一応のケリがつけられている。
しかし、シリーズの肝であるリスベットがずっと病院のベッドで寝ている状態が続くので、どうしても今までに比べると地味にならざるを得ない。どちらかというと、今回の主役は彼女の無罪を晴らそうと奔走するミカエルの方にあり、そちらの活躍に焦点を当てたドラマとなっている。
前作で生き残った宿敵ニーダーマンも、リスベットを追いかける暗殺者としては少々迫力不足だ。逃亡しながら通行人を襲うという反復描写が続き、サスペンスを盛り上げるべく本来の役割を果たしていない。
敵組織も墓穴を掘りすぎるので締まらない。例えば、前半でリスベットとザラが入院している病院をいきなり襲撃して失敗に終わったり、組織としてのまとまり、計画性が全く無い。ここは警察の動きを事前にキャッチして抑え込むくらいの機転が欲しい。
全体的な演出も第1作に比べると幾分落ちる。スタッフは前作と同じスタッフであるが、やはりそこが関係しているのだろう。後半はほとんど法廷シーンとなるのだが、元来、法廷ドラマとは演出が大変難しいジャンルである。動きが少ないし、役者の演技力頼みのような所がある。そこを手に汗握るスリリングなやり取りに見せるのが監督の腕である。法廷に立つ当事者の過去をフラッシュバックで再現するなどしながら盛り上げていかねばならないのだが、本作はそこも余り上手く出来ていない。
尚、後から知ったのだが、第2部と第3部は元々TV映画用として製作された作品だそうである。本来テレビで放送するはずだったのが、第1作の映画が余りにもヒットしすぎて急遽ブラッシュアップして劇場用作品として公開したらしい。その話を聞くと、第1作に比べて作りがチープになっているのも何となく納得できてしまう。
色々と不満を述べてしまったが、ミレニアム出版社のメンバーに個性が出てきた所は救いであった。彼らは敵組織の脅迫に耐えながら今回の事件の調査をしていく。真実を伝えたいという記者魂が、彼らを現場の第一線に踏みとどまらせのだ。その姿勢にはジャーナリストであった原作者自身の思いが込められているのかもしれない。
原作者のスティーグ・ラーソンは、
wikiによれば第4部を執筆中に急逝したそうである。今作で一応話は完結しているが、リスベットのドラゴン・タトゥーがどうして誕生したのか?何故ハッカーになったのか?そのあたりのことはこの三部作の中では明らかにされていない。もしかしたら第4部以降で描かれるはずだったのかもしれないが、原作者が亡くなってしまった今ではそれも分からずじまいである。
また、本シリーズの執筆にあたっては、長年パートナーとして連れ添ってきた女性の協力も相当にあったようだ。もしかしたら、男尊女卑というテーマには彼女の思いも反映されているのかもしれない。とりわけ少女に対する児童虐待は欧州ではかなり厳しく取り締まられており、今作がセンセーショナルに受け止められたのもそのあたりの社会的背景があってのことだろう。仮に続編が作られたとすれば、このテーマはどんなふうに展開されていったのか?返す返すもシリーズの終了が惜しまれる。
いよいよリスベットの過去が明らかに‥。
「ミレニアム2 炎と戯れる女」(2009スウェーデン独デンマーク)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) 月刊誌「ミレニアム」に復帰したミカエルは、次の号の特集で東欧の少女売春組織を調査することになった。ところが、取材中の新人編集者と恋人が何者かによって殺される。現場にはリスベットの指紋が残されていた。更にその後、彼女の後見人も死体で発見された。一方、リスベットは過去の清算を果たすべく着実に準備を整えいていた。ところが、一連の事件のせいで思うような行動をとれなくなってしまう。ミカエルはリスベットの無実を信じて真犯人を追求していく。
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(レビュー) 衝撃的な内容でヒットを飛ばした
「ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女」(2009スウェーデン独デンマーク)」の続編。
前作の1年後を舞台に、殺人犯の濡れ衣を着せられたリスベットと少女売春組織の戦いがスリリングに描かれている。
前作とはスタッフが大きく変わり幾分トーンが変わってしまったが、ストーリー自体は中々面白く見ることが出来た。ベストセラーにもなった原作の面白さが十分に活かされた証拠だろう。
物語は、前作に少しだけ回想として登場した父との関係に焦点を当てながら展開されていく。リスベットの生い立ちが振り返られながら、何故このような荒んだ青春を送るようになってしまったのか?それが少しずつ解き明かされていく。今回はサスペンスもさることながら、幾分人間ドラマ的な趣向が凝らされているのが特徴的だ。
個人的には序盤の社長の一言が、彼女の人生のすべてを物語っているようで切なくさせられた。
「お前は平気で友人を裏切る」
他人を信じられない人生ほど悲しいものはないと思う。しかし、リスベットはこれまで歩んできた壮絶な人生から、そうしなければ生きていけない人間になってしまったのだろう。
そして、この言葉は、終盤のミカエルに送ったメール
「友達でいてくれてありがとう」
このメッセージに繋がってくる。これにはしみじみとさせられた。
正直、終盤に行くにつれてかなり強引な個所が目立ち、前作よりもサスペンスとしての完成度は幾分落ちてしまっている。息詰まるような緊張感、不穏なトーンといった映画的なケレンミも後退してしまった。これは先述の通り、監督・脚本、撮影等、主要スタッフが変わってしまったことに関係しているのかもしれない。
しかし、この終盤のメッセージに見られるように、それを補って余りあるリスベットとミカエルの恋慕。そこには前作以上の見応えが感じられた。
尚、今回はリスベットの造形にもかなり変化が見られる。前作のパンクロックな風貌を改め、様々な表情と様々なコスチュームを着こなしながら、これまでにない魅力を披露している。田舎の暴走族に復讐してバイカー気取りで颯爽と走る姿などは珍しくコミカルである。その一方で、元からあった凶暴性も健在で、買春男に対する容赦のない尋問などには迫力が感じられた。もっとも、この時のマリリン・マンソン風なフェイスペイントは少し笑えてしまったが‥。
一方、今作には彼女の宿敵として新たにニーダーマンという金髪の大男が登場してくる。痛覚が無い殺人マシーンで、
「007/ワールド・イズ・ノット・イナフ」(1999米)のR・カーライル扮する悪役に共通する特徴を持っている。ただし、少々オツムが弱いのが玉に瑕で、状況判断を見誤って人質を取り逃したり、証拠を残したり、ここぞという所で間が抜けているのが残念だった。これではせっかくの緊迫感を台無しにしてしまう。
尚、ラストは次を期待させるような終わり方になっている。ここまで引っ張られてしまうと続きが気になってしまう。ぜひ続編も見てみたい。
特異なキャラが魅せる戦慄のサスペンス・スリラー。フィンチャー版との相違が面白い。
「ミレニアム ドラゴンタトゥーの女」(2009スウェーデン独デンマーク)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) 社会派雑誌「ミレニアム」の記者ミカエルは、大物実業家の不正を告発した記事で名誉毀損の有罪判決を受けてしまう。そんな彼のもとに、大財閥ヴァンゲル・グループの前会長ヘンリックから調査の依頼がきた。それは40年前に謎の失踪を遂げた養女ハリエットの捜査だった。多額の報酬と引き換えにそれを受け負ったミカエルだったが、調査に行き詰まる。その頃、ヘンリックの依頼でミカエルの身辺調査をしていた天才女性ハッカー、リスベットは、ミカエルのパソコンにハッキングしてこの事件に興味を持った。彼女はそのデータから事件の解決につながるヒントを見つける。
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(レビュー) 名声を失った雑誌記者と天才女性ハッカーが40年前のおぞましい事件を解き明かしていくサスペンス作品。同名の原作は本国スウェーデンではベストセラーとなり一大センセーションを巻き起こしたそうである。その後、2冊の続編が発表され、そちらも映画化された。今回は原作の第1巻の映画化である。
尚、2011年にD・フィンチャーがリメイクした
「ドラゴン・タトゥーの女」(2011米)の方を先に見ていたので、今回はおおよそのストーリーを知った上での鑑賞である。
改めて2作品を比較してみると、フィンチャーは驚くほどオリジナル版に近い形でリメイクしていたことが分かる。個人的には「ドラゴン・タトゥーの女」はフィンチャーらしさが余り出てない作品だと思ったのだが、ここまでオリジナルに忠実に作っていればそう思うのも無理もない。一部を除いてシーンのカット割りまでほぼオリジナル版が踏襲されていた。
ただ、同じストーリーではあるものの、今作を見て決して退屈するようなことはなかった。やはり見る側を強く引き込む軽快な展開の賜物だろう。また、まったく同じと言うわけではなく少し違う部分もあって、その差を比較しながら見ていくとまた別の楽しみ方が出来る。
まず、全体的なテイストが若干異なると思った。フィンチャー版はリスベットとミカエルの間で育まれるロマンスを含め、幾分メロウな仕上がりになっている。それに比べると、オリジナル版はどちらかというとアッサリ系で、サスペンスにこだわった作りになっている。
たとえば、ここが両作品の一番の大きな違いだと思うのが、映画の終わり方である。どちらも二人の別れで終わっているが、今作の方が幾分スマートな締めくくり方になっている。フィンチャー版のリスベットはミカエルに対する恋慕を引きずっていたが、今作のリスベットは完全にその思いを断ち切って新しい世界へと旅立っていく‥という形になっている。
また、ベッドシーンもフィンチャー版はかなり濃密に描かれていたが、今作は割とあっさりとしか描かれていない。事件を追いかけるパートナーであり、孤独を分かち合う者同士。リスベットとミカエルの間で育まれる恋愛感情をフィンチャー版は深く突っ込んで描いている。これは見た人それぞれの好みの問題という感じがする。個人的には今回くらい、さりげない方が映画の歯切れの良さに繋がって良いと思うが、ロマンスの盛り上がりを楽しみたいという人にはフィンチャー版の方がしっくりと来るだろう。
もう一つの大きな違いは、リスベットの描き方である。基本的には寡黙でストイックでミステリアスな女性であることは共通している。ただ、フィンチャー版の方がヒロイックさがより強調されている。
例えば、フィンチャー版にはクライマックス以降にリスベットの華麗な変身場面が用意されていたが、それが今作にはない。
他に、後見人にレイプされるシーンと復讐するシーンも若干印象が異なる。フィンチャー版の方がエモーショナルに演出されていた。辱めに屈しない男勝りな気性が強調されている。
このリスベットの造形の違いは興味深い。フィンチャー版の方はある意味でエンタメに特化したと言えばいいだろうか、"強さ″と"情熱″を秘めたヒロインだったのに対し、今作のリスベットにはそこまでのスーパーウーマンではなく本当にいるかもしれない‥というリアリティが感じられた。エンタメ重視なハリウッドとリアリズム重視な欧州の違いが、この造形の差に見て取れる。
それと、演者の違いのせいでミカエルも若干、印象が異なるキャラクターになっている。フィンチャー版はD・グレイブが演じていたが、外見がマッチョであるし007シリーズのイメージがどうしてもついて回るので、危機に陥っても見ていて余り切迫感が感じられなかった。それに比べると本作の俳優は、こう言っては申し訳ないのだが見た目が地味で、リスベット同様やはりキャラクターとしてのリアリティが感じられた。
また、これは演出上の違いなのだが、クライマックス直前の犯人との対峙シーンも異なる。フィンチャー版では随分とじっくり描いていたが、今作はほぼ省力されてしまっている。あそこは一番フィンチャーらしさが感じられた場面だったが、やはり相当こだわって作られたシーンだったことが改めて分かる。
ざっと違いを比較してみたが、こうしてみるとストーリー自体は両方とも同じ流れで構成されているが、所々の演出、キャラクター造形に若干違いが認められる。一言で評してしまえば、フィンチャー版は抒情的でオリジナル版はクール‥という事になろうか。このあたりは好みの問題と言う気がするが、いずれにせよ両作品とも甲乙つけがたい中々の好編になっていると思う。
尚、これはフィンチャー版を見た時にも思ったことなのだが、今回も連続殺人事件と聖書の因果関係がよく分からなかった。もしかしたら原作には詳しく描かれてるのかもしれないが、今回改めて見てもやはり疑問が残ってしまった。
若者たちの空疎な愛を綴った青春ロマンス。
「蛇にピアス」(2008日)
ジャンルロマンス・ジャンル青春ドラマ
(あらすじ) 渋谷の街に生きる少女ルイは、顔中にピアスをした青年アマと出会う。彼の舌は先端が二つに割けて蛇のようになっていた。ピアスの穴を徐々に大きくしてそうなったのだと言う。その話に惹かれたルイは、早速アマの行きつけの店で自分も舌にピアスを開けてもらった。店長のシバは腕の立つ彫師でもあり、体中に刺青が彫られていた。それを見たルイは次は自分も背中に刺青を入れて欲しいと言う。その後、ルイはアマと同棲を始めた。ある晩、夜の街で二人は傷害事件を起こしてしまう。
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(レビュー) センセーショナルな内容で話題を呼んだ同名小説を演出家・蜷川幸雄が映像化した作品。身体改造にのめり込んでいく少女のアンビバレントな心情を過激な性描写で綴ったダークな青春映画である。
移ろいやすい現代社会に生きる若者たちのリアルな姿はよく描けていると思うが、そこに興味を示すことが出来るかどうかは人それぞれだろう。そもそも、ルイを含めた主要3人のキャラクターのバックストーリーが皆無なため、彼らが一体何者なのかが見えにくい。したがって「何者でもない」彼らに感情移入することは難しい。今作は一歩引いた目線で見るタイプの青春映画だと思う。
さて、青春とは"陽″と"陰″の相克にあると思う。誰もが共感を覚えられるような前向きなメッセージと爽やかなテイストを貫くのが"陽″の青春。若さゆえの純粋さ、未熟さに焦点を当てて世界をネガティブに捉えるのが"陰″の青春。どちらであってもそれは青春映画だと言える。例えば、後者の例で言えば、以前紹介したL・マル監督の
「ルシアンの青春」(1973仏伊西独)という作品があった。あれなどは正に青春の"陰″を描いた佳作だと思う。
今作も青春の"陰″はよく描けていると思った。親からもらった大切な身体に穴をあけるなどもってのほか‥という、一歩引いた目線で見れば、青春の"陰″がそれなりに味わえる。「ルイ」=「ルイ・ヴィトン」という言葉遊びや死を軽んじる物言い、刺青もピアスもファッション感覚で入れる思考。どれもが今時の若者のラフな考え方で面白い。
ただ、問題はこれだけ刹那的な生き方を目指し、世間に毒づいてきたルイが、後半で何故情に溺れてしまったのか?そこが映画を見ていて理解できなかった。
後半、彼女は失踪したアマを心配し、半ば心身薄弱な状態に陥ってしまう。フリー・ラブな彼女のこと。アマのことも身体だけの付き合いと割り切ってさっさと別の男に乗り換えればいいものを、未練がましく一途に思い続けるのだ。何となく好きだから、何となく格好良いからという軽いノリで寝た男である。そして、彼女はアマとシバを天秤にかけていた。前半の彼女のキャラクターからすれば、後半のこの狼狽ぶりはヘンに感傷的でつまらない。
もし、この狼狽に説得力を与えようとするのなら、あらかじめルイとアマの絆に深く突っ込んで描く必要があっただろう。前半で起こる傷害事件が二人の絆を強める一つの"きっかけ″になっているが、これだけではその絆を確固たるものにするにはまだ甘い。その後の同棲生活の中で、二人が離れられない宿命にある‥ということを様々な形で述べていかなければ、ルイのアマに対する愛に説得力は生まれてこない。
ルイを演じた吉高由里子の演技にも説得力が伴っていない。セリフのチョイスがクールな分、余計に"実″を伴わないセリフに聞こえてしまった。オールヌードで派手な濡れ場を演じた意気込みは買うが、それ以外はどこかで可愛い演技に固執してしまっているように見える。
例えば、アル中に溺れたのなら日本酒をラッパ飲みする時には口から溢れさせるほど豪快に飲まなくてはいけない。それを支持できなかった蜷川演出にも詰めの甘さを感じてしまう。
ヤクザな警官と援交少女の愛を描いた一風変わった恋愛ドラマ。
「少女~an adolescent」(2001日)
ジャンルロマンス
(あらすじ) 平和な田舎町で警官をしている友川は、近所に住む知的障害の青年・助政と遊んだり、ペットを餌に飼い主の熟女と一時の肉体関係を持ったりしながら呑気に暮らしていた。ある非番の日、喫茶店で少女・陽子に声をかけられる。友川は彼女の誘いでホテルに入りセックスをした。しかし、彼女は金を受け取らずに友川が寝ている間に去って行ってしまった。それからというもの、友川は彼女のことを忘れられず探し回るのだが‥。
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(レビュー) 俳優である奥田瑛二が初めて監督を務めた作品。企画から製作までを彼自身が手掛けている。そういう意味では渾身の1本と言っていいだろう。
物語はヤクザな警官と謎めいた援交少女の愛という純文学的な内容となっている。ただし、所々に刺激的なエロチズムやブラック・ユーモアが入ってくるので、一筋縄ではいかない作品になっている。ある意味では、極めて俗っぽい見かけになっており、そこが奥田瑛二ならではの"味付け″と言えるかもしれない。
何と言っても、少女・陽子のミステリアスな造形がこのドラマの基盤を支えている。その魅力をを引っ張った中盤までは面白く見ることが出来た。
陽子は自称14歳とは思えぬ大人びた少女である。友川に化粧をして近づき、突然「おじさんセックスしない?」と言う。見かけだけでは分からないのがこの年頃の少女であるが、友川もその辺は先刻承知で一緒にホテルに入る。そして官能的なベッドシーンとなるのだが、ここまで映画は彼女のバックストーリーを一切開示せずミステリアスなまま進行していく。
その後、友川は陽子のことを忘れられず彼女を探し回る。これはいわゆるファムファタール映画の典型と言っていいだろう。少女に翻弄されるオッサンの情けない姿が延々と映し出されていく。
そして中盤、いよいよ再会の時が訪れる。映画はここに至るまでに陽子の情報を少しずつ小出しにしており、そこから彼女が何故友川に近づいたのか?という理由も分かってくる。実は、そこには"意外な物″が関係しているのだが、これは中々面白かった。先の展開を期待させる"意外な物″である。映画はここまで陽子のキャラクター・タッチングを中心にしながら上手く作られていると思った。
しかし、本作の問題はここからで、二人が惹かれ合う理由。そこに説得力を持たせることが出来なかった。
結局、このままでは陽子の友川への愛は見かけやフィーリングといった曖昧な感情でしか表現されてないように思う。これではまるで少女マンガチックな恋愛だ。陽子の友川への愛の裏側に何らかのドラマを忍ばせるなど、リアリティを持たせるための工夫を凝らしてほしい。
また、後半にかけて雑な演出が目立つのもいただけなかった。
例えば、助政が煙突に上って降りられなくなってしまうシーン。それを受けての幸枝の復讐シーン。共に演出が雑である。第一にあの高さから落ちた助政が無事とは到底思えない。また、体全体を上下させる幸江の演技もわざとらしい。
友川たちの怒りを描くクライマックスシーンもボルテージの上げ方に"タメ″がないので、今一つ盛り上がらない。
ちなみに、いくら人気の少ない田舎町だからと言って、警官が市民に銃を撃たせるのは無茶苦茶である。このあたりの現実感の無さも気になるところだ。
もしかしたら、奥田監督の中では中盤以降、寓話性を強く意識させたかったのかもしれない。ただ、いかんせんそれが映像から余り感じられないのが苦しい所である。
ちなみに、BGMに関しても物申したい。いくらフランス語のサブタイトルを付けたからと言っても、フランス語の歌をBGMに流すのはどうだろう‥。雰囲気を狙ったものなのだろうが、純和風な世界観の中ではそれも浮いてしまい違和感を覚えるだけである。
ロリータをベースに敷いた官能ロマン。
「小さな唇」(1974伊スペイン)
ジャンルロマンス・ジャンルエロティック
(あらすじ) 戦争で負傷した作家ポールが帰還する。性不能の後遺症に悩み、生きる希望を無くしていた彼は、屋敷で見知らぬ少女エヴァを目にする。彼女は屋敷の使用人の姪だった。次第にポールは彼女の虜になっていく‥。
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(レビュー) 戦争で不能になった作家が幼い少女に恋をするロマンス作品。
ナボコフの「ロリータ」をベースに敷いた物語はオリジナリティに欠け、雰囲気重視な演出も表層的過ぎて見ていて飽きてしまう。
ただ、少女のエロティズムについては見るべきものがあった。
まず何と言っても、エヴァのミステリアスな造形が映画前半を支えている。川で体を洗っている姿、古いドレスに着替えて遊んでいる姿等を見て、ポールはその清く可憐な容姿に惹かれていく。特に、鏡に映るエヴァの後ろの姿には見ているこちらまでドキリとさせられた。いけないと思いながらも幼い少女を性の対象として見てしまう背徳感。それが前半は上手く描かれている。
ただ、後半からポールのエヴァに対する求愛行動は徐々にエスカレートしていき、やや見世物映画的な作りになってしまったのは残念である。前半の背徳感が薄まり、汚れなき少女の神聖性にも陰りが出始める。ポルノグラフィが物語を語る"手段″ではなく"目的″になってしまった‥という感じがした。
エヴァを演じた少女の体当たりの演技には素直に拍手を送りたい。ここまで肌を惜しげもなく大胆に披露したこと自体、奇跡に近いと思うし、それを前面に出した作品も現代では到底作られまい。
ソフトフォーカスで切り取られた柔らかな映像にも見応えが感じられた。特に、ボートを漕ぐ湖畔のシーンが印象に残る。
哀愁に満ちたステルビオ・チプリアーニのスコアは大仰だが、こういう臭い作りの映画にはほどよくマッチしていたと思う。
尚、現在ソフト化されているヴァージョンはオリジナル版よりも10分短い短縮版になっている。
ちょっと変わったロリータ版サロメ。ケン・ラッセルの美的感性が溢れている。
「サロメ」(1987米)
ジャンルロマンス・ジャンルエロティック
(あらすじ) 19世紀末、ロンドンの娼館でオスカー・ワイルドは自作の「サロメ」の上演に立ち会う。-----ヘロディアの娘サロメは井戸に監禁された預言者ヨハネの肉体に魅せられ誘惑する。しかし、彼はサロメを忌まわしい近親相姦の娘となじるばかりであった。それを見ていた義父ヘロデ王はサロメに惹かれていく。
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(レビュー) オスカー・ワイルドの戯曲をモチーフにした鬼才ケン・ラッセルによる怪作。
物語は、劇中劇という形で上演される「サロメ」と、それを見物するオスカー・ワイルドのドラマが並行して語られる。
劇中劇「サロメ」にはケン・ラッセル独自のアレンジが加えられており、そこが一つの見所となろう。
まず一番の違いはサロメを幼い少女に設定したことである。元々のサロメは周囲の男たちを誘惑する妖艶な女という設定であるが、それをロリータ風に造形したことで作品自体が持つ背徳性が更に強調されることになった。以前、C・サウラ監督、A・ゴメス主演の半ドキュメンタリー「サロメ」(2002スペイン)を見たが、本来ステージで上演される「サロメ」とはああいうものなのだろう。それと比較すると、今作の「サロメ」は〝妖艶″というより〝幼艶″だ。
サロメ役の女優は本作以後のキャリアが見つからない。その容姿から明らかに10代後半かそこらだろう。しかし、年齢の割に男達を手玉に取る演技は堂々としたもので、神の預言者ヨハネを誘惑しながらドSな性欲を開眼させていく様もアッパレである。後半、ヘロデ王の命令で舞を踊るのだが、そこでの激しいパフォーマンスも実にケレンに満ちていた。最後のフルヌードも大した度胸である。もしキャリアを積み重ねていれば‥と思うと残念でならない。
そして、翻って考えれば、このサロメの幼さには逆に怖さも感じてしまった。無垢なる残酷性とでも言おうか‥。思慮のある大人ならば何かしらの自省が働くものだが、純粋な少女にはそれがない。だからこそ、人間の本来の悪心もまざまざと見せつけられる。
映像面でも大いに見応えがあった。当時の「サロメ」も相当猥雑な内容で上映禁止になるくらいの代物だったそうだが、それを毒々しいトーンで敷き詰めた所に圧倒される。
過剰なメイクにボンデージ・ファッション、フリーキーなキャラクター、だらしのない脂肪の塊と化した裸体等。全てにケン・ラッセル独特のキッチュな美学が感じられる。
一方、現実のドラマ、オスカー・ワイルド自身のドラマはというと、こちらはラストのオチに向かって一直線に繰り広げられるシンプルなブラック・コメディとなっている。彼の男色癖が随所に登場し、その倒錯した欲望が劇中劇の「サロメ」とシンクロするあたりに上手さを感じた。とはいえ、こちらはそれほど重きを置いて描かれているわけではないので、彼の人となりを詳しく知りたいという人には物足りなく感じられるかもしれない。
尚、ラストのオチは中々イカしていると思った。最後のセリフの"トホホ感″がたまらない。
色々と複雑な事情が絡んで作られた作品。今一つ精彩に欠く。
「アルタード・ステーツ/未知への挑戦」(1979米)
ジャンルSF・ジャンルサスペンス
(あらすじ) 精神心理学者エドワードは、人間の細胞に宿る種の起源を求めて自ら危険な人体実験を繰り返していた。過剰なドラッグを摂取して密閉されたタンクに入り、地球の起源を目撃しようとしていたのだ。妻のエミリーはそんな彼について行けず子供を連れて去っていってしまった。それでもエドワードは実験を止めなかった。そして、彼の体には"ある異変”が生じるようになる。
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(レビュー) 生命の起源を追求しようとするマッド・サイエンティストの物語。
実は、今作の主人公にはモデルになった科学者がいるそうである。アメリカの脳科学者ジョン・C・リリーという人物で、彼は幻覚剤を用いたままアイソレーション・タンク(間隔遮断タンク)に入り、精神を肉体から切り離して超自然のイメージに自分を飛ばすという実験を繰り返していたらしい。タンクの中には高濃度の硝酸マグネシウムの溶液が入っており浮いているような感覚になるという。密閉されているので、視覚も聴覚も遮断される。一体どんな感じなのだろうか?尚、アイソレーション・タンク自体はその後スポーツの世界では意識を安定させストレスを取り払うという目的で使用されている。
もっとも、こうした元となる人物はいたが、今作は多分にフィクションが入った作品である。設定だけ借りてそこにSF的なギミック盛り込んで作られた、いわゆるジャンル・ムービーとなっている。
主人公エドワードはタンクに入って人類や宇宙の起源など様々なイメージを目撃していく。監督がK・ラッセルということもあり、このあたりの映像は奇怪でゴージャスで中々面白かった。
そして、この実験を繰り返したことでエドワードの身体には"ある異変″が生じるようになる。D・クローネンヴァーグの作品よろしく、幻覚が肉体を変容させていくという倒錯的は恐怖は、サイエンス・フィクションとしてはいささか大胆過ぎる発想だが、エンタテインメントとして割り切った上で見れば中々面白い。科学が神の領域を侵すことの罪深さ、恐ろしさといった骨太なメッセージも感じられた。
とはいえ、K・ラッセルらしい演出はこうしたイマジネーションの世界観には本領を発揮しているが、それ以外の日常のサスペンス・シーンでは今一つ精彩に欠く。後半、いよいよ絶体絶命の立場に追い詰められていくエドワードの焦燥感、切迫感といったものが余り感じられず、サスペンスとしての切れ味は物足りなかった。第一に、実験の副作用は時間が経つとまるで何事も無かったかのように消えてしまう。これではせっかく高まったサスペンスのテンションも萎えてしまう。ラストも興味深いテーマを扱っている割に随分とお気楽にまとめられてしまった感じがした。
今作の原作・脚本は「マーティ」(1955米)、「ホスピタル」(1971米)、「ネットワーク」(1976米)で3度のオスカー受賞という快挙を成し遂げたバディ・チャイエフスキーが担当している。しかし、
wikiによれば彼はK・ラッセルの演出に不満を示したらしく偽名でのクレジットを要請したそうである。更には、元々今作はA・ペンが監督を務めるはずだったらしく、製作にあたっては紆余曲折あったようだ。そう考えると、監督を代行したK・ラッセルも複雑な心境だったに違いない。もしかしたら作品のパワーが今一つだったのは、そのあたりに原因があるかもしれない。
尚、どこに登場したのか分からなかったがD・バリモアが今作で映画初出演を果たしている。