衝撃の実話の映画化。オペシーンの臨場感が半端ない!
「海と毒薬」(1986日)
ジャンル社会派・ジャンルサスペンス
(あらすじ) 昭和20年、九州の医学大学に勤務する研究生、勝呂と戸田は、教授たちの下で日々切磋琢磨しあう仲だった。勝呂は自分が初めて担当する老婆の手術のことが気にかかっていた。彼女は末期患者で治る見込みはなかった。しかし、貴重な研究材料として手術を受けることになったのである。憤りを感じる勝呂。しかし、彼は老婆に本当のことを言えなかった。丁度その頃、大学では医学部長の席を狙って権力争いが行われていた。その候補である橋本教授が結核患者のオペをすることになる。勝呂と戸田はそれに助手として参加する。ところが、簡単に終わるはずだった手術は、思わぬミスによって失敗してしまう。落胆する勝呂。一方の戸田は教授の指示に従って粛々と事態に対処した。それから間もなく、米軍の空襲によって病院は半壊してしまう。その影響で勝呂が担当する老婆も命を落としてしまった。絶望の淵に叩き落された彼らに軍から"ある命令”が下される。
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(レビュー) アメリカ兵の捕虜8名を生体解剖した事件、いわゆる九州大学生体解剖事件をモティーフにして書かれた遠藤周作の同名小説を、名匠・熊井啓がリアリズム溢れるタッチで描いた衝撃の問題作。
モノクロの硬質なトーンが2度にわたって描かれる手術シーンを生々しく捉えている。まるで自分もその場にいるかのような臨場感あふれる演出が奏功し、正に<映画>=<見世物>という興奮を味あわせてくれた。しかも、単なる見せかけだけの<見世物>ではなく、捕虜の生体解剖という歴史的事件を克明に浮かび上がらせたのだから、これは徹頭徹尾"社会派作品”である。見終わった後にはズシリとした鑑賞感が残り、まさに社会派作家・熊井啓の真骨頂を見た思いである。
この事件には戦争という特殊な背景が大きく関係しているように思う。軍からの命令もあったし、次期学長を狙う橋本教授以下、関係者の名誉挽回の思惑もあった。平時ではこういう巡り合わせは無いだろう。おそらく戦争という"死”に直面していた当時の特殊な状況が彼らの精神を狂わせ、結果としてこの犯罪は行われたのだと思う。彼らの精神はそこまで病んでいたのである。つまり、タイトルの"毒薬”の意味する所は正にこれなのだと思う。
現に、前半の結核患者の手術の失敗は、橋本教授たちの面目を維持するために遺族には隠ぺいされている。倫理的に言ってこれは考えられないことである。また、末期患者の老婆を平気な顔で実験材料と言い放つあたりも、どこか狂っているとしか言いようがない。
ある意味では、これは戦場を描かないもう一つの戦争映画。戦争の狂気を舞台裏から捉えたドラマのように思う。
物語は敗戦後、事件の聴取を受ける関係者の証言によって展開されていく。事件の全貌が一つずつ丁寧に回想されていく構成は、ちょうど法廷ドラマの様式に近い。
まず、前半は、この解剖に加担した勝呂の告白で綴られる。彼は人情に厚い青年医師で、自分が初めて受け持った老婆に親しみと優しさをもって接していた。ところが、彼女は爆撃の犠牲で亡くなってしまう。戦争の無情に打ちのめされた彼は、この事件に加担させられることになる。その葛藤は興味深く見れた。彼はヒューマニストで、言わば我々観客に最も近いキャラクターと言える。だからこそ彼の葛藤には共感しやすいし、その苦悩もよく伝わってくる。
映画は後半から、勝呂の盟友、戸田の視点も入って展開されていくようになる。彼は一人一人の患者よりも自分の出世を最優先に考える野心的な青年医師である。彼は勝呂ほど情に溺れない。この戦争を冷静に捉えながら、人はいずれ死ぬ、生きるのは運次第だ‥というような死生観を信条としている。その思考が最もよく出ているのが取調官との聴取の中に見つかる。あなたも戦場で多く兵士の死を目撃してきたでしょう、それとこの事件は同じことです‥と冷静に言い放つのだ。これには取調官も言葉を返せなかった。自分はこの言葉を医師の言葉とは到底思えなかった。むしろ、戦場の兵士が言う言葉に近いと思った。
映画はこの二人の思考の違いを克明に対比させながら、事件のあらましを描いている。そこから見えてくるものは「正義の意味」である。
勝呂はこのオペを断ろうと思えば断れたはずである。しかし、戸田に負けたくないという気持ち、組織には逆らえないという気持ちから参加してしまった。彼が自分の医師としての信念、つまり老婆を思いやったあの気持ちを貫けていたならば、あるいはこの事件に加担させられずに済んだかもしれない。しかし、彼の心は弱かった。彼の中の「正義」は揺らいでしまったのである。
生体解剖という戦争の暗部を暴いて見せたこと。しかも、徹底したリアリズムの中でそれを再現した所に今作の大きな意義があると思う。そして、通り一辺倒な社会派作品ならそこ止まりだろうが、今作には普遍的なメッセージも込められている。二人の青年医師の衝突を通して「正義」の意味について問うたこと。これが他の社会派作品とは一線を画す最大の特徴のように思う。
難は、物語の展開上、不要に思える部分があったことだろうか‥。勝呂と戸田の告白の間に、現場に立ち会った看護師、上田の回想が挟まるのだが、これは少し退屈してしまった。そもそも作品のテーマにそれほど関係するものではなく、勝呂対戸田のドラマにとっても特段必要と言うわけではない。ここは省略してしまった方が構成的にはスッキリしたように思う。おそらく、彼女が病院を辞めるきっかけとなった事件、それを通して医療界の理不尽さを告発したっかのかもしれないが、本筋の生体解剖事件には直接関係するわけではない。
また、軍人たちの描き方も全体のリアリズムの中ではデフォルメが過ぎる。彼らだって人としての良心くらい持っているだろう。それがこぞって浮かれて生体解剖見学とは‥。少しばかり悪意を感じてしまった。
演出はオペのシーンを筆頭に基本的にリアリズムに傾倒しているが、時折幻想的で詩情的な演出も施されている。最も印象に残るのは暗闇の海のシーンである。時々挿入されるのだが、これが何とも恐ろしく不気味に思えた。
また、今作は水の表現が際立っている。手術中のオペ室には床一面に水が張られている。おそらく血痕などがついた時に掃除しやすいように水を張っているのだろうが、水面が壁に反射して手術室が少し幻想的な雰囲気に包まれる。変な言い方かもしれないが、床の水面に流れる血がどこかエロチックで不思議と美しく感じられた。勝呂と戸田が夜の屋上で会話をするシーンも、バックの桜の木がどこか幻想的な雰囲気を醸していて面白い。
キャストでは戸田を演じた渡辺謙の好演を評価したい。戦時の真っ只中を逞しく這い上がろうとする様は、実直な人道主義者・勝呂よりもキャラクター的魅力に溢れている。しかも、その野心を抑制した所も上手いし、冷酷さを押し通した所にも見応えが感じられた。例えば、病院の廊下で勝呂に「コメディやな‥」というシーンがある。彼の冷めた批評感がよく表れたセリフである。地味で目立たないシーンを、こうした一言で味のあるシーンに見せてしまうあたりは上手いと思った。
尚、監督補で
「ゆきゆきて神軍」(1987日)の監督・原一男が参加している。彼の弁によれば手術シーンの血は人間の血を実際に使い、解剖体には豚を使ったという事だ。
実際に起こった強盗殺人事件をリアリズム溢れるタッチで描いた名匠・熊井啓の監督デビュー作。
「帝銀事件 死刑囚」(1964日)
ジャンルサスペンス・ジャンル社会派
(あらすじ) 昭和23年、帝国銀行で毒殺事件が起こる。厚生省技官を名乗った犯人は現金と小切手を奪って逃走した。マスコミ各社はこの事件をセンセーショナルに取り上げた。警察の捜査も一気に熱を帯びていく。しかし、犯人が使っていた名刺、小切手の行方、目撃証言といった手掛かりからは具体的な犯人像は浮かび上がってこなかった。その頃、昭和新報の記者・武井は犯行に使われた青酸化合物から、旧日本軍の過去の事件を連想する。彼はこの二つを結びつけて独自に調査を開始するのだが‥。
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(レビュー) 事実を元にした社会派サスペンス作品。
名匠・熊井啓が緊迫感みなぎるドキュメンタリータッチで描いた初監督作品である。実際の映像、証言などを参考にしながら作り上げた労作で、初演出とは思えぬ重厚なタッチに彼の才能が感じられる。
特に、犯行現場を再現した序盤のシーンは、粒子の粗いモノクロ映像、伊福部明の悲壮感を漂わせたスコアによってトラウマ級の恐ろしさを見る側に突きつけてくる。周到にリサーチした上での撮影だったそうで、かなりのリアリティが感じられた。
物語は新聞記者・武井の視座で展開していく。彼は犯人が使用した青酸化合物から旧日本軍731部隊を連想し、独自に調査を開始する。ちなみに、731部隊とは戦時中、生物化学兵器の研究をしていた特殊部隊のことである。武井は、犯人はその関係者ではないか?と睨んでいくのだ。映画が進むにつれて、彼のこの仮説は徐々にスケールアップしていき、サスペンスが上手く盛り上げられていると思った。また、このミステリの背景には、戦後日本の不安と混乱といった状況も透かして見ることができ、中々興味深く見ることが出来た。
もっとも、最終的に武井のこの捜査は占領軍からの一方的な中止命令によって断念せざるをえなくなってしまう。仮にここを深く突っ込んでいけば、衝撃的な事実が白日の下に晒されたのかもしれないが、事件は平沢という男を逮捕して一応の解決となる。ただ、映画でも描かれているが、今となってはこれは冤罪ではないか‥という意見もある。果たして彼が本当に犯人だったのかどうかは確たる証拠がなく、その何とも煮え切らない所も含めて、12人もの命を奪ったこの凶悪事件には改めて戦慄を覚えてしまった。
映画は後半から、その平沢を中心としたドラマになっていく。彼の死刑囚としての苦悩ぶりが熱っぽく語られていて実に見応えが感じられた。
ただ、前半の武井の捜査、後半の平沢の苦悩、この二つを同時に追いかけたことで作品としてのインパクトは若干薄まってしまったような感じがした。
仮に、冤罪の怖さを問う作品として見た場合、真実が分からない以上、そのメッセージ自体が果たしてどこまでの意義を持ち得るのか疑問に思えてしまう。社会派作家でもある熊井監督であるから、当然告発の映画にしたかったのだろが、題材が製作された時代に合わない上に、散漫な作劇が足を引っ張ってしまった感じがする。
また、ドキュメンタリータッチは事件捜査を描く前半こそ奏功していたが、平沢周辺の人間ドラマを描く後半に至っては余り向いてないような気がした。前半と後半、夫々に合った演出作法を取るべきだったのではないだろうか。
からゆきさんの壮絶な人生をドラマチックに綴った感動作。
「サンダカン八番娼館 望郷」(1974日)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 女性史研究家の圭子は天草でかつて"からゆきさん″だった老女サキに出会う。サキにはたった一人の息子がいたが、彼は結婚を機に家を出てしまい疎遠となっていた。孤独なサキは圭子との交流に潤いを求める。その後、圭子は一旦東京に戻ったが、どうしても彼女のことが忘れられなかった。そして、からゆきさんだった頃の話を本に書こうと、素性を隠して再びサキの元を訪ねる。こうして二人の共同生活が始まるのだが‥。
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(レビュー) "からゆきさん"と呼ばれた女性の人生を感動的に描いた作品。同名のノンフィクション小説を名匠・熊井啓が監督した映画である。
からゆきさんとは、19世紀後半に東アジア、東南アジアに渡って娼婦として働いた日本人女性のことである。
映画は、からゆきさんだったサキの壮絶な人生を綴るパート、その話を取材する圭子とサキの交友を描くパート、そしてこの二つを現在の圭子が思い出とともに振り返るパート、3つで構成されている。時制を巧みに交錯させたシナリオは中々手練れている。圭子とサキの友情がノスタルジック、且つ感動的に盛り上げられている。
映画前半は、サキの壮絶な人生を綴った過去パートを中心に展開されていく。時代は1907年、貧しい出自の少女サキは家族を養うためにやむなく女衒に売り飛ばされる。その後、ボルネオのサンダカンの娼館へ送られ客を取らされる。恋愛もしたことがない幼い彼女が、いきなり見ず知らずの現地の男に無理やり処女を奪われるシーンは衝撃的だった。想像を絶する屈辱と悲しみを、これでもかと言うくらい"ねちっこく"描写するので見ていかなり痛々しかったが、純真無垢な少女が一人前の娼婦になっていくことの説得力が感じられる。
こうしてサキは娼館の一員になっていく。しかし、故郷に対する思いは強まる一方で、早く日本に帰りたい‥という一心で、彼女は積極的に客を取るようになっていく。しかし、なんという皮肉か、逆に娼館の暮らしにドップリと遣ってしまうことで、彼女の運命は悲劇的な方向へ向かっていく。日本に戻った彼女に対する仕打ちは余りにも無情で、見ていて心を痛めるしかなかった‥。
ただ、正直な所、この娼婦時代編は今一つ感情移入するという所まではいかなかった。確かにドラマチックな半生だと思うが、女衒に売られた遊女のドラマとしてはよくある話だし、3つの時制を往来する構成上、どうしてもドラマが中断されてしまうため集中力が途切れてしまう。言ってしまえば、ダイジェスト風な作りなので入り込むほどの感動は得られなかった。
逆に、映画後半を使ってじっくりと描かれる圭子とサキの交流パートには、かなり感情移入できた。
孤独な老女サキは圭子の素性を一切聞かずに受け入れていく。隣近所に圭子のことを息子の嫁だと紹介していることからも分かる通り、彼女は息子夫婦から見捨てられた孤独を圭子との疑似母娘愛によって埋めようとしていたのだろう。サキにとっては娼婦時代など思い出したくもないし、語りたくもないはずだ。しかし、それでも圭子に傍にいて欲しかったのである。
この物語は圭子の視点で展開されていくので、サキが圭子の正体をどこで知ったのかは分からない。ただ、一緒に過ごすうちに、彼女はそれに薄々勘付いているような節が所々で見受けられた。互いに素性を隠して共同生活を送るという所には、いわゆる"なりすまし”のサスペンスも感じられ、この交流は実に興味深く観ることができた。
また、二人が"家族ごっこ”を演じていく所にはしみじみとした味わいも感じられた。特に、二人がサキのボロ家を改装するシーンは良かった。和気あいあいと障子や畳を替えていく姿が実に微笑ましく見れた。
終盤では、そんな幸福なムードから一転、サキの"真実の吐露"が描かれる。ここには泣かされた。
サキにとって圭子と過ごしたこの数日間はかけがえのない時間だったと思う。たとえ、それが自分の恥部を取材するために近づいてきた相手だったとしても、かりそめの家族を演じてくれたことにサキは感謝したかったのだろう。その気持ちが、この"真実の吐露"なのだと思う。あるいは、彼女自身の人生の清算、圭子に託した"遺産"という捉え方も出来るかもしれない。いずれにせよ、ここで描かれる二人の情愛には涙がこぼれてしまった。
熊井啓の演出は実にエモーショナルである。そして、彼の演出に俳優たちも見事な熱演で応えている。
特に、少女時代のサキを演じた高橋洋子の演技には驚かされた。童顔ながら実に堂々と濡れ場を演じて見せるので、かなりいけない物を見てしまったという感じに捉われるが、そこまで容赦なく追い詰めた熊井監督の演出には感服してしまう。氏の気概が感じられた。また、港に日本海軍が寄港して娼館がごった返すシーンも実にパワフル且つユーモラスで面白く見れた。
一方、サンダカンの街のセットや一部のカキワリ背景には、若干の違和感を覚えた。これは美術の木村威夫の特徴だと思うのだが、リアルさを狙った背景というよりも寓話的詩情を忍ばせた美術となっている。熊井監督のリアリズムに寄った演出とは余り相性がいいと思えなかった。
キャストでは先述の高橋洋子の力演、それに晩年のサキを演じた田中絹代の演技も忘れがたい。尚、本作が田中絹代の遺作となる。孤独な老女を、時に静々と、時に快活に演じ、本作でベルリン国際映画祭主演女優賞を受賞した。個人的には、圭子との別れを描く終盤の演技が最も印象に残った。正に女優人生の集大成といった感じで心揺さぶられた。
売春禁止法に揺れる遊女たちの群像劇。
「赤線地帯」(1956日)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 吉原の赤線地帯の老舗「夢の里」は、売春禁止法案が国会に提出されたニュースを受けて騒然としていた。店で一番の人気やすみはいつ路頭に迷っても困らないように箪笥貯金を蓄えていた。病気の夫と幼子を抱えるかなえはいくら稼いでも薬代と家賃の支払いで貧窮していた。年長のより江は馴染の客と結婚を考えていた。息子を女手一つで育てるゆめ子は今の身を恥じていた。そこに、大阪から流れ着いたミッキーが新顔として入ってくる。
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(レビュー) 「洲崎パラダイス 赤信号」(1956日)の原作者・芝木好子の短編「洲崎の女」を元にした群像ドラマ。尚、今作は溝口健二監督の遺作である。
個性あふれる5人の女性たちの生き方が軽快に綴られていて、当時の世相が織り込まれている所も含め、大変興味深く見れる作品だった。売春禁止法は「夢の里」の旦那やそこで働くやすみ達を不安に陥れる。おそらく多くの遊郭が相当困ったことだろう。「俺たちのやってることは社会事業だ!」「自分の物を自分で売って何が悪いのさ!」といったセリフが印象に残る。
尚、法律は今作公開直後に成立し、溝口監督はその3か月後に死去した。
さて、物語は5人の群像劇になっているが、メインとなるのはやすみのエピソードと、ゆめ子のエピソードになる。
まず、やすみの生き様は実にアッパレであった。親密になった贔屓客を次々と騙して援助金を搾り取り、同僚に金貸しをしながら利子を稼いでいる。「夢の里」で一番の売れっ子で最後は見事な成功を果たしていく。そこに行きつくまでの山あり谷ありのドラマが、このエピソードの見所である。
反対に、ゆめ子のエピソードは救いのない隠滅としたドラマとなっている。彼女は夫に先立たれ息子を一人で育てているのだが、その苦労は見るに忍びない。映画序盤、彼女の息子が会いにやって来る。息子はまさか母が身体を売っているなど夢にも思っていない。ゆめ子は店の奥に隠れて我が身を恥じるしかない‥。愛しい息子に顔を合わせることも出来ないのだ。その心中を察すると居たたまれない。その後、彼女は息子と決定的な決別を迎えるのだが、これは実に残酷だった。
他の3人も個性的に色分けされていて面白く見れた。夫々が抱える問題も多岐に渡っていてドラマチックである。
ただ、ここまで詰め込んでしまうと全体として散漫な印象がしてしまう。柱となるドラマがあった「洲崎パラダイス」に比べるとどうしてもメッセージのインパクトが弱まってしまった感がする。
ちなみに、溝口監督と言えば、過去に芸妓を描いた「祇園の姉妹」(1936日)や「祇園囃子」(1953日)といった作品がある。ドラマの芯がしっかりしたこれらの作品との比較から言っても、今作はドラマが分散気味である。
もっとも、こうした過去作のオマージュが所々に散りばめられているので、溝口芸妓映画の集大成といった捉え方は出来るかもしれない。そういう意味では見応えは感じられる。
キャストではミッキー役を演じた京マチ子が印象に残った。きびきびとした演技で5人の中で最も明るい芝居を見せている。ただ、その影では他人には言えぬヘビーな問題も抱えている。この表裏を上手く演じた所は流石であった。
また、ハナ江を演じた小暮美千代は意外なキャスティングだった。「祇園囃子」ではベテラン芸妓を演じていたが、あの時の華やかさと打って変わって、今回はまるで別人のような不幸の身の上を演じている。クレジットを見て知ったくらいである。
一方、やすみを演じた若尾文子は相変わらずの美貌に見とれてしまった。こちらも「祇園囃子」では見習いから一人前の芸妓になっていく成長を瑞々しく演じていた。今回はもはや百戦錬磨といった貫禄を見せつけ男たちを手玉に取っている。
難は何かと物議をかもした音楽だろうか‥。過度に不穏なトーンを覆い被せてくるので一部で違和感を覚えた。
尚、助監督に増村保造がクレジットされている。彼は溝口健二に師事し、その後は市川崑の元で助監督を務めて一本立ちしていった。
男女の彩を描いた市井のドラマ。
「洲崎パラダイス 赤信号」(1956日)
ジャンルロマンス
(あらすじ) 親に結婚を反対されて駆け落ちした蔦枝と義治は、金が底をつき路頭に迷っていた。二人は蔦枝がかつて働いてい洲崎の遊郭にやって来る。蔦枝は小料理屋で住み込みの仕事を見つけ、義治も小料理屋の女将の口利きで近くの蕎麦屋で働くことになった。二人は暫く離れて暮らすことになるのだが‥。
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(レビュー) 夫婦の腐れ縁を周囲の人間模様を交えて描いた市井ドラマ。
蔦枝は明るくユーモアにあふれた女性である。と同時に、世渡り上手と言えばいいだろうか、かなり狡猾な一面も持っている。言い寄ってくる男に愛想を振りまき、すんでの所で袖に振る。実にしたたかな女性と言えよう。
一方の義治は典型的な甲斐性なしである。蔦枝と離れて暮らすことで後半から徐々に更生していくが、彼女に振り回されていることに変わりはない。結局、彼は蔦枝に甘えているだけで、自分の力では何も出来ない男である。
蔦枝はさっさと見切りをつけて別れたらいいのに‥。映画を観た人は誰もがそう思うだろう。しかし、彼女は何故か義治から離れられない。というより、これはダメ男に惹かれてしまう母性なのだろう。実に損な生き方をしていると思った。
見てて何とも煮え切らなかったが、離れられない二人の心理はリアルに描けていると思った。それに男と女の関係などは案外こういう理不尽な所がある。片方が出来た人間であれば、もう片方はそれにおんぶに抱っこで全然努力しようとしない。それで何となく続いてしまうものだったりする。
監督は名匠・川島雄三。脚本は名ライター・井出俊郎。成瀬巳喜男を想起させる“ヤルセナキオ”的男女関係は、普通なら見てて居たたまれなくなってくるものだが、そこをこのベテランコンビは周囲の様々な人間模様を絡めながら味わい深くまとめあげている。
たとえば、蔦枝たちが厄介になるキーパーソン、小料理屋の女将の失意と希望、転落のドラマには深い感銘を受けた。実は彼女自身、義治を支える蔦枝と同じように、疾走した夫に泣かされてきた女である。「男なんてみんなそんなもんよ‥」と蔦枝に言い放つが、これは我が身を振り返っての言葉であろう。実に説得力が感じられた。
また、蕎麦屋の店員・玉子の優しさも味わいがあって良かった。義治は蔦枝のために急に金を工面せねばならず思い余ってレジの売り上げを持ち出してしまう。玉子はそれを店主に言わず黙っていてあげる。あるいは、彼女は義治のことを好いてたのかもしれない。彼を見る目がそう思わせる。そんな心情を投影しながら見ると、このキャラクターが俄然愛おしく見えてくる。
他にも、遊郭に売られた若い女と学生のエピソードも良かった。皮肉的な顛末を迎えるが、男女の彩を残酷にしたためた所に見応えを感じる。いわゆる、“若さゆえの過ち”を見事に捉えていると思った。
ところで、蔦枝と義治を初め、ここに登場する男女は先述の「みんなそんなもんよ‥」という言葉に集約されるような気がする。昔から夫婦喧嘩は犬も食わぬ‥と言うがまさにその通りで、好いた者同士がくっついた、離れた‥を延々と繰り返すのが男と女である。「みんなそんなもんよ‥」というセリフは、それだけで聞くと何の変哲もない普通の言葉に聞こえるが、このドラマの中では案外重い意味を持っているように思った。
しかし、だからと言って、川島&井出は決してキャラクターを突き放して描いていると言うつもりはない。個々の感情の深淵を突き詰め、キャラクターのリアル化が正面から図られていると思った。彼らの一挙手一投足に川島&井出の愛情が注ぎ込まれていることは映画を見て強く感じるところだ。だから、自分は活き活きとした市井のドラマとして強く惹きつけられてしまう。
尚、助監督に今村昌平の名前がクレジットされている。彼は川島に師事し、後の名作「幕末太陽傳」(1957日)で脚本と助監督を務めている。それをきっかけにして今村は独立した。翌年に彼は
「盗まれた欲情」(1958日)で監督デビューを果たしている。
異色のブラック・ホーム・コメディ。全てが斬新!
「しとやかな獣」(1962日)
ジャンルサスペンス・ジャンルコメディ
(あらすじ) 高層団地住まいの前田家は、表向きはごく普通の中流家庭である。元海軍中佐の父、良くできた母、芸能プロダクションに勤める長男・実、作家の愛人をしている長女・友子。彼らは夫々に自分の好きなように生きていた。そして、他人には知られていないが、裏では相当羽振りの良い暮らしを送っている。実は、彼らは詐欺一家だったのである。ある昼下がり、くつろいでいた前田家に実が勤めている芸能プロダクションの社長が乗り込んでくる。何事かと思って聞いてみたところ、実が会社の金を着服したと言う。返済を要求された両親は、そんなはずはないと言ってしらを切って追い返した。そこに当の実が帰宅する。両親が訳を訪ねてみると、とんでもない事実が分かる。
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(レビュー) 団地の一室を舞台にした異色のサスペンス・ホームドラマ。詐欺一家と周囲の人々のやり取りをブラック且つ軽妙に綴った怪作である。
たった二日間の物語だが、多彩な人物が織りなす駆け引き、裏切り、騙し合いは実に濃厚な鑑賞感をもたらす。息をもつかせぬ展開の連続に魅了された。ほぼ悪人しか登場してこないドラマなので決して共感を得られるタイプの作品ではないが、そこをコメディに料理したことで、どこか屈託のないドラマとして見ることが出来る。原作・脚本は新藤兼人。このあたりは氏の手練だろう。洒脱な会話、人物の出し入れの上手さも光っていた。
また、高度成長時代の象徴とも言える高層団地を物語の舞台に設定したことも注目に値する。大家族の崩壊と共に訪れた核家族化は、近隣住民との付き合い方を大きく変えてしまった。かつては近所全体が家族の集合体ような付き合いをしていたのだが、この頃からその関係は徐々に空疎化していく。当時のその風潮を表すものとして、この高層団地が存在しているような気がした。ちなみに、近隣住民との関係の空疎化、もっと言えば個人主義の台頭は、同年に製作された羽仁進監督作
「彼女と彼」(1962日)にも如実に表れている。奇遇にも「彼女と彼」も高層団地を舞台にしたドラマである。新藤兼人も今作にそうした風刺的な意味合いを持たせようとした節が伺える。この特異な舞台設定に氏の鋭いアイロニーが感じられた。
監督は川島雄三。彼の代表作と言えば、なんといっても異色の時代劇「幕末太陽傳」(1957日)が思い出されるが、本作もかなり風変わりなスタイルを持った作品である。
まず、何と言っても目を引くのは様々に変幻する画面構図だ。上下左右、室内室外、時には物越しに覗き見するようなカメラアングルまで登場する。もはや確信犯的に流儀を破壊した画面パースは、一見して凡庸なホームドラマを実に奇怪なものとして見る側に提示してくる。この奇抜なセンスに彼の才気が伺える。
色彩・照明効果も印象的に場面を盛り上げている。かなり狙いすぎな感じも受けるが、元々がワン・シチュエーションの寓話なのだからむしろ愉快に見れてしまう。
音楽の使い方もユニークだった。歌舞伎とジャズを融合させたシーンは完全に人を食っているとしか言いようがない。唯一無二の感性と言っていいだろう。
キャストもそれぞれに好演している。中でも芸能プロダクションの会計職員・幸江を演じた若尾文子のしたたかな演技には舌を巻いてしまった。本作はほぼ全員が悪人だが、彼女が最も腹黒く冷淡な人間として描かれている。女の武器を使って次々と男たちを虜にし、ケツの毛までむしり取るこの根性‥いやはや、見てて何と恐ろしく憎らしいことか‥。マスコミの悪評さえも自分に有利に働くと言う所は、さすがにどうだろう?という気がしたが、ともかくも彼女のしたたかな振る舞いは後半の大きな見所である。前田家の人びとも相当悪辣であるが、彼らはせいぜい団地の一室でブルジョワ気分に浸る程度だ。彼女に比べればまだまだ甘ちゃんである。
映画は最後に夫々にとっての"皮肉的な結末″を迎える。誰も幸せにならないこのラストは相当衝撃的であるが、しかし翻って考えてみれば人間の悪心が導いた当然の結末という言い方も出来る。とりわけ、幸江にとっては実に気の毒な結末となっている。騙し騙される人間の愚かさが見事に表出したラストと言えよう。
これは近年まれにみる怖いホームドラマ。
「空中庭園」(2005日)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 東京郊外の団地に住む京橋家には秘密を持たないというルールがあった。それは母・絵里子 が理想の家庭を築くために決めたルールである。だが、彼女の思いとは裏腹に、実際は夫々に秘密を抱えていた。夫・貴史 は不倫にのめり込み、高校生の娘マナは学校をさぼってクラスメイトとラブホテルに入り、息子コウも学校をさぼって町をブラついていた。そして、実は絵里子自身にもある秘密があった。そんなワケあり家族の中に、貴史の浮気相手ミーナがコウの家庭教師としてやって来る。
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(レビュー) ある中流家庭に起こる様々な出来事をシリアスに綴ったホームドラマ。角田光代の同名原作を俊英・豊田利晃監督が映像化した作品である。
映画は家族の朝食風景から始まる。大変爽やかな一幕だが、そこに突然ラブホテルの話題が持ち上がって驚かされた。しかも、皆平然とした表情で会話しているのだ。一体この家族はどういう家族なのか?不思議に思った。
そして、映画を見ていくと段々この家族の正体が分かってくる。彼らは何事においてもオープン方式で、それによって互いの信頼関係を保とうとしているのだ。だから、ラブホテルの話でも平然と話していられる。
しかし、理想的と思える仲の良い家族は徐々に崩壊していく。本当は皆、家族に真実を打ち明けられない秘密を持っていたのである。皆が仮面を被って家族を演じていたのである。この不安定さ、不穏さは大変恐ろしい。ある意味でホラー映画並みの怖さを持ったホームドラマと言えよう。
家族の中心にいるのは今作の主人公・絵里子である。彼女は常に朗らかな表情を絶やさず理想の主婦を演じている。彼女の信条は秘密を持たないことでそれを家族全員にも守らせている。しかし、それは建前でしかなく、彼女自身、過去に秘密を持っており、他の家族も夫々に不倫、淫行に走っている。
家族の誰もが秘密を持たないで暮らしていけたら、それはとても素晴らしいことだと思う。しかし、それは理想でしかないと思う。夫々に学校や会社でプライベートな時間があるのだから、実際には秘密を持たないことなど不可能であろう。絵里子の理想はよく分かる。しかし、人間である以上、必ず秘密は抱えてしまうものなのである。
映画は家族が抱える秘密のベールを一枚一枚剥いで見せながら、彼らの真実の姿を暴いていく。とりわけ、キーパーソン、ミーナが現れて以降、それは加速していく。それまで保たれていた家族の建前の"和″が急激に崩れ始め、夫々の秘密が一気に暴露されていくのだ。そのクライマックスシーン、一家そろっての誕生会のシーンは実に見応えがあった。息苦しく、緊迫感に溢れ、戦慄的である。
そして、それを終えてのラスト。ここも印象深かった。何とも煮え切らないラストであるが、家族の在り方を真摯に問うているように思った。安易に答えを導き出さなかった所も納得できる。
一方で、本作は割とコメディライクに作られている箇所もある。全体的にはシリアスなドラマなのだが、ちょっとした息抜き場面が各所に登場してくる。
例えば、貴史のだらしない造形はその極みと言えよう。愛人に謙る言動、絵里子と5年も一緒に寝てもらえない不憫な境遇など、情けない現代のオッサン像が見事に体現されている。絵里子の母・さと子も持病を感じさせない楽天的思考の持ち主で、要所でユーモラスな場面を創造している。マナと付き合うナンパ男は体にバビロンの空中庭園の刺青を施し、完全にイタタ‥な中二病患者で苦笑してしまった。
こうしたコメディトーンは全体の深刻さを和らげ、作品全体の見やすさに繋がっている。このバランスは絶妙だと思った。
豊田監督の演出は概ね堅実に整えられているが、中にはかなりラジカルなものも見られる。まず、浮遊感を漂わせた360度回転するカメラワークに度肝を抜かされた。冒頭のタイトルシーンと絵里子の回想シーンでこの奇抜な演出が登場する。アンビバレントな絵里子の心象を表現したものであろう。中々面白いと思った。
また、絵里子がパート仲間にフォークを突き刺す妄想も、豊田流暴力描写と言っていいだろう。終盤の血の雨も、同監督作「PORNOSTAR ポルノスター」(1998日)のナイフの雨を彷彿とさせる刺激的な演出で印象に残った。
一方、これまでの豊田作品には余り見られなかった長回しが要所に登場してくるのは中々新鮮だった。例えば、これによってクライマックスの誕生会のシーンには息詰まるようなスリリングさ、緊張感が感じられた。このチャレンジ精神も買いたい。
キャストは個性派俳優で占められている。ただし、絵里子を演じた小泉今日子だけは今一つだった。主婦の倦怠を微妙なニュアンスで表現した所は良いが、果たしてこの役に合っていたかどうか‥。絵里子は家族をまとめる、言わば家長のように存在しなければならない。しかしながら、彼女の朗らかな外面が内面の強さを相殺してしまった感がある。ここは芯の強さを隠し持った女優の方が良かったのではないだろうか。特に、内面を爆発させる後半の力演は背伸びしているように見えてしまい、余り乗り切れなかった。
尚、余談だが、舞台となる巨大団地に着目すれば、このドラマから地域格差の実態のようなものが見えてきて面白い。京橋家が住む街は都心近くのニュータウンである。ところが、不況の煽りで都市計画が途中でとん挫し、閑散としたゴースタウンと化してしまう。これは家族の崩壊と共に進行していくので、当然狙いなのだろう。実際に現実社会でもこのようなニュータウンが存在していることを考えると、かなりのリアリティが感じられた。羽仁進監督の
「彼女と彼」(1963日)同様、ドラマ内リアリティーを支える恰好の舞台である。
9人の脱獄囚の群像劇。ウルッとさせたり、クスッとさせたり、中々エモーショナルな作品。
「ナイン・ソウルズ」(2003日)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 青年・金子は父親殺しで刑務所に服役する。相部屋には様々なワケあり囚人達がいた。息子を殺した長谷川、脱獄のプロ、暴走族、ヤクの売人、AVの帝王、爆弾魔等。ある日、部屋にネズミが入ってくる。その経路をたどって彼らは脱獄に成功する。一行は途中でバンを奪い、相部屋だった偽札作りのプロの情報を元に、隠し金を求めて旅を始める。
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(レビュー) 9人の脱獄囚の友情を様々な回顧を交えて描いたロードムービー。
いわゆる脱獄物として捉えた場合、リアリティに欠ける作品である。9人は簡単に脱獄できてしまうし、警察やマスコミの動向も希薄である。全体的に作りが劇画タッチになっているので、どうしても楽観的に見えてしまう。
ただ、そもそもこの映画は別に本格的な脱獄物を狙って作られているわけではない。社会のはみ出し者たちが抱える葛藤を描いた人間ドラマ的な側面が強い。ある種、寓話のようにも捉えられる。
また、彼らの珍道中には学園物や軍隊物ではよく目にするホモソーシャルな関係性が嗅ぎ取れ、そこにしみじみとした味わいも感じられる。泥臭い世界の中で育まれる友情。それもこのドラマの見所だろう。
9人の脱獄囚たちは夫々に個性的に造形されている。
主人公は父親殺しの引き籠り青年・金子である。何故彼が凶行に走ったのかは後半で明らかにされるが、それまでは終始寡黙で何を考えているのかよく分からない、一見してミステリアスな存在として描かれている。松田龍平が異様なオーラを放ちながら好演している。
息子を殺した中年男・長谷川は、何でも仕切りたがる頑固おやじタイプで、こちらは原田芳雄が絶妙な味わいで演じている。
その他に、長谷川の舎弟を千原浩史、お調子者のAVの帝王を板尾創路、人生訓を軽妙に話す脱獄のプロをマメ山田が演じている。実に多彩な顔ぶれが揃っていてこのロードムービーは賑々しく展開されている。
物語は、個々の過去にスポットライトを当てながら、やり残したこと、叶わなかった夢を掴みとっていく群像劇になっている。彼らは夫々に罪の意識に苛まれ苦闘していく。そのアウトロー然とした姿には、ある種アメリカン・ニューシネマの主人公たちのような魅力が感じられた。男の哀愁とでも言おうか‥。その生き方に痺れてしまった。
中でも、AVの帝王、同級生殺し、爆弾魔、この3人のエピソードは印象に残った。ベタな浪花節と言えば確かにそうだが、夫々に過酷な結末で締めくくられている。安易なハッピーエンドに堕することなく、犯罪者にとってのケジメをきちんと提示して見せた所に好感が持てた。ただし、同級生殺し・牛山に関してはかなり情感に訴えた演出になっており、ここはもう少し考えて欲しかった。
監督・脚本は豊田利晃。本来、彼はドライなタッチを信条とする作家である。今作は夫々のエピソードが人情話の筋立てになっているが、最後は必ず各キャラクターを突き放して描いている。これは彼の作家としての資質だろう。甘ったるくしようとすればいくらでも出来るが、リアリズムに拠った回答を出している。犯罪者の罪滅ぼしのドラマとしては、これは正解だと思った。歯ごたえが感じられて良い。
脚本も上手くまとまっていると思った。個々のエピソードを無難に消化しつつ、尚且つ散漫さも余り感じさせない。作品のテーマがしっかりしているからであろう。全てのエピソードが同じテーマ、つまり過去との対峙、自由の獲得という所に向かっているからだと思う。全体にまとまり感がある。
そして、このドラマの肝を成す金子と長谷川の関係。これも映画全体を貫くエピソードとして上手く転がされていると思った。
父親殺し、息子殺しの罪を背負う者同士に芽生える疑似親子関係‥。やりようによっては大変臭くなる設定だが、二人のやり取りは終始クールに留められており、お涙頂戴的なあざとさは感じられない。
尚、脱獄した9人が走るタイトル・シーンが高揚感に溢れていて格好良かった。まるでR・アルドリッチ監督の
「飛べ!フェニックス」(1965米)のタイトル・シーンを彷彿とさせる。こういうアッパーでスタイリッシュな映像はいかにも豊田監督ならではのセンスと言える。コイツらこれから何をしでかす‥?という期待と興奮に溢れた良いタイトル・シーンである。
かなり捻ったタイプのコメディ。
「板尾創路の脱獄王」(2009日)
ジャンルコメディ・ジャンルサスペンス
(あらすじ) 昭和9年、脱獄の常習犯・鈴木が山奥の刑務所にやって来る。看守長の金村は彼の経歴を見て不審に思った。無銭飲食という微罪で捕まっておきながら、何故か鈴木は脱獄を繰り返していたからだ。それによって彼の刑期は無限に伸びていた。それから12年後、金村は再び獄中で鈴木と再会する。
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(レビュー) お笑い芸人・板尾創路が主演・初監督を務めた作品。脱走を繰り返す男の数奇な運命を独特のタッチで描いている。
物語自体はいたってシンプルだが、それを飽きなく見せた板尾の演出は、これが初監督であることを差し引いても中々手練れている。カメラの切り替えやスローモーション、ライティング等を駆使しながら、映画としての見栄えを良くしようとしているのがよく分かる。少なくとも同じお笑い芸人である松本人志の作品に比べれば、断然こちらの方が見やすい。
ただ、スタッフ・クレジットを見ると山口雄大の名前がやたらと目立つのが気にかかった。彼は共同脚本から編集、クリエイティブディレクターと八面六臂の尽力を見せている。だとすると、あるいは本作のほとんどは彼の力量によって支えられた作品なのではないか‥そんな風にも思えてくる。実際の所は分からないが、少なくとも彼のセンスが多分に反映されているような気がした。
ちなみに、山口雄大と言えば「地獄甲子園」(2002日)、「魁!!クロマティ高校 THE★MOVIE」(2004日)といったバカ映画を数多くとっている監督である。マンガ的で破天荒な作品が多いのでかなり取っつきにくいが、それを想起させるようなバカギャグが終盤に登場してくる。正直、これには唖然とさせられた。この究極の"ハズし″に山口イズムとの共通性が感じられた。
笑いは少し捻ったタイプの物が多い。大笑いするような明快なギャグは少なく、くすくすと笑えるようなギャグが大半を占めている。中にはかなりブラックなシーンや暴力シーンも出てくるので、見る人によっては好き嫌いがはっきりと分かれるだろう。ただ、板尾と言えばちょっとクセのある芸人である。その資質が出た‥と考えれば、一定の評価は出来る。
尚、劇中歌が変テコ極まりない。なぜこんな歌にしたのだろうか?これにも唖然とさせられた。
ゲイのカップルをコミカル且つシリアスに描いた中々の佳作。
「フィリップ、きみを愛してる!」(2009仏)
ジャンルコメディ・ジャンルロマンス
(あらすじ) 妻子と幸せな生活を送る警察官スティーヴンは同性愛者である。彼は母親に捨てられた過去のトラウマから、異性を愛せない人間になってしまっていた。ある晩、事故で重傷を負った彼は、自分がゲイであることを妻にカミングアウトした。二人は離婚し、その後スティーヴンは新しい恋人ジミーと同棲を始めた。ところが、ジミーは根っからの浪費家で、いくらお金があっても足りなかった。スティーヴンは止む無く詐欺を繰り返し逮捕されてしまう。彼は刑務所でフィリップという男と運命的な出会いを果たす。
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(レビュー) 獄中で出会ったゲイカップルの波乱に満ちた恋愛騒動を軽妙に綴った作品。
本作は実話がベースになっているそうである。しかし、実際に映画を見てみると実話とは俄かに信じがたい。まずなんと言っても、スティーヴンの行動力が常人離れしすぎている。彼は愛するフィリップのために詐欺行為を繰り返していくのだが、これが余りにもトントン拍子に進むので何だか本当の話のようには見れなかった。他にも、弁護士に成り済まして勝訴を勝ち取ったり、いきなり会社重役のポストを用意されたり、出てくる逸話が随分とぶっ飛んでいる。正直、ここまでくると「実話」という前置きが邪魔になるくらいで、むしろそれを抜きにして単純に楽しみたい‥と思うくらいだった。実話をベースにしているとはいえ、かなり楽観的に脚色されているように思った。
さて、見所は何と言っても、主演二人の掛け合いである。スティーヴンを演じるG・キャリー、フィリップを演じるE・マクレガー、それぞれに好演していると思った。
G・キャリーは、やはりこういうコメディは主戦場という感じがする。彼が演じるスティーヴンは詐欺にのめり込んでいくが、すべてはフィリップに対する"病的″なまでの愛あればこそである。この"病的″な所を、G・キャリーは持ち前のキャラクターを使って上手く引き出しているように思った。彼は決して根っからの悪人というわけではない。そこにダメ人間としての愛おしさも覚える。
また、終盤での彼の激ヤセ振りには驚かされた。CGで誤魔化しているようには見えなかったのだが、実際に役作りしたのだろうか?だとすると、この役者魂は大したものである。
一方のE・マクレガーのコメディ演技も中々に良かった。ここまでベタなコメディに出演するというのは珍しと思うが、難なくこなしている。乙女チック全開な演技に笑わされっぱなしだった。
この二人の関係は暴走するG・キャリー、それに振り回されるE・マクレガーという図式になっている。これも俳優としての個性を考えた場合、実にしっくりとくる配置だろう。
そんな二人のコミカルな恋愛は、クライマックスにかけて意外な変容を見せていく。スティーヴンのフィリップに対する愛がメロドラマのごとき悲劇へと昇華され、ちょっとウルウルとさせるのだ。いかにも古典的な図式ではあるが、コメディからシリアスへの転換は巧みに処理されており唸らされる。こうした予想外の方向へ物語を持って行ったところは評価したい。
尚、劇中で最も笑わされ、且つ印象に残ったセリフがある。
刑務所の中では『アレをしゃぶれ!』
刑務所の外では『来い!俺のケツに!』
ゲイの生きる術はこの言葉に集約されているような気がした。ゲイの処世術が読み取れる。
ところで、ゲイをここまで笑えるコメディに仕立てた本作は、それ自体驚くべき事のように思う。一昔前ならゲイと言えば日陰の存在。エイズに犯されて悲劇的末路を辿る‥。そんな映画ばかりだった。ところが、エイズの治療が進んだこともあって、今作ではそれすらも笑いのネタにされている。かつての暗く絶望的な映画とは全く毛色の違う、明るく楽しいタイプのゲイ映画になっており、正に今の時代感覚に合わせた娯楽作に仕上がっている。
果たして製作サイドの狙いが時代の照射にあったのかどうかは分からないが、きちんと今の時代を見据えた作りになっている所に感心させられた。