台風の災害を皮肉と嘲笑交じりに描いた社会派作品。
「台風騒動記」(1956日)
ジャンル社会派・ジャンルコメディ
(あらすじ) のどかな港町に台風が上陸した。町は大きな被害を受け、町会議会では政府の補助金を受けるために台風で倒れ損ねた木造小学校の取り壊しが決定した。生徒たちの目の前で無残に壊される校舎。それを女性教師・妙子は怒りに震えながら見つめた。その頃、議会では大蔵省から監査官が来るという知らせが入って慌てふためく。取り壊している所を見つかったらウソがばれてしまう。町長の妻・みえは、バス停から降りた大蔵省の役人を買収しようと、早速接待の席に連れだした。ところが、相手は役人ではなく新しくやってきた新任教師だった。
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(レビュー) 台風に襲われた町を舞台に、補助金をせしめようとする役人たち、被害に苦しむ住民たちの姿を痛烈な風刺で描いた社会派ブラック・コメディ。
「台風十三号始末記」というルポルタージュを元に山本薩夫が監督した作品で、いかにも社会派作家・山本らしい権力批判が感じられる映画である。直球過ぎる表現もあるが、良くも悪くも彼の資質が前面に出た作品となっている。
尚、本作の元となったのは、1953年に愛知県南部を襲った台風13号の被害である。甚大な被害をもたらしたこの台風はその後の処理をめぐって様々な問題をもたらしたということである。それがここで描かれている町会議会のお家騒動である。これは正に「天災」というよりも人間の強欲が生んだ「人災」である。 ラストの「天災の後に来るものは人災である」というテロップは実に皮肉が効いている。そして、この言葉は、記憶に新しい東日本大震災に当てはめることもできよう。縦割り行政の悪癖が復興を足止めしてしまっているこの現状‥、今作を見て改めて憂えてしまう。
映画は、私利私欲のために醜い争いをする町会議員たちの姿と、災害に苦しめられる住民たちの姿を交互に写している。割と楽観的に作られているが、これは娯楽性を重視した作り手側の割り切りだろう。確かに口当たりの良いドラマに仕上げられている。
ただ、一方で山本監督の中では単なるコメディで終わらせたくない‥という意思があったのだと思う。権力に対する痛烈な批判が各所に見つかった。このあたりはいかにも山本節で、自らのプロダクションを擁して製作したという事情からもその意志が伺える。
例えば、吉成と妙子が訪れる避難民キャンプのシーンは、今作で一番深刻に見れる場面である。災害の苦しみに晒される人々の姿、その一方で愚鈍な役人たちのやり取りが描かれる。これを見ると、一体何のための行政だ‥という怒りを通り越して、もはや虚しさしか覚えなくなってくる。
逆に、最も笑えたのは、吉成が大蔵省の職員に間違われて様々な接待を受けるシーンである。ここでは彼と人気芸者・静奴のほのかな恋心も描かれており、この淡いロマンスは微笑ましく見れた。
そして、今作で最も印象に残ったシーンは、中盤、吉成と妙子が教え子を連れて瓦礫の山と化した浜辺を歩く場面である。「でんでんむし」の歌を歌いながら歩く一行の姿が清浄さに溢れていて印象に残った。名声しか頭にない町長や利権を食い散らかす議員、お上に取り入ろうとする大人達。彼らが入る隙が一寸も無いほどに麗しいシーンとなっている。
父親捜しの旅をユーモラスに綴ったロードムービー。
「神様のくれた赤ん坊」(1979日)
ジャンル人間ドラマ・ジャンルコメディ
(あらすじ) 売れない女優・小夜子と三流漫画家・晋作は同棲中のカップル。ある日、部屋に見知らぬ中年女性がやってきて新一という少年を置いて去って行った。添えられていた手紙には疾走した母・明美の自筆で、少年の父親かもしれない5人の男の名前と住所が書かれていた。その中の一人が晋作だったのである。晋作は自分の子供ではないと否定するが、怒った小夜子は部屋を出て行った。その後、晋作と新一は本当の父親を探す旅に出る。二人のことが気になった小夜子もそれに付き合い、こうして3人は一緒に旅をする。
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(レビュー) 捨て子の父親探しに奔走する若いカップルの悲喜こもごもをユーモアとペーソスで綴ったロードムービー。
映画冒頭から一気に引き込まれた。何の説明も無いまま事件が起こる展開は強引であるが、これくらいインパクトがあればドラマの"引き”としては申し分ない。
晋作と小夜子は、訳も分からず見ず知らずの少年を押し付けられ右往左往する。しかし、見捨てることも出来ず少年の父親捜しの旅を仕方なく始める。映画は、彼らが出会う様々な事件をユーモアと情緒を織り交ぜながら端正に描いている。
何と言っても、途中で登場する新一の父親かもしれない男たちが、夫々に個性派ぞろいで面白かった。
政治家、若き実業家、元プロ野球選手、元ヤクザと職業も性格も実に多彩である。そして、彼らは皆、新一を引き取りたくないと言う。実に世知辛い話であるが、この映画はそのあたりの悲劇を軽快且つユーモラスなトーンで描いている。それほど悲惨さが感じられず、隠滅としたドラマに持って行かなかった所が絶妙である。肩を張らずに見ることが出来た。
例えば、政治家のエピソードでは意外なオチが用意されていて面白かった。若き実業家のエピソードは、披露宴会場という特異なシチュエーションがスラップスティックな笑いを誘う。元ヤクザのエピソードには意外なからくりが仕込まれていて良い意味で驚かされた。唯一、元プロ野球選手のエピソードだけは消化不良な感じを受けたが、それ以外は皆、面白く観れた。
そして、この映画は新一の父親捜しの旅を描く一方で、小夜子の出自を巡るドラマも描いてる。こちらは彼女の回想を交えながら展開されるのだが、そこから小夜子も悲劇を背負った女性であることが分かってくる。やがて彼女はこの旅を通して過去の傷を払拭し、新しく生まれ変わる。つまり、母性を芽生えさせていくのだ。この小夜子の母性は、ラストでメインのドラマである新一の父親捜しのドラマに収束されていく。二つのドラマが、家族愛というテーマに止揚され、見事なカタルシスを味あわせてくれる。脚本の構成が素晴らしい。
監督・脚本は前田陽一。共同脚本に名ライター・荒井晴彦の名前が並んでいる。
「もしかしたら私たちの考えてることって同じなんじゃないかしら?」というセリフが何度か登場してくるが、このセリフは荒井氏の発案だろうか?伏線の上手さが奏功し、出るたびに思わずニヤリとさせられてしまった。実に洒脱の効いた"セリフ遊び”で面白い。
また、手紙や、祝儀袋、野球帽、写真といった小道具の使い方も巧みだった。
前田陽一の演出はこれと言って独創性は感じられないが、堅実にまとめられていると思った。フィルモグラフィーを見ると、主にプログラムピクチャーとテレビドラマを渡り歩いてきた職人監督といった印象だが、多くの現場を知る「強み」が堅実な作りに繋がっているように思える。
ただ、全体的にサラリと流すように作られているので、若干物足りなさを覚える箇所もあった。脚本の段階での淡泊さなのか、現場での削ぎ落しなのか分からないが、例えば終盤の新一との別れの場面は晋作と小夜子の葛藤が不足気味と感じた。また、父親探しの旅がいつの間にか養育費奪取の旅になってしまう所にも若干の不自然さを覚えた。
桃井かおり、渡瀬恒彦、主演二人の好演は文句なしである。
桃井は母親願望、女優願望を抱え持つ複雑なキャラを上手く演じている。割と抑制された演技を貫いているが、唯一彼女の葛藤が痛々しく体現されるシーンがあり、そこには深い感動を覚えた。母親と同じように自分も娼婦を"演じる”という場面がそれである。はっきり言って精神を病んだ行動とも言えるのだが、その心中を察すると憐憫の情を禁じ得ない。
一方の渡瀬は、情けなさを前面に出しながら甲斐性無の男をコミカルに演じていて、こちらも見事だった。
疑似父子の情愛を描いた人情ドラマ。
「狐の呉れた赤ん坊」」(1945日)
ジャンル人間ドラマ・ジャンルコメディ
(あらすじ) 酒と博打、喧嘩に明け暮れる人足の寅八は、ある晩、狐が化けて出ると言われる通りで捨て子を拾った。寅八はそれは狐が化けてるに違いないと思ったが、世話をするうちにいつの間にか愛情を覚えていく。善太と名付けられた赤ん坊は、寅八の舎弟や行きつけの飲み屋の女将・おときの協力もあってすくすくと成長していく。
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(レビュー) ひょんなことから拾った赤ん坊に愛情を注ぐ父の健気な姿を感動的に綴った人情ドラマ。
寅八役の阪東妻三郎の好演もさることながら、軽快な展開、軽妙な会話、メリハリを効かせた演出等、見所に事欠かない作品である。戦後間もない混迷期の作品ながら、しっかりと作られていて感心させられた。シナリオに無駄がなく、伏線と回収も上手く符合し、実にしたたかに出来上がった大衆娯楽作品である。
監督・脚本は丸根賛太郎。フィルモグラフィーを見ると主にプログラムピクチャーを手掛けてきた職人監督らしく、中にはかの実写版「鉄人28号」の監督なんていう経歴も見つかる。
この「鉄人28号」はDVD化されておらず見る機会はせいぜい"懐かしのヒーロー大集合”といった類のテレビ特番くらいしかないが、全長2メートルの"張りぼて鉄人″はかなり陳腐でお世辞にもよく出来ていると言い難い。たった1クールで打ち切りになったというから、おそらく当時の子供たちには受けなかったのだろう。そんな失敗作もある丸根監督だが、今作を見る限り演出・脚本は中々手練れていると思った。
たとえば、大井川の大明神祭のシーン。スケール感と躍動感に溢れた映像は、製作れた時代を考えればかなり大掛かりな撮影である。大変見応えがあった。また、病気の善太のために駆けずり回る寅八の姿などはスピード感溢れるカメラワークで表現されていて、今見ても全然古臭さを感じさせない。実に先鋭的と言えよう。
小道具の使い方も上手い。善太の成長の過程を、言葉やナレーションを使わずに、寅八の親友の関取・賀太野山が巡業先で買ってくる”相撲人形”で表現させた所は上手かった。他に、玩具の刀、寅八の寅の刺青といったアイテムもドラマの中で上手く機能していた。
活き活きと描かれたサブキャラも皆、愛着感が湧くように造形されていて良い。寅八の舎弟トリオはコメディリリーフの役割を果たし、飲み屋の女将・おかよのきっぷの良さ、健気さには味がある。
また、人足の寅八にとっての宿敵、馬方の丑五郎も良い味を出していた。この二人は顔を合わせればすぐに喧嘩になる犬猿の仲である。「人足どもは年がら年中裸でみっともねぇ!」と丑五郎がバカにすれば、「馬に食わせてもらうわけにはいかねぇ!」と返す寅八。こんな調子でこの二人はいつも喧嘩をしている。それがある事件によってそれが変わる。丑五郎は寅八のことを正真正銘の男として見直すようになるのだ。この関係変遷にはしみじみとさせられた。
尚、この事件を受けての終盤の質屋のセリフ「もう一度死ね!」にも感動させられた。親子の情愛というテーマがこの一言に集約されているような気がする。その言葉を受けて行動する寅吉の姿に思わずホロリとさせられてしまった。
一方、今作の難は、善太の心情が余り前面に出てこないことである。父の息子に対する愛は雄弁に語られているのだが、逆に息子が父をどう思っていたのか?そこが今一つ主張されていない。寅八の視座で構成されるストーリーなのでそれも止む無しであるが、これでは一方的な愛情ドラマに写りかねない。ここは善太から見た父親像を入れることでもう少しバランスを取って欲しかった。また、善太の成長過程が省略されてしまっているのも雑な語り口である。結果、善太の心中にすり寄れないため、彼のガキ大将振りが少々鼻についてしまった。
更に、終盤の説明尽くしは、ややもすると鬱陶しく感じる可能性がある。全てを知っていた賀太野山も、どうかすると人の悪さばかりが前面に出てしまい、せっかくの人情話にケチをつけることになりかねない。この終盤はもう少し時間を費やして丁寧に描いて欲しかった。
馬喰の半生を描いた人情ドラマ。
「馬喰一代」(1951日)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 北海道で馬喰をしている米太郎は、喧嘩っ早いが情に厚い豪傑である。馬の市場でせっかく手にした売上を、舎弟の借金の肩代わりをして残りは飲み代と博打で使い切ってしまった。家ではひもじい思いをしながら待っている妻子がいたが、米太郎の頭の中には家族のことなどこれっぽちもなかった。そんなある日、妻が病に倒れてそのまま帰らぬ人となってしまう。米太郎は改心し、幼い息子・太平を立派に育てる決心をする。数年後、太平は賢く優しい子に育った。学校で父が馬喰をしていると虐められても、彼は決して弱音を吐かなかった。そんな太平を米太郎は自分と同じ馬喰にさせようとする。
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(レビュー) 馬の売買を生業にしている馬喰・米太郎と、幼い息子・太平の父子愛を感動的に綴った人情物語。
ややベタな個所もあるが、こうした情愛に満ちたドラマは安心して見ることが出来る。非常に親しみやすい良い話である。個人的には中盤の村相撲のシーンで胸が熱くなった。
今作の魅力は何と言っても、米太郎を演じた三船敏郎の佇まい。これに尽きるだろう。
米太郎は映画が始まってから約20分、ほぼ泥酔しており、どうしようもないダメ親父っぷりを見せる。ところが、妻が病死して以降は幼子・太平を男手一つで育てようと奮闘していく。喧嘩と酒と博打に明け暮れていた粗野な男が、子を持つ親の顔に変わっていくのだ。このギャップが、先述した村相撲のシーンでピークに達してホロリとさせられてしまった。太平を思う米太郎の不器用なまでの情愛に胸打たれた。
映画は後半に入ってくると、米太郎の晩年を描くドラマいなっていく。ここでの三船はすっかり足腰が弱くなった寂しげな中年になっており、それを悲哀を滲ませながら好演している。三船敏郎と言えば様々な代表作が思い浮かぶが、ここまで幅広い年齢層を演じ分けた作品はそうそうないだろう。自分が知る中では今作と稲垣浩監督の傑作「無法松の一生」(1958日)、それに黒澤明監督の
「生きものの記録」(1955日)くらいだろうか‥。本作でも三船は主人公の半生を多彩な演技で見せている。
他のキャストも見事な演技である。米太郎が通う飲み屋の酌婦・ゆきを京マチ子、米太郎が毛嫌いする高利貸し屋、六太郎を志村喬が演じている。今作のメインのテーマは父子愛だが、その傍らで、ゆきとのロマンス、六太郎との確執といったサブドラマが用意されており、脇を固める両者の好演も見逃せない。
特に、志村喬演じる六太郎については見応えが感じられた。彼は最初は金に汚い俗物として登場してくる。ところが、高利貸しで貯めた資産を元に何と彼は政界へと進出していくのだ。ここから六太郎は市井の人々に頼られる奥深い人間へと成長していく。一体何が彼をそんな風に変えたのかは分からないが(そこはシナリオ上の欠点だと思う)、志村喬という名前だけでその変容は自然なものとして受け止めることが出来る。これは彼の佇まいや、彼が辿ってきたフィルモグラフィーによって支えられた「説得力」という感じがした。
例えば、自分などは黒澤明監督の「酔いどれ天使」(1948日)の人情味溢れる医師役のイメージが大きい。志村喬=小市民の味方、そういう風に見れてしまう。そのイメージがあるため、六太郎というキャラに何となく親しみがわいていくる。とりわけ、終盤のゆきとの会話には味わいが感じられた。六太郎のさりげない優しさにしみじみとさせられた。
演出はオーソドックスに整えられている。基本的には引きのショットが多いのだが、中盤の村相撲のシーンはアップが多用され、このメリハリのつけ方は正に技ありという感じがした。手に汗握る相撲の場面が上手く盛り上げられている。
また、"下駄”を使った時間経過表現もスマートな演出である。阪東妻三郎主演の人情ドラマ
「狐の呉れた赤ん坊」(1945日)の"相撲人形”を使った時間経過演出と全く同じであるが、こうした小道具の使い方は中々上手い。
ただ、冒頭で述べたように若干過剰な演出が見られるので、そこはもう少し抑制してくれた方が個人的には良かったと思う。例えば、風船の演出などがそうである。ややベタ過ぎると感じた。
また、シナリオ上で、どうしても腑に落ちない点があった。太平の進学の学費を稼ぐための妙策が唐突に思えてならなかった。そこに行きつくための伏線が張られていれば納得できるのだが、通して見る限りそういった伏線は見つからない。例えば、前半で米太郎がそれなりに”その道”に通じているという描写があれば、このあたりは自然に見れただろう。何だか取ってつけたように感じられてしまったのは、やや残念である。
漫画家・水木しげるを影で支えた妻の奮闘記。
「ゲゲゲの女房」(2010日)
ジャンルロマンス
(あらすじ) 昭和36年、島根県から東京に出来ていた布枝は、漫画家の水木しげると見合い結婚をした。暮らしは困窮を極めたが、しげるの漫画に対する情熱に胸打たれた彼女は内助の功に徹した。しかし、しげるが描く貸本業界が衰退の一途を辿り、原稿料すらまともに入ってこなくなってしまう。布枝の質屋通いは増えるばかりだった。そんなある日、しげるに大手出版社から声がかかる。
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(レビュー) 漫画家・水木しげるの妻、武良布枝の自伝エッセイを元にして作られた作品。
同年にテレビドラマも製作され人気を博したことは記憶に新しい。自分もそれを見て、水木しげると布枝の愛に感動させられた口である。それを見た上での今作の鑑賞である。しかし、結論から言うと、今回の映画版には若干物足りなさを覚えた。
というのも、映画版のストーリーは二人の極貧生活を淡々と綴るだけで、さしてドラマチックということもなく、TV版で描かれた物語の途中で終わってしまっている。後半のクライマックスとなる、しげるの成功まで辿りつかないためカタルシスが生まれてこないのだ。同じ原作を元にしているのに、どうしてこういう作りにしてしまったのか‥。中途半端な感じがした。
おそらくは、製作サイドはTV版と同じものを作っても仕方がない、どうせ作るなら映画ならではのテーマ性を出したい‥そう思ったのだろう。確かに全く同じものを作っても仕方がないことは確かである。ましてや、TV版は相当視聴率も高かった。日本中でしげると布枝のドラマを知っている人は多い。それとの差別化を図るという狙いからこういう作りにしたのかもしれない。
そこで今作のテーマということになるのだが、俺自身は「貧困」、「忍耐」と捉えた。
現に、しげると布枝が逆境に耐え忍ぶ姿には、貧しさに負けない‥という戦後日本の美徳が感じ取れる。今の暮らしから這い出してみせる!という強い思いが二人の姿からひしひしと伝わってきた。
例えば、二人がコツコツとマンガを描くシーンが何度か登場してくる。その中で、布枝は「今にきっと認められる日が来るわ」としげるに言う、これに対してしげるは「当たり前だ」と言い放つ。声のトーンは静かであるが、ここには正しくしげるの「貧困に負けない」という強い信念が感じられた。
極めつけは、漫画家志望の青年が餓死したという話を聞いた時のしげるのリアクションである。彼は青年の死を嘆くどころか笑って自らを鼓舞するのだ。
このように、今作のしげると布枝は常に「貧困」に晒されながら、「忍耐」強く夢を追い求めている。その姿は実にアッパレと言うほかない。
果たして、これが今の時代にどう受け止められるかは分からない。一般的には郷愁という名のファンタジーに写ってしまうのかもしれない。ただ、貧しさに負けない夫婦の気概には、尊い夫婦愛をロマンチックに謳い上げたTV版にはない今作独自のテーマが読み取れる。作り手側の主眼はここにあると感じた。
演出は基本的にオフビートなタッチが貫通されている。朴訥とした味わいにコミカルさが加わり中々面白いと思った。ただ、1か所だけ不自然に思ったシーンがあった。しげるの母と布枝のやり取りのシーンである。短いカット割りで構成されているのだが、ここは全体のトーンから少し浮いてる印象を持った。何か意図してやっているのだろうか?自分には理解できなかった。
それと、劇中には度々アニメーションが登場してくる。水木しげるの、あのおどろどろしい原作タッチがアニメで再現されている。原作リスペクトが感じられ中々魅力的だった。ちなみに、TV版にもアニメーションが登場してくるが、そちらはアニメ版「ゲゲゲの鬼太郎」のような割とコミカルなタッチになっている。TV版の違いがこんな所にも見つかる。
プロダクション・デザインについては、低予算という事もあり若干無理が見て取れる。基本的に屋内シーンが大半を占める映画であるが、所々のロケーションに違和感を持ってしまった。田舎の風景はまだ良いのだが、東京駅のシーンや高層ビルが立ち並ぶ街中のシーンは明らかに昭和36年には見えない。このあたりはCGを使えば立派なものが作れるだろうが、今作はインディペンデント映画である。そこまでの予算がなかったのだろう。
キャストは布枝を演じた吹石一恵、しげるを演じた宮藤官九郎、共に好演していると思った。褒め言葉で言うが、どちらも幸薄そうな所が上手くマッチしていた。キャスティングの勝利だろう。また、しげるの家の二階には売れない絵描きが下宿している。本筋に余り関わって来ないのだが、これを村上淳が演じている。中々の存在感を見せつけていて印象に残った。
尚、自分も漫画家の端くれだから言うが、売れずとも腐らず自分の個性を追求していく水木しげるの姿勢には敬服してしまう。大手出版社から時流に乗った作品を描かないかと打診されるが、彼はそれを頑なに拒否した。普通に考えたら何て勿体ない‥と思ってしまうが、彼は妖怪漫画で勝負する姿勢を貫いたのである。妖怪と心中するんだ‥という彼の姿が実に眩しく映った。
緻密さよりもエンタメに特化した今時フレンチ・ノワール!
「この愛のために撃て」(2010仏)
ジャンルサスペンス・ジャンルアクション
(あらすじ) 看護助手のサミュエルは、身重の妻ナディアと幸せな暮らしを送っていた。ある日、病院に担ぎ込まれた重症患者サルテの部屋に何者が侵入するのを目撃する。サルテの容態は急変するがサミュエルのおかげでどうにか一命をとりとめた。その夜、ナディアが誘拐される。犯人の要求はサルテを引き渡せという物だった。サミュエルは負傷したサルテを連れて指定された場所へ向かうのだが‥。
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(レビュー) 犯罪組織の争いに巻き込まれる男の戦いをスピード感あふれる展開で見せたアクション作品。
監督は
「すべて彼女のために」(2008仏)で注目された新鋭F・ガヴァイエ。今回も前作と同じく"夫が愛する妻のために奔走するドラマ”となっている。軽快なアクション演出、タイムリミット感を持たせた手に汗握る展開の連続で今回も最後まで楽しむことが出来た。特に、序盤の謎が謎を呼ぶ追跡劇が面白く見れた。
一方、シナリオは今回もガヴァイエ監督が共同で手掛けている。前作と共通する部分もあるが、今回は物語のキーマンとしてサルテという男を登場させたことは新しい。
サミュエルは妻を取り戻すために、負傷した彼を組織の元に連れて行くのだが、その間の二人のやり取りが面白い。最初は反目しあっているのだが、互いに相手のバックボーンを知るうちに徐々に情が芽生えていくのだ。それは甘ったるい友情とまではいかない。どちらかと言うと、同じ敵に向かって戦う連帯感と言えば良いだろうか‥。戦う男のプライドが作り出した共鳴のように写った。本作はこの関係構築のドラマを実に丁寧に描写している。そこに、ある種バディムービーのような面白さが感じられた。
また、犯人のネタ明かし、それ自体は特に驚きはなかったが、映画はその後も更にサスペンスを加速させながらラストまで突っ走って行っている。このテンションの持続は見事だった。
尚、今作も上映時間が90分弱と非常にコンパクトである。このストレス感のないランニング・タイムはエンタメ作品としては重要なポイントだろう。確かにアッサリしすぎな感がするが、作品の印象に切れ味が感じられる。
一方、ストーリー、演出的に幾つか引っかかる部分があり、前作同様、そこはガヴァイエ監督の詰めの甘さが感じられた。
例えば、あれほど重症だったサルテが割と早い時間で復調してしまうのは客観的に言って強引である。致命的な突っ込み所であろう。また、そもそもの話をしてしまうと、サルテを連れ出すのなら普通はプロに依頼するのが普通だと思う。どうして一介の介護助手なんかにそれを命令したのか‥。
こんなことを考えてしまうと、この映画は身も蓋もなくなってしまう。したがって、余り細かいことは考えずに純粋にアクションとサスペンスを楽しむのが吉である。
平凡な男の奔走劇に思わず感情移入!
「すべて彼女のために」(2008仏)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) 平凡な高校教師ジュリアンは、愛する妻リザと幼い息子と幸せな暮らしを送っていた。ところが、ある日突然妻が殺人容疑で逮捕されてしまう。彼女は無罪を主張したが状況証拠が揃っていて有罪が確定した。それから3年後、ジュリアンはリザを脱獄させる計画を企てる。
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(レビュー) 冤罪の妻のために脱獄計画を企てる男の執念を描いたサスペンス映画。
前半20分はリザの逮捕を描くエピソードでややトーンが平板過ぎる感じがした。しかし、ジュリアンが決死の覚悟で脱獄計画の準備を始めるようになってからは、スリリングさが増し面白く見れるようになった。
今作は一にも二にもジュリアンのキャラクター、これに尽きる作品だと思う。ジュリアンは見た目も思考も実に平凡な男である。妻思いの子煩悩で、ちょっと人の良い所もあったりして基本的に人畜無害な男である。それが妻を脱獄させるために犯罪に手を染めていく。このギャップが面白い。
しかも、その心理変化にはリアリティも感じられた。例えば、偽造パスポートを手に入れようとする前半では、彼の中ではまだ罪悪感がはたらいていた。それが後半に入ってくると、渡航費を稼ぐために街のチンピラを襲うまでになっていく。タイトルの「すべて彼女のために」を表すかのように、ジュリアンは自暴自棄とも言えるような大胆な行動を採るようになっていくのだ。この心理変化には大いに見応えが感じられた。
ただ、クライマックスから終盤にかけての盛り上がりは意外とあっさりとしている。このあたりは良くも悪くもフランス映画といったところだろう‥。ちなみに、今作はR・クロウ主演でハリウッドでリメイクされている(「スリーデイズ」(2010米))。未見であるが、そちらの方はどうなっているのだろうか?監督がP・ハギスということでなので少し気になる。彼は脚本家としての才能に溢れた作家だが、演出力も中々ある方だと思う。
一方、シナリオ上、幾つか突っ込み所があったのは残念だった。脱獄王のクダリは唐突過ぎるし、終盤の息子の心理変化にも何らかの説明が欲しい。90分強と短い映画だが、このあたりはもう少し丁寧に描写しても良かったかもしれない。
キャストではリザを演じたD・クルーガーの美しさに惹かれた。無実の罪で収監された悲劇のヒロインを切々を演じている。
ストーリーはユルイが、様々な世界観に跨って繰り広げられるアクションシーンは中々楽しめる。
「ドゥームズデイ」(2008米)
ジャンルSF・ジャンルアクション
(あらすじ) 西暦2035年、謎のウィルスが発生しイギリス全土は破滅の道を辿っていた。ある日、感染者を隔離していたスコットランドで生存者が確認される。政府は抗体を手に入れるために、女性兵士シンクレアを中心とした特殊部隊を編制する。早速、部隊は隔離地域に突入していくのだが‥。
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(レビュー) ウィルスの抗体を求めて危険地帯に潜入する特殊部隊の戦いを描いたSFアクション作品。
監督・脚本は
「ドッグ・ソルジャー」(2002英)で鮮烈なデビューを飾ったN・マーシャル。ホラー演出、アクション演出が冴えわたり、今回もツボを得た作りで最後まで楽しく見れた。
ただ、「ドッグ・ソルジャー」もそうだったが、この監督は過分にオタク主義をひけらかす傾向がある。2作目となる「ディセント」(2005英)こそ純粋にホラー映画を撮ろうとしていた節があるが、今回はどこかで見たことがあるようなシーンばかりで、正直既視感は拭えない。同系の作家としてはP・W・S・アンダーソンという人もいるが、N・マーシャルもそれに近いヲタク気質な監督なのかもしれない。
さて、そんなホラー監督改めヲタク監督N・マーシャルが今回、何にオマージュを捧げているのかというと、まず設定自体は「バイオハザード」そのものという感じがした。更には、シンクレアの任務に48時間というタイムリミットを持たせた点、危険地帯から要人を救出するという設定は明らかに「ニューヨーク1997」(1981米)だろう。アイパッチをしたシンクレアは正に女版スネークにしか見えない。他に、特殊部隊が装甲車で乗り込んでいくシーンは「エイリアン2」(1986米)、隔離地帯のパンクな暴走集団は「マッドマックス2」(1981豪)のヒャッハー!な輩‥等々。挙げたらきりがない。きっとN・マーシャルはこれらの映画が大好きで仕方がないのだろう。自分の作品に取り込んでやろうという熱意がビシビシ伝わってきた。自分にもそうした映画ヲタク気質があるのでその気持ちは良く分かる。しかし、ここまで既視感があると二次創作物みたいで何だか味気ない。斬新な物を見たい‥という映画ファン心理としては正直物足りなかった。
ただ、そうは言っても、今作には唯一オリジナリティに溢れた点もある。そこについては評価したい。それは奔放に切り変わる作品の世界観である。今作はストーリーが進行するにつれて舞台が変わり、まったく毛色が異なる3つの世界観が登場してくる。まず前半はダークな近未来な世界観、中盤は「マッドマックス2」的な世紀末的世界観、後半は元スコットランドが舞台という事もあり中世時代のような世界観に切り替わる。全くもって統一感のかけらもない不節操な世界観だが、これが今作の奇妙な面白さに繋がっている。別にタイムトラベル物でもない映画なのに、3つの世界に跨ってドラマが展開されるというのは大変珍しいと思う。
シナリオについては色々と物申したい。まず、シンクレアの生い立ちを説明した序盤は中々良い出だしだと思った。その後、時間が現在に飛んで、イングランドとスコットランドの歴史的背景を踏まえた舞台設定の説明がなされる。ここも今後の展開を期待させるという意味では興味深く見れた。そして、いよいよシンクレアが任務へ向かうのだが、ここから今一つ盛り上がらない。アクションの連続で見せるのは良いのだが、せっかく序盤で用意された彼女の葛藤も、その後に説明した特殊な舞台設定もドラマに活かしきれていない。また、せっかく用意されていたケイン博士というマッガフィンも、上手く機能しているとは言い難い。後半に入ってくると、シーンのつなぎ目が乱暴になってきて、段々ストーリー展開そのものがいい加減になってくる。正直、シナリオはもっと緻密に練り上げて欲しかった。
ただ、こうした不満は色々とあるが、クライマックスのアクション・シーンはかなり楽しませてもらった。この盛り上がりでこの映画は救われたという感じがする。「マッドマックス2」の再現と言えばそれまでだが、そこにN・マーシャル監督のブラックなユーモアが加わることで一味違ったカーチェイス・シーンになっている。
また、アクション・シーンのアイディアとしては、シンクレアの義眼設定というのも中々良かった。
尚、最後はいかにも続くような形で終わっている。しかし、今の所は続編の話は聞いたことがない。
更にパワーアップした続編。
「チャーリーズ・エンジェル/フルスロットル」(2003米)
ジャンルアクション・ジャンルサスペンス・ジャンルコメディ
(あらすじ) ナタリー、ディラン、アレックスはテロリストに監禁されたFBIの要人の救出作戦に出動した。作戦は成功したかに思えたが、実はテロリストの目的は要人が持っていた指輪だった。そこには連邦証人保護プログラムに関する情報が隠されていた。3人はそれを取り戻すべく再び危険なミッションへ挑んでいく。
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(レビュー) 往年の人気TVシリーズをリメイクしたアクション快作
「チャーリーズ・エンジェル」(2000米)の続編。
監督、キャストが前作と同じということでテイストは一緒‥いやむしろタイトルに「フルスロットル」と付いてるだけあって更に盛ってきたと言う感じである。前作は徹頭徹尾お気軽に見れるバカ映画だったが、今回は更にそのバカさに磨きがかかっている。野暮な突っ込みは止めて頭の中をからっぽにして楽しむべきであろう。
まず何と言っても冒頭のアクションシーンからして、CGを絡めたマンガチックな表現になっている。このコミックブック・スタイルこそ、監督マック・Gの特質だろう。更に過剰に、更にスタイリッシュにという監督の狙いが感じられる。また、中盤のバイクアクションには腹を抱えて笑わせてもらった。これもCGを過度に使ってエクストリーム感をさく裂させている。もっとも、バイクアクションのバカ映画殿堂と言えば、以前見た
「トルク」(2004米)が何と言っても一番であるが‥。今作のアクションは流石にそれを超えるほどではなかったが、それでもバカ映画としてはかなり豪快な絵面になっている。
一方、シナリオはというと、こちらは前作よりも少し複雑になっていて、気軽に見るバカ映画としては余り感心しない出来となっている。
物語はエンジェルスの3人の友情を軸に展開さる。ディランの引退話をきっかけにチームは崩壊の危機にさらされ、それにどう対処していくのか?という所が見所になる。しかしながら、ドラマは余り盛り上がらない。原因は三者の葛藤がバラバラの方向を向いてしまったからである。おそらくディランの葛藤を中心に構成すればもっとストレートで力強い物語になっていただろう。しかし、どういうわけかナタリーとアレックスにも夫々に悩ましい問題を抱えさせ、チーム崩壊の危機のお膳立てをしてしまっているのだ。また、肝心のクライマックスも分散した戦いで繰り広げられており、これではカタルシスも生まれてきにくい。
今回の敵役はマディソンという強烈な個性を放つ元エンジェルである。美容整形をしてスクリーンに復活したD・ムーアが演じたということでかなり話題にもなった。これは個人的意見だが、彼女のヒール振りを前面に押し出しながら、ディランの葛藤に乗せる形でクライマックスを盛り上げるべきだったのではないだろうか。
要所のノリは前作以上にハイテンションで良いのだが、ストーリーがどうにも中途半端な作りで残念だった。
アメコミ原作の映画化第2弾。今回も独特の映像世界を堪能。
「ヘルボーイ/ゴールデン・アーミー」(2008米)
ジャンルアクション・ジャンルファンタジー
(あらすじ) 超常現象捜査防衛局の捜査官ヘルボーイは、恋人リズと同棲生活を始めていた。しかし、最近二人の関係は余り上手くいっていない。些細なことで喧嘩をしていると、そこにオークション会場から太古の王冠が強奪されたという知らせが入ってくる。ヘルボーイはリズと相棒のエイブを引き連れて現場に急行した。そこには大量の歯の妖精が待ち構えていたが、何とかこれを退治する。しかし、これによって3人の正体は一般市民に知れ渡ることになった。一方、太古の王冠を手に入れたエルフ族の王子ヌアダは、最強の鋼鉄兵団ゴールデン・アーミーを復活させるべく着々と準備に取り掛かっていた。しかし、そのためには残り二つの王冠を手に入れなければならなかった。ヌアダは父を殺してそのうちに一つを手に入れた。残るもう一つは妹のヌアラ王女が持っていた。人類との無益な戦争を嫌った彼女は王冠を持って姿を晦ます。
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(レビュー) アメコミ原作のファンタジー・アクション
「ヘルボーイ」(2008米)の続編。お馴染みの面々が、今度は人類征服を目論むエルフ族の王子ヌアダと激しい戦いを繰り広げていく。
監督・脚本は前作に続きG・デル・トロ、キャストも同じ顔触れが揃っている。但し、前作でヘルボーイの相棒だった人間の捜査官マイヤーズは登場してこない。どうしていないのかは一応セリフで少しだけ説明されているが、存在自体が蔑にされてしまっているのがちょっと釈然としなかった。キャスティングの段階での問題だろうか?あるいはこれが原作通りなのだろうか?
前作は勧善懲悪で単純に楽しめる娯楽作品になっていた。今回も作りは一緒である。安心して見ることが出来た。
そして、今回はヘルボーイが人類と魔族の間で自己葛藤するドラマが組みこまれている。S・ライミ版「スパイダーマン」然り、C・ノーラン版「バットマン」然り。いわゆる昨今のアメコミヒーロー物ではよく目にするドラマである。確かにやりたいことは分かるのだが、これが入ることによって若干展開が鈍るのが気になった。前作の能天気さが後退し、ややシリアス色が強められている。
尚、今回はエイブのロマンス、リズの妊娠といったドラマも登場してくる。前作ではただ単にヘルボーイの仲間という扱いだった二人が、今回はかなりフィーチャーされていて、そこは今回の新たな魅力となっている。
ただ、リズの妊娠についてはもっと積極的に本編に絡めても良かったかもしれない。ヘルボーイの葛藤と成長を促すエピソードとして、これは中々美味しい素材のように思う。ここを掘り下げていければドラマは更に厚みが増しただろう。このままでは何だか最後のオチのためだけに用意されたような設定に終わってしまっている。このあたりは少し勿体なく感じた。
また、今回はチームに新たな仲間が加わる。これも今作の大きな目玉だろう。その新キャラとは潜水服のような恰好をしたガス人間・クラウス博士である。論理的で冷静沈着な堅物で、言わばスタートレックで言う所のスポック的キャラだが、これがヘルボーイと対立していく所に何とも言えぬユーモアが感じられた。彼の存在が今作に良い意味でアクセントをつけている。
映像に関しては今回も素晴らしい出来栄えとなっている。美術、クリーチャーのデザイン、アクションシーンのケレンミ、全てにおいて満足できた。特に、トロールの市場のシーンは様々なクリーチャーが登場してくるので大変ゴージャスである。デル・トロ監督らしいダーク・ホラーなセンスが存分に感じられた。
ところで、今回のラストだが、いかにも続きを期待させるような終わり方になっている。果たして続編は製作されるのかどうか?監督と主演のR・パールマンは続編に前向きで、一応企画自体はあるらしい。しかし、デル・トロ監督は他にも色々と企画が盛りだくさんなようで、実際に製作にGOサインが出るのはまだまだ当分先のようである。