オスカー女優競演が見応えあり。
「あるスキャンダルの覚え書き」(2006英)
ジャンルサスペンス・ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) ロンドン郊外の中学に新任の美術教師シーバがやって来る。孤独な中年女性教師バーバラは、彼女の若さと美貌に惹かれながら交友を育んでいく。ある夜、彼女はシーバと男子生徒の情事を目撃してしまう。幸せな家庭、ようやく手にした仕事を失いたくなかったシーバは、バーバラにこの事を口外しないで欲しいと懇願する。バーバラは了承するのだが‥。
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(レビュー) 孤独な中年女性教師と裕福な新任女性教師の偏愛をシリアスに綴ったサスペンス・ドラマ。
本作は、バーバラを演じたJ・デンチ、シーバを演じたC・ブランシェット、二人のオスカー女優の演技合戦が一つの見所である。特に、J・デンチの冷徹な佇まいは圧倒的で、ベテラン女優らしい子細な所作を各所に織り込みながら、病的な中年女性の心理を巧みに体現している。ハイミスの傲慢さ、若く美しいシーバに対する嫉妬と愛をしたたかに織り込んだ所は見事である。
物語はやや単調ながら、タイトルの"あるスキャンダル″に迫っていく作劇は端正に構成されていると思った。女性教師と教え子だった少年の不純異性交遊は、随分前にアメリカでも大きな事件として社会問題になったと記憶している。この映画の原作はそれをモデルにしているそうである。
しかし、今作は事件の真相を暴くことに主眼が置かれているわけではない。あくまで、今作のテーマは、事件を起こした新任女性教師とそれを目撃した中年女性教師の愛憎を深くえぐり出すことにある。したがって、この事件の裏側を知りたい、社会派的なテーマを期待したいと思う人にとっては、肩透かしな作品だろう。ただ、演者陣の素晴らしい演技のおかげもあって、二人の女性教師の愛憎ドラマの方は大いに見応えがある。
例えば、飼い猫の一件はバーバラとシーバの友情に亀裂を入れる最初のドラマチックな事件である。このシーンにおけるJ・デンチの形相は実に恐ろしく、背筋が凍るほどだった。
シーバが教え子と不倫に溺れていく過程も、C・ブランシェットの堅実な演技によって変に浮き足立つような所はない。彼女は一見すると満たされた上流家庭の主婦に見えるが、その実情は違っていた‥ということもよく理解できる。そして、それはバーバラという第三者の目線を通して説得力のある描かれ方になっている。
ただし、バーバラとシーバの家族との関係描写には不満を持った。最初は友好的なのだが、例の飼い猫の一件でシーバの家族は突然バーバラに対して批判的な態度を取り始める。しかも、公の場で激しい罵り合いをするほど険悪な関係になってしまうのだ。彼らの態度の変化が理解できなかった。少なくともここに至るまでに、もっと特別な理由を擁すべきである。そうでなければ、彼らが単にヒステリックな家族にしか見えなくなってしまう。ドラマを展開する上での説明が不十分に思えた。
この映画は後半に入ってくると、このような強引とも思えるような展開が幾つか目につく。行動に説得力が乏しいというか、理が伴っていないというか、要するに性急すぎるのである。それまでの堅実な演出に綻びが出始め、若干興が削がれてしまう場面があったのが残念である。
ラストも少し弱い。あれだけの騒動の後で、果たしてバーバラはこれまでと同じ人生を歩んでいけるとは到底思えない。彼女の孤独は続く‥とした方が、物語のインパクトは増したように思う。そのせいで個人的には映画の鑑賞感が軽くなってしまった。
J・デンチ、C・ブランシェット、両女優の演技については抜群の見応えを感じたが、後半のドラマの弱さ、演出の弛みが仇となり、最終的には少し物足りない作品になってしまった。
老カップルの絆を描いた渋い人間ドラマ。女優S・ポーリーの初演出に注目。
「アウェイ・フロム・ハー 君を想う」(2006カナダ)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 結婚して44年になるグラントとフィオーナ。彼らは思い出の湖畔の別荘で静かな余生を送っていた。しかし、フィオーナの認知症が進行し離れ離れの暮らしを余儀なくされる。老人介護施設に自ら進んで入ったフィオーナをグラントは毎日見舞いに行った。そこで今まで見たことのない彼女の華やいだ表情を見る。オーブリーという初老の男性と親しげに話していたのだ。グラントは複雑な思いに駆られる。
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(レビュー) 認知症の妻を介護する夫の愛と葛藤を静かに描いたヒューマン・ドラマ。
監督・脚本は女優としても活躍するサラ・ポーリー。若干27歳にしてこの渋い作り。しかも初演出というから驚きである。 なぜ彼女はこの若さで映画を撮るに至ったのか?まずは、その理由から想像してみたい。
サラ・ポーリーのキャリアは意外に長い。最初に注目されたのは、今作で製作総指揮を務めたA・エゴヤン監督がメガホンを取った「スィート ヒアアフター」(1997カナダ)あたりからだろう。この時の彼女の繊細な姿は今でも非常に心に残っている。「ハーメルンの笛吹」をモチーフにしたこのヒューマン・サスペンスは、大分暗い作品だったが、その暗さを象徴するように彼女の表情も常に鬱々としていて、幼いながらも作品の世界観を一身に背負っていた。演技云々と言うよりも、その造形がこのシリアスなドラマにぴたりとハマっていて印象に残っている。
その後も彼女は様々な監督の下で芝居をしてきた。例えば、以前紹介した
「アメリカ、家族のいる風景」(2005米)ではW・ヴェンダースと一緒に仕事をしている。彼女のキャリアの特徴は、こうした作家性の強い監督たちの下で子役時代から叩き上げられてきた‥という所にあるように思う。おそらくだが、彼女はこうした現場を通して、映画を作るスタッフ・サイドの仕事に興味が湧いたのだろう。だから、彼女は出演する側ではなく自分も演出したい‥という衝動に駆られたのだと思う。
さて、彼女の初演出だが、今作を見る限りでは、先述したA・エゴヤンやW・ヴェンダースのようなリアリズム志向に拠っている。グラントとフィオーナの出会いを描く回想シーンに、一部凝った映像演出は見られたが、それは全体のリアリズムなトーンを壊すほどではない。むしろ、抒情的な風情をもたらし、作品に詩的な味わいをもたらすことに成功している。このあたりには初演出らしからぬ卓越したセンスが感じられた。
一方、ドラマの方だが、こちらも老人介護という社会的な問題を老カップルの切ないラブ・ストーリーの中に上手く昇華されていると思った。
ただ、構成の面で若干、難がある。映画はグラントがオーブリーの妻の自宅を訪ねる現在と、フィオーナが施設に入所する過去。この二つを交互に描くことで展開されていく。更に、過去パートにはグラントの回想、フィオーナの回想が入り混じり、見ていて少々混乱させられた。このあたりはもう少し整理して描いてくれた方が、観る方としてはドラマに入り込める。
ラストは少し捻ったオチになっている。普通ならば涙の感動と行きたいところだが、かなりシニカルな顛末になっている。これをどう取るかは個々人の判断だと思う。見事な"裏切り”と取るか、捻りすぎて余り乗れなかったと取るか?評価が真っ二つに分かれそうである。
ちなみに、個人的には後者の方の意見である。確かに安易なお涙ちょうだい物にしなかった点は評価できるが、こういうオチに持って行くための伏線は慎重に擁して欲しかった。例えば、この物語には重要なアイテムとしてアイスランドの本が登場してくる。これをもっと効果的に用いればこのオチにも納得できたかもしれない。鑑賞感も大分違ってきただろう。
尚、このオチについては男女の性差という物も感じられた。映画を見終わって、そこを探ってみるのは面白いかもしれない。
キャストは主要二人は見事な演技を見せている。特に、フィオーナを演じたJ・クスティの繊細な演技は大いに見応えがあった。認知症に苦しめられる難役を深淵に体現している。
監督のサラ・ポーリーは今作後も女優業をしながら着々と映画を撮り続けている。女性でありながら、しかもハリウッドで二足の草鞋を履いて頑張っているのだから大したものである。他の作品は未見だが、いずれ機会があれば見てみたい。
笑いながら考えさせられてしまうシニカルコメディ。
「喜劇 にっぽんのお婆あちゃん」(1962日)
ジャンルコメディ・ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 東京浅草にやってきた老婆、サトとくみは、意気投合し一緒に浅草見物としゃれ込んだ。ある時、二人は道端でチンピラに絡まれる。負けん気が強いくみは猛烈に言い返して辺りは騒然となった。これにはさすがにチンピラたちも尻尾を巻いて逃げてしまった。その現場を偶然、焼き鳥屋の店員・昭子が見ていた。彼女は二人を気に入り、自分が働いている店に招待した。二人はそこで楽しく飲食する。ところが、団体客が入ってきたのでそそくさと店を出ることにした。昭子は少し寂しげな表情を見せながら、あとでアパートに遊びに来るように誘った。その頃、郊外の老人ホームでは騒然となっていた。入居していた老婆が遺書を残して出て行ってしまったのである。院長が警察に連絡して捜索が始まるのだが‥。
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(レビュー) 孤独な老婆達の悲喜こもごもを描きながら、老いとは?家族とは?といった問題をシニカルに問うた異色コメディ。
何と言っても、登場する俳優陣が魅力的である。サトを演じるミヤコ蝶々、くみを演じる北林谷栄、共に好演している。更に脇役陣も豪華である。浦辺けいこ、岸輝子、東山千栄子、左卜全、殿山泰司、三木のり平、小沢昭一、伴淳三郎といった渋いキャストが揃っている。また、田村高弘、渥美清、木村功といった中堅どころも頑張っており、全体的にキャスト陣の層が厚い。これだけでも見応えが感じられる作品だ。
そして、今作の肝は何と言ってもサトとくみのやり取り。これに尽きるだろう。二人は孤独な者同士、暫しの交友に慰められていくが、実は夫々が抱える家庭環境、境遇はかけ離れている。時には嘘を言い合い、その嘘を受け入れながら、互いに身を寄せ合って世俗を渡り歩いていく。その姿は、見ていて何ともいじらしい。
原作・脚本は水木洋子。成瀬巳喜男監督の「浮雲」(1955日)や
「あにいもうと」(1953日)の他、今作の監督今井正とのコンビも多く、このブログで紹介した
「にごりえ」(1953日)、
「ここに泉あり」(1955日)といった作品も手掛けている。人情味あふれるテイストが彼女の持ち味で、今回もそれがよく出ていると思った。
たとえば、サト達と昭子の温もりに満ちた友情形成にはしみじみとさせられた。昭子のサバサバとした性格も関係しているかもしれないが、祖母と孫ほども年の離れたサト達と何の違和感もなくまるで友達同士のように付き合える関係が素敵である。また、その友情形成に一役買うレコードやラーメンといった小道具の使い方には、水木洋子のライターとしての上手さが伺える。
そして、本作は彼女たちの愉快な道中を描く一方で、老齢化社会の影の部分もチクリと風刺している。
サトとくみは、夫々にある理由から家出をした身である。老人ホームでのギスギスした人間関係、息子夫婦から疎まれる生活。そういった環境に嫌気がさして二人は死を覚悟して飛び出してきたのである。その心中が時折透けて見える瞬間がある。例えば、昭子の何気ない一言に傷ついたり、手提げ袋の中から大量の睡眠薬が出てきたりetc.彼女たちはふとした瞬間に心細くなって落ち込んだりするのだ。老いや死からは逃れることはなできない。いずれ孤独に死んでいく‥。そんな実情が彼女たちの演技の端々に見られる。中には、ギョッとさせるようなホラー的な演出も施され、くみが回想する老人ホームのフォークダンスなどには死の臭いが嗅ぎ取れた。明快一辺倒な演出に堕さなかった所は今作の妙味だろう。それによって作品の歯ごたえが感じられる。
また、木村功演じるセールスマンの顛末もかなり悲劇的である。これも競争社会の影の部分を描いたドラマだと思う。あそこまでする必要があったかどうかは賛否あるが、これも生と死の数奇を皮肉的に見せている。
このように、今作は人間の心の闇、時代の闇を暗に忍ばせたような作りになっており、観る方としても現実がいかに残酷であるかが、しっかりと受け止められるような作りになっている。
特に、ラストのサトの行動などは、老いの問題を観客に直視させるような問いかけになっており、果たしてこれを突きつけられたあなたは彼女の家出の選択をどう捉えますか?というような問題提示になっている。老齢化社会の真っ只中にある現在。色々と考えさせられた。
エノケンが駆けずり回る痛快コメディ。
「エノケンのちゃっきり金太」(1937日)
ジャンルコメディ・ジャンル古典
(あらすじ) 江戸時代末期、スリの名人金太は、侍の懐から財布を盗んでは博打にのめり込む甲斐性無の男だった。ある日、盗んだ財布の中に薩摩藩の密書が入っていたことから騒動に巻き込まれる。金太は岡っ引きの倉吉と薩摩藩の志士に追われながら東海道を逃げまくるのだが‥。
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(レビュー) しがないスリ名人が明治維新の動乱に巻き込まれながらドタバタ騒動を繰り広げていく痛快コメディ。
何と言っても、金太を演じるエノケンこと榎本健一のリズミカルなアクションが見ていて楽しい。薩摩の侍や岡っ引きから逃げる姿が何ともユーモラスで、とにかくこの映画のエノケンは走りまくる。しかも、身体能力もかなり高く、このあたりは喜劇王チャップリンに通じるものがある。彼らは観客にどう見えたら笑いを取れるのか?そのあたりの動作を本能的に知っているのだろう。
例えば、宿屋での追いかけっこは狭い室内をグルグル回るだけで、傍から見れば何だが子供の喧嘩のように見えるが、そこすらも何とも愛おしく見れてしまう。ひとえにエノケンの動作が可笑しいからである。
金太を追いかける岡っ引き・倉吉の頼りなさげなキャラクターも抜群に良かった。彼は女に弱い間抜けな男で、そこに愛嬌が感じられる。そして、金太とは追う者と追われる者、敵同士でありながら、中々離れられない腐れ縁の関係にある。丁度この関係は「ルパン三世」における、ルパンと銭形のようなもので、いつか現場を取り押さえようと金太から片時も離れようとしない所に、ある種愛情関係も見えてくる。
また、倉吉の方恋慕を描く中盤の宿場のシーンは面白く見れた。相手の女中は実にしたたかでいつか倉吉から金品を奪い取ってやろうと狙っている。同じスリ稼業をしている金太にはそれがあっさり見抜けるのだが、肝心の倉吉にはさっぱり分からず鼻の下を伸ばしっぱなし‥。金太と倉吉が互いに「知らねぇなぁ~」を言い合う所が実に可笑しかった。
今作にはミュージカルシーンも多い。エノケンの軽快な歌も中々リズミカルで様になっている。中盤で芸者を交えて輪になって枕を渡しながら歌うシーンが出てくるが、「うちの女房にゃ髭がある♪」などという歌が披露されている。歌詞が中々面白かった。
尚、公開時は前後編で2時間を超える大作だったらしい。しかし、現存するのはそれを1本にまとめた短縮版で、今回見たのもそちらの方である。切り詰められたせいか、若干ストーリーの食い散らかしが目についたのは残念だった。また、クライマックスからラストにかけての展開が早急に写ったのも残念だった。
ただ、叶う事なら今作を完全な形で見てみたいとも思った。エノケンのシャープでユーモラスな演技や歌は2時間の長丁場もあっという間に思わせるだけの力があるように思う。彼の魅力を堪能するという意味でも、ぜひ完全版を見てみたいものである。
市川雷蔵の飄々とした演技が映画を軽妙にしている。
「好色一代男」(1961日)
ジャンルロマンス・ジャンルコメディ
(あらすじ) 京都老舗の但馬屋の息子、世之介は女遊びばかりしているナンパ男である。商売一筋の厳格な父は世之介に見合い話を持ってくるが、その相手はかつての遊び相手だった。見合いを断られた世之介は、その後も近所の後家や遊女にのめり込む。そして、ついに父から江戸の出店で一から出直して来いと命令される。ところが、世之介はそこでも放蕩の限りを尽くし、とうとう勘当されてしまった。こうして寺に入ることになった世之介だが、享楽好きな彼に修行などまともに勤まる筈もない。さっさと飛び出して放浪の旅に出た。そこで彼はお町という下女に出会う。
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(レビュー) 井原西鶴の代表作である浮世草子を、増村保造監督、市川雷蔵主演で映画化した作品。
「日本中の女を悦ばす」と豪語する世之介のキャラクターは、決して褒められた男ではないが、そこに愛着感を抱いてしまうのは、作劇の妙味と市川雷蔵の飄々とした造形あればこそだろう。
世之介は幸薄い女を見ると放ておけず、金に糸目を付けずとことん貢ぐ粋な男である。
例えば、江戸の遊郭で出会った見ず知らずの男のために、彼は恋のキュービット役を買って出る。その男と相思相愛の仲にある遊女を、全財産はたいて自由にして引き合わせるのだ。しかも、置屋の主人が吹っかけた身請け料を世之介の方から釣り上げて、2千両という大金を支払っている。おそらくだが、この時世之介は3千両持っていたら3千両支払っただろう。要するに値段ではないのだ。彼は自分の全てを差し出して可哀そうな女を救うという、遊び人としての美学を実践したかったのである。
彼の家は裕福である。だからこれほどの大金を自由に都合できる身分にあるわけだが、それにしたってこの行為は誰にでも真似できるものではないだろう。遊びは粋に‥という彼のポリシーがよく表れたエピソードだと思った。
また、その一方で、世之介は心底惚れた女にはとことん尽くす一途な面も持っている。
それを表したのが、港町で出会った下女・町子との恋慕である。世之介は町子の手のしもやけを見て不憫に思い、一緒になろうと求婚する。いつものようにその場限りのプロポーズかと思いきや、その後二人は離れ離れになり、終盤直前で再び再会を果たす。この時の世之介の胸に去来する物。それを想像すると胸が締め付けられてしまう。おそらく、町子との恋こそが自分にとって最初で最後の純愛だったのではないか‥と。女遊びに明け暮れた彼は町子から愛の尊さ、儚さ、残酷さを教わり、初めて終盤で自らの人生を顧みるのだ。実に印象的だった。
この再会を経て世之介は最後に全財産を捨てて、裸一貫で真の愛を見つける旅に出る。このラストも実に印象深かった。商人の子息としての精一杯の反抗。あるいは、男尊女卑の社会に対する抵抗。そういったものが見えてくる。世之介はただの放蕩者ではなく、実は自分の信念を貫く、当時としてはかなり異端なパンキッシュな男だったのではないか‥。そんな風に思った。
自分などはこういう所に共感を抱いていしまう。ある意味で、世之介はこの世の不正を正そうとする
「アイアンマン」(2008米)の主人公トニー・スタークに重ねて見ることも出来る。実に粋なヒーローである。
本作は前半こそユーモラスなテイストで展開されるが、後半からは、町子のエピソードによって徐々に不穏な空気が出てくるようになる。ただ、町子との悲恋にしろ、このラストにしろ、映画はそれほど陰鬱なテイストで描いているわけではない。世之介を演じた市川雷蔵の飄々とした演技が奏功し、特にラストに関してはどこか爽快感すら感じられた。変にメロドラマ色をゴリ押ししなかった所は、個人的には正解だと思った。むしろここで泣かせんばかりの演技をしつこくされてしまうと途端に陳腐に思えてつまらなくなってしまう。このくらいあっけらかんと掬い上げてくれると、見る方としても楽であるし、何より世之介というキャラクターには合っている。
他にも、今作には笑いの場面も多々ある。尼さんのクダリ、実父の死のクダリなどは傑作だった。どちらも真面目に見てしまうと気の毒なエピソードだが、これを艶笑やブラック・コメディに昇華した増村保造の演出は流石である。
ただ、今作の演出で一つだけ気に入らなかったのは、中盤の飲み屋のシーンである。ここで世之介は前半で知り合った侍と再会しているが、これは偶然に偶然が重なり合うようなミラクルで白けてしまった。全体的に軽快なテンポで進むので各所にご都合主義が目につくことは確かなのだが、ここに関しては流石に乱暴な展開である。
豪華キャストが見応えあり!
「人斬り」(1969日)
ジャンルアクション
(あらすじ) 荒んだ人生を歩んでいた青年・岡田以蔵は、土佐勤王党首・武市半平太に呼ばれ、土佐藩主の執政・吉田東洋暗殺の視察を命じられた。以蔵はその現場を見て今までにない興奮を覚えた。こうして人斬りとして開眼した彼は、半平太の命令で次々と幕府の要人たちを暗殺していった。ある日、以蔵は酒屋で坂本龍馬に出会う。彼は半平太のかつての盟友だったが、今は袂を分かって独自の道を歩んでいる。龍馬は以蔵に、これ以上の殺生を止めるよう説得する。しかし、以蔵は半平太に生き場所を貰った恩は裏切れない‥と、それを突っぱねた。一方、半平太は以蔵の名前が有名になるに連れて危機感を覚え始める。以蔵に暫く大人しくするよう命じた。しかし、その命令を破って彼は渡辺金三郎暗殺に加わった。この一件で以蔵は勤王党から追い出されてしまい‥。
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(レビュー) "人斬り以蔵″として有名な土佐藩士・岡田以蔵の苦悩を描いたアクション時代劇。
以蔵と言えば、最近の大河ドラマ「龍馬伝」で佐藤健が演じたニヒリズム溢れる以蔵が印象に残っている。あれはあれでかなり格好良く、いかにも女子ファンが飛びつきそうな以蔵だったが、今回の以蔵はそのイメージとは対照的に荒々しく、獰猛で、ちょっとユーモラスになっている。演じるのは勝新太郎。高い身体能力を活かした迫力のある殺陣はもちろんのこと、師と仰ぐ半平太に裏切られ苦悶する後半の鬼気迫る演技などを見ると、これは"勝新太郎ならでは”の以蔵になっている‥という感じがした。大いに見応えがあった。
作品自体は、全体的に演出が大仰なためリアリズムを狙った作品とは言い難い。例えば、以蔵が半平太の命に背いて暗殺に駆け付けるシーン。以蔵が走った後には砂埃が巻き起こる。これなどは、かなりコミックタッチな演出である。また、斬られた際の血しぶきも過剰にマンガチックで、終盤に登場するコント55号もどうしてもコメディ色が出てしまう。
監督は五社英雄。ダイナミックでケレンミ溢れる演出には惹き付けられるものがあったが、それがかえってドラマのシリアスさを邪魔しているような気がした。加えて、脚本・橋本忍との相性も余りよろしくない。橋本はどちらかと言うとシリアスなドラマを信条とする脚本家である。そこに五社監督の劇画タッチが乗っかると、どっち付かずな印象になってしまう。
アクション的な見せ場としては、前半の狭い路地裏での暗殺シーンを筆頭に、各所に見応えが感じられた。このあたりは五社監督の手腕であり、勝新太郎の功績でもある。かなり窮屈な場所でも、勝新は器用に殺陣を演じていて感心させられた。
ドラマ的な見所としては、以蔵と半平太の愛憎関係、それに坂本龍馬との交流も用意されている。龍馬は以蔵に言う。お前と半平太の関係は猟犬と猟師のそれと一緒だ‥と。これに対して以蔵は否定する。しかし、心中はそうではなかったと思う。その複雑な葛藤が、龍馬との交流の中に見えてきて面白かった。
また、薩摩藩士・田中新兵衛とのライバル関係も興味深く見れた。新兵衛は以蔵に並ぶ刀の使い手で、言わばこの二人は猟師に飼われる猟犬同士という点で共通する者達である。それを考えると、敵対するこの両名の間にはどこかでシンパシーも芽生えていたのではないか‥と想像できる。以蔵もそうだが、新兵衛の末路も実に浮かばれぬ形で終幕し、何とも不憫に思えた。
遊女"おみの"と、小路家の姫を交えた三角関係も出てくるが、こちらそれほど突っ込んで描かれていない。基本的には半平太たちのドラマの袖で描かれるサブエピソード的な扱いに収まっている。しかしながら、以蔵は高嶺の花である姫に恋焦がれる一方で、結局は昔からよく知っているおみのの元に戻ってくるあたりは、中々哀切極まる悲恋になっている。こちらも面白く見れた。
音楽に関しては違和感を覚えた。朗らかなBGMが多く全体のシリアスなトーンにマッチしていない。もう少し硬質なトーンの方が作品には合っているような気がした。
キャストは中々豪華である。半平太役に仲代達也、龍馬役に石原裕次郎、新兵衛役に三島由紀夫が扮している。石原&三島のツーショットは中々貴重なシーンではないだろうか。
また、三島の切腹シーンは彼の監督・主演作
「憂国」(1966日)に通じる興奮が感じられた。鍛え抜かれた肉体を延々と捉えた1カット演出が、表現者"三島由紀夫”の姿を克明に記している。
世界的名作を独特の感性で映像化。
「嵐が丘」(1988日)
ジャンルロマンス
(あらすじ) 鎌倉時代、山部一族の当主・高丸は子供たちと隠匿生活を送っていた。屋敷の離れには下人の鬼丸が住んでいて、長女の絹は彼に淡い恋心を抱いていた。そんな二人の関係を高丸の長男・秀丸は嫉妬する。そして、自分を見つめるための旅に出た。一方、絹にも非情な運命が背負わされていた。成人した彼女は古いしきたりに習って巫女になることが運命づけられていたのである。しかし、彼女は山部一族と長年対立する西の荘の当主・光彦に嫁ぐと言ってこれに反発した。そして、家を出ていく前夜、絹は鬼丸と愛し合った。誰にも打ち明けられぬ秘密を抱えたまま、彼女は西の荘へと旅立っていく。
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(レビュー) 世界的に著名な同名原作を、日本の中世時代に舞台を移し替えて製作した禁断の愛憎ドラマ。
監督・脚本は吉田喜重。この映画化は彼が長年温めていた企画だったようである。世界中の誰もが知る、かの名作を映像化するのであるから(しかも大胆に翻案しながら)、氏の意気込みも相当なことだったろう。実際、見てみると、吉田喜重らしい独特の映像美学が各所で追及されている。氏のアーティスティックな感性がほとばしった映像作品になっている。
例えば、大掛かりなセットを幽玄的に捉えた独特の世界観は素晴らしい。また、呪術的な儀式のシーンも大変面妖で面白かった。更には、鬼丸のネクロフィリア的な性愛も、禁忌に挑むような大胆さで、さながらホラー映画のような魅力が感じられた。
加えて、演者陣の熱演も見逃せない。鬼丸を演じた松田優作の鬼気迫る怪演は今作の大きな見所である。
そもそもこの鬼丸というキャラクターは、かなりドラマチックな人生を背負っている。元々は孤児だった彼は山部一族に拾われてやってきた。やがて、そこで出会った絹と禁断の愛欲に溺れていく。その愛し方が凄まじい。情熱的と言うか、暴力的と言うか‥。まるで肉体を貪り食うかのように彼女の身体を愛撫するのだ。彼のこの性愛は後半から徐々に狂気を帯びていくようになる。彼は絹の墓を掘り起こして、その遺体を夜な夜な愛するようになるのだ。流石に直接の描写はないが、この異常な性愛には戦慄を覚えてしまった。それを松田優作が異様な雰囲気を身にまといながら怪演している
物語は鬼丸の数奇な運命をひたすら厳粛に描いているが、こうした見世物小屋的なハッタリが所々に出てくるのでどちらかと言うと寓話的な印象が強い。あの名著をこういう風に描く方法もあるのか‥という驚きが感じられた。また、山部一族の呪われた血筋はかなり根深く、それがこのメロドラマを超然としたものに見せている。いかにも吉田喜重らしいと思った。
ただ、氏の今作にかける思いは十分伝わってくるのだが、いかんせん映画のテンポはかなり悪い。
アーティスティックな感性が存分に発揮されたラブシーンは、必要以上に長ったらしい。また、鬼丸や絹、更には後半から二人の間に割って入る充彦の妹・妙、絹の遺児で母と同じ名前を付けられたもう一人の絹。彼らの情念が、すべからく抽象的で物足りない。確かに松田優作の荒々しいセックス演技には目を見張るものがあるが、吉田喜重という監督は余りにもスタイリッシュな映像作家で、その熱演から泥臭い"性”を打ち消してしまっている。演技と演出の組み合わせの悪さを感じた。
例えば、以前書いた
「エロス+虐殺」(1970日)や
「煉獄エロイカ」(1970日)、あるいは他の作品にしてもそうだが、吉田喜重の映画は非常に幻想的でシュールな作品が多い。そういったストーリーの判然としない映画の中では、こうしたアーティスティックな感性は上手く溶け込む。しかし、今回の物語は、言ってしまえば情熱がほとばしるようなベタなメロドラマである。そこにこういう表現は今一つしっくりと来ない。もっと生々しくドロドロとした表現の方が、個々の情念がダイレクトに伝わってきて良かったのではないだろうか。
もっとも、それを言ってしまったら、喜重らしい作品ではなくなってしまうだろうが‥。
70年代のカルト作品を現代風にリメイク。
「ピラニア」(2010米)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) 観光客でにぎわう湖で毎年恒例の美女コンテストが開催される。地元大学生ジェイクはそれを観に行きたかったが、保安官をしている母ジュリーから幼い弟たちの面倒を見るよう釘を刺された。ある日、彼は撮影に来ていたポルノ映画監督にロケの案内を頼まれる。このチャンスを逃すものか‥。そう思ったジェイクは弟たちに小遣いを渡して撮影隊に同行した。更に、途中で鉢合わせになったガールフレンドのケリーも連れて行った。一方その頃、ジュリーは海岸で漁師の変死体を発見する。調査に乗り出すと奇妙な形をしたピラニアが発見される。
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(レビュー) 78年にJ・ダンテ監督が撮ったB級パニック映画「ピラニア」(1978米)のリメイク作。
オリジナル版はTVで見た記憶ががあるがまったく覚えていない。それくらい自分にとっては印象に残らなかった作品なのだが、それが現代に設定を移し替えて蘇った。何故今このB級映画がリメイクされたのか?その理由はよく分からないが、出来上がった物を見ると中々毒が効いていて面白い作品であった。尚、劇場公開時には3Dで上映されたが、今回は2Dでの鑑賞である。
監督はスプラッター映画「ハイテンション」(2003仏)で一躍注目を集めた新鋭A・アジャ。正直、「ハイテンション」は言うほど残酷描写が新鮮と言うほどでもなく、これまた中途半端な印象しか残らない作品だった。アジャ監督の演出家としての特質も余り見えず、よくあるB級ホラー映画という感じだった。しかし、「ハイテンション」は本国でヒットを飛ばし、それによって彼はハリウッドに招かれた。そして作られたのが今作である。
今回もB級映画らしい、こじんまりとした内容となっている。しかし、さすがにそこはハリウッドである。クライマックスのパニック・シーンは結構大掛かりな撮影で、予算や特撮もかなりかかっている。正にやりたい放題なグロ描写のオンパレードで、正直「ハイテンション」よりも”ハイテンション”だった。
しかも、変にジメジメとしていない所が良い。アメリカナイズされた軽いノリが全編に渡って貫き通されており、ある種バカ映画然とした面白さも感じられた。
そもそも、殺人ピラニアの犠牲となる人たちは、ほとんどがエロしか頭にないバカ者達ばかりである。例えるなら、成人式の会場で酒を飲みながら乱闘騒ぎを起こすような連中である。観る方としても彼らに感情移入できず、いくら酷い目に合っても陰惨な気持ちになどならない。これはアジャ監督の上手さである。予め、彼らの乱痴気騒ぎをプレマイズすることで、観客に同情の余地を与えないのだ。
しかし、ただ一人、黒人保安官の死だけには心を痛めてしまった。彼はパニックに陥る美女コンテストの会場で避難誘導をするのだが、バカな連中を守ろうとして死んでいく。実に浮かばれない最期であった。
シナリオは前半が水っぽいのが残念だった。主人公のジェイクが前に出ないタイプの少年なので、ストーリーに進展がない。また、彼とケリーの恋愛も淡泊にしか描かれておらず物足りなかった。ジェイクが行動を起こすのは後半のパニック発生以降である。ここからようやくドラマも動き出して、クライマックスまで面白く追いかけることが出来た。
また、ラストのオチも痛快で良かったと思う。得てしてこの手の映画の場合、恐怖の余韻を煽る傾向にあるのだが、今作はクライマックスの勢い、そのままにスカッとオチをつけている。秀逸である。
尚、最も笑ったのはポルノ映画監督の絶命の時の一言だった。お前は死ぬまでそれかよ‥という突っ込みを入れてしまった(笑)
キャストではC・ロイドやR・ドレイファスといった意外な面々が登場している。ロイドはともかく、ドレイファスは完全にネタ要員である。彼の今作での役名はマットである。当然、彼が「ジョーズ」(1975米)で演じた役名が想起される。作り手たちの遊び心が感じられた。
原作者自らが撮った正式な続編。
「エクソシスト3」(1990米)
ジャンルホラー・ジャンルサスペンス
(あらすじ) ある朝、川縁で黒人少年の他殺体が発見された。死体の首は切断されキリスト像の首に挿げ替えられていた。そして、左手の中指も切断され、右手には双子座のマークが彫られていた。事件を担当することになったキンダーマン警部は、15年前に起こった双子座殺人事件と全く同じ犯行であることに気付く。一方、15年前の悪魔祓いで死んだカラス神父が籍を置いていた教会で、同じ手口を使った第二の事件が起こる。犯行現場から採取された指紋は第一の事件とは別の物だった。更に、キンダーマンの親友、ダイヤー神父も何者かに殺されてしまう。キンダーマンは、事件の背後に恐るべき悪魔の存在を突き止める。
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(レビュー) 世界的大ヒットを記録したオカルト映画「エクソシスト」(1973米)の正式な続編。原作者であるW・P・ブラッティが製作・監督・脚本を務め、第1作の悪魔憑き事件の後日談を描いている。
全体的な印象としては、第1作の恐怖には及ばないものの中々の佳作だと思った。さすがに原作者本人が撮っただけあって、あちこちに第1作とのつながりや、シリーズ物ならではのこだわりが感じられる。単なる見世物ホラー映画に終わっていない。
物語前半は、キンダーマン警部が双子座の殺人鬼を追いかけるサスペンス劇になっている。冒頭の不穏な空気をまき散らした水死体発見のシーン、その後に続く第2の犯行、更には親友ダイヤー神父の謎の死と、ストーリーは畳み掛けるように展開されていく。そして、その合間にキンダーマンのプライベートのドラマが混入され、構成自体は抑揚が効いていて中々手練れていると思った。
そして、物語が中盤に入ってくると、いよいよキンダーマンは犯人につながる重要な手がかりを発見する。そこには過去の連続殺人事件が関係していた。ここから映画は一気にオカルト・テイストが出始め、クライマックスに向けて盛り上げられていく。
このように本作は、前半は殺人事件を追いかける推理サスペンス劇、後半は悪魔払いのオカルト劇になっている。ブラッティ監督は、この二つを不穏なトーンで結ぶ付けながら、見事に1本の作品としてまとめ上げている。
実は、彼は映画の脚本を多く手掛けているが、監督業はそれほど多くない。今作を含めたった2本しか撮ってなく、自分は彼の監督作品を今回初めて見た。そんなわけで余りデータはないのだが、今回見る限り彼のホラー演出は中々どうして。かなり上手いと思った。
例えば、夜勤の看護師が物音に気付いて薄暗い病室を訪ねるシーンがある。ロングショットで延々と写しながら張りつめた緊張感が演出されている。いわゆるスカシの演出も上手く効いているし、予想できない所から現れる殺人鬼の姿もショッキングだった。真面目な話、このシーンはホラー映画史に残るようなトラウマ級の怖さがある。
また、このようなドキッとさせる演出は、クライマックスのキンダーマン邸でも見られる。正に間一髪!という首切りシーンだ。ここも撮り方が少し変わっているせいでショッキングだった。
ただ、今作でショッキングだったシーンはこの2箇所くらいで、あとは静かに恐怖を盛り上げるJホラー的なタッチが横溢する。確かに地味は地味なのだが、本作は派手な見世物で怖がらせるスラッシャー映画ではない。この地味さが、良い意味で作品に重厚感をもたらしている。
Jホラー的と言えば、闇に対する執着も相当なもので、例えば教会の懺悔室のシーンや、精神病院の監禁部屋のシーンは、光と影を巧みに使いながら不気味に恐怖を盛り上げている。
また、S・キューブリックばりのシンメトリックな画面構図にも無機質的で冷え冷えとした怖さが感じられた。同様に、無人ショットの積み重ねにも職人技のような上手さが感じられた。
総じて、所々の演出には光るものがあった。
ただ、その一方で少々陳腐な演出も見らる。例えば、キンダーマンが見る悪夢シーンはスケール感たっぷりに描かれているが、全体のミニマムなトーンからすればどうしても違和感を覚えてしまう。また、天井を歩く老婆もどうかするとギャグのように映ってしまう。第1作のディレクターズ・カット版でもスパイダー・ウォークが話題となったが、それと同じ陳腐さを感じた。
キャストは、双子座の犯人を演じたブラッド・ドゥーリフの怪演を評価したい。彼のことは今まで意識したことはなかったが、B級映画やホラー映画への出演が多い俳優のようである。おそらくこの手のジャンルが得意なのかもしれない。
キンダーマン警部役はジョージ・C・スコットが演じている。元々この刑事は第1作にも登場していたキャラだが、その時にはリー・J・コップが演じていた。しかし、今作が製作された時にはすでに彼は亡くなっていた。そこでジョージ・C・スコットが新たにキャスティングされたということらしい。確かに見ようによっては似てなくもない。しかしながら、スコットの演技はどうにもエキセントリック過ぎて、所々で違和感を持ってしまう。何故ここでそんなにキレるのか?というような場面が幾つもあり、もう少し演技を抑制してほしかった。
他に、サミュエル・L・ジャクソンがチョイ役で出演している。どうやらキンダーマンの夢のシーンに出てたらしいのだが、自分には気付かなかった。
痛快ゾンビ・コメディ。細かいネタが笑える。
「ゾンビランド」(2009米)
ジャンルホラー・ジャンルコメディ
(あらすじ) ゾンビに支配されたアメリカのテキサス州。ひきこもり青年コロンバスは故郷を目指して旅をしていた。その途中でゾンビを殺しながら旅をするタフガイ、タラハシーに出会う。コロンバスは彼の車で一緒に旅をすることにした。その後、二人は立ち寄ったスーパーで美人姉妹ウィチタとリトルロックに出会う。コロンバスは一瞬にしてウィチタに心を奪われた。ところが、その直後、隙を突かれた2人はウィチタ達に車を奪われてしまう。仕方なく、コロンバスとタラハシーは歩いて旅を再開するのだが‥。
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(レビュー) 気の弱いヲタク青年がゾンビのいない土地を目指して旅をするホラー・コメディ。
一部でゴア描写があるが、基本的には気楽に見れる万人向けの娯楽映画である。ガチなホラー・ファンには物足りなく映るかもしれないが、多くの人に受けそうな作品のように思う。また、ゾンビとの戦いもアトラクション映画的なノリで作られているので、終始楽しく見ることが出来た。
物語は軽快にまとめられていて大変見やすい。また、ドラマに仕込まれたテーマも中々深いと思った。
このドラマは一言で言ってしまえば、ひきこもり青年コロンバスの成長を描いたドラマのように思う。ゾンビに埋め尽くされた世界の中で、彼は部屋に閉じこもってばかりはいられなくなる。部屋を飛び出して厳しい現実社会と対峙しなければならなくなるのだ。そして、マッチョ男のタラハシーや魅力的なウィチタと巡りあい、共に協力しながらゾンビだらけの世紀末を戦い抜いていくようになる。つまり、部屋の中で<死んでいた>ような青年が、この旅を通して<生きた>青年になっていくのだ。そこに人間ドラマとしてのカタルシスが感じられる。
表向きはホラー・コメディ映画であるが、物語の根底にはこうした深いテーマが隠されている。そこを読み込んでいけば、本作は更に骨のある作品となる。
ただ、シナリオ上、幾つか不満に残る個所もあった。
例えば、序盤から中盤にかけてのコロンバス達とウィチタ達のやり取りは、少々展開がもたつく。車を奪われるという事件が反復されるが、これが野暮ったい。ウィチタ達の狡猾さ、コロンバス達の間抜けさを表すための作劇だとしても、まったく同じ展開では芸がない。例えば、ここにゾンビを絡ませるとか、コロンバスの過去のトラウマを絡ませるとか、色々とやりようはあったと思う、そうすることでエピソードの重複化を避けて欲しかった。
また、終盤がかなり大雑把に展開されている。ウィチタ達がわざわざゾンビが集まりそうな遊園地に行ったり、逃げ場のないフリーフォールやお化け屋敷に逃げ込んだり、普通では考えられないような行動をする。せめて、そこに追い込まれるという形で演出してやらないと、彼女たちの行動が一々理に適っていないように見えてしまう。これでは見る方としても中々乗り切れない。
尚、今作には映画マニアでも楽しめる小ネタがふんだんに盛り込まれている。元ネタを知っていれば更に面白く見れるだろう。
例えば、中盤から俳優のB・マーレイが本人役として登場してくる。彼はゾンビの世界を生き抜くために、なんとゾンビの特殊メイクを施して隠れながらサバイバルしているのだ。特殊メイクでゾンビの攻撃をかわすとは‥!ゾンビ映画でこの発想は新鮮だった。
また、彼が絶命の寸前に「ガーフィールド」(2004米)という言葉を発している。これは彼が主演した映画のタイトルである。太っちょ猫ガーフィールドの騒動を描く、CGアニメと実写が融合したファミリー・ムービーで続編も製作されたほどの人気作だそうである(未見)。残念ながら日本ではさして話題にもならなかったのだが、向こうではかなりメジャーな作品なのだろう。ここではネタにされている。
他に、自分が分かる範囲で言うと、「ベイブ」(1995豪)や「ゴーストバスターズ」(1984米)のネタも出てきた。
また、コロンバスはゾンビの世界を生き抜くためのルールを自分の中で標榜している。例えば、二度撃ちは当たり前、後部座席には気を付けろ、ヒーローにはなるな等。こうしたルールはホラー映画に必ず出てくる"あるあるネタ"である。このあたりも、製作サイドはよく分かっている‥という気がした。見ていてクスリとさせられた。
ちなみに、個人的に一番笑ったのは、画面の端にチラリと写ったチャップリンのコスプレをしたゾンビだった。こうした細かな芸も本作は中々心憎い。